ーーーー帝都異変【破】ーーーー
大正元年、大日本帝国が首都の帝都・東京の街中をある男女が並び歩いていた。彼らこそ幻想郷より参じた異界の住人、百鬼空亡と稗田阿夢の二人。異変解決の為に帝都に降り立つ神秘を纏った異邦人。彼らに感じる印象は対極で、阿夢は柔らかな温厚さを、空亡は触れれば喰い殺されそうな剣呑さを全身から発している。しかし、はたから見れば目立つ組み合わせだ。阿夢の紫という髪の色と、身の丈六尺(180cm弱)の身体に空亡の白銀の髪は、この時代において不審や疑心を呼ぶ奇怪な存在。認識阻害の術が機能していなければ、帝都の警邏をしている憲兵に取り囲まれ一悶着起きていたのは疑いようの無いこと。
二人は歩き続ける。和洋混沌とした帝都の街並みをかき分け、二人は何処かへ赴く。阿夢は履きなれないブーツと赤煉瓦の道が慣れないのか、足取りがどうも不安定だ。整備された赤煉瓦の道は、阿夢と同じ格好をした女学生たちや馬車、周囲に目を光らせる憲兵、一束いくらの新聞を売ろうと声を張り上げている若者などと様々な人間が道を行き交う。
「すごいですね、この赤い石畳。道どころか地面全体に敷き詰められているなんて、どれだけ時間をかけたのでしょうか。泥も埃も跳ねない上に頑丈、外の世界はこんなにも進んでいたのですね」
「こんな赤煉瓦で舗装された道など帝都だけだ。少し帝都を離れてしまえば、舗装されていない土が剥き出しの道が伸びている。ここは曲がりなりにも首都、外交に訪れた者たちへの牽制に近しい見栄の産物でしかない。そして、周囲の建造物まで赤煉瓦にする辺り、見栄を虚栄で上書きしたというのが透けて見えるな」
「この街並みはお気に召しませんか?」
「その答えを出すのは性急だ。この街は生まれる前の胎児と同じ、欧州列強に迫るべく欧州の文化や建築方式を自国文化に織り交ぜて構築しつつある未完の街。未だに成長の中であり、良し悪し甲乙をつけるという段階ではない」
インバネスコートを靡かせる空亡は阿夢の質問に私見を返した。コツコツとブーツで赤煉瓦の道に快音を響かせる阿夢は空亡がこの街並みに対し、否を唱えなかったことが意外だった。
この街の景色は確かに発展した素晴らしいモノだ。けれど、この街は太古の昔より人が共に生きてきた土が水が草がない。自然を排除し野生を排斥し残ったのは、異国と和が混ざった奇妙な景色。女用の袴というのは気に入ったが、ブーツという履き物がどうにも慣れない。
幻想郷で何代にもわたって生きてきた記憶を持つ自分にとって、この街の景観は異界のそれである。この場所が日本ということに対し現実味がまるで感じられず、戸惑っている。
「ーーーーー!ーーー」
「!ーーー?ーーー!」
向かいの道にいる数人の女学生たちが
「空亡様、あちらで話し込んでいる方たちは一体、何を持っているのですか?」
「……恋愛小説だな、文書の印刷技術が進んだことで書籍を手頃に取れるようになったことで下手に小難しい知識人向けのつまらん文章より大衆向けになった書が売れるのだろう。これも西洋文化の流入により生まれた代物だ。他にも音楽、絵画、演劇や思想などが国外からやってきて大衆文化は急速に発展を遂げた。まぁ、結局のところ帝都近辺のみは、と注釈が付くがな」
空亡様の口ぶりは乱暴そのものだが、口調は文化が発展したことに対しての喜色が僅かながら伺える。彼が人の進歩に喜びを示すということは、私にとっては青天の霹靂としか表現できない。何百年もの時の中で何度か会談、会食を行なったことはあるが、彼が人に対して関心を明確に出したところを自分は見ていないのである。こうしてじっくりと行動を共にしているという奇跡は生み出した産物に感謝をしなくてはいけないようだ。しかし、この街を歩き続けているが、どこに向かっているかが依然として不明なまま。だというのに不思議と不安や身の危険は感じないのだ。むしろ、この森閑とした静寂の時間が永遠に続けばいいとさえ思う。彼の背中を黙った追いかけ、高鳴り弾む胸の鼓動を楽しんでいたい。
然りとて、そういった時間の経過は矢の如く光の如く過ぎ去るもの。阿夢がニコニコしながら空亡の後を付いていっていると彼が唐突に歩みを止めて帝都行脚は終了となった。立ち止まった空亡と阿夢の正面には、ひっそりと隠され密やかに佇む形の店がある。その店は周囲から浮いたような、客の来訪に反発するような雰囲気を醸し出している。客が来て命の商売だという前提を頭から否定するような店構え。こんな人を寄り付かせない印象を思わせる店なんて見たこともない、閑古鳥が鳴くというより合唱しているような
