『月面テラフォーミング計画とは、八十年前より立案された月面を人類の棲める土地にするという一大計画の一つです。未来を担う計画としてプラネットシェルと同時に計画されましたが二つの計画には大きな齟齬がありました。あるいは埋めようのない溝といいますか』
ミチルの説明を薄暗いブリーフィングルームで聞いているのはそれぞれが複雑な心境を渋面として作り出した男達だった。
ハヤトはゲッター2を動かした功績を認められ同席している。もっとも、この研究所内でハヤトの行動制限をつけるべき、だという話が持ち上がったのは遅くなかった。
ハヤトがゲッター2を単独で動かし暴走させた。その事件は研究所内を震撼させ、メカニック研究者共々、ハヤトの全権停止及びパイロットとしての素質なしと認めたかったのだろう。
あらゆるシステムでハヤトの介入を拒んだ。ハヤトにだけ残飯があてがわれたり、あるいはハヤトにだけ入れない部屋があったりとさまざまな嫌がらせの類だ。だがハヤトはそれらを軽くいなした。
残飯を食し、入れない場所には早々に諦めて自身の独房に大人しく戻っていくのだ。それらの行動を裏があると考える人間と、あるいはリョウマが殴り倒したお陰で心を入れ換えたのだと考える人間と真っ二つに別れたが、それらを統括したのはサオトメの鶴の一声だった。
「ジン・ハヤトを正式にゲッターロボのパイロットとする」
その御触れに無論、全員が反論した。ハヤトを擁護するつもりはないとはいえ革命軍を率いていた凶暴性を危惧したのである。しかしサオトメは決断を覆さない。
「決まった事だ」の一点張りで他のゲッターのメカニックが降りようとしたりストライキを起こそうとしたりしたものならば容赦なく研究所より追放した。研究員もメカニックもサオトメが怖くて何も出来ない。ハヤトはこの状況に増長するかに思われたが存外に大人しく受け容れた。
「それで、オレの部屋はまだこの牢獄なのか?」
ハヤトがパイロットの指令を受け容れた時、まず聞いたのはそれだった。サオトメは口角を吊り上げて言い放ったという。
「安心せい。もう残飯を漁る事もないし、お前が入りたがっていたメインブロックへのアクセス権もある」
ちらつかせたのはIDカードだ。サオトメ研究所のどこでも通過出来るパスにハヤトは容易く了承した。
「いいだろう。ゲッターとやらのパイロットをやればいいのだな」
ハヤトがパイロットになる、という伝令はメカニックや研究員を伝わった。元反政府組織のリーダーだ。いつ反逆ののろしを上げてもおかしくはない。緊張が走ったがリョウマはその抑止力となる事を強く誓った。メカニックや研究員の人々へと約束したのだ。
「ハヤトが暴れれば自分が今度こそ迷わず殺す」と。その一言で大抵のメカニックや研究員は丸め込めた。イーグル号を乗りこなしたリョウマを研究所の人々は買ってくれている。
それだけの人望をハヤトなどを庇い立てするために使うのは惜しい、という声もあったがリョウマは、「構わねぇさ」と応じた。
「なにせゲッターが動かなけりゃ、おれ達は仲良くあの世に行くんだからな」
研究所の擁する戦力は固定砲台とバリヤー、それにベータ改八式が六機とゲッターロボ一機。一国と充分に渡り合える戦力であったが相手取るのは国ではなくネフィリムという巨大兵器と偽人類――レプリカントである。
ネフィリムを倒すにはゲッターの力は欠かせない。
リョウマはサオトメに条件を言いつけた。
ハヤトを擁するのならば、これを呑んでもらう。でなければゲッターを降りると。
サオトメはリョウマの条件を容易く受け容れた。その証拠が今、ハヤトの首に取り付けられている首輪である。
常に心拍、脈拍、脳波をミチルがモニターしており暴走状態に陥った場合でもミチルのアクセス権限で即座に起動出来る小型爆弾だ。いくらハヤトが小賢しくとも決して外す事の出来ない、言うなれば孫悟空の頭の輪である。ハヤトが反逆を企てようものならば即座に首がはねられる。その処遇にようやく、と言った様子で研究所の人々は納得した。今、ブリーフィングルームにいるハヤトは首にはめられた輪を物ともしていないようだった。
「それで、その月面に何故、オレ達が行かねばならない?」
当の目的をミチルに問い質す。常時のハヤトは落ち着き払っており、自分と敵対したような狂気は見られなかった。しかし油断させるためかもしれないと気が気でない。ミチルも少しばかり気後れ気味に応ずる。
