究極大英雄の山田次郎かく闘えり!   作:うぃっちべーす

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第二十三話『山田くん寝言を咆哮す』

 

山田次郎は一日に3時間寝る。別に過去の英雄にあやかった訳ではない。

そこまで疲労困憊するほどの生活はしていないのと、夢見が悪いせいだ。

睡眠の波が浅くなると人は夢を見る。その内容が酷いと人は起きるのだ。

 

 

 

「うわ、やった!!……き、救急車だ!救急車を呼べ!中に人がいる!」

 

「うわ、マジかよ、見ちゃったよ俺。早く逃げようぜ。面倒は御免だ。」

 

 

 

夕方の信号の無い交差点で衝突音が響く。いわゆる交通事故という奴だ。

自動車同士の衝突事故であった。黒塗りの乗用車と赤い貨物用トラック。

乗用車は助手席側が完全に潰れており、運転席には男が突っ伏していた。

現場に居合わせたのは近所の中年と、居合わせたものの逃げた若い男女。

 

そして、たまたま通りがかっていただけの小学6年生二名の姿もあった。

 

 

 

「た、大変だ!ちっちゃい車が半分潰れてる!はやく誰か呼ばなきゃ!」

 

「えぇ?!……嘘でしょ?!……次郎くん、あれ、パパの車みたい……」

 

 

 

黒塗り乗用車の運転席を差す少女。頭から血を流す男に向けられている。

彼の名は二宮純一郎。大企業集団『ニノミヤグループ』の最高責任者だ。

少年は男に面識は無かったが、横の少女が嘘をつかないのは知っている。

 

 

 

「双葉ちゃんの?!た、大変じゃないか!助けなきゃ!お父さーん!!」

 

 

 

少年は駆け寄って車の中をのぞく。運転席の男は相変わらず伏している。

しかしかすかに手が動き、彼が動けぬ人ではない事を見て安心する少年。

そこで彼は見たくなかったものを見る。助手席の隙間から見える女の腕。

 

硬直する少年の元に隣にいた少女も駆けてくる。そして彼は少女を抱く。

もちろん性的な意味は無い。少年は少女に、光景を見せまいとしたのだ。

 

 

 

「な、なに?!なんなの次郎くん!お父さんだったでしょ?ちがうの?」

 

「た、たぶんお父さんだよ!大丈夫、動いてたよ!だから安心してよ!」

 

「じゃあはなしてよ!お父さん助けるの!ねえ次郎くん、はなしてよ!」

 

「見ちゃだめだよ!お母さんが、きみのお母さんが、危ないんだって!」

 

「なに言ってるのよ次郎くん!おかあさん、今日は出張でいないわよ!」

 

 

 

少年は混乱しながら少女をずっと抱いていた。少女もずっと暴れている。

混乱する頭の中で、少年は噛み砕けない問いを必死に咀嚼しようとする。

なんでお父さんの隣にお母さんじゃないの?なんでお母さんがいないの?

 

少年には判らない。父と母は一緒に居て然るべきだ。それが普通なのだ。

だが山田家の普通は、他の家の普通ではないということまでは判らない。

 

 

 

「はなさない!見ちゃだめだよ!ぼくはきみをぜったいにはなさない!」

 

「ええい、離さんか次郎!俺はホモ息子なんぞに育てた覚えは無いぞ!」

 

 

 

 

 

 

目を開ける山田次郎。そこには、ガッチリとして堅い肉厚の筋肉の感触。

もちろん小学生の少女ではない。山田家の当主である山田大二郎だった。

蒼ざめながら飛び退く山田くん。どうやら同性愛嗜好者では無いようだ。

 

 

 

「な、なに用でゴザルかマイファーザー!プライバシー侵害でゴザル!」

 

「お前、田中さん好き好き離さないって寝言がうるさい。安眠妨害だ。」

 

「えっ?!……そ、そうでゴザったか。かたじけないマイファーザー。」

 

「いいかげん頭下げとけ次郎。女ってのはな、頭下げれば何とかなる。」

 

「……あらあなた、そんなつもりで今まで頭を下げてらしたんですか?」

 

「か、母さん!違うんだ!あくまで一般論を次郎に教えようとだな……」

 

 

 

耳を引っ張られて退出する山田父。そして張り付いた笑顔で手を振る母。

山田家ではよく見られる光景である。最高権力者とは常に、母親なのだ。

嵐の去った後の部屋で、山田くんは枕元から例のビニール袋を取り出す。

 

二人分のうち、黒系統の布が詰まったビニール。つまり田中双葉の下着。

 

 

 

「はぁ、俺、本当におかしい。なんで田中双葉が好きだなんて寝言を。」

 

 

 

彼は夢を覚えていない。それは脳の情報の残滓が組上げた泡沫だからだ。

だがその情報は無から生じたりはしない。なんらかのインプットがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日の出前の墓地。ここは一之瀬家の菩提寺にあり、その出入りは自由だ。

木で出来た桶を手に近寄る大きな男の影。その表情は鬼瓦のようだった。

一之瀬の父。彼はどんなに多忙でも、毎月決まった日にこの墓所に来る。

 

 

 

「お時間が合ってしまいましたか。申し訳ない、すぐに去りますので。」

 

「……いや、そのまま。久々ですし少し話しましょう。すぐ済みます。」

 

 

 

そこには先客が居た。少しだけ脱色した髪に、顎だけ綺麗に生やした髭。

半目がちの表情に真面目さを湛えている。我々は彼の若い頃を先程見た。

彼もまた手に桶を持ち、そして墓には真新しい花が品良く飾られていた。

 

 

 

「雄大君はお元気のようですな。純の言うには彼女さんが出来たとか。」

 

