「あまり驚かせないで欲しいものだ」
「すみません」
あれからレイフォンたちによって第17小隊の訓練室に担ぎ込まれたキャロルだったが、周囲が『病院に!』とか慌てる中、平然と自分は無事だと告げると蜂の巣をつついたような騒ぎがぴたりと収まり周囲の視線が突き刺さった。
きちんと防御したこと、かつ攻撃を受け流したことを告げると皆一斉に息を吐き、安堵した。
そして次に来たのは隊長であるニーナの説教だった。
いくら模擬戦とはいえやりすぎだと。
こっちがどれほど心配したのかわかっているのかと。
怒っているような、安堵しているような微妙な表情でニーナに叱られたキャロルは素直に謝罪した。
戦闘中の錬金鋼の破損。
しかもかなりの威力をぶつけ合っているさなかの出来事だ。
普通なら武器を失い。相手の攻撃を受け重傷を負っていてもおかしくない。
けれどキャロルは戦闘中に錬金鋼を失うということに慣れていた。
他ならないキャロルの父が相手の錬金鋼を破壊する技をもっとも得意としていたからだ。
あの場合は剄による防御。さらに後方に自ら飛ぶことで攻撃の威力を受け流した。
おかげで盛大に宙を舞うことになったが、レイフォンの攻撃の本来の威力のほとんどを受け流すことに成功している。
「本当に怪我はないんだな?」
「ええ、ちゃんと受け身も取りましたし、こう見えて結構頑丈なんですよ。私は」
なぜか盛大にため息をつかれた。
そんなニーナの様子にシャーニッドが笑う。
「まぁ、あの光景を見れば大怪我どころか死んだんじゃないかと思うさ。見事に吹っ飛ばされていたからな」
「あの程度、父との鍛錬なら珍しくありません」
なにせ武器破壊を仕掛けてきた上で、必殺の斬撃をぶちかましてくれる実に容赦のない父を師にしていたのだから、キャロルはなぜ周囲がこれほど心配したり怒ったりするのかが理解出来ない。
もし仮にレイフォンの錬金鋼が砕けていても、きっとレイフォンはたいした怪我を負うこともなく切り抜けていただろうと思っている。
直撃すれば大怪我だろう。それだけの威力があった。
だったら直撃しなければいい。
ただそれだけだ。
実際キャロルが喰らったのはレイフォンの攻撃の余波のようなものだけだった。
それによって後方に飛んだキャロルは吹き飛ばされる羽目になった。
本来の威力そのものに関しては避けきったという感触がある。
そのことで不愉快なのはレイフォンが取り乱したように駆け寄ってきたことだ。
血相を変えて駆け寄り抱きしめて名前を連呼された。
あの程度の攻撃もしのげないと思われたのかと思うと腹が立つ。
あれはレイフォンの全力であるはずがない。
お互いに十分に対処可能な範囲内での威力のぶつけ合いだったはずだ。
それをいくら錬金鋼が破損したとはいえ、あれほど取り乱すとはレイフォンはどうやら自分の実力をあまり信用してはいないらしいと内心不愉快に感じていた。
そのレイフォンは訓練室の隅でじっとこちらを見ている。
声をかけたそうな。それでいてそれをためらっているような煮え切らない態度でこちらを申し訳なさそうに見ていた。
それが余計にかんに障る。
お互い合意の上の模擬戦で、力比べをしただけだというのにこの男はなにをそんなにびくびくしているのだろう?
「とりあえず二人の実力はよくわかったし、怪我もない。とりあえずはもういいんじゃないか。なぁニーナ?」
シャーニッドの問いかけにニーナは少し不満そうにしながらも肯いた。
「キャロルちゃんも、自信があるのはわかるがもしどっか調子が悪かったらすぐに病院に行けよ? なんといっても女の子なんだから身体は大事にしないといけないぜ?」
「わかりました」
どうやらまだ心配されているらしい。
多少不満だが、気遣われて悪い気もしない。
シャーニッドの穏やかな目を見てキャロルは実力を疑われているのではなく、本当に気遣われているのだと納得した。
「レイフォンはキャロルちゃんを無事家まで送ってけ、大丈夫そうだがあれだけ派手な一撃くらわしかけたんだ。そのくらいは男として当たり前の義務だろう」
「え? あ、はい!」
「私は別に平気ですが」
「そう言うなよ。このくらいは男の甲斐性ってやつさ」
「私と同じマンションなのですから、私が送ればいいと思いますが?」
フェリの言葉にシャーニッドはかすかに苦笑した。
「なぁフェリちゃん。男って奴には面子や意地ってものがあるんだよ」
女の子に大怪我おわせかけて、知らぬ顔をするのは男の面子に関わるとシャーニッドは力説する。
「さっぱりわかりませんが、要は三人で帰れば良いのでしょう? 別にかまいませんよ」
その様子にフェリはそう妥協した。
別にレイフォンの同行を強硬に拒む理由もなかったのだろう。
「では、さっさと支度をして帰りましょう」
表で待っていますと銀髪をなびかせてフェリは出て行った。
部屋の隅ではレイフォンの肩を抱きシャーニッドがレイフォンの耳元になにやらささやいているのが見えたが特に気にすることなくキャロルは着替えに向かった。
キャロル、フェリ、レイフォンの三人で帰宅する。
よく考えてみればこの三人で歩くことは初めてかもしれない。
フェリは自分並みかそれ以上に周囲との協調性がなく、団体行動を毛嫌いしている節がある。
フェリとは隣同士で交流があるし、レイフォンとは友人だが、レイフォンとフェリはどうだろう?