『テラフォーミングされた理由としては、月面において観測される人類の進化を促す実験のためです』
「オレが聞いているのは、何故そんな場所にゲッターで? という話だが」
ハヤトの本質を突いてくる声音にミチルは声を詰まらせる。どうやら一杯食わされた身としてはハヤトに心を許したくないらしい。リョウマが代わりに尋ねてやった。
「何でゲッターなんだ? 他の、たとえばロケットとか、機動兵器じゃ行けねぇのか?」
リョウマの質問にようやくミチルは答える。
『いいえ。いまやベータでも宇宙機動用のものはありますし、それに気密もしっかりしているので改八式でも充分ではあります』
「では何故、ベータを使わずゲッターなんだ? その場合、研究所の守りが手薄になるぞ」
リョウマも疑問視していた部分だが研究所を襲撃した張本人がよく言う、と感じた。その見解はミチルも同じのようで、『……研究所を襲撃したくせに』と呟いた。
「聞こえているぞ、システムAI」
ハヤトは「ミチル」とは呼ばずに「システムAI」で通している。ミチルもハヤトに名を呼ばれる事は嫌っているようだった。
「今回、ゲッターを使う事は大いに意味のある事だ」
その声に二人して振り向く。サオトメが椅子に腰かけながら手元のパネルを操作する。するとブリーフィングルームの大型の画面に今次作戦の概要が呼び出された。「ゲッターロボによる宇宙活動の可能性」とある。つまるところゲッターが宇宙でも活動出来るかどうかを今回試そうというのだ。
「今までは何で試さなかったんだ?」
「イーグル号に乗れる人員がそもそもいなかった上に、まずゲッターチェンジが成功したのが先刻だ。ゲッターは元々、宇宙開発用に造られた分野を流用したものだからな」
初耳であったがミチルが補足する。
『ゲッターロボは、元々宇宙開発用に使われていたメインフレームを流用し、戦闘用に作り変えたものです。その際、三機の合体システムが考案されましたがそれがゲッターロボとして活動する事への弊害に繋がったのは皮肉としか言いようがありませんね』
「なんて事はない。科学者が弄れるからと言って弄った結果、元通りにならなかった。パズルと同じだな」
ハヤトの結論にミチルとリョウマは反発しようとしたが当のサオトメは、「その通りだ」と認めた。
「だがゲッターを三位一体の機体にしたのは結果的に成功だった。ただの宇宙開発用の機体ならばネフィリムに遠く及ばないはずだからな」
どうしてゲッターは三つのゲットマシンを使うのか。そういえば一度も聞いていなかった。だが今さら聞くのも憚られる。
「ネフィリムが出たらどうする? この試験中に出る可能性はあるのだろう。システムAI、試算を」
ハヤトの命令口調にミチルは、『リョウマさんも知りたいですか?』と尋ねた。どうやらてこでもハヤトの命令では動く気がないらしい。
「おれ達が留守の間に寝込みを襲われたんじゃ堪らないからな」
『ネフィリムの出現率は霧型も含めて二割を切っています』
その結論にはリョウマも瞠目した。どうしてそこまで確率が低くなっているのだろう。
「なるほど。前回のゲッターの活躍、あれを見越しての行動か」
ハヤトは得心したようだがリョウマには分からない。ミチルは、『元々、ネフィリムがプラネットシェル内部に出現する事自体稀なんです』と説明する。
『リョウマさんはベータ部隊でしたから、ネフィリムの出現が常時だったので麻痺している部分もあるんだと思います。ネフィリムは、通常、我々の生活域に現れる事もありません』
「だがレプリカントは? 奴らならあり得るぜ」
「レプリカントには独特の生態電磁波がある」
そう口火を切ったのはサオトメだ。パネルを操作してスクリーンに呼び出したのはレプリカントが発しているという電磁波の周期である。それを辿れば偽人類か人類かの区別はつくというのか。
「何で今までこれ出さなかったんだよ」
「我々もゲッターを追い求めるために自らの首を絞めていたのだ。メカニックにいつでもモニター出来るなどと言ってしまえばいくらでもゲッター計画に遅延が生じる可能性があった」
「そんな不真面目な奴らじゃねぇよ」
見てきたから分かる。メカニックも研究員も真面目に取り組んでいる。だがその感情論を突き崩したのはハヤトだ。
「どうだかな。人間、余裕があると隙が生まれるものだ。今までのメカニックや研究員の躍進はゲッターがなければ人類が滅ぶという危惧からしてのものだった。博士の判断は間違っちゃいない」