「……本来彼女は証人でしてな。雄大のワガママにも困ったものです。」

 

 

 

実際のところ大喜びしてるのは一之瀬父の方なのだが、それはともかく。

一之瀬家墓所は大きめである。そして石で出来た低い段に囲まれている。

そこに一之瀬は腰掛け、胸元から煙草を取り出し、二宮父に差し出した。

 

一之瀬父は煙草を吸わない。しかし彼は、墓参りのときだけは持ち歩く。

そして促されるままに石段に腰掛けて煙草を受け取る二宮。表情は硬い。

 

 

 

「……もう6年ですか。長い様であっという間でしたよ、一之瀬さん。」

 

「私は今でも昨日の様に思い出します。アレと息子が二人でいる姿を。」

 

 

 

二宮は墓所の前で煙草に火をつけて、深く吸い込むと、煙を上へと吐く。

吸わない一之瀬父への気遣いなのだが、当の彼は嫌な顔はしてはいない。

少し寂しそうに、二宮の吐く煙草の煙をじっと観察しているだけだった。

 

 

 

「……アレも、ヘビースモーカーだった。やめろと散々言ったんだが。」

 

「そうでしたね。彼女は良く吸ってましたっけ。本当に懐かしいです。」

 

「吸わない私が火をつけるより吸う君の煙のほうがアレの供養になる。」

 

 

 

アレとはもちろん伏せるような隠語ではなく、一之瀬氏の細君のことだ。

彼ら二人の脳裏には、はじけんばかりの笑顔の女性の顔が浮かんでいた。

煙草を咥えながら腕を捲り上げて笑う彼女。彼女は一之瀬の元被疑者だ。

 

 

 

 

 

キャリア官僚である一之瀬が警察署長職に留まっている理由でもあった。

彼は立川署での見習い研修中に、とある暴走族の検挙に立ち会っていた。

そこで暴れまわっていたのが彼の細君だった。彼女は極めて粗暴だった。

 

 

 

「こいよポリ公!いっとくけどねぇ、ステゴロじゃあたいは無敵だよ!」

 

「……面白いな。この少女は私に任せてください班長。すぐ済みます。」

 

「や、やめてくれたまえ!キャリアの君に怪我させたら俺が困るんだ!」

 

「来なさい、そこの不良少女。君の世界が如何に狭いのかを教えよう。」

 

「おっもしれえじゃねーか!あはははははは!最高だよクソポリがぁ!」

 

 

 

彼女の暴力は原始的かつ強力であった。速度も重さも女性とは思えない。

細い足が振りあがる度に、受ける一之瀬の腕が悲鳴を上げる程であった。

しかし、一之瀬は警察官である。空手は必修ではないが剛柔流を学んだ。

 

彼女が一瞬見せた隙を見つけて、顔面に正拳を叩き込んで制圧となった。

 

もちろん制圧行為としての疑問は残るが、彼はキャリア官僚。問題なし。

彼女を含むメンバー全員は道路交通法違反として検挙、反則金を支払う。

しかしここからが悪かった。彼の元に、粗暴な少女は日参しだしたのだ。

 

 

 

「なーなー!いるんだろイチノセ!出てきてあたいと勝負しようぜー!」

 

「あの方は忙しいんだ!いい加減にしないと公務執行妨害で逮捕だぞ!」

 

「あたい何もしてないぜー?まあでもイチノセが担当になるならいい!」

 

 

 

そして更に悪かったのは一之瀬は生真面目だった。呼びかけには応じる。

彼女を道場に招き入れて、勝負をしたり空手の手解きをしたりし始める。

そして半ば強引に彼女は肉体関係を迫り、そして身篭り細君の座を得る。

もちろん流石にこれは問題となり前途洋々の彼のキャリア人生は終わる。

 

 

 

 

 

「雄大を見るたびに思い出すよ。アレは、私には出来すぎた嫁だった。」

 

「……ですか。そういえば本庁に復帰するという噂を聞きましたけど?」

 

「本庁に未練は無い。国家安寧の基礎は地域、立川が私の終の職場だ。」

 

「なるほど、一之瀬さんらしいですな。ここには奥さんもいますしね。」

 

 

 

二宮は自分の吸っていた煙草を咥えたまま、もう一本箱から取り出した。

そして真新しいその一本を吸いかけの口元の火種に付け、深く吸い込む。

するとその一本に火がつく。そしてそれをそのまま、線香の隣に挿した。

 

 

 

「そういう事だ。そうだ、私も聞いているぞ。双葉ちゃんに恋人とか。」

 

「あぁーそれですか。初恋ですよ、彼女の。……例の現場の少年です。」

 

「あの少年か。だがそうすると奥さんが許すまい。元奥さんになるか。」

 

「大丈夫でしょう、彼女再婚しますし。確かうちの社の顧問弁護士と。」

 

 

 

少し足を広げ石段に腰掛ける二宮とは違い、一之瀬は足をキチンと畳む。

煙草を燻らせながら上を向く二宮とは違い、一之瀬は顔をキチンと見る。

だが対照的な二人にも朝日は平等に注ぎ始める。翻弄する運命のように。

 

 

 

「少し長話が過ぎたようですな二宮さん。また、いずれ会いましょう。」

 

「ええ、そうですな。彼女の思い出になると互いに時間を忘れがちだ。」

 

「だが時間は過ぎる。せめて雄大が落ち着くまではこの中には入れん。」

 

「そりゃあ長生き出来そうですな。彼の落ち着く姿は想像できません。」

 

 

 

高らかに笑う二人の男。そして、互いに顔を引き締め、背を向けて去る。

同じ女を想いながら語る男から、片や警察署の署長、片や大企業の頭領。

センチメンタリズムから過酷な現実への切り替えは、数年前に習得した。

 

