あれからレイフォンは小隊の訓練にもそこそこ真面目に顔を出すようになった。
訓練内容に関しては『加減がわからない』とこっそりぼやいていたが。
レイフォンは隊長であるニーナ・アントークと組んで戦うように訓練をしているらしいが、どうもレイフォンはニーナのレベルに合わせるのが大変なようだ。
追いつけないという意味ではなく、下手に全力を出せばニーナを置いてきぼりにしかねないという意味で。
レイフォンのそういう武芸者としての愚痴を聞くのはキャロルの役割になっていた。
小隊内の仲間に話せる内容ではなく、キャロルは多少なりともレイフォンの実力が傑出していることを知っている人間である。
話しているうちにキャロルはまだレイフォンが実力を隠していることを察した。
そして困っていることがあるならば相談に乗ると言ったのだ。
レイフォンにとってはありがたい話だっただろう。
自分の実力を見抜いたとしてもそれを利用することも吹聴することもなく、ただ話を聞いて相談に乗ってくれる存在。
そんな人物はツェルニでは彼女だけだ。必然レイフォンが愚痴をこぼせるのは彼女ぐらいになった。
そのキャロルにしてもレイフォンの実力のすべてを知っているわけではないし、レイフォンが武芸者以外の道にこだわる理由も知らない。
いずれ気が向いたときにでも話してくれるだろうと考えていた。
「はぁ……」
「またため息? 幸福に逃げられるよ」
学校近くの喫茶店で二人向き合って座りながらキャロルは少し呆れたような視線を向けた。
最近のレイフォンはキャロルと二人で会うとこんな感じだった。
普段からぼんやりした印象だが、それに輪をかけて気が抜けた態度を見せる。
「対抗戦のことかな?」
ここ最近対抗戦に向けて無駄にやる気を出す隊長と、まるでやる気を見せない隊員たち。
その中に放り込まれたレイフォンは小隊内ではずいぶん気苦労しているらしい。
「どのくらいやればいいのか、さっぱりわからなくて」
「どのくらいならやれるの?」
キャロルの問いにレイフォンは気まずそうに口ごもった。そして少しだけ好奇心を見せて尋ねた。
「キャロならどの程度できる?」
その質問に少しだけ考え込む。やがて首を振った。
「小隊員の戦闘力がレイフォンのいうニーナ・アントーク程度であると仮定すれば、小隊の最大人数七人いたとしても一人で殲滅出来ると思う」
すでにレイフォンから第17小隊の戦力がどの程度かは聞いている。
自分ならばレイフォン・アルセイフという不確定要素さえなければあっという間に殲滅できるだろう。
断言したキャロルにレイフォンは納得したような表情で肯いた。
「学生武芸者七人程度、汚染獣より強いって事はないからね」
すでにレイフォンはキャロルの故郷での戦歴を聞いている。
幼い頃暴走ぎみに汚染獣の首を斬り落としたこと。
都市戦で百人の敵都市の武芸者を蹴散らしたこと。
再び襲ってきた汚染獣を大人たちの援護があったとはいえほぼ一人で倒したこと。
信じてもらえないだろうと半ば思いながら話す内容をレイフォンは真面目に聞き、『信じる』と言い切った。
レイフォンから見ればキャロルはあきらかに並みの武芸者ではないらしい。
身体を流れる剄が並の武芸者とは異様なほど違う。
身体の動かし方も洗練されており、上級生の武芸科生徒などよりも動きに無駄がない。
むしろ彼の知る一流を超えた武芸者たちのそれに近いのだとレイフォンは言った。だからレイフォンはキャロルの語る戦歴を信じた。
キャロルもまたレイフォンが並の武芸者どころではない実力を隠しもっていると察している。
下手をすれば自分でも勝てないのではないかとキャロルの直感が訴えていた。
「僕がそんなことをしたらみんながなんていうか……」
それはレイフォンもキャロルの言ったようなことができるという肯定の台詞だった。
「普通に優秀な武芸者程度に振る舞えば? 向かってくる相手を二、三人倒せば結果的に勝てるだろうし」
「それでいいのかな?」
「なにかいわれても熟練の武芸者ならこのくらいは出来るといえばいいし、それでも文句をいうようならそんなに不満なら辞めてやるといえばきっと泣いて引き留めますよ」
