暗の使い魔   作:Luta

23 / 24
第二十二話 『仮面の下』

ここニューカッスルは、浮遊大陸アルビオンの端部に位置する王軍所有の城である。

陸から突き出た岬の先端に位置するこの城は、幾度もの戦乱のたびに強固な守りを誇る城塞とされてきた。

三方が雲海のため、陸上からは一方向のみしか攻められず、大軍による包囲が薄くなるのが理由の一つである。

しかし、その堅牢さも、そこに籠城する王党派も、もはや意味がなくなろうとしている。

たとえここが攻城の上での難所にあろうと、目前の地には、王軍勢力の数十倍の敵が終結するのだから。

 

暗の使い魔 第二十二話『仮面の下』

 

 

「少なく見積もっても、万以上ってとこか」

ニューカッスル目前、その大陸を埋める尽くす灯を見て、官兵衛が漏らした言葉がそれだった。

見通せる城壁によじ登り、身を屈めて目を凝らす。

あたりは闇夜。暗雲立ち込め、肌寒い風が彼の素肌をなぶる。

敵軍の全貌の把握は困難。だが、城前方の平地七割以上を敵軍が占めているのが見て取れる。

無数のかがり火がそこを埋め尽くす光景は、王軍にとっての逃れえぬ窮地を思わせる。

まさに圧倒的。

レコン・キスタの、一万を超す軍団がそこにいた。

「小田原の時以来か。こんな光景は」

「オダワラ?相棒の故郷か――……」

言い終わらぬうちにキンッ、とうるさい隣人を硬く鞘へ閉じ込める。

背中のこいつは油断すると途端に喋り出すので実に面倒である。

せめて隠密行動時には自重してほしいものだ、と官兵衛は内心ため息をつく。

(……しかしながら、こいつはどうにもならんな)

相手方の軍容を見て官兵衛は、ウェールズがパーティで話してくれたおおよその戦況を思い出していた。

数日前のことである。

王党派に与し抵抗を続けていた、最後の支城が落ちたのだ。物資も豊富で、まさに要ともいえる場所であったが、レコンキスタはそちらを重点的に叩いたらしい。

レコンキスタ本隊は現在、灰になったそこを後にしてこちらに合流しようと進軍の最中である。

(ここに、昨日支城を落とした本隊が合流すると約五万は下らず。本拠もろもろの戦力もあわせて――)

逆立ちしてもかなわないな、と官兵衛は思う。

物資も味方の大半も失い、この地において王軍は孤立した状態である。

そして、ニューカッスルに籠る軍は、王の手勢三百程度。そのうえ殆どがメイジで護衛の兵士は皆無。

王軍はその戦力で、やがて集まる数万の敵と戦うことになるのだ。

 

官兵衛は静かに息を吐くと、城壁備え付けの石段を下りて行った。

じゃらりと鉄球を引きずり、一段、また一段と下る。

その足取りは微かに鈍い。

(どこもかしこも、同じか……)

昔、そう、まだ自分が豊臣の陣営に居た頃だ。

自分は『あちら側』で、幾度も采配を振るった。

即ち現在でいう、包囲するレコン・キスタ側の立場だ。

(やっぱ小田原のときと同じだな……)

ウェールズ皇太子は差し詰め、北条殿と同じ立場になるのか。いや、むしろそれは現国王のジェームズか。

そして、立場はかなり違うが、自分は外国からの客人。

いわば第三者であり、手紙の交渉が終わった今では、この国の行く末とは無縁の傍観者である。

アルビオンが滅ぼうが、最悪ハルケギニアの諸国にそれがどう影響しようが、官兵衛には関係がないのだ。

だがなぜか、彼にはどうにもここが重苦しい。

足の裏が鉛になったように、歩が進まない。

枷の重みとは違う、身にかかる気だるげな重鈍さを、官兵衛は感じていた。

 

やがて、階段を下りきると、官兵衛は背中のデルフリンガーの鞘をずらしてやった。

「寝るか、おいデルフ」

「あいよーもう喋っていいかい」

解放された、とばかりに魔剣がくっちゃべる。

実にやかましいが、こんなんでも貴重な話し相手だ。たまには時間を作ってやろうとも思う官兵衛であった。

「で、忍びの偵察は終わりかい?」

妙にデルフは軽々しい。

官兵衛はやや面倒そうに言葉を交わす。

「無理そうだ。どーにもひっくり返せそうにない」

「アテが外れたかい」

音を立てて笑うデルフに、官兵衛は不満げに口を曲げた。

城内へ戻り、客室へ続く長い長い廊下を歩く一人と一振り。

「こうなりゃ王女様へ取り入る方法を――……いや待て。ルイズを上手く……」

ぶつくさ言いながら歩く官兵衛。その背中でデルフはこっそり呟いた。

「浅い悪だくみは足元すくわれるぜ?」

「だー!足まで使えなくなってたまるか!」

とっさに大声が出て、城の廊下に声が響く。それを、おいおいとデルフが咎める。

「相棒。叫ぶと聞かれちゃうから」

「ああっ!小生としたことが……」

とっさに口に手をやって黙り込む。きょろきょろと周囲を見回しながら、ほう、とため息をついて、官兵衛は肩を下した。

すべてが寝静まったかのようにしんと静まりかえる城内。

最期の宴も終わり、非戦闘員は出立の準備をしている。ウェールズ一行は明日のことで手一杯。

こんな敵陣営が望めるような、城の端には人はまばらだ。

したがって、幸いにも今この場には、二人の会話を耳にする者はいなかったのだ。

(危ない危ない、うかつなこと喋るんじゃないな。全部が水の泡だ)