採算度外視、趣味十割と強烈に主張しているその店の看板には、やけに達筆な字で"香霖堂"と書かれていた。客を引き込む気もないのに看板だけが立派なあたり、店主の根性のねじれ具合が見て取れる。私が店を眺めている間に、空亡様は素知らぬ顔で店の戸を開いて行ってしまう。チリンチリンと軽やかな鈴の音が街路まで響く。そんな鈴の音に引き込まれたか、彼の後を追わねばと考えたのか、どちらでもいいが私も香霖堂へと来店するのだった。
店内は岩窟のようだった。多種多様、新旧可不を問わない物品の数々。それらが店内を薄暗い深淵の洞窟のように見せている。しかし、ここに鎮座する物品の統一性のなさはある意味芸術的とさえ言えた。南北東洋と分かる範囲でも南蛮由来、欧米の物品から日本古来のモノらしき品が雑多に置いてある。この品並びを見る限りこの店が何の店なのかを判別する材料は存在しない。あえて表現するとして近いものは骨董屋と言うべきか。
だが、店内をもう一度見直して観ると、骨董屋とは異なる印象をわずかに感じた。ここは店として"開かれていない"と。ここは対外的には店ではあるが、本質的には別物だ。そう、店内の物品の置き方は売り物として見せるより展示品として見えるよう調整されている。ここは骨董屋ではなく博物館の類い?
「気を張らずともよい。ここにあるものは大半がガラクタだ。中には
店内を睥睨する空亡様は、几帳面なまでに飾りつけられた物品を総じてガラクタと呼んだ。冷静に見れば確かにここにあるものは、その多くが値打ち無しの物ばかり。役にたたぬガラクタの山と言われても仕方ない。しかし、そのガラクタの山に価値を見出しかけたのは、一つ一つ丁寧に綿密に考え抜かれて置いたと思われる置き方に目を曇らされたのだ。
「ガラクタとはヒドイじゃないか。これでも僕にとっては大事な商品なんだよ?」
「抜かせ、大半を非売品とほざいて売ろうとしないくせに商品とな?僕にとって、などと言った時点でこれらは商品ではなく貴様個人の収集物だ。それも無価値な物ばかりを集めおって。廃品回収屋、この
「論ずるまでも無い。自分のタチの悪い収集癖は自覚しているけど、こればかりは
店の奥より声が届いた。暗がりより顔を出したのは、空亡様と同じ銀髪の男性。視線を奪われたのは一瞬だったが、不思議と彼の語り口には奇妙な説得力が込められていた。彼の言う通りだとすると此処は何だか、すごい場所のようだ。事の次第はわからないが、この場にある全てには隠された何かがあるということなのか。
「乗せられるなよ、稗田の娘。小難しい理屈をこねて、それらしい事を述べているように感じるだろうが、要するに物を捨てられない性分であるだけだ。それもかなり駄目な部類だからタチが悪い。いくら使い道があろうと己にとって使う機会がなければ道具の用途は意味を為さん。いくら自身が価値を認めようと、使われず・価値の共感を得られない道具に意味があるものか」
「……ふ、かの魔神が随分と俗な事を。共感?モノの価値のある無しが人々の共感の多寡で決まると言うつもりですかな?」
「誰も知らず、目にも止まらぬものに価値があるわけなかろう」
……ごもっとも。いっそ、恐ろしいまでに空亡様は簡潔に相手の意見を両断した。
「なるほど、一本取られたと言うべきですかな?」
「……冗談はよせ。戯れ言に弄じる暇はない」
頭をぺしりと叩いて、道化みたく銀髪の青年は諸手を掲げた。その姿は劇の演者を思わせた。これまでの会話の全てが、冗談や遊び半分だったとようやく私は気がつく。そして、気付いた時には既に相手は見事に私をからかい終わり、満足げに店に置かれた椅子に腰かける。いや、揶揄われた私は若干、なんとも言えない気分になっているのだが……
「嗚呼、すまないね。可愛い客人を置いてけぼりにしてしまうとは。申し遅れてしまったが、僕は香霖堂の主人"森近霖之助"という、以後お見知り置きを」
「……これはご丁寧にっ、わ、わたしは稗田阿夢です。はいっ!幻想郷では、人外やそれに類する方々の編纂を。あっ、幻想郷というのは」
「落ち着いて。幻想郷がどう言う場所かは聞き及んでいる。そちらが何の為に此処へ来たかもね。最近、帝都のあちこちで頻繁に起こる怪異の解決が諸君らの為さんとすることなのも既知のことだ。阿夢くん、空亡殿。私は貴方たちへの協力を惜しむ気は無いので、存分に頼ってくれ」
「へっ?」
押しかけた自分たちに対する協力的な態度。どもってしまったわたしに対する好意的な反応、この霖之助さんと言う方はなんと良くできた方なのか。これまで出会った方の中でもダントツで穏和な物言いに思わず強張っていた顔から力が抜けていく。よかった、こんな優しい方がいるのなら今回の異変解決は……
