キャロルと不器用騎士   作:へびひこ

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第九話 小隊長

 予想通り、ニーナ・アントークはあのあと生徒会長室に怒鳴り込んだらしい。

 あの日、肝心の隊長が気絶しているため自然にその場はお開きになり、ニーナの面倒は幼なじみのハーレイが見ることになった。

 目覚めたニーナはあの模擬戦でなにがおこったのかハーレイに問いただすと生徒会長室に怒鳴り込んだらしい。

 

「どこも欲しがりそうな貴重な戦力を優先して回したというのになぜ私は何度も責められなければならないのだろうね?」

 

 そうカリアンは少しばかり納得がいかないと顔をしかめた。

 よほど責められたのだろう。

 

 夜にロス家に招かれ、第17小隊の様子はどうかと尋ねられたキャロルは返答に困った。

 

「基本的な問題は単純です。ニーナ隊長がレイフォンを受け入れればすべての問題は解決するでしょう」

「レイフォン君には問題はないかな」

「あるはずがありません」

 

 キャロルではなく同席していたフェリが口を挟む。

 

「そもそも一方的に隊長がレイフォンを避けているのです」

「歩み寄ろうとか、理解されようとか努力しないレイフォンも問題なのかもしれませんが」

 

 フェリの主張にキャロルが付け足す。

 しかしあのレイフォンが機嫌を悪くしたニーナを上手くなだめられるとはどうしても思えない。

 

「レイフォン君も不器用そうだからね」

 

 カリアンはそうため息をつき、視線をキャロルとフェリに向けた。

 

「それでなんとかなりそうかな」

「さいわい私はさほど嫌われていないようです」

 

 あのあとキャロルはニーナから小隊員として認めることと第17小隊に歓迎することが直接伝えられ、『頼りにさせてもらう』とまで言われていた。

 模擬戦でのことはなにも言われなかった。

 もっとも内心ではなにか思うところがあるかもしれないが。

 

「なら動きようはあるか」

 

 カリアンはそう呟いて少し目元を指で押さえた。

 

「お疲れですか?」

「ああ、多少ね。今年は都市戦もある年だし生徒会もいろいろあってね」

「生徒会長なら働くのは当然です」

 

 まったく兄を労ろうとしないフェリにカリアンは苦笑し、キャロルは複雑な顔をした。

 どうにもこの兄妹の関係が理解出来ない。

 仲がいいわけではない。

 けれど致命的に仲が悪いようにも見えない。

 少し距離を置いて兄を罵倒する妹を困った顔をして黙ってみている兄。

 そんな感じだ。

 

「それでは当分はキャロル君の手腕に期待させてもらうよ」

「私が対人関係の経験が不足していると指摘したのはあなたですが」

「いい経験になるだろう?」

 

 まったく悪びれずにそう返してくる。

 

「あなたがきちんと隊長に言い含めればすむ話ではないですか」

 

 フェリが突き放すように主張する。

 

「もう説明はした。レイフォン君にも事情があったことだし、あくまでグレンダンの事件でツェルニには関係ないとね。それでもニーナ君はレイフォン君を認められないと主張する。お手上げだ」

「なぜ認められないのでしょう?」

 

 それがわかれば和解の方法もわかる気がする。

 

「私には武芸者の考えを完全に理解できないだろうが、私は根底にあるのはレイフォン君への嫉妬と見ているがね」

「嫉妬?」

「そうだよキャロル君。若くして一都市の頂点に立つほどの才能を持つレイフォン君への嫉妬だ。ニーナ君もそれなりに自分の実力に自負のある武芸者だろう。故郷でも将来を期待されただろう。だけど彼女は故郷で最強の称号を得ることなどできなかった」

「それなら私も同じような条件になりますが」

「レイフォン君とキャロル君の致命的な違いはレイフォン君はそれだけの栄誉を得たにもかかわらずその座を追われるような失態を犯した。君にはそういったたぐいの汚点がない」

 

 要するにニーナ・アントークの潔癖な部分がレイフォンを拒絶しているのだという。

 そしてその感情を後押ししているのがレイフォンの実力への嫉妬だと。

 あれほどの力を持ちながらなぜと。もし自分にそれだけの力があればと。

 

「要するに隊長のわがままということですね」

「個人的な感情で隊長という役職を軽んじているという意味なら、そうだろう」

 

