暗の使い魔   作:Luta

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第九話 『メイド奪還戦』

太陽は西に沈みかけ、空が茜色に美しく染まる。煌く星々がその空に顔を覗かせようとしていた。

そんな刻限、モット伯の屋敷へと続く道を、一つの奇妙な物体が疾走していた。

薄茶色に汚れた球体が、土埃を舞い上げながら高速回転する。この奇妙な物体こそ、黒田官兵衛の変じた姿。

その速度たるや、並みの馬では追いつけぬ程であった。

『災い転じて』。黒田官兵衛が得意とする奥義の一つである。

繋がれた鉄球にしがみ付き、共に転がる事で馬以上の速度と突進力を得る技である。

その猛牛のような突撃を止める手立ては無いが。

「ありゃあっ!」

木や壁に激突すると、即座に身動きが取れなくなってしまう欠点があった。

どしいん、と官兵衛がカーブを曲がりきれず木に激突する。鉄球から投げ出された身体が、激突した木に逆さに貼り付く。

バンザイした状態の、なんとも間抜けな格好のまま、官兵衛はへなへなと地面に崩れ落ちた。

「……時間が無い」

官兵衛は即座に起き上がり、鉄球にしがみ付く。そして再び鉄球と共に高速回転し疾走した。

官兵衛は今、一直線にモット伯の館を目指していた。

 

 

暗の使い魔 第九話 『メイド奪還戦』

 

 

「全く、あの使い魔ったら、一体何処に行ったのかしら。」

一方学院では、自室から忽然と姿を消した官兵衛をルイズが探していた。

あの後、ルイズたちはその熱意をくまれ、見事探索隊への志願を認められたのだった。

最初は教師一同学生を送り出す事に難色を示していたが、彼女らが敵を見ている事。

彼女ら自身(ルイズを除く)が、折り紙つきの実力者であることを理由に、渋々承諾された。

また、コルベールなどは、官兵衛の事に対してしきりに何かを訴えようと興奮していたが、

オールド・オスマンに口止めされていた。

二人の様子が妙に引っかかったルイズであったが、ひとまずこれでよしと、官兵衛を連れに部屋へと戻った訳である。

しかし戻ってみれば、部屋はもぬけの空であり、置手紙の一つも無い。

もっとも官兵衛はまだこちらの文字を習得していないので、仕方の無いことであったが。

そのためルイズは憤慨し、今に至る訳である。

「この時間だし食堂にでもいるかしら?」

ルイズは急ぎアルヴィーズの食堂へと向かった。

 

「ああモンモランシー、いつ見ても君は美しい!例えるならラグドリアンの湖面に浮かぶ精霊の輝きのように!」

「ふーん、そのセリフはもう何回目かしら?」

「ええと、そうだなそれじゃあ――」

ギーシュ・ド・グラモンは、食堂で恋人のモンモランシーと優雅に夕食を楽しんでいた。

歯の浮くようなセリフをだらだらと並べ立てるギーシュ。

その言葉に対してツンと澄ましたまま、あれこれ文句をつけるモンモランシー。

「(はぁ。彼女の機嫌を取るのも楽じゃないよ……)」

心の中でごちるギーシュ。

そんな彼の元に、一人の男が現れたのは、ルイズが部屋に戻る30分程前の事だった。

「お、丁度いい。おい金髪の!」

食堂で食事をしているギーシュを見つけるやいなや、突如官兵衛はギーシュに詰め寄った。

「なっ、君は!ルイズの使い魔の……えーっと」

「官兵衛だ」

「カンベエ、そんな名前だったね。一体何の用かね?僕らは見ての通り忙しいんだ。」

ギーシュは困った顔をしながら、官兵衛を見やった。だが官兵衛は意にも介さず続ける。

「悪いが小生も急ぎでね。ちょいとお前さんに尋ねたいことがある。モット伯ってのの館にはどうやって行けばいい?」

「モット伯だって?」

ギーシュが突如出た人物の名に首を傾げた。

「別に教えてもいいが、一体モット伯爵に何の用だい?」

「答える必要は無いが、まあヤボ用だ」

あっけらかんとした様子で答える官兵衛。

ギーシュは怪しんだが、このままここに居座られても困る。

そう思うと、官兵衛に大まかな方角と道順を教えた。

「成程な、助かる」

「いや、いいとも。これでいいかい?」

自分の役目は終わっただろうとばかりに言うギーシュ、しかし。

「すまん、最後に一つ」

「まだ何かあるのかい?」

やれやれといった様子で、ギーシュは官兵衛に聞いた。

「ああ、確認しておきたい事があってな。そのモット伯爵ってのは――」

  

