暗の使い魔   作:Luta

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第一話 『異世界』

「あんた、誰?」

 

暗く閉ざされた意識の中、ふと聞きなれない声が耳に届いた。

「あん?」

唐突に聞こえた問いかけに、間の抜けた声で返しながら、男は目を覚ました。

目蓋に眩しさを感じる、そして微かなそよ風が頬をくすぐる。

その時点で、男は違和感に急激に意識を覚醒させた。

 

「(外、外か?)」

上体を起こし、目覚めたばかりの為か、ふらつく頭を抑え辺りを見回す。

ここは一体何処であろう。青く澄んだ空から差す日差しが眩しい。

爽やかな、すこし肌寒い空気。そして耳を澄ませば、鳥のさえずりさえ聞こえてくる。

普通なら、ごく有り触れた平和な光景である。しかし彼は困惑していた。

この状況が、彼が目覚める直前にいた場とはあまりにかけ離れていたから。

幸いな事に、先の戦いで負った傷はそれ程深くなく、ほぼ塞がりかけていた。

地面についた手に、草の感触を感じながら、あたりを見やろうとした。すると。

「あんた、何なの?」

地べたに座ったままの男の眼前に、唐突に棒の様なものが突きつけられた。

 

ゆっくりと棒切れから視線を上げる。するとそこには、一人の少女。しかし。

「(な、南蛮人?)」

そう、桃色ブロンドの長い髪に鳶色の瞳。黒いマントに白いブラウス、膝丈ほどのスカートといった出で立ち。

その男にとって、目前の少女は南蛮の人間であった。

見慣れない、南蛮渡来の服装の少女がそこにいた。

 

 

暗の使い魔 第一話 『異世界』

 

 

年の程は15から16くらいであろうか。

整った顔立ちだが、現在のその険しい表情からは、不機嫌さがありありと伝わってきた。

 

「な、何だいきなり」

とりあえずわけのわからないまま、男がようやく言葉を発した。彼には、今のこの状況がさっぱり理解できない。

目覚めると、晴れ渡った草原に寝そべる自分。そして初対面で少女が無礼にも、お前は何だ、ときたものだ。

分けもわからずにいると、今度は大勢の笑い声がその場に響いた。

みるとやや離れた場所で、少女と同じく妙な格好の少年少女らが、こちらを指差し笑っていた。

「ルイズ!サモンサーヴァントで人間を呼び出してどうするの?」

そんな言葉に、嘲笑をふんだんに含んだ笑い声がより一層強まる。

見ればその少年少女らも全員南蛮の人間であるようであり、その全員が目の前の、ルイズと呼ばれた少女と同じような格好をしていた。

「しかもあの格好、奴隷かなにかじゃないか?」

「奴隷か!そりゃいい!」

ルイズと呼ばれた少女の顔に、サッと赤みが走る

「ミスタ・コルベール!」

顔を真っ赤にしたまま、ルイズが呼びかける。

すると、嘲笑する少年少女らの集団を割るようにして、彼らの中から一際年配の男性が現れた。

 

年の程は40代半ばであろうか。見事に禿げ上がった頭と、知的な眼鏡が印象的な男性である。

そして彼もルイズらと同じように、南蛮渡来の服装に身を包んだ、南蛮の人間であった。

コルベールと呼ばれたその男性は、落ち着いた様子でルイズに向き合う。

慌てて駆け寄るルイズ。彼女の方はなにやら焦りと不安の入り混じった表情である。

 

「何だねミス・ヴァリエール」

コルベールは、やれやれといった様子で答える。

「あの、もう一度召喚させて下さい!」

「それは無理だ」

彼女の必死な懇願は、その一言できっぱりと跳ね除けられた。

理由はと問えば、やれ神聖な儀式だの、例外は認められないだの、何とも形式めいた言葉が聞こえてくる。

未だ蚊帳の外にて放置されている男は、それらの僅かな会話から、自分の置かれた状況を少しでも把握しようとしていた。

どうしたものか、と頭を掻こうとして、その時彼は自分の腕につけられた『それ』の存在を思い出した。

 