 フェリの辛辣な断定に苦笑しつつカリアンは同意する。

 

「ヴァンゼ武芸長には話をつけた。最悪の場合ニーナ・アントークを切ることも承諾させた。後任人事に関してはまだ合意していないが、彼は少なくとも一年を隊長にするのは反対のようだ。上級生の誰かを隊長に引き上げるか、シャーニッド・エリプトンを選ぶのが現実的だろう」

 

 自分が失敗すればツェルニにおけるニーナ・アントークの経歴はそこで終わると言っていい状態らしい。

 念のために尋ねる。

 

「万が一小隊長を罷免された場合。ニーナ・アントークの扱いはどうなります?」

「小隊員に戻るという選択肢は残す。もともと彼女のいた小隊は彼女が小隊員として復帰することを望んでいたしね。ただしそれを選ぶかどうかは彼女次第だが」

 

 プライドの高そうな彼女が隊長を辞めさせられ、自分の小隊を取り上げられて再び一小隊員に戻れるだろうか?

 そんな疑問を感じたがカリアンは若干冷たい表情で断言した。

 

「どういう結果になろうともこれはもともと彼女が犯した失態の結果だ。君が必要以上に気にすることではない」

 

 もちろん丸く収まるならそれにこしたことはないがねとカリアンは見る者を安心させるような微笑みを浮かべて見せた。

 けれどキャロルの表情は晴れなかった。

 

 

 

 

「材質は白金錬金鋼で、形状は剣か……大きさは模擬戦で使ったくらいがいいかな?」

 

 ハーレイは自分の研究室にキャロルを招いて彼女の錬金鋼について確認する。

 魔窟と表現できそうなほど雑然とした部屋にキャロルがびくびくしていると笑って『大丈夫、危険なものは手に触れるところにはないから』とあまり安心できないことを言った。

 

「あれよりも少し長めでお願いします。私の戦闘スタイルは基本的には速度を生かした一撃必殺です。武器を打ち合わせるような戦いはあまり好みませんから強度よりもむしろ剄を上手く扱えるようにして欲しいのですが」

「そうはいっても武器だからね。やっぱりそれなりの強度はいるよ。けれどこのデータはすごいね。レイフォンもすごかったけど、それに匹敵する」

 

 錬金鋼を作るためにキャロルの握力や剄のデータを取ったのだが、ハーレイはそれに目を輝かせていた。

 

「この剄の量はすごいね。普通の錬金鋼だと全力には耐えられないんじゃないかな?」

「実戦では複数の錬金鋼を予備にもって使い捨てるのが基本でした」

「そうなるだろうね。対抗試合程度なら問題はないだろうけど都市の戦争や汚染獣となったら錬金鋼がもたない」

 

 ツェルニならそんな機会はないだろうけどと付け加えながらデータを入力する。

 

「そういえば知り合いがおもしろい錬金鋼を開発していてね。君やレイフォンならもしかしたら使えるかもしれない。もしかしたらテストを頼むかもしれないけどそのときはよろしくね」

 

 かまわないと答えるとハーレイは嬉しそうな表情をした。

 

「うん、こんな感じかな」

 

 するとキャロルが両手で握っていた棒が剣の形に変わった。

 両手持ちの細身の剣。

 片刃だが反りがなく、切っ先だけ両刃になっている形状はキャロルが指定した。

 斬ることにも突くことにも使える剣。

 

「どんな感じ?」

「いい感じですが、もう少し厚みのある方がいいかもしれません」

「少し重くなるけどいい?」

「見た目より腕力はあるので平気です」

 

 ハーレイが素早くデータをいじると剣が再び変化して、今度はやや肉厚の片刃剣になった。

 これなら安心して叩き斬れると安心感を感じさせるような頑丈そうな外見だった。

 

「うーん、イメージ的にはもっと軽い剣を望むのかと思ったから意外だね」

「もう一度言いますが見た目よりも腕力はあるのです」

 

 キャロルも武芸者だ。

 きちんと身体を鍛えているので実は結構力持ちなのだが、外見からはそうは見えない。

 

「けど片刃剣って変わっているね。だったらいっそ刀にする? そっちもできるよ?」

「刀ですか……」

 

 使えなくはない。

 キャロルの習った剣術は刀にも応用できる流派だった。

 というか使用する剣自体が刀に近い形状をしていた。

 なぜいっそ刀を使わないのかと疑問に思って尋ねたら、元々は純粋な剣術流派から斬撃を究極まで高めることを目的に分派した一派だから剣に刀の特徴を持たせているのだという答えだった。