「それがさっきなのね?」

今度はルイズに官兵衛の事を問いたざされたギーシュ。

「そうだよ、まだそんなに時間は経っていない筈だ」

目の前のテーブルで不機嫌そうにこちらを睨みつけるモンモランシーに、

ギーシュは冷や汗を垂らしながらルイズに受け応えしていた。

「あのバカ使い魔!」

ルイズはそういうと、官兵衛と同じように急いで後を追っていった。

一体何の騒ぎなんだろうか。気にかかるギーシュであったが、今は目の前の彼女の機嫌を取り戻す事が先決である。

「すまないモンモランシー、二度も邪魔が入ったね。それで、どこまで話したかな。

そうそう!火竜山脈に住まう極楽鳥の話だ――」

彼女に向き直ると、ギーシュは再び歯の浮くようなセリフを交えた無駄話を披露し始めた。

 

「全くあのバカ犬ったらなに考えてるのよ!」

ルイズはモット伯邸へと続く道を馬で疾走していた。

ルイズは、官兵衛が一足先にモット伯の館に出向いてフーケを迎え撃とうとしている。そうに違いないと考えていた。

官兵衛がギーシュの元に来てから30分が経過している。まだ館には到着していないとルイズは踏んだ。

「間に合ってよ」

ルイズはギリと歯を噛み締めながら、勢い良く馬を駆けさせた。

 

