ゲームチェンジャー   作:のなもちとちみ

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第26話 敗走

■1567年 8月2日昼 美濃国

   郡上八幡城付近 石島軍

 

 

 深夜の打ち合わせ通り、俺達は全軍を率いて郡上八幡城付近へ移動、そこで一旦陣を構えると、遠藤さんからの使者が戻るのを待った。

 

 

 先程、一度ここへ来た使者さんが言うには、郡上八幡城には僅かな兵と、遠藤慶隆さんに忠誠を誓う身近な家臣しか残っていない有様だという。

 

 

その状況を、伊藤さんはしきりに心配していた。

 

「城を出た家臣や兵が気になる」

 

 

 ずっとそう言っていた伊藤さんは、使者さんが戻ってくるのを待つ間に周辺の見回りを実施、その最中に農民相手に略奪行為を働いていた遠藤さんの所の脱走兵を発見。その狼藉者を捕えると、すぐに本陣に戻ってきて全員と打ち合わせをしていた。

 

 

 先程、姉小路軍の物見の報告によると、織田信長さんの稲葉山城包囲の知らせに、遠藤さんの軍は殆ど逃げてしまったそうだ。

 

 使者の方が言っていた事はどうやら本当の事らしい。

 

「なれば、二手に分かれるのが得策か」

 

 頼綱さんは難しい表情でいる。

 

 

 

 伊藤さんの懸念は、脱走兵を捕えたことで現実となった。

 

 斎藤家という美濃の大名が滅びの時を迎えようとしている。国が一つ滅びるとなると、大量の失業者が出るのは間違いない。

 

 その失業者の中には、そのまま野山に潜伏して反抗を続ける者や、山賊に成り下がる者までいるらしいのだ。そうなった場合、俺達の危惧はこの郡上八幡城付近の治安維持、そしてなにより。

 

 

「大原の治安ですよね」

 

 

 俺達がここにいるという事は、大原は確実に手薄である。

 

 村の若者で腕が立ちそうな15人を、軍役として徴集して連れて来てしまっている。今、村に山賊が襲ってこようものなら、誰も抵抗できないのだ。

 

 

(屋敷も危ない……)

 

 ましてや、この郡上における俺の評判は今の所は悪いはずだ。

 

 恨みを抱いた遠藤家の家臣さんが、城を出てこっそり大原に向うなんて事も想像できる。

 

「白鳥方面も気になりますね」

 

 金田さんの心配は、遠藤さんの従兄弟が治めている郡上北西の地だ。郡上の半分を占めるらしいその地は、今回の戦乱に全く関与していないのだ。

 

「白鳥が未だに動かぬのは、兵が集まらぬからか、織田に下る意思があるからか、それとも別の意思か」

 

 頼綱さんも心配している。

 

 今この瞬間まで、俺達は順調に行き過ぎているのだ。

 

 どこかで歪みが出てもおかしくないと思う。

 

 

 そんな心配事をしている時、遠藤さんの使者が戻ってきた。

 

 

「恐れながら、我が主の言いによれば、まずは御使者殿を立てられたしとの事、石島様の御登城に関しては今しばらくお待ち頂きたいとの事で御座います」

 

(俺は来るなって事かよ)

 

 使者さんは黙って俯いている。

 

 俺も納得がいかないが、失礼の無いように発する言葉を探していた。少し沈黙が流れた所で、伊藤さんが助けてくれる。

 

「御使者殿、一つお伺いしたい。それはご配慮であられるか、それとも他意がお有りか」

 

 鋭く冷たい声で問いかけた。

 

 使者の方はその問に、特に慌てる風でもなく「とんでもない」というような顔で答える。

 

「誠に恥ずかしながら城内定まらず、石島洋太郎様の御登城に関しては安全を保障できないという我が主の配慮で御座います、申し訳御座いませぬ」

 

 

(それが本当なら、そんな危ない所へは行けない)

 

 伊藤さんは少し思案してから、使者の方に条件を述べた。

 

「そのような場所であれば、我が殿のみならず、こちらの使者が入れぬではありませんか、されば一つ、このようにしては如何か」

 

 伊藤さんは、使者さんに地図で示しながら。

 

「我が軍は半数をここへ残し、もう半数を以って郡上八幡城に入ります、兵を入れてしまえば安全は確保されましょう」

 

 そこまで言うと、使者さんの肩に手を置いた。

 

