ゲームチェンジャー   作:のなもちとちみ

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第28話 もう少しだけ

 赤く染まっていた空は、徐々にその色を失っていく。

 

 深い木々に囲まれている捜索隊の視界は、西の彼方へ落ちる夕日に連れ去られるが如く、徐々に暗く、狭くなる。

 

 

「優理先輩……あそこ」

 

 小声で耳打ちする瑠依の視線の先には、いくつかの松明が揺れていた。優理は静かに頷くと、綱義と目を合わせる。

 

 同じく松明を視界に捉えていた綱義は迷っていた。あれが伊藤ならば直にでも駆け寄りたい所ではあるが、松明の持ち主が敵である可能性は否定出来ない。

 

 

「もう少し、せめて人数だけは把握しましょう」

 

 綱義の提案は、松明が敵であった場合の事を考えれば至極当然の話であり、そうなった場合を考えると、背筋に走る緊張感が慎重な行動を選択させる。

 

 

「分かってる、でも確認しきゃ」

 

 優理は小声で、瑠依と綱義に語りかけた。

 

「もう少し早く気付けば良かったとか、すぐに行けば良かったとか、そうゆう後悔はしたくない!」

 

 瑠依はその言葉にしっかりと頷く。

 

 今にも飛び出して行きそうな2人を、綱義はどうにかして引き留めねばならなかった。

 

(御二人のお考えは分からなくもないが……もし敵方であれば、この山中に伊藤様が居られる可能性が高くのなるのだ)

 

 もし自分達が発見されれば、敵は手応えと同時に焦りを感じ始める事になる。山中を逃げる伊藤一行に対する追手を、強化するきっかけになりかねない。

 

「お二人とも、しばらく! ここで我等が発見されては、かえって伊藤様を追いつめてしまう事になるやもしれませぬ、慎重に参りましょう」

 

 綱義の言葉は、今の優理と瑠依にはもどかしい物であった。

 しかし、自分達も何が正解か明確にし切れてない以上、今は綱義の提案を聞くのが良いかもしれない、とも思い始めている。

 

 その葛藤の中、木々の合間に揺れる松明のうち、一つが声を発した。

 

 

「何者かっ!」

 

 凛と透き通る女性の声。

 

 

 優理達は目を細め、その暗がりを凝視した。

 

 女性の声が響いた後、特に何かが動いたり音を立てたりする気配は見受けられない。

 

 

(誰……?)

 

 伊藤を目指してきた優理は、その声に心をざわつかせていた。

 

(伊藤さん何処にいるの……)

 

 

 その時であった。

 

 

『かかれ!』

 

 

 男の声が響いた。

 

 

 暗がりから松明の方向へ、いくつかの影が蠢き、一気に距離を縮めて行くのが確認できた。その影から逃れるように、松明が4本、木々の合間をすり抜けながら斜面を登って行く。

 

 

「追え! 追うのだ!」

 

 影は確実に松明を追撃していた。

 

 

 このまま斜面を登ってくるとなれば、影に追われる松明は捜索隊の僅か数メートル先を駆け抜ける事になる。

 

 

「ええい、儘(まま)よ!」

 

 一声上げると、綱義が立ち上がった。

 

 こうなってしまっては、もう流れの儘に行動するしかない。追う側と追われる側が存在している以上、追われる側に伊藤が存在する可能性が高いのだ。

 

 

「何処の何方かかは存ぜぬが、助けるより他にあるまいて!」

 

 綱義が振り返り、捜索に参加してくれていた9名の兵を見つめる。其々が、特に臆す風もなく、ただ綱義に頷き返してくれた。

 

 

 次の瞬間。

 

 

<しゅるるる>

 

 

  <しゅしゅるるるる>

 

 

「んがっ」

 

   「ぎゃ!」

 

 

 風を切り裂いた矢は松明を追っていた影に突き立ち、影は悲鳴を上げて倒れ込むとそのまま斜面を転げ落ちて行った。

 

 

「くそっ! 下がれ! 距離を取りながら囲むのだ!」

 

