「よう、リョウマ」
タツマは見張りを立てられ、なおかつ両腕を拘束された形で現れた。まるで最初の日にサオトメ研究所でごねていた自分の鏡像だ。
「タツマ……」
それに比して今の自分の境遇はどうだ。拘束もなく、タツマを逆に迎える側になっている。数十日前には考えられなかった状況である。
「ミチル。タツマの拘束を解いてやってくれ。それに見張りも要らない」
『しかし、それではリョウマさんの身の安全が』
「いいんだよ。こいつは昔ながらのダチなんだ」
リョウマの言葉にタツマの両手を拘束していた手錠が外され、見張りも消えていった。タツマは息をつく。
「お前が僕の立場をどうこう出来る側になるとはな」
タツマの皮肉めいた声にリョウマは視線を走らせる。監視カメラがあるものの、ほとんど打ちっ放しのコンクリートの壁があるだけの、簡素な部屋だ。
「タツマ……。ここはサオトメ研究所だぜ? 国のお偉いさんでも入るのに苦労するタブーの場所だ。何でおれがここにいると知った?」
「消去法だよ。お前に行く当てを提供するとすればベータ部隊よりも高次権限がありなおかつ軍備を増強しているのはこの国じゃサオトメ研究所くらいだ」
「そんなに有名かね」
自嘲気味に呟くとタツマは、「久しぶりに会ったんだ」と手を伸ばそうとしてきた。その手をリョウマも取ろうとする。その瞬間、タツマの拳の位相が変わった。
何をされたのか、最初分からなかったほどだ。タツマのボディブローがリョウマの鳩尾に食い込んでいた。
「何を……。タツマ……!」
「衰えたな、リョウマ。これが予見出来ないほど平和ボケしちまったのか?」
そのまま吹っ飛ばされる。リョウマはコンクリートの壁に背中を強く打ち付けられた。肺の空気が一挙に漏れ出る。
『何を! 警備の者を呼びますよ!』
ミチルの声にリョウマは手を掲げる。その行動に、『リョウマさん?』とミチルが戸惑った。
「……呼ぶ、な。ミチル、頼むぜ」
引きつった笑みを浮かべてリョウマは立ち上がる。ダメージはあったが人間のパンチならばまだ耐えられる。
特別な意味があったのはむしろ、それが親友の不意打ちであった事だ。
「どういうつもりだ。タツマ。こんな場末まで来て、おれと喧嘩やろうってのか? お前に負けた事は一度もねぇぜ」
血の混じった唾を吐いてリョウマは口元を拭う。タツマは超然とした立ち居地のまま、「変わったな、お前」と口にしていた。
「変わっただと? 変わったのはてめぇのほうだろうが」
「いいや。こう言ったほうがいいか。――弱くなったな、リョウマ」
その一言はリョウマの神経を逆撫でさせるのには充分であった。リョウマは思考が戦闘本能で焼け爛れそうになるのを感知し、慌てて制する。今は親友の前だ。獣の部分は見せられない。
「……話をしに来たんじゃねぇのかよ」
「そういうところも含めて、だ。リョウマ。以前までなら何も考えずに突っ込んできて僕を殺そうとしたはずだ。だっていうのに、変に理性がある。それがお前を弱くしている」
「……人の事を狂犬みてぇに言いやがって」
それでもまだ理性の線が引かれていた。リョウマの様子にタツマは鼻を鳴らす。
「僕は、親友として、今のお前を見に来たつもりだったんだが。……ここまでになると拍子抜けだな。以前、河原に訪れていた時、お前の眼は使命に燃えていた。でも今は、何もかもを失ったがらんどうだ。そんな虚無に、僕は殺せない」
「ざけた事、言ってんじゃねぇっ!」
思わず拳でコンクリートの壁を殴りつける。それだけで亀裂が走った。しかしタツマは臆する事もない。
「その拳、壁に放つよりも僕に放つべきだ。どうして、そこまで牙を抜かれたみたいになっている?」
