ー優香が誠司の方へと歩み寄る。
僅かながら頰を赤らめて。
「?おい、篠原。何をしようとしている?まだやる事があるんだろ?」
誠司は一歩退きながら言う。
「ええ、あるわよ」
優香はそう言いながら誠司との距離を詰めに行く。
すると誠司の背中が壁に着いた。
「…っ!な、なあ、篠原。何故俺は追いつめられている?」
とっさに出た言葉がそれであった。
が、優香は足を止める事なく、
「それは朱坂君が逃げるからよ」
と言いながら着々と誠司との距離を詰める。
そして、優香はあと一歩踏み出せば身体がくっつくくらいの所まで接近し、
「これが、残りの頼みたかったこと」
と呟いた。
「いや、待て。す、少し落ち着こう。な?」
と慌てる誠司に
「はい、じゃあ、これ先生に確認してもらってきてくれる?」
と言って先程の学校の予算について書かれた書類の束を誠司の胸につきつけた。
「………へ?」
誠司は訳もわからず、思わず間抜けな声を出してしまった。
「え…っと。もう一度、頼む」
「だから、これにミスが無いか先生に確認してもらって来てくれる?」
とぼける誠司に親切にももう一度説明する優香。
そして、何かを悟った様に、
「え、もしかして、何かまた変な勘違いでもしたの?」
と言って優香は自分の制服の襟をかき合わせ、さっと誠司から離れる。
「い、いや、待て。あのだな…うーん、……わかった」
誠司はどこか納得のいかない様子でその束を受け取り、生徒会室を後にした。
* * *
(誠司の場合)
「失礼しまーす」
職員室の扉を開け、一声かけてから中に入る。
そしてまっすぐに生徒会担当の机へと、向かう。
そこには無人の机に書類が大量に広げられどこに何があるのかさっぱりわからないといった状態であった。唯一わかる、とすればキャスター付きの椅子くらいだろうか。
「はあ……。相変わらずだなここは」
すると背後から、
「おっと、私に何か用かね?」
と声をかけられる。
「ええ、そうですよ。少しこの書類に目を通して貰いたいんですよ。ミスとかがないかを」
声をかけられた方向へ身体ごと向きを変える。そこに立っていたのは生徒会担当でこの天高の国語担当教師、菱口 一葉(ひしぐち かずは)であった。
「なるほど。なら早速見せてくれたまえ」
彼女はそう言うと誠司の方へ手を差し出す。
「どうぞ」
「うむ」
そして彼女は誠司が手渡した紙束を椅子に腰掛けてから一枚一枚丁寧にチェックした。
「なんでこんな真面目にやってる人が身の周りの整理もつけられないんだ…」
ぼそり、と目の前の生徒会担当教諭に聞こえないよう呟いた。
返事は無かった。
誠司はホッと胸を撫で下ろす。
もし聞こえていたなら大変な事になっていただろう。
これは誠司本人が聞いた話で尚且つあくまで噂なのだが、とある生徒がこの菱口先生の机の周りの散らかりようについて彼女に言った後、その生徒は彼女の机の整理を手伝わされ、挙句の果てには校庭の草むしりまでやらされた、と言う非常に理不尽な話がある。
この話は天高のほとんどの生徒(主に2、3年生)が知っており、誰もこの菱口一葉の前ではその話題を口にしようとはしなかった。
もちろん、誠司も例外ではない。
それから数分後、
「ふむ、特に目立ったミスは見当たら無かったぞ」
と言って菱口は「ほれ」と言って紙束を投げてよこす。
「うおっ」
誠司はそれをなんとかキャッチして、
「ありがとうございます」
と一礼して職員室を後にした。
* * *
(優香の場合)
誠司が生徒会室を出て行ってから優香はなにやらノートに書き込みをしていた。
どうやら日記帳らしい。
それを教室で一人、黙々と書き進める。
そして時折、顔を赤らめて悶える。
そして再び書き始める。
そんな事を繰り返していた。
「はあ、彼、ちゃんと見せてくれたかしら……」
肘を机の上に置き、そこに顔を乗せてそんな事を呟いてみる。
そして呟いた瞬間にはっとして思いっきり頭を左右に振る。
「私、何を考えているの?」
自分への質問というよりもどちらかと言うと後悔に近いものが感じられた。
「それにしても、遅いなあ」
とふと、時計がかけられている方へ視線を向ける。
彼がここを出てから10分ほどしか経っていなかった。
「って、また考えてるし……」
と、気を抜くとすぐにあの事を考えてしまう自分が嫌になる。
「さて、ほうけてても仕方ないし、予習でもしようかしら」
そう呟いて鞄から教科書とノートを取り出す。
そしてまたノートに書き込みを始めた。
それから15分程経過して、
誠司が生徒会室へと戻ってきた。
「あら、朱坂君」
と、ペンを動かす手を休めて顔を上げる。
「どうだった?」
「特に問題はないそうだ。ところで、今日はもうやる事は無いのか?」
「そうね。もう無いわ。今日はありがとうね」
「ああ」
誠司は自分の荷物をまとめ始めた。
「さて、私もそろそろ帰るわ」
優香もそれに続いて荷物をまとめ始める。
二人は生徒会室を出て、しっかりと施錠した。
そして職員室に鍵を返却し、昇降口へと向かう。
外は大分、暗くなってきている。聞こえてくるのは野球部の応援練習の声だけでそれ以外の部活は今日の活動を終了したようだった。
もちろん、廊下を歩いているのは誠司と優香の二人だけである。
ただ、今日はバス停まで終始お互い無言だった。
そして、次に会話した時は誠司がバスを降りるところだった。
「じゃあ、俺はここで降りるな」
「わかったわ。それじゃあ、さようなら」
「ああ。じゃな」
バスが通り過ぎて行く。
「ふう」
誠司は一つ、ため息を吐く。
それは最近やたらと増えている憂鬱混じりのそれではなく、何か緊張がほぐれた時のものであった。
「さて、行きますか」
誠司は歩き始めた。
その後ろ姿は気だるさを帯びているもどこか楽しそうな、嬉しそうなそう言ったものが感じとれた。