 斜面を少し下った地点から声が上がり、そこには数名の影が蠢いている。

 

 

「5、6、……7、7人!」

 

 瑠依が声を上げた。

 

 自分達から最も近い位置にいる、その影の集団の人数である。

 

 周辺には広範囲に渡り、いくつかの集団があるのは間違いないのだが、今しがた目の前を通り過ぎた女性を助けるには、既に発見されてしまった影の集団を叩くのが最善である。

 

 人数を数えた瑠依の意図を瞬時に汲み取った綱義は、右手を高く上げた。

 

「者共! 参ろうぞ! 我に続け!」

 

 矢は斜面の上から射られた物であり、逃げる松明には他に味方がいる事になる。

 

(ひと当てした後に合流出来ればよいが)

 

 綱義は走りながら、次の行動に思考を移していた。

 

 綱義率いる捜索隊は一つの塊となり、追う側の影に接近。

 

 

「おのれ! まだ戦える者がおったか!」

 

 影の中の中心人物は捜索隊の接近に気付くと、すぐに部下に指示を出して迎撃態勢を整える。

 

 

「うおおおおおおお!」

 

 斜面を駆け下りた綱義は、その勢いのままに大きく跳躍し、影の先頭にいた男を一瞬で斬り伏せた。

 

「大原十三綱義(おおはらじゅうさんつなよし)! ここは通さん!」

 

 綱義は大音声で名乗りを上げると、更に1人を真一文字に斬り伏せる。その勢いに一瞬怯んだ集団と、綱義の勇姿にその士気を大いに昂ぶらせた捜索隊。

 

 

 この段階で、勝負は付いていた。

 

 

 綱義達が影に向って走り出したのと同時に、優理と瑠依は松明を片手に斜面を登る女性を目指して駆け出していた。

 

 

「すいません! 伊藤さんを探しています! ご一緒ではありませんか!?」

 

 優理は接近しながら声をかけるも、その女性はどんどん斜面を登って行ってしまう。

 

 

「待ってよ~! 無視しないでよ~!」

 

 走りながら声をかける瑠依と優理に、その女性が一度くるりと振り返った。

 

 

「伊藤様はこちらです! さ、早く!」

 

 優理と瑠依は互いに頷き合い、そのまま松明を持つ女性の背を追って行った。

 

 

 

 

■同年同刻 飛騨国

   大原村 遠藤胤俊軍

 

 

 この日、日中から3度の攻撃を試みていた遠藤胤俊の手勢は、夜になって4度目の攻撃に取り掛かろうとしている。

 

 遠藤軍の将兵にしてみれば、わざわざ大原まで足を運び、何の成果も上げずに帰るわけにはいかない。その思いが本日4度目となる攻撃を決意させるに至ったのだ。

 

 好材料は揃っている。

 

 複数の大原の農民に金を握らせて調べた所、夕刻の姉小路軍の士気は、既に戦闘集団としては致命的な程に低下している状態だと判明した。

 

 更に、日中の3度の攻撃を見事に防いで見せた大原綱義という若い将兵は、何やら少数の兵と共に山中に入って行ったと言うのである。

 

(郡上から山狩りが行われておるのじゃ、夜となっては助けようにもそうは行くまい、それもたった数人でなど到底無理な話よ)

 

 

 遠藤軍の将は、刀を硬く握りしめ、勝利を確信していた。

 

 

 しかし、いざ兵を進めて大原に入ろうとすると、眼前に布陣した姉小路軍は嘘のようにその士気を取戻し、陣容は生気に満ち溢れ、その気概は天に立ち昇るが如く沸々としている。

 

「……謀(たばか)られたのか!?」

 

 既に両軍は睨み合いに入っており、容易く下がれる状況ではない。金を握らせた大原の農民達が、揃って虚報を流してくるとは思えない。だとすれば、奇跡的に姉小路軍に士気が戻ったとい言う事か。

 

 

(いかんな、伸るか反るかの勝負となったわ)

 