 

 

 

 

 

時間は遡って、前日の夕方。

 

山田家を後にした映研部員の8人は、それぞれが帰宅の途についていた。

一之瀬と尾崎が一緒に、石川と阿形が一緒に、そして他の面々は別々に。

しかし、別々だった筈が皆に隠れて合流する二人が居た。榎本と宇佐美。

 

 

 

「なぁ、なんでこんな面倒すんだ?見られんのイヤなら一人で帰れよ。」

 

「えへへー、内緒だよー。だってー、二人っきりになりたかったしー。」

 

「ば、バッカ、おめーナニ言ってんだ宇佐美。恥ずかしい事言うなよ。」

 

 

 

すこし待って欲しい。ここで壁を殴ったら負けを認めるような物である。

世界にはすべからく意味があるのだ。イチャコラらぶらぶにも、である。

もし世界にバカップルが消えたら、誰が未来の人口を支えるというのか。

 

 

 

「最近ガツガツしてこないよねー榎本くん。もしかして、私に飽きた?」

 

「な、ナニ言ってんだ!馬鹿かお前!……ちょっと自分大事にしろよ。」

 

「子供生まないやり方もあるよー?榎本くんってばホントに純情ねー。」

 

 

 

目を閉じ唇を尖らせる宇佐美。榎本には見慣れた、刺激的過ぎる光景だ。

彼の呼吸が速くなる。彼の鼓動が速くなる。そして彼の瞬きが早くなる。

震える手で彼女の肩に手を伸ばし始める榎本。だが、残り1cmで停止。

 

 

 

「いい加減からかうのはヨセよ。言いたい事あるなら先に言えっての。」

 

「えへへー、がまんは体に毒だよー。でさ、山田センパイの事だけど。」

 

 

 

彼と彼女が立つのは片側二車線道路の歩道だ。車一台分はある広い所だ。

そこで車の雑踏の中、宇佐美は背伸びをして、榎本の耳元に唇を寄せる。

夜も更けた。行き交うヘッドライトが、彼らのシルエットを明滅させる。

 

 

 

「マン研の副部長と山田センパイがぁ?!ナイナイ、アリエネエって。」

 

「さっきメールが来たんだよー。廊下で告ってたの見たんだってさー。」

 

「……だとしたらマズくねえ?石川だって田中センパイだっていんぞ。」

 

「ちょーっと最近の『部活の事』ってのも、あやしかったりしてねー。」

 

 

 

部活の事とは、山田が最近やっている映研部部室の獲得活動の事である。

彼は後輩たちに心配をかけまいと『部活の事』としか言っていなかった。

もちろん後輩たちにはバレバレなのだが、彼独特の責任感なのであった。

 

 

 

「本当なら色々マズイだろそれ。……そうだ、先輩らに相談すんべか。」

 

「だめだよー。イッコ上の先輩は山田センパイ好き好きな人ばっかー。」

 

「そ、それもそうか。石川には教えるの酷だし、尾崎はアレだしなぁ。」

 

「でねー、アガっちゃんに相談しようと思うんだけどー。どうかなー?」

 

「そうだな。阿形と俺なら先輩らの誰かが敵になっても何とかなるか。」

 

 

 

彼の頭脳には戦闘しかない。彼女の言う情報からその布陣を考える榎本。

一之瀬が立ちはだかった場合、自分が受けて阿形が攻める攻守の固定か。

三狩屋が立ちはだかった場合、一撃は軽いので交互に攻めて疲労させる。

だが二宮が一番厄介だ。彼はトリッキーで型に嵌らない。かなり難物だ。

 

 

 

「榎本くんはさー、山田センパイが映研裏切っても、許せるのかなー?」

 

「チームじゃ裏切りはご法度だぜ。たとえトップでも許されネエって。」

 

「よかったー。私だけ悪者になるのかなーって、思ってたんだよねー。」

 

「安心しろ宇佐美、裏切る奴が悪モノだ。榎本由紀夫、意地はハるぜ。」

 

「そっかー。じゃあ期待してるねー。裏切り者には、バーン!だよー?」

 

 

 

かわいらしくボクシングのマネごとをする宇佐美。そこで榎本が動いた。

彼女の正面からそっと腰を抱き、スカートを穿く下半身をじっと見る彼。

そしておもむろに腰を力強く押さえたかと思うと、ぎゅっと回し始める。

 

 

 

「パンチを打つときはもっとコシ入れて回せ。威力が段違いになるぜ。」

 

「あはは、ホントに叩いたりしないよー。榎本くんに任せてるしねー。」

 

「まぁそーだな。ぶっ叩くのは俺の仕事だ。宇佐美にゃやらせねえよ。」

 

 

 

ボクシングの真似事をするする榎本。無論、ちっともかわいらしくない。

轟音を響かせて繰り出すパンチには、かわいらしさの対極しか沸かない。

だが宇佐美には違ったようだ。彼と同じく、腰を押さえじっと見つめる。

 

 

 

「わたしとの時にも腰入れていいよー?たぶんダンチガイになるよー?」

 

「ば、馬鹿!やめろよ宇佐美!女がそーゆーの口に出すもんじゃネエ!」

 

「あははー、顔まっかー。大丈夫だよー、榎本くんだけだから私はー。」

 

「いや、その、それなら急ぐことねーだろが!ゆっくり付き合おうぜ!」

 

 

 

顔を背けながら手を差し出す榎本。優しげに微笑みその手を握る宇佐美。

そしてそのまま二人は歩きだす。その先にはネオンが煌く繁華街がある。

もちろん高校生として不適当な場所に向かっていない。単に駅前である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃石川阿形ペアは山田家から程近い、住宅街の公園のベンチにいた。