「ご苦労とは思いますが、もう一走りお願いします、半数の兵と共に城に入るのは、この伊藤が、我が殿については降伏の条件が整い次第と致しますが、それは慶隆殿が城を出られた後でもよろしゅうござる」

 

 使者さんは伊藤さんの目をじっと見据える。

 

 

「我が主のお心がお分かりになられるのか」

 

 

 伊藤さんはニッコリと微笑みを返すと、自身の刀を鞘ごと使者さんに手渡した。

 

 

「この伊藤も死ぬ訳にはいきませぬので、安全の為に兵は帯同させて頂きます、されど、その刀は遠藤殿にお預け致します、伊藤が取りに上がるとお伝えくだされ」

 

 使者さんの目は、感動で少し潤んでいた。

 

「伊藤様のお心遣い、しかと、我が主に伝えまする!」

 

 当初、全員で行くという話になっていたが、相手がいる事なのでそうそう上手くは行かないだろう。伊藤さん1人で行くような事にならなければそれでいいと思った。伊藤さんを守る兵と、綱義くんと綱忠くんが同行すれば大丈夫だろう。

 

 

「先輩、大原はどうします?」

 

 金田さんの問に、伊藤さんはじっと綱義くんを見つめていた。

 

 

「綱義、大原の軍役に応じてくれた兵15と、自綱様から兵50騎をお借りして先に大原に戻ってくれないかな」

 

 戦の決着までこの場所にいられない事に、綱義くんはすごく悔しそうな顔をしていた。

 

「村や屋敷を守る……綱義、『任せる』という事だ、どういう意味か分かるな?」

 

 伊藤さんのその台詞に、綱義くんは力強く頷いた。

 

「命に代えてもお守り致します!」

 

 ちょっと涙目になって頷くと。

 

「……十五、伊藤様を必ずお守りせよ!」

 

 綱忠くんにそう言い残し、直に兵を纏めて大原に向けて出発した。あの涙目は、ここを離れる悔しさか、それとも大役を任された喜びか、俺には分からなかった。

 

 

 しばらくすると、遠藤さんの使者さんが戻ってきて、伊藤さんの提案を受け入れると言う。

 

 伊藤さんは、綱忠くんが率いる大原の手勢30騎と、頼綱さんからお借りした兵200騎と共に郡上八幡城に入る事になった。

 

 

 この地点から郡上八幡城までは約1里。

 

 この当時の1里はかなりアバウトで、大よそ3kmから5kmらしいのだが、歩けば1時間かからない距離なのは間違いない。

 

 

「それでは、頼綱様、宜しくお願い致します」

 

 伊藤さんは頼綱さんに深々と礼をすると、俺達に微笑んでくれた。

 

「とりあえず綱義くんが大原に行ってくれてるし、遠藤さんも降伏の意思は固いようだし、大丈夫だと思う!」

 

 伊藤さんは元気よく言い切ると、ちょっと小声で言葉を継げ足した。

 

「遠藤さん、たぶん殿に会いたくないんだよ、会ったら頭下げないといけないからね、そこは気を使ってあげて♪」

 

 

(あ~、なるほど)

 

 あの時、使者さんが感動していたのは、それを言わずとも察してくれた伊藤さんへの感謝だったのだろう。

 

 

 確かに、俺が行ってしまったら、降伏する立場の遠藤さんは俺に頭を下げないといけない。それが嫌なら逃げるなり何なりすればいいのだろうが、それをしないという事は、本気で平和的解決を望んでいる証拠だ。

 

 本当は、城の中は安全なのだろう。

 

 事実、もう大半の兵が逃げてしまっている郡上八幡城で、俺達に危害を加える人間がどれだけいるか微妙だ。その上、そこまで兵が逃げ出してしまった城に、こちらの兵を受け入れると言うのだ。

 

 

 遠藤さんの平和的解決への意思は頑なだろう。

 

 

(切腹するとか書いてあったしなぁ)

 

 そもそも切腹するつもりだった人なのだ。俺が降伏の条件として切腹を禁止したわけで、それもしっかり守ってくれている事になる。

 

 金田さんもつーくんも、その事に気付いてくれたらしい。

 

 

 金田さんは遠藤さんを知る唯一の人だ。

 

「あの坊ちゃん、結構しっかり筋通ってるな、見直したぜ」

 