 遠藤軍の将兵のこの思いは、希望的観測に過ぎない。既にその威勢は圧倒的に姉小路軍が上回っており、遠藤軍は徐々に恐怖に支配され始めている状況にあった。

 

 

 

 

 

■同年同刻 美濃国

   大原村 姉小路軍

 

 

 姉小路軍は隊列を鶴翼(かくよく)に構えると、遠藤軍の襲来を待った。

 

「隊列を整えよ! 此度も撃退してくれようぞ!」

 

 士気の低下が著しかった姉小路軍は、1人の将の登場にその士気を大いに取り戻していた。先程まで愚痴を漏らし、もう桜洞に帰りたいと思っていた面々は、打って変わって闘志を滾らせている。

 

 

「泣き言はあの世でゆっくりと語り合おうではないか!」

 

『応!』

 

   『応!』

 

 姉小路軍の面々は互いに鼓舞し合い、目の前に展開しつつある遠藤軍を睨みつけていた。

 

 その鶴翼の陣の中央、両翼の起点となる箇所に、不思議な格好をした将兵が鎮座している。その将は体の半分近くを白い布で巻かれ、4名の兵が肩で担ぐ板の上にどっかりと座っている状態であった。

 

 

(へへっ、道雪になった気分だぜ)

 

 

 担がれた板の上に座り、少し高い位置から闇夜に展開する全軍を見渡したその将兵は、大きく息を吸い込むと、力いっぱいの大声で叫んだ。

 

 

『やられたらやり返す!』

 

 

『倍返しだ! いっくぞぉぉぉぉぉぉ!』

 

 

≪応!≫

   ≪応!≫

  

 姉小路軍の雄叫びが、漆黒の闇夜に包まれた狭い大原に木霊する。

 

 

『進めやぁぁぁぁ!』

 

≪応!≫

 

 板の上の将兵が号令をかけると、姉小路軍はドっと動き出した。

 

 

 この夜もまた、月明かりが眩しい程に輝き、闇夜に敵勢を照らし出している。その様は見る側に異様な緊迫をもたらし、両軍はその緊迫を抱えたまま血で血を洗う乱戦に突入した。

 

 

「おいおい、何してんの! ほら、行って行って!」

 

 将は板の上から、担いでいる兵に進むように促した。

 

 

 言われた兵は目を丸くして驚く。

 

「え!? 金田様!? このまま行くのですか!?」

 

 

「そうだよ! とにかく前線に行け! ここが勝負所だ!」

 

 板を担ぐ兵達は互いの顔を見合わせて悩んでいる。

 当然の事ながら、板を担いでいる所を敵に狙われては、抵抗出来ない自分達は死を待つのみであるからだ。

 

(よーし、ここは雷神道雪の台詞を頂くしかねーな!)

 

 

 金田は少しだけニヤリと笑うと、大きく息を吸い込んだ。

 

「ん~~~! よし! お前らさ、命が危ないと思ったら俺を捨てて逃げろ! それで構わない、だから今すぐ前線に行け!!」

 

 

 姉小路軍の兵にしてみれば、この金田という将は正に英雄である。

 

 先日、郡上からの撤退の折り、殿(しんがり)を務めた矢島隊が突破された姉小路軍は、敵の追撃を真面に受けながらの撤退戦となった。その撤退戦の最後尾を受け持ったこの長身の将兵は、満身創痍の状況ながらも味方を鼓舞し、助け、1人で敵に向っては敵を討ち、走って追いついてくる。

 そしてまた鼓舞し、助け、1人で戻って敵を討ち、走って追いついてくるという、正に一騎当千の働きを見せた。味方の命を多く救った英雄に、「自分を捨てて逃げろ」などと言われて、「はいそうですか」と逃げる訳にはいかない。

 

 

「そこまで申されるのであれば、我等は金田様の手足となりましょうぞ」

 

 先頭を担ぐ兵の声に、周りの者も頷いた。

 

 金田は、板を担ぐ4人の兵と、その周りを守る5人の兵に囲まれながら前線に飛び出して行く。

 

(きたきたきたー! 立花道雪ぽいっ! 俺かっけ~~~!)