ここに来て自分の思惑を他人に聞かれるのはまずい。そう考えると、官兵衛は余計なことを喋らないうちに、眠ることを決意した。

まっすぐ歩いて寝室を目指す。

先に見えるのは、人も明かりもない長廊下。

戦時中だから物資も少ないのだろう。灯りは申し分程度で、窓から差し込む薄青白い月明かりが、ほぼ頼りの光源になっている。

(そりゃこんだけ物がなければな……)

ふとしたことで、王軍の圧倒的窮地が連想される。まったく嫌なものだ、と官兵衛はげんなりした。

やがて角を曲がり、自分の客室がある廊下へさしかかろうとした、その時だった。

「――……っ。うっ……」

突然の音に硬直する。

不意に鼻をすするような音を耳にし、官兵衛は立ち止った。

「んなっ?」

少々びくびくしながら、官兵衛はあたりを見回す。

「どうしたね相棒」

「いや、何か聞こえたような……」

デルフの問いかけに落ち着かなそうに答える。

改めて周囲を確認するが、あたりは長い廊下と窓のみで何も見当たらない。

「なんもいないか?」

おそるおそる歩みながら官兵衛がデルフに尋ねる、すると。

「……相棒。よく見てやんな」

デルフが静かに促した。

「んん?」

官兵衛が目前をこらして見ると、そこには。

「……ぐずっ」

目前、長廊下の奥の奥。

薄暗いが、月明かりに照らされて小さな人影がそこにいた。

窓枠にもたれかかり、薄桃の長髪が良く映る。

「相棒、行ってやれよ」

再びデルフが言う。

言われるがまま、ずるずると鉄球を引きずって歩み寄る。

その聞きなれた音にハッとして、人影は振り返った。

「……カンベエ?」

「なんだ、お前さんか」

人気のない廊下にポツンと、ルイズがいた。

「……月見か?空模様は生憎そうだがな」

曇り空で隠れそうな月を見上げながら、官兵衛が言う。

立ち尽くしたままのルイズに、官兵衛が歩み寄る。

しかし、近づく官兵衛から表情を隠すかのようにルイズは顔を背けた。

「……こないで」

短くか細い声が、彼の耳に届いた。

「おい?」

「おねがい」

普段のルイズから想像もつかず、声は弱くふるえていた。

どこかすがるようなそれに、官兵衛は思わず立ち止まる。

二人の間に、しばしの静寂の時間が流れた。

「…………ひっく」

肩を引きつらせ、ルイズが背を向ける。

仕方なしに、ルイズがいる窓から反対の壁に寄りかかると、官兵衛は言った。

「お前さん、皇太子と話したのか」

しばしの間の後、ルイズはこくりと頷く。

それを見て、官兵衛は短くそうか、とつぶやくと言った。

「姫さんの願いは、届かなかったか」

「えっ……?」

その言葉を聞き、ルイズが驚きの顔で官兵衛を見やる。

なんでそれを、とでも言いたげな表情である。

官兵衛は笑いかけながら言う。

「おいおい、小生は二兵衛の片割れだぞ?あの時、手紙をしたためる姫さんの顔見りゃその程度察しがつくよ」

よっこいしょと鉄球に座り、じっとルイズを見る。

みればルイズの顔は涙の跡新しく、相当泣きはらした様相である。

官兵衛は静かな口調で続けた。

「異国の王子と姫君が、ってのはどこでも同じだな。たとえそれが実らなくても、そいつに生きて帰ってほしいって願うのは、皆そうだろうよ」

ルイズの自室で、ブリミルに懺悔しながら手紙に一文を付け足していたアンリエッタを思い浮かべる。

「姫さんは想い人に亡命をすすめた。『その恋文』を出すほどの愛の人にな」

ルイズが懐にしまってある、目的の手紙を指しながら、官兵衛は言う。

「だが奴さんはつっぱねたんだろ?」

官兵衛の言葉に、ルイズはぐっと唇を噛む。しかし耐えても、瞳から玉のような涙がこぼれた。

「……ウェールズ皇太子殿下は否定したけど、姫様は間違いなく手紙にその旨を記されていたはずよ。あの時、姫様からの手紙を見てた殿下の表情は……」

そこまで思い出して辛くなったのか、ルイズは再び背を向けた。

なるほど、と官兵衛は頷いた。