モット伯爵の館の前にて、官兵衛は泥汚れを最低限手で叩き落としながら、館を見据えていた。

「ふぅ、やっと着いたか。全身泥まみれだ」

モット伯爵の館は、王宮勅使の館だけあって、見渡す限りの豪邸であった。

門から館までは、300メイルから400メイル程もある。広々とした庭園を物々しい柵が囲っている。

甲冑を着込み槍を携えた衛士達が辺りを見回り、そして庭園には、背中に悪魔のような羽を生やした猟犬が無数に放たれている。

フーケ騒ぎの為か、警備はかなり厳重にされているようだった。

「で、着いたはいいが……どうしよう」

館に近い位置にある林の陰に隠れながら、官兵衛はシエスタ奪還の為の策を講じた。

まず、自分のこの成りである。この枷と鉄球では、シエスタを取り戻す交渉は難しいだろう。

ただでさえフーケ騒ぎで物々しい警備の中、あからさまに怪しい自分など門前払いだ。

交渉材料が無い訳ではなかったが、モット伯爵に会う事は現実的ではない。

「いっそのこと強行突破してシエスタを掻っ攫うか?」

「いやいやいや、それじゃあ尚更ダメだろうぜ、相棒」

突如、官兵衛の背後からカチャカチャと唾鳴り音とともに声がした。

官兵衛の背中に背負われたデルフリンガーが、独りでに鞘から抜け出て喋り始めたのだ。

「相手は貴族のお偉いさんだ。強引なマネしたらすぐに手が回るって。

そうなったら相棒はおろかあのメイドの娘っ子だってどこでも暮らしちゃあいけねぇよ。

今回の目的はあの娘っ子を連れ戻す事だろう?もっと慎重にいかにゃあ」

「ぐっ、小生だってそれくらい考えてるわっ」

やかましく喋るデルフリンガーをキッと睨みつける官兵衛。が、やがて官兵衛は肩を落とすと。

「やれやれ、仕方無い」

静かに木陰から身を表し、のしのしとモット伯爵邸の正門へと歩き出した。

「お、どうしたい相棒?とうとう万策尽きて投降でもすんのかい?」

「誰がするかっ。そもそも小生は投降する理由も覚えもないわっ。」

デルフの戯言に、官兵衛はニヤリと唇の端を歪ませ静かに答える。

「まあ丁度いい。小生の培ってきたこの頭の冴えってやつを、お前さんにみせてやる。」

クックックと不敵に笑む官兵衛。

「ほほう、なにか考えがあるんだな?相棒」

「おうとも!」

その瞳に満々の自信をたたえ、彼は再び歩き出す。重厚に構えられた門扉に向かって。

と、その時であった。

「ぐぎゃあああああああっ!!」

突如、モット伯爵邸の敷地内に、異様な叫び声が響き渡った。

「なっ、なんだ!?」

「何の騒ぎだ一体!?」

辺りを警備していた衛士に緊張が走る。悪魔の猟犬が次々に吼えたてあたりは騒然となった。

何があった、悲鳴の元はどこだだの、数のみで集められた衛士達は口々に騒ぎ立てる。

そして次の瞬間。

「敵襲ーーッ!!敷地内に侵入者だーーッ!!」

怒号が発せられ、衛士達は一斉に駆け出した。目指すは声の方角、屋敷の左手方向であった。

「侵入者は何人だ?メイジか?」

「わからない!とにかく現場に急行してくれ!」

一人また一人と衛士達がいずこへと走り去る。そんな様子を、官兵衛は鉄柵の向こう側からひっそりと窺っていた。

デルフがこそこそと唾を鳴らして喋る。

「なにやら、穏やかじゃないね相棒」

「ああ」

官兵衛がキョロキョロと辺りを確認する。

「この厳戒態勢の中、進入しようなんて輩が居るとすれば……」

「ああ、よっぽどの自信家か大馬鹿か、あるいは『本人』か、だねぇ。相棒はどれだい?」

「とりあえず大馬鹿はご遠慮願いたいねぇ」

デルフの問いかけに、官兵衛は薄く笑いながら頷いた。

「まあ相棒、なんにせよコレは」

「ああ、そうだな」

じゃらりと鎖が持ち上がる。ぎしりと木枷を軋ませながら、官兵衛は上体を後方に捻った。

そして鉄球を手短に構えると。

「機が巡ってきた!」

そう叫びながら、黒金の塊を鉄柵に叩きつけた。

次の瞬間、ガシインと金属音を響かせ、高さ数メイルはあろう鉄柵の一部が吹き飛んだ。

「……なあ相棒」

「あん?どうした?」

崩れた柵を飛び越え、敷地内に降り立った官兵衛にデルフが言う。

「混乱に乗じようってのはわかるんだがなぁ」

やれやれと口を開く。

「こんだけド派手にやっちゃあ、すぐに衛士は戻ってくるぜ?」

「ああ、そうだな」

それがどうした、とばかりに官兵衛は首を捻る。

騒ぎを聞きつけ、衛士の一団らしき輩が掛けてくるのが見えた。

「まあ心配するな……」

官兵衛は鉄球を手繰り寄せ、目前にひょいと浮かせると。

「少なからず敵さんは薙ぎ倒す予定だからな!」

鉄球にむかって強烈なドロップキックを放った。鉄塊が、まるで砲弾のごとく一直線に一団に向かって飛んだ。

衛士の一団は、予想だにしない攻撃に対応できず、真正面から鉄球を喰らい吹き飛んだ。

その様は、ボウリングのピンを散らすかのごとく、敵を四散させた。

「まあ、気絶で済むようには努力するさ」

地面に倒れ伏した衛士達を眺めながら呟くと、官兵衛は即座に館へと駆け出した。

 

