遥かな古の時代、お伽話と神話がまだ現実として信じられていた時代に、ある山があった。その山には妖怪変化が住み着き暮らしている。妖怪たちは、時に人間を拐かし、時に人間を喰らい、時に人間に己の知恵を伝授する。そんな彼らは畏怖をもって接する存在と認識されていた。その山はあらゆる人外が集う一種の魔境。その山に立ち入った者は、よほどの幸運がない限り決して帰ってこない。それは人だろうと神だろうと区別なく。やがて、この山と周囲一帯の土地のことを、どこぞの誰とも知れぬ何者かがこう呼んだ。夢幻の如き存在が暮らす郷、"幻想郷"と。
幻想郷は、あらゆる者たちを呼び寄せた。人外である妖怪は当然、神通力を操る人間、幻想郷を己が管理しようとする神、仏。神に仏は幻想郷の中央にある山に幾度となく侵攻した。そして、結果は誰一人として帰ってこないのだから、無惨という他なかろうて。妖怪たちは、侵略者たる神仏らを拒絶しなかった。しかし、同時に妖怪たちは、彼らを一向に認めようとしない。神々は自分たちを認めない妖怪たちに大層怒った、片や怒る神を相手にするのをやめた妖怪たちは神々へある提案をした。
『この山には、この地を統べる大将がいる。その大将は一度として負けたことはない。神だろうが仏だろうが悪鬼羅刹であろうと負けなしのお方だ。もしも、このお山に住まう大将を打ち負かすことが叶ったなら、新しいお山の主人としてアンタを歓迎しよう』
その言葉に乗せられて山へ攻め込んだ者らは、喜び勇んで洞窟の奥に消えていった。あとは語る必要もなく、特筆することもなかろう。やがて、日本にいた土着の神々も、外来してきた仏たちも、山に住まう謎の主に大きな危機感を持った。神でも仏でもない強者、そんな存在はあってはならない。されど、迂闊に手を出せば大やけどをしかねないときた。悩みに悩んだ神は、妖怪たちに『どうにか、その主を騙して謀殺できないか』と交渉を持ちかけた。妖怪たちは無理だと断った。ならば、と神は妖怪たちに『その主を説得して山から追いだせないか』と頼み込んだ。妖怪たちはあり得ないと嘲笑った。最後に神は妖怪たちに『せめて、その主の名を教えてくれ』と頭を下げた。妖怪たちはそれならばと快諾した。妖怪たちが畏敬と畏怖を込めて語った名前こそ、神仏妖怪、種族を問わず恐れられることになり、語ることさえ憚られる名称。天下無双にして無敗無敵、畏れとともに知るがいい。その魔王の名は……"百鬼空亡"。
妖怪の世界と人間の世界はまったく無関係のようだが、実際は相互に影響を及ぼしている。それは人間が影響を与えているのか、妖怪が影響の原因なのか、疑問が多数発生するところだが言及しないでおこう。こういった疑問は、鶏が先か卵が先かと言う無意味な論に着地しかねない。幻想郷、それは日本の辺境に存在する、ある山付近の地域を指し、山には幻想郷へ攻め込んできた侵略者を全て蹴散らした主が住んでいる。主の名は"百鬼空亡"。百鬼空亡は山の事情にはほぼ無関心。人間、神の事情すら歯牙にかけない絶対者。そんな彼がどのような暮らしをしているのか、その一部始終を幾つか覗いてみるとしよう。
ーーーー華の眷属ーーーー
其処は、当たり一面に満開の向日葵が咲き乱れていた。だが、明らかにおかしい。季節は夏、向日葵が咲くのは不自然ではない。不自然なのは、この向日葵の"存在自体"だ。向日葵の発祥地は日本ではない。その原産は北アフリカとされ、日本に伝来するのは"17世紀のはず"なのだ。現在の日本の年代は6世紀末の飛鳥文化。ゆえにこの時代に向日葵が咲き乱れているというのは明らかに異常。常識では説明のつかない現象、それの裏にいる存在は大抵が妖が関わってくる。妖とは人間にとっての脅威。だが、妖怪にも人間と友好的な者や危険のない者がいる。そういった者は大きく分けて3パターンの理由がある。初めに、最初からそういう(人間を傷つけられない)妖怪として確立しているケースに、退治の方法が知れ渡っているケース、最後が、その妖怪が人間を傷つけられないほどに弱いケースだ。話をこの向日葵畑に戻すが、ここは妖怪が創り出した、まだ存在自体があり得ない花畑。
「ここを作った妖怪は、よほどの傾奇者か花好きのどちらかだろうな。まったく、天狗どもが大騒ぎしているから、何かと思えば。いくら未知の代物とはいえ、たかが花に怯えるなど笑い話にすらならん」