「ねえ、どうして?」

ルイズが涙交じりに官兵衛に問う。

「……っく、どうしてっ、ウェールズ殿下は死を、選ぶの?」

言葉に嗚咽が混じる。しかしルイズは続ける。

「姫様は逃げてって言ってるのに……。愛する人がそれをのぞむのに……」

ヒックヒックと泣きはらしながらなお続けるルイズに、官兵衛が歩み寄り肩を叩く。

しかし、ぽんぽんと肩にかかる優しい感触に、彼女の悲しみは膨れるばかりである。

そして、言うか言うまいかしばし悩んだが、官兵衛は静かに答えた。

「皇太子が姫を想ってるのは同じだ」

ついとルイズが官兵衛を見やる。

「だが、その想いがあるから、戦の火種を恋人の国に持ち込みたくないんだろうよ」

官兵衛が淡々と話し始めた。だがルイズは。

「なによそれ。意味わからない」

どうにも納得できないという顔である。

「愛してるなら、どうしてそばに行かないの?姫様のそばで一緒に……」

「おいおい」

官兵衛は再びなだめるようルイズに言う。

「貴族派の勢力を見ろ。あんだけ勢い付いちまったらもう止まらない。そしたらその矛先はどこに行く?」

アルビオンを制圧し、レコンキスタは次に何をするのか。それは、立地的に間違いなくトリステインへの進行だろう。

彼らが掲げるのは、ハルケギニアの統一そして聖地の奪還なのだから。

官兵衛の説明を、ルイズが黙って聞く。

「もしここで皇太子がトリステインに逃げこめばどうなる?」

静かに、言い聞かせるように。

「貴族派連中は、戦争の口実ができたとばかりに意気揚々と進軍してくるぞ」

官兵衛は続けるが、しかしルイズは俯いたまま微動だにしない。

「そして、トリステインがそんな爆弾を抱えたと知ったら、ゲルマニアは同盟をどうする?」

そう、トリステインは同盟を破棄され、孤立するのである。

そう官兵衛が締めくくる。

ルイズがぎゅっと拳を握る。

官兵衛はそこまで話して、ふうとため息をついた。

そして、目の前で俯くルイズを見て、少々話しすぎたかと頭を掻く。

「……まあなんだ。今日はもう寝たほうがいい」

ルイズからやや目をそらし、官兵衛は窓から外を見る。

「戦場の真っただ中だからな。部屋に籠ってねりゃあいい。そんで明日、お国に無事帰ることを考えとけ。今日のことはもう――」

――忘れろ。

そう付け加えながら、官兵衛はルイズに向き直った。しかし。

「――いやよ」

唐突にルイズが顔をあげて、言い放った。

「お願い!皇太子殿下を、王軍を説得して!」

なかば睨むようにしながら、ルイズが続ける。

「アルビオンは正当な王家の血筋よ!それを擁護する名目なら、問題にならない可能性だってあるわ!姫さまだってその可能性を信じて――」

それは、必至の形相である。嫌というほど伝わるそれには、どこか意地のようなものも見て取れた。

ルイズは言う。姫の個人的感情でなく、あくまで王家の血筋を保護する名目ならばいいだろうと。

官兵衛からしたらどうにも苦しい言い分に感じるが、未だハルケギニアの歴史や風土に疎い彼には、ありえないなどと否定はできない。

王家の血筋の尊さも何も、身に染みて解るわけではないのだ。

だが官兵衛は頷かない。

「お願いよ。皇太子殿下が首を縦にふればそれだけでトリステインへお連れできる。私からももう一度説得する。だから!」

お願い――その言葉に強い想いがこめられる。

しかし、官兵衛はかぶりを振って言う。

「そいつは無理だろうよ」

「なんでよ!」

「お前さんが思ってるほど、理屈だけで事は進まん」

官兵衛がぴしゃりと言い放った。

彼にとっては、亡命の名目や戦争の口実よりも、動かしがたい障害がある。

それは、ルイズも官兵衛も、先ほどまで目にしていた光景が物語っていた。

あの賑やかな光景を思い起こしてほんの少し、官兵衛は口を噤む。

しかし意を決したように口を開いた。

「見ただろうあの宴の様を。王軍連中の声を、表情を、眼を」

官兵衛が声を低める。

