佐渡侵攻の一報は直ぐさま一条の家に届くと同時に、この戦闘に関して剛毅は記録しておく必要がある事を考えていた。今回の戦いに於いてどの国が侵攻して来るのかを見極めるだけでなく、師族会議での議案として出た際に確認出来る手段としての側面だった。
弘一との話だけを考えても、仮に師族会議で根拠を示せと言われた際に、無手のままでは言葉の信憑性はゼロに等しいと判断した結果だった。今回の作戦がどんな位置付けなのかは届いた通信でも話し合われている。今後開催されるであろう会議の事を完全に記憶から消し去り、侵入する賊に対しての防衛へと意識を変更する。過去の事案を決して忘れた訳では無い。
既に剛毅の目には目前に迫る戦闘へと意志が向けられていた。
「住民はどうなっている?」
「既に住民は地下のシェルターに退避済みです。完全ではありませんが、周囲の状況を考えると以前の侵攻とほぼ同じか、それよりも僅かに多い位の数です」
以前の侵攻の言葉に当時の状況が思い出される。当時は明らかに初動が遅れた事が原因で戦線の維持が厳しかっただけでなく、用兵された戦闘魔法師の数が多かった事が要因となっていた。しかし、今回の佐渡の侵攻は以前の様に魔法師の部隊があるかと言えば何とも言えなかった。
その原因はリーナがアヤに向けて発した言葉。もし、それが最悪の展開であったとするならば、この地に来ているのはどの国なのかは剛毅だけでなく、他の誰もが直ぐに理解していた。
「そうか。既に上陸した部隊はあるのか?」
「今回は初動が早かった為に、数はそう多くはありませんが、
返ってきた言葉に剛毅は僅かに頭を痛めていた。全部が完全に上陸した訳では無い事は良かったが、かと言って残された時間もそう多くは無かった。今の時点で現地の到着まで最速で5分。そこから指揮の準備は部隊の配置をする頃には完全に上陸が終わるのが目に見えて分かっていた。
怒りが無意識に出たからなのか握り拳に力が入る。言葉では無くその行動が今の剛毅の心情を雄弁に語っている様にも見えていた。
「それだけあれば十分だ」
時間の制約が厳しい状況にも関わらず、一人の男が放った言葉に全員の視線が一斉に向く。その先に居たのは不敵な笑みを浮かべた蒼だった。時間の制約があるのは間違い無いが、それが何を意味するののかが理解出来ない。この状況下で出た言葉の真意をその場にいた全員が測りかねていた。
「説明は面倒だ。俺はここから少し先のポイントで降下する。剛毅さんは急ぐ事無くやってくれ」
降下の言葉を理解したのは剛毅だけはない。その場にいたアヤと将輝、参謀として付いて来た真紅郎の4人だけだった。本来であればパラシュートで降下すれば的にしかならない。仮にここで飛行魔法を使おうものなら想子を無駄に消費する可能性の方が高い。そんな簡単な原理は誰もが知っているからこそ、その先の言葉を待っていた。
「大丈夫なのか?」
「ええ。問題ありませんので」
剛毅の言葉に返事はするが、その方法は語られていない。一度やると言った以上、その言葉を覆す様な事はしない事位は理解している。今の剛毅に取って出来る事はその言葉を実行させる事だけだった。
「さてと。そろそろ現地だが、将輝。お前、本当に大丈夫なのか?」
「一々気にする必要はないだろ?そんな今さらな事聞くなよ」
「降下中に銃弾が飛んできてもか?」
「………」
蒼が提案したのは重力の操作による落下速度の調整だった。確かに魔法科高校でもその修練はあるが、まさかそれがこんな実戦を想定しているとは思ってもなかった。しかし、重力の操作に集中すれば他の魔法がおろそかになる。考えとしては間違っていないが、それでも心配する部分は他にあった。
通常の銃弾であればまだしも、対魔法師用のパワーライフルとなれば話は変わる。幾ら将輝と真紅郎が問題無いと判断しても、細かい作業を要求される重力の操作と並行して出来るのかと言えば言葉に詰まるのは当然だった。
「心配するな。対策なら立ててある。将輝はアヤと一緒に降下しろ。俺は真紅郎と一緒に降下する。じゃあ、剛毅さん。後は任せた」
剛毅の返事を聞く事も無く上空からスカイダイビングを彷彿させるかの様に一気に降下していた。1分にも満たない無重力感で周囲の状況を確認する。既に所々では戦火が起こっていたのか、幾つかの集落は炎に包まれていた。