その挑発がリョウマの辛うじて保っていた理性の一線を越えた。跳躍し、タツマの首筋目かげて蹴りを放とうとする。しかし、非情になり切れない自分が歯止めをかけた。蹴り払いはタツマの眼前の空気を引き裂いただけだ。それだけでも空間が震え、通常の人間ならば失禁もやむを得ないレベルだったが、タツマは眉一つ動かさなかった。
「その程度か、リョウマ」
踏み込んできたタツマがリョウマの顔面へと拳を見舞う。かわす事が出来ずにリョウマは拳を食らってしまった。姿勢を崩したリョウマの足元を払い、タツマは見下ろす。まるで絶対者のように。
「リョウマ。そこまで弱くなったのは、お前が以前の野性を捨てたからだ。飼い慣らされて、随分と尻尾を振る事まで覚えたらしい。女の声に、やられたか? リョウマ」
歯軋りをする。今にも迸りそうな自分の原始本能を抑える。
「てめぇ、タツマ……! いくらダチでも侮辱するって言うんなら」
「言うんなら、何だ? 以前までならもう殺しているな。だって言うのに、まだ悠長にお喋りしている辺り、随分と腑抜けたらしい」
「てめぇっ!」
リョウマが飛びかかる。しかしその拳は殺傷のために振るえなかった。どこかで制御がかかり、殺さないでおく神経が働く。タツマは拳を受け止めて、「そんなもの」と声にする。
「以前までのナガレ・リョウマならば放たなかった」
返すように放たれた拳にリョウマは後退する。親友を殴る事など出来ない。
「……タツマ。何でここまで来て、おれにこんな真似をさせる?」
「リョウマ。以前、言っていたな。自分は地獄の片道切符なのだと。しかし、地獄には咎人が行くもの。お前は、何の罪を犯したというんだ?」
リョウマは歯噛みする。そう易々と言えない現実。
「てめぇには関係ねぇだろ」
「関係ない? リョウマ、僕は、善も悪も超越してここにいるんだ。ベータ部隊の代表として命じる」
タツマが懐から委任状を取り出す。リョウマは目を見開いた。
「ナガレ・リョウマを強制的に帰還させると」
そのような事はサオトメから一言も聞かされていない。当然、ミチルが反感を示した。
『そんなの! 研究所を通していませんよ』
「だから、直々に、僕が来たんだ。お前を連れ戻す。これは、もう決定事項なんだよ」
リョウマはよろめき、「んな事はまかり通らねぇ」と声にする。
「おれはもう、ゲッターで戦うって決めたんだからよ」
「それにしちゃ、迷いのある拳だ。そんなもので、何かを救えると思っているのか?」
タツマの試すような言い回しにリョウマは拳を握り締める。
「おれが今まで、どれだけ血の滲む思いをしてきたのか、てめぇには分からないんだろうさ」
「ああ、分からないね」
タツマの返した言葉にリョウマは意外そうにする。
「何だと?」
「他人の痛みが分かるほど、僕はお前とツーカーだとは思っていない。勝手にベータから逃げ出し、今も地獄にいるのだと思い込んでいるお前には」
「てめぇ、終いには……」
「終いには、何だ? 僕を殺すのならばもっと早くにやればいい。その迷いが、誰かを救えない。その迷いが、誰かの命を枯らす」
リョウマはそれ以上考えられなかった。思考が焼け爛れ、怒りが全身の筋肉を弾けさせる。
「タツマァ!」
リョウマの放った拳に呼応するようにタツマも拳を放つ。クロスカウンターが巻き起こりお互いによろめいた。
「……やれるじゃないか。本気を」
タツマが唇の端を拭う。リョウマは、「関係がねぇ」と口にしていた。
「誰かを守れなくなるかもしれないなんざ、最初から守れねぇ奴の言い草だ。おれは迷わない! おれは、人を守る! そのためにゲッターに乗っているんだ! それ以外の事なんざ、全部余計なんだよ!」
放たれた思いと共にリョウマは拳を放つ。タツマの鳩尾へと食い込んだ思いの拳は鋭く響き渡った。
「それが、お前の答えか……」
タツマが口元に笑みを浮かべる。いつものような気安い笑みにリョウマはようやくタツマの真意を悟った。