白貌の青年は、向日葵畑の中を悠々と進む。その歩みは自信を見せつけるような貫禄さえ感じさせた。百鬼空亡は太陽の照らす花の楽園を奥に行く。その歩みに迷いなし、幻想郷の支配者と恐れられる百鬼空亡はこの花畑を作った妖怪を探す。目的地も定めず歩き続けた先には、向日葵の花がグシャグシャに荒らされ"花畑"だった無惨な荒野が広がっていた。花だった残骸、荒らされた大地、その真ん中には無言でハラハラと涙を流す幼女が座っている。癖のある翡翠の髪、それと同色の翠眼、美しく整った容姿は将来美人になると確約しているようだ。けれど、美しい顔を強く歪め幼女は残酷な現実を呪うように慟哭していた。
「おい、この向日葵畑はお前が咲かせたのか?花畑などを作る能天気な者など、妖精か精霊だとアタリをつけたが、その妖気を見る限り妖怪らしいな。それで、いったい何故に涙を流す?」
「………………救いを叫んでいたの、
グスッ、ヒクッ。深緑色の幼女はただ、涙を大地に落とし続けた。その涙が枯れんばかりに、終わらせようとするように。その姿を見た百鬼空亡は、憐れみより先に違和感を覚えた。大事な存在を奪われた者が嘆く光景はアジ=ダカーハの記憶の中にごまんと存在する。だからこそ気づけた奇妙な違和感。そう、この幼女の悲しみは本物だろう、その慟哭は真実だろう。しかし、この涙には復讐を望む憎悪が欠落していた。
「おい、貴様は何を悲しんでいる?見たところ、花が散らされたことがよほど腹に据えかねているらしいが、その涙には憎しみが欠けている。大事なモノを失くした、奪われた者は大抵は憎悪の炎に呑まれるはずだ。だが、私の所見では貴様の涙には"それ"が無い。貴様が名の知れた徳の高い坊主なら、聖人ならそういうことがあるのかと納得もしよう。だが、貴様は妖怪だ。闇から産まれ闇に消える人外。いくら情が深かろうと、花を愛そうと貴様らの魂には人間に恐怖を刻み、彼らの天敵として生きることが定義づけられている。怒りや憎しみを持たないなど、人間、動物ですら困難だというに、憎悪や憤怒から生まれた妖怪に出来るはずがない。答えろ、貴様が涙を流すのは何故だ?」
その問いかけはどこまでも尊大で上から目線だった。答える義理は無い、必要も無い、意味が無い、価値が無いはず。けれども、その問いは逃げることを決して許さない圧力を放っていた。その質問は断罪者の断頭台のごとく。幼女は問いかけから発せられた迫力に呑まれ、言われるがまま、己の裡に秘めた真実を暴露していく。
「……周りの花………………私は一部の花を見殺しにしたの。だから、周りの花に罵られると思った。これでもかと、私のしてきたことを全て否定され、存在を無視され、私がどれほど利己的なのか、罵倒されると思った。ううん、されなきゃいけないはずだった。でも、なのに…………どうして!!!」
突如、幼女は絶叫する。その叫びには全てが込められていた、奪われた怒り、喪った哀しみ、最後に憎悪。最後の憎悪、それが普通の"それ"とは一風変わっている。その憎悪が向けられた者は他者ではなく自分自身。この幼女はその身から滾る憎悪を背負い続けていた。
「"何も"、何もなかった。罵倒も蔑みも罵詈雑言も、"何一つ"としてなかった!!ただ、私の悲しみに同情してくれている。こんなものじゃない!……………守れもしない、悲しみも憎しみもぶつけてもらえない。これじゃあ、私は何もしていないじゃないか…………………………」
無力な自分を呪い憎む恨みの叫び。その声は小柄な痩躯から発せられたことが信じられないくらいに、周囲に強く激しく響いた。弱い自身への憎しみ。そう、彼女は弱い。どうあっても弱い。妖怪として生きた年月が短いと言えば、そこまで。けれど、数十年、数百年、幾星霜を経とうと強くならないのは彼女自身が重々承知だった。強い妖怪には二種類がある。それは種族としての特性や長所を研鑽し鍛錬をすることで強くなるタイプ、年月を経て妖力を上げ恐怖を糧とすることで強くなるタイプ。そのどちらも、種族というヤツが強く関連してくる。強い、または高名な妖怪に多いのは年を経た狸や狐。それに鬼。これに共通するのは人間を害せるという点。つまり、強くなる妖怪の条件は、人間を傷つけることが可能か、それに帰結する。お化け提灯に強者がいるか?人を殺し尽くすような悪虐を働く河童がいるのか?強く恐ろしい座敷童子が存在するか?