■1567年 7月28日午後 美濃国
郡上八幡城 遠藤家
石島軍が稚児山麓に陣を築き始めてから程なくして、郡上の遠藤軍にもその知らせが届く。
「長期戦に持ち込む気か」
知らせを受けた遠藤は焦りを抱き始めていた。
ただでさえ情勢不安定になっている郡上で、長期戦になれば次なる離反者が出かねない。ましてや美濃の情勢を考えるに、義父である長井を長期間に渡り郡上に留めておく訳にはいかないのだ。
「父上……」
経験の浅い17歳の遠藤にとって、老獪な義父は頼みの綱である。
「ふむ、乗ってやろうではないか」
長井はニヤリと笑った。
「虚実の真は変わらぬ、どれ程見せかけようともその真は変わらぬものよ」
長井は立ち上がると、部下に兵を纏めるように指示を出した。
「ひと当てしてくれようぞ、ただし儂のやり方でな」
――夕方に差し掛かろうという時間になって、長井の兵が動いた。
長井軍は郡上八幡を出て東進すると、姉小路軍を吉田川対岸に見ながら悠々と通り、その少し北側の山腹に陣を構えた。郡上八幡の遠藤軍が東進してくれば、北と西から石島軍を挟撃出来る形に布陣したのである。
「ふん、石島とやら、その首洗っておくがいい」
山腹に構えた陣から姉小路軍を見下ろす長井は、その更に奥にいるであろう石島に対して並々ならぬ執着心を見せ始めている。
長井は主だった部下を集めた。
「今宵、夜襲を仕掛ける、石島の手の者で伊藤という輩がおるらしいが、そ奴を捉えた者には褒美を出そう、励めよ!」
『応!』
長井軍はそのまま陣をしっかりと構築すると、日が落ちる頃には夕餉の仕度に入り、陣から炊事の煙を発たせ始めた。
「申し上げます、姉小路の物見(ものみ)がしきりに郡上八幡城方面へ行き来しておるようすです」
長井の部下が姉小路軍の現状について報告する。
「そうじゃそうじゃ、気にするがいい、慶隆の軍がここへ来れば袋のネズミぞ」
遠藤軍と長井軍の挟撃を警戒し始めた様子の姉小路軍に対し、長井は今夜の夜襲が成功すると確信していた。
■1567年 7月28日夕刻 美濃国
稚児山麓 石島軍本陣
俺達は今、地図とその上に置かれた凸型の将棋の駒みたいな物体を睨みつけている。長井さんの軍が夕方に布陣した地点が問題なのだ。
「絶妙な位置取りだなぁ」
沈黙を破るように、つーくんが改めて感想を述べる。もう何度もやり取りされた話なのだが、どう考えてもやはり絶妙だ。
このまま長期戦にも持ち込めるし、郡上の遠藤さんの軍と連携して俺達を挟み撃ちにも出来る。敵の布陣を見た伊藤さんは、大急ぎで頼綱さんと一緒に前線へ行ってしまった。
「ここでこうしておっても仕方ありませんな、某はこれにて持ち場に戻りまする」
別府さんが立ちあがって一礼する。
「はい、指示があるまで持ち場でお待ちください」
俺は別府さんに失礼の無いよう、立ち上がって一礼を返した。
別府さんが立ち去ると、つーくんが呟くように声を漏らした。
「長期戦になれば願ったり叶ったりなんだけどなぁ」
不安そうに地図を眺めている。
俺達はもちろん、綱義くんも綱忠くんも初陣だ。姉小路さんから貰った新兵さん達も当然、初めての戦場になる。
はっきり言って、どうしたらいいのか分からない。
「動かざる事山の如し……か」
金田さんが呟きながら席を立つ。
「夕餉の仕度を見て来ますね」
伊藤さんが戻るまで待つしかないのだが、どうも座っているだけでは気が鎮まらない。
「大原兄弟、殿のお側を離れないでね、俺は少し見回り行ってくる」
つーくんも席を立って本陣を出る。
綱義くんも綱忠くんも緊張の面持ちだ。