 俺達は、伊藤さん達の背中が見えなくなるまで見送った。

 

 

 伊藤さんの背中が見えなくなって、俺達はただ待つだけが仕事になった。

 

 もう夕日と言っていい角度に日が傾いた頃、姉小路軍の物見が本陣に駆け込んできた。

 

 

「も、申し上げます!」

 

 

 その必死の形相に、本陣の空気が一気に張りつめる。

 

 

「郡上より南西、吉田川南岸の最勝寺に兵団を発見!」

 

 

「紋は!」

 

 即座に反応したのは頼綱さんだ。

 

 紋とは、その兵団が掲げている旗印に付いているマークの事を聞いたのだろう。そのマークは、敵味方の判別には大いに役に立つ。

 

「ひ、一先ず知らせをと! じきに次の者が詳細を知らせに参る算段で御座います!」

 

 

 要するに、そこまで確認出来てないって事である。

 

 

「承知、警戒を怠るな! 動きあらば直(ただ)ちに知らせよ!」

 

 

「ハッ!」

 

 

 頼綱さんの命令に、物見さんは本陣を飛び出していった。

 

「矢島! 物見だけでは不安じゃ、一駆けしてまいれ!」

 

 

「はっ、承知!」

 

 例のオジサン侍、矢島さんが馬に間が立って駆けていった。

 

 

「気になるな……城を出た連中が集結してるのかな?」

 つーくんが地図を眺めて最勝寺を探している。

 

 だが、これだけ簡単な地図なのに見つけられないという事は、記載が無いのであろう。

 

 金田さんが、地図のある地点に指を付けた。

 

「郡上八幡城の南西、川の南岸に寺があるって事は、南岸が広くなってるこの辺りしかねーな」

 

 

 その位置は、伊藤さん達が城に入ろうとするのを襲うには丁度いい位置取りだ。

 

 

「遠藤さんの罠ですかね?」

 

 つーくんの不安に、頼綱さんが答える。

 

 

「であるならば、洋太郎殿に来いと言うたであろう、遠藤慶隆殿はこの兵団とは無関係やもしれん」

 

 そうだ、わざわざ俺に来るなと言った遠藤さんが、そんな罠を張るわけがない。

 

 

「それじゃ、安心しても大丈夫ですかね?」

 

 俺が質問を言い終わる直前、最後は少し被る感じで金田さんが叫んだ。

 

 

「やばっ!」

 

 全員、金田さんのほうを見る。

 

「すぐに伊藤先輩を追いましょう!」

 

 金田さんの顔を少し青ざめていた。

 

 

「どうしたんですか金田さん、遠藤さんが手配した兵じゃないのなら罠ではないですよね?」

 

 俺の呑気な質問に金田さんは大きく首を振って、何故かつーくんの背中を甲冑の上からバシッっと叩くと。

 

 

「遠藤慶隆が関係ないから危ない! 狙いは伊藤さんじゃない可能性が高い!」

 

 金田さんが危険だと思っているのは、その兵団が【降伏に反対する家臣団の謀反】だった場合についてだった。

 

「城を出た家臣とその兵、木越城の遠藤胤俊、ここら辺が共謀して郡上八幡城を奪おうとしてんじゃねーのかって話し!」

 

 

(!!??)

 

 

「いかん! 陣太鼓!」

 

 頼綱さんが部下に向って叫んだ。

 

「ハッ!」

 

 直後、姉小路軍の陣太鼓が鳴り響く。

 

 

「洋太郎殿! 参ろうぞ! 伊藤殿が危ない!」

 

 俺達は急遽、伊藤さんを追って進軍を開始した。

 

 

 

 

■1567年 8月2日夕刻 美濃国

   郡上八幡城本丸 遠藤家 

 

 

 

 降伏を受け入れる使者として、あの挑発状を書いた本人である伊藤が訪れてきた事に対し、遠藤は心底驚いていた。

 

 伊藤が来ると言われた時、遠藤は「偽物がくるであろう」と予見していたのだが、目の前に座ったの男を、使者が間違いなく本物だと言い切る。

 

 

(徒(ただ)ならぬ大丈夫(だいじょうぶ)ではないか……)

 

 まずはその身長の大きさに驚かされた。

 

 伊藤が山賊【鬼熊一味】を退治したという噂はこの郡上にも伝わって来ている。話の出所は桜洞で、姉小路の家臣が言いふらしてしまったのだ。

 

