波濤の戦士たち   作:小湊拓也

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第2話

 城戸光政がギリシアから、1人の赤ん坊を拾って来た。

 その赤ん坊を、自分の孫として育て始めた。

 父もいよいよ耄碌したかと、城戸義政は密かに喜んだものだ。

 その赤ん坊が今、生意気な小娘に成長し、グラード財団を私物化しようとしている。

 財団の主だった者たちが、あの小娘にことごとく籠絡されてしまったのだ。

 城戸家の血を引いているわけではない、単なる捨て子に過ぎないはずの小娘にだ。

「こんな馬鹿な話があるかあああっ!」

 1人、豪奢な自室に籠もったまま、城戸義政は酒を呷り、空になったグラスを床に叩きつけた。

「ギャラクシアン……ウォーズ、だと? そんなわけのわからん催し物のために、私の手がけた事業を台無しにしおって……!」

 酒は、かなり入っている。だが素面になったとしても、この怒りが醒める事はない。

「息子だぞ……私は、城戸光政の……その私の事業を、あの小娘の一存で……!」

 家系図を書けば、あの小娘は光政の孫、つまり義政の娘という事になる。

 当然、血は繋がっていない。父と娘の会話など、した事はない。

 光政と義政との間にも、実の親子らしい交流などなかった。

 思い返してみても、あの父は、実の息子である自分を疎んじていたとしか思えない。

「お互い様だ、父上……私とて、貴方にはついて行けなかった」

 特に晩年の城戸光政は、冗談抜きで、おかしくなっていたとしか思えない。

 あの老人が、自身の年齢を考えず遊び回っていた事は、義政も知っている。

 遊び回った結果、100人もの子供が生まれてしまった。

 その子供たちを、光政はこの屋敷に集めたのである。全員、義政にとっては腹違いの弟だ。

 その弟たちとは当然、交流などなかった。

 光政としては、父親の責任というものに目覚めたつもりであったのか。あるいは義政を不肖の息子と見限り、新たに後継者を育てるつもりであったのか。

 結局、面倒を見切れずに100人ことごとくを再び城戸邸から放逐する事になった。

 6年前の事である。

 その6年の間に城戸光政は故人となり、あの小娘がグラード財団の全てを受け継いだ。

 城戸家の血など1滴も流れていない、捨て子の小娘が、光政の嫡子たる城戸義政を差し置いてだ。

 そして今。放逐された100人のうち、10人が帰って来るという。世界各地で、おかしな格闘技を身に付けて来たらしい。

 10人の少年に、おかしな格闘技の試合をさせ、それを見世物にする。巨費を投じて会場を造り、グラードコロッセオなどと名付け、客を集めようとしている。

 光政同様、あの小娘も、正気を失っているとしか思えなかった。

 許せないのは、グラード財団の幹部重役ことごとくが、正気を失った小娘に唯々諾々と従っている事である。誰1人、異を唱えようとしない。

 あの小娘には確かに、何やら得体の知れぬカリスマ性のようなものがあった。それは義政も認めざるを得ない。

 義理のとは言え父である自分が、あの小娘の前に立つと、何も言えなくなってしまう。そんな事が、幾度もあった。

 それを良い事に、あの小娘は、さらなる横暴に踏み切った。

 グラードコロッセオ建造の費用を捻出するため、それまで財団が手がけていた事業の1つを打ち切ったのである。

 義政が中心となって進めていた事業であった。

「どこまで……どこまで、この私を蔑ろに……! グラード財団、真の総帥たる私を……!」

「グラード財団を、正当なる総帥の手に」

 声がした。冷たいほどに涼やかな、女の声。

「……いいでしょう。力を貸して、差し上げますわ」

「な……」

 義政は息を呑んだ。

 扉を開ける音など、聞こえなかった。足音もだ。

 なのに、その少女は、そこに立っていた。

 ゆったりとした黒衣と、長い黒髪。その暗黒の中で真っ白く浮かび上がる美貌。

 どこか、あの小娘に似ている。義政はまず、そう思った。

「何だ……貴様は……」

「私の正体など、ご存じないままの方が貴方のため」

 黒衣の少女が、微笑んだ。

「そんな事よりも……理不尽に打ち切られてしまった、貴方の事業。再開するお手伝いを、して差し上げましょう」

「……資金でも、出してくれると言うのか」

「お金では駄目。貴方がたの技術では、いくらお金をかけたところで……あの鎧に、あれ以上の性能を持たせる事など出来ませんわ」

「鎧……だと……」

 酒気を帯びていた義政の顔が、青ざめてゆく。

「お前は……あの事業の内容を、知っていると言うのか……」

「鎧のように装着する事で、人力を数百倍に強化する……拳や蹴りで、爆撃と同規模の破壊をもたらすための兵器。銃弾やミサイルをも跳ね返す、機械の甲冑」

 少女が言った。

 どこから情報が漏れたのか。義政は、それだけを懸命に考えた。

「グラード財団の、死の商人としての新たなる一歩に、ふさわしい兵器事業ですわね」

「そうだ、兵器だ……だが兵器の何が悪い!」

 義政は叫んでいた。

「兵士自らが装着し、排除すべきものと守るべきものを細かに選定する事が出来るのだぞ! 空爆などに一般市民を巻き込んでしまう事もなくなるのだぞ! 核やBC兵器よりもずっと良心的ではないか! なのに、あの小娘……良心的な兵器など存在しない、などと綺麗事を!」

「身にまとうだけで、単なる兵士が超人へと変わる。まさしく……鋼鉄の聖衣、とも言うべきもの」

 聖衣。その単語に、義政は聞き覚えがあった。

 父・光政が、赤ん坊と一緒にギリシアから持ち帰った、わけのわからぬアンティーク。あれが確か、聖衣などと呼ばれてはいなかったか。

「おやりなさい。最強の鎧をまとう軍団を支配下に置き、グラード財団をその手に取り戻すのです」

 少女の言葉が、義政の耳から脳に、心地良く染み入ってゆく。

「私たちが、力を貸して差し上げます。そうすれば……栄光ある冥闘士を作り上げる事は不可能でも、聖闘士程度であれば、貴方がたの技術でも量産する事が出来るでしょう」

 少女の冷たい眼光が、義政をじっと捕捉する。

「作り上げるのです……鋼鉄の、聖闘士を」

 

 

