「自分が乗ります」
リョウマも目を瞠った。そう進言したのは他でもない、タツヒトだったからだ。サオトメもそれは予想外だったのかうろたえていた。
「だが、お前ではゲッターの規定値を満たせていない」
「しかし自分ならば、ゲッターの性能を博士の次に理解しているつもりです。三十パーセントのゲッター貯蔵量、ならばゲッタービーム一発分は撃てるでしょう。的確にコアに放てば一発のゲッタービームでも奴に届く」
覚悟を決めた男の眼をしたタツヒトにサオトメは渋った。
「……駄目だ。危険過ぎる。リョウマほどの肉体ならばともかく、お前では不可能だ。ゲッタービームを撃つ云々よりも前に、イーグル号の機動に耐えられまい」
「しかし今やらねば! 多くの人命がかかっているのですよ!」
人命。その言葉にリョウマはベータ部隊に入ってからの事を反芻する。無理な空中機動も変形も全ては仲間の命を守るため。被害を最小限に抑えるためだ。だがそれは全て身勝手に映っていた。自分とてサオトメと何が違う? 自分勝手に規定した枠の中でしか、人を助けようとしていない。
「チクショウが!」
吐き捨ててリョウマは駆け出した。隔壁を抜け辿り着いたのはベータ改八式の格納庫だ。スクランブル発進をかけようとしていたパイロットに取り付き、そのヘルメットを奪ってコックピットに無理やり収まる。
「な、何を……」
「おれが出る! 改八式とやら。その性能、おれに見せてみろ!」
改八式のベータは空中機動形態だった。好都合だ、とリョウマは唇を舐める。機動シークエンスを三段階ほどすっ飛ばして無理やりエンジンに火を通す。点火したスラスターから焚かれた推進剤でベータが飛び出した。どうやら自分が一番乗りらしい。他のベータ乗りはいなかった。
空中に躍り出てリョウマは息を呑む。ネフィリムの大きさは今まで相手してきた霧型や実態型の比ではない。景色一面を塗り潰したかのようにネフィリムの巨体が視界に入る。
オベリスク型、という名前も分からなくもなかった。まさしく構造物だ。
「ベータ改八式! 持ってくれるか?」
臓腑にかかるGは想像以上だがそれでも想定内だった。これくらいならばシミュレーターの数値をいじって体感した事がある。リョウマは迷わずネフィリムの上を取ろうと上空に昇る。
完全に上を取ったところで変形レバーを引いてボタンを三つ同時に押す。するとセーフティが解除された改八式は容易く空中変形を成し遂げた。もちろん、機体にかかる負荷は凄まじい。その腹部に収まっているパイロットは何十倍にも押し潰されそうになる。だがリョウマはそれさえも想定内だと奥歯を噛んで受け止めた。
改八式のベータは今までのようにコックピットが突き出される形ではなく、より人型に近いスマートな体躯だった。頭部には扁平ながらもメインカメラを有しており有視界戦闘においては優れている。ベータの扁平な頭部に備え付けられた人の眼を思わせるアイカメラがネフィリムを睨む。空中機動形態では下腹部に位置する重火器を今は右手に装備して雲を引き裂いた。ネフィリムは待っていたかのように狗の頭部を上げる。赤い眼窩が煌いた。
「させっかよ!」
下降と同時に左に機体をぶれさせる。ネフィリムのビームが逸れてベータのすぐ脇を掠める。だが回避出来た。その確信にリョウマは重火器を構えさせる。アイドリング状態だった火器管制システムに逐一学習させるような余裕はない。即座に手動操作に切り替え、リョウマはアイカメラから与えられる情報だけで照準した。
「ビーム兵器なんだろ。だったらよ!」
コックピットの叫びと同期したようにベータが腕を上げて重火器の引き金を引く。セーフティが自動解除され青白いビームが発射された。コアを撃ち抜けば一撃のはず。だがそれを阻害したのは狗のように張り出した頭部だった。あの頭部はただの意匠ではない。コアを保護する皮膜なのだ。それを理解したのはビームが弾かれてからだった。
「何だって!」