答えは否、人間に害を与えることはあれど、せいぜい驚かせたり、一人二人の命を奪うのが関の山。程度の差があれ、妖怪は人間からの畏れを得なければ強くはならない。時に例外が現れることもあるが、弱い種族として生まれた妖怪は一種のストッパーが掛けられている。これ以上は強くなってはいけない、それ以上は人間の想像から逸脱してしまうから。そういったストッパーが妖怪たちには掛けられているのだ。逆に神はその上限がない。だって、神なのだから。その一言で全てが納得する超常的存在。神は年月、鍛錬、信仰、その全てを吸収し続け強くなる。しかも上限がないと言うのだから、馬鹿みたいに強い存在がいるというのも頷ける。
話が逸れたが、この幼女は花の妖怪だ。花、それに恐ろしい、怖いという感情を強く抱けるのかと言えば、少し微妙なところ。使える能力も花に関連した能力だけだろう。例えば花の声が聞こえる、花の成長を早く出来るという程度。花屋を営むなら問題はないが、妖怪として生きていくなら役に立たない能力。つまり、この幼女は弱い、その弱さは妖怪よりも妖精に近く、強くなる下地がない、可能性がない、未来がない。守りたいものを守る強さに己の意思を貫く力が欠けている。
「強くなりたい!"私"を貫くチカラが欲しい!!」
その叫喚は己への誓い。弱い己を拒み、強い己へ手を伸ばす覚悟の表明。この幼女の嘆きは百鬼空亡の心を揺らした。散らされた向日葵と無事だった向日葵に囲まれた花畑で、百鬼空亡は自身の権能の一端を使うことを決意する。アジ=ダカーハもとい百鬼空亡の権能、すなわち、眷属の創生。
百鬼空亡は右手の親指を強く噛み、流血させる。その血こそ悪神の眷属となるための紅。百鬼空亡は、幼女の顎を左手で上げさせ、視線を交じらわせた。真紅の双眸と緑の双眸が互いに交差する。
「強くなりたい、その言葉に偽りはないか?その覚悟に曇りはないか?強くなるということは生まれ変わるのではなく、かつての弱い自分を殺すということ。戻れないぞ、かつての自分に……それでも、強さを求めるのか?」
「欲しい、強く強くなるんだ!何も守れない
「その先は地獄かもしれないぞ、いや下手をすれば地獄すらない。"何"もないかもしれないぞ?」
「それでも、止まっていたくない。未来への不安を言い訳に立ち止まっていたくない」
この幼女は、対する空亡の膝ほどにしか背丈がない。これほど小さな体躯で覚悟を決めるとは。その覚悟に応じるべく、百鬼空亡は彼女の口にそっと自分の血を飲み込ませる。
ドックン、ドクン。口から流入した血液が矮躯に循環し始めた。循環するに伴い、ほんの僅かだった妖気が膨れ上がるように上昇し、肉体も幼子のものから成熟し丸みを帯びた女性のものへと変わっていく。全身に生じる激痛に耐え、肉体の変貌を受け入れる。力が溢れ、溢れる力を逃さぬよう肉体が進化し続けた。そして、おそらく、二十代ほどの年齢で肉体が成長を止めた。次いで大きく変わったのは、エメラルドのような翠眼が、魔を宿したような真紅の瞳に変化した点だろう。眷属化によって生じた凄まじいまでの妖気が彼女を包む。成長した体を紅き双眸は驚いたように観察し、何か確かめるように手を握ったり開いたりする。
「それでは、名を聞こうか。我が新しき眷属よ」
百鬼空亡は女性に名を問う、その問いにこうべを垂れた彼女は恭しく礼をとって返答した。
「…………申し遅れた無礼お許しください、主さま。私の名前は風見幽香と申します」
真紅の眼を爛々と輝かせ、幼い子供はどこか色香を放つ妖艶な美女として変生を果たす。百鬼空亡はそれを聞くと満足げに笑い、向日葵畑を去っていった。それから、しばらくして妖怪の山の一角は誰も帰らぬ訪れぬ不可侵領域として定められることとなる。偶然生きて帰ったヤツの話では、黄色の太陽みたいな花畑に美しい妖怪が住んでいると恐怖に震えながら口にしたらしい。それ以来、そこは太陽の花畑と恐れられるようになった。
これは、ごく少数しか知らないが太陽の花畑が知られるようになった頃、百鬼空亡の住まう洞窟に緑色の髪と真紅の虹彩を持つ女性が現れるようになったとか………………
ーーーー千客万来ーーーー
薄暗い洞窟、水源があるせいか、湿気の充満した空間。薄暗くジメジメとして暮らすにはとてもじゃないが向いていない。なのに、このような場所を百鬼空亡が好むのはもしかすると龍や爬虫類の本能に引っ張られているのかもしれない。考察をしてみたが、仮に答えが出たとしても生活スタイルが変わることもない。眠らずともよいが、あまりにも暇なので時間を消費するためだけに睡眠に入ろうとした時、