「何、こちらとしても利益あってのことだ。君らが失敗でもしてしまえば、こちらの望みも叶わない。それは互いに望まぬことだろう?ハッハッハッハッ!!」
……前言を撤回したくなったが、もしかするとまだ希望は。
「近年、帝都や近辺では神秘の排斥が活発でね。半妖だから神秘が無くなっても影響は薄いとタカをくくっていたのだが、どうにも倦怠感が体から抜けきらないんだ。だから、スキマの賢者に連絡を取った際、帝都の怪異解決に協力するなら、幻想郷に移住してもいいと言うものだから、これ幸いと今回の話に乗っかったわけなのさ」
「思いっきり裏があったじゃないですか、ヤダー!」
希望なんてなかった、そう言うことらしいです。
「何を今更。幻想郷に関わる者が一癖二癖持つのは、ありふれているだろう。逆に幻想郷の住民で趣味は人助け、好きなことは勤労、福祉などと宣う奴の方が危険だと思うが。利には理で返す霖之助は比較的にマシな方と諦めろ」
「認めろでも、納得しろでもなく、諦めろって言った時点で許容仕切れないと思いますよー!」
空亡様はこちらの慌てぶりを見て意地悪げに笑っている。彼の笑顔という貴重すぎるものを目撃するのが、まさかこんな場面になるとは。嬉しさ半分、疲労半分で素直に喜べないのですけど。帝都に着いたばかりで、こんなに疲労して自分の体調は異変解決まで保つのだろうか。すると重くなった肩を落としている私をよそに、森近霖之助さんは無視できない話題を振ってきた。
「さて、到着したばかりの客人に一息いれる間も無く告げるのはなんだが、ここにきたのは僕との雑談や休息を求めてきたわけではあるまい。迅速に本題に入ろうじゃないか」
「……それって」
森近霖之助氏のもったいぶった発言の雰囲気から、彼が何を告げようとしているのかを予感する。それは自分が、稗田ノ阿夢が身を以て解決せねばならない異変という現実。神秘消えゆく帝都を騒がす怪異との対面。
「そう、帝都を騒がす怪異の情報さ。昨今、帝都に
ーーーー第一幕・
「……まずは、この新聞を見てくれ」
霖之助さんは、大きな卓に新聞を広げてある記事を指差した。
「え〜と、なになに?恋仲の男女のみが罹る奇病、身分違いの恋愛を妨害すべく華族が開発した病魔?はたまた、帝國陸軍が軟派な男児と気骨ある男児を確実に選別するための特殊かつ試驗的な試みか?」
指された部分に書かれた文章を左から右へ流し読んでいく。そこにあったのは、流行り病が誰かしらの仕業だと示唆するような内容の文だった。空亡様も文章を流し読むが半ばあたりで読むのをやめてしまった。
「読者の興味を惹くために奇抜な文章にしたんだろうが、内容が予想と妄想のみで成り立っていて確証に値するものがない。そして、仮説を複数立てているせいで信憑性が薄れている。陰謀説を本物らしく魅せたいなら、関連した証拠を手にするか、創りでもすればいいものを。……これでは、天狗の瓦版と大差ないな」
「そうかな?わりかし大半の人はこの噂のことを信じているんだけど。ちなみに今もっとも有力な説が陸軍選抜説なのさ、知り合いの憲兵に聞いたところによると事実無根という残念な結果だったが、それなりに興味をそそられた」
「単に新聞が大衆にとってもっとも身近に触れられる読み物だからだろう。読む人間が多いということは、それを知っている者が多いということ。大衆の人数は、物量という単純無比な力。その力は、時としては真偽のほどを捻じ曲げる。この記事を書いた人間がどこまで意図して書いたかは、わからんがな」
「なるほど、実に面白い話だ。真実が多数決に近しいもので"選ばれる"とは……しかし実際に帝都に蔓延している病気の正体は何なのか?……ふりだしに戻ってしまったね」
「そうでもありませんよ、これは外界の道理で起こった事件ではなく、
霖之助さんの気落ちした態度をひっくり返すように私は胸を張って宣言する。そう、ことが神秘に絡んでいて幻想郷に関連するならば、私の出番。旧き時代より脈々と幻想郷の人外について編纂し続けた
「これは頼もしい。稗田阿夢さんは、幻想郷の生き字引きと聞き及んでいたが、まさしく話に違わぬ御人だ。これなら、事件解決もあっさりと済みそうで何よりだよ」
「事件を起こしている者が分かっても、事件が解決するわけではない。事件が進展するだけであって、慢心を抱くには早計であろう」
「それは確かに。事件の可及的解決のため、一体何者が今回の事件に関わっているのか。そこのところは、はっきりとさせて。事件の主犯を確保しなくては」