ちなみにこちらは安心できる。街頭を背にし手元の絵を見せ合っていた。

二人の時は部活内でやっていたが、尾崎の参入で時間がなくなったのだ。

 

 

 

「どんどん巧くなってきてるね石川ちゃん。やっぱプロ志望は違うわ。」

 

「――ねえ、本当にそう思う?あの、尾崎さんと私ってどっちが巧い?」

 

「そうね、まだ尾崎ちゃんの方が正直巧いわ。あの子ってマジ凄いわ。」

 

 

 

石川とは懇意であり、今日までアニメ班を支えた盟友と感謝をしている。

だが同時に阿形はお世辞は言わない。ずけずけ思った事を言うタイプだ。

だからこそ石川も阿形を慕う。彼女の正論は、傷つくほどに優しいのだ。

 

 

 

「――あのね、私もう、漫画家になるの、辞めようかなって思ってる。」

 

「はぁ?なんで?!まさか石川ちゃん、山田センパイのお嫁さん狙い?」

 

「――それもいいけど、その、尾崎さんが来て、気が抜けちゃってさ。」

 

 

 

実は仕方の無いことだった。石川の漫画家願望は尾崎への背徳心だった。

画面の向こう側にいた自分の身代わり。そして逃げ出した事への恐怖心。

だが、彼女は救われたのだ。ここ数日で本当に幸せそうだと感じていた。

 

ならば何故、自分は絵を描き、漫画を描くのか。意味消失の寸前だった。

 

 

 

「らしくないよ石川ちゃん!あの貪欲な石川ちゃんはどこに行ったの!」

 

「――ど、貪欲なって、あの、私ってそんなに変な子だった、のかな?」

 

「うん、すっごく!漫画以外滅びろって感じで、こーんな目してたし!」

 

 

 

コミカルに目尻を上げる阿形。それはまるで悪魔を形容するが如き表情。

あまりの極端な表情に石川は堪えきれず、笑いながら口を押さえだした。

そんなごく稀にしか見せない石川の笑顔に阿形も一緒に笑い出していた。

 

 

 

「それに山田センパイならこう言うわ。『石川さん、前を見ろ』って。」

 

「――うん、言いそう。『映研は未来に向かう部活だ』とかも言うね。」

 

「あとはねー、『石川さん大好き!僕と付き合ってください!』とか。」

 

「――それは言わないわ。もし言うにしても『お、俺』の繰り返しね。」

 

「あはははは、言えてるわ!山田センパイって緊張するとドモるしね!」

 

 

 

石川は苦笑する。山田は緊張するとドモる訳ではないことを知っている。

彼は元々他人と話すときにドモり、部員の前だけでは気合で堪えている。

それがいかに大変か石川には判る。だからこそ彼を強い男と感じるのだ。

 

 

 

「――ねえ、私、山田先輩に、ふさわしい女の子に、なれるのかな……」

 

「逆よ逆。山田センパイが石川ちゃんにふさわしくなれるかどうかよ。」

 

「――確か、阿形さんって山田先輩のご近所でしょう?何か知ってる?」

 

 

 

阿形がこめかみに人差し指を当てて目を閉じる。どうやら瞑想のようだ。

いくらご近所とはいえど、立川と国分寺と国立の人口は非常に多いのだ。

狭い地域に40万人弱がひしめく過密地帯なのだ。すぐには出てこない。

 

 

 

「えーと、確か事故かなんかでしばらく学校来てないとか聞いたかも。」

 

「――事故?山田先輩が交通事故にあったとか、そんなことなのかな。」

 

「この前、おかーさんに知ってるか聞いたんだ。山田センパイのコト。」

 

 

 

母親が言うにはこうだ。山田君は交通事故に巻き込まれ意識不明となる。

トラックと乗用車の事故に巻き込まれたとの事で、保護者会も開かれた。

有名な抜け道で以前より危険性が囁かれていたのだ。そこでの事故発生。

保護者会は満場一致で規制を市に陳情。そしてすぐに時間帯規制された。

 

 

 

「私が小4の頃の話だから、山田センパイは小6ってことになるかな。」

 

「――そうなんだ。その割には山田先輩って、普通に自転車乗ってる。」

 

「見た感じ大きな傷も無いし、筋肉の付き方も偏って無いし。変だね。」

 

「――阿形さんも、山田先輩のことちゃんと見てるんだね。まさか……」

 

「ちょ、ナニ言ってるの石川ちゃん?合宿の時に一緒に見たでしょ?!」

 

「――よかった。もし、阿形さんが山田先輩好きだったら、勝てない。」

 

「ノシ付けてくれてやるわよ。正直、話が少しくどいわよねセンパイ。」

 

 

 

山田は後輩たちに語るときにポーズをとる。腕をふり、踊るように話す。

もちろんそれは訓練の成果だ。鈴木一浪の手ほどきによる独特の会話術。

そして、同じ単語を連呼するのも同様だ。それが彼女には気にいらない。

 

 

 

「――頑張ってるんだよ山田先輩。そこは阿形さんにも判ってほしい。」

 

「頑張ってるのは判ってるけど生理的に駄目なのよ。しょーがないわ。」

 

 

 

肩を竦めて首を振る阿形。それを見て、口元を隠しクスクスと笑う石川。

阿形は思う。別に生理的に駄目な程は嫌っていない。だけどそれは約束。

阿形直美は山田には個人的感情を持たない、と田中双葉に約束したのだ。

 

それに彼女は好みがうるさい。腕っ節が強くて頼れて優しい、そんな男。

そこから山田は外れている。頼れて優しいとは思うが、喧嘩が弱いのだ。

第一条件が腕っ節なので、山田くんは阿形嬢の恋人候補には挙がらない。

 

