■1567年 8月1日未明 尾張国
小牧山城 織田家
東の空が明るくなり始めた頃、小牧山城に陣太鼓が鳴り響いた。城内は騒がしく色めき立ち、地平線が赤く染まり始める頃には城下にも多くの兵が集まっていた。
日の出と共に小牧山城の大手門が開く。
城から弾丸のように飛び出したのは馬の背には、漆黒の鎧に身を包んだ男があった。その男を追うように、少し遅れて馬上の武者達が駆ける。
最初に飛び出したその男が、このような形で飛び出すのはこれで2度目であった。
(7年前と同じか……ここで遅れては末代までの恥よ!)
「者ども! 急ぎ殿を追うのじゃ! 墨俣まで一気に駆けよ!」
柴田勝家の号令で、城下に集まった大兵団も移動を開始する。
号令をかけた勝家は、自慢の愛馬に跨ると「かけよ!」と叫びながら馬を操る。
当時の軍容において、総大将が単騎で先頭を切る様に移動するような事は、余程の事がない限りあり得ない。そのあり得ない行動を取る主を、重臣達は必死に追った。
「7年前を思い出しますな!」
丹羽長秀が馬を並べて走らせながら、柴田勝家に大声で語りかけた。
「あの時は完全に後れを取ったからな、此度はそうはいかんぞ!」
7年前、大兵団を以て尾張に進攻してきた今川義元に対し、織田家は僅かな兵力で奇襲を成功させ、見事に今川義元を打ち取った。あの時も、総大将は単騎で城を飛び出し、配下の侍達は大慌てで後を追ったのだ。
世に言う【桶狭間の戦い】である。
その時、柴田勝家は出発がだいぶ遅れた。
(此度は先んじて準備もしてきたのだ、絶対に遅れは取らん!)
現在、織田軍随一の勇将として名を馳せ始めた柴田勝家にとって、大一番となる稲葉山城攻めで後れを取るわけにはいかなかった。
――同刻 美濃国 墨俣城
その頃、墨俣城(すのまたじょう)は大騒ぎになっていた。
墨俣城というのは、城とは名ばかりの急造された砦である。
世に言う【墨俣一夜城】の伝説が残るこの城は、尾張から北上してくる織田の大兵団を、すっぽりと迎え入れる事が出来るような大きな城ではない。
当然ながら城の周囲に兵が集まる事になるわけだが、この墨俣城を預かる将は、この機会に自分の名を売り込もうとする知恵が働く。
「者どもよぉ~~く聞いてちょ! 殿は必ず先頭を切って参られる! それはしっかりとお迎えすりゃぁいいだけで特に問題はないでよ!」
この将の狙いは、後から追いついてくる大兵団にある。
「ぎょぉぉ~さんの兵が後から来るでよ! 水なり握り飯なり山ほど用意しといてちょ!」
『応!』
小さな気遣いや気配りが、人の心を掴んで離さない事をこの将はよく知っていた。
「城の米蔵は空っぽにしてちょ~よ! 全部出しちゃってちょ!!」
墨俣城は未明から炊飯に没頭した。
日が昇り、朝日が眩しく降り注ぐ時間になった。
「殿! 大殿が参られます!」
配下の知らせが届くと、その直後に漆黒の鎧を見に着けた男が険しい形相でやってきた。小牧山城を真っ先に飛び出した、織田信長である。
「猿!」
織田信長は、城を預かる将を見るなり一言だけ発した。
「ハッ!」
間髪入れずに返事をした将は、直に男の元に駆け寄ると、地に膝まづいた。その将は、猿の様な面相を持つ小柄な男で、奇妙な事に右手の親指が2本あった。