阿夢は今回の事件の鍵となる病気に関する妖怪について、幻想郷より持ってきた幻想郷縁起を開いて読み探す。自分の編纂している幻想郷縁起は未完の状態であるため持っては来なかったが、今私が読み進めている幻想郷縁起は五代・御阿礼の子、稗田阿悟が生涯をかけ編纂された最新の幻想郷縁起。そこには新しく幻想郷入りした者のことも書かれている。そして、その中で病気にまつわる能力を持つのは。
「……見つけました。病気を操る程度の能力を持つ妖怪"伝染する罹患の蜘蛛・黒谷ヤマメ"少なくとも幻想郷にいる妖怪、人外の中で病気に関係した能力を持つのはこの妖怪だけ……のはず……なんですけど」
「黒谷?あの土蜘蛛のか……あれが事件に関与している、だと?」
「何か疑問視するところでも?」
「黒谷の土蜘蛛ならば、私も知っている。あれは地底に住まう妖怪で直に遭ったこともある。だが、その時の印象からして恋仲の男女に好き好んで戯れるようなことをする者ではなかった。そんな野暮をするより、男女の仲を酒の肴に見物して、成就も破綻も呵々大笑として楽しむ者だったが……」
「僕としては蜘蛛が出歯亀をする、なんて笑い話に聞こえるよ」
「黒谷は女だ、出歯亀というのは男に対する表現である。いや、そんなことより病気を操る程度の能力を持つのは黒谷ヤマメくらいのもの、間違いなく事件には関わっているだろう。されど、他に事件に携わる者がいるやもしれない。単独での異変ではなく共犯となる何某か。森近霖之助、病気以外で帝都を騒がせている異変はないのか。もっと言えば帝都で最近、起こっている怪異に関係のないような奇妙な事柄は?」
黒谷ヤマメという事件に関係した者は推測したが、確かに奇妙だ。直接、黒谷ヤマメと会って幻想郷縁起に記した阿悟の記憶では、彼女は好き好んで人間関係に接触するような妖怪ではない。幻想郷を出たなら、派手に帝都を病魔で大混乱に陥れればいいものを、恋愛絡みの男女限定で能力を使うとはどういうことなのか。この異変にはまだ何かがあるのか?何もかもはっきりとしない不透明な状況、情報を提供してくれる方の元に来たと言うのに状況が複雑なものになってしまった。分からない、異変の全容が……まるで霧に呑まれて現在地を見失ったようだ。
「異変、事件というには何だが、最近で痴情のもつれから来る刃傷沙汰が数件ほどあったらしい。いやはや、恋愛というのは、かくも恐ろしいかな。流行りの浪漫主義から恋愛結婚に憧れる女性、身分の違いで抑圧された男女の恋愛観が変わり始めている。ただ、それに伴い無理心中とか刃傷沙汰も流行っているんだよねぇ。はたから見るのはいいけど、それに巻き込まれたり当事者になる方々からすれば、たまったもんじゃないだろう」
「……何だか、夢が壊れた気分です」
淡々とした霖之助さんの意見は、どこまでも現実的で沈鬱な感情を私の中に投入してきた。胃の中に鉄球を落とされたように腹部が鈍く
「判断材料となる情報が足らん。ひとまず、病気を患っている者たちと刃傷沙汰にあった者たちの所在を教えろ。そこから関係者の詳細を調べ、総当たりをする」
「了解した、病気に罹った人は大半が男性で陸軍に所属するものから書生、教師と年齢、職も雑多なものだ。帝都内の病院を数件回ればある程度の関係者にはぶつかるだろう。問題は陸軍所属の男性だが、軍のツテを使ってみよう。陸軍病院を今夜にでも訪れてくれ。刃傷沙汰は女性が多いな、名家、商家のお嬢様だと会うのは厳しいが、奉公している娘さんなら会うのは容易い。では、この紙を持っていってくれ……事件関係者と思われる者の住所や所在、氏名を記しておいた」
「……確かに受け取った、近場の者から順を追って調査しよう」
「一番近い方というと……空亡様。この名前からして如何にも名家のご令嬢っぽいのですが」
苗字に"院"という字が入っていて、それなりに長い名前。身分の高さを表すような格式張った名前で、どう考えても容易に邂逅できるとは思えない。これでは情報を集めることが……
「確かに、この家名は如何にも名家のそれらしいな。だが、問題なかろう。証拠が残らなければ、不都合となる事はない……善は急げ、だ」
さすが、幻想郷の中でも一等格が違う者の発言。他者の行動、法など須らくに縛られず己が決定を貫徹する特権種の意思。帝都という外界であろうと、その力と風格には微塵の揺らぎもない。絶対的な強者の意思は、それそのものが確定した決定となる。こうした身近な立ち位置から冷静に観ていると、空亡様が味方であるという事実が、どれほど重大かつ安心材料となるか。そこにいるだけで周囲を圧し、頭を垂れさせる悪神・百鬼空亡。かつての数百年ほど前に比べると幻想郷での行動や戦闘など行うことが減ったようだが、その実力は砂つぶほどにも衰えていない。
