特急ロマンスカー。小田急電鉄が誇るラグジュアリーなトレインである。
筆者は昔のちょっと丸みを帯びているモッサリしたデザインが大好きだ。
しかし今はシャープな流線型のデザインである。なんとももったいない。
ボックス席の片側には山田が、そして向かいに阿形と石川が座っている。
普通の通路に向かった対面席とは違い、回転できるリクライニング席だ。
そんな中で女子は原色系の私服に身を包んで、会話に花を咲かせていた。
「南武線暑かったね、あれでエアコンついてるんだからビックリだね。」
「―――しょうがないわ、南武線だし。それより山田センパイ大丈夫?」
「大丈夫……と言いたいが、駄目かも……俺の事は気にせず先に行け!」
「いやいや、どうやっても同じ電車じゃ先には行けませんよセンパイ。」
真っ青な顔で窓を必死に凝視する山田。珍しい景色が見える訳でもない。
厚木を越えている現在、田舎の風景というだけ。山、森林、畑、住宅等。
彼は『すがっている』のだ。窓際で風景を見れば酔わないという伝説に。
「あははは、だ、大丈夫です山田センパイっ!あとちょっとですって!」
「―――さっき、本厚木駅だったから、あと30分以上先ですけどね。」
「む、無理だ!無理ゲーだ!降ろせ!俺を今すぐここで降ろしてくれ!」
無邪気に笑いながら醜態をさらす山田を何とかなだめる阿形嬢と石川嬢。
山田はコミュ障ながらエエ格好しいという、なんとも面倒な男であった。
部では何とか部員にいい先輩を演じていたが、ここでメッキが剥がれた。
もちろん新入生とはいえども歳も2つだけしか離れていない二人である。
多分そうだろうとは思っていたが、それでも二人は先輩を立ててたのだ。
しかしリミットを越えた山田が隠していたつもりの本性を現してしまう。
阿形と石川にとってみれば、やっと肩の荷が下りたという状態であった。
「俺は駄目だ!すまん2人とも、山田次郎の正体は駄目な奴なんだよ!」
「はいはい、駄目でもいいんで黙っててくれません?うるさいですし。」
「すまなかったああああ!もう電車で大声で叫んだりしないよおおお!」
「ええい!言ったそばから叫ぶんじゃないって!静かに酔ってなさい!」
石川は苦笑しながら、大きい子供の世話を離れ手元の紙に目を落とした。
それはA4のコピー用紙を折って作られた二宮の手による小冊子だった。
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旅の日取り:7月31日から8月4日までの5日間
旅の始まり:箱根の強羅駅前に集合(現地に12時くらいに着いてくれ)
旅の案内人:シークレット(その場所に居たら声をかけてくれる筈だよ)
旅の持ち物:食べ物飲み物は向こうで全部用意してくれるよ!やったね!
着替えは自由。着のみ着のままでも文句は言われないから。
映研だし、画材とか持っていくとそれっぽくていいかもね。
ちなみに温泉とかプールとかあるし水着くらい持ってけよ。
旅の見どころ:何せ涼しい!山だし!エアコン無しでも快適な生活だぜ!
露天風呂がかなり広い!そして一応部屋風呂もあるけど!
それなのにお金がぜんぜんかからないからビックリだぞ!