「首尾は!」
織田信長の短い問の意味を瞬時に把握して、望む答えを即座に返す。この能力に関しては、織田家中にあってこの将が最も長けている。
故に、元は名字さえも名乗れない身分であったにも関わらず、織田信長に重用され、現在では敵との最前線における城の守備を一任されるまでに出世した。
木下藤吉郎、その人である。
「ハッ! 美濃三人衆は予てからの約条通り我らに組するとの事、人質を受け入れる準備をしてほしいとの申し出が御座います!」
その言葉に、織田信長は満足そうに頷いた。
美濃三人衆が味方となれば、稲葉山城が落ちるのも時間の問題となるだろう。しかし織田信長、稲葉山城の攻略に時間をかけたくないと思っている。
最悪の場合、稲葉山城を落として美濃を平定出来ればそれでいいのだが、織田信長はどうしてもやりたい事がある。
(北勢を平らげる時間がほしい)
織田信長はこの戦に珍しく大兵団を動員している。
織田家は他家に先んじて「兵の専業化」に取り組んでいた。銭で兵として雇い、普段から織田家の兵として訓練に励む専業兵隊を抱え込んでいるのだ。
田植えや稲刈りをする時期は、思うように兵が集まらない為、他家が農繁期に入る時期が織田家にとっては絶好の機会となる。
しかし、今回は農繁期ではない時期を選び、織田信長はあえて大兵団を動員した。それには当然、専業兵だけではなく多くの領民が兵として臨時で駆り出されている。
この大兵団の意図は【広報活動】であると思われる。
この織田信長は、日本史上において圧倒的に先鋭的な思考の持ち主で、【情報】という物に価値を見出した最初の日本人ではないかと推察できる。
今回尾張から動員した兵力の総数は3万人を超えた。
織田信長がこれまで動かしてきた兵力の中で最大規模である。
「猿! 敵方は!」
この広報活動の意図は、その大兵力を以て堅城稲葉山を電光石火の如く落とし、そのまま返す刀で伊勢に雪崩れ込んで北伊勢地方の諸豪族を織田の傘下に収める所にある。
その圧倒的兵力と迅速な動きは、瞬く間に日本中に知れ渡る事になるだろう。
それにはまず、稲葉山城を迅速に落とさなければならない。
木下藤吉郎にしてみれば、その質問に答える事だけが面白くなかった。今回の稲葉山攻略に際して、木下自身の目覚ましい働きを曇らせる唯一の存在になりかねないからだ。
かといって、その報告を誤魔化せば、後々とんでもない事態になりかねない。そんな馬鹿な真似をするような男でもなかった。
「ハッ、関の長井道利は郡上に滞在中であり、敵方は連携が取れぬ状態にて、動こうにも身動きが取れぬかと」
織田の大兵団が墨俣に到着し、稲葉山の城下に雪崩れ込み、その城を包囲するのに要する時間は然程長くないだろう。その前に斎藤側が抵抗する動きが取れる状態に無い事が、この報告ではっきりとした。
「なればよい」
織田信長は一言だけ残し、続々と集結し始めている軍に戻っていった。
「石島っちゅ~んは大したもんじゃな、此度は長井を引きずり込んだ手柄が一番やもしれんぞ」
この稲葉山城の攻略は、年単位の努力を積み重ねてようやくたどり着いた今日なのだ。
(手柄を横取りされてはたまらん!)