テッテッテッテ。規則正しい足音が眠気を払い、眼を開かせる。ここに来るのは、新年を迎える際、何故か自分のところに新年挨拶をする天狗や河童、他の妖怪たちと、よそから来た敵対者。そして、
「おにぃちゃーん!」
「こら、こいし!もっと、静かにしなさい。もしかしたら、お兄さんは眠っているかもしれないでしょう。もっと静かに落ち着きを持ってーーー」
この覚妖怪の姉妹たちくらいだ。
「構わん、ここ最近はまったく平和だったからな。それで今日はどういった要件だ?退屈しのぎとして聞いてやらんこともない」
「ありがとね。えっと、実はね、おかしな人間が来てるんだよ。山に入ろうとしている人間なんだけど、何回も追い返されてるのに諦めず来ているんだ。いい加減、しつこいよね〜」
「ふむ………おい、さとり。こいしでは文字通り話にならん。要点だけ言え」
ニコニコと楽しそうに、こいしは空亡に説明するが要領をえない上に要点がないものだから、何が何だかさっぱり、わからないときた。こいしはさとりにバトンタッチし、事の次第を説明する。さとりの話では、幻想郷と呼ばれるこの辺いったいを調査している人間がいるそうな。その人間は不可思議な現象や生物、特に妖怪についての記録を書き記しているのだと言う。そして、今度はこの山に興味を示したらしいが、哨戒天狗たちの目を欺くなどただの人間に出来るはずもない。山に入れない状況を打破すべく、人間は河童たちをきゅうりで買収。どうにか、山に一度は侵入するも、すぐに天狗たちが追い返したらしい。その人間の噂が天狗たちや山の妖怪たちに広まっていると、さとりは空亡に説明した。
「なるほど、妖怪や異能を調査する人間か。物好きもいるものだ、答えの出ない問いを調べるなど徒労にしかならぬというに。その人間、よっぽどの奇才か、ただの阿呆のどちらかだな」
「……お兄さん、それはどちらも変人ということになりますが」
「確かにそうだが、明確に区別はしているぞ。前者は頭の出来が良い変人、後者は頭の出来が残念な変人だ。というより、変わった人間でもなければ妖怪や精霊などの人外に関われるものかよ」
「妖怪と関わって平然としてる人間とか、まともな人間って認識出来ないよね〜」
軽口のやり取りを気楽に行う三者。暗い洞窟で覚妖怪と悪神は談笑に興ずる。話が進んで少し時間が経過した頃、さとりが思い出したように空亡にある報告をした。
「お兄さん。実はその人間、どうやらお兄さんに用があるそうなんです」
「なに?……天魔にではなく私に用があると?」
「はい、何処で情報を手に入れたのかは口を開きませんが、お兄さんに一度でいいからお会いしたいと。お兄さん、どういたしますか?」
「…………戯れだ、そいつをここに連れてこい。何が目的かは知らんが相手をしてやろう」
「おにぃさんが直々に?……わかりました。では、こちらに連れてきますね」
空亡の言葉に従って、"さとり"は洞窟の外へ人間を連れに行く。妖怪が噂にするほどの変わり種。いったい、どのような人間なのか?空亡は、退屈を紛らわせるであろう来訪者を無言で待つ。………しばらくして、突如、空亡が"誰もいない"はずの空間に話しかけた。
「いつまでここにいるつもりだ?……"こいし"」
『…………あ〜あ、やっぱり、おにぃちゃんにはわかっちゃうんだ』
座った空亡の正面には、閉ざされた第三の目を胸元に漂わせ、こいしが参ったと言うように笑いながら立っていた。気配を殺すだとか、姿を見えなくするとはまた違った隠密。同系統の能力を持つさとりですら、捉えきれないチカラ。見るとか、探す以前に、その存在を意識できない。そこにいるはずなのに"存在"を認識できないのだ。そこにいると確信があるが、見えない。それは例えるなら空気のよう。そんな認識することも困難な存在を、空亡の鋭敏な感覚は確かに捕捉していた。
「そこにいるのは、わかる。……いることはわかるが、それを認識できない。認識異常を起こす能力?意識そのものを操っているという雰囲気ではない。…………無意識を操る程度くらいか」
『エヘヘ〜、その通り。実は最近使えるようになったんだよ。この無意識を操る能力。でも、程度ってヒドくない?同じ覚妖怪のおねぇちゃんだろうと、見破れない能力なんだよ?もっと、褒めてくれてもバチは当たらないんじゃないかなぁ』
