ーーーー帝都異変【急】ーーーー
夜の帳が帝都に下りる。丑三つ刻も近いという真夜中。街灯の人工的な明かりのみが暗闇の中の道しるべ。街灯以外は、既に夜の暗黒に飲み込まれた。そんな真っ暗な夜道を一人の男が通っていく。街灯の灯りがポツリポツリと夜道を照らすため足元に神経を使う必要もない。男は暗がりから街灯の照らす灯りの下から下へと移動する。それは自分の歩く道が照らされていることへ安心感と暗闇の恐怖に対する本能的な選択だった。
幼き頃、暗闇に対し恐怖を覚えたという体験は誰にでもあるだろう。それは年を経るにつれて薄れていく感情だが、それが完全に無くなるということはない。暗闇に対し何かが、"ある"もしくは"いる"と警戒、畏怖するのは生物としての基礎本能だからだ。また、闇を恐怖する原因として、"把握できない"というモノもある。生物は自分の感覚で察知できないものを忌避するのだ。これも上記で挙げた生物としての基本原理の一つで生物は己の理解できないものにこそ負の感情を持つ。
だが、現在夜道を行く男は夜闇を恐怖するような年齢に見えない。付け加えて言うならば、怖いもの知らずの働き盛りの年齢であろうことが体つきから推察できる。こんな男が夜の暗闇に怯えていると知られれば、失笑されること請け合いだろう。そう普通なら、なんて事のない夜の漆黒が悼ましいまでの怖気を滲ませて男を狙っていた。男は恐怖に後押しされる形で足早に街灯の灯りから灯りへと渡り歩く。
男が次の街灯の灯りの下に入った瞬間、さっきまで入っていた街灯の灯りが消えてしまった。男は背後の消えてしまった街灯の下を見た。そこには黒い人影が、"いた"。揺らぎながら、形を崩しながら迫ってくる。男は次の灯りの下へ飛び込むように入った。それを合図にしたかのように、さっきまで自分を照らしていた街灯の灯りが消える。黒い人影が、消えた街灯の下でこちらを見つめ返す。男は気味が悪いと次の灯りの下に駆けた。後ろから影が揺らめきながら、にじり寄ってくる。
男は、次の街灯の灯りに照らされて深呼吸を行なった。それから男は思考を巡らせた。あれが何故、自分を追ってくるのか?自慢ではないが、自分は誰かに憎まれるようなことをした覚えはないし、妬まれるような生活を送っているわけでもない。自分は
追ってくるのは、一体なんだ?夜闇のせいで姿を明確に見ることができない。一瞬、怪談話しにでも出てくるような妖怪変化でも化けてきたかと考えたが、この帝都にそんな馬鹿げたものが出るはずもない。であるなら、あれは物盗りか?あいにく、今の自分の懐は
そう考えた男は、街灯の灯りから出て次の街灯の灯りの一歩手前で足を止めた。自分の手持ちがないことを証明すれば、人影も去るだろうと考えたのだ。先ほどまで輝いていた街灯の灯りが落ちる。その下には、真っ黒な人影が佇んでいた。そう冷静に立ち止まって見れば、なんてことはない。その人影は自分より低い背丈であり、物盗りだとしても体格差でどうにか抵抗できる範疇だ。まぁ、刃物とか持っていれば、素直に有り金を出して逃げるとするが。
影はゆっくりと歩いてくる。のそり、のそりと揺らめきつつ、その動きはまるで軟体動物のようで、見ているだけで生理的な嫌悪感を
一歩、さらに一歩づつ寄って来る影を視界に捉え、男は落ち着こうと深く息を吸おうとした。その時だった、ゆったりとした動きで迫っていた"謎の影"が目の前に出現する。男は予備動作無しで出現した影に、絶句し恐怖するより早く仰天した。目の前にいきなり影が現れれば、如何な者といえ肝を冷やすだろう。男の反応には恐怖と驚愕が混ざり、口にし難い感情を生み出していた。
そして、男の身にさらなる受難が降りかかる。眼前に飛び出た影が男の腕に触れたかと思うと、触れた腕を"果物でも
男は後ろにひっくり返って力の限り絶叫する。『