実際それほどの実力者に特に理由もなく去られたということになったら隊長のニーナ・アントークの面目は丸つぶれだろう。
そして他所の小隊がこれ幸いと大型新人の獲得に動くのは目に見えている。それがわからないほどニーナ・アントークは愚かではないだろう。
内心がどうであろうとレイフォンを引き留めて自分の戦力として活用したがるはずだ。
「なんだか隊長に悪い気がする」
キャロルの考えを聞いてレイフォンは少し罪悪感を感じたように表情を暗くした。
「実力を隠している時点でいまさらです。私並みかそれ以上の戦力であるならば隊長どころか武芸長や生徒会長だってあらゆる条件を提示して協力を頼んできますよ」
「生徒会長か……」
どこか皮肉っぽくそう呟いた。
キャロルはそんなレイフォンの様子にふと気がついた。
「ひょっとしてもう生徒会長の接触があったの?」
「僕を武芸科に入れたのは生徒会長だよ?」
忘れたの? という感じで武芸科の制服を指さす。
「ということはもしかして生徒会長はレイフォンの実力を知っている……?」
まさかと思う。
自分だってすぐには気がつかなかった。
最初は故郷の熟練武芸者に匹敵する身のこなしと思っていた。
それがしばらく観察し、レイフォンとの会話から彼が実力を隠していると察することができたのだ。
熟練の武芸者ならともかく生徒会長は一般人だ。隠されたレイフォンの実力なんて気がつくはずがない。
「どうも僕の事を知っていたみたいでね」
「有名人だったの?」
「……それなりに」
レイフォンは気まずそうに声を落とした。
レイフォンの過去。
興味がないといえば嘘になるが、こんな傷ついた表情の彼にそれを聞くことはできなかった。
なので話題を変える。
「ならますます強気で交渉すればいい。あなたの後ろには生徒会長がいるのだから、あの人は絶対に戦力としてのあなたを手放したりしないはずです」
「あの人を知っているの?」
「噂程度は聞いているよ。かなりあくどい人らしいですね」
お隣さんなのだが、あいにくまだ会ったことがない。
生徒会の仕事で忙しいらしくあまり帰ってこないらしい。
フェリ・ロスから聞いた話では『陰険で自分が勝つためならどんな卑怯なことでもする悪党』だった。
驚いたことにフェリ・ロスはレイフォンの入った第17小隊のメンバーだった。
それもレイフォンと同じように生徒会長命令で無理矢理武芸科に転科させられた口らしい。
かなり兄のことを恨んでいるようだった。
それでも同じ部屋に住んでいるのだから実は仲は悪くないのでは?
そう思うが、面と向かっては聞けなかった。
「結局はなるようにしかならない……私も役にたちませんね」
レイフォンと別れたあと、ふらふらと様々な店を眺めて回り自宅に戻った。
もう日が暮れようとしている。正直、どんな店を覗いたのか記憶がない。
レイフォンはツェルニを存続させるため都市戦で勝利し、セルニウム鉱山を得るために生徒会長に利用されている。
現在ツェルニの所有するセルニウム鉱山はたった一つ。
次の都市戦に負ければ、その鉱山を失う。すなわち都市の滅亡だ。
自立型移動都市の動力であり、それがなくなることは都市の緩やかな死を意味する。人間で例えれば餓死だ。
それ自体はキャロルにとってはどうでもいい。
故郷ならともかく学園都市が一つ滅んでもキャロルの心は痛まない。故郷に帰ればいいだけだし、必要ならまた別の学園都市に行けばいい。
けれどそれに友達が利用されている。戦力になる。ただそれだけの理由で。
もしかしたら自分も同じ立場に立たされていたかもしれない。
少なくともレイフォンの話を聞く限り、自分レベルの武芸者は貴重な戦力になるはずだ。
そんな想いがレイフォンへのやや過剰なほどの感情移入になっていた。
軽いノックの音にキャロルは思考の海から戻った。
そういえばまだ制服のままだったと少し迷ったが、別に恥ずかしい格好ではないと思って玄関の扉を開けた。
「すみません。お時間よろしいですか?」
そこにいたのは白いワンピースに軽くピンクの上着を羽織ったフェリ・ロスだった。