「散々、神を始末してきた私にバチ?……そんなものが当たったことなど、一度たりともないぞ。大体、妖怪が神のバチを語るなど、冗談が過ぎる」
『冗談も言えない会話って、面白くないでしょ?』
「過ぎれば、冗談など戯言と変わらん。それにその能力、覚妖怪の能力に対する嫌悪が創られた原因だな。そんなモノを創る暇があれば、覚妖怪の能力と向き合え」
『…………おにぃちゃんってば、厳しいなぁ。まぁ、正論だから反論しにくいけど。…………それじゃあ、少し散歩してくるよ。またね、おにぃちゃん』
こいしはそう言って、洞窟から外へ。空亡は静かになった洞窟の寝床で横になり、来客の訪問を待つ。時間を消費するために空亡は瞳を閉じ睡眠を取り始める。それから、数時間ほどが経過し、数人ほどが洞窟内に入ってきた。目を開き、空亡はバキバキと音を鳴らしながら首をゆっくりと回す。そして、ようやく、この山で噂されていたという人間が空亡の前に現れた。
「……………キュウ………」
その人間は河童と天狗に両腕をがっちりと掴まれ気絶した状態で、この洞窟へ訪れた。というより連行されてきた。
「……それが件の人間か。女、というより子供だな。それで、何ゆえ気絶しているのだ」
空亡は気を失った状態で訪れた来客を、実験動物でも観察するような目線で覗き込む。その疑問に遅れてやってきたさとりが、この現状を説明する。
「実は、私は噂でしか人間のことを知らず、天狗の皆さんに協力を頼んだんです。そうしたら、話が歪んで伝わってしまったのか、おにぃさんが人間を生贄に所望しているということになってしまい、天狗、河童が必死の形相で人間を捕らえてきたというわけです。ちなみに気絶しているのは、おにぃさんの発している空気に呑み込まれたからではないかと」
「くだらん。まぁ、事情はわかった。おい、そこに天狗と河童」
「「はいっ!!」」
天狗と河童という異色の組み合わせは、空亡の言葉に震えながら返事する。実はさとりが天魔に人間の確保を要請してから、最も早く人間を捕まえたのは天狗の射命丸文であった。しかし、捕獲してから一人で空亡の元に人間を連れていくのが、恐ろしくなった文は河童の河城にとりをついでに捕獲。命の危険を感じたにとりは、文から逃げようとするも強制連行。洞窟前に辿り着いたはいいが、洞窟の奥から漂う禍々しいオーラのせいで洞窟内に入れなかった。人間はそのオーラのせいで気を失い、途方に暮れていたところにさとりが現れた。文はさとりに人間を押し付けようとするも、心を読まれ洞窟の奥まで行く羽目になったのだ。ちなみにさとり、こいしは空亡の放つオーラを日頃から受けてきたので、すっかり順応し耐性がついている模様。
「仕方ないか」
このままでは会話も碌に出来ないので、空亡は己の放つオーラを自分の中に収めていく。常に放出しているものを意識的に抑制していく。例えるなら息をするのを止めるようなモノ。その甲斐あってか、洞窟内に充満していた重圧はさっぱりと消えて格段に動きやすくなった。
「そこの天狗と河童、名を言え」
空亡の脅迫とも命令とも取れる発言に二人は恐怖に震えながらも名を名乗る。
「天狗のしゃめいまる、文と申します……」「河童の……河城にとりです……」
「……貴様らがその人間を捕まえたのか?」
「……はい」 「あの私は連れてこられただけで……」
「……せっかくだ、褒美をやろう。何か欲しいものを言え」
空亡は命令口調で褒美を出すと宣言した。しかし、文とにとりは返事が出来ない。洞窟内の重圧からは解放されたが、それでも空亡が畏れ多い存在であることに変わりはない。迂闊なモノを要求すれば、本当の意味で冥土のみやげになってしまう。慎重に二人は思考を巡らせる、そして二人の目が合った瞬間、二人には別々のモノが頭に浮かんだ。
「百鬼空亡様。それでは壊れぬ武器を頂けますでしょうか。私の同胞である白狼天狗が、壊れぬ武器を欲しがっていたので」
「私は、知識を頂けますか?河童はカラクリや機巧に目がなくて。思考できるカラクリなどに関する知識があれば、ぜひお教え頂きたく」
二人は、あえて無茶なモノを要求した。存在しえないモノを要求すれば、ここから一秒でも早く帰れると思ったのだろう。もし、空亡の気が短ければ、逆ギレされて殺されていたかもしれないが。それはさておき、二人の無茶な要望は、驚くことに叶えられた。
