ダークなアカネ事件から一週間、俺は泣きながらアーランドに帰り、その後ギルドでクーデリアさんに泣かされた。
酒でも飲んで気分を晴らそうとイクセルさんの店に行くと、そこで偶然にもフィリーちゃんを見つけてしまった訳だ。
「いいかフィリーちゃん、人には権利がある」
「そ、そうですね……」
右手にビール、包帯で添木を巻かれた左腕をフィリーちゃんの肩に回して俺は語り始めた。
「借金と言うのは人の自由を縛るつまりあってはならない、そう思うだろう?」
「そ、それはどうかと……」
「思うだろ?」
「は、はい!」
「うむ、そうだろうそうだろう」
その返事に気分を良くした俺はビールを飲み干してカウンターに空のグラスを置いた。
「達が悪いな……」
カウンター越しにイクセルさんがビールを注ぎながら何事か呟いた。
感覚的に貶されているのが分かった俺は若干不機嫌になったり。
「なんか言いましたか?」
「いや、別に……………………二十杯目」
イクセルさんが何事か呟いているが、気にせずグラスに注がれたビールを一口飲んで、俺は口を開いた。
「さっきのクーデリアさんときたら……酷いんだぜ」
自然と目頭が熱くなってくる。あんな外道な対応があっていいのかと。
「えっと、あの……」
「フィリーちゃんにも教えてあげるとも!」
「そ、その話五回目なんですけど……」
「五回聞きたい? 十回でも二十回でも話してあげるさ!」
「あうう……」
すっかり腕の中で大人しくなったフィリーちゃん。どうやら聞いてくれるようだ。本当にいい子だよフィリーちゃんは。
「言うも涙、語るも涙な話なんだよ」
「泣くの一人だけなんだな」
「俺が書類を持ってクーデリアさんのところに行ったらなあ……」
「無視かよ」
俺は意気揚々とギルドの扉を開き、カウンターに一直線に飛んで行き、大分治った右手で書類をクーデリアさんの目の前に叩きつけた。
「クーデリアさん! 俺の借金は不当だと主張します!」
「あらおかえり」
「あ、はい。ただいまです……じゃなくてですよ!」
危ない危ない、一瞬はぐらかされかけたぜ。
まあそんな余裕も今だけさ。その綺麗な顔から血の気を引かせさせてやる。
「この借金、俺が負債するものではないと主張いたします」
「へえ?」
「だって考えてみれば俺って被害者じゃないですか、悪魔に取り憑かれた悲しい青年Aですよ?」
自分の意識もなく体を使って悪行三昧、正義の心を持つ青年は仲間を想い、屈強な心で悪魔を跳ね除けて悲しい犠牲となった。
涙なくしては語れない、これで俺のせいだと言う人がいたら人間じゃないね。
「だから何なのかしら?」
「くそ! この人は人間じゃなかった!」
久々で忘れてたが、鬼で悪魔の氷の女王様だった。
「それにあんたこの前、自分のツケだとか自分の非を認めてたじゃないの」
「う、うっさいですよ。あれは皆を帰らせる言葉でその場の勢いと言うか……」
「そんな勢いで行動するからトトリにも嫌われるのよ」
「――――」
『アカネさんなんか大っ嫌い!』
大っ嫌い、大嫌い、嫌い、きらい。
頭の中にあの言葉がリフレインする。
嫌われた、それも大っ嫌いときたもんだ。あれ? なんか頬が濡れてるような?
「ううっ」
「ちょ!? そんな、泣くことないでしょ!」
「ちくしょー、こんな俺を哀れに思うならせめて減額くらいは」
右手で顔を抑えて俺は男としてかなり情けないと思いつつ、提案をしてみた。
「そうねえ、せめて本の返却をできれば……」
「そ、そんな……ううっ、ひっく」
包帯で巻かれた左腕すら顔に押し付けて俺は涙で濡れた顔を覆い隠した。
「返せばいいのよ? もしかして持ち帰ってこなかったの?」
「ポーチに……ポーチに入れて送ろうと思って、あの後立ち上がったんですよ」
「え、ええ」
「そしたら集まって来た魔物の大反乱にあって……」
「あらあ……」
クーデリアさんがやっちまったみたいな声を出しているがそんな声出されても俺の悲しみは収まらない。
あの時の光景は今でも目に焼き付いている。
襲ってくるスカーレット、上空を飛んでいる大きな鳥たち、逃げる俺を追いかける狼。
「トラベルゲートを使って逃げようとしたら、炎を吐かれてそれ避けたときに落っことして……」
「えと、その……悪かったわね」
「今更しおらしくされても遅いんですよ……ううっ」
あの時の心情を思い出すだけで恐怖の涙が出てくる。
フラムを撒きながら逃げて、教訓なんか知った事かと手袋を付けたまま走って。
「背中越しに見てみると、何かが燃やされているような炎が上がってました……」
「悪かったわよ、五万コールこっちで負担してあげるわよ」
「たった五万ですか?」
貴重書籍とか書かれてるくらいだから一気に半額くらいくかと思ってたんですけど。
「一項目だけ書いてたけど、それ実は全部書くと百を超えるのよ」
「酷い……」
一時の甘い夢に躍らせてから、地獄に叩き落として針の山で躍らせるなんて、外道だ!