 刀に持ち替えないのは元の流派が剣術であることの名残なのだそうだ。

 

「私個人は特にこだわりがあるわけではないのですが、うちの流派はこういう片刃剣を使ってきましたからこれでいいです」

 

 自分が習った流派の説明をするとハーレイは少し興味深そうな顔をした。

 

「斬撃を追求した剣術流派か……斬ることに特化するならもう少し反りをもたせた方がいい気がするけど」

「そうすると今度は突きの感覚が変わってしまいますから」

「じゃあ、これでいい?」

「これでお願いします」

 

 わかったとハーレイはデータの保存を開始する。

 

「割とすぐにできるからできたら渡すよ」

「はい、楽しみにしています」

 

 本当に楽しみだった。

 故郷ではよく錬金鋼を作ってもらったがツェルニでは初めてだ。

 笑顔で楽しみにしていると言われたハーレイは顔を赤くして頬をかいた。

 

「……うん、期待にそえるものを全力で作るよ」

 

 急にそわそわしだしたハーレイをキャロルは不思議そうに眺めていた。

 

 

 

 

 ハーレイの研究室を出て訓練所に顔を出すとニーナが一人で鉄鞭を振るっていた。

 両手に一本づつ鉄鞭を持ち、それを自在に振り回している。

 重い鉄鞭を両手にもって振り回し、まったく体勢を崩さないのだからその基礎体力は相当のものだ。

 客観的に見てニーナの実力は年齢を考えればけして低いものではない。

 もう少し経験を積み、技術を磨けば十代の武芸者としてなら十分な実力を得るだろう。

 

「……ああ、来ていたのか。悪いが今日は集まりが悪くてな。せっかく来てもらったのにすまないが自主練ということにしてくれ」

 

 キャロルに気がついたニーナが見られていたことが少しばつが悪いのか若干早口で告げた。

「一人で自主練ですか?」

「ああ、少しでも強くならなければならないからな」

 

 ここいらで少し話し合うべきだろうか。

 さてなにを言ったらいいかと考え、結局ストレートに告げることにする。

 

「レイフォンに対抗してですか?」

「なにがいいたい?」

 

 剣呑な目を向けてくる。

 けれどキャロルとしては重要な部分だ。

 機嫌を損ねるのを恐れて口をつぐむわけにもいかない。

 

「レイフォンの実力をどう思います?」

 

 そう問いかける。

 ニーナは話題をそらされたと感じたのだろう。

 若干不愉快そうにしながらも律儀に答えてくれた。

 

「傑出した才能だと思っている」

「不足です」

 

 彼女の評価を一言で否定した。

 

「あれは単身で汚染獣に挑める実力者です。戦争なら一人で大軍を殲滅しうる戦力です」

 

 ニーナは目を見開いた。

 

「私自身もその評価に当てはまります。その私をもってしてもおそらくかなわないと感じさせる人間がレイフォン・アルセイフです」

「だから……私ごときが努力しても無駄だといいたいのか?」

「隊長はなんのために強くなりたいのですか?」

 

 一瞬口ごもったが力強く断言する。

 

「このツェルニを守るためだ」

「だったらツェルニの生徒であるレイフォンは味方です。張り合う必要はないでしょう。まして隊長にとっては部下です。その実力を有意義に使おうと考えるのが普通です」

 

 ニーナは大きく息を吐き出した。

 若干落ち着いた口調で問いかける。

 

「おまえは私に何を望んでいる? いやこう言い変えようか? なにをしにこの小隊に来た」

「あなたが小隊の隊長としての自覚を持ち、第17小隊を戦力として回復させるためです」

 

 生徒会長の差し金かと呟くニーナにキャロルは黙って肯いた。

 

「なるほどそれでどこも欲しがるだろう期待の新人を二人も私のもとに寄越すわけだ」

「生徒会長は第17小隊がレイフォンと私を使いこなし。都市戦で勝利することを望んでいます」

「私はおまえたちの引き立て役か」

「私たちの指揮官としてあなたが選ばれたのでしょう」

 

 暗く自嘲するニーナの言葉をキャロルは静かな口調で正す。

 