 その噂の豪傑である伊藤と、今目の前にいる男が、遠藤には同一人物にしか思えなかった。伊藤の身長は176cmであり、然程大きいわけではないが、この時代の人間からすれば大男の部類に入る。

 

 そしてその大男は、腰には帯刀せずに丸腰で現れたのだ。

 

 城の中に兵を入れているとはいえ、この広間には伊藤本人と、その部下である若い男が1人だけ、恐らく遠藤と同じ年代とみられる若者がいるだけである。

 

 

(若いな……相当な手練れには見えん、あの程度の近習のみを連れて丸腰で来るとは……)

 

 

 この時点で既に、遠藤は伊藤の豪胆さに感服してしまっていた。当時の男たちは、敵味方問わず勇気ある行動を大いに賞賛する文化がある。命知らずの猛者は男性の憧れであり、女性から黄色い声援を浴びる的なのだ。

 

 

「此度は当方の我儘をお聞き入れ頂き、恐悦至極に存じます、遠藤慶隆様、この伊藤修一郎、此度のご恩は生涯忘れませぬ」

 

 丸腰で現れた上に、今度は下座から両手を付いて深々と頭を下げてきたのだ。

 

 一言二言の挨拶が実に気品に満ち、敗北の将にみじめな思いをさせぬようにと、細やかな気配りがなされている。

 

 

(負けじゃ……これは敵わなぬ、勝ちうる訳がない)

 

 遠藤は全身から血の気が引いて行く思いがした。力なくふらふらと、上段上座からずり落ちるように伊藤の目の前に進む。

 

 

「伊藤殿……当家の仕置き、ご差配を賜れれば幸い、何卒、何卒! よしなにお頼み申します!」

 

 遠藤の両目からは涙が溢れていた。ここへ来て遠藤は、ついに石島洋太郎に頭を下げる覚悟が固まってしまったのだ。

 

 

「慶隆様、お顔を、お手をお上げください」

 

 伊藤はそっと遠藤の手に触れ、床から持ち上げる。

 

「お恨みとあらばこの伊藤が、お怒りとあらばこの伊藤がお受けいたします、されど」

 

 伊藤はそのまま遠藤の両脇を抱えるように立たせると、再び上段上座に座らせ、自身は下座に戻り、言葉を続けた。

 

「されど、ご家族の安全をと申されるならば石島が、ご臣下の今後をと申されるのであれば石島が、お子や弟君の将来をと申されるのであれば石島がお引き受けいたす、安ずることは御座いません」

 

 

 その言葉を聞いた遠藤は、ついに崩れ落ちた。声を上げまいと必死になって震えている。

 

 

「綱忠、下がりなさい」

 

 伊藤は小さく、連れてきた部下に部屋から出るように促した。

 

 

「しかし……畏まりました」

 

 綱忠はいくらか不服そうな顔をしながらも、伊藤の言いつけ通りに部屋を出た。

 

「ご当家の方々も申し訳ございませんが、我が家中の兵が無礼を働かぬか監視をしておいて頂けませぬか、何か無礼があらばすぐに、先程の綱忠に申し付けて下され」

 

 この場に残っている遠藤家の家臣は、皆、慶隆の忠臣である。

 

 伊藤の言う事の本当の意味は、すぐに理解できた。伊藤が丸腰である以上、特にこの事について文句を言う程ではない。

 

 

「しからば、ごめん」

 

 僅か5名しかいなかった忠臣達が、本丸館の広間を出る。

 

 

 直後、広間からはまるで少年のような泣き声が木霊した。

 

 

 ひとしきり泣き終わる頃、広間へ1人の女性が入室した。その女性は伊藤の斜め前に小さく座ると、深々と頭を下げる。

 

 

「遠藤慶隆殿にお世話になっております、安藤守就の娘、香に御座ります」

 

 伊藤は黙って頷いただけで、特に言葉を発する事はなかった。

 

 

 香は顔を上げ、伊藤を正面から見据える。

 

「此度の戦差配、真にお見事で御座いました、この後(のち)の仕置きもどうか、わたくしからもお頼み申します」

 

 

 再び、両手を付いて深く頭を下げる。伊藤はこの状況を瞬時に理解してた。安藤の指示で離縁となっているこの2人を、優しい目で見守っている。

 

