扉の開いた先には1人の少女がいた。
絹のように柔らかく腰まで伸びた銀髪。深く沈む紅い色をしたガラス細工のような目。それを彩る細やかな銀色のまつ毛。
何より目を惹いたのは肌だ。純白。陶器のように滑らかで血の気一つ無い、異様なまでに白い肌。唇の薄い紅はその白肌と対照的で美しいコントラストを浮き出させている。
160cmほどの小柄な肉体は大人とは言えないまでも整っており、女性的。ドラム缶のように凹んだおなかが、思春期を抜けた女らしさを醸し出している。
纏う白衣は彼女の白い肌をより白くみせるためのものだ。ただ白いだけの質素な布では、芸術品の格式高い純白には勝てないということを証明している。
一言でいえば美しい。
一瞬だが本当に呼吸が止まっていた。それは戦士として致命的な隙だった。しかも敵の外見なんていう、くだらないものから生まれた隙。戦場であれば死んでいた。
しかし死んでもいいと思えるほどに美しかったのもまた事実。
隣にいたアリアテーゼですら息を呑むほど彼女は神秘的で、侵しがたい姿であった。
だが彼女が美人だったのは見た目だけだった。
「ふふふー……良いね良いねその呆けた顔! そうだろう? 私は美しいだろう?」
「……おい、いつからここは刑務所から保育所になった。さっさとこの生意気なガキを放り出せ、アリアテーゼ」
小さい口が放った言葉。そしてそのガキの「してやったり」という態度に耐え切れず、俺は隣のアリアテーゼを見る。
台無しであった。防音ガラスの外から見ればそれはさぞ優雅な笑いであっただろうが、漏れ出る声と態度から漂う幼なさは、もはや憐れみさえ覚えさせる。どうして見た目と中身がこうも合ってないんだ……。
アリアテーゼはどこかまだ抜けきらない様子だったが、俺の言葉に気を取り直す。
「おいお前たち、6029を拘束しろ……失礼しました、リーエル様」
「んーんいーよ。お咎め無しだ。元々そういう契約だからね」
「ハッ、有難うございます!」
「それじゃ、打ち合わせ通りだ。下がって良いよ」
「了解しました―――失礼します」
アリアテーゼとその部下の男2人は、今来た入り口から出ていく。ガションガションと背後で音が鳴る。再び扉に厳重な
残されたのは俺と、目の前の白いチビだけだ。テーブルを挟んで向い合せになる。
その間には仕切りなどない。ただテーブルがあるだけ。身を乗り出し手を伸ばせば簡単にこのチビを人質にとることだって出来る状態だ。
けれどそれは現実的ではなかった。
まず部屋の四方に設置された機関銃。隠そうともしないその殺人兵器は、俺の身体が少しでも一定の
そして状態が酷い。俺はまたガチガチの拘束をされていた。ようやく筋肉の力が入るようになってきたというのにまたこれだ。
牢屋の中では壁に布と鎖と鍵で縛られていたが、今度は椅子だ。面会用の囚人椅子。それは少しでも妙な動きをすれば俺の自由を奪うような設計をされている。
そんな
「面白いねここ! 何? そうやって話すのが君たちの日常なの? 苦しくない?」
「苦しくて今にも死んじまいそうだ。解《ほど》いてくれ」
「残念だけどそれは出来ない相談だ。第一、私はキミが苦しんでる姿を見るのが楽しい。諦めてくれ」
ニヤニヤと身動きの取れない俺を見て笑う少女。それはアリアテーゼの笑顔と同質のそれだった。
こいつも加虐趣味持ちかよ! まともな女はいないのか!