墨俣城の築城を成功させたのも、敵の目と鼻の先にある墨俣城を何度となく防衛してきたのも、数か月に渡って美濃三人衆との交渉窓口になってきたのも、全てこの木下藤吉郎である。
「兄上、そうは言うても問題は囲んだ後じゃ、長々と抵抗されては大殿も面白くなかろう」
木下には弟がいる。異父兄弟のこの弟は、木下とは違った雰囲気の人物で、背は高く男前である。兄とは違う意味で人柄が良く、兄からも同僚からも、周囲からも信頼が厚く、勇敢で頭も切れる。たしかにこの弟が言う通り、攻略自体が手こずってしまえば、手柄を横取りされるとかされないとか、そんな小さな話では済まなくなる。
「小一郎よ、城攻めで手柄を立てる算段を整えておけ」
逆を言えば、攻略に際しても大きな手柄がありさえすれば、自身の評価はさらに上がるのだ。
木下は弟にそう命ずると、自身は城の外で大兵団を迎える事にした。木下が城門を出ると、既に墨俣城の周囲の原っぱに大勢の織田軍が集結しており、墨俣の兵が飯や水を配り始めていた。
「たぁ~~んと食ってちょ! これから大事な戦だでよ!」
木下は猿の様にあちらこちらを駆け回り、ひたすら陽気な声を上げては織田の大兵団を隈なく回り、握り飯や水を届けた。
早朝から駆け通しで墨俣まで到着した兵たちは、木下の陽気な声や配られた気遣いに感謝し、すぐにその士気を取り戻していた。
「猿め、味な真似をしよる」
信長はニヤリと笑うと、右手を高く上げた。
「町を焼き払え! 城を丸裸にせよ!」
信長の号令で長良川を押し渡った織田軍は、そのまま城下の井ノ口に雪崩れ込み、あらゆる地点に火を放って焼き討ちにした。
すでに町民商人達は逃げ出しており、僅かに残った斎藤の兵が細やかな抵抗を見せた程度であった。
「申し上げます! 柴田勝家様! 稲葉山城大手門を封鎖!」
信長の元に、柴田が敵城に到達した事が知らされる。
「囲め」
信長のその一言を承知すると、伝令は直に駆けて柴田の元に向う。
同日、8月1日の夕方には井ノ口の町はほぼ壊滅し、丸裸になった稲葉山城は織田軍に包囲されてしまった。
■1567年 8月1日 夜 美濃国
郡上八幡付近 吉田川東岸 石島陣
この日の夕方に飛騨に帰還するとされていた頼綱さんは、昼過ぎに姉小路軍の皆さんの前に現れて全快を宣言した。すっかり元気になって戻ってきた頼綱さんに、姉小路軍の人たちはとにかく嬉しそうで、大騒ぎだった。
その事はすぐに敵味方に知れ渡る事となり、一時は盛り上がっていた郡上八幡城の敵さん達が、バタバタと慌てだしたとの知らせが入る程だった。
すぐに別府さんから「好機だから八幡城を攻めよう」という内容の催促が来たのだが、伊藤さんがそれに「待った」をかけている。伊藤さん曰く、別府さんの言う【好機】の中身が見えないそうだ。
「伝令!」
本陣に再び、別府さんからの使者がやって来た。
「直ちに郡上八幡城を攻められたし!」
その使者は先程の人とは違う、少しだけ身分のありそうな人だった。
先程は「しばし待たれよ」と返事をした伊藤さんだったが、今度は全く違う反応を示した。
「相わかった! これより郡上八幡を我等の物にしようぞ!」
伊藤さんは勢いよくその使者に声を賭けると、大原兄弟に向って「仕度いたせ! 郡上八幡を攻略する!」と命を下した。
その伊藤さんの反応に、使者の人は満足そうに戻っていく。
「伊藤さん、いよいよですか?」
つーくんが刀を握りしめて伊藤さんに問いかけた。
伊藤さんはニヤリと笑う。
「こんな夜中にそれは無いっしょ、今来た別府さんの使者、俺を説得するつもりで気合満々だったじゃない? 面倒だから良い返事をしてあげただけ♪」
呑気に言い終わると、干芋を片手に晩酌を始めた。
「いいっすね、自分も一杯いただくっす!」
金田さんもお酒に手を出そうとした時、伊藤さんが意地悪そうな顔で金田さんを静止した。
