地獄への階段を踏み締める。
それだけ重みがあるのだと信じたかったが、ハヤトの足音の残響は存外に少なく、緑色に染まった壁は音を吸い込んでいく。
結晶化したゲッター線も頻度が激しくなってきた。ハヤトはゲッター線に対して既にマスクなど無意味だと感じていたためにマスクを放ってきたがこれだけ高密度のゲッター線の中顔色も変えずに進むのは困難だ。嫌でも額に汗が滲む。それに比して前を歩く老人は落ち着き払っていた。汗を掻く事もなければ、取り乱すわけでもない。この老人はまるで歩むのが当たり前だというように景色など無頓着に進んでいく。
「サオトメ博士。あんたはこの高密度のゲッター線、何とも思わないのか?」
思わず尋ねていたがサオトメの返答は素っ気ない。
「逆に問おうか。ゲッター炉心を積んでいるゲッターの完成品に乗り込んでいながら、今さら何を恐れているのだと」
違いない。ゲッター炉心を内蔵しているゲッターのほうが充分に危険だ。いつ融合爆発が起こらないとも限らない。
「ゲッターは、この地獄の海から生まれたのか?」
人が海から産まれた神話があるようにゲッターはこれだけの高密度ゲッター線の海より出でた魔物だ。ゲッターがどのような神話を持っているのかは定かではないがその起源が人間と同じとは限らないであろう。
「ゲッターは、ゲッター線を発見したのは、星の綺麗な夜だった」
この老人にしてはロマンチストな出だしだ、とハヤトは感じていた。
「数ミリかあるいは微量でも無限にエネルギーを増やし続ける夢の熱源。ワシはこの光こそが世界を導くと感じてゲッター線と名付けた」
「世界を導く……。先導する、という意味でか」
「だが実際には、このゲッター線という発見は秘匿されねばならなかった。どうしてか、それはお前の見ている光景が答えだ」
ゲッター線の結晶体。それに高密度のゲッター線の汚染地域。これらを無視してゲッターの恩恵に与るというのは無理な話だ。毒を食らわば皿まで。サオトメはしかし諦め切れなかったのだろう。夢の光源がどのように変異し人類に希望を与えるのか。ハヤトはこの老人が思っていたよりもずっとまともだったのではなかろうかと感じられてきた。
「ゲッターをただ甘受するには、今の人類は神経質過ぎた」
ハヤトの結論にサオトメが含み笑いを返す。
「神経質、か。そう言われてしまえばそうかもしれんがワシは人類に高望みしていたのかも知れんな。これだけの発明と発見、喜ばぬ者などいないと。だが実際に巻き起こりかけたのは、この研究所を含む数キロ圏内のゲッター線による汚染地帯だ」
寝耳に水の言葉にハヤトは目を見開く。今さらに他ならなかったが口元を覆った。サオトメが笑みを浮かべる。
「呼吸程度でゲッター線の被爆を抑えられんて。ゲッター線は生物の進化を促す夢の光源であるのと同時に、人類に新たなる脅威を見出させた。それこそが」
「レプリカント」
サオトメの言葉の後を引き継ぐ。ハヤトはその論法の行き着く先を見据える。
「ではレプリカントは、ゲッター線を発見したから現れた、というように聞こえるが」
「間違ってはいない。現にレプリカントとネフィリムに最も有効な手段は、ゲッター線の照射だ。今のところその兵器が実用化されているのはお前らの駆るゲッター以外にない」
あのゲッターが唯一の対抗手段。ハヤトはその言葉を噛み締めつつ返答の口を開く。
「だがゲッターは二機あった。ヨロイのゲッター。あれをどう説明する?」
「その事はワシも研究中だ。ミチルを含め、様々なシステムでアプローチを仕掛けているがあのヨロイのゲッターがどこから来てどこへ行くのかは依然不明である」
「博士。オレは、あんたはある程度知っていてオレを地獄に落とすと言っているのだと思っていた」
