人間は行事というものに敏感だ。
万国共通、祭りは盛大に執り行われ、近所迷惑や些細ないざこざは、全て祭りだから、今日だけだと批判的な声には誰も耳を傾けないものだ。
だがしかし、そんな行事の中で数少ない賛成派と反対派が拮抗する日がある。それが12月25日、所謂クリスマスというやつだ。キリスト教徒なら勿論、世間に興味の無い人間でも知っているであろうイエス・キリストの生誕祭である。
多種多様な宗教や神がスクランブルエッグの様に混ざって定着している日本ではその意識は薄れ、男女が愛を誓い合う日という認識が広がっている。
それよりも天皇の誕生日が国民の休日である様に、クリスマスも休みにしてくれないかと願わんばかりである。むしろ自分の誕生日は学校も会社も休みにして欲しい。そうすれば少しは誕生日というのも祝いがいのあるものである。
比企谷家では当然の如くそれはもう盛大に小町の誕生日を祝う。普段忙しくまともに休みも取れない両親がその日だけはと休みを取る程だ。ちなみにその兄の誕生日は1週間後に思い出されたらしい。気の毒な兄である。
当の本人も忘れていて当日に天使戸塚の一言で思い出したのだから、誕生日もあって良かったと思えた。喋りかけるだけで人を幸せに出来る戸塚こそ生誕祭が行われるべきだと思いました。
さてさて、そのクリスマスがやって来てしまった訳だが、比企谷八幡とってはただの冬季休業期間の1日である。
いつもと変わらない日常、素晴らしい。
クリスマスの朝、インターホンを鳴らす音がした。
この家をこの時期に訪れるのは、消去法から導き出される。小町は冬期講習、受験生のため当然その周りの人間も小町に会いには来ないだろう。両親は家に居ないため、両親関係だった場合先に連絡があるはずだ。俺に関しては勿論、冬休みに遊びに来るような友達は居ない。万が一にもあるとして材木座ぐらいだろう。
導き出される答えは宅配。もしくは勧誘。どちらにせよわざわざ出るまでもなく、宅配だった場合は小町に寝てましたてへぺろっとでも言っておけば何とかなるだろう。
よって比企谷八幡が移す行動は一つ。居留守である。
「・・・」
普段から余り声も音も出さない生活をしているが、不自然さを出さないためにも更に息を殺して時間が過ぎるのを待つ。こう言うと凄そうだが、実際はぼーっとしているだけだ。
すると、二回目のピンポンがなった。続いて三回目。四回目、五回目と続いていく。
流石にうるさいので一言言ってやろうと玄関に出てしまった。これが今日全ての元凶となる選択だった。
扉を開けるとそこには少し低い位置に頭があった。クリスマスを意識しているのか、肩から掛けているポーチが赤と白のボタンで作られており、サンタになるのではなくサンタをファッションとして扱っている様だ。だが、格好そのものはサンタという訳ではなく、暖かそうなブラウンのコート、暖色を使ったチェックのミニスカートに身を包んでいる。
「先輩、遅いですよ〜」
「すまんちょっと手が離せない状態だったからな」
「先輩の事だから居留守しようとしてたんじゃないですか?小町ちゃんからきっとするから連打するといいよって言われたんですけど」
流石我が妹、兄の行動を完璧に把握している。将来が期待出来そうだ。把握している対象がこんな兄の時点で必要の無いスキルではあるが。
「・・・で、何しに来たの?ピンポンダッシュ?じゃあお帰りはあちらですよ」
「さらっと誤魔化さないでくださいよ・・・しかも御丁寧に帰る指示とか要らないんで」
すると目の前のピンポン連打犯、一色いろははお邪魔しまーすとずいずい家に入っていった。余りにもナチュラルだったので反応できなかった。
家にお邪魔するスキルなんて磨く機会などない。勿論だが対応するスキルも無い。
すぐそばを横切って家に入ったが、直ぐに脱ぎにくそうなブーツを脱ぐ工程で玄関で足止めを食らった一色に声をかける。
「で、ほんとに何しに来たんだよ」
「いや、先輩の事だからクリスマスは暇だろうなと思ったので」
「それは答えになってない」
「私も暇だったので!」
「他人の事言えねぇじゃねぇかよ・・・葉山はどうしたの?死んだの?」
確か目の前にいる後輩は葉山という先輩に猛アタックしているはずだ。このあざとい後輩がクリスマスなんて機会を有効活用しないとは思えない。
「葉山先輩はモテるじゃ無いですか、先輩と違って」
「・・・」
「クリスマスなんか沢山の女子がチャンスと思って誘うわけですよ、先輩と違って」
「・・・」