先程から少女も中年の男性も、こちらをチラチラ見ながら会話をしている。

ルイズはまるで不審者を見るような目で、コルベールは何やら困り果てたかのように眉を寄せながら。

彼の腕にあるそれは、頑丈そうに金具で固定された木製の枷。

そしてさらに枷には、長く丈夫な鎖に続く、黒々とした巨大な鉄球が繋がれていた。

その大きさはたるや人の膝丈程も高く、椅子としても活用できそうである。

 

先程、遠くの集団から投げかけられた、『奴隷』という言葉を思い出す。

確かにそうだ。初対面の人間が彼の出で立ちを見れば、まず囚人のように思うだろう。

彼の服装にしてみてもそうだ。

土で薄汚れた、陣羽織に袴、中には重い甲冑を着込んでいる。

伸びに伸びた髪はボサボサで、申し訳程度に後ろで束ねられている。

そして前髪は目元を隠し、非常に怪しい出で立ちである。

だがそれにしても

「奴隷とはなんだ奴隷とはぁ!」

枷のついたままの両腕を空に掲げ、そんな叫びとともに男は立ち上がった。

そして未だ嘲笑の止まない集団にむかって吠えた。

「小生だってなぁ!好きでこんなもんつけてんじゃなあい!」

ジャラリと鉄球の繋がれた鎖を持ち上げながら、中腰でなんとも情けない格好で叫んだ。

なんだなんだと男に注目を集める少年少女ら。しかしその注目もすぐに笑いのネタにされた。

「あっはっは!ルイズの使い魔が何か叫んでる!」

「なんていうんだっけこういうの?笑止?」

ぐぬぬといった様子で少年少女らの格好の笑いネタにされてることに歯軋りしながら、

男はとうとう言い争っているルイズとコルベールに詰め寄った。

 

「やい!いったいどうなってやがる!?小生にも説明してくれっ!」

ずるずると鉄球を引きずりながら間に割って入ってきた男に、二人は一瞬たじろいだ。

男が思っていたよりも大柄であったからである。

みればこの場で最も年長者であろうコルベールよりも、頭一つ分ほど高い。

体格も筋骨隆々であり、二の腕など通常成人の倍はありそうな太さである。

「ちょ、ちょっとなによあんた」

「ミ、ミスタ、とりあえず落ち着いてください」

「落ち着いてられるか!」

とりあえず食って掛かる男をなんとかすべし、と踏んだコルベールが、なだめようと声を掛ける。しかし男は止まらない。

どうしたものか、と次の言葉を選んでいたコルベール。

だが次の瞬間、唐突に横から飛んできた言葉に彼はぎょっとすることになる。

「あんたは私が使い魔として召喚したのよ」

ピタリ、とその場の時が一瞬だけ止まった。

「あーミス・ヴァリエール説明には――」

説明には順序がある、と続けようとしたコルベール。しかし、今度は彼女の言葉が止まらない。

「これからコントラクトサーヴァントの儀式を行わなきゃならないの。

あんたみたいなのが貴族にこんなことされる機会なんて、普通は一生あり得ないんだから感謝なさい。」

「あぁ!?何言ってやがる?」

いよいよわけのわからない男。

ここまで来たら仕方無い、と首を振るコルベール。

そしてルイズは――

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ。」

静かに、しかし力強い口調でなにかを唱え始めた。

 

「(なんだ?)」

何だかんだと騒いでいた男も、少女の急な変化と、作り出された場の空気にだじろぐ。

そしてルイズが男の目の前で杖を振るった。

「なんの真似だ」

「うるさいじっとしてて」

そう言うとなんと、彼女は息の掛かりそうな程に男との距離を詰めてきた。

あまりに急な出来事に、彼は思わず後ずさった。

「ちょっと!なんで逃げるのよ」

「逃げるわ!何考えていやがる!」

これには流石の男も動揺した。

いくら南蛮人とはいえ、見目麗しい年端の行かぬ少女にここまで寄られるのは初めてである。

先程の勢いはどこへやら、少女と距離を開けるべく男が足を上げたその時であった。

 

「あらあっ!!?」

男の足が、彼の枷に繋がれた鉄球にとられ、彼の身体は盛大に後方へと傾いた。

少女に注意を向ける余り、足元の自分の鉄球に気がついていなかったのだ。

男は、体制を立て直すべく、地に着いたもう片方の足で踏ん張る。しかし

「なっなぜじゃ!?」

もう片方の足には、鉄球と枷をつなぐ鎖が絡みついていた。

先程鉄球につまずいた際絡まったのか、もしくは後ずさる際に絡みとったのを気がつかなかったのか。

いずれにせよ、両の足と両腕を封じられた男には成すすべなく、そして倒れこんだ先には。

「えっ?」

桃色の髪の少女が居た。

 