ろくに会話しているところさえ見たことがない気がする。
それにレイフォンの様子がなにやら変だ。
なにか話しかけようとして口を閉じること数回。
いい加減苛々してくる。
「本当に大丈夫そうですね」
不意にフェリがそう呟いた。
キャロルは若干不機嫌になった。どうにも自分が過小評価されている気がして気にくわない。
「だから言っているではないですか。あの程度ならなんとかできます」
「普通は無理だと思うのですが」
「無理だと思ったらあんな事はしません。決闘でもあるまいし」
それもそうですねとフェリは納得したように肯いた。
「あの、ごめん。あんな事になるとは思わなくて」
レイフォンが突然謝罪してきた。
キャロルはどう反応して良いかわからず。フェリは興味深そうに二人を眺めていた。
「なぜレイフォンが謝るの?」
不思議に思ってキャロルは問いかける。レイフォンは別になにも悪い事はしていない。ただ模擬戦の最中に錬金鋼が砕けた。それだけだ。
どこに彼が謝罪する要素があるというのだろう。
「だって、僕のせいでキャロルが怪我をするところだった」
キャロルの表情が不機嫌になってくる。
彼もか。
彼も、私を理解しないのか。
「模擬戦で怪我ぐらいしても仕方のないことです。それにあの一撃を申し出たのは私です。強いていえば自分の錬金鋼の状態を見極められなかった私に非があります。レイフォンが謝罪する理由はありません」
固い口調でレイフォンの謝罪を拒絶する。
「でも、僕は……」
さらに言いつのろうとするレイフォンを睨みつけ、キャロルは足早に去って行った。
去って行くキャロルの後ろ姿を見て、身体が凍りついたように動かなかった。
追いかけなければ、追いかけて謝らなければと思うのだが身体が動かない。
「あなたはやはり馬鹿ですね」
そんな言葉に振り返るとフェリがこちらを見上げていた。
「私には武芸者の考えはよくわかりませんが、彼女は誇り高い一面があるようです。一撃勝負で結果として負け、しかも勝った相手に謝られるというのは武芸者にとっては屈辱的なことではないのでしょうか?」
その言葉にレイフォンは頭を殴られたような衝撃を受けた。
ただキャロルのことが心配だった。
自分がキャロルを傷つけてしまったかもしれないことで罪悪感に押しつぶされそうだった。
けれど彼女も武芸者なのだ。
自分の実力に自負を持ち、誇りを持つ武芸者なのだ。
あの模擬戦で自分は勝ちキャロルは負けた。
そして勝った自分が頭を下げている。
怪我をさせてしまうところだったと。
もし自分がそんな扱いを受けたら。
あるいは相手がよく知る天剣授受者たちだったら。
激怒することだろう。
馬鹿にするなと。
仮に自分が天剣授受者と模擬戦をして敗北したとする。
「もう少しで怪我をさせるところだったな。すまなかった」
などと言われたら……不愉快に思うだろう。
というか嫌味としかとれない。
もっと手加減するべきだった。もう少しやるかと考えていた。思ったより弱かった。
自分はそんなことを彼女に言ったのか?
彼女はそう受け取ったのか?
だとしたら自分はどれほど馬鹿なのだろう。
彼女を心配して、本当に心配していた。
けれどそれは彼女から見たら、見下されたと取られたとしてもおかしくない言葉だった。
「フェリ先輩」
「なんですか?」
「僕は……ただキャロのことが心配だっただけなんです。馬鹿にするつもりなんてなかったんです」
「そんなことを私に言っても仕方がないでしょう」
フェリの冷たい反応にレイフォンは肩を落とした。
その通りだ。
本当にその通りだ。
謝らなければならない。
自分はただキャロを傷つけたくなかっただけなのだと。
伝えなくてはならない。
気がつけばレイフォンは駈けだしていた。
このままではいけない。
このまま彼女に嫌われたくない。
そんなことになったら、自分はもうどうしていいかわからない。
明るい金色の髪。
その後ろ姿を見つけたのはすぐだった。
特徴的な小柄な身体と武芸科の制服、腰に普段あるはずの錬金鋼は修理のためにハーレイに預けてしまい今はない。
「キャロ!」
走りながら、叫ぶ。
周囲の視線が何事かと向く。それすら気にせずにゆっくりと振り返った彼女を抱きしめていた。
「……レイフォン?」
「ごめん、ごめん。そんなつもりはなかったんだ……ただ僕はキャロを傷つけたくなかった。自分が傷つけてしまうことが怖かった」
傷つけたくなかった。
守りたかった。
どんなものからも、どんなことをしても。
彼女だけは守りたかった。傷つけたくなかった。失いたくないと心から思った。
「僕は君を守りたいんだ。傷つけたくないんだ。傷ついて欲しくないんだ」
無我夢中で彼女に胸の内を吐き出す。
当惑した様子のキャロルはそんなレイフォンを見て小さく笑った。
「レイフォンは泣き虫だね」
言われて初めて自分が涙を流していたことに気がついた。
「そんなに気にしなくてもいいよ。大丈夫だから」
そう言って背中をぽんぽんと叩かれる。
大丈夫だから。
その一言で心が凍るようだった恐怖が氷が溶けるように消え失せた。
「大丈夫だよ。レイフォンが私のことを心配してくれていたのはわかったから」
大丈夫だよ。
そう言ってくれる少女にレイフォンはまた涙を流した。
大丈夫、まだ失っていない。
まだ彼女を失ってはいない。
だからまだ僕は大丈夫だ。
キャロルの優しい眼差しをその暖かさを感じながらレイフォンは心に誓った。
キャロル・ブラウニング。
強くて、優しくて……そして誇り高い。
僕の大切な人。
ツェルニで見つけた。
もう二度と失いたくない大切なもの。
僕は守ろう。
彼女を。
彼女を害するすべてから。
もう二度と大切なものを失わないように。
レイフォン、キャロルを明確に守るべき対象として自覚しました。