旅の注意点等:案内人には絶対服従。靴を舐めろと言われたら舐めとけ。
(言わないとは思うけどね。俺に似て温厚な性格だから)
干渉しがちな人だけど、そこは大人の対応でヨロシクね。
神奈川県足柄下郡箱根といえば皆さんご存知の関東屈指の保養地である。
冬は寒いが夏は涼しい、そして良質の温泉が出たりするので有名である。
そして強羅周辺といえば箱根屈指の眺望で、別荘地としても有名である。
二宮の知り合いが案内人らしい事までは、石川と阿形も聞かされている。
ただ詳しい事を訊こうとすると、彼は例の半目ではぐらかすだけだった。
警戒していた部分もあったが、山田と接する内に緊張感も解れていった。
「石川ちゃん、センパイだいじょうぶかな?顔色も悪いみたいだしさ。」
「―――電車酔いで死んだ人は、今まで居ない。慰めてれば、大丈夫。」
「何事にも初めてはある!俺がその第一号だ!君らは歴史の証人だよ!」
「―――それは興味深いです。見たくなりました。今死んでください。」
「地獄に行っても忘れるな!俺は山田!映研8代部長山田次郎じゃあ!」
「―――地獄に行くなら一人でどうぞ。私達は天国に召されますんで。」
そんなコントを繰り広げている間に電車は早々に箱根湯本駅に到着した。
しかし乗り継ぎの先は更に過酷を極める。呼び名からして禍々しい路線。
乗り物酔い真っ最中の山田次郎には聞かせたくなかった響き、登山鉄道。
箱根湯本から強羅まで、『箱根登山鉄道』に乗らなければならないのだ。
「あ、歩こうぜみんな!こう見えても俺って体力には自信あるんだよ!」
「あ、そういうことなら私も歩こうかな。最近あんまり歩いてないし。」
「―――で、15kmの山道を、たった一時間で上りきるんですかね?」
現在の時刻は午前11時。待ち合わせ時間の12時まではおよそ一時間。
山田が手元の無地のノートを広げつつ酩酊した頭で必死に計算を始める。
急勾配の多い箱根の山道を平地の自転車並みの速度で登っていく計算だ。
どんなに熟練のハイカーでもマラソンランナーでも、それは無理である。
「―――遅れると、案内人さん帰ります。そしたら、電車で帰る事に。」
「ま、また電車に乗る?!無理!無茶!無謀!無配慮!無理強い過ぎ!」
「あとちょっとだけですって。着いたら4日は地面が揺れないですし。」
だんだんと山田の操縦のコツをつかんで、楽しくなってきた阿形と石川。
この山田部長は、気持ちで駄目だと思うと肉体までが従うタイプなのだ。
なんとか気持ちを逸らしながら動かせば意外と何とかなってしまうのだ。
そして――――
「す、すごい!こんな急傾斜を摩擦だけで本当に走れるものなのか?!」
「―――あ、あの、センパイ?もう少しだけ、静かに乗ったほうが……」
「次の停車でスイッチバックだと?!先頭逆になるって事か?凄いぞ!」
「まぁ、センパイが元気になってもらって良かった、ということで……」
「鉄橋凄過ぎる!高すぎだろう!こりゃあ落ちたら即死じゃ済まんぞ!」
阿形は山田に、登山鉄道はケーブルカーの親戚で電車じゃないと伝えた。
無論これは大嘘で、山田の気が紛れればと咄嗟に思いついただけの事だ。
ちなみに箱根登山ケーブルカーというのも存在し強羅から先に行くもの。
観光シーズンということもあり多数の家族連れが同じ電車に乗っている。
恐らく小学校低学年であろうかと思われる男の子が、窓際で喜んでいた。
そしてその子供と全く同じキラキラした目で山田がはしゃいでいるのだ。
他人のふりをしながら場を離れていく石川、根気よく注意し続ける阿形。
強羅駅に降り立った時には、今度は阿形直美がグロッキー寸前であった。
「いや、すっかり堪能した!旅行の醍醐味は旅路にありとは本当だな!」
「そういえば、肝心の二宮センパイが見えませんね。まさか遅刻とか?」