ずしゃぁっという音と共に二人の人物が草むらに倒れこむ。

しばしの沈黙

「ミ、ミスヴァリエール!」

やや離れた距離からその様子を見ていたコルベールが、あわてて駆け寄ってきた。

彼には詳しい状況は良く見えなかったが、男が自分の生徒に倒れこむ瞬間だけは見ていた。

少女が、あれだけ大柄な、しかも重そうな甲冑らしきものを着込んだ人間の下敷きになって無事であろうか。いやある筈無い。そう思ったのであった。

「無事ですか!?ミスヴァリエール」

「う~ん」

「ぐぅ」

その場所から二種類のうめき声が聞こえてくるのを聞いて、彼はほっと胸を撫で下ろした。

ともかく彼らを引き剥がそうと近寄った、その時。

「……むぅ?」

「ぐっ?」

彼は気がついた、二人が水平に向かい合うようにして倒れているのを。

ルイズが草むらを背に、男はそれに覆いかぶさるように。

幸いな事に男のほうは両肘で身体を支え、ルイズを下敷きにするような事態は免れたようだった。しかし、

「こ、これは」

そう、男は真正面からルイズを押し倒す形で、不本意ながら――いやむしろ役得かもしれない――ルイズと接吻を交わしてしまっていた。

ルイズはといえば、倒れた衝撃の為か衣服が乱れ、グレーのスカートは太ももの上までめくれ上がり、白い下着がもろに見えてしまっている。

そんな二人の様を見て咄嗟に目を逸らすコルベール。

今はお互い追突の衝撃で前が見えていない。だが、そのまま見えていないほうが良かったかもしれない。

「ッ!!?」

「うおっ!」

男は目の前の光景に驚き跳ね上がった。そして今の今まで唇に感じていた柔らかい感触の正体を目の当たりにし――

「きゃああああっ!」

目の前で響いた悲鳴と

「うぐおおおおおおおおおおおっ!!!!」

ズゴッっという鈍い音と共に己の下腹部に走る激痛、とともに地面を転がった。

地面に尻餅をついたまま後ずさりつつ立ち上がるルイズ。

「こっこここ、ここの変態!よくもこのド変態!!」

衣服の乱れを直しながら、ルイズは烈火のごとく男を罵った。

先程の鈍い音は、ルイズの靴のつま先が男の股間に鋭くメリ込んだ音である。

「しょ小生にっ……なんの、恨みが、あって……!ぐっ……」

未だ引かない痛みに呼吸もままならない男が、ひねり出した言葉はそれが精一杯であった。

「な、何故じゃあ……!」

急所中の急所に一撃必殺を叩き込まれた男は、そのまますうっと意識を失った。

そのとき、左腕に生じた違和感には気付くこともなく。

「よくもっ!ファーストキスだったのにっ!こんな形で!この破廉恥男!聞いてるの!?」

意識の無い男を未だ罵り続ける彼女を尻目に、コルベールは仕方なさげに肩をすくめると、

ゆっくりと男に歩み寄っていった。

「やれやれ、どうしたものか……」

男の左腕にはいつの間にか、見た事も無い奇妙なルーンが刻まれていた。

 

 

 

