原典がある地下へと続く一本道がまるで絶望の淵へと自らが歩んでいるかの様な錯覚と共に魔法近衛師団は歩み続けていた。
今までに近衛師団が招集された記憶は殆どないに等しかったのは、ひとえに新ソ連へと進行する国家が無かった事が最大の要因だった。
本来であれば烏合の衆と何ら変わらないと思われていた部隊では有ったが、今回招集されたのはその中でも実戦を繰り返し経験している精鋭揃い。
突如として招集された内容でもある原典の強奪はある意味では国家そのものを破滅へと導く可能性を秘めていた。
「どうした骸骨。まだ粘るのか?」
骸骨の騎士と蒼の戦いは徐々に蒼へと天秤が傾きつつあった。本来であれば両者の戦闘能力からすれば骸骨の騎士の方が優勢なはずだったが、些細なレベルとも取れる僅かな油断が尾を引いた事により、終始防戦気味になっていた。
一番の要因は蒼の事を単なる魔法師だと考えた結果でもあった。
原典が地下に何の警護も無しに無造作に置かれたのは原典そのものの存在にあった。
表向きは単なる古典にしか過ぎないが、歴代のトップに語り継がれていたのは、原典の本来の意味はそれに憑いた思念体の存在だった。
国家が誕生した際にどの様な形で持ち込まれたのかを知る者は既に居ない。歴代の人間が全て口伝によって意味を理解する事なくただ伝えられていただけだった。
そんな中で唯一伝えられていたのは原典が国家を守護する事だけ。旧時代のソ連から今日に至るまでにこの国は幾つもの戦争を各方面で起こしていた。
戦争は負けなければ、最終的には勝利となる。これまでにも危機は何度も訪れる事はあったが、時折奇跡とも言える事が起こり、結果的には勝利へと導いていた。
当初はただ勝利に酔いしれていた上層部も少しづつではあるが、それは原典に由来する物である認識を徐々に持ち始めていた。
勝利を約束された原典の消滅は国家の最大の危機でしか無い。今正に新ソ連は存亡の岐路に立とうとしていた。
『人間風情が何を言う』
「おいおい。やせ我慢は止めた方が良いぞ。そんなボロボロな身体で既にお前の未来は見えたも同然だ」
お互いの戦闘が始まり既に1時間以上が経過していた。本来であれば想子が先に枯渇して限界を迎えたはずだったが、目の前の若い魔法師は未だに魔法が発動している。それが何を意味するのかが骸骨の騎士には理解出来なかった。
このまま千日戦争に突入するのでは無いかと思われた時だった。何者かがこの部屋へと向かっている。骸骨の騎士はそれが何なのかを直ぐに理解していた。
『貴様こそ、ここまでよく粘った……だがここまでだ』
何かを察知したのか、骸骨の騎士は扉のそばへと移動する。程なくして何かの音が聞こえてきた。
「元帥。お聞きしたい事があります」
「何だ?」
「我々は原典の強奪犯の殲滅と聞いてますが、肝心の賊はどの様な輩で?」
魔法近衛師団が緊急招集されるだけでなく、目下の任務の内容が原典に関する事は過去に遡ってもありえなかった。
目的の物がレプリカであれば直ぐに引き返すのが手っ取り早いが、問題は本物がどこに保管されているのかを知り得る人間はごく僅かにとどまった事が影響したのか、今回の任務を完全に理解してい無いと思われる人間が何人かいた。
本来であれば十三使徒でもあるイーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフが戦場に来る必要が無い。
にもかかわらず大統領命令で出動してる事からも今回の任務の異常さは誰もが感じていた。
「今回の件は詳細は不明だ。ただし、狙っている物からすればこれを看過する訳にはいかない。だからこそ我々に求められるのは結果だけだ」
元帥の言葉に誰も反論出来る者はいない。話をしながらも歩みが止まる事は無く、先へと進む事だけだった。
あと数分も歩けば目的地へと到着するかと思われた矢先だった。突如して部隊の数名が倒れはじめていた。
地下への通路に罠があるはずが無いのは周知の事実ではあるが、突如として起きた事態に部隊全体に動揺が走っていた。
「おい大丈夫か!しっかりしろ!そっちはどうだ!」
「こっちも意識がありません!」
「元帥。部隊3名の意識がありません。周囲に毒物の気配は無く、原因不明です。如何しますか?」
軍属の人間が一番恐るのは戦わずして倒れる事でもある。ましてや新ソ連でも精鋭中の精鋭とも言える魔法近衛師団が出動している緊急事態と銘打ったこの作戦では目的が目的なだけにイタズラに戦力を消耗させるのは戦略上得策ではない。