「―――とりあえず、時間内に来れました。あとは、案内人が来る筈。」
その時、強羅のメインストリート(みやげ物店通り)の向こうから声が。
声の主はこちらに手を振っている女性。足取り軽く駆け寄ってくる様だ。
黒く長い髪にピンク色のカチューシャ。そして大き目な楕円形のメガネ。
「おーい、山田クン!お・ま・た・せ~!ほら、こっちよ、こっちー!」
「確実に俺たちとは無関係だな。二人とも、目を合わせずに逃げるぞ。」
「―――いや、確実に、名前を呼ばれてます。違いますか、山田先輩。」
すぐに山田に追いつくと少し悪戯っぽく伏せ目がちに微笑みかけてくる。
原色の色合いの阿形たちとは違って、夏らしい白を基調とした出で立ち。
大きな麦わらの帽子に、風になびいたフレア状のスカートが眩しかった。
「ホントいつも時間ぴったり。だから山田クンと付き合うの楽だわー。」
「あ、あのー、山田センパイ?こちらの女の人、いったい誰なんです?」
「あらあら可愛いヒヨコさんたちだこと。映研の一年生の女子なのね。」
「―――たしか、美術部部長の、田中先輩です。どうもはじめまして。」
品定めするように遠慮なく二人を見る田中双葉。若干の敵意すら見える。
それに感づいたのか、阿形と石川が負けじと田中双葉を睨み返し始める。
本来なら巧く止めるべき山田なのだが、彼もまた双葉の登場に混乱中だ。
「そ、そうだ!俺もはじめましてだっけ!そして未来永劫さようなら!」
「ナニ言ってるのよ山田クンってば。あたしと山田クンの仲じゃない?」
フェミニストの山田くんらしく、蹴りこそ入れないが逃げようと暴れる。
しかし双葉も慣れたものらしく、強引に腕を組み簡単に食い止めていた。
「なぜ貴様がここにいる!俺たちは部活動の一環だぞ、部外者は去れ!」
「あら、旅のしおりに見てないの?靴を舐めろって言ってもイイのよ?」
双葉はショルダーバッグから定期券大のカードを取り出し山田に見せる。
そのカードを覗き込む山田くん。そして彼は硬直したまま動かなくなる。
二人のヒヨコ部員も、そのカードの内容をゆっくりと読み上げはじめた。
「えーと、映像文化研究部の夏旅行、箱根チーム案内人、田中双葉……」
「―――ねえ阿形さん、箱根チームってことは、別のチームがあるの?」
「な、なんだと?!ちょっと待て、俺は聞いてないぞ?本当なのかい!」
「ああー、山田クンの可愛い弟たちだったら海行くって言ってたわよ?」
「―――それじゃあ私、二宮先輩に、電話で連絡を、入れてみますね。」
石川嬢がウェストポーチから携帯電話を取り出し、画面に指を滑らせる。
そしてそのまま彼女は電話を耳に当て、約10秒の時間が過ぎていった。
ちなみに山田くんは携帯電話を持っていない。忘れたのではなく未契約。
別に家族は持つ事に反対していない。むしろ持てと勧められている程だ。
しかし彼は親同伴で契約に行くのが面倒という理由で頑なに拒んでいる。
「―――あ、二宮先輩ですか?石川です。少し、訊きたいんですが……」
「代わって!もしもし二宮君?!声遠いよ!電波の入りってヤツなの?」
「センパイそれ上下逆。代わってください。もしもし、阿形ですけど。」
旧態然のガラパゴス携帯でもスマートフォンでも、スピーカーは一箇所。
ゆえに山田くんのようなお約束なイベントも、まだまだ現役なのである。
そんな中、阿形さんが電話の向こうの二宮くんと熱心に話し込んでいる。
何も出来ずに周りをぐるぐると回りながら、ただ見守るだけの山田くん。
そして、失礼しますを何度か言った後に電話を切り、阿形は向き直った。
「山田センパイ、二宮先輩たちは今藤沢駅だそうです。あと、伝言が。」
「な、なになに?もしかして電車寝過ごしたから中止にしてくれとか?」