「いいだろう」
空亡は気怠げに片手を軽く振る。すると、二つの小さな光が文とにとりにゆっくりと近づく。文の近くにきた光は、文の前方で弾けて大きな白い鱗にかわった。にとりの元に近づいた光は、にとりの頭の中に入っていき膨大な機工学に関する知識へと変化する。
「射命丸文、貴様にくれてやったのは私の体の一部だ。それを鍛え武器とせよ。生半可なことでは砕けぬ武器となろう。次に河城にとり、お前にくれてやったのは、思考する未来の機構、機械工学の知識だ。その知識を使うことについては何も制限しないが、その知識で創り出したモノを人に見せることを禁じる」
「…………あの〜〜、もしも、本当にもしもですが。それを破ったら、私ってどうなります?」
「ん?……先ほど頭に光が入っただろう。それが爆発する。盛大にな。禁じるとは言ったが、強制はせん。華々しく散りたいというなら話は別だが」
「絶対に見せません!!死んでも見せません。見せたら死にます!」
にとりは首を全力でブンブンと前後に振るい、了解したことを示す。文とにとりは、人間をその場に置いていくと、洞窟から一目散に遁走した。後に、にとりは空亡より得た知識により勝手に動くカラクリ人形を作り上げた。そして、自動人形を作った際の技術を応用することで、にとりを中心とした河童の技術や発明は妖怪の中でも群を抜く凄まじいものとなり、妖怪の山で河童たちは確固たる立場を手にすることとなる。そして、文は手に入れた空亡の
洞窟から二人の妖怪がいなくなり、洞窟内は静かに佇むさとりと、地面に倒れた人間の女、そして、空亡たちだけになった。気絶した人間が起きるのを待つのに焦れた空亡は立ち上がって、倒れた人間に害意を向ける。空亡の殺意未満、敵意並みの凄み。それは、普通の妖怪の殺気を遥かに上回るほどの威圧。異常な人間でも、さすがに命のピンチを感知し飛び起きた。
「ひゃっ!?」
状況が判断できず狼狽した声で、女は気絶から眼を覚ます。眼をパチパチと瞬き、無言のまま状況を掴もうと周囲をキョロキョロする。
「安心してください。先ほどまでの重圧は今のところはありませんから。」
「あっ、どうも。…………あれ?今、私口に出してましたか?」
「心に出してました」
さとりは平坦な声で女を諌める。一方、軽い冗談(実際は事実)のおかげで落ち着きを取り戻した女は辺りを確認した。暗い岩場、ゆらゆら揺れるロウソク、湿った空気。おおよそ、人の住み着かぬような領域。そして、そこにいるのは薄い紫の短髪に赤い瞳を持つ少女。もう一人は自分の前に寝転がった男性。歳のほどは二十か十代?白銀の髪に紅玉の眼、褐色の肌。少女の方からは人ならざる者の異常な気配が感じられる、それとは対照的にまったく気配を感じない青年。確か、自分は妖怪の山にいる一番偉い者の下へ連れて行かれるという話だった。ということは………
「いえ、違います、勘違いです。……私はただの妖怪。支配者とか面倒な管理職ではございませんので、あしからず」
「なんとっ!!そうなんですか。それは大変ご無礼を、……また、喋っていました?」
「話が進まん、時間と暇は持て余しているが、茶番に付き合うほど私は優しくない。さっさと用件を言え、さもなくば殺……すというのは凡庸か。よし、用件を言わんのなら、貴様に呪いをかける」
「呪い!?……どのみち死んじゃうんですか〜!!」
「ああ、心配するな。命に危険はない」
空亡は慌てふためく女を見て、意地悪そうに爽やかな笑みを浮かべる。その笑顔から、さとりは空亡が愉しんでいるのを感じ取った。普段から感情の読めない空亡と関わってきたが、空亡がはっきりと感情を出すなど中々ない状況だ。……その内容はともかく。
「呪いといっても、ごくごく平和なものだ。そうだな、子々孫々の末代まで全ての毛が抜け落ちるというものだよ。命に危険は及ばない。安心したか?」
「出来ません〜。髪の毛は乙女の命ですよ!!それをなんと心得か!」
「何か、勘違いしていないか。呪いは髪の毛だけではなく、体毛全てにかかる」
「より酷い!!というか惨い!!分かりました、わかりました。お話させていただきます、お話させてください!!!!だから無毛だけは〜〜」
"千の魔術"