既に目的地までは目と鼻の先とま言える距離。今の部隊にとって退却の二文字は存在していなかった。
「直ぐに決着をつける。全員そのまま進軍だ」
敢えて現状を見ず目的を最優先としたのか、再度進軍を開始する。その先に何があるのかはこの時点では知る由も無かった。
『丁度良い物が来たようだ』
骸骨の騎士はまるで待ち構えたかの様に入口付近に移動すると同時に周囲に瘴気を発生させている。それが何を意味するのか蒼は直ぐに理解していた。
漏れ出した瘴気が周囲に拡がると同時に靄の様な物が骸骨の騎士へと寄ってくる。その靄の正体は蒼も知っていた。
魔法科高校に入学した際に蒼が使った魔法と同じ効果を持つそれは、奇しくもこの場所に向かっていた魔法近衛師団が供物となった結果だったのか、その場にた全員が生気を一気に吸い上げられていた。
『我の力を見くびるな小童が』
骸骨の騎士が持つ弓が怪しく輝く。それが何を意味するのかは考えるまでもなかった。
「へぇ、奇遇だな。まさか同じ事を考えていたとはな。骸骨風情と同じなのがムカつくんだがな」
蒼も同じく気配のあった場所に当たりをつけると同時に、想子だけでは無く霊子も一気に吸い上げる。その瞬間、蒼の想子が再び膨れ上がったかの様に体内で膨張していた。
『貴様はまさか!』
「それ以上の暇はやらん!」
骸骨の騎士がその現象が何であるかを理解した瞬間、蒼からは数える事すら困難な程の夥しい光の弾丸が放たれていた。
「大佐。魔法近衛師団との連絡が途絶えました。消息は不明です」
「馬鹿な!通信機の故障では無いのか!」
魔法近衛師団を送り込んだ戦闘指揮所を戦慄が走る。
通常の戦場とは違い一本道で行方不明になる可能性は無い。そんな中で通信が途絶えるとなれば異常事態が発生する以外になかった。
「通信にノイズが出てますので、何か強烈な磁場が発生した可能性があります。しかし、観測出来る物は何一つありません」
情報下士官は淡々と状況だけを伝えている。いや、突如として起こった出来事に理解が追いつかないだけだった。
『人間風情に負けるとはな。最後に負けたのは既に何千年前だろうか』
光速で放たれた弾丸は骸骨の騎士を貫くだけでは無く、その後も執拗に襲いかかっていた。
光速で襲い掛かる弾丸は周囲の全てを貫通するだけではなく、まるで獲物を見つけた猟犬の様に、執拗に何度もその身体を貫いていた。
不幸にも原典を護るべくその場へと向かっていた魔法近衛師団までもがその餌食となり、それぞれは魔法を行使する間もなく全員の身体まで貫通すると同時に、骸骨の騎士と蒼が想子と霊子、生気を一気に吸い上げた結果、魔法師の肉体は一気に干からびると同時に、まるで風化したかの様にそのまま塵となっていた。
周囲を大きく巻き込んだ一撃が致命的な物となった事により、周囲の壁に大きな衝撃が走る。ここでは分からないが、恐らく地上では大規模な地震が発生したのではないかとの憶測が広がる程の衝撃がエルミタージュ美術館の地下を襲っていた。
今まで戦っていた骸骨の騎士の身体には既に生気が宿る事は一切ない。既に時間が一気に経過したかの様に身体が風化し始めていたと同時に戦闘が終結した事を告げていた。
「だから言っただろ。下僕風情が主に勝とうなんて無駄な事だとな」
『我を倒したからと言って良いに気になるな。まだ他に3体居る事を忘れるな』
身体が朽ち始めると同時に思念体へと姿が変貌していく。このまま何もしなければそれで終わるはずだった。
「貴様には特別に俺の中で生き続けて貰う。そのまま糧となれ」
蒼は一言言うと同時に掌をかざすと、掌はうっすらと光を帯びていた。自分の体内にその力を吸収した瞬間、原典はまるで役目が終わったと言わんばかりにそのまま塵へと変化していた。
「蒼!」
アヤの体内で何かが弾けたかと思った瞬間、浅い眠りから一気に覚醒していた。ホテルは元々スイートだった事もあってか、隣の部屋のベッドに向かうと寝ているはずの蒼の姿は無い。
しかし、自身の体内に何かが息づく感覚が元々蒼の物である事だけが直感で理解できたと同時に、この地での目的を果たした事だけが理解出来ていた。
今回の件に関してはアヤは詳細は知らされていない。ただエルミタージュ美術館の中を巡っていた際に、概要だけは聞いていた。それが何を意味するのかまでは知らされていないが、それでも今のアヤには唐突に理解出来た感覚だけが残っていた。