死にたくない、死にたくない。男は心から生きたいと羨望する。今、自分を照らしている街灯の外には"影の怪物"が自分を狙っている状態、この街灯もいつまで灯りがついているか、分からない。次の街灯の下まで全力で駆けなくては、自分は怪物に殺される。それはきっと、人間の手にかかるより、
人の形をした影の怪物は街灯の光の中に入れず、周りをぐるぐると回っている。影が次の街灯の反対側にいる瞬間を見計らって、男は次の街灯に走る。それは男の生涯で最速の疾走だった、後ろを見やるが怪物は、追ってこない。そう、男は無事になんとか、次の街灯に入り込むことに成功した。それと同時に、後ろの街灯の灯りが闇に落ちる。もし、あと少し動き出すのが遅ければ、自分はどうなっていたのか……
いや、それを考える暇はない。肩から血が大量に流れるせいで意識が朦朧とする。肩の出血箇所を手を抑え、血を止めようと努める。ああ、影がまた、こちらに迫って来る。いいだろう、こうなったら朝まで逃げ切ってみせようではないか。男はそう意気込んで、次の街灯の下に向かおうと前を向く。
男は次の街灯へ駆け出そうとした時、照らされた場所にある"ナニカ"に気づいてしまった。次の街灯の下、
イヤだ、いやだいやだいやだイヤダ
『貴方は喰べられる人類?』
無垢な少女のような声の問いが耳に届いた時、男を照らしていた街灯の灯りは闇に
ーーーーー
ーーーー喰らう
「……行方不明?」
普段通り全く客が寄り付かない香霖堂にて、湯呑みにお茶を淹れる稗田阿夢は、疑問符のついた声で次なる異変の前兆を
「あゝ、帝都の夜に消えゆく人々、その者たちの行方は影に消えた。憲兵を始め、新聞記者、興信所の探偵、他には小使い稼ぎに行方不明者を探し出さんとする臣民たち。捜索は連日連夜行われているにも関わらず、事件の真相はその尻尾すら見せてはくれない。帝都を恐怖に陥れる、この事件の裏に潜む者の正体とは!」
「私たちに話すということは、
「異変を大袈裟に語りおって、
白い目で霖之助を睨む空亡と阿夢の二重視線にも霖之助はめげず、カラカラと笑いお茶を口にする。香霖堂の店主殿は今日も平常運転だ。本当に変な物品の蒐集と会話に目を
「そうは言っても、これは性分な訳ですから。それに余分というのは余裕を持つことでもあるでしょう。余裕の無い日々を生きるというのは、不器用者がすることですよ。器用で器量の良い者なら、余裕を持って優雅に生きるのが吉。せかせか動かないといけない生涯など、よほど異常ではない限り誰も望みませんとも」
「余裕も過ぎれば余分です。如何なものも過度になれば、其の身の害悪に。薬とて量を間違えれば毒に変じるのですから、其の正確な見極めをお願いします」
「え〜、毒だって使い方次第で薬になるじゃないか。それにこうも言うだろう、良薬とは口に苦いものだと。結局の所、問題なのは分量ではなく用途さ。良いかね、阿夢くん。どのようなモノであれ、使い方を工夫すれば、道は開けるのだよ。何せ、道具の用途に関しては誰の追随も許さない僕の言うことなのだから!」
「何故、こいつは平時から無駄に意気軒昂としている?」
「おそらく、一種の
「格好つけて『"分からない"ということが"分からない"』と言われても、率直に異変の現状は何も分からないと言ってください。それにしても、人が行方不明になり居場所が分からなくなる……これは」
「まるで神隠しみたいだね〜」
「神隠し……か。幻想の廃れた帝都でそのような言葉が使われるとは、因果なことだ」
そう嘯く空亡様の横顔は何処か寂しそうに見えた。御阿礼の子として積み重ねられてきた記憶と、今まで共に帝都で暮らした実体験から、なんとか判別できた魔神の感情の一端。それは本当に僅かな心情にしか触れられなかったと思う。けれど、それはとても大事なことだと思った。何故だろう、空亡様の寂しげな感情に触れて自分がその感情に何も出来ないと認識するのが、どうしようもなく心を締め付ける。