『アジ=ダカーハは千の魔術を操る』という伝承を基にした権能。この能力の真価は、あらゆる知識を運用するという点にある。"千" それは古代世界では無限数を表す数。それを関する空亡(アジ=ダカーハ)の"千の魔術"の応用度と汎用性は万能と呼ぶに支障のないほどだが、空亡の肉体性能が高すぎるせいで戦闘では、ほぼ使われない不遇な能力なのだ。そのため、サポートや自分の寝床の作成、防音などに使用されることが多いのである。
「ならば、用件を言え。つまらん内容ならば………それなりの覚悟をしろ」
「はいっ!!……っと、その前に〜貴方さまがこの妖怪の山を支配されるお方でしょうか」
「はぁ、いちいち、否定することすら億劫になってきた。支配した覚えなど一度としてないが……そのような捉え方で問題はない」
「そうですか、そうですか!!妖怪の山の権力者と直接、会談が出来るとは…………おっと、申し遅れました。私はこの幻想郷の歴史を編纂している稗田阿礼と申します」
「「編纂?」」
眉を潜め、訝しげな声で空亡とさとりは異口同音に同じ感想を口にする。
「はい、……私は昔から見聞きしたものを決してわすれないのです。だから、この記憶を活かし、え〜、力強い妖怪たちが末長く語り継がれるように、私はこの幻想郷で妖怪に関することを編纂し書として纏めようと活動しているのです」
満面の笑みと共に、阿礼は自分の能力と活動、目的を説明した。最も、勘の鋭い空亡と心の読めるさとりの前では阿礼の言わずにいた裏の目的など、一言目から白日のもとに晒されている。さとりは空亡に阿礼の考えていることを報せようとしたが、空亡は左手を挙げさとりを制す。
「ふむ、それは、それは………妖怪のことを調べ書にしようとするなど物好きだな。阿礼とか言ったな?……面白い、気に入った。その編纂作業の助けをしようではないか」
「本当ですかー!!」
「なっ!?」
空亡の提案に驚いたのは、阿礼のみならず側にいたさとりも同様だ。阿礼は山の支配者階級がじきじきに妖怪に関する調査を許可したことに驚き、さとりは空亡が阿礼の"思惑"に気づいた上で調査という名目の"対策"を書にすることを許したことに愕然とした。そう、阿礼の言葉には偽りはない、ただ言葉にしていないところがある。阿礼の幻想郷中の妖怪や精霊を調査するという行動の真の目的は、"退治や撃退、対抗手段や弱点"を明確にすることにあったのだ。
「それでは、阿礼。お前にはある秘術を与えよう。死から逃げる不老不死などではない、繋ぐ術、次代へと託し前に前に進み続ける"輪廻転生"を」
空亡が指を鳴らす、途端、阿礼を囲うように無数の梵字、幾何学模様、何らかの
「この術は、死んだ後に起動する術だ。この術を説明をする前に魂の話をしよう。死んだ魂は冥界を通り地獄にて裁きを受け生まれ変わる。そして、生まれ変わりが起こる際、魂は転生する先を決められず現世の記憶を全て喪う。それは自然の摂理であると同時に魂の構造上のもの。輪廻転生は魂に手を加え、生まれ変わる先を自らの子孫に限定する魔術なのだ」
「…………つまり、私は死んだ後もう一度生まれることが出来るのですか?」
「いや、正確には阿礼という個人は残らない。魂はお前のものが根幹にあるだろうが、阿礼の子孫の生は子孫のものであって記憶は受け継げない。しかし、お前の見聞きしたものを忘れない程度の能力、癖、好みなど細かいところは多少受け継がれるはずだ。後は地獄でエンマの小言を聞かされるくらいか?」
「…………なんとなく、その術のことはわかりました。では、この術には何か危険なことはありますか?例えば、髪が生えなくなるというのならば、今すぐにでも術を解いてほしいのですが」
「そういったことはない。しかし、この術にはそれなりの代償が生じる。……代償とは寿命の減少、転生をする体が己の子孫に限定されていることは魂より肉体へ負荷がかかる。おそらく、お前の子孫は三十まで生きることが出来なくなるだろう。どうする、この術を解くなら今だけだぞ?」
「……………………………………………………………………」
長い沈黙、阿礼の頭の中で幾つもの葛藤が現れては消え、現れては消えていく。その葛藤の強さを知ることが出来るのは、相手の心の読めるさとりだけ。空亡は阿礼の沈黙に同じく黙して待つ。
しかし、阿礼が術を解くことを望んだ時は………………………………
「決めました。私と我が子孫たちは幻想郷の妖怪たちの編纂に生涯を捧げましょう」