「残念だけど藤沢は4人までなんだ悪いなセンパイ、……だそうです。」
「ちょ、おま、それ、のび太をハブる時のスネ夫の台詞じゃねえかー!」
「―――そういう事なら田中先輩が山田先輩のドラえもんって事に……」
急に話題を振られて驚いた風の双葉であったが彼女はすぐに微笑み返す。
そしてショルダーバッグをお腹の方に回し両手を入れ何かを探し始める。
そして何かを見つけたのか、笑みを浮かべ山田の方に歩み寄っていった。
「もぅしょうがないなあ山田クンは。てってれてってってーてーてー!」
「なんだそれ?不二家のキャンディ……ちょ!馬鹿!仕舞え!アホか!」
透明で四角に切られたビニールの保護材の中に色のついた丸い板状の物。
不二家のポップキャンディと言われればソレにしか見えない程似ている。
ただそれは食べるための物ではなく、駅前で若い女性が出す物でもない。
山田は咄嗟に秘密道具を持っている手ごと握って、小声で器用に叫んだ。
『常識で考えろ!例えギャグでも避妊具出すとかサイテーの部類だぞ!』
『大丈夫、山田クンやさしーからフォローしてくれるって判ってたし。』
『とにかく仕舞え!新入部員がリアクション出来ないで困ってるだろ!』
『馬鹿ねー、アレはね、私たちの事が興味津々なのよ。可愛いわよね。』
『わかった!案内人には従う!とにかく俺の立場ってのを考えてくれ!』
立場とは『カッコイイ部長が華麗に渉外活動できている様子』のことだ。
しかし傍から見ると、山田が彼女の右手を両手で握っているだけ光景だ。
更に山田の表情は真っ赤になりながら困り顔、対する双葉は余裕の笑み。
新入生にも通行人にも山田がヘタレ受けで誘っている様にしか見えない。
「とにかく!案内人の指示には従って速やかに移動しよう!二人とも!」
「心こもってなーい。あと、迷うと困るから手はこのまま握っててね?」
「は?両手で、ですか?いやいや、手なんぞ握らんでも見失ったりは!」
「―――どうでもいいです。早く先に進みましょう。恥ずかしいです。」
「手を握ってたいんならそれでも構いませんから、早く行きましょう?」
「好きで握ってる訳じゃない!むしろ嫌いだからこそ握ってるんだよ!」
新入生の女子二人にとって山田次郎の評価は微妙なものに変化していた。
彼女らが聞かされていたのは『田中双葉は危険人物で敵』という情報だ。
人間的に最低な根性の持ち主で、映研を陥れるためには流血も辞さない。
彼女らとて話半分で聞いてはいたが実物と対面してその評価は一変した。
少し物憂げな伏せ目がちの笑顔と余裕。場の雰囲気を確実に読んだ行動。
部長である山田は単に遊ばれており、田中双葉に好意すら抱かれている。
山田部長は本当に人付き合いがド下手なんだ、という評価となっていた。
「とーちゃーく。山田クン、もう手は離していいわ。ずっと握っとく?」
「で、でけえ……旅館じゃないし、でも家でもない。なんなんだココ?」
「あの、山田クン?そろそろ離してくれると説明しやすいんだけど……」
手を離さずに呆然と目の前の建物を眺める山田に恥じ入っている田中嬢。
目の前の家は駅から徒歩2分という立地に有りながら威容を誇っていた。
恐らく乗用車二台が行き来できそうな門構え。その高さも3Mを越える。
山田くんも、阿形も石川も、門と左右に長く続く土塀に圧倒されていた。
「―――田中先輩、これ、多分貸し別荘ですよね?本当に無料ですか?」
「山田クンと違って冷静ね。でも間違いかな。貸し別荘じゃないわよ。」
「え?ということは、この大きな家って田中先輩のおうちなんですか?」
「そうよー。これはうちの別荘。合宿とかもココでやったりしてるわ。」
合宿という単語を山田が聞き、やっと彼の束縛は田中嬢の手を解放した。
もちろん山田くんが双葉さんとの握手に恥じ入って離したわけではない。