「ふ~、なんか緊張するよね」
俺は2人に声をかけ、2人の生い立ちなんかを聞いて時間を過ごす事にした。
――夜
俺達の夕餉が終わった頃、伊藤さんが一人で戻ってきた。全身から緊張を滾らせている感じで、それは俺達にも伝染する。
「伊藤様、夕餉は」
綱義くんが伊藤さんに白米と汁を運んで来た。
「おお、ありがとう、頂くよ」
伊藤さんはまだ何かを考えているようだったが、伊藤さんが思案している時は俺達は黙ってそれを待つ。米と汁を胃袋に掻きこむようにあっという間に完食した伊藤さんは、簡単ではあったが今後すべき事を伝えてくれた。
「十三と十五はそれぞれ、射手5騎、槍5騎を以て下山、姉小路軍北側に柵が設置してあるからそこに移動して」
「ハッ」
大原兄弟がその場を立つ。
「剛左衛門はこの下の登り口、んー、仮に【登り口】って名前にしとこう、あの急な坂に柵立てた場所ね、あの場所を新兵10騎と一緒に守って欲しい」
「……了解です!」
つーくんは頷いて、大原兄弟の後を追うように陣を出る。彼らと新兵の割り振りをしなければならないのだろう。
「村で軍役に応じてくれた15名に関しては金田君が指揮して、一応は本陣にいてほしいんだ」
伊藤さんはそう言うと「これは後でコッソリ剛左衛門に伝えてほしい」と言って俺と金田さんを手まねきする。
俺達は手を伸ばせば届く距離に移動した。
伊藤さんは小声で話し始める。
「たぶんね、今夜、夜襲をかけてくると思うんだ、もう待ち伏せの手配は出来てるから、こっちが待ち伏せしてるのバレないようにしよう」
俺と金田さんは驚いて顔を見合わせてしまった。
■ 同時刻
別府四郎陣所
夜、石島に加勢している別府四郎の陣に1人の男が訪れていた。
「叔父殿、水臭いではないか」
到着した男は別府四郎を叔父と呼び、文句を言いながらも出された酒を一口に煽った。
「未だ賽の目はどう出るかわからぬ、甥を巻き込まぬようにした叔父を責めるな、まだこれからぞ」
別府四郎はニヤリと笑うと、同じく一口に酒を飲み干す。
「このまま石島に付き従った所で利は少なかろう、やるなら我が郎党も加勢するぞ」
別府四郎を正面から見据え、睨むように言い切った甥は、その瞳の奥に底知れぬ欲望を滾らせている。
「弥平治よ、今しばらく大人しゅう若殿の側おれ、その方がいざという時に都合がよい」
そう言って杯を置くと、その杯に甥である弥平治が酒を注ぐ。
酒を注ぎながら、弥平治は面白くない思いでいる。
(美味しい所を全て掻っ攫うつもりだな……そうはいかんぞ)
弥平治はこの叔父をあまり信用していない。
正に乱世を生きる男であるこの叔父は、その変わり身の早さを以て今まで生き延びてきた。今日の自分が置かれている立場と、明日の自分が置かれている立場が真逆になったとしても、生き残れば勝ちだと思っている。そんな叔父を信頼していては、自分の身が持たない。
「弥平治よ、戦がひと決まりするまで待とうではないか」
注がれた酒を口に運びながら、四郎はまたニヤリと笑う。
「いつ決まるのだ、俺は石島の当主に会うているがな、これと言って際立つ何かを見たわけではないぞ」
この甥は、石島洋太郎の祝言に際して祝いの品を届けた鷲見弥平治その人である。
「領民からは慕われておる様子ではあったがな、その程度だ」
弥平治は自らの杯に酒を注ぎながら言葉を続けた。
「だが此度の戦差配は鮮やかすぎる、叔父殿は伊藤という者には会うたか」
別府四郎は小さく頷く。
「あれは油断ならぬ、事を起こすつもりであれば、あれは始末せねばなるまい」