「何処の新聞社も、"行方不明"としてしか事態を見ていない。此処まで実態が不明瞭な事件を起こせる人間なんて存在しないんだ。これは間違いなく、人外の起こしている異変だと僕は思うんだが、如何ですかな?僕の見立てに狂いはあるかい?」
「こういう見立てくらいは狂いがないのですね」
「その分、仕入れる商品の見立てが狂っているがな」
「あっははは!いやいや、馬鹿と天才は紙一重でしょう。目新しさのない平々凡々な仕入れより、若干狂ってるくらいの商品を仕入れてこそ客の目を引くのです。流行の先取りみたいなものですって。そのうち僕の商品が莫大な利益をもたらす時代が来ますよ。慌てる乞食は何とやら。待ってなんぼが商売です」
「霖之助さんは半妖ですから寿命については問題ないですが、その前に絶対、店の経営が行き詰まる予感がします。それに得てもいない利益の計算なんて、妄言だと切って捨てられてもおかしくありませんよ」
「なんと酷薄な言葉を……未来の儲けは儲けではないと?そりゃ〜、僕も取らぬ狸の皮算用なんて、したく無いさ。まぁ、流石に店が潰れては困る。ちゃんと流行が来るまでの間は、ご近所周りから政府高官連中まで幅広い厄介ごとの相談と解決で稼ぎ、経営をやっていくから問題なし!」
「……つまるところ、香霖堂とは何の店なのだ?」
……不明です。
雑談をしても状況の進展はなく事態の悪化は避けられない。話を逸らすのも此処までにして、異変解決に向け建設的な話を始めよう。幸いなことに被疑者に関しては目星がつく。そうと決まれば、確認作業をしなくては。重ねて幸いなことに確認作業をするための連絡方法に関しては反則級の方がこの場に居合わせているのだし。
「とりあえず、心辺りがあるなら早急に洗いざらい喋ってください。出来れば、早めに異変解決して休みたいので、ちゃっちゃとお願いしますね」
『……ごめんなさい。状況が掴めないので整理する暇を頂戴。……今更だけど、少し見ない間に随分と図太く、いえ遠慮がなくなったわね』
幻想郷で神隠しと聞き、連想する妖怪は一人しかいない。"神隠しの主犯"と呼ばれ、妖怪の賢者と呼び声高いスキマの主人。"八雲紫"しか、いないのだ。
『はぁ、それで神隠しの犯人が私だと早合点したと?突然、伝達系の術が送られてきたらと思えば、どうしてそのような結論を?空亡様がいらっしゃるのに、そういう無為な解を導き出したのかしら?』
私の知らない文字と模様で宙に描かれた魔法陣の中の紫さんが、少し不服げに怒っている。確かにいきなり、犯人扱いされるのは不満だろう。しかし、どうしても紫さんと話すことが異変の解決に大事な点だった。
そう、神隠しを相手取るなら、神隠しの専門家に。蛇の道は蛇に尋ねるのが王道ゆえに。
「現状についてはお話した通り。どうです、専門家として今回の神隠し。何か貴女の目線から、気づいたことはありませんか」
『それを聞くためだけに、空亡様に私との連絡を取り次いだ、と……遠慮がないとか、図太いという次元の思考ではないですわ。自覚があるかは分からないけど……貴女、精神だけなら、既に怪物並みよ』
幻想郷でも上位に食い込む怪物に言われるのは心外だ。確かに空亡様に対し要求するなど自殺志願と思われてもおかしくないが、この異変の解決に自分が不可欠な以上、問答無用で自分の命脈を絶つほど短絡的な行動をする方でないのは、理解できるでしょうに。
「怪物並み、ですか。自身の精神状態を客観視するのは難しいですが、そこまで人間の領域を外れた精神ではないです。怖いものは怖いですよ、まぁ来る前よりは冷静に物事の対処に勤められるようになったつもりですけど、怪物に並ぶとまでは……」
『……怪物が怪物足り得る条件が何か……定義できる?』
「?……怪物が怪物として成立する条件?……怪物は存在が開始した時点から怪物では?」
『いヽえ、怪物はあらゆるモノが成り得ると断言します』
あらゆるモノが怪物に成りうる?