ネフィリムの腕が持ち上げられる。質量をまるで感じさせない素早い動きでベータを捕らえようとした。リョウマは推進剤を焚かせてその手から逃れる。恐怖が背筋を走る。今、ネフィリムはこちらを捕まえようとした。やはりこの巨体からしてみれば自分など羽虫なのだろうか。サオトメの言葉が思い起こされる。
羽虫の些事。
それが自分達であり、これまでも、これからもそうなのか? だとすればベータに乗って戦っている自分は――。
その考えのせいか腕と脚部の付け根についていた円形の構造物が離れている事に気づかなかった。リョウマが気づいた時にはアラートのブザーが鳴り響く。円形の構造物から新たに赤い光条が放たれリョウマのベータを撃ち抜いた。完全に不意打ちの一撃に推進剤が射抜かれる。赤い危険信号の表示が幾重にもヘッドアップディスプレイを塗り潰した。
「嘘だろ……、おい!」
このままでは樹海に墜落する。リョウマは咄嗟に補助推進剤と反重力装置の機能をフルに稼動させた。寝ぼけた頬を叩き起こされた形で反重力装置に火が灯り樹海に激突寸前に機体がふわりと持ち上がる。墜落は免れたが圧倒的不利には違いなかった。こちらを睥睨するのは狗の形をした頭部だ。ネフィリムがまさしく羽虫を踏み潰すが如く、足を持ち上げる。
――まさか、ここまでなのか?
リョウマの意識を掠めたのはタツマとの当たり障りのない会話や、仲間との日々だったが、それよりもなお鮮烈だったのは幼少時に行き会った鬼の像だった。黒色の鬼の姿が網膜の裏から広がっていく。
その瞬間、その像を引き裂いた機影があった。赤い機体がベータでは考えつかないような速度でネフィリムへと直進していく。両肩から即席のミサイル弾頭を射出しネフィリムに攻撃する。爆発の光の輪が広がってネフィリムの身体を叩いた。
「あれは……」
あれはゲッターだ。だが誰が乗っている? リョウマの思案を読み取ったようにベータの通信網を震わせた声があった。
『……ナガレ。ナガレ・リョウマ……』
タツヒトの声だ。あの機体にはタツヒトが乗っているのだ。リョウマの確信よりも速かったのはネフィリムの動きだった。腕を振り上げ羽虫を払うかの如く赤い機体が風圧になぶられる。接近してからの事など考えていなかったのだろう。赤い鬼の機体はそのまま自然落下しようとしていた。
「やべぇ……!」
リョウマはそれこそ考えていなかった。思考せずにベータを機動させ、補助推進剤とメインスラスターを限界まで開きゲッターをアームで受け止める。赤い警報や警告メニューを全て無視してリョウマはコックピットから呼びかけた。
「おい! タツヒトって言ったよな? お前、大丈夫なのか?」
通信網を震わせたのは僅かな声だ。ほとんど呼吸音と大差ない。
『ナガレ・リョウマ……』
「無茶しやがって! こんなモンスターマシンで特攻なんて馬鹿げているぜ」
ゲッター自体明らかに飛行を想定していない。上半身のみの赤い鬼の中でタツヒトは呻いた。
『それでも、やらねばならないのさ……。人類の、未来を』
「喋るな、もう。後はおれが……」
そこから先の言葉を思わず飲み込む。どうするというのだ。圧倒的な戦力差を見せ付けられてネフィリムにベータでは敵わない事を突きつけられた。だからと言ってゲッターに乗れば勝てるという算段もない。畢竟手詰まりの状況にリョウマは歯噛みする。何も出来ずにこのまま散っていくというのか。
その思考にタツヒトが声を差し挟む。
『……ナガレ。お前ならば変えられる。レプリカントの、ネフィリムの好きにはさせない未来を創造出来るんだ』
「喋んな、って言ってんだろ。その声、もう肺も内臓もやられている」
慮った声にタツヒトは静かに笑んだのが伝わった。
『私は恐らく死ぬ。もう助かるまい』
「諦めてんじゃねぇよ。天下のサオトメ研究所だろうが」
タツヒトを助け出す手段くらいはサオトメが考え出すだろう。問題は今だった。ネフィリムが地を踏み締め樹海を進む。サオトメ研究所への再攻撃を許してはならない。だがベータのビーム兵器ではネフィリムの装甲に風穴一つ開けられない。