「なぜ私なんだ?」

「おそらくあなたが新米の隊長であるからでしょう。第17小隊も設立したばかりと聞いています。ツェルニレベルの武芸者の指揮になれた小隊長ではレイフォンや私は逆に使いづらいでしょう。戦力が違いすぎるのですから根本的に他の小隊員とは使用法が異なるはずです」

「小隊の指揮に不慣れな私の方が、逆におまえたちの扱い方に慣れるのが早いと言うことか」

「初めて指揮する小隊員なのですから、少なくとも変な先入観なく素直な戦力として使えると判断したのでしょう」

 

 確証はない。

 けれどあの生徒会長がなんの思惑もなく新米隊長にレイフォンを預けるわけがない。

 考えられるのは今語った新米ゆえに規格外の小隊員の扱いに慣れるのも早いだろうということだろう。

 

「高く評価されたものだな」

 

 自分を嘲笑うようにニーナは視線を天井に向けた。

 

「私は前回の対抗試合でまったくいいところがなかった。一人の武芸者としても隊長としてもだ。勝てたのはレイフォンが強かった。ただそれだけの理由だ」

「最初から上手くできる者などいないでしょう。試行錯誤するだろう事は生徒会長も織り込み済みだと思いますが」

 

 ニーナはきつく目を閉じた。

 泣くのを耐えているようにキャロルには見えた。

 

「私は自分が不甲斐ない。私はあの男を軽蔑している。しかし現実にはあの男のおかげで私は勝った。勝たせてもらった。そしてこれからもあの男の力で私は勝利者の地位を譲られるだろう」

「レイフォンのしたことが許せませんか?」

「当然だ。武芸者としてあってはならないことだ」

 

 迷いない断言だった。

 けれどキャロルはその言葉と意志を受け入れない。むしろ真っ向から否定する。

 

「私はそうは思いません。レイフォンは自分の大切なもののためにすべてを捨てて戦ったのです。間違った方法であったとしてもその想いを否定することはしません」

「想い?」

 

 意外な言葉を聞いたようにニーナは困惑した表情を見せる。

 

「レイフォンは孤児たちを、仲間を救いたかった。仲間の力になりたかった。そのためなら誇りも名誉も捨ててかまわないと思えるほど仲間たちが大事だったのでしょう」

「それでも武芸者として守るべきものがあるはずだ!」

「それはなんですか? 誇りですか? 法ですか? それとも理想ですか?」

 

 毅然とキャロルを睨みつけニーナは断言した。

 

「武芸者が武芸者としての誇りを忘れてどうする!」

「誇りがあればレイフォンの仲間たちは、両親の庇護のない孤児たちは生きていけるのですか?」

 

 ニーナの瞳が迷いに揺らいだ。

 

「レイフォンは武芸者の誇りさえ捨てれば仲間を助けられるというのならば躊躇なく捨てたでしょう。レイフォンにとって仲間たちは誇りなどといった漠然としたものよりはるかに現実的で、自分が全力で守らなければならない大事なものだったのでしょう」

「だが奴は結果として罪に問われた。それは奴の行動が悪だという証明ではないか!」

「悪だとなにか問題があるのですか?」

 

 ニーナは絶句した。

 キャロルはいつの間にか胸の奥が冷たくなっていくのを感じていた。

 激しい怒りが、憎悪が胸を凍てつかせる。

 

 思い出すのは斬り裂いた敵都市の武芸者の断末魔の悲鳴。

 血まみれの自分の手。

 周囲の憎悪の視線と次々と自分を殺そうと襲いかかってくる敵武芸者たち。

 そして戦争に勝利し、賛美される自分。

 

 そして目の前には無邪気に武芸者の誇りを口にし、武芸者が悪を成すなどありえないと言いたげな、無知な子供。

 無性に腹立たしかった。

 なにもかもぶちこわしてしまいたいくらいの憎悪が身体中に広がるのを必死に押さえた。

 我慢しなければならない。

 自分はここをぶちこわしに来たのではない。

 託された使命を思い出して少しだけ心を落ち着ける。

 

 けれど言わなければならない。伝えなければならない。

 そうしないと彼女はレイフォンも、このキャロル・ブラウニングも理解出来ないだろう。

 

「私は戦争で敵都市の武芸者を殺しました。少なくとも数十人単位で死んだはずです」

 

 無表情に人を殺したと告げる少女にニーナは気圧された。

 