霖之助さんから情報の書かれた紙を得て空亡様と私は香霖堂を一時、後にする。そう、今までは異変解決までの下準備に過ぎず、これから本格的な異変解決への実地調査が始まるのだ。
名家を強制訪問、病院の面会不可の病室へ侵入、刃傷沙汰の怪我人の関係者に聞き込み。こうした地味な調査を短時間で行ったわけだが、事の次第は省く事とする。地味な調査というものは語り手も聞き手も相当の負担がかかるわけで実際、何があったか最近おかしなことはあったか、くらいの簡単な質疑応答をしたくらいだ。時間が経つのは早いもので、すでに日は暮れ夜の帳が下りている。霖之助さんのおかげで陸軍病院の方は、普通に入ることが出来るが空亡様と、こう常に行動を共にしているのは心臓に悪い。
胸の鼓動が聞こえるのではと思うくらい大きく響き、彼がこちらに視線を向けるたびに顔から火が出そうだ。自分の気持ちが胸の中で右に左に動き続ける。空亡様の横顔をこっそりと目が追いかけてしまう。もしも、もしも彼と私が微笑みながら手を繋いでいれたら……そんな事ばかり考えていると、夜の街路がいきなり照らされる。
「あえっ?」
真っ暗闇だった街路を光が照らす。朝でも昼でもない、提灯を持っているわけでもないのに。幻想郷で生まれ育った身としては、これだけのことが信じられないほどの驚きとなって体を支配した。夜の帝都の道路が次々と灯っていく光に目を奪われる。
「…………これは、一体?」
「……街灯、物を照らすという点では灯篭などと同じものである。しかし、これは視点を変えれば、人が雷という神秘を得た事の象徴という見方も出来る」
「街灯……」
夜闇が街灯の光によって切り拓かれていく。道の遥かな先まで視認することが出来る。道なりに沿って設置された柱が、こんな役割を持っているなんて。
「……はッ、"ようやく"か」
隣にいた空亡様が口角を上げ、威嚇するかのように笑った。それがどういうことなのか、と質問するより早く私は空亡様に抱き抱えられ、帝都の
「空亡様空亡さま空亡さまぁぁ、高いです高すぎです怖いですゥゥゥゥ」
世界が俯瞰出来る、そして怖い!幼少に空を飛びたいと夢想する子はいるだろうが、実際に飛んだ感想を言うなら、ただ恐ろしいだけと感想しておく。"地"に足がついていない事の恐怖がこれほどとは。それより咄嗟に力一杯抱きついてしまったのだが、どうしよう。この距離では心臓の鼓動が直に伝わってしまいそうで。恐怖と赤面ものの状態に二重の意味で身動きが取れない。どうしよう、どうする、どうすればと無言で思索を行なっていると、耳に言葉が入ってきた。
「獲物が網にかかった。それにしても、獲物となる者が蜘蛛なのだから、皮肉が効いている」
「……獲物……まさか!?」
立ち並ぶ建物の屋上と思しき所に着地した私たち。夜の闇に紛れるように佇む少女を私は"覚えて"いる。黒と赤を基調とした異国風の服飾。その服に帯びるように巻きつかれた四本のベルト。また、胸元のボタンが蜘蛛の眼のように無機質に光を反射する。一日かけて捜索した黒谷ヤマメを、空亡様と同じ言葉を使って言うなら"網"にかけたのである。
「これは参った。幻想郷をちょっと出て少し能力を使っただけで、貴方みたいな弩級の大物が出張るなんて。もしかして、何かの悪い冗談?」
「これは冗談でも幻でも無い。土蜘蛛、諦めてお縄についてもらおう」
「蜘蛛にお縄って洒落が効いていること……」
「ふぅ、それじゃあ、これで空亡様が黒谷ヤマメを捕らえれば異変解決ですね」
よかった、良かった。これで異変解決、空亡様と帝都を一緒に巡ることが終了すると思うと少し残念だが、とりあえず今晩はゆっくりと眠って休息を……
「いや、私は黒谷ヤマメの確保を行わん。私が行うのは貴様の護衛のみ、ここから先は出番をくれてやる。行け、"神秘と幻想の編纂者"」
「…………あれ?」
マサカ、そんなゴ冗談を。
「いい加減にしつこい。いいから迅速に事を終えろ」
「だって私、普通な人間ですよ!?どうやって妖怪を捕まえろと言うんです。自慢じゃありませんが、腕っ節ならば5歳児にも劣る力量の持ち主です!」
「本当に自慢にならんな。力任せなどと無理は強いん、ようは論、弁で奴を幻想郷に叩き帰せば良いのだ。妖怪は須らくが頑健な肉体を持つが、存外精神に関しては肉体ほどの頑健性を持たん。見越し入道が、『見越したぞ』の一言で容易に退治されるようにな。だから、異変解決のために思うがままに罵倒し、文句を吐き、論破してこい」
完璧に見誤った。そういえば、博麗神社に集まっていた時、『人間が異変を解決してこそ大団円』というような事を言っていたような……女は度胸と誰かが言った。うん、うんうん。こうなったら、もう頑張るしか無いですよねぇぇ!!