「どうする? もう推進剤も逝っちまってる。飛ぶ事も出来ねぇベータじゃただの的だぜ」
『方法は、ある』
タツヒトの声にリョウマは視線を振り向ける。赤い鬼の機体が自分を試すように睨んでいる。
『ゲッターを使え。ゲッターの攻撃ならばネフィリムに届く』
「何言ってやがる。不完全なゲッターでどうやって……」
その時、一つの考えが浮かんだ。だがそれは大きな賭けだ。しかしタツヒトはそれに託しているに違いなかった。リョウマはサオトメ研究所へと通信を繋ぐ。
「サオトメ研究所のメカニック! ゲッターのエネルギーチューブの規格は従来の機動兵器と同じか答えろ!」
何を問うているのか分からないのだろう。答えたのはミチルだった。
『ナガレ・リョウマさん? 何を言っているんです? 早く、ベータで撤退を』
「どこへ逃げるって言うんだ? 逃げ場なんてない。前にも後ろにも、おれには進むしかないんでな」
通信チャンネルが変わり今度はサオトメが出た。
『リョウマ。何のつもりだ? エネルギーチューブの規格なんぞ知ってどうする?』
「おれはメカニックに聞いているんだ。サオトメ研究所の、ゲッター担当のメカニック。エネルギーチューブの規格を教えろ」
通信に逡巡が混じる。しかし時間はない。今もネフィリムはサオトメ研究所を攻撃範囲に入れている。いつでも攻撃出来るが自分が立ちはだかっているから辛うじて攻撃していないだけだ。ネフィリムに比すれば自分など羽虫に違いない。だが羽虫なりの意地はあった。
「答えろ! 早く!」
急かす声にようやくメカニック担当らしき男の声が通った。
『エネルギーチューブの規格は、ベータ含む従来の機動兵器と変わりません。ですがこの状況で何を……』
その言葉を遮ったのはリョウマの決断だった。ベータのメインアームを動かし、あろう事かゲッターの内部へとベータのアームが差し込まれた。剥き出しのゲッターの接合部よりひねり出したのは銀色のエネルギーチューブである。その段になってようやくサオトメが勘付いたらしい。
『リョウマ。まさか、お前……』
「そのまさかよ! エネルギーチューブの規格が同じだってんなら!」
エネルギーチューブを繋いだ先はベータの所持するビーム兵器だった。重火器へとコネクタが通り外部火器管制システムが立ち上がる。リョウマは照準機構や複雑な設定を全て排し、ベータのコックピットから這い出た。手にはコックピットから引き出したボタンが握られている。煤けた風の中にネフィリムの巨体が浮かんでいる。ほとんど冗談としか思えない巨大さにリョウマは口角を吊り上げた。
「でけぇじゃねぇか。だがよ、でかいって事は、的も広いって事なんだよ」
足でベータのメインアームを操作する。ベータは腕を上げると真っ直ぐにその銃口をネフィリムに向けた。
『やめろ! リョウマ!』
サオトメの声が弾けた瞬間、リョウマはボタンを押し込んだ。
直後、空間を激震する緑色の光条がベータのビーム兵器から放たれた。明らかに出力の違うエネルギーの束が収束しネフィリムへと直進する。風圧に煽られリョウマはコックピットから投げ出された。周囲の樹木が薙ぎ倒され緑色の光が空を覆う。網膜の裏を焼きかねない一撃の行方をリョウマは見据えた。
ビームの照準はベータのメインアームがその衝撃に持たなかった事で僅かにぶれた。逸れたビームの切っ先が捉えたのはネフィリムの左腕だった。ネフィリムの腕の付け根に命中し、貫いた光が雲を裂く。リョウマは舌打ちする。コアを的確に狙ったつもりだった一撃は虚しく空を穿ったようなものだ。ほとんど通信の聞こえない聴覚の中で静かに響いた声があった。
『ナガレ・リョウマ、後は』
そこから先は声になっていなかった。途切れた通信にリョウマは全てを悟る。ネフィリムを倒せなかった。その悔恨が胸を締め付けた。
緑色に染まった空の下でネフィリムが甲高い鳴き声を発する。攻撃か、と身構えたがネフィリムは右腕を掲げて上空に黒色の雲海を形成した。あれはネフィリムが移動用に使うワームホールである。ネフィリムはそのワームホールへと逃げ帰っていく。リョウマは思わず叫んでいた。