「あいつはな、もう後に引かない、退けない連中の眼だよ」

アルビオン万歳!そう声を張り、去っていく男たちのギラついた目を、官兵衛は思い出す。

敗北につぐ敗北。それを重ね、本土を守れなかった彼らにとっては最早、死ぬことでしか誇りを示す道はない。

自分たちが勇敢に死に、その様を誰かに残すことでしか未来を救う手立てがない。

そう信じているのだろう。

「意地と覚悟をもって、少しでも王家の精強さを見せつけるのが皇子の狙い。

それで少しでも貴族派が勢いを削がれりゃ、それも姫さんの助けになる」

それが、王軍が命を賭して全うする最後の使命だ。

官兵衛は続ける。

「皇太子はもう後には引かんよ。

少なくとも、昨日今日でここに来ただけの小生らが、連中の覚悟を曲げることはできん」

つながりの浅い自分たちが、彼らの最期を遮ることなど出来ない。

語調こそ静かだが、官兵衛は強く強く言い放った。

「……そんな」

官兵衛の厳しい様子に、ルイズは愕然とした。じっと官兵衛を見つめるルイズ。

「じゃあ、どうして?どうしてよ……」

一通りの官兵衛の言葉も、考えも、全て耳にした。

どうしようもない、状況は動かしようがない。

嫌というほど、十二分に理解できた。

しかし、しかしそれでも、ルイズは納得が出来なかったのだ。

今の官兵衛の言葉ではなく、『あの時』の彼そのものに。

「あんなに、ずっと殿下と話してて!どうしてよ!」

芯の底に響くよう、ルイズが言い放つ。

いきなりの悲痛な叫びに、官兵衛は押し黙った。

「まるで、いつもみたいに……」

宴の最中、ウェールズと酒を酌み交わし談笑していた官兵衛。一連のその光景を、ルイズは見ていた。

いつもと変わらない様子で食事をし、宴に参加する官兵衛を、彼女は会場の隅から見つめていたのだ。

ルイズが宴の空気にこらえきれず会場を飛び出す、その直前まで。

「どうして平気なのよ!みんな死にたがってるのをわかってて、なんであんなに楽しそうにしてるのよ!」

どう飲み込もうとしても、ルイズには理解ができなかった。

すすんで死地に赴く皇太子。王軍。

そして、そんな彼らと笑い酒を酌み交わす官兵衛。

いつもと変わらず、明るく振る舞うだけの使い魔なのに、その時に限っては彼が恐ろしく異様であった。

どこか恐ろしくもあった。

ともかく、ルイズにはすべてが歪に映ったのである。

「……ルイズ」

ルイズが内に抱えていた思いの一端に触れ、官兵衛はそれ以上言葉が出てこない。

「もういや……嫌いよ。この国はおバカな人ばっかり」

そう言うや否や、ルイズは官兵衛を睨みつける。

その瞳には、こらえきれない涙ばかりか、強い強い憤りが宿る。

「大っ嫌い!!」

悲鳴に近い声が廊下中に響き渡った。瞬間、バシンと何かがルイズから投げつけられる。

一瞬きらりときらめく何かが、乾いた金属音とともにぶつかった。

カランカランと響かせ床に転がるそれは、手のひらサイズの平たい缶。

それに一時視線を落とす。そしてふと前を見れば、そこにもうルイズは居ない。

暗い廊下の向こうへ走り去る靴音を耳にして、官兵衛はじっと目をつむった。

 

いつの間にだろうか、開けっ放された窓から、肌寒い空気が流れ込んでくる。

「なあ相棒」

「なんだ?」

そして、これもいつの間にか、鞘から出たデルフが官兵衛に話しかけた。

どっかり鉄球に座り込んで、話をきいてやるとばかりの様子の官兵衛。

「わかってやんな。あの娘っ子だってさ、色々理解はしてるよ」

床の缶を拾いながら、官兵衛はデルフの言葉に耳を傾ける。

「あんなでも貴族の娘さ。戦争ってのがどういうもんか知ってるし、犠牲だとか責任だとか身に染みてわかってるよ。

けどな、頭でわかってても気持ちがついてこないのさ」

ましてやあんな生々しい宴なんか見せられたらさ、と付け加えながらデルフが言う。

生々しい。

確かに、ルイズにとってはそうに違いない。

 

――どうして平気なのよ!――

 