その理由は、単に山田が指を使って数字を数え始めただけに他ならない。
「合宿だと?!美術部13名を相手に俺ら3人で倒さねばならんのか!」
「大丈夫、ウチの合宿は先週終わったから。勝負しても良かったけど。」
「―――あの、山田先輩?何で急に、バトル始めようとしたんですか?」
「我ら映研は飽くなき抗争を経て現在に至る!避けては通れんのだよ!」
「あのーもうそれいいです。さっきの見たらどんな感じか判りました。」
「ヒヨコさんたち少し誤解してない?……いいもの見せてあげるわよ。」
立ちはだかる大きな門に向かい、バッグからリモコンを取り出す双葉嬢。
すると低いモーター音が唸り、楕円の金属アーチ門が左右に開き始めた。
その先には門と同じ幅の道と、50Mほど進んだ先に白い洋館が有った。
「なんだこれ!遠い!遠いよ!家まで歩かせすぎだろ!客に不親切だ!」
「そうねー。家族が増えたりするんなら建て増ししてもいいかもねー。」
「是非そうしろ!こんな無駄な移動を強いる家なんて面倒くさすぎる!」
「―――家族が増えたらって、もしかして、山田先輩に家族になれと。」
「しぃー。石川ちゃん、スルーしないとまた駅前みたいなの始まるわ。」
玄関に辿りついた双葉は観音開きの扉の前に立ち、手に持つ鍵を回した。
小気味よい音で鍵が開くが、質量のせいか重い音と手応えで開き始める。
慣れているとはいえ筋力的に難儀している双葉の負荷が不意に軽くなる。
心底苦々しい顔をしながら上から手を伸ばして、山田が扉を開けたのだ。
「……ありがと、ほんとに相変わらず優しいんだね、山田クンってさ。」
「いや、勘違いするなよ。後輩が入れなくて困っていただけだからな。」
「そういう事にしておくわ。じゃないとヒヨコさん達に怒りそうだし。」
広い玄関ホールに入ると左右に扉が有り、正面には広い階段が出迎える。
その階段はまっすぐ踊場まで続き、そこから左右に分かれて二階に行く。
なんだかカットインでゾンビでも襲ってきそうな館だなと石川は思った。
「で、ここが私の部屋。山田クン、恥ずかしいから荒らさないでよね?」
「するか!俺を何だと思ってるんだ!聖人君子世界ランク352位だ!」
「おじゃましまーす。……ヌイグルミとかある!少女趣味なんですね!」
「―――さすが、美術部部長。画材とイーゼルで、本棚一つ使ってる。」
配色はピンク。本棚が3つに勉強机、セミダブルベッドとクローゼット。
空いたスペースには、丸いガラステーブルとクッションが置かれていた。
既に歓待の準備も済んでおり、人数分の飲み物もテーブルに乗っている。
そんなガラステーブルの脇に詰まれた本の山を見て興奮した人間がいた。
「待てよ!?これ創刊号ATGか!!何でお前これ持ってるんだよ?!」
「いいでしょー?ガーさんでも2号しか持ってなかったんじゃないの?」
「あの映研ラブの鈴木先輩んちにも無かったんだよ!見せて見せて!!」
ATGとは正式名称アートシアターギルドという2部合同の部誌である。
アートたる美術部と、シアターたる映像文化研究部の、企画部誌だった。
目を輝かせて手を伸ばす山田。しかし震える手は何故か本には届かない。
山田は双葉嬢が持つこの本の価値を知っているからこそ、届かないのだ。
「―――映研と美部が合同誌を出したんですか?普通やりませんよね?」
「ほら、こうなるでしょ山田クン。ちゃんと教えて上げないと駄目よ。」
「わ、判ったよ。すっごく掻い摘んで話すから、飽きたら寝ていいよ。」
こうしてATGについて山田は語りだした。
映研創立は校史に比べて随分日が浅い。出来てから今年で8年目である。
およそ8年前、当時の美術部員だった一人の男が部長に噛み付いていた。
彼は映画が撮りたかった。だが撮影機材は美術部による所有物であった。