 

 

「じゃあね、石川ちゃん。私にできる事あったら何でも協力するから。」

 

「――うん、ありがとう。阿形さんが裏切らない事は、判ってるから。」

 

「あったりまえでしょ?!何言ってるの?『映研アニメ班は血盟』よ!」

 

 

 

この芝居がかった『血盟』という言い回しも、もちろん山田のセリフだ。

阿形はそんな彼の言い回しには拒否を示す。だが、彼女は良く引用する。

なんだかんだ言って彼女もまた山田を本当に嫌いという訳ではないのだ。

 

 

 

「――ありがとう。貴女と知り合えただけでも、映研に来て良かった。」

 

「それはどーも。でもね、私も石川ちゃんがいてくれて感謝してるよ?」

 

「――そうなんだ。私みたいな変な子でも、本当に感謝してくれるの?」

 

「なに言ってるの!言っちゃなんだけど映研って変な人しかいないし!」

 

 

 

互いに見つめあう阿形と石川。そして数秒後、彼女らは大声で笑い出す。

山田、一之瀬、二宮、三狩屋、阿形、石川、宇佐美、榎本、そして尾崎。

どう切り取っても普通の学生がいない。かろうじて三狩屋がしっかり者。

 

 

 

「映研じゃ石川ちゃんは普通、しかも頼れる相棒。当然感謝してるよ。」

 

「――私も阿形さんが居なかったらって、考えるのも出来ないくらい。」

 

「山田センパイがね、映研アニメ班は二人が居ればいいって言ってた。」

 

「――あいかわらず、部員の喜ぶツボ知ってるよね。女心は別だけど。」

 

「いえてる!ほんっと女の扱いはてんで駄目!男のクズって感じだわ。」

 

 

 

日はとっぷりと暮れ、公園照明と宵の闇のコントラストが際立ってきた。

阿形は今日も今日とて家の前まで石川を送り、そして己も帰途に着いた。

このような他愛も無い会話を重ねる二人。そしてその度に友好は深まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、しっかり者の三狩屋くん。

 

事情を知らない山田の陰謀により、映研実写班に加入となってしまった。

しかし彼には重要な任務が残っている。例の一之瀬をハメたカメラ少女。

その捜索も未だ続けてはいるのだが、何せ放課後はほぼ学校にはいない。

 

 

 

「ガンレフ使ってて、望遠使って、ってなると……けっこうな値段だ。」

 

 

 

彼は自室でノートを広げて頭を抱える。何せ足を使って情報を探せない。

手持ちの情報だけで方針を決めて、数少ない自由時間を使う必要がある。

面倒だ、無理だ、やってられるか、と不平不満を言う割には、几帳面だ。

 

 

 

「それに、でかいガンレフって結構重いぜ?そんなの軽々持てるのか?」

 

 

 

三の隊の集めた情報に拠れば、望遠レンズ装着の一眼レフを持った少女。

父親から借りた手元の一眼レフを構えるが、標準レンズを付けても重い。

目撃情報では30センチから50センチ程度の望遠レンズだったらしい。

 

 

 

「筋力があって、カメラも使えて、てか。……意外と絞られるかもな。」

 

 

 

ノートには方針が書き込まれていた。望遠カメラの入手ルートを追う道。

筋力のある女生徒を探す道。そしてカメラの扱いに長けた人間を追う道。

その三方を合計すると……の先が空欄になっていた。流石にそこは不明。

 

 

 

「条件に合うの阿形なんだよな。……箱根から湘南の時刻表を洗うか。」

 

 

 

無理、不可能、違うに決まっている。それを理由に調べないのは容易い。

だが確定ではないのならば、確定になるまで調べる。気の遠くなる作業。

もちろん映研以外の線もあるが、彼はまず身内の白を確定させたかった。

 

こうして三狩屋少年の夜は更ける。もちろん、適当に切り上げて眠るが。

 

 

 

 

 

 

 

二宮くんは自宅に帰ると、珍しい人物と遭遇した。

 

父親である。もちろん実の親子ではあるのだが、多忙な為に不在が多い。

そして豪華なテーブルの上には木の桶と花束がひっそりと置かれている。

そこで息子は思い出した。ああ、今月も『その日』が来ていたのか、と。

 

 

 

「イチの母親の墓参りか親父。日の高い内に行くなんて珍しいじゃん。」

 

「いや、行くのは夜だ。今日は久々に時間がとれたんでな、自宅待機。」

 

「もっと珍しいじゃねーか!時間が有れば会社の女と一戦してるのに!」

 

「さすがに彼女の墓参りの前じゃ立つもんも立たん。わからんのか純。」

 

 

 

二宮くんは知っていた。一之瀬の母と自分の父の不倫を。そして原因も。

他愛も無い話。一之瀬雄大と二宮純の事で警察に呼ばれ偶然出会う二人。

そして一之瀬の母は二宮の父に煙草を貰う。なにせ彼女の夫は嫌煙家だ。

 

彼が吸っている煙草に惹かれたのだ。そして彼は、彼女に惹かれたのだ。

 

 

 

「コマすどころかキスもしてない女って、イチのお袋だけなんじゃね?」

 

「それは否定せん。ただ、いい女だった。心のチ●コが勃起する女だ。」

 

「それをお袋にも言ってやれりゃあ、ちーとはリコン伸びたんじゃね?」

 

「馬鹿いうな、若葉さんはガチで勃起する女だ。あの乳は未だ一番だ。」

 

 

 

ちなみに『若葉さん』とは二宮純の母であり田中双葉の母である女性だ。

田中若葉は田中重金属工業の令嬢で、ほぼ二宮家との政略結婚であった。

しかしその肉体に二宮父は溺れてしまい、子供を3人も作ることとなる。

 