今度はサオトメの肩を持つのか。リョウマは鼻を鳴らす。
「で? そいつでモニターすればどんだけの範囲が分かるんだ?」
『研究所を含む半径七キロはカバー出来ます。バリヤーの範囲外で言えば一キロ弱』
「迎撃には充分だ。レプリカントには銃も効く。早期発見すれば我々でもカバー出来る」
サオトメとミチルの声にリョウマは不貞腐れる。
「何だよ。ゲッター要らねぇじゃんか」
「ネフィリムを呼ばれればゲッターの出番だ。所詮は偽人類相手の白兵戦が有利だという事だけ。特にオベリスク型はな。未だにベータでは撃墜成績がないのだから」
オベリスク型の戦闘データを基にシミュレータが稼動していた。ベータのパイロットやリョウマもそれで挑戦したがやはりベータでは遠く及ばなかった。どれだけ上手く立ち回っても相手の性能に凌駕される。ベータでは懐に入っても装甲版に亀裂すら入れられなかった。
「じゃあやっぱりゲッターを出すのは危険なんじゃ」
「いいや、今回、月面にゲッターを出せというのはワシの本意ではない。実のところ不明瞭な金の動きを表面化させろという国のお達しであってな」
サオトメはため息をつく。そういう政の矢面に立つのはサオトメの役目だった。
「ゲッターを今まで極秘裏に開発していたのが国の逆鱗に触れたらしい。月面で、他の国の研究者にデータを取らせろとの事だ」
「何で月面なんだよ。出向けばいいじゃねぇか」
「馬鹿なのか、お前は」
ハヤトの声にリョウマは凄んだ。
「んだと、てめぇ」
「他国にゲッターが降り立てば、それこそ鹵獲に晒される危険性がある。それだけデリケートな問題なんだ。かといって他の地域にネフィリムが出れば出動せざるを得ない。その場合、領海侵犯や領空侵犯の責任を誰が取る? 全て博士が負わねばならないのだ」
つまりゲッターでも不用意に他国には渡れない、という事なのか。リョウマが確認の視線を送ると、「悔しいがな」とサオトメはこぼした。
「まだ、この島国で建造されたゲッターに不信感を抱く国も少なからずいる。ネフィリムへの唯一の対抗策、と言っても所詮はオベリスク型を一体葬ったのみ。そのオベリスク型もこの研究所を標的にしかしていないところを見ると自作自演、と勘繰られてもおかしくはないのだよ」
そこまで他国の目は厳しいのか。リョウマは、「おれ達に言ってくれりゃいいだろ」と反論する。
「ゲッターでネフィリムを倒せるって事を目の前で証明してやらぁ」
「だがそこに都合よくオベリスク型が現れれば、それこそ自作自演の線を濃厚にする。逆にネフィリムが出現しなければゲッターはウドの大木。どちらにせよ不利にしか働かない」
ハヤトの声に言い返せない自分がもどかしい。サオトメは、「だからこその月面なのだ」と声にした。
「それが分からねぇ。何で月面なんだ」
「宇宙は、誰のものでもない。その程度、ガキでも知っている」
ハヤトの嘆息混じりの声にリョウマは息巻いた。
「んだと! おれがガキ以下だって言うのか!」
「ある一面では間違ってはいまい」
一触即発の空気にサオトメが制した。
「やめい! 今は、お前らがいがみ合っている場合ではなかろう!」
リョウマは引き下がったがハヤトは呟いた。「ここまで馬鹿だとは思わなかったな」
「てめぇ! 馬鹿って――」
「リョウマ! せっかくゲッターが稼動出来るようになったから回ってきたチャンスなのだ。棒に振る事は許さんぞ」
チャンス、という言葉にリョウマは疑問符を浮かべる。ハヤトがやれやれとでも言うように頭を振って説明を始めた。
「月面ならば、今のところどの国の領地でもないのだ。だからこそゲッターを安全に降り立たせられる唯一の土地でもある。それに宇宙に適応出来るかどうかを試すチャンス。言うなれば一石二鳥だ」
つまりサオトメはそれさえも視野に入れて今までの話をして来たというのか。リョウマの理解が追いついたのを察して、「まったく」とサオトメは愚痴る。
「お前は本能的な部分は天才的だが、ある一面では愚鈍が過ぎるな」
ぐうの音も出ない。サオトメはパネルを動かして月面のどこに降り立つべきかをモニターする。
「月面のテラフォーミングされたこの場所ならば適地だろう。ちょうどそこが大国同士の話し合いでも合意を得た」
示されたのは七十五番管区と名付けられた月面の一部だった。リョウマはその月面に広がる緑地に首をひねる。