「そうかよ、まぁ叔父殿のする事に邪魔立てするつもりはないさ、助けが欲しくば言うてまいられよ」
弥平治は杯を一口で空にすると立ち上がり、「馳走になった」と言い残して闇夜に消えて行った。
「危うい危うい……なんというむき出しの野心、あれが我が甥とは信じられん」
残された別府四郎は、小さく独り言を漏らしていた。
■1567年 7月29日未明 美濃国
郡上八幡城 東北東 吉田川
まだ夜が白み始める前、漆黒の闇を進む兵団がいた。
長井道利は自ら部下達の指揮を取り、吉田川を上流に向けてさかのぼると、浅瀬を探させているのだ。
「殿、この辺りが宜しいかと」
部下に頷いた長井は、自らがやって来た方向を振り返った。
長井が陣を張った山腹は既に遠くなっていて、未だに煌々と篝火が炊かれている様子は、敵の夜襲を警戒しているように見えるであろう。その山腹の陣を守る兵200を残し、長井軍は700騎をこの夜襲に投入している。
(ふむ、上出来よ)
その麓の向こう側、姉小路軍からは時折、郡上八幡城方面に向かって松明が往来している。姉小路軍の物見は徹夜で郡上八幡方面を警戒している様子であった。
(烏合の衆を相手に挟撃など不要よ)
長井はニヤリと笑うと右手を上げた。
「押渡れっ」
声の音量を抑えながらも、部下達の背中を押すような威厳を以て命を下した。
漆黒の闇夜をもろともせず、吉田川を押し渡る。
(夜明けには決着が付いているであろうよ)
元来夜襲とは、少数精鋭で相手に痛手を与え、その士気を挫くのが目的であるのだが、今回は全く違った。
今の長井は夜戦であるとか昼戦であるといった区別を付けてはいない。ただ単純に、敵を壊滅させるつもりでいる。
「殿、参りましょう」
「うむ」
軍勢の先鋒が吉田川を渡りきると、既に川の半ばまで進んでいる中軍を追うように、長井道利の本体が渡河を開始。先に渡りきった先鋒が周囲に展開し、安全を確認しながら進むと、それによって出来た空間に渡河を終えた中軍が押し込められていく。
全軍が渡り切ると、隊列を整えながら南下を開始。
吉田川東岸を南下し、石島軍の陣所に接近していた。
しかし、その南下の途中、目の前の一帯に突如として灯りが燈り始めた。その一帯は、吉田川東岸では最も狭く、西に吉田川、東に山腹が迫る狭所である。
「気づかれたか!?」
そう思った長井軍の将は、自分の心配が的外れだった事に気付く。灯された灯りは次々と広がりを見せ、狭い東岸を埋め尽くしてしまったのだ。
「気付かれたどころではない……読まれていたというのか!?」
一瞬怯んだ将の元に、長井からの伝令が訪れた。
「伝令! 押し通れとの事!」
「……応! お任せあれ!」
その将は自らの手勢が揃っているのを確認すると号令をかけた。
「者共! 押し通るぞ!」
『応!』
『応!』
長井軍の先鋒隊は、待ち伏せに動じる事なく、煌々と照らされた一帯に向けて進軍を開始した。
狭所となっているその一帯は篝火が立てられ、辺りは昼のような明るさになっていた。辺りには柵が張り巡らされ迷路のような状況になっていたが、石島軍の姿は全く見えない。
「こけおどしか、進むぞ!」
『応!』
先鋒隊に続き中軍も灯りが燈された一帯に侵入を開始すると、先鋒隊からの現状報告が長井の元に届けられた。
「何!? ……敵がおらんだと!?」
「ハッ! 妙な形状に柵が張り巡らされてはおりますが、敵の姿はなく、篝火に助けられてわが軍は悠々と進軍しております」
伝令の顔には余裕さえ見て取れた。
(布陣の不利を悟った別府四郎が我らに付いたか?)
