「風呂入って温かくして寝ろよ」
家にまで送ってもらい。そう言われたのになにもする気になれずに適当に髪を拭いて寝てしまったのが悪かったのか。
キャロル・ブラウニングは風邪をひいた。
学校を休んでベッドで横になっているキャロルをシャーニッドが呆れた顔で見下ろしている。
わざわざ見舞いに来てくれたのだ。
しかも午前中のうちに、授業をサボって。
「雨にあたって、風邪ひいて寝込んで、おまえはなにがやりたいんだ? 悲劇のお姫様かなにかか?」
皮肉が心に痛い。
「先輩。授業はいいんですか?」
「別にかまわないさ。人がせっかく相合い傘までして送ってやったにもかかわらずに風邪ひいた馬鹿の顔を拝む方が楽しそうだったしな」
ニコリともせずにさらに毒を吐く。
キャロルは憮然としつつ、目をそらした。
今日は実によく晴れている。昨日の雨が嘘のようだ。
窓の外には晴れ上がった青い空がある。昨日も同じ天気だったらこんな事にはならなかったのにと少し恨めしい。
「それで、今度はなにに悩んでいたんだ? シャーニッドお兄ちゃんが聞いてやるからさっさと吐け」
「別に……」
シャーニッドはいよいよ呆れたと言わんばかりにわざとらしくため息をついて見せた。
「しかたがない奴だな。朝飯は食ったのか?」
「食欲がないので……」
「本当にしかたがない奴だな。台所を借りるぞ」
そう言って台所へ向かって歩いて行く。
食事の支度をしてくれる気なのだろう。
……彼は料理が出来るのだろうか?
とんでもないものが出てくるような気がして、なんとなく居心地が悪かった。
居心地が悪いといえば、昨日なにも聞かずに家まで送ってくれて、今日は学校を休んでいるのを知ったら即座に見舞いに来てくれたらしい。
なぜそこまでしてくれるのかがわからずに、少々困惑していた。
朝からベッドで休んでいたため今はパジャマ姿だ。
そんな格好で男性を部屋に招き入れているというのはいくらキャロルでもいささか気恥ずかしい。
おかげでベッドから出られない。
ふかふかの羽毛布団をかぶって姿を見せないようにしている。
汗もかいているし、正直あまり男性に見られたくない姿だ。
けれどわざわざ学校を抜けてまで見舞いに来てくれた先輩を追い返すことも出来ない。
なぜこれほど気を遣ってくれるのだろう?
小隊の後輩だから?
それとも実はすごく面倒見のいい人なのだろうか?
熱で鈍っている頭で必死に考えるがわからない。
後で聞いてみようと思いつつ、意識がうっすらとしてくる。
「出来たぞ~。寝てんのか?」
ふいに人の気配とおでこにあてられた手のひらの感触に目を覚ました。
見るとシャーニッドがお盆片手にこちらを覗き込んでいた。
「まだ熱がひかないな。とりあえずこれを食べろ。後は薬も一応買ってきたからそれも飲め」
枕元に椅子を用意してそこに座るとお盆にのった皿を差しだした。
「お粥だ。とりあえずまずはこれを食え」
言われるまま身体を起こしてお盆を受け取る。
パジャマ姿を見られるのが恥ずかしくてもじもじしているとシャーニッドはふんと鼻で笑った。
「病人相手に欲情するような変態じゃないから安心しろ。というか病人が変な気を回すな。なにも考えずに食え」
「……なにか不機嫌じゃありませんか?」
「別に、今は気にするな。話は食い終わってからだ」
食事が終わるのが怖い気がする。
お粥は普通においしかったのがとても意外だった。
正直に言うと「飯ぐらいは作れる」とどこか苛立たしそうに言われた。
「それでおまえさんはなにを考えてあんな馬鹿なことをしたんだ?」
食事が終わり食器を片付けると尋問がはじまった。
「いいじゃないですか別に」
「ほう、雨の中わざわざ送ってくれた相手にそう言うのか?」
言葉につまる。
「あげく風邪までひきやがって、どうせ俺の忠告も聞かずに濡れたまま寝てたんじゃないのか?」
事実に近いところがあるのでなにも言い返せない。
目の前で力一杯ため息をつかれた。
「こんな事なら昨日無理にでも部屋に入って話を聞くべきだったな。女の子の部屋に押し入るのを遠慮するなんてらしくない気を回したせいでこれかよ。気なんて使うもんじゃねぇな」
苛立たしげに指で膝を叩く。
「で、今度はなにを悩んでいるんだ? どうせレイフォンがらみだろう?」
いっそ話してしまおうか。
前回も相談に乗ってくれたし。
そう考えて話してみる。
するとシャーニッドはいよいよ顔を手で覆った。
「おまえさんは……本当は馬鹿だろう?」
「いい加減失礼ですね」
シャーニッドの不機嫌に当てられてキャロルも苛々してきた。
「本当に気がついてなかったのか? まったく前回の相談はなんだったんだか」
レイフォンが自分に好意を持っているらしい。
それも異性として。
自分がレイフォンに好意を抱いていることはうすうす感じていた。
なにしろレイフォンといると楽しいのだ。
他の男性にそんな感情を抱いたことはない。
けれど今度はレイフォンも自分に好意を抱いているらしいと聞いた。
そこでキャロルの心の処理能力は歯車が吹き飛んで停止してしまった。
これはどういう事だろう?