「逃げんのか! てめぇ!」
だがこちらに戦う手段は残されていない。負け犬の遠吠えに過ぎなかった。ネフィリムの去った後、ようやく自分が何に守られているのかリョウマは戻ってきた視界の中で目にする。ほとんど原形を留めていないベータをゲッターが抱くようにして守っていた。もしゲッターに守られていなかったら自分もベータ共々粉々になっていただろう。リョウマは無駄だと悟りながらもゲッターのコックピットブロックへと歩み寄った。
ぽつり、ぽつりと雨が降り出す。リョウマはコックピットハッチに備え付けられている緊急射出レバーを回した。蒸気が棚引きコックピットが強制排除される。
コックピットに収まっていたのはタツヒトだった。白衣を血に染め、安らかに眠っている。このような戦闘の只中に安楽死出来た事がせめてもの救いだった。リョウマは無言で挙手敬礼する。
タツヒトの勇気に。ゲッターに未来を託した男の人生に。
サオトメ研究所からおっとり刀のベータ部隊が押し寄せてくる。もう戦闘は終わったのだ。一人の犠牲を出してネフィリムは後退した。
ベータに乗り合わせていたサオトメがタツヒトの死に様を目にする。リョウマは問いかけていた。
「何も感じねぇのか?」
「これもゲッターのために必要な犠牲よ」
リョウマは拳を振り上げる。サオトメへと迷いなく打ち下ろしていた。サオトメの身体が転がる。すぐさま隊員達がリョウマを取り押さえた。
「てめぇ! タツヒトはゲッターとやらの理想に殉じたんだぞ!」
やり場のない怒りにサオトメは口元の血を拭って応ずる。
「ゲッターは健在だ。そしてリョウマ、お前というカードもな。これは最良の結果であったと言えよう。新たなタイプのネフィリムに対してゲッターが有効であったという事を示せた」
どこまでも冷淡なサオトメの態度にリョウマは噛み付かんばかりの気迫で詰め寄る。
「研究員の、てめぇの側近じゃねぇのかよ!」
サオトメは白衣に付いた泥を払って、「知らんな」と背中を向ける。リョウマが隊員達の拘束を振り解こうとすると声が弾けた。
「何も知らないくせに偉そうな事を言うな! タツヒトさんは、博士の実の息子だったんだぞ!」
その言葉にリョウマは硬直する。本当なのか、と問い質すまでもない。背中がそうだと語っていた。この狂科学者は自分の息子の死に様でさえも研究の糧にするとでも言うのか。怒りと共にリョウマは波のように悲しみが押し寄せてくるのを感じた。もし自分が最初からゲッターに乗ると言っていればあるいは、タツヒトは死ななかったかもしれない。その遅過ぎた後悔が胸を締め付ける。自分ならばゲッターを扱えたかもしれないのだ。
サオトメは空を仰いでいた。ネフィリムの後を執念で追いすがる老人の姿にリョウマは何も言えなかった。
怨敵だ、と言えばよかったのだろうか。
それとも貴様のせいだと糾弾すればまだ楽だったかもしれない。
だがそれは許されないのだ。サオトメは自らの胸中が思いのほか凪いでいる事に驚愕する。息子の死を悲しむでもなく悼むでもなく、ただ事実として受け止めている。ゲッターのために必要だった。それだけだ。今までもそうだった。これからもそうだろう。ゲッターのために死んだ人間はゲッターにいずれ生かされる人命のためのものだったと。
だから後悔も、ましてや人並みの悲しみも背負っていないつもりだった。だがこの時ばかりは自然と目頭が熱くなった。ぐっと堪える。涙は見せまい。それは侮辱に繋がるからだ。タツヒトは全てを分かった上でゲッターに乗った。その行為を侮辱する事だけは自分でも許されない。
「これでいい」
そう繰り返し呟いた。これで、ゲッターとリョウマさえ生き残っていれば、全てはこれでいいのだ。
ぬかるんだ地面は下駄の音を吸収し、サオトメに退路さえも許していなかった。
第一話終了です。果たして地獄を征くリョウマとサオトメの運命はどうなるのか。第二話に続きます。