 

 

「だが若葉さんは頭が良すぎたのがまずかったな。馬鹿ならよかった。」

 

「そーだなー、お袋って結婚前は本当にバリキャリだったらしいしな。」

 

「覚えとけよ純。世の中、体の相性だけじゃ幸せになれるとは限らん。」

 

「親父がそれを言うかね。ま、俺はプラトニックだし?そこは無問題。」

 

 

 

二宮くんは一年以上ぶりに父と歓談をしている。それほどに父は忙しい。

二宮父は元々御曹司ではあったが、一族の中でも一番の破天荒なオトコ。

女は喰う、煙草は吸う、酒は飲む、博打はする。だがそれ以上に切れる。

 

父は斜陽になりかけていたグループを立て直した中興の祖という評判だ。

 

 

 

「安心しとけ純。プラトニックから踏み出したら、俺が抹殺するから。」

 

「親父の溺愛ぶりを見てると、よく姉さん達手放したもんだと思うわ。」

 

「一葉ちゃんも双葉ちゃんも若葉さんソックリだ。俺よりは適任だろ。」

 

「なんだかんだ言ってお袋も好きなんだな親父。なら離婚すんなよな。」

 

「俺はしたいなんて一言も言ってない。彼女の希望を叶えたまでだよ。」

 

 

 

胸元をゴソゴソと捜す二宮父。息子は気を利かせて、自分の煙草を出す。

普通の父ならば怒る所だが彼は怒らない。父の喫煙歴も中学からなのだ。

相撲のご祝儀袋を受け取るように手刀で何度か空を切り、一本抜き出す。

 

 

 

「そーだ親父、イチの奴がハメられてんだけどさ、助けてくれねえか?」

 

「嫌だね。あの純情ボーイは少し苦労すべきだし、男の為には動かん。」

 

「それが例の双葉姉さんの彼氏にも飛び火しそうなんだわ。それでも?」

 

「あー、双葉ちゃんの初恋の君か。彼は……うーん、そうかー、彼か。」

 

 

 

苦虫を噛み潰したように顔をしかめる二宮父。かなり悩んでいる様子だ。

ここで二宮純は不思議に思う。一之瀬と山田で、こうも対応が違うのか。

これに始まったことではない。姉の双葉の恋人が山田と伝えた時も、だ。

山田次郎が相手と知ると、父親は特に反対もせずに受け入れていたのだ。

 

 

 

「親父ってさ、センパイの事知ってんだろ。何で親父知ってるんだよ。」

 

「そいつはシークレットだ。お前が性転換でもしたら教えてやるがな。」

 

「親父の女好きってホントにブレねーな。だけど俺は男で満足してる。」

 

「じゃあ残念だが教えられん。だが安心しろ、娘の彼氏は寝取らんよ。」

 

 

 

タバコの煙を息子の顔に吹きかける父。さすがに他人の煙は嫌がる息子。

そこで父は笑い出し、息子も負けじと自分の煙草に火をつけて煙を吐く。

そんな子供のような争いを繰り返したあとに、彼らは大声で笑い出した。

 

ひとしきり笑い、気が済んだところで父親は息子の顔のすぐ前にかがむ。

 

 

 

「一回だけだ。一回だけ、お前に協力しよう。双葉ちゃんの為にだが。」

 

「おっけ。良く考えてから頼むとするわ。……じゃあ俺、もう寝るわ。」

 

「おやすみ純。起きる頃には居ないだろうから、メシは期待するなよ。」

 

「今までだってメシなんか作ったことねーじゃネエか。ま、頑張れよ。」

 

 

 

二宮純はクレバーである。自分が誰に頼って生きているのか知っている。

彼もまた反抗期という時期を知らない。不良になったのも面白いからだ。

その間にも彼は父親に逆らう事も無かったし、彼は父親を尊敬していた。

 

 

 

「……山田次郎、か。どーも世間は狭くて困る。こまったもんだ全く。」

 

 

 

そうひとりごちて息子が置いていった煙草の箱を手に取る父。残り一本。

関東の一つ残しという言葉がある。残りの一個には手を付けない性格だ。

だが彼は気にせずに一本を咥えて火をつける。だが彼は生粋の関東人だ。

 

二宮の父親は、単に遠慮という言葉から縁遠いという性格なだけなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

そして一番モンダイの、一之瀬雄大の部屋。

 

彼の前には下着姿の尾崎紀世子がいた。そして一之瀬は彼女の前で座る。

そっとその少年の前にかしずく尾崎。無邪気な笑みを浮かべている少年。

 

 

 

「ど、どうですか?これだったら、ちょっとはムズムズしてきますか?」

 

「けっこーする!でもさ、尾崎と普通に居るのと大して変わんねえな!」

 

「そうですか。昨日は全部脱いでも変わらないって言ってましたよね?」

 

「そーだな!俺の病気、やっぱ変なのかも!でもまあ、どうでもいい!」

 

 

 

そこで彼は尾崎嬢の手を引き、自分の横に座らせる。そして、顔を見る。

真っ赤に赤面する彼女と対照的に、彼はただ楽しそうに、笑顔を見せる。

そして、大画面テレビの電源を入れる。パソコンのモニタ画面であった。

 

 

 

「最近な、尾崎と居るだけで俺、楽しいんだよな!女じゃ初めてだぜ!」

 

「そ、そうですか……喜んでもらえてるなら、それは嬉しいですけど。」

 

「ずっとウチにいようぜ尾崎?そしたら俺が悪い奴から絶対守るしさ!」

 

 

 