「あんた、苦労してるんだねぇ」
「心配するなら、黙って捕まってください!!」
どうやら、本当に口で言い負かす他に道はないらしい。異変解決の協力という話だったが、予想を超える形で協力することになるなんて。ぐだぐだと考えるな、思い悩むな、大事なことは今から為すべきことだけ。腹をくくれ、覚悟を決めろ。もとより自分がここにいるのは、異変解決のため。護衛にいるのは、かの悪神。異変解決のためにも、出来ることに懸命に喰らいつけ。
「……ええい、今回の異変で貴女が起こした迷惑行為、どういう意図があったにせよ。その行為、妖怪としては片手落ちの無様なものです!犠牲者がいない、死傷者も無し、人々が恐怖することもなく病気を少し撒いただけ。平安時代には恐ろしき妖怪、まつろわぬ者として多くの人々を震撼させた土蜘蛛の名が泣くのではないですか!」
「あはは、それを言われると弱いなぁ。でも、これはこれで私としては良いんじゃないかって、思ったりするんだけど?」
「だいたい、病気とか地味なんですよ!一見して妖怪の仕業なのか、普通に流行り病なのか、分かりにくいですし。妖怪が帝都にいると事前に知らなかったら、ごく自然に放置してしまうくらいの地味さ加減!もっと特徴はないのかぁぁ!!!」
「………………………あ〜、えらい罵詈雑言だなぁ。いや、散々言ってくれたけど、こっちとしてもこんな中途半端な悪さは望むところじゃないのさ。それで今更に地味だ、なんだと言われても私からは何も言えないよね。もっと盛大にこの街をかき回す事も出来たんだけど、私の趣味じゃなかったからしなかっただけで、やろうと思えばやれちゃうんだけど……どうする?モノは試しに伝染病とか、ばら撒いてみる?」
「えっ、ちょっちょっと待った!ということはやっぱり、ヤマメさんは事件の主犯ではないと!?では、他に誰がこんなことを?」
「ぐっ、あ〜〜え〜〜。いや、こればっかりは私の口からは何とも…………しばらく此処にいれば、異変の真相っぽいものの正体は、わかるから自分の目で確認を頼むよ……」
なぜか、詳しい事情については歯切れが悪くなっている黒谷ヤマメ氏。これはどうしたことなのか。それに、しばらく此処にいれば、分かるとは?もしかすると、自分たちを罠に嵌めようとしている可能性はないのだろうか?空亡様に目配せをしてみるが、どうやら彼は動かずにヤマメさんの話を聞く気のようだ。そうなると私も彼と同じ選択をするしかない。実際、彼から離れてしまえば、自分は戦力にならない小娘でしかないのだから。
「「「…………」」」
陽が落ち、すっかり夜となった帝都には所々に街灯の明かりが照り輝き、見た事もないような風景を作り出していた。蛍の光が暗闇に儚くも確かに光るようで、異変解決とは関係なければ感動は更に深まっていただろう。しかし、今現在は異変解決が最優先。この眼下の風景に、この異変をもたらした何者かが現れるというのだから、弛緩した気概ではいられない。
すると、地上の人通りが少なくなった地点で誰かが現れた。薄暗くて見えにくいが、かろうじて二人の男女が街灯も照らさぬ場所で相対しているのが分かる。この二人が異変の犯人か。視線の力の入れ方にも熱が入る。相対する二人の男女、彼らがお互いの間合いに入った瞬間。男性は両手を広げて、女性は男性の懐に飛び込んだ!?
そう……彼らは互いを"抱きしめた"のである…………どーいうこと?