「昨日いっぱい飲んだろ? その後イイ事もしたろ?」
「ん、そ、それは先輩の差し金じゃないっすか……」
2人の会話に、俺もつーくんも何も言えない。
「今日は頑張って働いてくれって事、たぶん一時間くらいしたらまた別府さんの催促が来るからさ」
言いながら酒と干芋を持って立ち上がる。
「そしたら、今日はもう遅いから明日にしようって言っといて♪」
十分理解できた。伊藤さんは別府さんを信用していないのだろう。別府さんの言う【好機】が嘘で、一発逆転を狙った敵の罠かもしれないのだ。
「はい! 伊藤さん、ゆっくり休んでください!」
少しでも許される時間があるならば、伊藤さんにはゆっくり休んでもらいたかった。
「ぉ、んじゃ殿、宜しくお願いしますね」
伊藤さんは優しい笑顔で言うと、自身の寝所に向って歩き出した。
伊藤さんが本陣を出てからしばらくすると、大原兄弟が本陣に戻ってきた。
「伊藤様より言伝(ことづて)で御座います」
綱義くんが一礼し、伊藤さんからの伝言を話してくれた。
その内容に、金田さんが「ありえるぞ……確かにありえる!」と大興奮している。
伊藤さんが俺達に伝えたのは【明け方までに遠藤さんから降伏の使者が来ると思う】という事だった。もし本当に使者が来たらどうするべきかと聞いたら、その答えも綱義くんが預かってきてくれていた。
「郡上八幡城の全兵、及び遠藤慶隆殿ご本人を含めたご家中の方々、全ての方の安全を約束の上、特に条件なく降伏を受け入れてよいとの事で御座います」
綱義くんの言葉に、俺はとても安心した。
「平和的な解決って感じで、そうなるといいですね」
金田さんもつーくんも、黙って頷いて同意してくれている。
ちょうど同じ頃、深夜にも関わらず頼綱さんの陣が多少騒がしくなった。異変に気付いた直後には、頼綱さんの使者が本陣に到着。伊藤さんの指示で別府四郎さんの陣を監視できる形に布陣を変更したとの事だった。
「伊藤先輩、やっぱり別府おじさんのこと信用してないんだなぁ」
つーくんは松明が忙しく行き来する姉小路軍を眺めながら、独り言を漏らしていた。
「よーし」
金田さんは気合を入れて立ち上がると、腰に手を当ててぐるぐると体操を始める。
「今夜は徹夜だな! 別府さんの使者の相手は全員で交代しながらやろう!」
金田さんの読みでは、別府さんからの催促は何回も来るだろうとの事で、簡単にではあるが作戦が言い渡された。
使者は絶対に本陣に入れず、外で対応する事。
毎回対応する人を変え、毎回同じ返事をする事。
先程も同じ答えだったと言われても、さっきは違う人間が対応したから知らないと言い張る事。
とにかく誤魔化しながら、政治家のように知らぬ存ぜぬを貫き通し、朝まで粘ろうという訳だ。
「言い訳は得意なので任せてください♪」
俺は自信を持って事に当たれる確信がある。
「あひゃひゃひゃ♪ 言い訳が得意って、それ微妙ですよ殿! あひゃひゃひゃ」
冗談はさておき、一応はこの軍の最高責任者である俺が、前言撤回を繰り返すの良くないという話になり、別府さんからの催促への対応については、金田さんとつーくん、それから綱義くんと綱忠くんがやる事になった。
程なくして、予想通り別府さんの使者がやって来た。
その使者さんは結構な剣幕でつーくんに食って掛かっているのが、本陣にいる俺にも聞こえてきた。使者さんは使者さんで、上司に言われた仕事を忠実にやっているだけなのだ。
なんだか可哀相に思えてきた。
そんな使者さんの努力も虚しく、金田さんが立案した【政治家になろう大作戦】は見事に的中した。
別府さんからの使者は1時間置きくらいの間隔でやって来ては、まだかまだかと催促し、姉小路軍の動きは何のつもりだと食って掛かってきたのだが、その都度【知らぬ存ぜぬ】で撃退されている。