 

 

 この状況に、金田は抑えきれない興奮を覚えた。

 

 既に押しまくっていた姉小路軍は、とんでもない状態で前線に飛び出してきた金田に仰天した。遠藤軍も同じく仰天したのだが、問題はその仰天が産む精神的影響である。

 

 

 姉小路軍は「金田様を討たれてなるものか」と必死に守りながら戦い。

 

 遠藤軍は「金田を討つ好機!」と捉えて必死に攻める兵も少数いたが、大半の兵はそうまでして戦う金田の気迫と、それを取り巻く姉小路軍に圧倒されて戦意を消失させていった。

 

 

 遠藤軍のこの日4度目の襲撃は、満身創痍の状況で無理矢理に前線復帰を果たした金田健二郎によって大いに潰走。その戦闘は30分に満たない時間で終了し、それほど多くの死者を出す事も無く終結した。

 

 

 

■1567年 8月6日未明 飛騨国

   大原村西側 山中

 

 

「あっ、綱義くん! 無事だったんだ~! 良かった♪」

 

 綱義率いる捜索隊は、一兵の損失も出すことなく戦闘を勝利で終えると、直に松明を追って山中を進んだ。途中で見失うも、再発見して追いかけ、夜が白み始める頃、ついにこの場所までたどり着いた。

 

 

 出迎えてくれた瑠依に小さく頷くと、綱義はその視線を少し先にいる集団に向けた。

 

 

(伊藤様!?)

 

 

 その集団の中央には優理が座っており。

 

 優理に背を預けるようにして1人の男が倒れている。

 

 

(十五は何をしておったのだ!)

 

 綱義は駆け寄った。集団のいる地点まで綱義が駆け寄ると、そこには綱忠の姿もあった。

 

 

 そして、倒れている男が伊藤である事を確認した。

 

(なんという事だ……)

 

 

 伊藤の身体は既に甲冑を取り外されて軽装となっているが、目に入る範囲を見ただけでも複数の矢傷を受けているのであろう事が分かる。

 

「あ、兄上!」

 

 綱忠が無意識のうちに綱義に声をかけたが、その声に対する返事は言葉ではなく、拳であった。

 

 

<ガッ>

 

 

 <ドサッ>

 

 

綱義に殴られた綱忠は、大きくもんどりうって背中から倒れ込んだ。

 

 

「やめてっ! 今はそうゆう事やめて……!」

 

 綱義を静止したのは優理であったが、その声は既に涙で震えている。

 

 誰にぶつけたら良いのか分からない悔しさで、自分の体が震えだした綱義に、松明を持って走っていた女性が声をかけた。

 

 

「手当は済んでおります」

 

 既に止血が施され、このまま息絶えるような事にはならなそうな雰囲気であった。

 

 

 その時、倒れていた伊藤が言葉を発した。

 

 

「じゅうさん……よく……来てくれたね、ありがとう」

 

 弱弱しくも、慈愛に満ちた声音であった。

 

 

「なんのこれしき! 造作もない事でございます!」

 

 その伊藤の姿に、綱義は自然と涙が込み上げてきた。

 

 

 伊藤は弱弱しく言葉を続けた。

 

「じゅうさん、だめだぞ、しっかり、じゅうごを抱きしめてやらないと……あいつ、ほんと凄かったんだから」

 

 まだ明るくなり始めたばかりの空では、はっきりと見て取る事は出来ないが、伊藤の顔色は青白く感じられた。

 

 

「ハッ、お役に立てたのであれば」

 

 綱義はゆっくりと立ち上がり、まだ倒れ込んで動かない綱忠の元へ歩み寄った。

 

 

 綱義が来た事に気付いた綱忠は、すっと起き上がると綱義に向って平伏し、大声で喚きたてた。

 