「真紅郎。例のCADは将輝に使わせてくれ。実戦こそがデータを取る最大のポイントだ」
「なるほど。だからも僕にも連絡が来たんだね。でもそれなら蒼がやれば良いんじゃないの?」
「最初はそう思ったんだが……これから言う事はその時が来るまであいつには言わないでくれ。俺は長くはもたない。今後の事に関しては全て剛毅さんに頼んであるが、心配事が無い訳ではない。だからこそお前にこうやって話してる」
空中から落下する際に聞こえる声は殆ど無い。大気を切裂くかの様に聞こえる風切り音が阻害するからだが、今の2人は僅かに大気の流れが緩やかになっていたからなのか、会話が可能となっていた。
こんな場面で聞かされる話しではない。本来であればもう少し畏まった状態で聞くのが筋だが、この状況を作ったのは話しをする為だと気が付いたからなのか、真紅郎は蒼の言葉を黙って聞く事にしていた。
「詳しい事はこれが終わってから聞くよ。だけど、言いたい事は分かった。僕は将輝の参謀であると同時に君達の良き友人でもある。だとすれば安全になってから全ての事を聞かせてもらうよ」
真紅郎の言葉に蒼はそれ以上の言葉を発しなかった。既に意識は地上へと向けられているからなのか、その視線が緩む様な事はない。時間にして僅かの出来事。隣にいた真紅郎が蒼を見た時には既に準備は終わっていた。
『黒き炎よ。今こそ、その真なる物を纏い彼の物呼び起こし我が命に答えん。さすれば自由となりて全てを喰い破れ』
用意された3枚の札が黒い炎に包まれる。本来であればこの自由落下であれば炎が付く事はあり得ないかった。物理現象ではなく何らかの魔法の要素があるからなのか、真九郎は内心驚きならがも今起きている現実を見ている。
何時もの蒼とは違う別の何か。今の真紅郎はそんな風に蒼を見ていた。
『来たれ炎虎』
3枚の札が空中に放たれると同時に、黒い炎が札を包み込む。何時も使う魔法のはずが、何かが確実に違っていた。真紅郎が知っているのは炎に包まれた虎だが、今目の前から落下しているくそれは虎でありながらどこか違和感があった。
黒い色彩は隠形性に優れるからだが、落下する虎の大きさはこれまでに見た事が無い程の代物だった。僅かに聞こえる音と同時に3体の虎はこれまでに見た事が無い程の躯体を器用に動かしながら落下している姿だった。
遠目から見ても優に全長は5メートルを超えている。そんな猛獣が着地と同時に一気に多方面へと走り出していた。
「直ぐに開始だ。哨戒用ドローンは直ぐに飛ばせ」
蒼達が降下すると同時に剛毅もまたこれからの事を考え直ぐに行動を開始していた。
詳細は現地に近づくにつれ着々と更新されていく。敵の兵装がどんな物かまでは分からないが、この時間に入るまでの被害状況から割りだした結果、銃装備と幾つかの投擲弾。それと戦闘用魔法師の小隊が配備されている事実だけだった。
既に幾つかの居住区が火災によって被害が出ているが、それも小さな規模だった。今回の戦いは以前と同様に事実上の宣戦布告に近い物だった。ここを足掛かりに拠点を構築し、本土に向けての前線基地の配備は防衛する側からすれば厄介な代物だった。
距離があれば迎撃は容易いが、佐渡程の至近距離となれば話しは大きく変わる。当時の状況を今だ覚えている人間が佐渡に居る以上、被害は最小限度に留めたいとの思惑があった。そんな中で最大の懸念事項が蒼が行使するであろう魔法の破壊力だった。以前の侵攻の際には周囲を跡形も無く吹き飛ばした為に、草木一つ残らない焦土がいくつも点在している。何も無い場所だった為に復興の妨げにはならなかったが、今は既に市街地戦となっている。
掃討作戦に於いては神速が要求されるのは今に始まった事では無い。
今後の事も考えて今はその状況を確認する事が先決だった。
「画像送ります」
「被害状況は?」
「建築物に対する被害は現在の所変わりありません。敵の勢力は未……だ……」
情報官の言葉が不意に止まった事に剛毅は違和感を感じていた。4人が降下してからまだ時間はそれほど経過している訳では無い。只でさえ、将輝だけでなく真紅郎やアヤも一緒に居る為に、何かしらの戦闘が起こるとは思っていたが、あまりにも静か過ぎていた。
言葉が詰まる情報官の顔色が僅かに青くなっている。確認とばかりに画面を見た剛毅も絶句する光景が広がっていた。
