波濤の戦士たち   作:小湊拓也

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第8話

 自分の技に、最も足りてないもの。それは速度であると、水瓶座のカミュは思っている。

 速度においてはカミュの上をゆく黄金聖闘士が1人、宝瓶宮の入り口で偉そうに佇み、磨羯宮の方角を見下ろしていた。

「下の方で、何かあったようだが……?」

「また何か攻めて来たのだろう。冥王ハーデスと関わりある者どもか、それとも邪神エリスの一党か……いや。エリスはお前が倒したのだったな、ミロよ」

「…………」

 大殊勲である、と言っていいだろう。

 だが蠍座のミロは、それを誇ろうともしない。

 蠍の牙と尻尾を備えた黄金のマスクで、凛々しく彩られた美貌。その横顔には、苦悩に近いものが滲み出ている。

 邪神エリスとの戦いは、この男がほとんど1人で終わらせたと言って過言ではない。伝え聞く限りでは、そうだ。

 カミュが伝聞でしか知らない、その戦いにおいて、ミロがどれほど悲痛な思いを味わったのか。それを知る者はいない。

 そのような事を、人に話す男ではないのだ。

 酒でも飲ませてみれば、話してくれるかも知れない。

 そんな事を思いながら、カミュは問いかけてみた。

「なあミロよ……光速で動く我ら黄金聖闘士12名、その中でも最速の技を持つ者は一体誰だと思う?」

 オーロラエクスキューションは、全てのものを凍結させる。が、発動時に小宇宙の溜めを必要とする。

「例えば私の技は、速度において、お前のスカーレットニードルには遠く及ばない」

「……スカーレットニードルは、15発当てねば雑兵の1人も殺せはせんよ。3発目か4発目を撃っている間に、お前に凍らされて終わりだ」

 ミロはそう言うが、この男がその気になれば、15発をほぼ同時に撃ち込む事も出来る。その威力は、邪神エリスを……完全な状態ではないとは言え、神を葬り去るほどだ。

 それを誇るでもなく、ミロは顎に片手を当てた。

「最速か……速度と言えば、アイオリアのライトニング・プラズマだが」

「確かにな。あれを全てかわすのは、私でもお前でも不可能だろう」

「……所詮は手数の技だ。1発や2発、辛うじて当てたところで、お前たちを倒す事など出来んよ」

 そう言って石段を登って来たのは、アイオリア自身である。

 ミロ、カミュと同じく、黄金聖衣をまとっている。一応は臨戦態勢という事だ。

「アイオリアよ。下で一体、何が起こっているのだ?」

「大した事ではない。俺がのんびり聖衣を装着している間に、終わっていた」

 ミロの問いに、アイオリアは答えた。

「カミュの言う、最速の技を持つ男がな、終わらせてくれていた」

「ほう、誰だ。お前ではないのか」

「1秒間に1億発などという手数は必要なしに、初弾の一撃で全て終わらせてしまう男がいる」

「そう」

 カミュは言った。

「速度と破壊力を併せ持った……居合いの、拳だ」

 

 