どうしたらいいのだろうと。
「馬鹿真面目もここまでいくとただの馬鹿だな」
シャーニッドが心底呆れかえったという顔でこちらを見ている。
「だってどうしたらいいのかわからないんです」
ふてくされたようにそっぽを向く。
呆れたような視線がつらい。すごく居心地が悪い。
「別になにもする必要はないだろうが」
意外な言葉にキャロルは振り向いた。
するとシャーニッドは優しそうな目をして言った。
「おまえさんは友達からレイフォンがおまえさんを好きかもって聞いただけだろう? 別にレイフォンに告白されたわけでもない。もしかしたらその友達の勘違いって可能性だってある。その状況でなにをするつもりなんだ?」
そういえばと思う。
たしかにただミィフィに言われただけだ。
それもただ「噂を聞いたからってレイフォンとの付き合い方を変えるのは良くない」と言われただけだ。
別にレイフォンと付き合えとも、答えを出せとも誰に言われたわけではない。
ぽんとシャーニッドの大きな手がキャロルの頭に置かれる。
「おまえさんは真面目すぎる。そんなに自分を追い込むな。もっと適当でいいんだよ」
まるで母か父に言われている気がした。
故郷の両親を思わせる優しい口調に涙が溢れる。
風邪で心が弱っていたのか、涙が止まらずにそのまま泣き始めてしまう。
シャーニッドは優しい笑みを浮かべてキャロルの頭を撫でていた。
「そんなに気にしすぎるな。男と女の仲なんてなるようにしかならないからな。そんなに自分を追い込むほど悩むことはない」
声を押し殺すように泣くキャロルが泣き止むまで、シャーニッドはずっとそばで頭を撫でていた。
まるで優しい兄のような姿であり、キャロルもなぜか安心して泣くことが出来た。
不思議な人だと思う。
優しくて、なんでも聞いてくれて、いろいろ教えてくれる。
兄がいたら、こんな感じなのだろうかと思う。
ふとフェリとカリアンを連想して、あの二人とは少し違うかなと苦笑した。
フェリ先輩は、兄に相談して泣いたりはしないのだろうか……しなさそうだ。
他人の前で泣くなんてずいぶん久し振りな気がして少し恥ずかしい。
けれど嫌な感じはしない。むしろ安心出来て気持ちも落ち着いた。
「すみません。泣いてしまって」
「別にかまわないさ。泣きたくなったらいつでもこのシャーニッドお兄ちゃんに言いな。慰めてやるから」
冗談めかして片目をつぶる。
その様子に胸が温かくなるような気がして自然と表情を綻ばせた。
「……こう言うのは普通彼氏の役目だと思うんだがな」
薬を飲んで休んでいるキャロルに安静にするように伝えて部屋を後にしたシャーニッドが小さく呟く。
自分はいったいなにをしているのか。
落ち込んだ様子で雨に濡れていたキャロルを見つけた。
部屋まで送ったが、声をかけづらくて時間をおくことを選んだ。
そして翌日教室に顔を見に行ったら風邪で休んでいるという。
自分の馬鹿さ加減に腹が立った。
昨日のあの様子ではまともな思考さえ出来るか怪しい。
彼女を一人にするべきではなかった。せめて話を聞き落ち着かせるべきだったと後悔し、自分の馬鹿さ加減に苛ついていた。
そしてレイフォンにも苛立っていた。
一応心配しているようだったが、今も普通に授業を受けていると思うと殴りたくなる。
自分の惚れた女がこれほど悩んで心を弱らせているのだ。なにをおいてもそばにいるべきだろう。
おそらくレイフォンは知らないのだろうが。
八つ当たりと思いつつもレイフォンに対するいらだちが募る。
学校へも練武館へも今日は近寄らない方がいいかもしれない。