一之瀬少年が英雄ではないという感覚は、尾崎は数日前から感じていた。

だがそれ以上に、少年にとって足りないものを補っている感覚があった。

それは母親。一之瀬少年は自分に母親を重ねているんだなと判ってきた。

 

 

 

「一之瀬さま、この尾崎紀世子はお望みとあれば、一生ここにいます。」

 

「マジか!?よっし、親父は嫌がるかもしんねえが、なんなら家出る!」

 

「でも家を出て、どうします?私も一之瀬さまも学生なワケですし……」

 

「じゃあ働く!正直メンドイのは苦手だけど、尾崎がいるなら頑張る!」

 

 

 

だが同時に、尾崎は自分の体の底から湧き出る感情に翻弄されてもいた。

この少年は尾崎の為に、尾崎の為だけに、何でもすると言っているのだ。

強烈なラブコール。直球ど真ん中の、駆け引きの存在しない、愛の言葉。

もうかれこれ数日間に亘り、この様な言葉を浴びせかけ続けられている。

 

美人とは言われた事はない、可愛いとも言われない、そんな自分なのに。

 

 

 

「……一之瀬さま、こんな事を聞くのは変だと思いますが、何で私を?」

 

「わかんねえ!でもさ、尾崎ってスゲエじゃん!諦めない奴じゃんか!」

 

「諦めない、ですか。まぁ確かに自分でも諦めは悪い方だと思います。」

 

「かーちゃん言ってたんだぜ!諦めない奴は強いって!俺もそー思う!」

 

 

 

尾崎は一之瀬父から、母は彼が幼い頃に事故で亡くなったと聞いていた。

そして彼の価値観は恐らく、その頃のままだ。時間が止まっているのだ。

彼女は迷う。これは矯正すべきではないか?正しい時間に戻すべきでは?

 

そして尾崎紀世子は、この瞬間に後戻りが出来ない決断をしてしまった。

 

 

 

「判りました、この尾崎は一之瀬さまの物です。好きにしてください。」

 

「よっしゃあ!じゃあさじゃあさ、バサカのリベンジの練習しようぜ!」

 

「アレは結構難しいですよ?はたして一之瀬さまでも出来るかどうか。」

 

「言ったな!この一之瀬様に不可能はねえ!ぜってーマスターすんぞ!」

 

 

 

はちきれんばかりの笑顔で、PCのゲームコントローラーを掴む一之瀬。

彼女は今の一之瀬と一緒に進む道を選ぶ。イビツに曲がっていようとも。

こんな尾崎紀世子を好きだと求める、たったそれだけの理由なのだった。

 

だが、それと同時に彼女の肉体も訴えていた。この少年は極上であると。

 

 

 

「あの、ムズムズしちゃったら言ってくださいね。何でもしますから。」

 

「ホントか?!サンタがさ『女の子に無茶すんな』って言ってたけど?」

 

「大丈夫です!この尾崎はすごく強いですから!何でもOKなんです!」

 

「そっか!サンタも女に詳しいくせに尾崎のことはワカんねえんだな!」

 

 

 

三狩屋くんは何も間違っていない。ホンキの一之瀬の無茶を知るからだ。

一之瀬少年は限度を知らないのは尾崎にも判る。暴走すれば止まらない。

だが、その無茶なムズムズとやらを見てみたい。それもまた真実なのだ。

 

ありがちな思春期の暴走なのだが、この組み合わせは常識を超えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして『あの』ファミレスの三日後、土屋は頬を紅潮させて待っていた。

実は彼女は数年ぶりにインナーの色の組み合わせを考えて登校している。

久々の逢瀬、また彼をからかえるかもしれない。しかも今日は少し派手。

 

しかしその場に現れた郷田の顔は先日とは真逆で、真っ青なのであった。

 

 

 

「……お顔の色が優れないようです。今日は帰られた方がいいのでは?」

 

「気にしないでくれ。大丈夫、ちょっとしたメネスを受けただけだよ。」

 

「脅迫、ですか?でしたら教頭なりにご報告をして然るべき対処を……」

 

「報告は無駄だよ。ヤツは自分の指を切って和歌を詠んだだけなんだ。」

 

 

 

確かにそれは無駄だなと土屋は思った。どう見てもそれは脅迫ではない。

和歌が好きな自傷癖の人間であるとか単に病んでいる人間かもしれない。

むしろそれを何故脅迫だと郷田が感じたのかが彼女には不可解であった。

 

 

 

「とにかく僕は周囲に一層気をつけなきゃならない。映研は後回しだ。」

 

「それは構いませんが、いいのですか?あそこまで追い込んでおいて。」

 

「どちらにしてもこれ以上は無理なんだ。実は我が家の探偵が辞めた。」

 

 

 

やはりかと土屋は得心した。郷田は探偵を雇って調査をさせているのだ。

しかし同時に疑問も湧く。探偵業を辞めるという表現はあまり使わない。

公的な資格を一切必要とはしない、自称で成立する商売であったはずだ。

 

 

 

「良く判りませんが、別な方に頼むという訳にはいかないものですか?」

 

「ウチの探偵が現役官僚から警告されたそうだ。これ以上は追うなと。」

 

「……失礼ですが映研の調査ですよね?それともお父様の依頼ですか?」

 

「もちろん映研の方だ。しかも山田次郎の調査に入った直後なんだよ。」

 

 

 

土屋も自分なりではあるが、映研部長山田次郎について調査をしていた。

調べて判ったのは成績は上の下で友達もいない部活以外に出歩かない男。

親は自営業だが金持ちという訳でもない。立川国分寺方面に住んでいる。

 

どうという事はない、特徴のないのが特徴と言えるような、そんな男だ。

 

 

 

「思ってたより奴は危険なのかもしれん。手を出すべきでは無かった。」

 