官兵衛が館への突入を敢行する頃、モット伯は、執務室でペンを片手に書類をしたためていた。

「どうだ、仕事には慣れたか?」

自室の机に肘をつきながら、モット伯は目の前に立つメイド、シエスタに語りかけた。

彼女は、小刻みにその肩を震わせ小さく、はいと呟く。

モット伯は満足そうに頷くと、立ち上がりシエスタの傍に寄る。

「そうか、それは何よりだ。だがあまり無理はせぬように、な」

シエスタの背後に立ちながら、モット伯は彼女の耳元で静かに囁く。

「私はお前をただの雑用の為に雇ったわけではない。わかるだろう?」

彼女の肩に手を置き、身体を密着させる。そのまま彼女の匂いを愉しむかのごとく、鼻先をうなじへと近づける。

シエスタの背筋に悪寒が走った。ぞわぞわと生理的嫌悪を催す、モット伯の行動。

「あ、あの……」

嫌とも言えず、離れる事も適わず。シエスタは恐怖と悲しみに包まれながらも、じっとその場に佇んでいた。

なぜ、平民は貴族に逆らえないのだろう。なぜ、こうも嫌な思いを重ねなければならないのだろう。

「(わたしに、あの人のような勇気が一片でもあれば、こんな思いをしなくてもすんだのかな?)」

シエスタは、ここに来る前に出会った男性の事を思い出していた。

力強く優しく、何があってもめげずに逞しい。彼のように生きられたらどんなに素敵だろうか。

泣きたくなる気持ちを抑え、シエスタはぐっと拳を握り締めた。

「(会いたい。私、またカンベエさんに会いたい……)」

それはもう適わないと知りつつも、彼女は思いを馳せる。とめどなく感情があふれ出てくる。

そんなシエスタの心情を知ってか知らずか、次にモット伯はその身体に手を廻し、抱きすくめようとしてきた。

「(嫌ッ!カンベエさんっ!!)」

感情が昂ぶる。脳裏に彼の姿が浮かんだとき、彼女は咄嗟にその体を動かした。

「や!おやめ下さい……ッ!」

力任せにモット伯の腕を振りほどくシエスタ。

そのまま一歩二歩と伯爵と距離をとり、向き合う。自らの腕で守るように、彼女は自分の身体を抱きすくめていた。

動悸がし、呼吸が乱れる。

「(わ、私一体……!)」

ハッとして目の前の状況を見やる。

そこには彼女同様、呆気にとられ立ちすくむモット伯の姿があった。

即座に状況を理解し、青ざめるシエスタ。それとは対照的に、見る見る顔を赤らめ、怒りを露にするモット伯。

「貴様……なにを嫌がる?」

「あ……」

青ざめた表情のまま、シエスタは唇を震わせていた。自分は何て事をしてしまったのか、と。

「貴様の、主は誰だ?」

怒りに顔を歪ませながらも、静かな口調で語りかけるモット伯。彼は、カツンカツンと一歩ずつ詰め寄る。

それにあわせ、怯えたように、一歩一歩と後ろへと下がるシエスタ。そんな彼女の様子に、彼は益々表情を歪ませた。

「貴様の、雇い主は、誰だと聞いている」

ゆっくりと、噛み締めるかのように言葉を口にするモット伯。その手は固く握り締められ、微かに震えている。

「何だ、その態度は。何だ、その表情は。この私を拒絶するのか?平民の、ちっぽけな小娘が」

「い、いえ私は……」

彼女の言葉は、モット伯の机を叩く拳に遮られた。ドンと乾いた木の音が響き、シエスタは肩を震わせた。

モット伯から逃げるように後ずさる彼女の背中に、固い壁の感触が触れた。

シエスタは狭い執務室の中、逃げ場も無く壁際に追い詰められのだ。

モット伯は静かに机の上の杖を取り、傍にあったマントを羽織った。

貴族の威厳を示すようなその一連の行動の後、彼は、スッとシエスタにその杖先を向けた。

「貴様には『教育』が必要そうだな」

口調も表情も変えず、モット伯は威圧的に呟いた。恐怖で、シエスタの瞳が大きく開かれる。

「お……お、許し、を……」

シエスタの口から、絞り出るように言葉が紡がれる。体を大きく震わせ、彼女は精一杯の許しをこうた。

しかしそれに答えず、モット伯は杖を向け続ける。睨みを利かせ、今にでも魔法を放てるとばかりに。

もはやこれまで、とシエスタが観念した、その時であった。

「伯爵様!大変でございます!」

激しく扉が叩かれ、執事風の男が部屋に駆け込んできた。モット伯が声を荒げる。

「何事だ!」

モット伯は、苛立ちを隠そうともせずに男を睨みつけた。

「侵入者でございます!黒いローブに身を包んだ妙な男が館内に!」

「なんだと?」

シエスタがハッと顔を上げた。

「土くれめ、とうとう現れたか!ええい!外の衛兵はなにをやっておる!」

「はっそれが未だ呼びかけに応じず……」

「これだから平民は当てにならん!」

モットは執事の男に怒鳴り散らしながら廊下を歩く。

「旦那様、王宮衛士隊への連絡は本当によろしいので?」

「くどい!たかが盗賊など、私一人で十分だ!」

そういうと、モットは執事の男を置いて、侵入者の現れた方角へと進んでいった。

 