ルイズの叫びが再び思い起こされる。

平気かどうか言えば違う。

官兵衛も乱世の住人だが、あの場で心が揺れぬほど冷徹でも、無関心でもない。

それが、たった一度とはいえ、酒を酌み交わした相手ならなおさらだ。

ただ、たとえ官兵衛の心内がそうだったとしても。

「……年頃の娘に見せるもんじゃあなかったか」

彼流の、ウェールズへの手向けは、ルイズにはさぞかし堪えただろう。

頭をかきながら官兵衛は立ち上がった。

「時にデルフ。こいつは?」

ふと官兵衛が、手の中の小さい缶を見て尋ねる。

よくよく見ると平らな蓋が外れるようになっており、開くと白い軟膏が詰まっている。

デルフがそれを見てしゃべり出した。

「そいつは薬だよ。たぶん打撲とか痛みに効くやつじゃねーか?」

「塗り薬か」

そっと指で軟膏をすくう官兵衛。なるほど、なにやら指先に感じる清涼感と、独特の臭いは薬の類に違いない。

「あの娘っ子、そいつを渡したかったんじゃないのかい?ほら、相棒ここまででずっと体張ってきただろ」

道中の襲撃の数々が思い起こされる。

いくら官兵衛が異常な頑丈さを備えるとはいえ、ルイズからしたら気が気でなかったに違いない。

加えて、長曾我部との激闘の末の昏倒。

城についてからもずっと気を回していたのだろうか。

皇太子と手紙のやり取りをする傍ら、倒れた使い魔に薬まで用意して。

「……よくばりな娘っ子だな」

親友から賜った任務も大事、しかしその想い人も救いたく、さらには使い魔も心配。

一体どこまで背負い込むつもりなのだろうか。

「無茶なご主人だ、まったく」

「ははは、相棒みたいだねぇ」

ため息交じりに言う官兵衛に、かちゃかちゃとデルフが愉快そうに応じた。

「で、どうすんだい?相棒」

ひとしきり笑ったデルフが、先ほどとは打って変わって真面目に問う。

官兵衛も、一仕事すべくと伸びをしながら答える。

「おう、とりあえずそろそろ敵さんも動き出す頃合いだろう。皇太子には悪いが、ひっくり返すのは厳しい。だったら――」

華々しく戦果をあげさせてやろう。

そう言うや否や、官兵衛が暗い廊下の奥を見据える。

「そろそろ出てきたらどうだ?」

官兵衛が腕を構え、ジャラリと鎖がこすれて球を引きずる。

「覗き見野郎」

そして、そう言い終わるのとほぼ同時であった。

ふっ、と全ての灯りが掻き消え、廊下が、周囲が、暗闇で閉ざされたのは。

「相棒!気を付けろ!」

「おう!」

全ての視界が遮られた空間で、デルフを引き抜き、周囲を探ろうと五感を研ぎ澄ませる。

音が、空気が不気味なほど静かだ。

しかし何らかの視線が自分に注がれるのだけはひしひしと感じる。ある種の殺気と言い換えてもいいだろう。

確実に何者かが、今この場で自分の命を狙っている。

「相棒みえるかい?」

「ハッキリとはわからんな」

暗がりで目を凝らしながら、官兵衛は言う。

月明かりも雲に隠れ、辺りはまさに黒一色。

光りない空間では一寸先も目視できない有様である。

そんな状況で命を狙われてるにかかわらず、官兵衛はなんとも落ち着いた様である。

「相手はメイジだね。こんな闇で襲撃するんなら『暗視』の魔法か、もしくは……」

デルフが言い終わらないうちに目前からそよ風が漂う。

何かが一直線に向かってくる、唐突な風のゆらぎ。

しかし、長期間の穴倉生活を過ごした官兵衛にとっては、闇でそれを感じ取るのは造作もない。

研ぎ澄まされた感覚で微妙な空気の揺らぎ感じ、官兵衛はデルフを横なぎに一閃する。

瞬間、ギン!と金属音が鳴り響いた。

剣先に確かな硬い感触を感じる。同時に、目前に確かな人の息遣いを感じとった。

「おらっ!」

すかさず、鉄球を前方へ向かって蹴り飛ばす。

重たい鉄球が鞠のように軽々飛ぶ。しかし、その威力は大砲のごとき重さ。

そんな一撃が、前方の何者かをとらえて吹き飛ばした。

「ぐっ!」

何者かのうめき声とともに、ドン!と手枷に伝わる確かな感触。

してやったり、と官兵衛は叫ぶ。

「どうだ!暗がりも襲撃も慣れっこでね!」

それを聞いてか聞かずかしてか、やや先で、カランカラン、と音が響く。

おそらく相手はメイジ。攻撃を食らい、手放した杖が床に転がる音であろう。

「そこか!とどめを喰らえ!」

全神経を耳に集中させ、音源へ駆ける。そして目前にうずくまる確かな気配をとらえた。

そして、全力でそれに鉄球を振り下ろそうとした、その瞬間だった。

「ほう、確かに闇は慣れているようだな」

官兵衛の耳に、愉快そうな声が届いたのは。

「だが真のメイジは。闇を制すことすら造作もない」

誰もいない、息遣いも空気の揺らぎも、何一つ感じなかったはずである。

穴倉で培われた官兵衛の五感が、武将の感覚が、それを見逃すはずもない。

にもかかわらず『そこ』から、囁くように声が届いた。

「なあ?ガンダールヴ」

官兵衛の、まっすぐ背後の場から。

「……なっ?」

バカな、と動きが固まる。そしてそれと同時に気づく。

たった今目前にとらえていた、今しがた鉄球を喰らわそうとした気配が無い。

「なんっ……だと?」

苦しそうに、呻くように、官兵衛は言葉をひねり出す。

それが、その場での彼の精いっぱいの声であった。

闇の中で突如現れた気配と、この旅で幾度も耳にした声。

そして、背中から腹にかけてを、抉られるような激痛。

それらが、官兵衛の表情を苦悶に歪めてた。

「がっ……」

体の内側から広がる激痛に、口から空気が漏れる。

ぼたりぼたり、と甲冑の隙間から液がしたたり落ちて、血だまりを作る。

背後の気配はそれを見て満足そうに笑むと、再び口を開いた。

「……死ね」

どす黒い、怨嗟を込めた呟きが耳に届く。

同じく、バチバチと空気が弾ける奇怪な音も。

デルフが叫ぶ。

「『ライトニングクラウド』だ!風系統の!まずい相棒!」

二人の周囲に電撃がスパークし、襲撃者の顔が照らされる。

首だけ振り返りながら、官兵衛は照らされるその顔を睨みつけた。

「てめぇ……!」

瞬間官兵衛を、背中から腹へと貫いた杖が、まばゆく輝く。

周囲を停滞していた雷がまっすぐ杖へと伸びた。

「死ね!ガンダールヴ!」

バリバリと、けたたましい轟音とともに、高圧の電流が官兵衛の体内へと炸裂した。

 

 