3体の黒い虎が音も無く敵兵の上半身を一齧りすると、赤い液体が入った水袋を破ったかの様に血の海が広がっている。餌を探すかの様に敵兵を見つけると、兵士との距離は一気に縮むと掃除に齧りながら移動を繰り返す。全長が明らかに大きいそれは自然に生息している生物ではなかった。
意志を持つかの様にそれらは音も無く移動を繰り返す。ドローンが発見出来たのは奇跡に等しい状況だった。戦争に慣れているとは言えないまでも、それなりに凄惨な状況を見ているはずの情報官が絶句するのは偏に異質な光景が延々と繰り広げられていたかに過ぎなかった。
銃器が発するマズルフラッシュの後で聞こえるのは僅かに漏れる悲鳴だけ。上半身だけを齧るそれは明らかにに生物の範疇を超えていた。
「市街地の兵はあれにまかせれば問題無いだろう。俺達は上陸しそうな物を潰すだけだ。真紅郎、例の物を将輝に渡せ」
蒼の出した虎についての説明は聞くまでもなかった。目の前で出した以上、魔法である事に間違いは無いが、今どんな状態になっているのかは知る由も無かった。密林に住まう虎の様に、音も無く確実に敵兵を食い散らす。
現地には敵兵の下半身だけがあちらこちらに残されている。住民が完全に避難している為に、その惨状がどれ程ショッキングなのかは後々の話だった。
「将輝。これを」
真紅郎が渡したCADは嘗ての魔法を改良した物がインストールされていた。殺傷能力を見れば将輝自身が、一条が使う爆裂をも簡単に凌駕する代物。内容を知っている将輝でさえも、これを手にする事に一瞬だけ覚悟が必要だった。
如何に爆裂の魔法が死に直結するとは言え、これはその威力すら陳腐にも見える程。まだ公表はしていないが、使い方によっては確実に戦術級、若しくは戦略級の魔法であるのは間違い無かった。
「ああ。だが……」
「将輝。使わないならそれでも構わん。だが、こちらが躊躇したからと言って相手は遠慮はしないぞ。ここが落ちれば敵は直ぐに能登半島や新潟から上陸するだろうな」
蒼の言葉は態々言うまでも無い事実だった。佐渡が侵攻されればその戦火は直ぐに北陸へと飛ぶ。既にここに来るまでに所属の国が不明である事は知っているが、それが何を考えているのかは理解する必要は無かった。
既にこの地が戦場となっている。だとすればそれ以上の事は考えるまでもなかった。
「一体どうなってるんだ!」
国籍不明の兵士は目の前で起こる惨劇に動揺したままだった。市街地に入った途端、これまで見た事も無い黒い虎が音も無くこちらに襲いかかっていた。
当初は血に引き寄せられた程度の感覚しかなかったが、邪魔だと攻撃した瞬間全てを理解していた。パワーライフルの銃弾が虎に向けて放ったまでは良かったが、その後の光景は常識の枠から逸脱していた。
放った銃弾が虎の目の前で蒸発し消え去る。生物であればあり得ない事実に呆然とした者から一気に上半身が消え去っていた。一口で齧られた後に残るのは腹部から下だけが残されているだけ。虎は咀嚼する事も無ければ口の周りに血が付く事もなかった。黒い躯体の中に浮かぶ紅玉の様な双眸が兵士に視線を固定する。対峙した兵士はこれ悪夢なのかと思う程だった。
「とにかく撃て!撃ちながら様子を見るんだ!それと同時に化成体と魔法も併用しろ!」
正体不明の虎に対し、地面から浮かび上がった化成体が一斉に虎へと飛びかかる。狼を思わせるそれが躯体に到達した瞬間、その場に居たすべての兵士の思考が停止していた。
化成体は魔法を使った物の為に、破壊される概念は無い。術者でもある本体を攻撃しない限り無限とも取れる程に湧く事が可能となっている。にも拘わらず、虎に接触した化成体は全て消滅していた。それだけではない。放たれた魔法は虎の眼前で霧散している。瞬時展開された障壁をそれを拒んでいた。
「そんなバカな…化成体が魔法を使うだな……」
動揺しながら言葉を発していた兵士が全てを語る前に虎は一気に齧りつく。態と音を聞かせる為なのか、咀嚼音を出しながら飛びかかっていた。下半身だけが残された身体からは腸が飛び出し、周囲へとばら撒くかの様に散乱している。血だまりの中に沈む下半身を直視した兵士は既に平常心を失っていた。
幾ら戦場で鍛えたとは言え、目の前に迫る獣から逃げ切れる事は不可能であると悟り、自身は単なる餌に過ぎないと自覚した者はその場で座り込む。虎は如何なる状態も関知せずとばかりに食い散らかしていた。