時間は既に夜明けとも言える時間。窓の外にはうっすらと明るくなりはじめた空だけがあった。
「ただいま」
「おかえりなさい」
先ほどまで人外の戦いをしていた事すら感じさせないままに蒼は部屋へと戻ってきた。出かける間際の事は眠らされたからなのかアヤは記憶が怪しいものの、いつもの蒼の姿がそこにはあった。
「どうなってるんだ!イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフは十三使徒だぞ。まさか死んだとでも言うのか!」
魔法近衛師団との連絡が途切れた事だけでなく、想定外の出来事から新ソ連の軍上層部は情報の錯綜を続けていた。
既に途切れてから数時間が経過しているにも関わらず現地に行けないのは、ひとえに蒼と骸骨の騎士との戦いによる強烈な磁場が形成されていた事が原因だった。
魔法師が使うCADは精密機器であると同時に、魔法式を構築している事もあってか、取扱いに関しては厳重な物となっているのが一般的でもある。いくら魔法に関する事とはいえ、高密度の磁場の中ではどんな結果を生むのかは言うまでも無い。
仮に現地に行けたとしても跡形も残らず塵となったその場所で何が起こったのかを確認する術は今の新ソ連軍には無かった。
「そう言われましても連絡が取れないのであれば、我々も動く事が出来ません。最悪の事態も想定しない事には…」
「一体何が起きたんだ。万が一の際には……」
「大佐。大統領府からこの度の作戦についての確認の為に出頭要請が出ています。30分以内に大統領執務室まで来る様にとの事です」
情報下士官からくる内容は絶望の一言だった。恐らくこの大佐は十三使徒の死亡と原典の件で早晩にでも責任をとらされる可能性は高く、恐らくは早ければ明日までの命である事は、その場にいる全員が理解したと同時に、次に責任を被るのが誰なのかを戦々恐々としていた。
「そうか。承知したと伝えておいてくれ」
「了解しました」
情報下士官の言葉に大佐は絶望の表情を浮かべている。既に今回の作戦が失敗に終わった事は大統領府にまで伝わっていたのか、情報下士官から聞いた言葉に大佐の表情はこわばったまま、その部屋から退出していた。
「これで一先ずこの国での要件は済んだ事だから、次の国へと移動だな」
徹夜明けとも言える状況から戻ってきたにも関わらず、それなりのの量がある朝食をカフェテリアで食べながら蒼は朝のニュースを見ていた。
ニュースでは昨晩の地震については公表されていたが、原典の紛失については何も報道されていない。
元来、厳重に秘匿された事だけではなく原典そのものの存在を知らないのであれば、政府が公表しない限り報道のしようが無い。
事実、原典の源泉とも言える力は蒼の体内で今はただ沈黙を保っている。既に事実を公表する事すら出来ないまま新ソ連の上層部は真相究明をする事も出来ないと同時に、十三使徒でもあるイーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフの死亡すら秘匿する事しか出来ないままだった。
公表すれば世界の軍事バランスが大きく歪む事になる。戦っていた蒼は当時何かが部屋に来た事は知っていたが、それが何であるのかは知る由も無い。
周囲を巻き込んだ攻撃が全てを灰塵と化した以上、仮に現地に赴いたとしても確認すら出来ないままだった。
「もうこの国から出るんですか?」
「予定だともう少しここに滞在できるつもりだったんだがな……まあ、済んだ事は仕方ないだろう」
九校戦に出場しなければ時間にもゆとりがあったが、今回は最低でも二か国は回るスケジュールとなっている。そうなればすぐにでも行動に移す事が出来なければ、予定が大幅に狂う可能性があった。学校がある以上、長期の休みでなければ動く事が困難であるのは今更でもあった。
「時間もあまり無いからな。このまま正規の予定で行けば学校が始まる。恐らくだが、報道はされてないが、暫くの間は水面下で出国が厳しくなる可能性もあるだろうから、早めに動くに越した方が良いだろう」
まるでこれが日常だと言わんばかりに蒼は紅茶を飲み干すと同時にこれからの予定を思い出していた。
既に次のフライトが決まっている以上、次の目的地へと移動すべくチェックアウトの準備を急いでいた。