そして、ついに夜が白み始める頃、別府さんの使者と入れ替わるようにして、遠藤さんの使者がやってきた。その使者の方は、俺達に降伏の意思を伝えると、遠藤さんからの書状を取り出し、俺に手渡してくれた。
その書状には、3つの条件が記されていた。俺は未だにこの時代の文字がよく読めない。金田さんとつーくんも同じく読み書きは苦手なのだが、伊藤さんは何故か割と慣れてきている。
そんなわけで、綱忠くんに読み上げてもらった内容は以下の通り。
一、城主、遠藤慶隆の切腹を以って、女、子、家臣、城兵、その家族の命を助けてもらいたい
一、慶隆の二人の弟に関しては、いずれ元服させ仕官の口を見つけてあげて欲しい
一、妻の香は離縁となったので、無事に北方に戻れるように手配してもらいたい
これだけであった。
伊藤さんからは、こちらが降伏に条件を付ける必要は無いと言われていたが、俺は一つだけ条件を付けた。
「慶隆殿の切腹は認めません、とは言え、お城にいる方々の命を奪うつもりもありません、当方としては無条件で降伏を受け入れる準備が出来ておりますので、何も心配なさらずに、と、慶隆殿にお伝えください」
俺は笑顔でそう告げると、使者の方は涙を流して頭を下げた。
使者の方が席を立とうとしたその時、ついに苛々が頂点に達した別府さん本人が催促に来てしまった。
「どういうつもりじゃ! どけっ! 御大将に話がある!」
静止する大原兄弟を押しのけ、別府さんが本陣に怒鳴り込んできた。
「この儂を愚弄するとはどうゆう了見か!」
顔面を赤くし、怒りが頂点に達したような別府さんに対し、俺達はかなりの警戒心を抱かざるを得ない。
この場で斬り合いに発展してもおかしくない雰囲気なのだ。
「おやおや? 別府殿、随分と興奮なされたご様子ではありませんか」
その雰囲気をぶち壊すような呑気な声で、伊藤さんが現れた。
(お、主役のお帰りだ!)
俺が主役なのかもしれないが、俺の中では伊藤さんが主役だ。
別府さんが何かを言いかけた時、伊藤さんが先に口を開いた。
「別府殿、その御使者殿がお見えにならぬのですか? 遠藤殿より降伏の使者です」
伊藤さんの言葉に、別府さんは目を丸くして驚き「んなっ!?」と声を上げて固まってしまった。
遠藤さんが降伏したのであれば、もう戦う必要なんてない。
「別府殿のご活躍にて、この戦は我等の勝利で御座います」
伊藤さんに褒められながら諭される形になった別府さんは、渋々ながら「承知した」と言い残し、自分の陣に戻って行った。
遠藤さんからの使者さんも戻ろうとすると、伊藤さんが声をかける。
「明日、この伊藤が郡上八幡城までお話しを伺いに上がりますので、ご主君にそのようにお伝えください」
「ハッ、畏まりました」
このやり取りに俺達は驚いていた。姉小路さんや織田さんの所へ交渉に行くのとはわけが違う。昨日まで殺し合いをしていた相手の城に行くのだ。
ましてや、伊藤さんは挑発の書状を送りつけた張本人である。
降伏の条件が全て纏まったと言うならともかく、まだ確認が済んでいない交渉段階だ。
「危なすぎます!!」
俺は必死に止めた。
「先輩、いくら先輩でも無茶ですよ、降伏を薦めに行く使者がその場でバッサリ斬られるなんてザラじゃないですか!」
金田さんも必死に止めている。
伊藤さん本人はそこまで心配していない様子だが、こちらとしてはそうもいかない。
(伊藤さんに万一の事があったら、俺達はどうなるんだろう)
考えただけで恐怖だった。
「だってさ? 金田君も剛左衛門も危険を顧みずに頑張ってくれたじゃない、俺だって行きますよ?」
伊藤さんの言う通りだが、それを言うなら俺が行ったって構わないはずだ。
「俺じゃダメなんですか? むしろ俺のほうが良くないですか?」
伊藤さんは考え込む素振りを見せると、金田さんとつーくんも少し思案し始めた。
俺は言葉を続ける。
「一応わかってますよ、俺は総大将っていう立場ですから、一番狙われやすいのは分かってます!」
