第十七小隊の初敗北から数日ニーナは考えていた。
自室でだらしなく着崩した部屋着でぼんやりとしている。
小隊の訓練にすら顔を出さず。授業が終わると逃げるように寮に戻って部屋にこもっている。
心配をかけているだろうとは思うのだが、今の精神状態で小隊に顔を出す気にはなれない。
「……いったいなにがいけなかったのか?」
第十七小隊の戦力はよその追随を許さないものであるとニーナは考えている。
レイフォン・アルセイフ。
キャロル・ブラウニング。
二人とも単独で小隊を殲滅出来る武芸者、破格の戦力だ。
しかしそれ故の枷もある。
生徒会長の命令で二人は全力を出せない。『普通より強い』程度の戦力で戦わなくてはならない。
それでも各小隊のエース級を上回り、小隊長さえ単独で撃破出来る戦力だ。
「十分すぎる戦力と言っていい」
よその小隊のエース級が二人もいると考えれば制限されていてなお強力な味方だ。
さらにシャーニッド・エリプトン。
彼も間違いなく優秀だ。
常に戦場を把握し、冷静におのれの任務をまっとうする。
狙撃手としてならおそらくツェルニのトップにいるだろう。
人格面も安定しており、小隊の運営や対人関係でなにかと至らない自分をサポートしてくれている。
実質第十七小隊の副隊長と言っていい。
さらに念威繰者のフェリ・ロス。
他の小隊の知り合いに話を聞いてわかったことは彼女がいかに優秀だったかと言うことだ。
小隊同士の意思の疎通、索敵、敵の妨害、戦場の把握。
念威繰者に求められることすべてをフェリはごく簡単にやってのける。
当初はやる気のなさに苛立ったものだが、キャロルが加入した頃には相変わらずやる気はないがその仕事ぶりには目を見張るようになった。
彼女が興味のなさそうな顔でやりとげていることがよその小隊の念威繰者ならそれこそ必死になってこなすことなのだと知った。
他の念威繰者が心血を注ぐような行為をまるで当たり前のように処理してしまう。
間違いなく優秀なのだ。彼女も。
「戦力に不安はない。いや、私は恵まれている」
だとすれば足りないのはなにか?
それは隊長であるニーナ・アントーク自身だろう。
戦力としてはせいぜい中堅どころの小隊員。
指揮官、隊長としても未熟、おそらくキャロルやシャーニッドの方が優れているだろうとニーナは考える。
「あの時、私は間違えた」
ベッドに寝転がり、天井を睨みつけながら思い起こす。
あのまま押し込めば勝てると考えた。
レイフォンとキャロルはじきに目の前の敵を倒すだろう。
そしてそのまま前進し、敵を殲滅する。
あの時ニーナの考えた戦術はそういうものだった。
しかし相手は隊長同士の一騎打ちに持ち込み、勝利をもぎ取った。
自分が負けたから。小隊も負けた。
前線で必死に戦っていたレイフォンやキャロルの努力は無駄になり、小隊の全勝記録は止まった。
「ならば強くなればいいのか?」
当たり前の結論に行き当たる。
それはそうだろう。
自分がレイフォンほど強ければ負けることなどありえない。
一騎打ちに持ち込まれようが、複数で包囲されようが軽く突破出来るだろう。
「だが、そう簡単に強くなれたら苦労はない」
あの二人を基準に考えることは間違っていると思う。
キャロルは戦争さえ経験した熟練の武芸者。
レイフォンも、グレンダン最強の『天剣』とやらだったのならおそらくかなりの経験を積んだ武芸者だったのだろう。
才能に恵まれ、努力を重ね、経験を積んで今の彼らがいる。
経験といえば模擬戦がせいぜいという自分が比較になるはずがない。
今から自分がどれほど死にものぐるいで努力しても本命である都市戦までに彼ら並みの、いや彼らの半分の実力も得られないだろう。
おそらく才能で劣るだろう。
今まで積み重ねてきた努力でもかなわないだろう。
経験など、彼らから見たら自分はまさに子供に過ぎないに違いない。
「努力を怠る気はない……ないが、アレと比べるのは間違っていると思う」
眉をしかめる。
正直、嫉妬という感情さえへし折れるほど隔絶した実力差がある。まさに立っている世界が違う。
思い起こされるのは二人の模擬戦。
もはや同じ人の技とは思えなかった。
努力すればなんとかなるなどあれを見てしまえばいかに軽い言葉かと笑えてくる。
「なら、私はどうすべきか」
あの時、もしキャロルがその立場にあったらどう行動しただろうか?