「来やがったぜ」

フーケはその唐突な呼びかけにハッとした。

ウトウト船をこいでいたが、あわてて周囲を見回し、次いで隣の長曾我部を見やる。

「……?なんだい、いきなり」

先ほどから貝殻のように口を閉ざす長曾我部が、いきなり話し始めたのだ。

フーケが何にか問いかけても、一向に返さなかったのに。

「来やがったって……?」

目を丸くしながら、フーケは長曾我部を見やる。

険しい表情の彼は、全身から張り詰めたような空気を作り出している。

そう、まるで自分が貴族相手に盗みを決行する、その直前のような、あの雰囲気だ。

「……まさか」

それに気づき、フーケは牢の外へと注意を払う。

ふと見ても、一見変わりはない岩壁の牢獄だ。獄中の薄暗さも静けさも、冷たい格子も揺れる灯もなにも同じだ。

ただ一つの違和感を除いて。

「(ちょっと、静かすぎるね)」

そう、今が皆が寝静まる深夜であることを除いても、まるっきり人の気配がないのだ。

普段囚人を監視する看守の息遣いさえ皆無。

戦時中で、今の牢獄にはフーケと長曾我部しか繋がれてはいないのだが、それでも牢番が持ち場を離れることなどあるはずはない。

「おい!牢番!おいっ!」

大声で呼びつける。

しかしつい先ほどまでなら、煩わしがる怒声の一つでも飛んできたのだが、まるで何もない。

「おい?どこいったんだい!」

「無駄だ」

尚のこと呼びかけるフーケに、長曾我部が言う。

「もう殺されてるぜ」

それを聞き、フーケの額に汗が浮かぶ。

そして、まさか、と口にしようとしたところでそれも遮られた。

突如聞こえ始めた、拍車の混じる足音に。

「……この足音」

聞き覚えている音だ。あのときチェルノボーグの監獄でも、状況は同じであったから。

長曾我部が、低い声で言う。

「もう下手な行動はとれねぇ」

それを聞き、フーケは浅く唾を飲み込んだ。

かつんかつん、と響く足音が真っすぐに近づいてくる。

そして、やがて足音は二人の牢獄にさしかかって止む。

鋼鉄の戸に開いた格子窓、その向こうに白い仮面が顔をのぞかせた。

「……ふむ」

仮面が短く呟く。

同時にガチャリと鍵が開き、思い軋みとともに扉が開く。

そして音もなく立ち入ると、男はスラリと杖を抜いて見せた。

「また会ったな土くれ」

その皮肉を込めたセリフに、フーケと長曾我部は苦い顔を浮かべる。

牢の戸が開いても、鎖で壁につながれた二人は自由が利かない。

何より、杖も碇槍も、仕込みの短剣も、すべて取り上げられた二人には成すすべがない。

それを十分わかった上で、仮面は実に愉快そうに言葉を続けた。

「ここまででずいぶん手を焼かされたぞ。本来ならチェルノボークで事が済んでいた筈が、よもやこんな雲の上まで来ることになるとはな」

なあ、と仮面はフーケを見下ろす。長い杖の先端が、彼女の顎に添えられ、ぐいと乱暴に顔を持ち上げる。

「……っ!」

彼女は白仮面を睨む。しかし、諦めと怯えが混じった顔には力が籠らない。

かすかな震えを隠すように添えられた杖を振り払うと、彼女は言い放つ。

「殺すならさっさとしなよ。つまらない前置きは時間の無駄だろ」

長曾我部も観念したように押し黙る。しかしその眼は鋭い。

仮面の男はそんな二人を見ると、微かに笑いながら言った。

「なんとも哀れだな。かつてトリステイン中を恐れさせた世紀の怪盗フーケが、こんな異邦人とつるみこそこそ逃げ回っていたのだからな」

「なんだと?」

異邦人――その言葉に、長曾我部がギロリと仮面を睨む。そんな視線を受け仮面は、今度は長曾我部を見下ろす。

「貴様だ。どこかは知らぬが、遥か彼方ヒノモトから来た、異国の者ども」

フーケも驚いたように長曾我部を見やる。

「あの時、『ライトニングクラウド』を喰らわせたにもかかわらず効果が薄かった、その時点で気づくべきだったな。

貴様らには、異常なまでに体躯や力に秀でたものがいる」

言い終わるや否や、仮面の杖先が魔力を帯びる。

空気の層が、形になった様に無数の矢に姿を変えて凝縮される。

「モトチカ!」

フーケが叫ぶ。無数の発射された矢が飛び、壁につながれた長曾我部へ降り注ぐ。

「チッ!」

短く舌打ち、急所を守るように咄嗟に体を捻る。

ざくざくざく!と腕が足が、胴体が、矢に穿たれ、壁に縫い付けられた。

「があっ!」

どうあっても避けきれぬ空気の矢は、突き刺さった後でも形を保ち、彼の動きを完全に封じる。

その痛みに、さすがの西海の鬼も声を上げた。

その様に、仮面は一層愉快そうに言葉を続ける。

「無様だな。忌々しい異邦の者も、こうなってしまえば赤子同然か」

クツクツと、笑い続ける男に、怒りの形相で長曾我部が言う。

「てめぇ、異邦だか異国だがしらねえが、ただで済まさねえぜ。鬼を怒らせたらどうなるか……!」

仮面がふと笑いを止め、ついと杖を振るう。新たに一本矢が追加され、長曾我部の脇腹へと打ち込まれる。

「かっは……!」

「黙れ賊が」

仮面が吐き捨てるように言う。

「これだけされてまだ口が利けるか。呆れた気力よ」

長曾我部の口から乾いた空気が漏れる。

しかし、全身を貫かれても意識を保つ彼に嫌気がさしたか、仮面は再びフーケと向き合った。

「さあ土くれ、最終通告だ。我々の仲間になれ」

脅す口調で、仮面はフーケに迫る。

そして今度は容赦しない、とばかりにフーケの喉元に杖が向く。

断れば魔法で首をはねる、とでも言わんばかりだ。

その杖先から仮面へと視線を映しながら、フーケは恐る恐る言う。

「な、なんだいまだアタシを諦めてないの?」

意外な誘いにフーケは動揺する。

これだけ逃げれば次は死だろうとたかをくくっていたが、どうにもそうではないらしい。