「消えた……とな?」

「はっあの方によれば、突如姿見のような物が現れ飲み込んだと……」

「左様か」

周囲に人の気配はなく、辺りを闇が支配する。

襖に囲まれた狭い個室に、二人の人影を灯篭が照らしていた。

一人は忍びと思われる装束に身を包んだ男。低く身を屈め、目前の人物にむきあう。

そしてもう一人。忍びに背を向け、報告に耳を傾ける人物。

全身を包帯に身を包み、朱を基調とした異様な甲冑を身にまとう男。

顔前面も包帯と朱色の面に包まれ、そこからは一切の表情も読み取れない。

更に異様なのは、その男は床に脚をつけていない。宙に浮く奇妙な輿に座りながら、手にした書物に向き合っていた。

「何者かが、あやつの逃亡を手助けしたということか。おそらくは、術に長けた者の仕業であろ」

輿の上の男は、ぱらぱらと、書物をめくる手を休める様子もなく淡々と呟いた。

「大谷様、いかがいたしましょう」

忍びの男が短く問いかける。

大谷と呼ばれた男は、一瞬の思考の後ゆっくりとした口調で、忍びの男に伝えた。

「何としても見つけよ。アレがどう足掻くか見ものではあるが、ちょこまか動かれるのもまた癪よ」

「はっ」

その言葉に頷くと、するりと闇に吸い込まれるように忍びはその場から消えた。

夜の闇の中残ったのは大谷ただ一人であった。

「はてさて照魔鏡の戯れは吉と出るか凶と出るか」

だれに問うわけでもなく、大谷は呟く。

「だがいかなるものの助けを得たところで、ぬしの星は動くまいぞ」

あの男は全てが裏目に出る不運の持ち主である。その厄の深さは留まるところを知らない。

そう考えると大谷は、口元の包帯をくしゃりと歪め、ヒヒヒと短くほくそ笑んだ。

「黒田官兵衛め……」

 

「クロダカンベエ?変な名前」

「失敬だな、お前さん」

男はまず、名乗って早々に自分の名を貶されたことに腹を立てた。男の名は黒田官兵衛。

かつて、覇王・豊臣秀吉に軍師として仕えていた男である。

豊臣の軍師といえば、ある二人が挙げられる。

一人は、明晰な頭脳と、鞭のような剣を華麗に操る技を持つ男。天才軍師・竹中半兵衛。そしてもう一人。

あらゆる事象を見通す慧眼と智謀を兼ね備えた、豊臣軍に無くてはならない存在。超天才軍師・黒田官兵衛。

世に言う二兵衛と名高き、秀吉を天下へと導いた軍師達である。

「そう!小生こそが二兵衛の賢い方、黒田――って聞かんかい!」

「あんたの妄想話はどうでもいいのよ」

まるで興味なし、といったばかりにルイズは自室のベットに腰掛け、ぼんやりとしていた。

今二人は、事情を説明する為、トリステイン魔法学院にあるルイズの自室に来ていた。

官兵衛がこの場所に召喚されて、どれほどの時間がたったであろうか。

辺りはすっかり夜も更け、窓の外には奇妙な事に、二つの月が上がっているのが見えた。

「妄想だと!小生からしたらお前さんらの方がよっぽど胡散臭い!大体なんだ魔法って。ここはどこなんじゃ!」

「だから言ったでしょ!ここはハルケギニア大陸にあるトリステイン魔法学院よ!」

「だから知らんと言ってるだろうが!聞いたことも無い!」

ぎゃいぎゃいと、お互い喧しく騒ぎ立てる内に、このように夜が更けてしまったという訳である。

因みに官兵衛が召喚されて気絶から目覚めた直後から、会話の内容はほぼ変わっていない。

「ハァ……まったくどこの田舎者?トリステインはおろかハルケギニアを知らないなんて」

拉致があかない、とばかりにルイズは上を見上げる。

「大体ニホンなんて国、聞いたことも無いわよ。言葉も通じるし。あんたハルケギニアの人間でしょ?

