ふと、空を見上げた。昨日まで凡そ一週間は降り続いた雨が嘘だったかのように、雲一つない青空が広がっている。
日差しが肌に痛いほどで、こんな日にも雨傘を差している自分はさぞかし間抜けに見えるだろうと、他人事のように笑ってしまった。
今日のような晴れた日に、どうしようもなく憂鬱になってしまうことが昔からあった。まだ妖怪としては幼かった時分にはよく悩まされたものだ。
荒んだ心をどうにかこうにか抑えることができるようになったのは最近で、数百年の間治らなかった悪癖を多少なりとも緩和できたことは私ーーー多々良小傘にとって、大きな進歩だった。
それでも、気分が落ち込んでしまうのは仕方ない。燦々と輝く太陽が否が応でも昔を、置き去りにされた日を思い出させるのだ。
少し、昔を振り返るのも悪くない。
泣いて、荒れて、恨んで、迷って、そして出会って。
そんな、昔話だ。
元々私は、何の変哲もない一本の雨傘だった。値段も製法も、凡百の傘と変わるところはない。無名の職人に作られ、呉服屋で下働きをしている青年に買われた。晴れた日は長屋の玄関で埃を被り、雨の日は主人のお供として水を弾く。そんな普通の雨傘だ。
強いて言えば、その造形と配色が少々大衆受けが悪かったというぐらいか。大抵の傘は製造順に売れていくものだが、私は後輩の傘の7割強にまで先を越される始末だった。言うまでもないが、同期の中で最も遅かった。歴代でも売れ残り期間最長だろう。
そんな有り様だからだろう。菖蒲の咲く頃だったか、午後から降り止んだ雨に浮かれた主人が出掛け先に私を忘れていってから付喪神になるまで、遂ぞ私を拾うものはいなかった。十年や二十年ではとても足りない時のなかを雨風に晒されて過ごした私が、人を恨めしく思うようになったのも自然の数といえる。
「多々良」などという名を名乗ったのは、そういった恨み辛みの表れであった。凶悪な妖怪となって復讐を成さんと思い、悪名高き妖怪「一本だたら」に肖ったわけである。
若気の至りという他ない。
妖精に毛が生えた程度の力しか持たぬ妖怪が大妖怪の名を名乗っていた訳で、思い返してみると赤面ものであるが、当時の私は大真面目であった。
付喪神になった私は、人を驚かせて回るようになった。私を気にも留めなかった人間たちに、一泡吹かせてやろう、と思ったのだ。
存外、この行為は私の心を慰めた。
夜道を通りがかった人間が仰天して腰を抜かしたのは痛快であったし、酒精に緩んだ顔を恐怖に凍らせた時には思わず胸の内に昏い悦びを感じたものだ。
男も、女も、子どもも、大人も。農民も、商人も、侍も。様々な人間たちを私は驚かせた。
ただ、老人だけは狙わないようにしていた。
一度、墓参りにきた商人風の白頭翁を驚かせたことがあった。小高い山の中腹ごろにある、寂れた墓地でのことだ。
嗄れ声の悲鳴でも聞いて今晩の肴にしようと、軽い気持ちでの行動であった。
日が暮れるのを待ち、周りに人の気配がないことを確認した私は、おどろおどろしい雰囲気を漂わせながら満を持して翁の前に躍り出た。
結果、厚ぼったい目蓋をこれでもかと持ち上げた翁は、憐れ白髪頭と同じくらいに血の気の失せた顔色をさせながらもんどり打って倒れてしまった。予想を遥かに越えた惨事を前に、私は甲高い悲鳴をあげることとなったのだ。
幸いにも、これまた商人風の青年がいつまでたっても戻らぬ翁を探しにきたおかげで大事には至らなかったが、これ以来老人を驚かすことに臆病になってしまった。
私の境遇は人を恨ませるには事足りたが、人を憎むには至らせなかったらしい。人を殺すには、私の感情はどうにも力不足だった。
だが、弱い感情ほど燃費がいいのかなかなか薄れてくれず、人を驚かせるのを止めることはなかった。
季節の変わり目を何度数えたか、幻想郷という新天地に移っても、幻想郷が外の世界と切り離されることになった時も、変わらず私は人を驚かすことだけを生き甲斐にしていた。我ながら、執念深い女であった。
幻想郷が外の世界と切り離されたことは、思わぬ弊害を私に齎した。人を、驚かせなくなったのである。より正確にいうのならば、人が驚いてくれなくなったのだ。
幻想郷という閉じられた世界で、数多の妖怪に触れた人間たちは私のような木っ端妖怪などでは眉も動かさぬくらいに強かになっていた。
これには大いに焦った。
長いことこの生き方をしていた私には、もはや驚かす以外にどのように生きていけばいいのかさえ分からなくなっていて。むやみやたらと人前に飛び出しては、鼻で笑われる日々だった。
私が人を驚かせなくなってから、いくらかの月日が経った頃。
その年は、稀に見る凶作であった。
前年の蓄えを吐き出しても賄えぬほどで、人々の口の端には幻想郷終焉の言葉が踊っていた。
かの大賢者、八雲紫が事態解決のために寝る暇を惜しんで東奔西走している、きっと今に解決の糸口を見つけるだろう、なので里民は安心して生活を営んでほしい。こういった旨の話を当時の博麗の巫女と八雲の式神が人里で叫んでいたのを覚えている。
それでも、人は納得できなかったのだろう。昼間の内に赤子を背負って里を出た女が、夕暮れ時にひとりで泣きながら戻る。そんな光景をよく見るようになった。口減らしというものはいつの時代であっても食糧危機に対する有効な手段である。
その頃の私は、人を驚かせることをほとほと諦めていた。飢えて殺気立った人々は私を取って食わんばかりで、驚かせにきた筈が逆に泡を食って逃げ出す始末であったからだ。
途方に暮れて山を彷徨い、思い出したように人里に降りては嘲笑られ、失意の内に帰途につく。繰り返しの毎日は私の気力を確実に磨り減らしていた。
大きな泣き声を聞いたのも、人里からの帰り道だった。
木々の生い茂った山中、人の通る道をいくらか外れた場所でのことだ。別段興味はなかったが、道を進めば進むほど声は近づいてくる。数分歩いた頃、いよいよ間近に声が聞こえだしたので気紛れに足を止めてあたりを見回してみた。
見つけたのは、小さな赤子であった。
左目の下に大きな泣き黒子をもったその赤子は、見事な大樹の根元にいた。母の最後の愛情か、その身を紅い布に包まれながら声枯れよとばかりに泣き叫んでいて、思わず耳を塞いだ。
口減らしが行われているのは知っていたが、実際に捨てられている赤子を目にしたのはこの時が初めてであった。
胸が痛まないでもなかったが、何より私自身の心の内に人を助けるときに必要な、ゆとりとでも呼ぶべきものがこれっぽっちもなかったため、見捨てよう、と決めた。
私は、赤子を視界に入れないようにしながら歩きだした。
見れば、余計に憐憫の情が湧いてくるであろうことは分かりきっていたのだから。
当時芥川作品とか読んでた気がする
予定としてはこの赤子の親代わりとしてしばらく育てるみたいな展開だったと思います