 伊藤としては、この2人の事も「どうにかしてあげたい」という想いに駆られていたが、そこまでの力は石島家には到底ない。

 

 

「伊藤殿!」

 

 まだ声の震えている遠藤が、再び上段上座から降りると、今度は伊藤の位置よりも下座までわざわざ回り込み、その場に平伏した。

 

「当家の仕置きに関しては、最早それがしの意図ではどうにもなりませぬ故、お任せ致します、されど」

 

 遠藤は泣きはらした両目をキッと見開き、伊藤を見据えた。

 

 

「この胸にある我が恨み、受けて下さると申された事が偽りでないのであれば!」

 

 遠藤は正座した状態のまま更に、ずるずると下座へ移動し、壁際まで下がると再び頭を下げ、畳に額を擦り付けた。

 

 

「お聞き入れ願いたい義があります! 我が侍女の【お玉】と申す女子(おなご)を、どうかよしなにご差配ください、我が子を身ごもっておるのです!」

 

 

「左様な事、さしたる苦では御座らん、我が主は必ずや、お玉殿を丁重に致しますぞ」

 

 伊藤は少し離れた位置から、遠藤に優しい声をかけた。

 

 遠藤は再び、肩を震わせ泣き始めた。

 

「いどうどの! ごのいがり! 受けでぐださると申すのであれば!」

 

どうにか息を整え、言葉を繋げていく。

 

「そこの香を貰ってはくださらぬか! 北方(きたかた)城に戻らば敵の元妻、新たな貰い手などありはいたしませぬ! 齢はまだ二十歳でございます!」

 

 遠藤は床から額を離す事なく、必死に懇願していた。

 

「他の女子に夢中になり、この数ヶ月は手も触れぬ有様!……家臣からは侮られ、領民からは慕われず、父の威光だけが取り柄の情けない夫を持った故、苦労ばかりをかけて……参りました……」

 

 

 再び、声に涙が混ざり始める。遠藤の方を向いている伊藤の背後から、香のすすり泣く音も聞こえて始めていた。

 

 

「伊藤殿であれば必ずや、幸せになると思うております! 正妻でなくとも構いませぬ、どうか、香をお側に置いてやってくだされ!」

 

 

 遠藤の懇願には、様々な想いが入り混じっているが、一つだけ明確な理由があった。

 

 

 実は、香と安藤守就はその関係が上手くいっていない。

 

 原因は数年前、香の母にある。香の母は安藤の側室であったが、正妻に対して嫉妬を抱き、有ろう事か毒殺した。

 

 更には正妻の子である幼い乳飲み子まで殺してしまったのだ。

 

 香の母は磔(はりつけ)に処されたが、それ以来、香は父から遠ざけられ、疎まれ、北方城で肩身の狭い人生を送ってきた。そして2年前、遠藤家に嫁ぐ形でようやく北方城から解放された。

 

 今回、北方に戻れと記された書状は、香の安全を気遣っての書状ではない。書状の最後には、北方に戻れぬときは自害せよと記されていたのである。

 

 そんな父親の元に戻った所で、幸せな結末があるとは思えなかった。恐らく、命さえ危うい。

 

 遠藤はそれを知っていたのだ。

 

 

 怒りを受け止めると言ってしまった以上、伊藤としてもこの頼みを安易に断る訳にはいかなかった。

 

 

「ふむ」

 

 少し思案しながら、自分の背中越しにいる香を見る。

 

 

 香は恭しく姿勢を整え、三つ指を付いて伊藤に平伏していた。

 

「ふ~、まったく、参りました、いいでしょう、お引き受けします!」

 

 

 その直後、ドタバタと廊下を激走する音が響き渡った。

 

 

「殿!大事!だいじ~~!」

 

 音に続いて聞こえてきた声に、遠藤が飛び跳ねるように立ち上がった。

 

 

「何事か!」

 

 遠藤の問に、息を切らせた家臣が跪(ひざまず)くのも忘れて報告を入れる。

 

 

「わ、鷲見弥平治、謀反! 最勝寺にて挙兵、その数、凡(おおよ)そ五百!」

 

「くっ、おのれ……」

 

 

 遠藤は、自分の心配事が的中した事への落胆と同時に、今しがた伊藤に懇願しておいて正解だったと実感していた。

 

 家臣の報告はこれだけではなかった。

 