「俺の非力さはよう分かっておる! 俺が非力であるが故に、伊藤様にあのようなお怪我を負わせておる、俺は非力だ! 兄上! 俺はどうしたらよい!? 教えてくれ! どうしたら……」

 

 その声は、完全に涙に震えており、魂を吐き出すよう叫びだった。地に置かれた両の拳は硬く握られ、地に伏せられた顔の両脇で小刻みに震えている。

 

 

「十五、うぬが守りきれぬような厳しい戦であったならば、この十三では尚更、守れなかったぞ」

 

 綱義は地にうずくまる弟の肩に手を乗せると、その両目から涙を流していた。

 

「ようやった! ようやったぞ! それにな、よくぞ、よくぞ生きて戻った! 十五、ようやった!」

 

 

「兄上……あにうえぇ」

 

 

 兄に縋り付いて子供の様に泣きじゃくる綱忠の姿は、その歳に相応とでも表現すべきであろうか。ここ数日、ずっと背伸びをし続け、歴戦の勇士達からも一目置かれる存在としての振舞いを続けて来た。

 

 

 そして今、生死をかけた緊張の糸が緩んだのであろう。

 

 

「まったくぅ~、まだピンチ継続中ですよ?」

 

 瑠依の言葉を理解できた人間は伊藤と優理だけであったが、そのおどけた雰囲気と瑠依独特の口調は、その場にいた全員の気持ちを温かい物に変換していく。

 

 綱義は涙を拭くと、松明を持って逃げていた女性に向き合った。その女性と、その後ろに待機している3名の女性は、皆同様に襷(たすき)を掛け動きやすいよう身なりを整えており、女だてらに脚絆を履いては、その手に薙刀が握られている。

 

 

「事の子細を伺いたいが、追手の事を考えれば直に大原へ戻らねばならぬ、今しばらく共に参れたし」

 

 そんな格好をしているのであるから、それなりの心得はあるのだろうと考えた綱義は、伊藤の護衛を継続して頼むことにした。

 

 先程、松明で敵を引き付け、その隙に綱忠が弓を射ったのかもしれない。

 

 

(この女達は囮をこなすのか)

 

 綱義にしてみれば、伊藤を搬送するのに敵の目を引き付けてくれる存在があれば嬉しい、という程度ではある。綱義に声をかけられた女性は優しく微笑んだが、その女性の後ろにいる別の女が露骨に嫌な顔を見せると、一歩前に出ようとした。

 

 

「静、おやめなさい」

 

 それを制した女性は、美しい口元から涼やかな声で言葉を発した。

 

「当然で御座います、わたくし共は伊藤様に助けられてここまで参りました」

 

 そう言って優理が抱きかかえる伊藤の横にしゃがみこむと、その手にそっと触れた。

 

「わたくしの命、伊藤様の物で御座います」

 

 短く言い終わると立ち上がり、今度は自身の後ろに待機していた3名の女性に目線を移した。

 

「この者達はわたくしが幼少の頃より付き従ってくれている者、わたくし同様、その身を以ってでも伊藤様に尽くす事を厭わぬ者達で御座います」

 

 

(やはり、喜んで囮になるという事か、それは助かる)

 

 どうしようもなく敵に接近された場合、やむを得ずではあるが女を囮にする事が出来るというのは武器になる。

 

 敵が女に群がってくれていれば時間が稼げるのだ。とは言え、優理や瑠依を囮にする訳にはいかないので、この4名の囮は綱義にとって頼みの綱となりえる。

 

 

「有難い、名を聞こう」

 

 綱義のその言葉に、静と呼ばれた女が収まりきらぬ様子で怒気を爆発させた。

 

 

「無礼者! 控えろ!」

 

  「静! おやめなさい!」

 

 静の怒気に一瞬怯んだ綱義は、目を丸くして驚いていた。

 

 

 静を3歩下がらせた女性は「申し訳御座りませぬ」と軽く一礼すると、優しい目で綱義にその名を告げた。

 

 

「わたくしは香(こう)と申します、出自は美濃北方、父は安藤守就で御座います」

 

 

「んなっ!???」

 