対外的には、遠藤さんの好意を踏みにじる形で郡上に侵攻しているのは【俺】なのだ。
飛騨大原領主の【石島洋太郎】なのだ。
好感の持てる行動じゃないのは確かだけど、そうしないといけない理由がある。郡上という地を治め、財力と力を手に入れないと女の子達を守れない。
陽の事も、もっと幸せにしてあげられる気がするんだ。
「降伏を受け入れる使者を総大将自らが……か」
金田さんが呟くと、つーくんが何かを思い出したような顔で口を開いた。
「あれ? のぼうの城って、ちょっと違うけどそんなシーンありませんでしたっけ?」
「おー、あるある、状況はだいぶ違うけどね、総大将自らが降伏を薦めに行ってたわ」
金田さんが関心しながら頷く。
俺はてっきり、つーくんは歴史に疎いと思っていたのだが、間違いだったのだろうか。
「あれ? つーくん歴史詳しいんだっけ?」
「いや? たださ、のぼうの城は映画で見たんだよ、あとね、信長協奏曲も単行本持ってたし、あと暴れん坊将軍は子供の頃はよく見てたし!」
「暴れん坊将軍!? それなら俺も知ってる!」
逆に言うと、それ以外の何かについては聞いただけではサッパリ分からなかった。ちょっと話題がソレかけた時、伊藤さんが「よっし!」と声を上げて席にドッカりと座り込んだ。
「とりあえず決めて寝よう! どうするにしても朝には出発しなきゃならない」
そう言いながら地図の上に置かれた凸型の駒を動かし始める。
「明日、本陣からの指示で移動を開始、全軍で郡上八幡城から1里の距離まで接近しよう、その後で大原の手勢と、俺達全員で八幡城に乗り込もう!」
「お、先輩にしては珍しく柔軟じゃないっすか! あひゃひゃひゃ」
「おいおい、普段どんだけ堅物なのよ俺、結構柔軟に生きてるつもりなんだけど?」
金田さんと伊藤さんのやり取りが終わった頃、またタイミングよく誰かがやって来た。バタバタと騒々しく、誰かが本陣に向って走ってくる音が聞こえてきた。
「伊藤殿! 伊藤殿はこちらか!?」
勢いよく飛び込んできたのは頼綱さんだった。
「これは頼綱様、このような夜更けにどうなされたのですか」
つーくんの問に、頼綱さんはニヤリと笑った。
「御貴殿等が夜更けまで励んでおるというに、一人だけ寝てなどいられぬわ」
なにやら上機嫌の頼綱さんは、そのまま俺と伊藤さんに向いて吉報を伝えた。
「本日、織田軍がわずか1日で稲葉山城を完全に包囲したそうじゃ、斎藤家を支援する者は無く、落城は時間の問題じゃな!」
「おおお!」
金田さんが興奮して飛び上がった。
頼綱さんは更に続けた。
「それだけではないぞ、長井道利は大急ぎで関に向ったそうじゃ、郡上八幡城は手薄になっておる!」
その報告に、今度は俺達がニヤニヤしてしまった。
伊藤さんの目配せを受け、俺が頼綱さんに説明する。
「実はですね、先程、遠藤慶隆殿より降伏の使者が参りました、明日は全軍で郡上へ入ります!」
「おお!」
頼綱さんは飛び上がりそうな勢いで喜びを表現する。
「勝ちましたな! 洋太郎殿、初陣を見事勝利で飾られましたな!」
俺の手を取って自分の事のように喜んでくれた。
「義兄上様の援軍が無ければ何もできませんでした、本当に有難うございます!」
俺もしっかりとその手を握り返し、喜びを分かち合った。
■1567年 8月2日早朝 美濃国
郡上八幡城 本丸 遠藤家
石島に対して送った降伏の使者が無事に戻ると、主だった家臣は皆、本丸の館に集められた。
「信じられん、この俺が恨みを抱かぬとでも思うておるのか」
遠藤慶隆は、石島が提示した条件である【当主慶隆の切腹禁止】を理解しかねている。
「生きよと申すのであれば、これ幸い、いずれ期を見て郡上を取り返す事も出来ましょう」
白髪が混ざり始めた中年の家臣そう言うと、遠藤は露骨に嫌な顔を向ける。どうもこの遠藤という若者は、感情が殆ど顔に出るらしい。