「何で月面に緑が?」
「テラフォーミングされた、と言っただろう。七十五番管区はちょうど我が国の調査団が最初に派遣された場所でもある。標準言語は日本語だし、ある程度お前らでも通用するだろう」
所縁のある場所、という事か。リョウマの得心にハヤトが口を挟む。
「しかし、だとすれば我が国はどこまでゲッターを侮っているのか。いくら月面とはいえ、一応は所有区だ。ゲッターという機体の特性も、ある面では危険性も分かっていないのにここを指定してくるのは」
「まぁ、考えあっての事だろうな」
ハヤトとサオトメの間に無言の了承が降り立った。リョウマは二人の顔を交互に見比べる。ハヤトが口元に手をやった。
「まさか、博士。あんたはそれすらも試そうというのか」
「七十五番管区の情報はハンプティダンプティのリーダーだったジン・ハヤトには釈迦に説法だろう。分かっているな。奴らが来るという可能性を視野に入れろ」
「……薙ぎ払っても?」
「その場合、恐らく最も相応しい結果が待っているだろう」
二人の会話の糸口が分からない。何を言い争っているのか。あるいは言い争ってなどいないのか。リョウマが目を白黒させているとハヤトは、「部屋に戻る」と踵を返す。リョウマはその背中に呼びかけた。
「待てよ、ハヤト! てめぇ、何を示し合わせて」
「馬鹿に言っても通じんし、どうせ時間の無駄だ。案ずるより産むがやすし、という」
ハヤトが扉を潜り抜けていく。リョウマはサオトメへと向き直った。
「月面に行け、それだけでいいんだな?」
「そうだが、何か他に質問が?」
「あいつ、ジン・ハヤトを野放しにしていいのか、って話だ」
リョウマの言葉に、「そんな事か」とサオトメは気にも留めていないようであった。思わず声を荒らげる。
「そんな事? ジジィ! あんたにとってはそんな事でも、研究所の奴らがどれほど気に病んでいるのか、分からないのか!」
「では何か、ワシが殊勝な態度を取り、ハヤトも反省の色を見せ、さらに言えばあやつをゲッターから降ろせ、と?」
極端だがリョウマの要求はそうだった。首肯すると、「それこそ馬鹿な」とサオトメは立ち上がった。
「せっかくゲッターが稼動可能になったのに、また元の木阿弥に戻すつもりか? いいか? 前回のオベリスク型ネフィリム。決して一人では倒せなかった事はお前自身が、もっともよく分かっているはずだ!」
サオトメの言葉にリョウマは言い返せない。自分一人では恐らくネフィリムは倒せなかったし、ゲッター1への合体も成せなかった。
「でも、何だってあいつにこだわるんだ」
「お前が何度やっても安全装置の働いたゲッターを奴は一度の実戦で乗りこなした。お前とハヤトではベクトルが違う」
「ベクトル……」
サオトメの説明にリョウマは困惑する。確かに自分とは違う種類の人間だというのは分かるが。
「そりゃ、そりは合わねぇだろうけれど」
「そういう意味じゃない。お前は本能でゲッターを動かす。だから操縦センスはピカイチだ。だが足りないのは考えて行動するという事。たとえばお前が銃で狙われたとしよう。相手の銃口が見えているのならば?」
「……飛び退って避ける」
「だが飛び退る方向は? その次の行動のための布石は? お前は何も考えずに戦う。だからこそ強い。しかしハヤトは真逆だ。銃口が自分を向いたのならば、あいつは本体を狙って動く事を第一に掲げる。飛び退るとすれば風向き、あるいは相手からの視野や次の動き、全てを直感ではなく計算で読み取るのだ。お前が本能ならば奴は理性」
「理性……。それがゲッターには必要だってのか?」
「本能と本能が同じ機体に乗り合わせても食い合うだけよ。ワシはな、リョウマ。本能と理性は合わせ鏡でありながらも、お互いの長所を伸ばし合わせる事の出来る理想像だと考えている」
つまり自分とハヤトの関係が理想だと。リョウマは唾を吐いた。
「何のつもりだ?」
「反吐が出るってんだ。あんなクソテロリストとおれが、理想像だって? 冗談にももうちょっとマシな言い方ってもんがあるんだよ」
リョウマはブリーフィングルームを後にする。その背中に、「後ほどミチルを通じて作戦開始時間を送る」と声がかかった。片手を上げてそれを受け取るもリョウマは納得が行かなかった。
自分と、あの狂気の殺人鬼が理想系など。その苛立ちにロッカーを思い切り蹴りつけた。ひん曲がったロッカーにリョウマは視線を落とした。