自分達を手引きする者がいるとすれば、別府四郎しか思い浮かばない。
(石島が北側を守るために張り巡らせた柵であるのは間違いないが……)
その柵を基本とした防衛陣も、兵がいないのでは機能しない。
篝火に助けられた長井軍は、柵を避けながら悠々と進む。その一帯は、ついに長井の肉眼で確認できる距離まで迫ってきた。
「こうまで明るければ柵などただの飾りではないか……」
考えられるとすれば、防衛を担当していた別所四郎が陣を放棄して引き払った可能性である。
(ただ柵だけを設置した可能性も無くは無いが……ぬるい)
闇夜に立ち並ぶ柵であれば多少は進軍の妨害にもなろうが、篝火に照らされていて、その上は兵もいない。
「火を燈した連中は何処へ行ったのだ! 別府四郎の手の者であるならば何故、知らせを寄こさん!」
その時、闇夜を切り裂く音に長井軍の勇士たちは戦慄した。
<びゅるるるる>
<びゅるるるる>
「!? 伏せよっ! 矢じゃ!」
カツカツと硬い物が足元に刺さる音に混じり、兵の悲鳴が上がる。
「敵襲!」
「敵襲~!」
誰からともなく叫ぶが、敵の姿は見当たらない。煌々と明るい一帯に入り込んだ長井軍からは、その外の漆黒の闇夜にいる敵を目視する事が出来ないのだ。
「どこからじゃ! 矢の方角は!?」
止むことの無い矢の雨は、次々と兵をなぎ倒していく。
この状況で敵の位置を把握するには、自分達がこの明るい一帯から抜け出して目視するか、もしくは受けた矢を元に敵の弓兵が潜む方角を算出するしかない。
「ひ、東かと! 東の山腹よブッ」
先鋒隊の将に矢の方角を示した者の後頭部に、矢が深々と突き立っていた。
「おのれっ……東じゃ! 山腹に寄せよ! 討ち取れ!」
先鋒隊が東の山腹に寄せ始めた頃、次々と放たれる矢の雨を受けた長井軍の中軍は、身動きが取れずに大混乱に陥っていた。
前方には先鋒隊がいて進めず、その先鋒隊も矢の雨に晒されている。後ろには長井の本体がいて下がれず、例え下がれたとしても、長井本体に逃げ込んで矢の雨が長井に向けられても困る。中軍の将は逃げ惑う兵を見ながらもただ「伏せよ! 身を低くせよ!」としか指示を出せないでいる。
更に中軍の被害を大きくしているのは、張り巡らされた柵であった。柵が邪魔をして逃げ惑う範囲が限られてている上に、襲い掛かる矢は柵で分断された部隊に集中して注ぎ込まれているのだ。
本隊の長井は苛立っていた。
「矢は東じゃ! 東の木々の合間より放たれておるわ!」
既に中軍と先鋒は混乱状態である。
「矢を黙らせろ!」
長井は本体の300騎のうち、100騎を将に預けて山腹に向わせた。
「先鋒に伝えよ! 早う抜けて中軍を通せとな!」
「ハッ!」
長井の元から伝令が駆ける。
長井が差し向けた100騎が柵を迂回しながら山腹に迫った時。地面を裂くような音が木霊した。
≪バリバリバリバリ≫
鉄砲である。
「鉄砲か! 今の音……五十は下らんか!?」
実際、石島軍が用意出来た鉄砲は山賊達の残留品である1挺に過ぎず、姉小路軍が準備していた10挺のと合わせ、僅か11挺の一斉射撃である。
しかしその音は、漆黒の山々に激しく木霊した。伊藤の考案により、銃口付近に円錐状の部材を取付け、音が響くように改造したのだ。
闇夜に響く鉄砲の音。
その音が勝敗を決した。
「今じゃ! かかれ!」
明るい一帯の南側。闇夜に静かに伏していた姉小路頼綱は、鉄砲の音を合図に配備していた手勢300に号令をかけた。
その姉小路軍は長井の先鋒隊に襲い掛る。長井の先鋒隊は、矢の雨による混乱をどうにか切り抜け東の山腹に寄せようにも、柵に邪魔されて思うように進めず、さらに矢の餌食になる兵を増やしていた。
後方から響く鉄砲の音に怯み、己の命が危うい状況である事を思い知らされた時、今度は前方から姉小路軍が突進してきたのである。