「黒谷ヤマメ……男女の恋路を覗き見する野暮が貴方の"見せたかった"ものなんですか?」
とんだ肩透かしだ。これでも幻想郷縁起を編纂してきた者であるために、妖怪と人の区別くらいは容易に出来る。少なくとも彼らは人外の類系ではなかろうに。しかし、黒谷ヤマメも空亡様も、その目線は既に別の場所に移っている。彼らの眼光の果てにある建物の屋上、そこには黒闇に浮かぶ二つの小さな"緑色"の光が鎮座していた。その緑は植物としての印象より川や池などの水棲類の緑を思わせた。
「…………これが真相か?」
「はい、何といいますか。ごめんなさい」
空亡様は何やら力が抜け切ったような、彼にしては珍しい覇気のない声で黒谷ヤマメに確認の意を込めた質疑をしていた。その質疑に彼女は申し訳なさそうに、また苦笑気味に空亡様へ謝罪をしていた。しかし、私は事情が呑み込めず、二人の顔に視線を行ったり来たりさせている。
「幻想郷縁起で、あの世とこの世の橋守りを調べてみるがいい。真相の詳細は異変の張本人に直接、訊き正してこい。私はこの異変については語る気がせん」
「橋守り?あの世とこの世の?それって渡し守りではなくですか、死神とかではないので?」
「ああ、死神とか閻魔みたいな連中じゃないよ。あいつらは職務として、この世とあの世に携わってるが、あっちは"そういう特性"だから触れているって意味合いが強いもん」
(特性としてあの世とこの世に……橋守り……?)
ただ無言で幻想郷縁起の頁をめくり、今しがた聞いた言葉に関連する妖怪を調べ上げる。
「橋守り、橋守り。あった……水橋パルスィ。彼女の持つ異能は、"嫉妬心を操る"程度の能力……すいません、水橋パルスィさんが事件の主犯……でよろしいのですよね?言ってはなんですが、事件に関係する方とは思えないのですが。病気とか刃傷沙汰とか、関係していないのでは」
「いや、色恋に嫉妬というものは付き物であろう。となると、黒谷ヤマメ。病気を撒いておいて、被害が軽微なのは"そういうこと"なのか?」
「お察しの通り。パルスィが嫉妬を炎上させて女、男が物騒なことをやらかすもんだから、それを抑えるために私が嫉妬でおかしくなった連中に病魔を罹患させて落ち着かせてたんだよ。いや、おっ死んじまう奴が出る前にカタがついてよかった、よかった」
「……どうして……」
「ん?」
「どうして人間を助けようと?よくよく思い返せば、あなたの撒いた病気は死に至るというほどの強力なものではなかった。人を襲い害為す妖怪が、どうして人間を助けるような……」
この異変の内容を聞いた限り、その真相はまったく奇妙なものだった。人に畏れられるため、人を襲うはずの妖怪が人を助ける。この予想だにしない要素が事件に組み込まれていたため事件は複雑さを増していたのだ。嫉妬心を操る妖怪の被害を抑えるべく土蜘蛛が病気を撒いて鎮静化を図る。まったく、意味がわからない。
「……あぁ、それね。いや、最初は私もこの街を派手に掻きまわそうかな〜なんて考えてきたんだけど。偶然、パルスィの起こしてる異変にカチ合ってさ。そんで百は超えてる妖怪の娘が十いくつかそこらの人間の色恋に目の色変えて茶々入れてるのを見たら……うん。なんか、居たたまれなくなって」
あ〜、そういうコトだったんですカ。なんだか力の抜ける話がひと段落しかけたところで、こちらの屋上へと跳んで来た話題の中心妖怪、水橋パルスィさん。なんだか、とってもお冠のようだが、何もいう気力が出ない。というか、帰って休みたい。
「ちょっと、人がいないところで何を楽しく話しているの、妬ましい。私の起こしている異変に文句でもあるわけ?だいたい、この街に来てから何処もかしこも空気が甘ったるいったらないわ。身分違いの恋?禁断の愛?ハッ、どいつもこいつもみんなして浮かれていて、へそで茶が燃え上がるのよ!」
「沸くのではなく燃え上がる時点で妬み嫉みの深みが伝わってくるな。いや、湧いているのは頭の方だろうか」
「うん、知り合いとして厳しめの発言は控えておきまーす。でも一言だけ、幻想郷に帰ったら一杯付き合ってあげるね」
「うっ、何だかとっても旗色がわるくなったような。でも……もうどうだっていい。もはや、私の異変は止まらないわ。この私の"総恋愛破綻計画"は、この街に蔓延る全ての恋路を邪魔仕切るまで終わらない、終わらせてなるものですか」