「どういう事だ、こりゃ一体」

官兵衛は、館に入るやいなや、目の前の惨状に、開いた口が塞がらなかった。

彼の計画では、ドサクサに紛れてモット伯爵に謁見する予定であった。

そしてその上で、自分の持つ交渉材料でシエスタを開放する。そんな腹積もりであった。

しかし館に入ってみればどうであろう。

館の壁一面にベットリとこびりついた血痕。

エントランス中には、斬り殺された多数の衛士の死体が転がっているではないか。

あるものは首をはねられ。あるものは肩から胴に掛けて斜めにバッサリと切り裂かれ、見るも無残な光景であった。

「こいつは……」

「尋常じゃねえ奴が入り込んだみてぇだな、相棒」

デルフの言葉に、官兵衛は再び駆け出した。兎に角このままではモット伯もおろか、シエスタも危ない。

「くそっ。急かせてくれる!全く!」

官兵衛は、死体から続く血痕の足跡を辿った。

広い館内を駆けずり回る。ゼイゼイと息を切らしながら、官兵衛は足跡の主を追った。

『災い転じて』を使えば、手早く追いつけそうであったが、狭い廊下内で扱うにはコントロールが難しく扱いづらい。

こういった室内では向かなかった。

いくつもの廊下と曲がり角を通り過ぎた頃、足跡がある部屋の前で途切れているのが見えた。

「相棒!その部屋だ!」

「おうよ」

重厚な作りの扉であり、何かしら特別な部屋であることが見て取れる。

そして耳を澄ませば、中から物の壊れる音と、人の怒鳴り声が響くのが聞こえた。

すでに何かしらの戦闘が繰り広げられてるようであった。

即座に鉄球で扉をぶち破り、中へと転がり込む。

するとそこでは、黒ずくめのローブに身を包んだ男と、刺繍の入ったマントに杖を構えた貴族が机を挟んで対峙していた。

恐らくは、この貴族の男がモット伯であろう。そして黒ずくめの男が、館内を荒らした張本人。

黒ずくめの男は、何やら筒状のものを抱えており、逃げ出す隙を窺っているようであった。

官兵衛に気がついた貴族の男が、杖を官兵衛へと向ける。

「なんだ貴様は!」

すると一瞬の隙をついて、黒ずくめの男が手にした物を置き、近くの窓へと駆け出した。

「おのれ!逃げるか!」

杖先から水の鞭が男へと伸びる。しかし、寸でのところで狙いがそれ、男のローブを掠っただけであった。

男は身を屈めると、窓をぶち破り、外へと躍り出る。そして、そのまま夜の闇の中へと消えていった。

後に残ったのは、官兵衛とモット伯の二人であった。

「くそっ。土くれめ」

モット伯が忌々しげに、破られた窓から外を見やった。それからゆっくりと官兵衛に向き直り、再び杖を向けた。

「貴様は一体何だ!ヤツの仲間か!」

「ちょっと待て、小生は今の奴とは関係ない。そうだな……」

官兵衛はやや思考の後、思いついたようにデタラメを口にした。

「お前さん達を助けに来たんだよ」

「何?」

モット伯が顔をしかめる。何のことだ、といった風に官兵衛の言葉を待った。

「そうさ、用があって館を訪れたんだが、怪しい人影が入っていくのを見た。

こりゃまずい、と思い駆け込んでみればこの惨状。とっさにお前さんの元に駆けつけたわけだ。」

それを聞いて、モット伯は眉を吊り上げた。妙な事を言う男だ、といった顔である。

「そうか、それはご苦労だったな。で、お前自身は何者だ?」

警戒を解く様子も無く、彼は杖を構えたままであった。呪文の詠唱を済ませ、いつでも魔法は放てるとばかりだ。

しかし、官兵衛は平然とした様子である。静かにモット伯を見据え、官兵衛は驚愕の台詞を口にした。

「小生は、ミス・ヴァリエールが使い魔、黒田官兵衛。魔法学院より使者として参った」

「ヴァリエール?魔法学院だと!」

モット伯が驚き目を見開いた。

「(この男が使者だと?)」

どうみても囚人然とした男ではないか。服は薄汚れ、醜き手枷をはめられ、身なりも整っていない。

彼は信じられないといった顔で、官兵衛を問い詰めた。

「貴様のような使者がいるか!どうみてもただの囚人ではないか!」

モット伯の当然の指摘である。官兵衛は仕方なさげに口にする。

「すまんね、あいにく主人の酔狂でこんな格好をさせられている。なんたって小生の主はヴァリエール家の三女だからなぁ」

「ぬぅ?」

それを聞いてモット伯は眉をひそめた。ヴァリエール家の三女といえば良くも悪くも有名である。

曰く、魔法の仕えない落ちこぼれ。曰く、貴族の例に漏れずプライドが高く、気性も荒い。

そんな娘であれば自分の従者への扱いなど目に見えているだろう。そう言われれば納得できないでもない。しかし――

「使者だというなら、身分を明かす物がある筈だ。それを差し出せ」

果たして、こんなぞんざいな扱いをされる男が使者として立てられるだろうか?