 場所取りが上手い、などとカシオスは言ってくれた。

 自分に言わせれば、単に逃げ回るのがいささか巧みなだけである。

 カシオスの巨大な拳が、暴風の如く頭上を通過して行くのを感じながら、海斗はそう思った。

 その拳が、漁牙を直撃していた。

 竜骨座の聖衣をまとった大柄な身体が、吹っ飛んで倒れる。

 直撃の瞬間、しかし漁牙が左右の腕を交差させ、とっさに防御の構えを取ったのを、海斗は見逃さなかった。

 漁牙は漁牙で、少なくとも防御の技術は少しずつ上達させている。それでも吹っ飛んで倒れてしまったわけだが。

 ともあれ海斗は今、カシオスの懐に飛び込んだ格好となった。この巨漢の容赦ない攻撃から逃げ回っているうちに、こうなってしまったのだ。

 それならば、一撃を叩き込むべきであった。

 そう思って拳を構えた、その瞬間。傍に、軽やかな気配がふんわりと降り立った。

 直後、衝撃。

 海斗も吹っ飛び、漁牙のすぐ近くに落下した。

「はい残念……2対2の組手だって事、忘れちゃってた?」

 ナギが、右足を優雅に着地させる。

 倒れたまま、海斗は呻いた。

「ナギの蹴りは……人を、殺せるなあ」

 羅針盤座の聖衣を身に着けていなかったら、死にはしないまでも、内臓破裂は免れなかったところだ。

「今更、何言ってんのよ。聖闘士なんだから。あんたの拳だって、普通の人間に当たったら大ごとよ? もっともカシオスさんには通用しないだろうけど」

 そんな事を言っているナギに向かって、カシオスがいきなり拳を振り下ろした。

 隕石のような拳が、しかし空を切った。

 全く体重を感じさせない動きで、ナギは跳躍していた。

 帆座の聖衣をまとう少女の細身が、空中で軽やかに翻る。スリムな左脚が、高速でしなって弧を描き、カシオスを襲う。

 その蹴りが、カシオスの巨大な掌で弾かれた。

 弾き飛ばされた少女の肢体が、しかし海斗の眼前で、しなやかに着地する。

 カシオスが、舌打ちをした。

「まったく……星矢の野郎みてえに動きやがる」

「あたし、その星矢って人、知らないんだけど」

 ナギが、仮面の頰に指を当てた。

「……聖衣なしでカシオスさんに勝ったって、凄くない?」

「逸材だった。それに、魔鈴の指導も優れていた」

 応えながら歩み寄って来たのは、アイオリアだ。

 当然、今は黄金聖衣など着ていない。雑兵同然の格好だが、カシオスの巨体を人並みに圧縮したかのような筋骨たくましい身体は、聖衣など必要ないと思わせるほどに力強い。

「海斗に漁牙よ。お前たちの師匠は……いくらか、甘やかし気味の指導をしていたようだな」

 言いつつアイオリアが、左肩に担いで来たものを、訓練場の石畳の上にそっと下ろして横たえた。

 聖衣をまとった、少年の身体。外傷こそないものの、力を使い果たしているのは間違いない。

 ナギが、声をかけた。

「勇魚……大丈夫?」

「ああ……」

 勇魚が、弱々しく身を起こす。

「アイオリア先生……ご指導、ありがとうございました」

「無理をし過ぎだ。焦っても強くはなれんぞ、勇魚」

 勇魚が、何を焦っているのか。アイオリアはそれを、いくらかは察しているようである。

 それを、はっきりと口に出したのは、別の男だった。

「琴座のオルフェはな、死んじまった……のかも知れねえぞ」

 禍々しい小宇宙が、海斗の全身を打った。

 倒れていた身体が、思わず起き上がってしまうほど、凶悪な小宇宙だ。

「死んじまった女の後を追って、な……噂くらいは聞いてんだろうが」