「だから葉山先輩は塾の講習に行く事で回避してるらしいですよ〜流石葉山先輩って感じですね、先輩と違って」
「なるほどな。モテる人はモテるなりの苦労があるわけだ」
少し考えれば分かった事である。あの葉山がクリスマスに特定の女子と過ごすわけがない。葉山なりの誰も傷つけない方法なのだろう。
「先輩苦労とかしてるんですか?」
「なんか今日の一色冷たくない?いろはすは冷たくなくても美味しいよ?」
「先輩を卑下することでそんな先輩に絡んでくれるいい後輩っていうのもありかなと思ったので」
「あざとさすらなくて単純に怖ぇ・・・」
ブーツを脱ぎ終わった一色は再度お邪魔しますと言って奥に入っていった。リビングに出た所でちらっとこっちを見てきた。
「あーまぁこたつにでも入るか椅子に座るなりなんなりしてくれ」
「じゃあ失礼しますねー」
ピンポン連打はマナーとしてどうなのかと言いたい所だが、基本的に彼女はマナーや礼儀は守る人間である。
そこが生徒会長として一年生ながら仕事をこなし、生徒会内に批判するような人間が居ない主な理由なのだろう。
だがしかし、それとこれとは話が別である。
「先輩もこたつ入ったらどうですか?」
「あぁ・・・」
一色の向かいに座り、こたつの温もりに気が緩む。
「さっきも言いましたけど、葉山先輩はあれなので、先輩にもクリスマスを楽しんでもらおうという可愛い後輩なりの配慮です」
「心配しなくてもクリスマスは独りで楽しめてるから大丈夫だ」
「じゃあ何処に行きますか?」
「家」
「まぁ先輩がお家で後輩と過ごすクリスマスがいいなら私もそれでいいですけど」
少しずつ論点がずれて一色と過ごすクリスマスというのが確定していっているが、もう家に入れてしまった時点で手遅れだろう。人間、諦めも肝心である。
「わざわざ来てもらって悪いがこの家には大したものは無いぞ?人生ゲームとか、人数がいるボードゲームは全くない」
「でも小町ちゃんと二人でできるものならあるんじゃないですか?」
「あー、一応あるな。オセロとか」
「オセロいいですね!やりましょうよー」
ごく自然にこの場に居ることを許してしまっているが、小町以外とこうして家でこたつを囲むのは初めてだ。
不思議と違和感は無い。きっと人に積極的に関わっていくが、嫌がられる事の少ない一色だからなのだろう。
オセロを持ってきてこたつ机の真ん中に置く。
「先輩は何色が良いですか?」
「あー、黒で」
「先輩って黒好きなんですか?」
「いや、一色は白を選ぶんじゃねぇかと思ったから消去法で」
へーそうですか、と一色は軽く流しながら盤の準備を終えた。
「勝った方が負けた方に一つ言う事を聞かせるって事でどうですか?」
「毎回思うけど一色ってほんと勝負事好きだよな」
「女の子はいつだって勝ち負けをつけたがるものですよ?特に異性と勝負して損になる事は基本的に無いですし」
「安心してくれ、俺は異性にも後輩にも妹にだって勝負事で手を抜くことは無いし、罰ゲームだって本気で考える」
「そういう先輩こそぼっちのわりに対人の勝負事好きですよね」
「馬鹿言え俺の相手はいつだってゲスト様だ」
先手は私で、と一色が可愛らしい手つきでくるっとひっくり返す。その後も続いて交互に進めていき、後半になると一色の表情が険しくなってきた。
「んー先輩、ここの石ひっくり返してくれませんか?」
指さしているのは黒石。ひっくり返す事が出来るのは一色の方だと思うのだか、そこまで考えて彼女の言っていることが理解出来た。
「一色、オセロに自分の石を意図的に相手にプレゼントするなんていう機能は無いぞ」
「じゃあ偶然ひっくり返ったって事なら意図してないですし、お互い気付いて無い事にしたら大丈夫ですよね?」
「はぁ・・・いいよ1枚ぐらいひっくり返しても」
やったーと一色は嬉しそうな声を上げた。
だがこれぐらいのハンデならば事ある事に
「お兄ちゃん、小町はここの石が欲しいなぁ」
とルール完全無視の妹とやり合っていた兄としては大したものではない。現に一色の指していた石は後からでも裏返せる位置にあるし、それを考えた上で次の手を考えれば、そう思っていたのだが。
目の前にいる後輩は遠慮なく、既にこちらが取っていた角の黒石を裏返した。それまで角付近を染めていた黒が一斉にひっくり返る。
「おい、ていうかひっくり返るのかよ」
「男に二言は無いですよね?」
「絶対に勝つ」
「お、先輩が珍しく燃えてる!」