少なくとももう少しマシな者を使者として選ぶはずだ。モット伯はそう考え、官兵衛に使者としての証を求めた。

しかし勿論、官兵衛はそんなものは持ち合わせていない。

彼が此方に来てから、身分を示すような持ち物は何一つ持たされていなかった。しかしそれでも官兵衛は、臆する事は無い。

「残念だが小生はただの使い魔だ。身分を証明するものは持ち合わせていない。まあ、このルーンくらいだな」

官兵衛が左腕のルーンを掲げて見せるが、モット伯はそれを鼻で笑って返した。

「それ見た事か!このみすぼらしい囚人め。ええい!衛兵は何をしておる!早くこの男を取り押さえろ!」

「だが!」

それでも官兵衛が力強く言い放つ。

「小生は今宵特別な品を持って此方にやって来た。これは我が主人から託された物」

そういうと、官兵衛は懐から、ある物を取り出した。それは……

「『召喚されし書物』ゲルマニアの名家からヴァリエール嬢へ譲り受けし品」

「なっ!」

モット伯が驚きのあまり杖を落とした。

官兵衛が取り出したそれは、昨晩キュルケから受け取った、家宝の本であった。

震える手で杖を拾いながら、モット伯は官兵衛が手にした本に釘付けになった。

「『召喚されし書物』だと?あのゲルマニアのフォン・ツェルプストーの家宝がなぜここにある!騙されんぞ!」

「疑うんなら、見てみるといい。」

官兵衛は、書物をすっと目前に差し出した。

モット伯はよれよれと官兵衛に近づき、広げられた書に目を通す。

「ふ、ふん!どうせ偽物に決まっておる。偽物に、ニ、ニセ……こ、これは!」

それは実に奇怪な書物であった。本の形式はハルケギニアにあるような形ではない。

それは、遥か東方の地の書物。いわゆる巻物の形式を取っており、そこには見たことも無い文字列がずらりと並んでいた。

フォンツェルプストー家の家宝として名高い異国の書物。

その実物に関する情報を、書物コレクターであるモット伯が、知らない筈は無かった。

そして書の端には、丁寧にもツェルプストー所有の証である魔法の印が押されていた。

モット伯は書を眺める内に、それが本物である事に確信を得ていった。

官兵衛の唇がニヤリと持ち上がる。

官兵衛はパタンと書物を閉じると、モット伯に向き直った。

「こ、これを私に託すというのか!何を企んでおる!何が目的だ!」

声を震わせ、官兵衛に食って掛かるモット伯。奪い取ろうとするモット伯からひょいと書物を遠ざける。

官兵衛は、モット伯をまあまあと宥めた

「まあ落ち着くんだな。確かにこれを唯で差し上げるわけにはいかない。その交渉のために小生はやってきたんだからな」

官兵衛はもったいぶってモット伯に向き合う。

「ふん、一体どんな条件だと言うのだ」

モット伯が興味深々に官兵衛に尋ねた、しかし官兵衛は。

「といっても小生、この成りだ。先程も言ったがとても使者として信じてもらえる訳が無い。

身分を証明するのはこの書物くらいだからな」

「ええい!何を言っている」

官兵衛の言葉に、モット伯は苛立った。そして口をついてある言葉を口走った。