「しかし喋れる人間で助かったよ、6029。まずは自己紹介といこうじゃないか」
「……色々と聞きたいことがある」
「まぁそうだよね。そうだとも。分かってるよ? 分かってるけど、まずは自己紹介だ。私はキミのことが知りたいんだよ」
「……
「リーエル=アンネローゼ。年齢は17、職業研究者、兼いろいろだよ。生粋のロシア人だ」
「いろいろってなんだよ」
「いろいろさ。肩書きなんていっぱいある」
そう言って彼女は持ってきていたビジネスバックを机の上に取り出し、そしてひっくり返した。中からドサドサと資料らしきものが流れ出る。
彼女はそのうちの1つを手に取って、嬉々とした表情で語りだす。
「生命科学、気象学、物理学、量子力学、工学、医学、薬学、軍事学、情報科学……まぁ色々と齧ってるんだよ。ほら! これなんて見てみなよ! 私のところで作った気象衛星だ。よく出来てるだろう?」
ペラリと見せられた紙は設計図……だった。たぶん。
アルファベットや数字が所狭しと書き込まれ、中央には何か一つの機械の部品が線図で描かれている。おそらくそれは凄い計算によって綿密に計算され、時間をかけて組み立てられたものだ。そこまでは分かった。
そこまでは分かったが、書かれている内容は1ミリも理解出来なかった。
「……悪いが無学でな。頭の良い会話になると眠たくなるように出来ている」
「なんて薄情な囚人だ……。少しぐらい相槌を打ってくれれば、それだけで私は嬉しいというのに……」
「なんでお前の自己満足に付き合わなきゃいけないんだよ……」
しょぼんとした顔で資料を片付ける少女。
本当に17歳なんだろうなこいつ……見た目といい、中身といい、どうも一回り以上幼く見える。
「まぁ良いよ。良いとも良いとも。どうせすぐに私が凄いんだってことを理解できるようになるから!」
「それよりも質問だ。どうして俺を買った?」
「それよりもって! いいやこれは私にとってとても大切なことだ! 買ってあげたからには、
「分かった分かった。で、どうして買ったんだ?」
「単に都合が良かったからだよ」
そう言って彼女はパソコンと、そして別のカバンを取り出した。
そのカバンには先ほどのような資料は入っていなかった。機械だ。コードがたくさんひっついた金属の物体が、ゴロゴロと転がり出てくる。
それらを弄りながら、彼女はこちらに質問をする。
「ねぇ6029。君はさっき、自分は無学だと言ったね。どうしてだい?」
「子供《ガキ》のころから戦争戦争だ。勉強するよりもやらなきゃならないことなんて腐るほどあったんだよ」
「そうか。それは大変な人生だったね」
リーエルはそこで、憐れむでもなく淡々と呟いた。
俺はその返答にちょっとだけ好感を抱く。
「じゃぁ次の質問だ。6029、人を殺すのは好きかい?」
「殺されるよりはな」
「結構。まぁ、君を買った理由の『都合が良い』っていうのはそういうことだよ」
「……なるほど」
ここ第四監獄は、その囚人の全てが元戦争経験者だ。それも実力は折り紙付き。ナイフ1本でサバンナへ放り出そうが、食えるものさえあれば平気で帰ってくるような。そんなどうしようもない奴らばかりが集まっているのがここ第四監獄。
囚人買収だなんて突飛なことをするから、一体何をするかと思えばまぁそういうことだ。つまりは一生逆らえない従順な駒が欲しいと。
実にありきたりで、当たり前な思考であった。
しかし彼女はどこか態度の冷めた俺を見ながら、愉快げに口を歪ませる。
「おいおい、勝手に悟って勝手に拗ねるのはやめなよ」
「決まったようなもんだ。それともアレか? なんか新しい研究とやらの実験台にするつもりか? そういうのは買収囚人相手でも禁止されていたはずだが?」
「あんなのあって無いような法だよ。というよりも、特大のオマケがついた無期懲役の囚人を買い取れる人間が、そんなの気にするとでも思うかい?」
「違いない」
買収囚人の使い道その二、人体実験。
俺たちは身体が丈夫なのが唯一の取り柄みたいなものだ。そういった使われ方があるのも知っていた。
よくよく思えば、目の前の少女は白衣を着ている。傭兵だとかよりもまずはそっちを想像すべきだったか。
「あぁ酷い人生だったな。まさかホルマリン漬けでビン詰めにされるのが俺の最後だなんて」
「被害妄想も甚だしいじゃないか」
「こんなことなら1度で良いから女を抱いてみたかった。そんな人生だった……」
「チラチラ見られても拘束は解いてあげない。それに私は軽い男はタイプじゃないんだ」
「一生お前だけを愛すると誓うよ。死んでも想い続ける。魂となっても君の傍に居ると約束する」
「今度は重すぎる……。呪われそうだからやめてくれ」
「じゃぁどうすればいいんだよ! いーやーだー! 死にたくないー! おうち返してー!」
「駄々っ子じゃないか……」
「はぁ……憂鬱だ」
そうしている間にも着々と彼女は手を動かしていた。
パソコンから伸ばしたケーブルはヘッドギアへと繋がっていた。何やら基盤だとか電極だとかが外から丸見えな、とても無骨なヘッドギアだ。ひしゃげたヘルメットより被り心地が悪そうで、重そうだった。
というか、怖い。
何が怖いかって組み立てられた機械の異様さだ。ん? 今なんか電撃走ったぞ。ヘッドギアの内部でバリバリ言いながら放電現象が起きていた。待て待て。しかもなんかチューブを取り出して、ヘッドギアの内側にゲル状のものを塗り始めた。何だあれ何だあれ。今度はパッチみたいなものを数本取り出して、パソコンにつなげてる。おい何かこれまずくないか。
今すぐにでも何かしでかす気なんじゃないかこれ?