 綱義は、丸くしていた目を更に見開いて驚いた。

 

 

「昨日までは遠藤慶隆の妻、離縁となり行く宛の無い所を伊藤様に拾うて頂き、足手まといにも関わらず郡上八幡からの落ち延びをお供させて頂いております、それ故に今は伊藤様の侍女と言ったところでしょうか」

 

 香は笑顔で締めくくる。

 

 

(こ、これは無理じゃ……囮になど出来るものか)

 

 

「香様、御無礼をお許しください!」

 

 綱義は香に深々と頭を下げると、【女を囮にする】という作戦をその思考回路から消去した。

 

 

「わたくしの我儘で、好んでこの場におるのです、頭を下げねばならぬのはわたくし共の方なのですよ」

 

 2人はこの会話を終えると、直に大原に向けた下山についての会話を始めた。少し高台に出る場所まで瑠依が駆け、大原までの距離と方角を測定する。短い休息ではあったが、捜索隊の面々もいくらか力を取り戻していた。

 

 

「直に発ちましょう、夜が明ける前に敵との距離を離しておきたい」

 

 綱義の提案に、香はゆっくりと頷いた。

 

「お任せ致します、わたくし共はただ、伊藤様をお守りするだけで御座ます」

 

 

「綱義くん測れたよっ! もう行く!?」

 

 高台から駆けおりて来た瑠依の右手にある道具は、既に大原を指し示す光の糸を照らし出していた。

 

 

 空は既に白くなり、東の空から朝日が昇るのを今か今かと待ち構えているような時間になっている。

 

 

「瑠依殿、その光の糸は明るくなっても見えるのですか!?」

 

 

「ん~、ちょっと見づらいけどね、日照中モードに切り替えれば結構ちゃんと見えるよ♪」

 

 瑠依は、その道具に興味深々な捜索隊の面々に囲まれながら、その道具の実用性について確信を示した。

 

 

「では、昨夜同様、瑠依殿に先頭をお任せ致しても?」

 

 

「おっけ~♪ まっかせなさいっ♪」

 

 2人のやり取りを不思議そうに眺めていた綱忠は、その会話が終わるのを待ってから兄に一つの提案を持ちかけた。

 

 

「敵も動き出すでしょう、所々にカマリを置きつつ下山致します」

 

 カマリとは、撤退戦時にその場に残り、敵が追ってきた場合にその場で少々戦い、時間を稼いでから逃げる役割の事を指す。殿(しんがり)と比べると意味合いはやや軽く、役割としての責任は殿ほど重い物ではない。

 

 

 1600年、関ヶ原にて島津軍が見せた「捨て奸(がまり)」とは、この戦法を更に苛烈に、残った部隊は全滅するまで踏みとどまるという、正に捨石にする作戦である。

 

 

 一般に言われるカマリには、そこまで強い意味はない。

 

 

 姉小路から貰い受けた新兵30騎は、綱忠と共にここまで12回のカマリを実行し、何度も敵を追い散らしながらも徐々に力尽き、その数を11名に減らしていた。

 

 

「綱忠、すまぬな、今少し頼むぞ!」

 

 

「応!」

 

 

 兄である綱義は、腕に覚えがあるものの、どうも年下のこの弟には及ばないと思っている。弟である綱忠にその自覚は無く、兄のほうが数段上だと思い込んでいるのだが、それは綱義が上手くそう思わせているに過ぎない。

 

 

(伊藤様の共をおぬしがやってくれて助かった、俺であればもうとっくに死んでいるだろうな)

 

 

 綱義は伊藤を搬送するための人員を捜索隊に割り当てると、伊藤の元に駆け寄った。

 

 

「伊藤様、参ります、香様、伊藤様のお側を宜しくお頼み申し上げます」

 

 

 香は小さく、無言で頷いた。

 

 

 その2人に目配せされるように、伊藤を抱えた優理が声をかける。

 

「伊藤さん、出発だって! もう少しだから頑張ろうね!」

 