色々と言いたいことはある。真相は想像を下回るほど陳腐なものであれ、この帝都を騒がしたという事実は変わらない。追求の言葉は山のようにあるが、この騒動を解決するために言わねばならないことは唯一。此方と彼方を結ぶ橋の番である彼女に切らねばいけない啖呵がある。
「……人の恋路を僻むより先にすることがあるでしょう。妖怪も人も関係なく、人の不幸をかまっている暇があるなら、自分が幸せになる努力をする!!それをしない者に人を妬む資格はありません!!!」
「……妬む資格がない、妖怪も人間も変わらない?言わせておけば……何もわかってないじゃない!違うのよ、人間と妖怪じゃ!人は多くの未来を己の手で選び取ることができる!それに比べて妖怪は、肉体から魂まで何らかの基礎理念が刻まれている。人を害する、驚かす、そして嫉妬する。妖怪は"
それは燃え盛る焔のようだった。爆発するように噴出するパルスィの怒り、その意思の炎流を前に私は我を見失うほどの恐怖を感じた。でも、たじろぐ私の背中を支えるようにして彼はいた。幻想郷において最強と謳われる魔神。
「気圧されるな、貴様の放った言葉は総じて正論だ。確かに人間ゆえに妖怪の道理を知らずに立てた論ではあるが、知ったことではあるまい。迷うな、いっそ非情なまでの正しさをもって、正論を降りかざせ。それが妖怪に対して許された人間の持つ特権なのだから」
「はいっ!!……結局、幸せってモノは立ち止まらず真っ直ぐ進んだ先にしか、見つからないんです。確かに妖怪は、根本が既に決められていて本能に逆らえないのかもしれません。けど、それは過去と現在の話、未来と明日が不幸だなんて決まってない!!水橋パルスィ、貴女は選べなかったんじゃない、無数に広がる未来を選べなかっただけなんだ!!」
思いの丈が叩き込まれる。その言葉は彼女の根幹を揺らがすものだった。阿夢の論撃を受けた橋姫の妖怪、水橋パルスィは返す言葉を持ち合わせていない。彼女自身も理解していたのだ、これには何の意味もないと。それでも、妬まずにはいられなかった。恋を語り、愛を唄う男女の絆に嫉妬を覚えた。それが自分の持たないモノであるからこそ。パルスィにとって、この瞬間にあったのは奇妙で複雑な笑みと、この異変の結果に対する納得だった。
阿夢の言葉を受けたパルスィと黒谷ヤマメの体が半透明になり始めた。帝都に滞在する理由が消え、幻想郷に強制送還されるのだ。その二人の表情はどちらも恥ずかしそうに苦笑していた。
「ありがとね、私じゃこの異変を解決できなかったからさ。パルスィのヤツが、こうして納得してくれたのは二人のおかげだ。今度、会ったら、たくさん話をしようね。無病息災を願ってるよ〜」
黒谷ヤマメは潔く、さっさと別れを告げて帰っていった。いや、病気を操る土蜘蛛が無病息災を願うと言うのは微妙な心境だが。そして、次は異変の主犯であるパルスィの番だった。
「…………人間、あんた名前は?」
「私ですか?幻想郷の編纂家、稗田家の六代目。稗田阿夢と申します」
「ふぅん、ひえだあむ、稗田阿夢ねぇ……いいわ、覚えておきなさい!今度、会った時はこうはいかないわ。次は、あんたたち人間が嫉妬するほどに幻想郷生活を満喫するんだから!だから、こんな街の異変、さっさと解決してきなさいよーー!」
先ほど言われ放題だった借りを返すかのように、怒涛の勢いで言葉を並べ立て、帰還していった水橋パルスィ。感想として言いたいことは山とあるが、これで今回の異変は解決したわけだ。とっても、長かった。一日中、帝都を歩き回り体は休みを取りたがっている。しかし、幻想郷から逃げた妖怪を連れ戻したのだ。この体験を幻想郷縁起に書き残さねば。
そうと決まったら幻想郷に帰って……
「よくやった、これで"最初"の異変は解決したわけだな」
「…………………………………最初?」
「そうだ。帝都にはまだ、他にも数体の妖怪や人外が潜んでいるだろう。ともかく、適当な宿を取っておいた。"次"の異変を備えて今日は早々に休むとしよう、行くぞ、"阿夢"」
まだ、他にも今日みたいな異変があるんですかぁ!?
「って、あれ?今、私のことを名前で?」
「黙ってついてこい」
「あっ、待ってくださいよ〜」
こうして、帝都異変の始めの異変『妬む病』は解決した。その功労者である二人は美しい夜の帝都に向かっていく。街中の街灯が光る中で、阿夢は宙天へと目を向けた。そこには街灯より、ささやかながらも旧き時代、遥かな昔と変わりない綺麗な月が輝いていた。