「レイフォンの罪など私から見たら笑えるほどたいしたことがない。私は人殺しです。罪の重さではレイフォンなど比べものにならない」

「それは、戦争なのだから仕方ないだろう?」

「仕方ない? 殺された武芸者の家族たちがそういって私を許してくれると本気で思っていますか? 子供の名前を呟きながら息絶えた武芸者が私を許すと思いますか? その子供が私を憎まないと思いますか?」

 

 ニーナは唾を飲み、目の前の少女を見た。

 まるで人形のような美しさ、そして無機質さを感じさせる無表情に口元は笑みを浮かべて、その桜色の唇から毒を吐き出す。

 それを聞いてはいけないとニーナの感性は訴えた。

 聞いてしまえば自分の信じていたものが崩壊すると。

 

「返り血まみれで故郷に戻った私はみんなに褒められました。良くやった。すごい活躍だったと。私にはなぜ褒められるのか理解出来ませんでした」

 

 人を殺してきたのに、みんなが笑顔で賞賛する。

 汚染獣を退治したわけではない。

 別の都市で生きていた人間をこの手で、この剣で斬り裂いてきたというのにみんなが褒め称える。

 当時のキャロルにはその光景が理解出来なかった。

 戦争の意味も、人を殺す重みもなにも理解することのない幼さで戦場に投入された少女は家に戻って発狂したように喚き散らし泣きだした。

 父に取り押さえられ、医師が呼ばれて鎮静剤を打たれた。

 意識が戻ったとき母がそばにいた。

 母は言った。

 

『人が生きていくというのは誰かを、なにかを殺して踏みにじって前へ進むことなのよ』と。

 

 そしていつものようにキャロルが落ち着くまで抱きしめて慰めてくれた。

 

 

 

 

「隊長はツェルニを守るという。立派です。誰もがそう認める目標でしょう」

 

 艶めかしい桜色の唇が動く。ニーナはそこから目が離せなくなった。

 彼女の言葉が耳にこびりつき自分の足をつかんで奈落に引き込もうとしているように感じ恐怖した。

 

「ええ立派です。ツェルニの存続のためなら他の学園都市から鉱山を奪い、滅ぼしてもいいと考えているのですから」

 

 その瞬間ニーナの中でなにかが砕かれた。

 

 なぜ気がつかなかった?

 学園都市同士の戦争は戦死者など滅多に出ない。

 ルールの決められた競技のようなものだった。

 お互いの都市を守り、お互いの本陣の落としフラッグを破壊するだけの競技。

 

 だがその結果はどうか?

 都市戦に負け続けたツェルニは滅亡の一歩手前にいる。

 今度の都市戦で勝利すればツェルニは助かる。ツェルニを守れると考えていた。

 間違ってはいない。

 しかし、その結果どこかの学園都市が滅ぶかもしれないのだ。

 今のツェルニのように所有する鉱山を減らされ、最後にはなくなり滅ぶかもしれないのだ。

 

 ツェルニが守られれば他の学園都市が滅びてもいいのか?

 私は他の学園都市を、そこに存在するだろうツェルニと同じ電子精霊を殺す覚悟があったか?

 ただツェルニを守りたいとそれだけしか考えていなかったのではないか?

 その結果どうなるのかなど、想像したことさえなかったのではないか。

 

「わかりましたか? 武芸者の誇り、武芸者の理想。それはそういうものなのです。他者から奪い、他者を踏みにじり、他者を殺して自分たちの安全を確保する。それが誇り高き理想の武芸者です」

 

 愕然と立ち尽くす。全身がけだるい。

 まるで全力で戦ったあとのような疲労感が身体を蝕む。

 そして敵はそんなニーナにゆっくりと近づいてくる。

 

「来るな!」

 

 ニーナは錯乱した。

 両手の鉄鞭を振り回して怪物の接近を阻もうとした。突きつけられた現実を振り払おうと武器を振るう。

 しかし長い金色の髪をわずかに揺らした怪物は、軽く手を振るうだけで手品のようにニーナの両手から鉄鞭をはじき飛ばした。

 

 なんだこいつは?