鉄砲の音と共に矢の雨はピタリと止んだが、張り巡らされた柵の中をひたすら東に進んだ先鋒隊は、既にその陣形も隊列も皆無となっていた。
「いかん……」
先鋒隊の将は死を覚悟した。
その頃、中軍にはまだ矢が降り注いでいた。本体に被害は及んでいないものの、既に敗色濃厚となっている。
≪バリバリバリバリ≫
再び鉄砲の音が響いた。
それと同時に矢の雨が止まる。代わりに襲ってきたのは、敵兵であった。
「がっはっは! 別府四郎見参なり! 者ども! 蹴散らせ!」
混乱しきった中軍に別府四郎の兵200が躍り掛かった。
この当時の兵団は、その殆どが半農半兵の臨時兵隊である。斎藤家も言うに及ばず、その形態で組織されていた。その兵団は、一度士気が低下すると持ち直せないという特徴がある。
我先にと逃げ出し始めると、もう止める事は出来ないのだ。
精鋭部隊で組織された先鋒隊の一部と、長井道利が率いる本隊の一部を除き、その殆どが戦意を喪失。
夜が白み始める頃、長井軍は総崩れの様相となった。
■同年同日 早朝 美濃国
吉田川東岸 石島軍
「水! こっちに水! 持って来て!」
長井さんの夜襲を伊藤さんと頼綱さん、それと別府さんが見事に返り討ちにした。
だが、俺達の戦場はその後だった。
「殿! こちらへ!」
「あ、はい!」
今この瞬間の事は、たぶん一生忘れられないと思う。俺は伊藤さんの指示で、戦場となった場所を駆け回っていた。
負傷した味方の兵隊さんの手を取って勇気付けたり、今まさに息絶えようとしている味方の兵隊さんの手を取り、「よくやってくれました」と礼を述べたり。
お亡くなりになった味方の兵隊さんに手を合わせたりしている。
特に強烈だったのは、敵味方共に首から上が無いご遺体が多かった事だ。
「剛左衛門! こっち!」
金田さんの声がする方を見てみると、痛みで大暴れする兵隊さんの治療が行われていた。
(これが戦場か……正直きついな……)
繰り返し襲ってくる吐き気に耐えながら、どうにかして役目を果たそうと足を進める。
「おお、総大将殿、ご覧あれ! この四郎、まだまだ若い者には負けませんぞ! がっはっは」
「……っく」
再び襲ってくる吐き気を、奥歯を噛みしめてどうにかこらえる。別府さんの足元には、板の上に並べられた生首が4つ。全て別府さんが自ら討ち取ったのだと言う。
見ているだけでつらい生首だが、それをしっかりと確認するのも俺の役目だそうだ。
「お見事でございます」
俺は別府さんに一言返すのが精一杯だった。
この凄惨な状況でも、太陽は無性に明るく俺達を照らす。
(戦国時代ってこうゆう事? こんなの悲惨なだけじゃないか)
夏の日差しに青々と木々が揺れ、とても綺麗な水流を持つ川が太陽を乱反射してキラキラと輝いていた。
「殿、このような場所で何を!」
綱忠くんが俺に声をかけてくれるまで、俺は川岸をどう歩いてきたのか記憶が無い。気付けば柵が張り巡らされた地点の中央まで来ていた。この場所はまだ整理がついておらず、長井さんの兵隊さん達が無数に倒れている。
その時、俺の後方でガシャリと何かが動く音がした。
「石島洋太郎殿とお見受けした! お覚悟!」
その声の主は、背や腕や足と、いたる所に矢が突き立っていて血まみれだった。
「!!??」
咄嗟の事すぎて俺は身動きが取れなかった。それどころか足をからませ、地面に尻もちを付いてしまったのだ。
「殿!」
<ズスッ>
「ん……ぐぅ」
俺の横を疾風のように駆け抜けた綱忠くんが、襲い掛かって来た相手の胸部を槍で一突きにしていた。
長井軍の追撃を諦めた伊藤さんは、大原の兵隊さん達を使って戦場を巡回。綱忠くんも数名を引き連れて巡回中だったらしい。
たまたま通りかかってくれていなかったら、俺は命を落としていたかもしれない。
巡回中の彼らは、整理できるまで野盗や追剥ぎが近づかないように警戒していた。放って置けば、何処からともなく現れては、遺体だけでなく、負傷している人達からまでも金品、武具を強奪して行ってしまうそうだ。