何の確証もなく、このような危うい場所に連れて来られたのではハヤトは警戒する。サオトメは、「ワシについてくれば」と声にした。いやに反響して聞こえてくる。
「地獄の釜の底が見られる。それだけは確かだ」
黙ってついて来い、という事か。ハヤトは伸ばしかけた手を引っ込めた。懐には銃がありいつでもこの老人の額を射抜く覚悟があった。もしサオトメが自分を害そうとするのならばこちらにも考えがある。ゲッターを封印し、この地を永遠に消し去ればいい。しかしハヤトの思考に浮かんだ考えを読み取ったようにサオトメは口を開く。
「ハヤト。ところでお前は、ワシの寝首を掻けるだけの覚悟があるか?」
心臓が収縮した思いだった。まさか読まれているのか。しかし声に平静さを浮かべてハヤトは返す。
「さぁな。だがあんたは最初に言った。寝首を掻けるだけの奴らを用意したと」
サオトメは不敵に笑む。
「その通り。もしもの時、己をも殺せる覚悟がなければ、ゲッターに乗る資格はない」
何を言っているのだ。ハヤトにも分からない。ただこの老人がもうろくしていて呟いている事だけではないのは分かる。
「己を殺す……、ゲッターに乗るために自分の意見を黙殺しろと言うのか」
「そうではないよ」
サオトメはタラップを降りていく。何度目の階段だ、とハヤトは眩暈を起こしそうになった。降りる度にゲッター線の濃度が上がっていく。ガイガーカウンターなど最早当てにならない。振り切れた針はほとんどエラーの表示だった。ハヤトはサオトメの背中に問いかける。
「もし、今の話、ヨロイのゲッターに繋がっているのならば、オレはやれる。ヨロイのゲッターにもし、自分の写し身がいたとしても殺せるだろう」
ハヤトの返答にサオトメは立ち止まって肩越しの目線を振り向ける。
「素晴らしいな、ジン・ハヤト」
まさしく逸材だと言わんばかりの声音だった。ハヤトはサオトメの目を睨み返す。
「ただし、博士。オレはあんたの操り人形じゃない。ヨロイのゲッターでさえもあんたの制御下にあるというのならば、オレは全力で戦い叩き潰すまでだ」
サオトメの思惑通りには動かない、という言葉に当の老人は微笑む。
「そうでなくってはな。リョウマではないが、ワシの思惑通りだけに動く人間などつまらんだけよ」
サオトメはさらに深く暗い奈落へと目線を投げた。ハヤトも立ち止まりその視線の先を見据える。シースルーのエレベーターがあった。結晶化が及んでいるが内部は無事らしい。サオトメはボタンを押して扉を開いた。
「こんな所にエレベーター?」
ハヤトの声にサオトメは、「なに」と言い返す。
「地獄は少しばかり便利になった、というわけだ」
エレベーターに乗り込めばそれはもう戻れない事を示しているのかもしれない。だがハヤトは決断する必要性があった。この老人の知っている事を全て搾り出さなければ、自分達は傀儡に過ぎないと。それだけは避けなければならなかった。
「いいだろう。地獄への切符はある」
ハヤトはエレベーターに乗り込む。いつでもサオトメを殺せるように後ろについた。サオトメは、というと何も反応を示さない。自分が殺されようとも知った事ではないという様子であった。
「ときに、ハヤト。ここから先の真相は、ミチルとワシ、そしてもう死んだワシの息子しか知らなかった」
「サオトメ・タツヒト。確かリョウマが無茶をしたせいで死んだのだったな」
調べ上げていた。その上でこのような言い回しを使った。果たして今もサオトメはリョウマを恨んでいるのか。だからゲッターに乗せようとしているのか。
「益のない問いだぞ、ハヤト」
そのような心中を悟ったようにサオトメの言葉には迷いがない。
「タツヒトの死は必要な事象であった。リョウマが戦いに赴くには一人や二人の犠牲では済まないと思っていたが、タツヒト一人の犠牲で済んでむしろ幸運であった」
