波濤の戦士たち   作:小湊拓也

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第3話

 アイザックが死んだのは自分のせいだと言って落ち込む氷河を、慰め、叱り、励まし、どうにか立ち直らせるのは、はっきり言って黄金聖闘士同士の戦いよりも大変であった。

「お前を1人、シベリアへ残して来て……果たして本当に、良かったのだろうか」

 宝瓶宮にて今、水瓶座のカミュは1人、沈思している。

 聖域から、帰還命令が届いた。

 氷河を伴って来る事も考えたが、しかしあの少年には、そろそろ師匠から離れて独り立ちする事を覚えさせなければならない。

 だから、シベリアへ残して来た。

 それならばそれで今頃また、師匠の目がなくなったのを良い事に、好きなだけ海底へ潜っている事であろう。アイザックが死んだと言うのにだ。

 そんな事をしている限り、聖闘士として独り立ちなど、出来るわけがない。

「お前の大切なものを……私は、奪うしかないのか。氷河よ」

 この場にいない弟子に、カミュは語りかけていた。

「お前のように独り立ち出来ぬ者が何故、聖闘士になど成ろうとしたのだ。氷河よ」

 独り立ち出来ず、聖闘士の修行にもついて来られない、単なる弱虫であったのなら、むしろ良かった。

「このカミュの裁量で、お前を東シベリアのどこかの村で、ひっそりと暮らさせてやる事も出来た。聖域ともグラード財団とも関わりなく、な……だが氷河よ。お前は聖闘士として、とてつもない素質を持ち過ぎていた」

 成長の早さは、アイザックの方が遥かに上であった。

 だが最終的には間違いなく、氷河の方が強くなっていただろう。

「そしてお前は、私の課した修行にも見事、食らい付いて来た。私はお前に、小宇宙を身に付けさせてやる事は出来た。だが氷河よ……私はお前に、心の弱さを克服させてやる事までは出来なかった。心の弱さを抱えたまま、お前は聖闘士になってしまったのだな」

 カミュは目を閉じた。

「聖闘士としての戦いは、お前の弱い心を大いに苛むだろう。敵に殺される前に、お前は自滅してしまうかも知れん。本当の意味でクールにさえなれれば、お前に勝てる聖闘士などいなくなる。だが氷河よ、お前は……お前を永久氷壁の強さへと導いてやるために、私はやはり、お前の大切なものを奪わねばならんのか氷河よ」

「……随分と惚れ込んでいるのだな。その氷河という弟子に」

 声がした。

 カミュは目を開き、睨み据えた。

 まばゆい黄金色の輝きが、まず視界に入った。カミュの全身を包むものと同じ、黄金聖衣の輝き。

「貴様、勝手に……」

「訪いは入れたのだがな、何度も」

 石柱にもたれたまま、蠍座のミロは微笑んだ。

「よくシベリアから帰って来てくれた。安心したぞ。何しろジャミールへ行ったきり帰って来ない男もいるからな」

「……いつからそこにいた貴様。先程通り抜けたが、天蠍宮にもいなかったな。勝手に自分の宮を空けているのか」

「アルデバランが金牛宮で頑張ってくれているからな。どこぞの聖衣職人と違って、十二宮最初の守りを、しっかりと務めてくれている。敵の侵入などあり得んよ。天蠍宮あたりが一時的に空になったところで問題はない」

 言いつつミロが、人差し指を向けてくる。

「それよりカミュよ。愛弟子の事で物思いにふけるのは良いが、その間、隙だらけではないか? 思わず一発目の毒針を打ち込んでしまうところだったぞ」

「……気をつけよう」

 カミュは、そんな事しか言えなかった。

 確かにミロが敵であったら自分は今頃、アンタレスを打ち込まれているところだ。

「黄金聖闘士の中で最もクール、と言われていながら実はそうでもない男が、しばらく聖域から離れている間に一層、情に脆くなってしまったようだな……まあ立派な仕事をしている、とは思うが」

 ふっ……と、ミロは笑った。

「弟子を育てるなど……俺には到底、真似が出来ん」

「我々とて、いつ命を落とすかわからんのだぞ。後を継いでくれる者たちは必要だ」

「あの何とかいう財団が送り込んできた子供を、黄金聖闘士が時間を割いて育て上げる。いくらか腑に落ちない話ではあるな」

 シベリア、だけではない。

 世界各地の聖闘士修行地に、グラード財団から100人もの子供たちが送り込まれた。

 カミュや魔鈴といった正規の聖闘士が、彼らの面倒を見る事となった。

 グラード財団と聖域との間に、何らかの取引がなければ、起こり得ない事態である。

 いかなる取引であるのかは、カミュもミロも知らされていない。

 知っているのは教皇だけではないのか、とカミュは思う。

 グラード財団前総帥・城戸光政と、教皇本人との間に、何かしら密約のようなものが交わされたのではないか。財団の送り出した子供たちを、聖域の名のもとに、正規の聖闘士として育て上げる。そのような密約が。