「はやく条件を言え!お前が何者だろうと知ったことか!それは私のものだ!」

「それは小生を使者として認める。ということでいいんだな?」

それを聞き、モット伯はうっ、と言葉に詰まった。この男と交渉をする、即ちそういうことに繋がる。

もっとも使者として認めず、強引に侵入者としてここで書物を奪い取ってしまう事も出来た。しかし。

「言っておくが小生をここで捕まえれば小生の主人が黙っていないぞ?近いうちに主人もこちらにやってくるだろうしな」

官兵衛が自信満々にそういった。

モット伯はむぅと口ひげを弄りながら考える。モット伯はこの男の自信満々な態度が妙に気になった。

もし本当にこの男がヴァリエール公爵家と繋がりがあるのなら、たしかにここで捕まえてしまうのは危険である。

「……わかった。お前を使者と認めよう」

モット伯は渋々頷いた。官兵衛は表情を変えずすっと頭を下げた。

「それを証明する証として一筆頂戴したい」

それを聞き、モット伯は短く舌打ちをすると、すっと杖を軽く振るった。と、部屋の片隅からペンと羊皮紙が飛んできた。

するするとしたため、それを官兵衛に渡すモット伯。

「これで満足か?」

「ああ、これでようやく交渉に移れる」

官兵衛はニンマリと笑みを浮かべた。

「では本題に移ろう。小生らは、この屋敷に使えるある人物の解雇を望んでいる」

「解雇だと?」

モット伯は首を傾げた。一体どういう了見だ、といった表情である。

「学院からの要望、それは……」

ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。モット伯が二の句を今か今かと待つ。

「シエスタを、あのメイドを学院に戻すこと。

その親族への手出しをしないこと。そして、今後一切あのメイドに関与しない事、だ」

へっ?と拍子抜けした様子でモット伯が言う。

「それだけか?」

「ああ、確実にそれらが約束されるならば、な」

しばしの沈黙。やがてモット伯は我に帰ると。

「ははっ!ははは!よかろう!あの小娘と引き換えなら!いくらでものもうではないか!その条件を!」

そう言って高らかに笑った。

 

官兵衛は、モット伯が本のコレクションに目が無いという情報を、あらかじめ学院のメイド達から仕入れていた。

そして、ギーシュにもその事を確認する事で、官兵衛は自分の交渉が上手くいく事を確信した。

あとは、キュルケからプレゼントされた書物を携え、モット伯と直接対峙するのみ。

彼の目論みは、まんまと成功したのであった。

しばらくすると、遅れてやってきた衛士の生き残りが部屋に入ってきた。

到着するなり、お怪我はありませんか、とモット伯を気に掛ける。そして、部屋に残った官兵衛を見るや否や、武器を構えた。

しかし、そんな衛士にすぐさまモット伯が命令を下す。

「シエスタをここに連れて参れ」

面食らった様子で、衛士はモット伯の命令を聞いていた。この非常時に一体メイドに何用か、と。

しかしモット伯が怒号を飛ばすと、衛士は駆け足で部屋から出て行った。

 