「馬車襲ったり村襲ったりしたら当然相当な数になるのよ」
「…………よく分かりましたよ」
俺の目から光が失われるのを感じる。
外法には外法、こうなったら悪の道に走ってやる。塔の悪魔よ今一度俺に力を!
「まずクーデリアさんの恥ずかしい写真を取ります」
「は?」
ポカンと口を開くクーデリアさん、あんたが悪いのさ、この眠れる悪魔を呼び起こしたあんたがな。
「それを高値で売りさばき、借金を返済。そんな金とは知らずにクーデリアさんは嬉々として受け取るんですよ」
「写真だけで百万も売りさばけたらあんた今頃大商人よ?」
「ネットにもアップします。全世界的に画像を拡散させて地球上どこにいても、男を見たら一種の疑念を抱く事になるんですよ」
「まずはネットが何か知りたいわね。ほらそんな元気があるなら帰りなさい」
書類を見ながらしっしと手で追い払ってくるクーデリアさん、取り付く島もないとはこの事だ。
甘かった……今の俺には甘さがあった。そこまではできないだろって心に一線を引いていた。
だがこんな態度ででるのなら俺にだって考えがある。
「背が小さい人は心まで小さいんですねえ」
「へえ?」
思いっきり右手の人差し指を突きつけ、俺は笑いながら大きく口を開いた。
「ちーびちーび! 悔しかったら借金なくしてみせろー、ぷーくすくす」
「折角人がギルドで受け持てそうな金額の採算して立って言うのにねえ?」
「――えっ? えっ?」
クーデリアさんの顔の前で、書類がひらひらと揺れている。
もしかして、もう優しさ見せてました?
「あんたがそういう態度なら私は構わないわよ? ええ小さいですとも、だから借金をどうにかしたりもできないわよねえ」
猫撫で声でゆっくりと喋るクーデリアさん、今から土下座したら許してもらえないかな? もらえないよな。
「クーデリアさんってよく見ると超美人ですよね!」
「よく見ないとブサイクってことかしら?」
「こ、こう、気品が漂ってくるって言うか!」
「ええそうね貴族だもの。ねえ、知ってるかしら?」
うふうと書類で口元を隠し上品に笑いながら、細めている目で俺を見据えてとても冷たい声で言い放った。
「アーランドの貴族はお金で買えるの。つまり……要は金なのよ」
「な、なんて奴だ」
思わずたたらを踏んでしまった。同じ人間とは思えない。
身体的特徴を侮辱されたくらいでここまで怒らなくてもいいじゃないか、なんて大人気ない。
だが、俺にはまだウルトラCが残っている。
「この事を師匠に言いますよ。そしたら師匠はクーデリアさんの事をどう思うでしょうねえ?」
「あらあら私を本気で怒らせたいのかしら?」
「あ、いえ、その」
暗黒の瘴気が俺に降りかかってくる錯覚さえ覚える。
人によっては太陽の様な笑みと褒めたたえるだろうが、俺には全てを焼き尽くすただの業火にしか見えない。
底知れない何かがある。そんな雰囲気を感じる。
「か、帰ってもいいですか?」
「ええ、今すぐ帰った方が良いと思うわよ」
「は、はい。どうもご迷惑をおかけしました」
ぺこりと頭を下げて俺は逃げ出した。
「得られる物は何一つなかった。くそ! あのペタンコちびちびクーデリアが!」
「アカネさん、飲みすぎですよ~」
涙と共にビールを飲み干す。
隣のフィリーちゃんも同情の涙を流してくれている。
「分かってくれるかフィリーちゃん! 君は本当に優しい子だ!」
「うう、なんでこんな事に……」
「本当に、どうしてこうなっちまったんだろうな」
思わず肩を落としてしまう。
こんな良い子に俺はずっと嘘ついてたんだよなあ。
「よーし、お兄さんが本当はどこから来たか教えてあげよう」
「年は私の方が上なのになあ……」
「俺は海からじゃなくて異世界から来たんだよ。こう、空間の壁をぶち抜いたのか知らないけど」
「アカネさん、本当に飲みすぎだと思いますよ?」
酔っ払いの戯言と受け取られてしまった。
なんて言ったら信じてもらえるんだろうか。
いくらこっちの世界で異世界なんて言っても所詮はおとぎ話の中の話だもんなあ。
「俺は異世界から来たんだよお」
「分かりました分かりました。送って上げますから帰りましょう?」
「なんて時代だ」
下手に長い付き合いだから、こういう話が全て笑い話になってしまう。
グラスを片手に突っ伏していると、後ろから指で叩かれるような感触を感じた。
「あ、く、クーデリアさん?」
振り向くとちょうど目の前にクーデリアさんの顔があった。
優しげな頬笑みだが、目が暗殺者、ゴルゴ十三みたいになっていた。
「あら? ペタンコちびちびクーデリアって呼んでもいいのよ?」
一気に酔いが引いた。そう言えば俺はここでフィリーちゃんにどれくらい絡んでたんだっけ?
「いつまで経っても帰ってこないと思えばねえ?」
「い、イクセルさん……」
助けを請うように振り向くが、そこには我関せずと調理を続ける姿が。
短い時間でも師弟関係だったのに、縁なんてはかない物ってことかよ。
「何か言い残す事は有るかしら?」
「全部フィリーちゃんにやれって言われ――――」
何が起きたのか、そこで俺の意識は真っ暗な闇に沈みこんだ。