「ちょい! ちょいちょーい!」
「ん? どうしたんだい? トイレ?」
「違う。おい、まさかここでもう始めんの?」
「その通りだよ」
あっけらかんと言い放つリーエル。
いや確かに囚人を研究目的で買うような奴だ。頭がイカれてるのは予想していたことだ。しかしそういったのは、例えば麻酔をして寝かせてから安らかにするのだとか、例えば最後のお楽しみということで1週間ぐらい自由と金を与えてから殺すだとか、もっとこう俺に救いのあるものだと思っていたのに!
バッチンバッチン青白い稲妻が物凄い音をたてている。その強さはアリアテーゼの持つ改造スタンバトンの起こす電撃の比ではない。
どうやらこの部屋で、いきなり何かされるらしい。
「ちょっ、待て! 待て待て待って!」
「んーん待たない。待ってあげない。大丈夫だって、痛くないから……」
「信じられるわけないだろ!?」
「痛いのは最初だけだから」
「ほらやっぱり痛いんじゃねーか! やめろ! 傷害罪で訴えるぞ!」
唯一動かせる首から上で全力で拒否をする。
しかし彼女はやめない。むしろ俺の姿を見てさらに笑みを深めながら、席を立った。その小さな歩幅で、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。その手に変なパッチと、あの電撃ヘッドギアを持って。
身を捩《よじ》る。捩(よじ)って逃げようとする。しかし囚人椅子がそれを許さなかった。俺が妙な身動きをしたからだろう。自由を奪うべく、バキンと椅子の足が折れ、右半身から地面へと衝突した。
首から上が動かせるといっても、根元はガッチリ固定されている。 俺は成すすべも無く無様に地面に横倒しになった。
足も手も動かせない。もう逃げられない。
「買収囚人に人権は無いよ。ほら、ちょっとだけだから……ちょっとだけ……」
「来るな! 寄るな! やめてくれ! おい誰か! 誰かーーー!!!」
「叫んだって無駄だよ。この部屋に監視カメラは無い。あるとすればそこの機関銃の探知カメラぐらいだ。この部屋は今2人っきり。そう、2人っきりなのさ……」
「せっ、せめて何をするのかだけは説明しろ!」
「君にはこれからゲームをしてもらうよ」
「ゲーム……!? 賭け事か!? トランプか!? ならそんな物騒なもん持って近づく必要無いだろ!?」
「……なるほど。テレビゲームも知らないのかキミは……」
「ひっ、冷たっ! おい何塗りやがった!?」
「動かないでくれよ。動くと機関銃でズドンだよ?」
「っ―――!!!」
ヌルリと肌に冷たい質感。細く小さな指が、舐めるように肌の上をなぞる。添付されていくゲル状の何か。そしてペタペタと、おそらくパッチが貼り付けられる。おでこや後頭部、首の付け根。俺の長い髪をかき分けながら、彼女は首から上を蹂躙する。
それは無機質の恐怖だった。
銃弾は怖い。刃物は怖い。爆弾は怖い。拷問は怖い。けれどそれらはもう乗り越えた。あらゆる死の危険を、俺は数えきれないほどに味わい、そして打ち勝ってきた。
けれどこれだけ乗り越えてきてなおまだ怖いもの。あぁ、これはあれだ。自白剤だ。身体ではなく精神を。脳なんていう、どう頑張っても自力で治しようが無い部分を弄られる、生理的な嫌悪感。
もっと正確に表すのなら嫌悪では無かった。そんなもの抱く余裕などない。恐怖だ。ただただ怖い。自分がこれからどうなるか全く予想がつかないから、怖い。
やがて肌を撫でる指は離れた。そしてヘッドギアが頭に覆いかぶさる。
「大丈夫、安心したまえ。本当に痛いのは最初だけだから」
優しく、安心させるような口調で言うリーエル。その言葉は確かに俺の身を慮ってのものだった。不安に押しつぶされそうだった俺は、その言葉に少し安心した。
もっとも、そんなにすんなりと相手の言葉を飲み込むなど平常時ではありえない。けれどすがる他に道はない。今となっては俺はその言葉を信じる他無かったのだ。たとえそれが形だけの、中身の無い言葉だったとしてもだ。
「……まぁ、意識を失うほどに痛いんだけどね」
そしてバツン、と。
意識が闇に落ちる―――。