「それにとどまらず、城を出た連中が続々と鷲見の元に集まろうとしている様子……更に、木越の胤俊様が挙兵、兵六百を以って南下中との知らせが入りました!」

 

 

「新右衛門……おのれ! 新右衛門!」

 

 従兄弟の不義理に怒りが沸々と沸いてきたが、既に遠藤本人に戦う力は無く、僅かな兵と共に城を枕に討死するか、もしくは城を捨てて逃げるしかない。

 

 

「伊藤様!」

 その家臣の方から、石島家臣の大原綱忠が駆けてきた。

 

「綱忠、直に城を出る準備を致せ!」

 伊藤の命令に、綱忠は顔を青くして応えた。

 

「そ、それが、既に城下の至る所で火の手が上がっております、既に鷲見弥平治の兵が乱入しているかと!」

 

 

「なんじゃと……」

 

 反応したのは遠藤であった。

 

 

「なんという事を……皆の無事を願っての事であろう……何故わからぬ」

 

 遠藤は膝から倒れるように崩れ落ちると、小さく蹲った。

 

「儂が何をしたと言うのだ……儂が、儂がいったい何をしたと言うのだ!」

 

 

 

独り言を叫ぶと、とたんに立ち上がる。

 

 

「うううううあああああああああ!!!!!」

 

 

遠藤は奇声を上げると、報告に来た家臣を引っ張り立たせた。

 

「具足を持て! 弥平治と差し違えてくれるわ!!!」

 

 

 ドタバタと広間を出ていく遠藤を、家臣が走って追っていく。

 

 その間、伊藤は綱忠に指示を出していた。既に敵兵が乱入している城下町を抜けるとなれば、それ相応の戦闘に備えなくてはならない。

 

 指示を出し終えた伊藤は、傍らにじっと立っている香を見つめ「参りますか?」と声をかけた。

 

 

「はい、足手まといであればお捨てになって頂いて結構で御座います、どうかお供をお許しください」

 

 伊藤は小さく頷く。

 

 香は「すぐに仕度をして参ります」と告げると、小走りに自室へ向かった。

 

 

 

 

 

■1567年 8月2日夜 美濃国

   郡上八幡城 石島軍

 

 

 

 闇夜は明るく照らされて、煌々と光る郡上八幡城は既に火達磨になっていた。俺は、単身でも郡上八幡城に入ろうと思っている。どこか抜け道なり、何なりがあるはずだ、とにかく行くしかない。俺が生き残ってても、伊藤さんがいなければこの先どうにもならないのだ。

 

 

 陽や、優理や、唯ちゃん瑠依ちゃん美紀さん。

 

 あの子達を守ろうと思ったら、必要なのは俺じゃなくて伊藤さんだ。

 

 

「申し上げます! 別府四郎殿の軍勢が退却中!」

 

 

「なんで!!!」

 

 俺達の軍勢は、右翼と中央を頼綱さんの兵が、左翼を別府さんの兵が担っている。

 

 

 郡上八幡城に攻撃を仕掛けている鷲見弥平治に対し、俺達は猛攻を仕掛けているが、どうにも攻めきれないらしい。

 

 その原因の一つが、別府さんの消極的な動きだった。

 

 <パパパパパパ>

 

 かなり遠い距離で銃声が響き渡っている。

 

 人の叫び声が、怒号が、馬の嘶きが、鉄砲の音が、この戦場に渦巻いていた。

 

 もう、伝令さんにも余裕がない、俺の「なんで!!!」に応える事無く、直に走り去ってしまった。

 

 

「伝令! 申し上げます! 南西より新手!」

 

 

「新手……この状況で!?」

 

 戦場を渦巻く怒号は一層激しくなり、俺を絶望に落とし込んでいく。更に悪いことに、現れた新手の敵は、別府さんが陣を引いた箇所に突っ込んで来たらしい。

 

 

 時折、この本陣に敵兵さんが飛び込んできては、俺の護衛をしてくれている頼綱さんの家臣、矢島さんに打倒されていた。

 

「石島の殿も少しは武芸の鍛錬をなされたほうがよろしい!」

 

 もう何回も聞いた台詞だ。

 

 

 ≪バリバリバリバリ≫

 

 今度はかなり近い距離で鉄砲が放たれたらしい。

 

 俺の心臓は今にも口から飛び出しそうだった。

 

 

 そんな時、頼綱さんが本陣に駆け込んできた。

 

 頼綱さんは額から血を流していたが、それ以外は特に外傷はなさそうだった。

 

 

「洋太郎殿、これは無理だ、引くぞ!」

 

(え?……え?)