小町ですらやらなかった角取りからひっくり返す所までやりきるという暴挙に言いたい事が無いわけでは無いが、ここはあえてこの上で勝つ事に意味がある。
さながら逆境系主人公だが、理由はただひとつ。逆境からの勝利でかっこいいなんてものではなく、圧倒的なハンデから負けたという事実に悔しがる一色が見たいというものだ。世の中の逆境系主人公が何故あんなにもかっこいいのか、それは相手をけなさず逆境についても触れないからだ。本人が触れなければ周りが触れ、周りから認められる存在という人物像が生まれる。
勿論ぼっちの俺にはそんな周りは居ないし、かっこよさなど求めていないので、勝って一色を煽る。
後半に不正があったものの普段から小町やCPU改めゲストさんと指しているだけあって、難なく勝ってしまった。
「負けました・・・」
どんな言葉をかけてやろうかと考えていたが、目の前で素直に悔しがる一色を見ていたら、失礼な気がして罪悪感が芽生えてしまった。
かといってこんな時にどう反応すればいいかなどわかるはずもなく、
「まぁそういう時も・・・あるんじゃねえか」
「先輩、フォロー下手すぎて逆効果です。不正した上で負けちゃった私が悪いんですけど・・・」
「小町で慣れてるしあれぐらいなら全然気にしないし、別にそこまで落ち込まなくても」
「いえ、どうしてもして欲しい事があったので勝ちたかったなぁって」
「俺の必死のフォローを返してくれ」
「折角ですし何かひとつ可愛い後輩がなーんでも聞いてあげますよー」
えっへんと胸を張る一色にあざといサンタが居たものだと思いつつ、お願いを考える。
「ちなみに一色のお願いは何だったんだ?」
「ケーキ作りです」
「買って来いじゃなくて?」
「先輩の中の私のイメージが気になりますけど、買うんじゃなくて作るんですよ!クリスマスケーキを一緒に食べるっていうのも距離を近付けるのに有効ですけど、それだけじゃ押しが弱いかなぁと思いまして」
「まぁ葉山だけじゃなく男は手作りって言葉に弱いもんなぁ」
「先輩も弱いんですか?手作り」
「弱いよちょー弱い、貰った事なんてほとんどないがな」
ないと言い切らなかったのは頭の中に由比ヶ浜の黒焦げたクッキーが思い浮かんだからだが、あれは厳密には自分に向けた手作りではないのでほぼノーカウントだろう。
「ケーキの材料は買ってきてるので一緒に作りましょうよ、先輩」
「用意周到だな・・・始めからやる気満々じゃねえか」
「そうと決まれば台所へレッツゴーですよ!」
自然な流れで勝者のお願いは無かった事になっているが、どちらにせよ思い付かなかっただろうし、これはこれでいいだろう。
エプロン姿の一色が思いの外あざとさの無い可愛らしさで驚いたり、冷蔵庫に入れ忘れていてこたつのすぐそばに置いていた食材が少し温くなっていたりと多々ハプニングはあったが、大きな失敗もなくプチカップケーキが完成した。ホールと思い込んでいた事をぽろりと零すと、
「小さい方が可愛らしくていいんですよー。大きいと重いと思われるじゃないですか」
と考えてなさそうで考えている一色に馬鹿にされてしまった。幾つかを小町や家族の分に置いておき、二人で二個づつ食べる事になった。
「先輩って料理しないというわりに手際は良いですよね」
「専業主夫希望だからな、イメトレぐらいはしてる」
「うわぁ・・・あ、でも料理ができる男の人って女子から見たらポイント高いですよー。女子の中には一緒に料理が出来る男の人がいいって子結構いますし」
「一色もそうなのか?」
「そうですけど・・・ってなんですか口説いてるんですか確かにその点は結構好みですけどまだ無理ですごめんなさい」
「振ってるんだか褒めてるんだかわからねー」
「一応褒めてはいますよ!ぜひ料理スキルを伸ばすことをお勧めしますねー」
「料理なら家でできるし暇な時にやってみるか・・・」
一色は何故かうんうんと嬉しそうにうなづいている。後輩ながら面倒見のいい生徒会長である。
「あ、そろそろ帰らないと家族でクリスマスパーティーするので」
「そうか、じゃあさっさと帰ってくれ」
「先輩って相手するの面倒臭いオーラほんと隠しませんよね」
「いや、これは俺なりの相手が帰りやすい気遣いだ」
「どっちでも良いですけど・・・」
喋りつつ帰りの支度も終わり、玄関に着いたところで一色が振り返った。
「じゃあ先輩、また学校で!」
「おう」
そうしてあざとくうるさい後輩サンタは帰っていった。
比企谷八幡の家族以外と初めて過ごすクリスマスはこうして幕を閉じたのである。