 権力者同士の密約など関係なく、氷河はしかし聖闘士となった。

 純粋な志を抱いて修行に励み、聖闘士となったのは、氷河だけではない。

「……白羊宮の入り口で、挨拶を受けたのだが」

 カミュは思い返した。

「聖域に揃ったのだな。南天のアルゴを成す、4つの星座が」

「ふっ……カミュよ、お前はまさか信じているのか? あの言い伝えを」

 竜骨座、艫座、帆座、羅針盤座。

 数ある青銅聖衣の中でも最弱の部類に属する4つが、しかし一度揃ってアルゴ号を成した時、黄金聖闘士にも匹敵し得る小宇宙を発揮するという。

「……真実であれば頼もしい、と思うだけだ」

 白羊宮の入り口で、カミュに挨拶をしてくれた4人の少年少女。

 頼もしさとは程遠い、新米青銅聖闘士たちであった。全員、真面目に修行はしているようだが、才能においては氷河にもアイザックにも遠く及ばない。

 ここ聖域で、もう一つ厳しく指導してやる必要はあるだろうが、それはアイオリアあたりの仕事であろうか。

(やはり……氷河よ、お前を伴って来るべきだったのかも知れん)

 この場にいない弟子に、カミュはまたしても語りかけていた。

(母親のいない場所で、同じ青銅聖闘士たちと競い合う。その経験が、お前には必要かも知れん……競い合い、共に戦う仲間を、お前は自力で見付ける事が出来るか?)

 

 

 ナギが惚けていた。

 仮面の下で、うっとりと呆然としているのがわかる。

「あの人……誰?」

「だから黄金聖闘士、水瓶座のカミュ様だろ」

 先程、石段を登って行った青年の姿を、海斗は思い返していた。

 黄金の輝きをまとう、細身の若者。その秀麗な顔が、海斗たちの挨拶を受けて、にこりと微笑む。

 それだけでナギは、こんな有り様になってしまった。

「素敵……あの人になら、あたし素顔見せてあげてもいいのに……」

 哀切な、琴の音が流れ始める。

 勇魚が、切ない恋の曲なのであろうものを奏でていた。

「その仮面は、女である事を捨てるためのものだって聞いたけど……女を捨てるなんて、ナギには無理そうだね」

「あたしね、聖域に来る前は本当ときめいてたのよ? 黄金聖闘士は美形の男の人ばっかりだって聞いてたから。けど実際はねえ。アイオリア先生はいい人だけど、脳筋っぽさが顔に出ちゃってるし。デスマスク様は怖いし、ミロ様は綺麗だけど……あれ見ちゃったら、ちょっと」

 数日前。蠍座のミロが珍しく訓練場に現れ、アイオリアを相手に模範戦闘を見せてくれたのだ。

「あの蠍のポーズ? 俺カッコいいと思うけどなあ、あれ」

 漁牙が言った。

「俺も真似してみようかなあ。竜骨のポーズ……ところでさ、竜骨ってドラゴンの骨?」

「お前知らないのかよ!」

 アルゴ号を成す4つの星座は、揃った時とてつもない力を発揮する。そんな噂は海斗も耳にしているが、船の骨格たる竜骨座の聖闘士がこの様では、そのような奇跡など期待出来そうになかった。

「まあ、そんなこんなでね。黄金聖闘士の人たちにあんまり幻想抱くのも失礼かな、なぁんて思い始めてたとこなのよ。だけどカミュ様! ああんカミュ様、一対一でお稽古つけて欲しいっ! でね、戦闘訓練の最中に偶然、仮面が外れちゃうようなシチュエーションを」

「ところでナギさぁ。名前すら出て来なかったアルデバラン様は、問題外」

 漁牙の口を、海斗は右手で塞いだ。

「……なあ勇魚。この2人を黙らせる曲とか、弾けない?」

「練習中のデストリップセレナーデでも、試してみようか」

 勇魚が微笑み、その顔をすぐに引き締めた。

「それより海斗……はるばるシベリアから、黄金聖闘士が1人帰って来た。どういう事だと思う?」

「まあ比べ物にはならないけど、俺もフランスから呼ばれて来た。漁牙もナギも、聖域に呼ばれて来た」

 海斗は腕組みをした。

「……聖域の守りを固めなきゃいけない事態が、迫ってるのかもな」

「噂通りグラード財団が何かしようとしている、と思うかい?」

「だとしても……黄金聖闘士がシベリアから呼ばれるほどじゃない、とは思うけどな」

 そもそも聖域に現在、黄金聖闘士は何名いるのか。

 海斗と面識があるのは、まず獅子座のアイオリア。蟹座のデスマスクに、蠍座のミロ。そして先程、白羊宮を通り抜けて行った、水瓶座のカミュ。

 魚座のアフロディーテは、海斗も師匠から名前だけは聞いている。

 牡牛座のアルデバランとは、漁牙がいくらか親交に近いものを持っているらしい。

 アイオリアの兄である射手座のアイオロスは、13年前に反逆者として不名誉な死を遂げた。

 双子座の黄金聖闘士は、それと同じ頃、行方不明になったと聞く。

 天秤座の黄金聖闘士は、それよりもずっと昔から、聖域には不在であるという。

 山羊座の黄金聖闘士は、聞くところによると裏切り者の始末のような仕事をしており、多忙で聖域にいない事が多いようだ。

 その他、最も神に近い男などと呼ばれる人物もいるらしいが、海斗は知らない。

 そして白羊宮。

 十二宮最初の砦を守らなければならない牡羊座の黄金聖闘士が、相も変わらず不在である。最後に近い宝瓶宮の黄金聖闘士が、帰還したと言うのにだ。

 帰還命令は、出ているのだろうか。それが無視されている、のだとしたら。

 黄金聖闘士が少なくとも1名、聖域の敵に回ろうとしている、のだとしたら。

(グラード財団が攻めて来る……どころの話じゃないぞ、それは)

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