「タツマ。てめぇ、おれの迷いを断ち切らせるために」
「半分はそうだが、半分は、聞きたかったんだ。ベータ部隊を辞めてまで、お前が貫きたかった信念を。人を守る。いい言葉じゃないか」
タツマが崩れ落ちる。リョウマは慌ててタツマに肩を貸した。
「馬鹿野郎。そのために、おれの拳を受けるなんて」
「忘れたのか、リョウマ。お前はいつだって、口より先に手の出る奴だった」
タツマの笑みにリョウマも釣られたように笑う。ゲッターがどのような意図を持って造られたのであれ、自分の行うべき事はもう決まっていた。心に決めた信念は、もう既にあったのだ。
「人のために、おれは戦う」
もう一度口にしてそれを新たにする。タツマは、「どこまでもお前らしい」と呟く。
「人のため、か。僕もようやく、お前から離れられる」
ある意味ではもう一人の自分同士なのだ。タツマは、ベータ部隊を選んだ自分の鏡像であった。
「ありがとよ。おれに、選ぶ権利をくれて」
「選べるのはいつだって戦いに赴く奴の特権さ」
その時、警鐘が鳴り響いた。聞き慣れた音声にリョウマは顔を上げる。
『ネフィリム出現! 座標は、それに研究所近辺に、これは……、三つ? 対象は、三つです!』
ミチルの声にリョウマは眉根を寄せる。
「三つ、だと……」
今までネフィリムは一回に一体だけだった。だというのに三体のネフィリムが同時出現したと言うのか。タツマが手を払う。
「行けよ。リョウマ」
その声にリョウマは首肯した。
「ああ。おれは、戦う」
「一つだけ、忠告していいか? 死ぬな、リョウマ」
タツマの言葉を背に受ける。リョウマは沈黙を是とした。
間もなく駆け出し、リョウマはコックピットブロックへと続くエレベーターへと飛び込んだ。
「ネフィリムの反応だと?」
ハヤトがそれを聞き届けたのはシキシマの研究所での事である。反応が三つ、という事に瞠目する。
「本気の戦力だな。恐らく、もう悠長に戦っているつもりはないのだ」
シキシマの分析にハヤトは視線を振り向けた。
「行かなければならない。オレは、こちら側の味方のつもりはないが、ゲッターがどこに行き着くのかは、見据えたい」
シキシマは、「行くといい」と応じる。
「ゲッターに魅入られた存在よ。どこまで、君達が運命に弄ばれるのか。正直、楽しみだ」
歪んでいるとは思う。しかし、この科学者の言う事もまた真理。
ハヤトはベータに飛び乗り、ミチルへと繋いだ。
「システムAI。ジャガー号をアイドリングモードに。出撃時にベータから乗り換える」
『了解しましたが……。今回のネフィリムは今までと違います』
「データを」
送られてきたのは今までのどのネフィリムとも異なる形状のものだった。卵型の楕円に翼が生えているものが一つ、逞しい両腕が生えているものが一つ、頭部が生えているものが一つずつだった。
『これよりこの三体のタイプをオシリス型と呼称します。オシリス型は高エネルギーを散布しており、それによって浮遊していると考えられます。研究所に、三体も投入してくるなんて』
「それだけ向こうも必死なのだろう。ゲッター線同士の、生存競争か」
ハヤトの呟いた声にミチルは返答する。
『やはり、そこまで辿り着いていましたか』
「分かっていて、道化を演じていたのかシステムAI。それともどうする? オレのベータを遠隔操作で破壊するなど造作もないだろう」
その覚悟があったが、ミチルは意外な声を発する。
『いいえ。博士からはそう頼まれていません。ただ、あなた方が辿り着く末を見据えていろ、と。だから私は手を下さない。全ての権利は、ゲッターにこそある』
「ゲッターか。あれが地獄の審判者である事を、お前達は本気で信じているのだな」
しかしあれ以上に相応しい存在もあるまい。ハヤトはベータの推進剤をフルスロットルにして現場へと急行した。