 

 レイフォンの実力を脅威に感じた。

 傑出した実力に嫉妬した。

 その過去の罪状に自分の部下にふさわしくない人格の持ち主と軽蔑した。

 しかし目の前の怪物はそんな彼がまるで無害に思えるほどの恐怖をニーナの魂に叩き込んだ。

 

 ニーナの今まであたりまえに存在した常識が、誇りが、自尊心が。

 怪物の毒で見る影もなく粉砕された。

 ぺちんと怪物の手のひらがニーナの両頬を叩いた。柔らかく小さな手のひらに頬を挟まれて蒼い瞳にじっと覗き込まれる。

 

「人は大事なものを守るために、それ以外を切り捨てられるのです。それはツェルニを守ろうとしている隊長なら理解出来るのではありませんか?」

 

 優しい声だった。

 目の前の少女は小さな子供に言い聞かせるように言葉を紡いだ。

 

「レイフォンは仲間のために武芸者の誇りも名誉も切り捨てた。隊長はツェルニのためにそれ以外の学園都市を切り捨てようとしている。その想いは両方ともとても尊いものです」

 

 尊い?

 他の学園都市の被害など欠片も考えなかった自分が?

 

「大事なものを守りたい。その想い。その心はとても尊くて美しいものなのです。もう一度ゆっくり考えてください。あなたがなにをすべきか、あなたはなにをしたいのか」

 

 間近で見つめると少女はまるで無垢な少女のような瞳をしていた。

 穏やかな微笑みを浮かべて、温かい手のひらからその体温がニーナの身体に流れ込んでくるようだった。

 

 身体の緊張が抜けた。

 目の前にいるのは怪物ではない。

 自分よりも大人で、武芸者としての勤めを理解している少女なのだと理解出来た。

 そして自分はなにも知らない子供であったのだと思い知らされた。

 

「よく考えてみてください。それは隊長にとってきっと重要なことのはずです」

「あ、ああ……わかった。考えることにしよう」

 

 それだけ言葉にするのが精一杯だった。

 気を抜くと涙が溢れそうになる。まるで母に叱られたような気分だ。

 キャロルは穏やかに肯いてニーナから離れる。その背中になにか声をかけなくてはならない気がした。

 

 このままでは彼女は、自分の前に二度と立ってくれない。

 意を決して声を振り絞る。

 

「キャロル!」

 

 予想外の大声に自分でも驚いているとびっくりしたように目を見開いてキャロルが振り向いた。

 

「いつでもここに来てくれ、まとまりが悪い上にこんな情けない隊長だが、それでもここがおまえの所属する小隊だ」

「はい、お世話になります」

 

 なんのわだかまりもないような温かい笑顔を残してキャロルは去って行った。

 

 

 

 一人になってニーナは床に寝転んだ。

 

「私はまだまだ未熟者だな……」

 

 一年で小隊員になり期待されているうちに少し増長していたのかもしれない。

 一人でツェルニを守れるはずがない。

 だからこそ小隊を立ち上げたのだ。

 そして優秀な人材が自分の元へ集まってくれた。

 自分がやるべき事は彼らに訓練しろと怒鳴りつけることではなく、誠心誠意頭を下げて協力を願うことだろう。

 

 それだけの人材たちなのだ。

 こんな未熟者が頭ごなしに怒鳴りつけて動くような連中ではない。

 

「まだ間に合うはずだ。私はきっとよい隊長になってみせる」

 

 あの少女に、自分のように上辺だけの武芸者の誇りを語るのではなく武芸者の影の部分も体験してきた少女に認められるように。

 

 他の学園都市を犠牲にする。

 そのことはまだ割り切れない。

 けれどそれしかツェルニを救う方法がないのなら、自分は迷わない。迷ってはいけない。

 ツェルニを死なせることだけはけして許容できないのだから。

 

「なんだ……レイフォンもこんな気持ちだったのかもしれないな」

 

 武芸者の誇りは大事だ。

 けれど仲間の孤児たちには誇りではなく金銭が必要だった。

 だから誇りを切り捨てた。

 

「武芸者の誇りとは……なにかを守るという事なのか」

 

 やはり自分は未熟者だ。

 素直に謝れば彼は許してくれるだろうか?

 そんなことを考えながらいつの間にかニーナは心地よい眠りに誘われていた。

 




原作では割とすぐに和解するニーナとレイフォン。
けれどもしあの時汚染獣襲来がなかったら?
身の危険をかえりみずに汚染獣を倒しにいったレイフォンの姿をニーナが見なければ?
二人は決裂したままだったのではないかと考えます。

そんな考えで書かれたニーナとレイフォンの仲違い編でした。
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