 

 俺は返事を出来ずにいた。

 

 退却の命令は既に姉小路軍に行渡らせていたようで、前線に出ていたつーくんと金田さんも戻ってきた。

 

 

「ゲホッゲホッ、ダメだ、こりゃだめだ」

 

 金田さんは大いに負傷している様子で、つーくんに肩を抱えられながら歩いている。

 

 

「伊藤さんは!? どうするんですか? 諦めるんですか!?」

 

 俺のその問に、つーくんが悔しそうに呟いた。

 

「どうにもなんないんだよ……」

 

 それは分かっているつもりだ、どうにかなるなら、どうにかしてくれているだろう。分かってはいるけど、納得なんて出来るわけがない。

 

 

「で、伝令! 申し上げます! 別府四郎の軍勢が攻めかかって参りました!」

 

 

「んなっ!? おのれ別府!!」

 

「あちゃ~~~」

 

「あのおっさん……」

 

 

 皆は別府さんの裏切りを嘆いているが、俺には伊藤さんを置き去りにする事のほうが何百倍も嘆かわしい。

 

 

「行きましょう! 郡上八幡へ特攻しましょう!」

 

 俺は覚悟を腹に決め、本気で行くつもりだ。

 

 

 次の瞬間。

 

≪バリバリバリバリバリ≫

 

 かなり至近距離で鉄砲が撃たれた。

 

 

 足元や陣内の物が壊れた音がしたので、どうやらこの本陣に向けて撃ち込まれたらしい。

 

 

 俺は、右肩に鈍い痛みを感じていた。

 

 いや、右肩だけじゃない。

 

 左の太ももにも。

 

 

「あ……れ?」

 

 

 その鈍い痛みは一瞬で激痛に変わる。

 

 

「洋太郎殿!!!」

 

 

「やばい、剛左衛門、運ぶよ!」

 

 

「はい!」

 

 

 俺は立っている事が出来なくなり、そのまま崩れ落ちたが、直に皆に抱えられるようにして本陣を運び出された。

 

 

「矢島! 退却じゃ! 殿をいたせ!」

 

 頼綱さんの声が聞こえる。

 

 

 俺の視界は、星の綺麗な夜空だけを捉えている。

 

 

「応! お任せあれ!」

 

 俺を守ってくれていた矢島さんの声だ。

 

(矢島さん大丈夫かなぁ……他の皆は鉄砲当たってないかな)

 

「若! 今生の別れで御座る、立派な飛騨守護におなりなされ!」

 

「じい……済まぬ!」

 

「はっはっは、じいとはまた、久しく呼ばれておりませんでしたな! はっはっは!」

 

(矢島さんってそんな歳でもないような……)

 

 

「剛左衛門!」

 

 金田さんの声が聞こえた。

 

 

「須藤殿!!!!」

 

 

(つーくん? どうしたの?)

 

 

 

「引け! 殿(しんがり)は矢島の手勢で受けよ! 引け!」

 

 

(頼綱さん……つーくんどうしたの?)

 

 

 

「逃げるぞぉお! 引けええ!」

 

(金田さん……つーくんどうしたの?)

 

 

(なんで皆無視すんだよ……)

 

 

「思いっきり走れよぉ! この俊足金田は最後でいいからな! お前ら全力で大原まで走り抜け!」

 

 

 

「走れ走れ! 俺より後ろにいるな! この金田健二の前を走れ!」

 

 

金田さんの声はずっときこえている。

 

 

「走れ……!あきらめるな走れ! 生きてもど……――

 

 

 

 

 

――――――――――――――

――――――――――――

――――――――――

――――――――

――――――

――――

――

 

 

 

…………

 

……

 

 

 

「それじゃ、転送するね」

 

 

(駄目だよ、優理も一緒に帰らないと駄目だ、皆の覚悟が……)

 

 

……

 

…………

 

――

――――

――――――

――――――――

――――――――――

――――――――――――

 

 

 

 

 

「ダメだ!」

 

 

(痛っ!!!!???)

 

 

 夢の中で叫んだ俺は、実際に叫んでいたようで、上半身を起こしていた。自分の右肩と、左の足に激痛が走る。

 

 

(……どうしたんだろう)

 

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