もしレイフォンがいつものようにへらへらしていたら殴ってしまいそうだ。
「本当にあいつはわかってねぇな」
自分がどれほど女性としての魅力があるのか、まるでわかっていないとしか思えない。
確かに大人の色気という意味ではまだまだだろう。
けれど可憐な少女という意味では十分男の庇護欲と嗜虐心をそそる女なのだ。
守ってやりたい、けれどいじめてもみたい。
熱に顔を紅潮させ、潤んだ目を恥ずかしげに伏せ身体を隠そうとする姿など思わず理性が飛ぶかと思ったほどだ。
「俺が鋼鉄の自制心をもつ紳士じゃなかったら襲って食ってるぞ、まったく」
ぶつくさ文句を言いつつ歩く。
ふと最近顔も会わせていない女性の顔が浮かぶ。
「あいつとはまるで正反対なんだがなぁ」
どこかで心ひかれる。
無性に手を焼きたくなる。守ってやりたくなる。
そばにいて慰めてやりたくなる。
「女の趣味が変わった……とは思いたくねぇな、まだ」
彼女への想いはまだ胸の内に残っている。
それがあるうちはあの少女に本気で惚れるなどということはありえないと思いたい。
これでも自分では節操のある男のつもりだ。
彼女との関係を清算しないまま別の女に本気になるなどありえない。
「俺も人のことは言えないな……救いようのない馬鹿だ」
想っても意味のない女性を想い。
かといってなにか行動するわけでもなく、後輩にはそれらしいことを語っている。
自分もなにも出来ないでいるくせに。
そんな自分のことは棚に上げて偉そうに。
「何様だよ。俺は……」
ふと彼女のいるアパートの方角を振り返る。
ちゃんと寝ているだろうか、もう悩んでいないだろうか。
「妹でもいれば、こんな感じなのかね」
妹のような女。
露悪的に喉で笑う。
自分をごまかすのにこれほど陳腐な言葉はないだろう。
けれどもうしばらく、もう少しの間は……。
「いいお兄ちゃんでいてやるのも悪くないな」
せめてあの幼い心を持つ少女が自分なりの答えを見つけるまでは『優しいお兄ちゃん』でいてあげるのも悪くないだろう。
そのときレイフォンと幸せになっていればそれでいい。
もしそうでないときは?
そのときのことを想像しかけて、小さく首を振るとシャーニッド・エリプトンはいつものたまり場へ向けて歩き出した。
この時間からでも開いている店もある。
アルコールの心地よさがこんなふざけた思いを忘れさせてくれるだろう。
女性主人公が複数の男性に想いを寄せられるのは定番だと思います。
定番、王道、大好物です。
さらに複数の男性に想われ、大事にされながらも最終的には最初の相手との想いを貫くのは重要だと思います。
逆ハーレム? 純愛の方が好きです。
でもシャーニッドを書いているとついつい浮気したくなります。
おかげでしばらく書けませんでした。
初期案ではシャーニッドの部屋(もしくはシャーニッドが懇意にしている店の部屋)などに連れ込んでお話しする予定でしたが、そうすると心が弱くなり、雨にうたれて震える主人公をシャーニッドが口説いて食う光景しか浮かびませんでした。
ずいぶん迷ったおかげでしばらく書けませんでしたよ。
結局しばらくは『お兄ちゃん』でいこうと決めましたけど。
アレですね。妄想が暴走しました。
普通に相談にのるだけのはずが、どう考えても優しく慰めながら抱きしめて強引に唇を奪うルートへ直行しそうでした。
この段階でそれをやったら物語が変わっちゃうので自制するのに時間がかかりました。
これからもゆっくりとした更新でしょうが、楽しんでもらえれば嬉しいです。