「デスマスク……!」

 アイオリアが、咎めるような声を投げる。

 歩み寄って来た男は、アイオリアと同じく、黄金聖衣を着てはいない。

 雑兵のような装いをした、その全身に、暗黒そのものとも言うべき小宇宙が満ち溢れている。

「勇魚とか言ったな小僧。死んだ人間を追いかけてると、お前まで黄泉比良坂に迷い込んじまうぞ」

「はい……」

 勇魚が俯いた。

 アイオリアが、軽く溜め息をつく。

「デスマスク……お前、勝手に巨蟹宮を抜け出して来たのか?」

「お前に、それを言う資格はねえよ」

「俺は教皇より許可をいただいて、こうして戦闘師範の務めを果たしているのだ」

「お前の指導はな、甘いんだよ。俺に任せれば、このガキども全員、1週間で白銀並みに強くしてやれるぜ? 1週間、生きていられたらの話だがなあ」

 デスマスクが、凶悪な笑い声を発した。ナギが、さりげなくカシオスの背後に身を寄せる。

 黄金聖闘士の中でも獅子座のアイオリアは、仁智勇を備えた聖闘士の鑑と言われている。

 蟹座のデスマスクは、聖闘士にあるまじき外道と言われている。

 正反対とも言える両名、しかし海斗の見たところ、仲は悪くないようであった。

 アイオリアが1度、言っていた。

 自分たちが聖人君子の顔をしていられるのは、デスマスクが様々な汚れ仕事を片付けてくれるからだ、と。

「もっとも何だ。白銀並みと言ったところで、最近の白銀どもはどいつもこいつもブッたるんでやがるからなあ」

 言いながらデスマスクが、ちらりと海斗を見る。

「海斗とか言うの。お前、確かフランスだったな? お前の師匠はまあ、今の白銀じゃあマシな方だ」

「はあ……確かに、強い人でした。だけどアイオリア先生の言う通り、ちょっと甘やかされてたかも知れません」

「だがな、お前の逃げの上手さは、なかなかのものだぜ」

 デスマスクが、人差し指を立てた。

「お前なら……積尸気からも、逃げられるかも知れねえな。試してみるか?」

「いい加減にしておけ」

 アイオリアが、デスマスクの肩に手を置いた。

「……まあ、お前の言う通りではある。白銀聖闘士たちを、少し鍛え直す必要はあるかも知れん」

「女みたいな奴1人、それに女2人。白銀でマシなのは、そいつらだけだな。あとの男どもは全員まとめて、黄泉比良坂に叩き落としちまってもいいくらいだ。そこのカシオスを昇格させちまった方が、いくらかは戦力になるぜ」

 デスマスクが、漁牙と同じような事を言っている。

 その漁牙が、ようやく身を起こした。

「うー……いててて」

「ほら、いい加減に起きろ漁牙。黄金聖闘士の人が、2人もいらっしゃるんだぞ」

「なあ海斗。俺、こないだギリシア神話ってやつを一通り読み返してみたんだけどさあ」

 漁牙が言った。

「あのアテナって神様……はっきり言って、ろくなもんじゃねえな」

「お前だからいい加減にしろよ、冗談でも言っていい事と悪い事」

「ふっ……ははははははははははは! いい事言うじゃねえか小僧。まったく、その通りだぜ」

 デスマスクが、凶悪な笑い声を発した。

「そうよ、神様なんざぁ基本ろくなもんじゃねえ……人間が聖人君子でいなきゃならん理由なんぞ、どこにもねえんだぜ」

 凶悪な事を平気で言う、このデスマスクという男が、しかし海斗は嫌いではなかった。

 少なくとも城戸沙織や辰巳徳丸よりは、ずっとましな人間だ。

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