フーケの言葉に、仮面が続ける。

「我々の今後にはどうしても、裏に通じる人材が必要だ。特にお前のようなメイジは、上としても見過ごせぬらしい」

そして一応は、俺の評価も変わらぬ。

仮面はそう付け足した。

「さあ選べ、マチルダ・オブ・サウスゴータ。我らのもとに来て名誉を取り戻すか、それとも落ちぶれた盗賊として生涯を終えるか」

仮面が凄む。

改めて、かつての名を呼ばれ、フーケはやれやれとうなだれた。

「仕方ないね」

フーケは、観念することに心を決めた。

どうせここで意地を張って死んでも、何一つ得にはならない。

何より自分がここで死ねば、この大陸で帰りを待つあの子に申し訳が立たない。

鬱蒼と茂る森の奥で、誰にも知られないようひっそりと暮らす子供たち。

そして子供たちに囲まれ、あの娘がそこに――

「(今はまだこんな所で終われない)」

その光景を思い浮かべ、フーケは仮面に答えた。

「いいさ、手を貸してやるよ。ま、その分報酬ははずんでもらうけどね」

口元に笑みを浮かべながら、フーケは笑いかける。

「いいだろう」

仮面も満足げに頷いた。

即座に鍵を用いてフーケの枷を解除する。

じゃらりと鎖が外れると、彼女は立ち上がってうーんと背を伸ばす。

「はぁ~窮屈だったよ」

軽口を叩きながらも、フーケは仮面の動向を探る。

相手はじっとこちらに注意を向け、佇む。

どこかこちらを見透かそうとしているような探る視線である。

そして、壁に魔法で縫い付けられた長曾我部には目もくれていない。

それに気づくと、フーケはわき目で長曾我部の様子を確認した。

四肢に喰らった魔法で、長曾我部は満身創痍。

傷口からの出血もおびただしく、早急な手当が必要だろう。

しかし目の前の仮面がそれを許すはずもない。

「(……悪いね)」

フーケは内心で詫びを入れる。

ここまで道中世話にもなった。

多少言動の非常識さに手も焼いたが、気の悪い男でもなかった。

だが、その連れ合いもここまでなのだ。

自分には死ねぬ理由がある。

さらには見ず知らずの荒くれと心中する気にもなれない。

そう思い、フーケは長曾我部に向き合った。

「……ま、道中世話になったわね。悪いけどあたしはこいつと行くよ」

息を切れ切れに、長曾我部がフーケを睨む。

しかしフーケは意にも介さず、長曾我部の顔を覗き込みながら言う。

「恨むんじゃないよ。有利な方につかなきゃ生き残れないだろ?」

こっちはお前とこれ以上付き合う気はない、と、暗に言い含める。

フーケはにやにやと作り笑いを浮かべてみせた。

長曾我部は傷が痛むのか、うめき声を上げながら俯く。

なんとも痛々しい様だ。

「……じゃあね」

フーケは静かに呟く。踵を返して、さあ牢を出ようとばかりに歩き出しす。

しかしその時だった。

「待て」

仮面が懐から杖を取り出してフーケに突きつける。

ここに来て取り上げられた、フーケの杖だった。

「あらあら、随分気が利くじゃない」

差し出された杖を、満足そうに受け取るフーケ。

しかし仮面は彼女の目前を塞ぐとこう言った。

「最初の仕事だ土くれ。こいつを殺せ」

仮面の重々しい口調が、フーケに投げかけられた。

「……は?」

一瞬、言葉を詰まらせて、フーケは聞き返した。仮面は変わらず繰り返す。

「この男を、この場で殺せと言ったのだ」

仮面の杖が、まっすぐ長曾我部を指す。

その動作と言葉の意味するところに、フーケは身を硬直させた。

「な、馬鹿だね。放っておきゃいいじゃないか」

唐突な殺しの命だった。意図も分からず、フーケは必死で言葉を取り繕う。

「もうじきここは軍勢が攻め入るんだろ?そうでなくともこんな虫の息なんざ長くもたないよ」

時間の無駄だ、とばかりに手を振ってみせる。

「それより早く行こうじゃない。長引くと兵士が感づくよ?」

フーケとしては、早めに逃げて身を隠したい意味もあった。かつて盗賊として仕事をしていた経験からいっても、時間の浪費は避けたいのだ。

ましてやここで殺しなど、何一つ得にはならないではないか。

「ほらどきなよ!さっさと逃げないと――」

「城の人間は皆殺しだ」

その言葉と同時にずいとフーケに杖が向く。同時に仮面の怨嗟の籠った声色に、フーケは言葉を遮られた。

「今頃城内では襲撃が始まっている。ここに人は来ない、いや来ても困ることはないだろう」

どのみち殺せば同じなのだから、と仮面は付け加える。

「だが困る事は別にあってな。貴様自身だ土くれ」

仮面は強い口調で続けた。

「我々は目的のためなら手段は選ばぬ。この地の統一と大いなる聖地奪還の為にはな。

だが貴様はどうにも違うようだ」

自分へ向けられた杖とその話から、フーケに冷や汗が流れる。

「これまで貴様の盗みの手口を見るに死人は出ていないようだ。たとえどれほど大掛かりな手口で、相手であっても、な」

それを聞き、フーケも反論する。

「そりゃあ、下手に殺したら大きく手配されるしね。それにアタシは宝を奪われてうろたえる連中が好きなのさ。死んじまったら――」

「慌てる事もできない、か?」

言葉の先を引き取られ、フーケは思わず押し黙った。

クックと含みをこめて仮面が笑う。

「我々にはその甘さが、何よりも不要なのだ」

その言葉で、フーケはここに来てようやく悟った。

目の前の仮面の組織、レコンキスタは、自分が思うよりも苛烈で残忍。

そして思うよりも、自分が取り入るのに適していない、イカレた集団だということを。

「甘さを捨てろ土くれ、いや……マチルダ」

再び仮面がその名を言う。

「貴様の家名が、名誉が、アルビオンの王家に取りつぶされたのはなぜだ?