何とこの狂科学者は自分の息子の死でさえもゲッターのために捧げられた犠牲だとのたまった。ハヤトでさえも戦慄する。さすがにそこまで言い切れる人間はいないと感じていたのだ。
「一つだけ、ワシの意想外であったとすれば」
サオトメの継いだ言葉にはほとんど感情の起伏がない。まるで当たり前の事実を反芻するかのように。
「リョウマが思いのほか、ゲッター乗るのに前向きになった事だな。あれは最後まで抗うかと思われたが、一人の犠牲が効いた証拠よ」
とんでもない悪魔が目の前にいた。ハヤトはここで拳銃を取り出すべきではないかと逡巡する。だがまだだ、と必死で抑えた。まだこの老人には語ってもらわねばならない真実がある。それを無視して殺す事は出来ない。
「存外に冷静だな、ハヤト。ここでワシを殺す、というのも選択肢であったろうに」
「……悪いが感情と状況判断くらいは切り離す術を心得ている。今は、あんたを殺すべきではない」
「賢明だ」
表層にも思っていないような声音にハヤトは拳を握り締める。自分であってもその犠牲には何かしら思うところがあるかもしれない。しかし、サオトメは別格だ。ゲッターのため、という大義を背負えば全ての人類の運命でさえも掌の上で躍らせる事が出来る。
「聞きたい。リョウマを、恨む気持ちは」
「恨む? 面白い事を聞くのだな、ハヤトよ。リョウマはゲッターの要だ。あれを愛おしく思う事はあっても、恨むなどあり得んな」
サオトメはリョウマを要だと感じているのだ。それは自分への侮辱に繋がったがハヤトは別段取り乱さなかった。現にリョウマがゲッターチームを引っ張っている。
「リョウマ以外を、イーグル号に据える事を考えていないような言葉だ」
先ほどの交渉と矛盾する。サオトメはそれをしっかり覚えていたようで、「安心せい」と返した。
「ジャガー号に安全装置といざという時のための優先機構は取り付けておこう。必要だというのは今回のヨロイの一件で明らかだからな」
シースルーのエレベーターから望める景色には結晶化したゲッター線の塊がそこらかしこにあった。それだけではなく明らかにゲッターの腕らしきものが突き出している。顔だけになったゲッターを絡め取るようにゲッター線の結晶が浮き出ていた。まさしく地獄絵図だ。
「着いたぞ」
サオトメの声にようやく降り切った事を確認する。扉が開くとやけに錆び付いた臭いが鼻をついた。
「錆び臭いな……。ここはどこなんだ?」
「サオトメ研究所最下層。地獄の釜の、言うなれば蓋だな」
周囲には澱んだ色の排水が流れ出ている。エレベーターを囲うように排水機構が発達していた。油が浮き立っており今も流れは止まらない。
「何があると言うんだ?」
「黙ってついて来るといい。ワシは地獄を見せるとお前らに言い放った。その地獄の一端がこれだ」
奥まった場所は暗がりでほとんど見えない。サオトメがリモコンを手にしたかと思うとそのボタンが押されるのと同期して照明が点いた。突然の明かりに目が眩む。
その中に映し出されたのは巨人であった。
思わず息を呑む。
鎖で繋がれた黒ずんだ巨人の姿があった。項垂れており、両腕を縛られている。まさしく地獄の咎人の姿であるそれには見覚えがあった。
「ゲッター……?」
その一対の角を持つ威容と、亀甲型の顔面は確かにゲッターのものであった。ゲッター1の形状を伴った姿の機械が鎖で封印されている。ハヤトはその姿に畏敬の念を抱いた。
「これは……ゲッター1じゃないのか?」
「よく見てみろ。お前らの乗るゲッターとは細部が異なる」
言われてみれば自分達の駆っているゲッターとは違いどこか丸みを伴っている。アイカメラにも生気はなく、まさしく沈黙していた。
「ゲッター。別系統のゲッターか」
ハヤトの言葉に冷静さが取り戻されてきたからだろう。サオトメは言い放った。
「これこそが最初期にゲッター線を通したゲッターロボ。通称、プロトゲッター」