なに意地はってるのよ?」

「ぐっ……もういい。それよりだ、聞きたいことがある」

ここが一体どこなのか、魔法が何なのか。官兵衛にとってそれらは、ぶっちゃけどうでもよかった。

ただ彼が、あの夜空に浮かぶ不気味な月を見て思った事はただひとつ。

「元の場所に帰るすべはあるのか?」

それが全てだった。ここが全くの異界であろうと、帰る手段さえ確立されていればどうという事は無いのだ。

彼には日の本でやり残したことが山ほどある。その為には何としてでも元の地に帰してもらわなければならないのだ。

だがしかし。

「無いわ」

帰ってきた答えは非情なものであった。あまりにあっさりした回答にずるり、と思わず体制を崩す官兵衛。

「いやいやいや!それは無いだろう、なあ!」

額に一筋の汗を浮かべながら、流石にそれはない、否定する。

「無理よ、だって元の場所に帰す呪文なんて聞いたことないもの」

「聞いたこと無いで済むかっ」

これには流石の官兵衛も我慢ならなかった。

「あのな!小生はこれでも忙しいんだよ!さっきも話したろう?天下がかかってるんだよ!テンカ!」

立ち上がり、ズカズカとルイズに詰め寄りながら、官兵衛はいかに自分が大変であるかを、オーバーなリアクションで表現した。

「何よテンカって。さっきの妄想の続き?」

「違ぁぁぁう!」

何でまたこうなるのか、と官兵衛は頭を抱えざるを得なかった。

「よしわかった、小生をここに呼んだ術があるだろう?」

「あるわね」

「それを試してくれ」

これなら文句は無いはずだ、と思った。自分がここに来た手段なら、帰る手がかりになると。

「それも無理」

「な、何故じゃ!?」

だがこれも帰ってきた答えは無慈悲なものであった。

「一度召喚してしまったら二度と使えないのよ」

なんだそりゃ、とばかりに肩を落としながら、それでも官兵衛は食い下がらなかった。

「駄目元でもいいから試してくれ。お前さんなら出来るデキル!」

とりあえず褒めておけ、とばかりに棒読みの賞賛を重ねてみる。すると、ルイズは静かに。

「だから無理だってば。サモンサーヴァントの呪文を再び唱えるにはね。」

「フムフム」

「使い魔が死なないといけないのよ」

さらりと絶望的なセリフを吐いた。

「えっ」

官兵衛は、顔から一気に血の気が引くのを感じた。

「じょ、冗談じゃないぞ……」

とどのつまり、自分は死ぬまでこのまま、このよく分からない世界で過ごす、と言う事ではないのか。

真に冗談ではなかった。

「まあいいわ、ともかくあんたは私の使い魔なのよ。貴族に仕えるんだから光栄に思いなさい……って」

上を仰ぎながらそんな事を喋っていたルイズが、視線を戻した時、すでにそこに官兵衛の姿はなかった。

 