「やぁ、挨拶が遅れて申し訳ない。私はカリアン・ロス。フェリの兄だ」
フェリ・ロスに連れられてロス家にお邪魔すると、そこにはにこやかな笑顔を浮かべた理知的な男性がいた。
すらりとした長身にフェリを思わせる長めの銀髪。軽く眼鏡をかけた瞳は柔らかい笑みを浮かべている。
女性にもてそうだなぁとキャロルは思った。
「食事はまだかな?」
「帰ってきたばかりなので」
「それはよかった。実は食事を用意していてね。どうぞ食べていって欲しい。近所のレストランのものだが味はなかなかだよ」
軽く肩に手を添えられて食堂にエスコートされる。
そんな扱いを受けたことがないのでキャロルは戸惑い、フェリ・ロスに視線で助けを求めたが彼女は不機嫌そうに沈黙するだけだった。
わざわざ椅子をひいてくれたので拒否するわけにもいかずに席に座る。
目の前にはそれなりに値の張りそうなメニューが並んでいた。
「どうぞ遠慮無く。冷めないうちにどうぞ」
「あの」
「なんだろう?」
「私はあなた方にこんな歓待をされるおぼえがありません」
はっきりという。
フェリ・ロスとは顔見知りのご近所程度の付き合いだし、カリアン・ロスとは初対面だ。
特に親しいわけではない。
「ご近所に新入生がやってきた祝いというのでは不足かな?」
「新入生は私だけではありません」
「だが我々の隣人となったのは君だけだ。歓迎に夕食に誘うぐらいは別に問題ないだろう?」
そういう間にフェリ・ロスは黙って席に座って食べ始めている。
そして小さく言った。
「無駄ですよ。兄は自分の思ったとおりにしか動きません。逆らっても無意味です」
カリアン・ロスはそんな妹の言葉にも顔色を変えずに微笑んでいる。
隣人を歓迎する食事。拒否する理由はとくにない。
それに強引に席を立つには目の前の青年は怖い。
穏やかな表情の彼はある意味この都市の最高権力者だ。逆らってもいいことはないだろう。
諦めて食事をはじめる。
カリアン・ロスはそんな様子を満足げに眺めて自分も食事をはじめた。
静かな食事風景だった。
会話もなく、ただ静寂と食事の音だけがわずかに聞こえる。
あらかた食事が片づいた頃カリアン・ロスが思い出したようにしゃべり出した。
「そういえばキャロル・ブラウニングさん。あなたの入学書類におもしろいことが書かれていたよ」
「なんでしょう?」
入学書類を用意したのは都市上層部だ。
ツェルニとの交渉もすべてそちら任せだったのでキャロルは詳しいことをなにも知らない。
「あなたは汚染獣との戦闘経験がある。それも抜群の働きをしたそうだね」
その言葉にフェリ・ロスが驚いたように兄とキャロルを見た。
キャロルは少しだけ驚いたがすぐに平静に戻り、目の前の生徒会長の目をまっすぐに見つめた。
「正直信じられなかった。なのであなたの故郷に確認を取っていた。だから今まで時間がかかった」
ツェルニを支配する青年は笑顔を浮かべながらもまっすぐキャロルの目を見返した。
その目は冷静に冷徹に目の前の戦力を吟味しているようだった。
「その情報はまったくの事実だった。それも一度ではなく二度。しかも都市同士の戦争でも一騎当千といっていい働きをしたらしい」
目の前の青年が笑った。
キャロルはそれに獲物を前にした蛇を連想した。
狡猾で油断すれば獲物を噛み殺す蛇。女性のように綺麗な外見だが、その内面は故郷の都市上層部の大人にも引けを取らない腹黒さだと。
「実に素晴らしい」
どこか満足げにカリアン・ロスは微笑した。
彼の頭の中ではレイフォン・アルセイフとキャロル・ブラウニングという二人の傑出した戦力を手の内にする方法を考えているのだろう。
どうやら他人事ではなくなったらしい。
無理矢理武芸課へ転科させられ小隊に配属されたレイフォンを思い浮かべ、キャロルはどんな無理難題を吹っかけられるのかと思わず身構えた。
ツェルニのボス。カリアン登場の回。
カリアンも好きですよ。
個人的にはなんの戦力も持たない一般人でありながら、レイフォンを操り学園都市を動かし、ツェルニを守ろうとする。
並の人物じゃありませんよ。