それは貴様らの仕える暗愚な君主に、サウスゴータの太守が加担したからだ。

君主の愚行を見捨てられぬ甘さが、その破滅を招いたからだ」

「……暗愚、愚行?」

フーケは唐突に、目の奥底が熱く燃えるような感覚を覚えた。

「そうとも。詳細はともかく、貴様の家もそれに付き従い潰えた。なんとも愚かな話ではないか」

仮面が次々と言葉を並べる。

それを聞き、彼女の奥底に徐々に熱が広がり続ける。無意識に奥歯へと力が籠る。

目前の男に対して、ふつふつと、言い知れぬものが沸き上がる。

「今ここでこの賊を殺し、貴様の奥底から情を取り去るのだ。

そうすれば、お前を快く貴族派の一員と認めよう。出来ぬなら見込み無しとみなし、始末する。さあ――」

どうする?と仮面の促す言葉に、フーケは杖を構えた。

壁へつながれた長曾我部を前にして詠唱を始める。

途端、めきめきめき、と周囲の壁から岩が剥がれ、鋭く精製されていく。

そして鋭利なる岩のやりが空中へ停滞して、ピタリと長曾我部へと狙いを定めた。

仮面は動かずじっと、その様を監視する。

「悪いねアンタ」

フーケは呟く。

同時に杖を、真っすぐ己の背後へと振るった。

「あたしはあんたみたいな奴が、一番嫌いなのさ!」

岩槍が一斉に反転し、背後の仮面目がけて飛ぶ。

ガガガガッ!と乾いた衝撃音が炸裂して部屋中に土埃が飛び散った。

その中心で仮面は、淡々と言葉を紡いだ。

「残念だ」

フーケは即座に飛び退り距離を取ろうとする。しかし狭い獄中にそんな場所はない。

フーケは長曾我部と隣り合うよう壁を背に仮面に向き合った。

「太守と同じ道筋を辿るか。マチルダ」

「黙れ!」

フーケは激昂して叫んだ。

お前に何がわかる。わたしのこれまでを、あの娘の、何がわかるというのか。

侮辱の数々へ、怒りの言葉が浮かんでくる。

「気安く、人の名を呼ぶんじゃない!」

怒りに任せて、杖先から石礫が舞う。しかし仮面はたやすく杖ではじき返すと。

「安心しろ、もう呼ばぬ」

呟き、瞬間青白い杖が伸びてフーケの体を突き刺した。

「うがっ!」

即座に杖が引き抜かれ、腹部から血が噴き出る。仮面は続けざまに、フーケの手足を貫くと。

「そして会うこともない。賊が」

地面に崩れ落ちた彼女を、汚物を見るように見下し、言葉を投げかけた。

「あっ、ああ……」

フーケは倒れ伏し、杖を取り落とす。

四肢と胴体に力が入らない。昏倒しそうな痛みが襲うが、彼女の意地がかろうじて意識を保つ。

「くっ……うう。ちっくしょう……!」

「安心しろ、そう容易く殺さん」

床でもがこうとするフーケを見下ろし、仮面が言う。

「動けぬが、『まだ死なない』程度にしてやった。これからレコンキスタの総攻撃が始まる。ここには貴様の予想どうり、血に飢えた軍隊がなだれ込む……」

愉快そうなその言葉にフーケは青ざめる。

「思う存分、弄ばれよう。我らと敵対したことを悔い、恥辱と侮辱にまみれて死ぬがいい」

そういって短く笑うと、仮面は背を向けた。

「さて、向こうの始末は終わってる手筈だ。あとは計画の通り――?」

その時、仮面はついと動きを止めた。

一流の風の使い手の男には、場内の空気の動きをある程度把握できる。広範囲では精度も限られるが、人の動きも読むことが可能。

その仮面の感覚に見知らぬ、いや計画外の気配が飛び込んできた。

「……どういうつもりだ」

その気配の主が分かるや否や、仮面は怒りに顔を歪めた。

仮面で表情はわからないが、倒れ伏したフーケからも仮面の豹変ぶりがうかがえれるほどに。

「この計画は俺の……!おのれ忌々しい羽虫風情が、よくも邪魔を」

わなわなと手にした杖を震わせ、仮面は一人叫んだ。

沸き上がる怒りを抑えようともせず。

それが、その一瞬が、隙であった。

「おいっ……!」

突然の怒鳴り声が背後から響いた。怒りから返り、仮面ははっとして振り返る。

一瞬の感情の乱れが、彼にとって何より致命的だった。

仮面の眼前に迫りくる拳が広がる。

「……おのれ異邦人」

仮面は短く、静かに呟いた。気づくべきだったのだ。

あの時フーケが自分に放った魔法が、あろうことか長曾我部を開放すべく放ったものであったことを。

奴の戒めを解くべく、もう一方へ放たれた岩片があったことを。

目前に立つ長曾我部を見て、仮面はそれを悟った。

拳に仮面が打ち砕かれるのを感じながら舌打ちする。

「(……ここはもういい。フーケは始末した。こいつも長くはもつまい。問題は――)」

仮面が崩れ落ち、素顔が露になるが、男は気にする風もなく詠唱を始める。チェルノボークで放ったものよりも威力を込め、杖先から雷光を放つ。

まっすぐまっすぐ、雷が目前の長曾我部へ伸びた。しかし。

「……テメェか」

元親はそれを避けるそぶりも見せず、直立不動で身に受ける。

まばゆい光と身を焼く電撃。だが、その中で西海の鬼は微動だにしなかった。

ついと、自分の足元に倒れ伏すフーケをみやり、次いで目前の男を見据える。

そして、そのあらわになった仮面の下を見据えながら、静かに、はっきりと言い放った。

 

「落とし前は必ずつけさせるぜ」

 

「ここいらで落とし前つけさせてやる」

 

官兵衛は、内側を焼かれる感覚をおぼえながら、背後で笑うその顔に言い放った。

背後から押さえつけられ、体を貫く杖と電撃から逃れるすべは無い。

ばちばちと雷光も弾け続ける。

そして、これだけの騒ぎのはずが兵士の一人も駆け付けないあたり、辺りは敵の手中だろう。

つまりこの場に助けも来ない。背後の男もそれをわかって余裕の表情を浮かべているのだ。

だがそうであっても、たとえ窮地であっても、官兵衛は振り返ってその面を見据えた。

 

怒り憎しみとも違う、力のこもった瞳。

 

それぞれの二対の武将達の眼が、そのよごれた仮面の下の素顔を逃がすまいと捕らえて離さなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。