「冗―談じゃないぞおおおおおおお!!」

先程から同じように言葉を繰り返しながら、官兵衛は寮のある塔の階段を猛スピードで駆け下りていた。

自分は帰れない、帰る手段が無い。そのような耐え難い事実を認めるわけにはいかなかった。

こうなれば自力で戻る手段を見つけてやる。そんな考えが彼を突き動かした。その結果がトンズラである。

元豊臣軍の軍師・黒田官兵衛。何より優れた慧眼を持つ彼だが、今回のこの状況はシャレにならなかった。

訳のわからない異世界に一人。右も左も分からず放り出され、帰れないとくれば、この混乱は当然かもしれない。

ズリズリと重い鉄球を引き摺り、わき目も振らず走り去る。そんな状況で彼がアクシデントに遭遇しないわけが無かった。

階段を下りきり、ようやっと塔の出口に差し掛かったその時。

「きゃあっ!」

短い悲鳴とともに、何かにぶつかる感触を感じた。

「うおっ」

突然の事態に官兵衛も立ちすくむ。どうやら混乱のあまり周囲をよく見ていなかった為、人にぶつかっってしまったようだ。

見ると、官兵衛から1メイルは離れた距離に一人の少女が尻餅をついて倒れている。

「いたた……」

少女の傍には桶らしきものが転がっており、その周りには衣類らしき布切れが無数に散らばっている。

恐らくは、この施設の侍女にあたるのだろう。洗濯物を運んでる途中に官兵衛と激突してしまったのだと思われた。

「あー!すまん、大丈夫か?」

「いえいえ、こちらこそ申し訳ありません。前を見ていなくて」

日本人を思わせる黒髪の少女は、ぶつけた箇所を擦りながら答える。

「悪かった、小生も急いでいたもんで。立てるか?」

混乱していたとはいえ、一方的にぶつかったのはこちらである。

とりあえず謝りながら、官兵衛は少女に両手を差し伸べる。

少女の方も、はにかみながら、差し出された手に掴まろうとして。

「ありがとうございます、おきになさら……ず……」

その時、少女は違和感に気付いた。

「あ、あなたは……?」

「え?」

見れば少女の視線は、官兵衛の両腕の枷、そしてそれに繋がれた鉄球に映っていた。

そしてゆっくりと顔を上げ、こちらを見上げる。その顔には、明らかに不審なものを見る表情が見て取れた。

まずい。

思えば自分はこの世界に来て、ほぼルイズ以外の人間と接触していない。

知らぬ人間が、この学園内で今の姿の自分を見れば、誰だって不審者に思うに違いない。

何とか弁明しなければ。官兵衛はそう思った。

「ま、待て小生は怪しいもんじゃあ……」

しかし彼の口からひねり出せたセリフは、それが精一杯。これで自分の立場を説明できよう筈もない。そして。

「きゃあああっ!」

塔内に、少女の悲鳴が響き渡った。彼の短い努力は無駄に終わった。

「なっ!何故じゃあ!」

と、その時。

「待ちなさい!そこの!」

「何の騒ぎだね!?」

寮へと続く階段からどやどやと生徒達が降りてくるのが見えた。ルイズ達だ。

また傍には悲鳴を聞きつけたのか、金髪の見慣れない少年の姿もあった。

「ち、チクショー!」

この状況はマズすぎる。まるでこれでは、自分がこの場で少女に何かしたみたいではないか。

ともかく官兵衛は捕まらぬべく、すぐ傍の塔の出口から学園の外へと駆け出す。

「何で次から次へと!」

官兵衛は、今日のこの日ほど己の不運を呪った事は無かった。

 

塔から学園の周りを囲む平原に出て、官兵衛はどこかに身を隠せそうな場所はないか、辺りを見回した。

しかし、すぐ近くには身を隠せそうな場所は見当たらない。

こうなれば、平原の向こう遠くに見える森の中へと逃げ込むしかない。そう考え、再び駆け出そうとした、その時。

「うぉっ!?」

「やれやれ、捕まえた」

何と、官兵衛の両の脚が宙に浮かび上がった。

「何だこりゃあ!」

見れば自分の7~8メイルほど後方で、先程の少年がこちらに向けて、薔薇の華のようなものを振るっているではないか。

「畜生ッお前の仕業か!下せ!下しやがれ!」

ジタバタと両手両足を動かす。しかし、高く浮かび上がった官兵衛の身体は虚しく空を切るのみだった。

「ルイズ、捕まえたよ。全く自分の使い魔の管理くらいしっかりしてほしいものだね」

「ギーシュ……」

塔の方から遅れて駆けつけてきたルイズに、少年は杖を振るったまま答える。

ギーシュと呼ばれた少年は、フリルのついたシャツに金髪の巻き毛の、なんとも気障な出で立ちの少年だった。

官兵衛には目もくれず、やれやれといった様子でルイズに向き合っている。

「まあいい、彼を部屋まで運べばいいんだね?」

ギーシュの言葉にルイズが頷くと、彼は仕方なさげに宙に浮いた官兵衛に向き合おうとした。その時だった。

「うわあっ!?」

何とギーシュの足元に直径1メイルはあろう、鉄の塊が飛んできた。

巨大な剛速球は地面の土ごとギーシュを吹き飛ばし、辺りに土埃を巻き上げる。

それは紛れも無く、官兵衛の両の腕にくくりつけられていた鉄球であった。

予想だにしない攻撃に、ギーシュのレビテーションのコントロールが乱れた。そして。

「どわぁっ!」

糸が切れたように、官兵衛が背中から地面へと落下した。

そのまま即座に体制を立て直し、鎖で繋がれた鉄球を手繰り寄せ、ギーシュに向き合う官兵衛。

「い、一体何だ!?」

ギーシュ本人も一体何が起きたのか分からなかった。

幸いにも鉄球は直撃しなかった為、吹き飛ばされただけで彼自身は無傷だ。

しかし、吹き飛ばされたギーシュも、我に返ると跳ねるように立ち上がり、即座に官兵衛へと、薔薇の造花を向けた。

二人の男が静かに対峙する。

「いったい何をした!?」

「なに、お前さんが余りにしつこいんでコイツをお見舞いしてやっただけさ!」

そう言うと官兵衛は、自分の足元に転がる鉄球を脚でかるく小突いた。

さらに官兵衛は続ける。

「どうやら、お前さんを何とかしないと自由になれんらしい!こうなりゃやってやる!小生は、自由だぁ!」

官兵衛の左腕のルーンが、僅かに輝きを放っていた。

 

機略重鈍

黒田官兵衛

召 喚

 

 

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