俺は綱忠くんの率いる隊に本陣まで送り届けられると、そのまま夕方になるまで本陣で過ごした。
夕方になると戦場の整理は済んだようだが、俺の心は全く整理出来ていなかった。夕餉を出されていたが、食欲などある訳がない。
「殿」
そんな時、本陣に戻ってきた伊藤さんが1枚の報告書を提出してくれた。報告書と言っても、ただ数字が羅列されているだけの紙だ。
被害
姉小路隊 死者12名 重傷者34名 軽傷者31名
別所隊 死者4名 重傷者5名 軽傷者42名
石島隊 死者0名 重傷者0名 軽傷者6名
戦果
首級78 捕縛273名
捕縛した敵兵の大半が重傷を負っているようで、被害の全容だけを見れば圧勝に見えた。
「100名近い方が亡くなったのですか……重傷者の今後を含めたら100名を超えるかもしれませんね」
どうしても気になってしまった「死者」の数を、口にしてしまった。戦場なのだ、仕方がないと分かってはいても、どうにも心が重苦しい。
(こんなんじゃダメだよな)
俺は一応、総大将って事になっているのだ、情けない事を言っている場合ではないと思った。
ふと伊藤さんを見てみると、俺を心配そうに覗きこんでいる。
「昼の戦闘だったらもっと沢山の首級を上げていた事でしょう、暗かったので見逃された者達が大量に捕虜になっていますから」
この時代、戦場での活躍の証拠として、討ち取った相手の首を切り離して持ち帰るという恐ろしい文化が存在する。持ち帰った首の数や、その首になった人の元の身分だとか、そういった事で手柄が変わってくるそうだ。
伊藤さんは苦笑いしながら「近代まで残る文化だからね、根強いよこれは」と諦めている感じがする。そうは言っても生首、流石の伊藤さんも触れたくない様子である。
「こればっかりは慣れるしかねーな」
金田さんがため息交じりにそう言って空を見上げた。
夜が近くなると、俺達の陣に何処からともなく商人さんが幾人か訪れてきた。兵隊さん達に向けて「商売をしてもいいか」と問い合わせてきたのだ。
「はい、ある程度の代金は此方で持ちますので、お願いします」
俺はその一言だけを返した。
ある程度をどの程度にするかの匙加減(さじかげん)は、伊藤さんにお任せしてある。商人さんは伊藤さんと共に山を下って行った。商売といっても、色々ある。その色々を含めてお願いしたのだ。
出陣前から伊藤さんに言われていたが、この時代、戦勝国側は敵国で好き放題に大暴れするのが当たり前だったそうだ。
略奪、強奪、強姦、誘拐から人身売買。
命懸けで戦った末端階層の兵隊さん達にとって、それがご褒美なんだとか。けれども、俺達は今後、郡上の支配を狙っている身だ。いくら当たり前とは言え、それを認めてしまう訳にはいかない。
「殿、伊藤様より申し付けられたという村の者が参っておりますが」
綱義くんが連れてきたのは、この麓から更に奥にある集落のおばさんだった。おばさんは戦勝の祝いを述べると、酒を提供してくれた。
更に。
「伊藤様からのお達しでして、酒のお相手をさせて頂く娘を用意させて頂いております」
連れて来られたのは、3人の少女だった。
夕方、伊藤さんが綱義くんと一緒にその集落に入り、伊藤さん自らが人選した女の子達だと紹介された。
「強制連行とかじゃないですよね?」
俺の問に、1人の少女が答えた。
「えっと……お相手をすれば金子(きんす)が頂けると聞いてまいりました」
「これ! お勝! 無粋な物言いするんじゃないよっ」
おばさんは俺にニコニコと愛想笑いを振りまきながら、正直に話してくれた子を小突いていた。
「まぁまぁ、ちゃんと雇ってるんなら問題ないでしょ? ね、殿♪」
金田さんはだらしない顔で俺に同意を求めてくる。
(ちょっとでも気分を紛らわせって事か……)
兵隊さん達の陣所には、遊女屋さんも訪れている。遊女というのは、芸や踊りで楽しませるのが基本だが、当然ながらその「性」も売り物にする女性達だ。