「そのほう、真にそう思うておるのか? ならば今すぐに隠居したほうがよいぞ」
「んなっ!?」
言われた家臣からしてみれば、「こんな若造に」という思いであるだろうが、そこは年の功、どうにか感情を押し殺し、顔を下げ、飛び出しかけた暴言を飲み込んだ。
遠藤は、その反応を「反論出来ずに黙った」と受け取れてしまう楽観的な思考を持ち合わせている。
気を良くして言葉を続けた。
「稲葉山を織田上総介が包囲したという知らせが入っておる、恐らく美濃三人衆も既に織田方であろう、この郡上も近いうちに織田の支配下に入るのだ」
そこまで言うと遠藤はその家臣だけでなく、集まった家臣達を見回すように言葉を繋げた。
「郡上の主に取って代ろうだの、郡上の主を討ち果たして新たな主になろうだの、そういう類の事はな……今後は全て織田に対して弓を引く事となる、やるならば稲葉山まで落とすつもりでやらねば命が幾つあっても足りんぞ」
遠藤の言葉通りそれが【事実】ではあるが、遠藤の家臣達にはいまいち浸透しきらない【事実】である。
遠藤家の家臣団は、元は郡上で割拠していた好敵手同士である場合が多い。山岳地帯にその営みの本拠地を構えるが故、山間の小さな平地を巡って争い、先祖代々の土地を守るため争い、親の仇を討たんとして争い、その仕返しに争い。小さく狭い郡上の中で、この郡上だけが世界の全てかのように争いを続けてきた歴戦の勇士達である。
それが数年前にようやく、遠藤の父の代になって纏まりを見せ始め、地方豪族としての【遠藤氏】となって多少の力を付けてきたにすぎない。
すでに戦国大名化に成功している織田家の支配下に置かれる状況を、この家臣達に「想像しろ」と言うほうが困難であろう。
その点、この若者は多少なりとも興味や関心を持ち、戦国大名として押しも押されぬ存在となった隣国の武田家や、近年急成長を遂げている織田家の事について、自分なりに調べていたのだ。
美濃と国境を接する織田家と武田家の情報は、人々の暮らし程度の話であれば黙っていても舞い込んでくる。組織体制や統治の進め方についても、庶民が影響を受けやすい分野である為、調べようと思えばそれほど難しくなかった。
武田と織田では、その両国の統治に大きな差がある。
(織田に下るのであれば、腹を括って徹しなければならん)
遠藤はこの思いが強い。
「俺が腹を切ってだな、そのほう等が全員隠居して寺にでも入れば家族は助かるかもしれんぞ」
織田信長は時折、徹底した行動に出る。武田信玄の苛烈さとはまた違う、実に合理的な方向へ迷うことなく徹底するのだ。
遠藤はそれを知っていた。
「保身を考えての中途半端な覚悟ではな、領地は無論、命などあっという間に失うぞ。そう心得ておけ、下るなら徹底して下らねばならんだ」
(少しでも心証を良くしておかねばならん)
若い身でありながら、既に覚悟を決めている遠藤の思考は、どうやって遠藤家を残すか、という点に集中していた。そこを目指しておけば、最悪の場合でも親類縁者に危険が及ぶ事はないだろう。
「徹底するならば」
別の家臣がすっと前に出ると、両手を付いて意見を述べた。
「何故(なにゆえ)、石島に下るのです、織田に下るべきでは」
この家臣にしてみれば、自信のある意見であった。
自分達の好意を仇で返し、今この郡上の主になってしまうかもしれない敵に下るより、織田に下ったほうが郡上の安堵は得やすいはずだと言うのだ。
(戯けが……故に遠藤は滅ぶのじゃ)
遠藤は心底嘆き、悔しい思いでいる。
(伊藤とやらのような優れた家臣がおれば……)
そんな事を思っていた遠藤は、質問をしてきた家臣を無意識に睨んでしまっていた。
「石島が織田上総介に対し『褒美に郡上を寄こせ』と申せばどうなる、石島は関の父上をこの郡上に引き付ける大功を上げたのだぞ」
言いながら、自分の言葉を聞いても理解出来ないでいる家臣達に腹が立ってきた。