部長は言った。美術部員として一人前になったら考えてやってもいいと。
しかし彼が3年になり副部長になっても、彼は映画を撮らせて貰えない。
同輩の部長ならばという期待もアテがはずれ、彼は途方にくれてしまう。
マンガもアニメも特撮も一切認めないのが当時の美術部の風潮であった。
男は何度も何度も部長に頼んだ。しかし部長はその願い全てを却下した。
そこで男は考えた。もう映画を作るには6人集めて独立するしかないと。
アニメ好きの部員も巻き込み、また勧誘活動なども行って人数を集めた。
しかしどうしても5人しか集まらず、更に部内で彼は反乱者扱いされた。
嫌がらせも始まって『もはや万策尽きた』と副部長たる彼は退部をした。
しかし退部直後にまさかの6人目が現れる。なんとそれは部長であった。
立場上と他の部員からの圧力もあって彼女はやむなく却下を続けていた。
だが退部してしまった事を知り、彼女も退部し彼の元に駆けつけたのだ。
そう、美術部部長の彼女は映研創始者の彼をずっと恋焦がれていたのだ。
部長職を全て失った美術部は酷く混乱し、失ったものの大きさを知った。
助言だけでもとすがる美術部に対し、元部長の女は頑なに拒否を続けた。
そこで合同部誌を作り交流を図ろうと企画されたのがATGなのである。
「ロマンチックでしょ?美術部と映研部ってロミジュリ的な運命なの。」
「いかにも女子が好きそーなお話ですね。美部って意外と乙女なんだ。」
「―――凄いアリガチ過ぎるというか、古臭い通り越して古典的です。」
「まぁ眉唾話はともかくウチとマン研って同じメンバー多かったんだ。」
話し終えて目を輝かせながらページをめくる様なポーズをとる山田くん。
当たり前だが、彼には念力でページが捲れる様な能力は備わっていない。
稀少本を見たいので、ぜひ双葉さんにめくってほしいと催促してるのだ。
「ふっふっふ、山田クンってばそんなにこの本の中が見たいのかなー?」
「見たい!見たすぎる!埼玉銘菓100万石まんじゅうよりも見たい!」
「じゃあさ、私の目を見て『世界で一番君が大好きです』って言える?」
「大好きだ田中双葉!全世界でイチバン君が好きだ!ずっと愛してる!」
隣に腰掛けていた田中の顔を両手で掴んで正面から熱愛を連呼する山田。
その距離4センチ弱。もはや互いの吐息どころか体臭すら感じられる程。
そこから浴びせかけられる言葉の暴力に、次第に紅潮していってしまう。
そんな彼の顔面が接触寸前まで近づき、そしてやはり一瞬で遠ざかった。
顔面が消えた向こうには片膝立ちになりポーズをとる阿形の姿があった。
左手を握り腰だめに構え、右手を指先まで伸ばし水平に固定した状態だ。
そして山田はそのまま仰向けに大の字になって倒れて、動かなくなった。
つまり興奮した山田を後頭部への手刀によって仕留めた、というわけだ。
「あ、ありがとね。山田クンがここまで激しいとは思わなかったわ……」
「山田センパイって純粋ですから。あんな挑発してたら危ないですよ。」
「―――まぁ、そうは言っても、田中先輩、まんざらでもなかったり。」
「やっぱり嫌よ。そういうのは二人きりで、ムードも欲しいじゃない。」
少しおどけながら両手を頬に当てて照れる田中双葉。呆れる下級生二人。
そこに跳ね上がるように上半身を起こしてきた男。もちろん山田である。
痛みを覚える首に手を当てて擦りながら、周りを眺めて呆然としていた。
「……田中双葉、なんか急に目の前が暗くなったんだが、何が起きた?」
「あー停電停電。ところでATGの創刊号見せたげるっての覚えてる?」
「え?マジで?何で持ってるの?!鈴木先輩ですら2号からなのにさ!」
「―――なんか今回だけ、無条件で見せてくれると。良かったですね。」
「そうか!やっぱり日頃の行いが良過ぎるな!なんせ俺は聖人君子……」