「……了承した、それでは稗田阿礼。これが最後の問いだ。問いと言っても、これはそう難しいものではない。それは、お前が編纂した書物につける名前だよ。名前がないというのも虚しかろう、これは編纂を行い書を作るお前にしか出来ず許されないことだ」
「名前…………………幻想郷の妖怪や異能の能力を持つ者たちに関する書物。人と人ならざる者たちの縁、"幻想郷縁起"というのはどうでしょうか?」
「幻想郷縁起、いい名だ。それでは稗田阿礼、何かあれば私の元へ来るといい。百鬼空亡という名前を出せば、大抵の妖怪は協力するだろうさ」
「百鬼空亡?それが貴方のお名前なのですか?」
「さて、それはどうだろうかな。私自身のことは妖怪どもに聞け。言っておくが、自身で自身のことを語るなど御免被る」
空亡の突き放した口調に阿礼は、本人から直接調査することは無理だと察する。
「そうですか……非常に残念です。…………………空亡様、最後に一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「………もし、私が術を解くことを望んでいたら、空亡様。貴方は私を殺すつもりでしたね?」
問いかけという形でありながら、阿礼は確信を持って空亡に問いを投げる。空亡は阿礼の問いに沈黙したまま、阿礼を静かに見つめた。一筋の冷や汗を垂らした阿礼は空亡から目を逸らさず対峙する。やがて、空亡は問いかけに対する答えを出さぬまま、阿礼を自宅まで送り届けようと提案した。阿礼も引き際を弁えていたのか、その提案にのって自宅へ戻ることに。帰り道は空亡が魔術を使って、速やかに阿礼は自宅へ帰ることが出来た。その後、阿礼は空亡の名前を借りることで危険な妖怪から無事に話や噂など様々な情報を聞き出し、幻想郷の危険地帯、妖怪と遭遇した際の対処法など多くを記載した最初の"幻想郷縁起"が数年後に完成することとなる。幻想郷縁起が完成する時に、阿礼が妖怪に直接、話を聞いて無事に生きているということに多くの人間たちは疑問に思ったが、それらの疑問は誰も"気にすることのない"まま忘れられた。
そして、始まりの幻想郷縁起を書き上げた阿礼は、その数ヶ月後に没し自分の孫娘に転生することになる。こうして稗田阿礼が転生した者は"御阿礼の子"と呼ばれるようになり代々、御阿礼の子によって幻想郷縁起は編纂されていくのであった。
ーーーーー暗中飛躍ーーーーー
阿礼がいなくなった後の洞窟で、さとりは空亡に問いかけた。何故、阿礼の裏の思惑を看破したにも関わらず、その思惑に乗ったのか?空亡は阿礼が質問した時と同じように無言で応じる。返答が期待できないと判断したさとりは、空亡に礼をして洞窟を後にした。その後……
『おねぇちゃんはもう行った?』
突如、虚空から幼げな声が空亡に飛ぶ。
「行った………が会わなくていいのか。さとりはお前が消えていることに気づいているぞ」
『知ってるよ、だって見てたもん』
「たかが数日顔を見せなかったことが、それほど後ろめたいようだ」
『……どんな顔でおねぇちゃんに会えばいいのか、わかんないの』
「元気でいると偶に顔を見せれば、十分だろう。お前もさとりも難しく考えすぎている。実際は単純明朗な話だ」
『……ありがと、おにぃちゃん。………それはそうと、頼まれたことやっておいたけど。稗田阿礼に対する人間たちの疑念を無意識で消すなんて、何か意味があるの?』
「ふむ?ああ、あれはただの座興だ。暇つぶしと呼んでもいい、何しろ暇は売れるほどに持て余しているからな」
『……嘘っぽい、それに悪趣味だなぁ』
こいしはジト〜っとした目つきで空亡を見つめるが、素知らぬ顔で空亡は酒を呑む。肩を落として、こいしは無意識に溶け込んだまま洞窟から霧のように消えていった。こいしがいなくなった後、洞窟には新たな客が来訪していた。翠の髪に空亡の紅瞳に酷似した灼眼。華の眷属、風見幽香が現れたのだ。
「…………空亡さま、風見幽香ここに参りました」
「……幽香か、どうした。お前も暇なのか?」
「ええ、花畑に来る無粋な者たちが減ってから退屈で。空亡さまが面白げなことをしている気がしたものですから」
「退屈、か。しばし待て。時がくれば愉しみの方からやってくる」
「…………仰せのまま、我が主よ」
空亡は心底楽しそうに笑いながら酒杯を傾け、幽香は閉じた傘をクルリと回し空亡の側に控える。悪神とその眷属は、いずれ来るであろう騒乱を暗き深淵にて静かに待ち望む。