自分と同じように動いただろうか?
「ありえない」
断言出来た。
キャロルの戦局を見る目、その判断は確かだと評価している。
しかも彼女は堅実だ。勝てるかどうかわからない一騎打ちに持ち込まれて勝敗の行方を賭けるようなことはしないだろう。
おそらくキャロルなら自分が狙われたのなら即座にシャーニッドを動かしたのではないかと思う。
フラッグの防衛を外すのは問題だが、隊長である自分がやられれば同じ事だ。
シャーニッドと二人がかりなら、敵小隊長を押さえ込めた。いや勝てたかもしれない。
勝てないまでも敵小隊長を足止め出来たなら、レイフォンかキャロル。どちらかを強引に呼び戻して敵小隊長を討たせる。これで勝利だろう。
「なんだ。ちゃんと勝てるじゃないか」
小さくため息をつく。
なぜ今の考えに試合中に思い至らなかったのだろう。
目の前の敵と戦うことに必死になって小隊の指揮を放り出していたのだと気がつき、自己嫌悪で死にたくなった。
「キャロルなら、気がついたのではないか?」
そう考えるが、すぐに再び自己嫌悪の穴に落ち込む。
確かにキャロルは頭がいい。
きっと状況が悪いことを察していただろうし、その対処法も考えていただろう。
だが彼女は小隊員に過ぎず隊長は自分だ。
彼女が自分を通さずに小隊に指示を出すなどありえない。今までだって一度もなかったことだ。
「あの子はなんだかんだで私をたててくれるからな……」
隊長である自分の面目を潰してまで勝利しようとは思わないだろう。
ただでさえ自分の評価は微妙なのだ。
そのうえそこに『お飾りの隊長』などという評価が加わることを彼女は決してしないに違いない。
未熟と評されるのはしかたがない。事実なのだから。
だがお飾りとまで言われては我慢出来ない。
「あの時の私にキャロルからの助言を聞く余裕などあるわけがない」
目の前の敵に手一杯で、小隊の指揮すら忘れていたのだ。助言など聞いている余裕はなかった。
「結局、私の未熟がすべての原因か……」
一人の武芸者としても、小隊を指揮する隊長としても。
これほどの人材を任されているというのに不甲斐ない限りだ。
さてどうしたものかと考え、結局はそうするより他にないと決断した。
「プライドより勝利を願うべきだろう」
あれほどの逸材を指揮しているのだ。彼らには勝利をこそ与えてやりたい。
そしてなによりツェルニを守るために必要なのは勝利であってプライドではない。
「よし! ……いささか情けない気もするが、私が彼らに及ばないのは事実だ」
こうしてニーナは決断した。
「私を鍛えてくれ」
数日ぶりに練武館に顔を出したニーナの言葉にキャロルは目を丸くした。一緒にいたレイフォンも少し驚いている。
「頼む」
頭まで下げられてしまった。
小隊の敗北。
しかも自身が原因の敗北。
ニーナが荒れるのはキャロルやカリアンには予想されていたことだった。
数日練習に出てこないで引きこもっていたが、この程度ならまだおとなしい方だろうとカリアンは語っていた。
「自暴自棄になられるのが一番困る。彼女にはぜひ小隊長としての責任をまっとうしてもらいたいものだ」
美貌をどこか陰らせながらカリアンは言った。
「彼女は良くも悪くもまっすぐだ。おそらく実力不足を痛感しただろうから次に取る行動をおおよそ見当がつく、彼女が無理をしないように気にかけてやって欲しい」
責任感の強いニーナが、一度負けたぐらいで小隊長の立場を投げ出すことはありえないとカリアンは見ている。なによりその立場はニーナがツェルニを守るために必要だからこそ望んだものだ。自分から手放すはずがない。
となれば考えられるのは自分が強くなろうとすることだろう。
けれど自尊心もそれなりに強いニーナが、年少であり、部下であるキャロルやレイフォンに素直に教えを請うとはカリアンは考えていない。
「おそらくひたすら自分をいじめ抜いて強くなろうと努力するのではないかな?」
それで壊れてもらっては困ると苦笑いした。
「だから君の方から彼女が無理をしないように、上手く成長できるように誘導してくれると助かる」
「無茶を言わないでください」
すでに事情を知る生徒会関係者からは生徒会長の腹心と見られているらしいキャロルは憮然と文句を言った。
「私にそんな器用なことが出来ると思っているのですか?」
「何事も経験だよ。キャロル君」
正体のつかめない笑顔で無理難題を押しつけてくる。
「なぜ私ばかりがこんな役割を……」
結局、カリアンの説得に負けて『一応努力はする』と引き受ける羽目になり、なぜフェリがあれほど実の兄を嫌うのかがなんとなく実感出来てきた最近のキャロルである。
そしてさてどうしようと頭を痛めていたら、これだ。
予想外だった。
けれど都合が良いとも言える。
あのカリアンが読み違えたと思えばいっそ愉快でもあった。
けれどそこで少し困ることがある。
「私、人に教えることが出来るのでしょうか?」
キャロルは優秀だった。
客観的に見ても天才の称号に値した。
だから大抵のことはすぐに学べたし身についた。
逆に言えば修行の苦労を知らず。努力の苦しさを知らず。伸び悩む絶望を知らない。
はっきりいえば実力不足で悩むニーナの心を本当の意味で理解することが出来ない。
実力が足りない? 修行すればいいんじゃない?