 超高密度の筋肉を、黄金聖衣に詰め込んだ巨体。

 太い両腕をどっしりと組んで佇むその姿は、牡牛に化身した大神ゼウスを思わせる。

 もっともゼウスが牡牛に化けたのは美女エウロペをかどわかすためであったが、このアルデバランという巨漢が牡牛座の聖衣をまとっているのは、戦うためだ。

 否、戦いになどなっていない。

 黄金聖闘士・牡牛座のアルデバランは、ただ腕組みをして立っていただけだ。

 海斗の目には、そう見えた。

 だが鋼鉄聖闘士の軍勢は、1人残らず砕け散っていた。

 アルデバランがいつ、どのような攻撃を繰り出したのか、海斗は全くわからなかった。

 勇魚にしても、漁牙、ナギにしても同様であろう。

 海斗に見えたのは、黄金色に輝く巨大な猛牛が、角を振り立てながら白羊宮内を駆け抜ける、その一瞬の幻影だけである。

 鋼鉄聖闘士たちは、金色の猛牛に踏み潰され、吹っ飛ばされ、砕け散って原子の塵と化した。

 破壊された、白羊宮内部の有り様だけが、そこに残された。

「あ……あの、アルデバラン様……」

 漁牙が、呆然と声を発する。

「俺たち、白羊宮の中……こんな、滅茶滅茶にしちまって……」

「気にするな。こんなものは、ムウに自分で直させれば良い」

 アルデバランは静かに、溜め息をついたようだ。

「まったく、勝手に己の宮を留守にしおって……このままでは、我々でも庇いきれなくなるぞ」

 ムウというのが、どうやら本来この白羊宮を守るべき牡羊座の黄金聖闘士の名前であるようだ。

「あの……」

 今まで口をきいた事もない黄金聖闘士に、海斗は問いかけてみた。

「そのムウという人は、一体どこに……どうして、聖域にいらっしゃらないんですか?」

「気になるか。代わりに白羊宮を守らされた身としては、確かに気になるであろうなあ」

 いくらか思案した後、アルデバランはにやりと笑った。

「お前たち新米の青銅聖闘士に経験を積ませるため、わざと留守を長引かせている……という事にしておこうか」

「はあ……確かに、実戦を経験する事は出来ましたけど」

 海斗はうつむいた。

「1人の敵に4人がかり、っていうのは……アテナの聖闘士として、どうなんでしょう」

「贅沢をぬかすな。初の実戦で生き延びた、それだけで良しとしておけ」

 力強い両腕を組んだまま、アルデバランが言う。

 この腕組みの体勢から一体どのような技が繰り出されたのか、結局わからなかった。見えなかった。

 竜骨座、艫座、帆座、羅針盤座。南天のアルゴ号を成す4人の青銅聖闘士が揃った時、黄金聖闘士にも匹敵する力が発現するという。

 出来過ぎた噂話だ、と海斗は思う。

(俺たち4人、どう小宇宙を振り絞ったって……この人たちと同じ事なんて、出来るわけがない……)

「まあ、お前たちはよくやった。ゆっくり休め。無理をするな、今にも気絶したくて仕方がないのであろうが?」

 アルデバランの言葉通り、と言うべきか。

 勇魚もナギも、漁牙も、すでに気を失っている。

 ナギはうつ伏せで、少し覗き込めば素顔が見えてしまう状態である。

 そんな少女の身体に、アルデバランが己のマントを布団のように被せている。

 ナギ1人が、まるで戦死者のような扱いを受けているのを眺めながら、海斗もゆっくりと気を失っていった。

 

 

 城戸義政が、机の上に突っ伏している。

 すでに息をしていない。朝になれば変死体として発見され、この城戸邸は大騒ぎになるだろう。

 琴座のオルフェは問いかけた。

「……殺してしまわれたのですか? パンドラ様」

「生かしておいたところで、もはや役立つわけでもなし……」

 黒衣の少女が、冷ややかに嘲笑う。

「思った以上に、役に立たぬ男であった。お前の言った通りであったな、オルフェよ」

「ええ、本当に……無駄な事をなさいましたね、パンドラ様」

「見通しが甘かった事は認めざるを得まいな。よもや十二宮の、最初の宮すら抜けずに全滅するとは」

 パンドラの笑みが、オルフェに向けられた。

「白銀聖闘士でありながら、その力は黄金聖闘士をも凌ぐという……琴座のオルフェよ。そなたであればどうか、と思わなくもないが?」

「同じ事です。私の実力が黄金聖闘士以上などと、一体誰が言い始めたのかは知りませんが……私が勝てる黄金聖闘士など1人もいませんよ。十二宮を守っておられるのが、どのような方々であるのか、いくらかはパンドラ様にもおわかりいただけたと思うのですが」

「確かにな。あれほど容易く殲滅されるとは、思ってもいなかった」

 綺麗な口元に綺麗な片手を当てながら、パンドラが思案している。

「牡牛座のアルデバラン……十二宮を陥落させるに際しては、あの男を無力化する事をまず考えねばならんか。何にせよ、百八の魔星の目覚めを、やはり待たねばなるまい」

 この少女は黄金聖闘士しか見ていない、とオルフェは思った。

 アルデバランが現れる前の白羊宮において、いかなる戦いが繰り広げられていたのか。それを彼女は知らず、知ろうともしない。

 命を懸けてハーデス軍の先兵と戦った、4人の青銅聖闘士を、パンドラは見ようともしないのだ。聖域には、黄金聖闘士しか戦力が存在しないと思っている。

(それでは、仮に十二宮を抜く事が出来たとしても……アテナの首を獲る事は出来ませんよ、パンドラ様)

 そんな事を言う代わりにオルフェは、ぽろん……と竪琴を爪弾いてみた。

 この音色がもはや届かぬ少年に、心の中で語りかける。

(勇魚、よく生き残ってくれた。アテナの聖闘士として、これからも頑張って欲しい……なんて、僕が言える事ではないけれど)

 人が1人、机上に伏したまま死んでいるのを、オルフェは思い出した。

「パンドラ様……弔いの楽曲を奏でる事、お許し下さいますか?」

「許す……ふふふ。ハーデス様も御存じないところで、そなたの竪琴を堪能出来るというわけよな」

 この少女は今、人を殺したのだ。

 殺されたのがどのような人間であれ、正義を重んずるアテナの聖闘士としては、怒りに打ち震えるべきところであろう。だが。

(今の僕は、アテナの聖闘士ではない……)

 思いつつオルフェは、竪琴に指を走らせた。

 悲哀に満ちた、弔いの調べが、小宇宙と共に流れ出す。

 パンドラが、うっとりと目を閉じた。

 この少女は誰よりも、オルフェの竪琴を高く評価してくれる。

 今の自分は、アテナの聖闘士ではない。

 こうして、ただ竪琴を奏でるだけの存在だ、とオルフェは思った。

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