「たしか325位でしたね。さすがは山田センパイ、早く見ましょう。」
わざと肩を寄せて、触れ合った状態で一緒に本を見ようとする田中双葉。
しかし山田くんは同時に少し肩を離して、触れ合わないように動き出す。
いつもの余裕の笑みに少しだけ寂寥感を表情に浮かべて、本は開かれた。
「―――ええっ、これが8年前の絵?!プロでもなかなか居ませんよ?」
「あー、それが例の部長のマンガだよ。この後一切描いてないらしい。」
「なるほど、全体的にデッサンっぽい感じですね。絵画的っていうか。」
続いて二号、三号とタイトリングされたATGを次々と開く田中双葉嬢。
後輩の2人も山田くんも、その手により捲られるページに釘付けだった。
「アニメの作り方とか漫画の描き方とか油絵の描き方とか、凄いわー。」
「やっぱり似たもの部活だし、手の内は知ってた方が色々便利なのよ。」
「―――じゃあ、どうして今は……何でもありません。忘れて下さい。」
「そうよねー、交流会くらいやっても良いわよね?ねえー?山田クン?」
「う、うるさい!先輩ディスってんなら相手になんぞ!やんのかコラ!」
そう口で言いながらも山田は田中嬢を殴ったり昏倒させたりは出来ない。
鈴木はこう山田に教えていた。『奴らが土下座をしたら全てを許せ』と。
コミュ障の山田で、どうやれば田中姉妹が土下座するのかは謎であるが。
今の山田くんには小さなシャドーボクシングを田中嬢に行うのが限界だ。
しかしそこで何とも意外な人物から、二人の対決がプロデュースされた。
今までほぼ傍観者であった、映研部員1年生の石川真理子からであった。
少し咳き込みながらも小さな眼鏡をきらりと光らせ、人差し指を立てる。
「―――では勝負です。時間は夕食まで、題材は『楽しい合宿』です。」
「あら、いいの?悪いけど、山田クンだからって手は抜かないわよ私?」
「―――映研の部長たる山田先輩のほうが劣ると?それは失礼ですよ。」
「ちょ、あ、あの、石川さん?こういう勝負は一週間後じゃないと……」
「―――先輩言ってました。映研は何ら劣る事も恥じる事もないって。」
「へぇー。山田クン、実力勝負で勝てるつもりなんだ?ちょっと意外。」
「勝てるつもりではない。俺はやるからには必ず勝つ。何をしてもだ。」
山田の性癖とも呼べるにエエ格好しいがある。病気と言っても良い程だ。
心の中で子山羊のように泣き叫びながら、ふてぶてしく双葉を睨む山田。
『無理だ無茶だ無謀だ!向こうは3年練習した本物だ!オレは中途だ!』
『しかも姉はガチのイラストレーターだろ?妹でも実力どんだけだよ!』
『逃げよう!逃げよう逃げよう!瞬く間に逃げよう!すぐに逃げよう!』
「山田クン。恋人のよしみで無かった事にしてあげるけど、どうする?」
「貴様こそ逃げるなら今のうちだぞ!映研は絶対負けん、未来永劫な!」
大口を叩き胸を張りつつ、精神世界では頭を抱えてうずくまる山田次郎。
もう戻れない、もう引き返せない、なんで俺はあんな事を、etc……
そして山田の隣に座る石川は、表情を変えずに展開にほくそ笑んでいた。
こうして夏の旅行初日は、何故だかバトル展開となっていくのであった。
つづく。
えー、世の中の人は夏休みになったようですね。羨ましいことです。
そんな妬ましいパルパルしい気持ちを込めて書きました合宿初日編。
ていうか、初日編まだ終わって無いよ!まだ宿に着いただけじゃん!
それだけで一万字超えとかオレはどアホウか!男ドアホウ甲子園か!
しょうがないんです。山田くんが思いの外楽しそうに暴れだしましたので。
書いてる途中でキャラが暴れ始めたら手がつけれないのがSSの鉄則です。
というわけで次回までには山田くんを調教しておきますのでご安心下さい。
ではではw