「カンベエさんっ!」

衛士に連れられ、モット伯爵の元へ連れられたシエスタ。彼女は部屋に着くやいな官兵衛の姿を目にし、驚きの声を上げた。

「さて、学院の使い。これで良いな?この書は渡してもらう」

シエスタを渡してやれ、と衛士に命令を下す。すると、訳も分からないまま解放されたシエスタは、官兵衛に駆け寄った。

一体どういう事なのだろうと、目を白黒させる。襲撃があったと聞き、そのまま執務室で待機していたシエスタだった。

しかし、騒ぎが収まったと思いきや、突如衛士があらわれ自分をモット伯の元へ連れて行くではないか。

そして、モット伯の元に来れば、そこには会いたいと願っていた官兵衛が。

賊はどうなったのだろう。一体なぜここに官兵衛がいるのだろう。なぜ自分は解放されたのだろう。

様々な疑問が彼女の頭の中をグルグルと回った。

そんな風にシエスタが混乱している最中、モット伯は踵を返すと、残った衛士に、館内の処理と賊の追撃を命じた。

「もう用は済んだか?済んだならその娘を連れてとっとと出て行け。今は忙しい」

官兵衛とシエスタを残して、モット伯は衛士の後を追った。しばしの間、静寂が辺りを支配した。

やがて落ち着いたのか、シエスタが口を開く。

「あの、私。まだ良く状況が分からなくて。一体どういうことでしょう?

侵入者が出たって聞きましたけどどうなったんですか?官兵衛さんは何故ここに?」

恐る恐る様子を聞く。そんな彼女を落ち着かせようと、ポンと肩に手をやる。

「落ち着け、落ち着け。侵入者らしいやつは逃げて行った、ひとまずな。

それと、小生がここにいるのは話せば長くなる。だが一番大事なのは――」

官兵衛がゆっくりと落ち着いて言葉を発する。

「お前さんは、ここに仕えなくて良くなった。学院に帰れるってこった」

官兵衛が唇の端を持ち上げながら、シエスタに言った。彼女は呆然として、その言葉を聞いていたが暫くすると。

「本当に?学院に、みんなの所に帰れるんですか?」

そう口にして、こらえきれなくなった様に涙を流した。

顔を伏せて、真っ赤になりながら、シエスタは号泣した。

「おいおい、泣くほどか?」

官兵衛が頭を掻きながら、彼女のそんな様子を暫くの間眺めていた。

粗方泣き止んだシエスタが、官兵衛を見つめる。

「もしかして、官兵衛さんが助けてくれたんですか?」

「まあそうなるか。小生が持っていた書物と引き換えにお前さんを解放してもらった」

「そんな、私の為に?」

シエスタは驚いた様子で口元を押さえた。

そんな二人の様子を見て、デルフが口を開く。

「相棒、積もる話もあるが一先ず引き上げようぜ。ここは危険だ」

「ん、そうだな」

賊は逃げたとはいえ、危険人物が辺りに潜んでいる事は明白だ。官兵衛はエントランスの死体が転がる光景を思い出した。

シエスタを伴って部屋から出ようとする官兵衛。

「と。その前にだな」

官兵衛は思い出したかのように、部屋の片隅を見やった。

見るとそこには、黒ずくめの男が置いていった、謎の筒のようなもの。

「こいつは一体何だ」

その物体を持ち上げながら、官兵衛は中を拝借しようとして蓋を開けた。

その時、官兵衛は信じられない物を見た顔で、筒の中の物体を凝視した。

「ば、馬鹿な!こいつは……!」

「どうした相棒?」

「どうしたんですか?カンベエさん」

シエスタが官兵衛の持つそれを覗き込もうとした、その時であった。

どおん!と大地を揺らすような地響きが、館全体に響き渡った。

「きゃあっ!」

倒れそうになるシエスタを官兵衛が支えながら、彼は彼方此方を見回す。

「こいつは……」

官兵衛は、この振動には身に覚えがあった。あの時ルイズ達と一緒にその現場を目撃していたのだから。

「シエスタ、こいつを持ってくれ。一旦外に出るぞ!」

「は、はいっ」

官兵衛が筒のような容器をシエスタに持たせる。

そして、彼女の手を引きながらエントランスを目指した。

長い長い廊下を駆け抜ける二人。

幸い、途中にある衛士の死体はすでに残った衛士達によって片付けられていた為、シエスタがそれを目撃する事は無かった。

階段を降り、エントランスの広間を抜る。巨大な玄関の扉を破り、そのまま庭に飛び出た。するとそこで、彼らが見たものは。

「っ!?」

シエスタが驚きのあまり声を詰まらせる。やはり、と官兵衛は苦々しくその光景を見やった。

「こいつは、あの時の!」

そう、それは天を覆いつくさんばかりに巨大なゴーレム。巨大な土のゴーレムが、館の傍に屹立している光景だった。

巨大な土の塊が、ゆっくりとモット伯爵の館に迫って来ていた。

 

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