 伊藤を上から覗き込むように声をかけた優理は、伊藤の手を握って起きるように促す。

 

 

 伊藤を乗せるための板が運ばれて来た。

 

「伊藤さん、これに乗ろう」

 

 優理は優しく伊藤の身体を起き上がらせようとした。

 

 

 その時、伊藤が口を開くと辛そうな声で言葉を発した。

 

 

「十三……香ちゃん、優理……悪いんだけど……さ、ちょっと我儘、言って……いいか、な……

 

 香と綱義は顔を見合わせるようにしながら、伊藤の言葉が続くのを待った。

 

 

「何? どこか痛い?」

 

 優理は心配そうに伊藤の顔を覗き込む。

 

 

「痛いかって、聞かれたら、さ、そりゃあ…ちこち痛い、んだけどね、違くて……」

 

 朝日が昇り始めた。木々の合間から差し込む朝日が伊藤と優理を温かく包んだ。

 

「あのね、ほんと、申し訳……いんだけど」

 

 伊藤は朝日の温かさを体に浴びながら、その目を閉じる。自身の左手に添えられていた優理の手を、伊藤の手が優しく包んだ。

 

「ごめん……ちょっとでいいん、だ、ちょっとだけ」

 

 伊藤は目を開く事なく、閉じられた両目から一筋の涙を流した。

 

「もう少しだけ……このままで、いさせてくれない……かな」

 

 

 程なくして、その伊藤の頬に優理の涙が零れ落ちる。

 

「……バカッ」

 

 

 優理は伊藤を抱え込むように下を向き、そのまま肩を震わせて泣き始めた。

 

 

 

「イテテ、馬鹿は、優理だ……ろ? 泣き過ぎだってば」

 

 

 

 

「……うるさい……バカッ……」

 

 

 

 

 香と綱義は互いに頷き合うと、直にその場を離れた。綱義は直にでも下山を開始したい思いだが、伊藤があの状態では無理矢理にと言う訳にもいかない。

 

 今出来る事をやる、それが最善であると思った。

 

「綱忠率いる大原の隊、伊藤様の搬送に関わらない捜索隊の者は直に発て!大原隊は下山途中でカマリを置くのだ!捜索隊は瑠依殿をお守りしろ!」

 

 

「応!」

 

 

「応! 兄上、先に参ります!」

 

 大原兄弟は互いにしっかりと頷き合った。

 

「応! 頼むぞ!」

 

 

 瑠依もその顔に緊張の色を見せながら、しっかりとした足取りで歩き始める。

 

「んじゃ! 先に行ってルートを確保してくるねっ!」

 

 その場には、綱義、香、3名の侍女、伊藤を搬送する為の4名の捜索隊。そして、伊藤と優理だけが残った。

 

 

 綱義は、斜面を下って行く瑠依の小さな体に、辛くとも耐え抜こうとする頑強な意思を感じている。

 

(瑠依殿は大したお人だ、強い、負けてはおれんな)

 

 

 香は3名の侍女を集めていた。

 

「よいな、無理は致すな、直に戻るのだ」

 

『ハッ!』

 

 香の指示で、香の侍女3名が周囲に展開、敵の接近をいち早く察知する為の物見とした。

 

 

 ひと時、伊藤が安らぐ時間を少しだけでも作れればいい。

 

 後は全力で山を下りるのだ。

 

 

 

「ねぇ、伊藤さん」

 

 

 優理は静かに声をかける。

 

 

「私ね、伊藤さんの事、大好きダヨ」

 

 

 伊藤は特に反応を示さなかった。

 

 

「って、知ってるか、もうバレバレだよね、ゴメン♪」

 

 

 木々から差し込む朝日は、優しく温かく2人を包み込んでいる。

 

 

「ねぇ、伊藤さん、聞いてる?」

 

 

 

 心地よい風が、木々の間を吹き抜けて行く。

 

 

 

 

「伊藤……さん? ねぇ、聞いてる……?」

 

 

 

 

 優理の言葉だけが。

 虚しく風に流されて行った。

 

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