流石に俺達が遊女を囲う訳にはいかない。伊藤さんが手配して村の子を連れて来てくれたようだ。
おばさんに連れて来られた子達は、もう既にいくらかの金品を受け取っているのだろう。なるべく綺麗におめかしをしているし、何より伊藤さんの人選である事が分かる「そこそこ可愛い子」が選ばれている。
(この時代の美的感覚で選んだらこうはならないんだろうな)
最初は緊張気味だったその少女達も、次第に慣れて楽しそうにしている。普段は口にする事がない多少贅沢な食糧に驚いている姿は、純粋で微笑ましい光景だった。
途中、伊藤さんが現れて「お? やってるね~♪ 楽しそうじゃん♪」と声をかけてくれた。
そんな伊藤さんは息抜きしなくてもいいのだろうかと思い、声をかけようとした時は既にその姿は無く、綱義くんと綱忠くんにいくつかの指示を出して何処かえ消えてしまった。
疲れていたのと、ずっと緊張していたのもあって、酔いが回るのが早かった。もちろん俺だけじゃない、金田さんもつーくんも見て分かる程に酔い始めていた。
「だっっからさ!? わかる? わかるかな~? とにかくすげーんだよ、わかるかな~?」
金田さんは少女に向って伊藤さんの凄さを説きながら、どうしようもない大人代表な感じで絡んでいた。その少女も大したもので、そんな金田さんを上手にあしらいながらも、金田さんの上機嫌をしっかりと維持し続けている。
俺の相手をしてくれていたのは、正直に話してくれたお勝ちゃんという子だった。よく日に焼けた小麦色の肌に、くりっと可愛い愛嬌のある目が印象的だ。
途中、用を足しに場を離れると、伐採された木の合間から姉小路さんや別府さんの陣が見えた。
無数の灯りが燈り、笑い声が遠く木霊している。
(伊藤さん、何処にいるんだろう)
この勝利、一番噛みしめて喜ぶべき存在の伊藤さんが、未だに1人で忙しそうに走り回っている。かといって俺達が代わりに走り回れるかと言われれば、やる事がさっぱり分からないので無理だとも思う。
(いつかちゃんと……恩返ししないとな)
俺は小さな決意を胸に刻んだ。
用を済ませた俺が戻ると、金田さんとつーくんの姿が見えない。其々のお酌をしていた女の子の姿も無かった。1人、俺のお酌をしてくれていた少女だけがポツンと取り残されている。
「あれ? 2人は帰ったのかな? お勝ちゃん1人で帰るの? 危ないから送っていこうか」
その俺の言葉を聞いた少女は、両目いっぱいに涙を浮かべた。
「やはり私のような醜女ではお気に召しませんでしたでしょうか……」
「え?」
(やっぱりそうだったのかー)
この子達の言う「お相手」とは、そっちのサービスも込だったのだろう。なんとなくそんな気はしていたのだが、伊藤さんの手配という事で油断していた。
なんせこっちは新婚である。新婚早々に陽を裏切るような事を、伊藤さんは何故手配したのだろうか。そんな疑問を抱きながら、涙目の少女を見つめた。
目が合った瞬間。
凄惨な状況を目の当たりにし、嗚咽を漏らすほどに苦しい現状をどうにか飲み込んだ俺の体は、無性にその少女を欲してしまった。
「いや、そうじゃないんだ、ごめん」
不安そうな少女を抱きしめる。
すると、俺の体から何かが抜けていくような。緊張がすっと緩んでいくような。柔らかい、温かい何かに包まれたような。
強烈な【安堵感】に襲われた。
そして、不思議と両目から熱い物が込み上げてきたのだ。
「殿さま……く、くるしいです」
少女を強く抱きしめていた俺は、何かに憑りつかれたように少女を求めた。もしかしたら、ちょっと乱暴だったかもしれない。
(つーくんも、金田さんもこうしているのだろうか)
俺は少女の身体を貪りながら、少しだけ2人の事が脳裏をよぎった。それは単に、言い訳だったのかもしれない。
吉田川で初めての戦場を経験した俺は、快楽と共に微睡の中に落ちて行った。