(阿呆どもめ……やはり、故に負ける……か)
説明が途中で嫌になったが、今後の処理次第では一縷(いちる)の望みがあると信じている。
(遠藤家の存続と多少なりの領有を認めさせなければならん)
家臣達の足並みが揃わなくては、思わぬ事態を招きかねない。
「おそらく石島は織田方の将なのだ、となれば、既に我らは織田に弓を引いた事になる」
この事実を看破出来るような優れた家臣がいれば、もっと違った結果になっていたはずである。
「石島に下る事さえ出来ればよい、石島と我等が反目さえしていなければ必ず、必ずや郡上の統治に我等を登用するであろう」
郡上全体の領主として石島が着任するか否かに関しては、遠藤には全く手の及ばない、どうにもならない話である。せめて、その下に付いたとしても、この郡上八幡で暮す家族の身の上を粗末な物にならないようにしたい。
若干17歳の遠藤が、この潔(いさぎよさ)さを持つには理由がある。
(お玉を守らねば……)
遠藤が寵愛する妾、お玉が懐妊しているのだ。遠藤にとっては初の子となる。
2人の弟は時期に元服の時期を迎える。石島がこの2人の弟を重用してくれれば、お玉も、お玉が産む子も、粗末な暮らしにはならないだろう。
この当時、占領した地に新たな領主を置く事もあるが、関係性さえ悪くなければ旧来の領主に継続して任せる事が多かった。それは統治を円滑に行い混乱を避けるためと、その土地の人間をすぐに戦力化するためである。
「石島と反目するような事になればそうはいかん、我等は尽(ことごとく)く討たれ、滅ぼされるだけじゃ」
そうならない為に、この事態を作った石島に対して降伏するという無念の選択肢に全てを託すのだ。それでもまだ17歳の遠藤にとって、石島に頭を下げるのは我慢がならない。
本来であれば、差し違えてでも殺したい相手である。
その感情を押し殺し、お玉と産まれてくる子のために、頭は下げたくないが、切腹して責任は取ろうと言うのだ。
(腹を切るなとは……この俺に頭を下げろと言う事か!?)
遠藤にとっての最優先事項は、家臣達を含めた遠藤家の人間が、石島や姉小路とこれ以上の争いを起こさない事である。
(俺が生きようと死のうと、それはどうでもよい事)
負けと決まればここから先はもう、どう負けるか、である。
本丸館に集まった家臣達には、どうにかこの想いを汲み取ってもらいたかった。これから何日かけてでも説得していくより良い手立てがない。
心配事は、ここに集まらなかった2人の人物である。
(新右衛門殿は何を考えておるのだ)
新右衛門とは、郡上八幡城より北西、郡上全体の半分を占める一帯を預かる遠藤慶隆の従兄弟で、木越城主【遠藤胤俊(えんどうたねとし)】存在である。
慶隆が父の後を継ぐ前から斉藤家より郡上北西の支配を認められており、慶隆が後を継いだ後に一度争いに発展している。安藤守就と竹中重治が稲葉山城を強奪した際、混乱に乗じて南下し、郡上八幡城を攻めて慶隆を追い出した事があるのだ。
その時は長井道利の仲裁で和睦に至り、郡上八幡城は慶隆に返還されたものの、今日に至るまで蟠(わだかま)りが消えていない。事実、この事態に再三の援軍要請にも関わらず、返事の一つさえ寄こさないのである。
そしてもう一人。先に寝返って敵方となった別府四郎の甥、鷲見弥平治の存在である。鷲見弥平治とは昨晩から連絡が取れない状況が続いていた。
既に別府四郎を通じて石島方に寝返ったのではないかと噂が流れているが、はっきりとした事がわからない。
実はこの鷲見弥平治、遠藤家一門の縁者で郡上八幡のあらゆる商家と縁が深く、財力がある。その鷲見が事を起こした場合、兵力が未知数なのだ。
(負けはよい、命も惜しうない、されど……お玉は守らねばならん!)
遠藤家の身内から新たに織田に弓を引く存在が出現する事を、遠藤は心の底から恐れていた。