どう修行すればいいかわからない? 別になんだっていいんじゃない?
天才体質のキャロルは実力不足に嘆き、さらなる力を切望し、その方法がわからずに苦悩する凡人が理解出来ない。
理解出来ないのだからその方法を提示することも出来ない。
ニーナが頭を下げて頼んでいるのだ。力になりたいと思うが、なにをどうしたらいいのかわからない。
剣術を教えればいいのか? いやニーナの武器は鉄鞭だ。しかも両手で振り回すものだ。剣術の技からはほど遠い。
基礎ぐらいなら教えられる。どの武器を使おうが土台となる基礎は同じようなものだ。
けれどニーナが望むのはさらなる実力であって、今まで習ってきたことの復習ではないだろう。
「やはりだめだろうか?」
悲しそうな顔をされても困る。
「そうではないのですが、なにを教えたらいいのか……」
「強くなる方法を頼む」
そんな漠然としたことを力強く言われても……。
困り切ってうろたえるキャロルを不思議そうに見ていたレイフォンがようやく気がついたように口を開いた。
「キャロはもしかして人に教えたことがないの?」
「……はい」
恥ずかしそうに肯定する姿にニーナは少しだけ驚いた顔をした。熟練の武芸者である彼女なら他人に手ほどきぐらいしたことがあるだろうと自然に思い込んでいたのだ。
「なら僕が教えましょうか? 養父が道場の師範をしていたから、その手伝いで多少は経験もあります。隊長さえいやじゃなかったらですけど」
レイフォンの実力はキャロル自身が自分より上にいると保証しているのだ。ニーナにとっては断る理由はない。おそらく現状ツェルニ最強、グレンダンでも最強の武芸者の一員だった人物なのだから不満はない。むしろ自分を受け入れてもらえるのかが不安だ。
「いいのか? 私は以前レイフォンにひどいことを言ったと思うのだが」
いまではレイフォンの過去も『仕方がないこと』と受け入れられるようになったが、当初は実にひどい態度を取ってしまった。小隊の仲間として振る舞ってくれるようになっただけでもありがたいのだ。そのうえ武芸を教えてくれるほどに自分が認められていると思うほどニーナは図々しくない。
するとレイフォンは柔らかい笑みを浮かべて、もう気にしていないと言った。
「僕の説明が悪かったのもあるし、実際に僕のしたことは問題がありますから、こうして受け入れてくれるだけで十分感謝しています」
邪気のない年相応の笑顔に不意に顔が熱くなるのを感じてニーナは慌てた。
「そ、そうか……なら頼まれてくれるだろうか?」
「ええ、僕に出来るかぎりさせてもらいます」
おたおたしているうちに話がまとまりキャロルは若干複雑な心境になったが、指導未経験の自分より、経験者であるというレイフォンの方が適任だろうと納得した。
けれど顔を赤らめてうろたえるニーナに笑顔で話しかけるレイフォンの姿はどこか不快感があった。
なんでだろう?
よくわからないが後でレイフォンを蹴飛ばせばすっきりしそうな気がした。
ニーナの自爆ルート回避。
普通に考えれば自分より強い武芸者がいるのだから教えを請う方が強くなれると考える……と思います。
原作では一人で暴走してぶっ倒れましたが、正直理解出来ません。
はじめからレイフォンに頼めよ。という感じです。
見知らぬ他人ならともかく、同じ小隊の仲間で仲だって悪くないのだから。
うちのニーナはすでにつまらない見栄や自尊心はぽっきり折られているので年下の部下に頭を下げることを躊躇しません。