白旗を上げた所で獣が理解出来る道理はどこにも無い。今出来る事はこの場から一刻も早く逃走する事だけだった。
「何だあれは」
剛毅の言葉が出たが、それ以上先の単語は何処にも無かった。市街地を荒らす害虫駆除か、若しくは生餌を食い散らかす為に放たれただけの様にも見える虎に対し、どう表現して良いのかすら分からない。その結果が剛毅が発した言葉だった。
虎を出す魔法を蒼が行使できる事は剛毅も知っている。しかし、以前に見せられたそれは炎で象られてはいたが、魔法を行使した記憶は無かった。目の前の黒い虎は自ら障壁を展開し、魔法を防ぐ。本当に生きていると錯覚させる程に生々しい物だった。
「分かりません。これまでの様子を見ていると敵兵だけを始末している様です。既に市街地からの撤退が始まっています」
情報官は周囲の状況とこれまでの様子を次々とカメラを通じて
「敵兵の一部が白旗を上げていますが、どうします……」
画面に映された光景は地獄絵図にある不喜処地獄そのものだった。白旗を上げようが虎が人間の行動を理解出来る道理は無い。白い旗が最初から存在しない様に食い散らかすそれを形容する言葉は無かった。
「映像で見る限り、虎が人間を食らっただけで、我々が預かり知らない事だ。仮に裁判になった所でどうしようもないだろう。周囲へと向かっている部隊に連絡。市街地には近寄るな。行けば命の保証は無い」
剛毅の言葉に誰も反論する事が出来なかった。国際法で白旗を上げれば攻撃は停止する必要がある。しかし、見たそれは人間同士の話であって、獣は対象とはしない。仮に魔法だと仮定した所で一度行使された魔法が途中で消す事が出来ないのは自明の理でもあった。
このままの状況であれば殲滅は時間の問題。だとすれば、今出来る事は周辺に居る部隊の人間をその場から撤退させる事だけだった。
「市街地の掃討は終わった様だな。後はこっちだ」
市街地で何が起こっているのかを理解しているのは蒼だけだった。生命反応は既に感じる事は無い。今やっているのは食い散らかした下半身を片付けている最中だと言う結果だけだった。沿岸部には既に戦闘が始まっているからなのか、銃声が聞こえる。
防衛の為に銃撃戦が行われている場所から離れた地点に蒼達4人は居た。眼前にには揚陸艦と思われる船が4隻。そこを拠点に何艘ものボートが移動しているのが見えていた。
「将輝。先に言っておくが、それを行使すれば確実に何かしらに登録される可能性が高い。その覚悟はあるのか?」
蒼の言葉の意味は全員が理解していた。過去にも行使された魔法ではあるが、当時は蒼の存在を確認出来た訳でない為に、術者不明のまま戦績に残されている。しかし、今は十師族でもある将輝がそれを行使するとなれば確実に何らかの情報は軍部に登録されるだけでなく、示威行為の為に戦略級としての登録の可能性もあった。
既に世界中での混乱により戦略級魔法師の数は減少している。USNA、新ソ連、大亜連合の魔法師は公式には認めていないが、既に居なくなっている事は暗黙の了解。非公式で保有している可能性はあるが、今はその確認が出来ないのか、それとも隠しているのかは分からない。事実、大戦は始まっている様な物である今ならば、確実にそれが一魔法師としての分水嶺にさしかかっていた。
「作ったなら使うんだろ?面倒になるのは仕方ないだろ。大体人を焚き付けておいて今さら何を言ってんだ」
「確かに。まぁ、覚悟を決めたんならサッサとやるんだな。クリムゾンプリンスの名が泣くぞ」
蒼の言葉に何時もの調子が戻りつつあったのか、将輝は先程までと打って変わって冷静な目で見ていた。有効射程距離はハッキリとは分からないが、隔絶した魔法が行使する結果を知っている以上、細かい部分までは確認の必要は無かった。
大よその見当だけをつけ、自分の持つCADと大差ないそれの引鉄を目標物に対し三度引く。その瞬間、障壁らしき球体が揚陸船を囲っていた。
展開された球状の障壁が内部を隠すかの様に黒く染まる。改めて引鉄を引いたその瞬間、轟音と共に蒸発したのか海面が大きく揺らいでいた。周囲一帯に水蒸気による霧が発生している。先程まであったはずの揚陸船が丸ごと消滅していた事実が物語ったのはたった一つの結末。非公式の戦略級魔法が行使された事実だけ。この魔法が全ての戦場を一気に優勢へと傾けていた。