「それが物、非生命体であっても?」
『ええ、物体であっても怪物足り得ます。それが生物であるなら尚のこと。そして、それが人間であろうとも』
人間が怪物に成りうる。いや、古来から人間が冥府魔道に踏み込み過ぎ、人外になるという前例は多少は存在する。人間が人外に、怪物に成るのは理解しよう。しかし、物体でも?あらゆるモノが怪物に?共通点など欠片もない全てが、適用されるだけで怪物になる条件?
「喋らないこと……言語を捨てるか、元々持たぬモノであるなら、情報を交換しないモノであれば、怪物の定義に当てはまるのでは?」
『いヽえ、言語の有無は怪物の定義に成り得ない』
「成り得ない?外れではなく、成り得ない?……先ほどの解答は何かが欠落しているのですか?」
返答はない、期待していたわけではないにしろ、反応がないのは些か堪える。
でも、自分の解答が不正解ではないことだけは判別できた。ならば足りない部分を補う解答を持って怪物に成り得る定義を解き明かす。
「不死身であること、滅びぬこと。倒せない存在に成る。それが怪物の定義に当てはまるのでは?」
『いヽえ、不死身であることは怪物の定義に成り得ない』
……不滅性は怪物が怪物足り得るに
怪物が怪物足り得る条件……………怪物とは何か、怪物とは何か、怪物とは何か。怪物とは恐れられるモノである。恐れられれば、どんなものも怪物になる?……いや、怪物が恐れられるのは怪物の行動により発生する。恐れが怪物の定義に繋がるなら、卵が先か鶏が先かという袋小路に行き着く。
怪物が怪物足り得る条件……………………怪物とは、害を為すモノである。災害であれ事故であれ、故意であれ無意識であれ、害を為すならば、それは怪物に足り得るか?……否だ、世界は大なり小なり害を受けて、与えての繰り返し。程度の違いこそあれ、害を為すのは自然の摂理だ。危害を加えるのが怪物の定義に相応しいとは、とても思えない。
こうなったら、怪物の特徴を片っ端からぶつけてみよう。それが自分の出来ることで、するべきことだと信じているのだから。
「強いこと、精神肉体面のどちらかでも強ければ、怪物として成立する」
『いヽえ、精神肉体、もしくは魂でもいいけど、力の強弱は怪物の定義に成り得ない』
「大きいこと、ある一定の大きさを超えることで、怪物として成立する」
『いヽえ、大きいことと怪物か否かは、関係が無い』
違う、上手く説明できない。言葉で表せない、そういう予感だけが思考の海に沈殿する。そうだ、説明できないという事は、この謎掛けの本質に近いものだと確信があった。紫さんとの謎掛け、それは今、帝都で起きている神隠しの"それ"の突破口に成るものだ。いなくなった人たちを取り戻すためにも、この謎掛けは越えていかねばと決意を改め魔法陣に映り込んだ紫さんと正面から向き合う形で視線を交錯させた。
決意を改めた阿夢を見つめる人外たちは彼女が、どのような解答を出し、今回の異変をどう解決するのか、三体の人外たちは己の両眼で見届ける。この帝都異変の解決に尽力する人間が、何処に至るのか。ただ、それだけを確かめるために……