「それは少し心配のしすぎというものでは?ただの高校生相手ですよ?」

 

「土屋に何が判んだよ!なんだったら俺が君――いや、なんでもない。」

 

 

 

ふい、と顔を背けて立ち去っていく郷田。その後姿を呆然と見守る土屋。

彼女は、何かがまた起きると期待していた滑稽さに心中で苦笑していた。

きっと何も起きない。自分が思っているほど他人はこちらを見ていない。

 

だからこそ、そんな自分には努力しかないんだと、判っていた筈なのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして青梅市郊外の一軒家。表札には『瀬田ヶ谷光宙』と刻まれている。

もちろん本作品で瀬田ヶ谷といえばただ一人、映研顧問の学年主任教諭。

激務を終えて帰宅する頃には真夜中。そしてそれは、ありふれた日常だ。

 

 

 

「よっし、見つけたぜ赤シャツ!……だが、教育長が潰すかもだな……」

 

「まだ起きてるの?仕事は家に持ち込まないって言ってたじゃないの。」

 

「ああ、まぁな。こりゃ部活のガキども向けの贈り物みたいなもんだ。」

 

 

 

以前は狭く感じていた瀬田ヶ谷宅であったが今は夫婦だけで狭くは無い。

子供たちはそれぞれ独立し家を出て行った。来年には孫も出来るらしい。

年季の入った書斎には本がびっしりと並ぶ。学術書から文学まで雑多だ。

 

 

 

「珍しいわね。『肩書きだけだとラクだ』って、ずっと言ってたのに。」

 

「今年の部長は手が掛かる奴でな、本当にめんどくさいったらねえよ。」

 

「その割には楽しそうね?ま、少し真面目にやるのもいいんじゃない?」

 

 

 

広げられた書類の横にコトリと湯飲みが置かれる。中身は熱い茶だった。

夫は何も請求してない。妻は誰からも命令されてない。だが、茶が出る。

こんな光景が数十年この家では繰り返されている。ごく当たり前の光景。

 

 

 

「なあ母さん、俺がこれから教頭になる!って言い出したらどうする?」

 

「好きにすれば?だいたい職場の事で私が決めた事なんか無いでしょ?」

 

「まーなー。実際やる気なんざコレッポッチもねえが。聞いただけだ。」

 

 

 

何も謝意を述べずに湯飲みの中身を飲みだす夫。それを平然と眺める妻。

湯飲みを支えていたおぼんはその役目を終えて、妻の右脇に縦に収まる。

そのまま立ち去ろうとした妻だが、ふと思い出して、夫の横に再度立つ。

 

 

 

「もう定年なんだし仕事チャンとやってよ?退職金出ないと困んのよ。」

 

「最近そればっかりだな。どーせ朝の『ズバッ』だかの受け売りだろ。」

 

「悪い?誰かさんと違ってミノモンタは判りやすく教えてくれるのよ。」

 

 

 

それは視聴率ありきの刺激的な情報の構成だからだ、とは彼も言わない。

以前は言っていたのだが、彼女との時間はもはやミノモンタの方が上だ。

そして裏側に、妻が自分に構って欲しいと含ませている事も判っている。

 

 

 

「いいんだよ、別に。判りたい奴だけが判ればいい。それが勉強だろ。」

 

「変ねぇ?あなたの授業を昔聞いてた時には、もっと優しかったわよ?」

 

「なんだよ、ボケたのか?弛んだ腹見て介護する方の気持ちを考えろ。」

 

「あら嬉しい、見捨てないで介護してくれるのね。私は見捨てるかも。」

 

「俺は煙草を吸わんと死ぬからな、ボケる前にニコチン不足で死ぬさ。」

 

 

 

強がって背を向ける瀬田ヶ谷氏ではあるが、細君は微笑を浮かべている。

 

ちなみにこちらの細君は、幼馴染でもなく同級生でもなく不良でもない。

歳は夫の方が7歳年上で、特に不自然な年の差でもない。仲も悪くない。

だが教育実習生と高校一年生なので多少は苦労した恋愛結婚だったのだ。

 

 

 

「程ほどにして寝ときなさいよ?明日だってまたお仕事なんでしょう?」

 

「なに、知らん仕事は無いから大丈夫だ。それに意外と有能だからな。」

 

「はいはい、じゃあ好きにしなさいよ。美容に悪いから私もう寝るわ。」

 

 

 

そう言い残し部屋を後にする細君。その後小一時間ほど彼の作業は続く。

やがて疲労もピークに達したのか、眼鏡を外し首を横に何度か振る教諭。

書類に囲まれた自宅用のノートPCの画面を満足そうに眺め、就寝した。

 

消し忘れた画面のタイトルにはこうある。『赤シャツぎゃふん計画』と。

 

 

 

 

 

こうして、それぞれの秋の夜は更けていく。

 

果たして山田次郎はどうなってしまうのか?

そして部室を失った映研に未来はあるのか?

一ヶ月を切った文化祭に作品は出来るのか?

 

それは次のお話以降に……

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 




夕方から朝にかけてだけ描くだけでこんだけ書くとか馬鹿かまじょきち!
……とお怒りの声が聞こえるようです。ですが、これは必要な場面です。
そうかと思えば何日も開いたりしますので、そこはご容赦いただきたい。

山田くんの冒険譚もいよいよ佳境です。最後山田くんは爆死します(嘘)
様々な登場人物が色々と動いておりますが、最後はハッピーエンドです。
最終話の画面は執打当初から錆びれた脳内でずっと変わらず見えてます。
安心して眺めていてください。そのうちお話はあっさり終わりますから。

では、次のお話でまたお会いしましょう。

ではではw
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