ゲームチェンジャー   作:のなもちとちみ

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最終話 決着と始り

■1567年 8月15日 美濃国

   稲葉山城 織田軍

 

 

 

 この日、ついに美濃斉藤家が滅亡する。

 

 木下藤吉郎の手勢が稲葉山城の西側、百曲口という険しい斜面を一気に駆け上がると電撃的な奇襲攻撃を仕掛けた。その対応に追われた斉藤軍の乱れを付く形で、柴田勝家が大手門に攻撃を仕掛けこれを突破。

 

 如何に頑強な堅城と言えど、一旦城内に侵入されてはそうそう撃退しきれる物ではない。当主斉藤龍興は、僅かな近習を伴って脱出し逃亡、ここに斉藤家は滅亡を迎えたのである。

 

 

 主を失った稲葉山城内は地獄と見まがう状況となった。

 

 

 斎藤の敗残兵は城内に取り残された侍女達を襲い始め、金品財宝や女を掻っ攫って城から抜け出そうと躍起になった。

 

 その無法地帯に雪崩れ込んだ織田軍は、斉藤の敗残兵をなぎ倒しながら、欲望の赴くままに女を犯し、金品を奪った。

 

 

 織田軍による包囲開始から僅か14日。

 

 難攻不落の堅城も、それを守る【人】が整っていなければ役に立たない物であると、世間に証明するような戦となった。

 

 

 

 夕刻、手に入れた稲葉山城に入った信長は、凄惨を極める敵将の処断についての取決めをある程度をこなすと、残りを柴田勝家に任せて席を立った。

 

 信長の目は、既に北勢に向いている。

 

 夕日を浴びる稲葉山の頂上付近に立ち、遥か南西の地を見つめていた。

 

 

(早う伊勢を手にせねばならぬ)

 

 

 信長の構想では、美濃攻略よりも前に済ませておくべき事柄であった。

 

 豊富な人、利便性の高い港、平氏発祥の地という思い入れ、それらはどれも信長には魅力的な物ばかりである。

 

 

(京か……義輝公よ)

 

 義輝というのは、2年前に京都で殺害された室町幕府の将軍、足利義輝を指す。信長は一度、僅かな供回りを連れて上洛し、当時将軍であった義輝に謁見した事があるのだ。

 

 西の空に沈もうとする夕日は、信長の目には京都に沈み込むようにさえ見えた。

 

 

「思うておったよりも遠い、なかなかに行けぬわ」

 

 信長は吐き捨てるように小さく独り言を漏らすと、その手にあった2通の書状を強く握りしめた。

 

 

(残るは伊勢だけよ)

 

 

 少し離れた位置で待機していた近習に声をかける。

 

「行くぞ」

 

 

「ハッ」

 

 

 この時、近習は信長の発した「行くぞ」の意味を察しきれていなかった。

 

 それは、本陣に戻ると言う意味ではなく。このまま伊勢へ入り、北伊勢地方を平らげに行くとの意味であった。

 

 

 信長が本陣に戻ると、既に敵将の処断は粗方済んでいた。

 

 

 凄惨な血の海に首の無い遺体が山積みとなっているのだが、それを信長が目にする事は無い。

 

 

 本陣に入ると、上座に回込んで腰を下ろす。それを合図とするように、一度は立ち上がり一礼をした家臣達も腰を下ろした。

 

 

「猿、でかした」

 

 

「ハッ!」

 

 

 真っ先に褒められたのは木下藤吉郎であった。

 

(積年の努力が実ったわい、勲功第一は俺だな、やったぞ!)

 

 木下は飛び上がって喜びたい感情を必死で堪えた。

 

 

「権六、大義」

 

 

「ハハッ!」

 

 次に声をかけられたのは柴田勝家であった。

 

(遅れを取らなかっただけ良しとするか)

 

 7年前の遅参を未だに気にしていた勝家は、これでその後悔も拭える気がしている。

 

 

 次に褒められるのは誰か、家臣達が期待を胸に待っていると、信長は唐突に机を強く叩いた。

 

 

≪ドンッ≫

 

 机を叩いたその手には、2通の書状が握られている。家臣達は静かに息を飲み、信長が口を開くのを待った。

 

 

「北勢へ」

 

 信長の両目から鋭い眼光が発せられた。

 

 

 信長が手にしている2通の書状、一方は郡上を攻略した稲葉良通からの物、もう一方は甲斐の武田信玄からの書状である。

 

 

 織田信長は桶狭間で今川義元を討つ前から、武田信玄への貢物を欠かさず、常に低姿勢でその機嫌を取ってきた。

 

 3年ほど前には、自分の姪を養女とし、武田信玄の4男に嫁がせる事で友好関係の基盤とする程であったが、それはいわば人質として差し出した事になる。

 

 その人質とした姪は目出度く男児を出産したものの、産後の肥立ちが悪く他界してしまった為、信長は次なる友好関係の基盤を模索し続けていた。

 

 最初に機嫌を取り始めてから実に10年近く。そのひたすらの低姿勢は、ついに一つの結果をもたらした。

 

 武田信玄の実の娘【松姫】を、信長の長男【奇妙丸】の正室として迎え入れる交渉を成立させたのだ。まだ幼少である2人の婚儀は、2人がもう少し大人になってからという条件と、松姫と交換で信長の実子を人質に差し出すという条件は付いたものの。

 

 人質を指し出す立場であるにも関わらず、積み重ね続けた信用が、逆に娘を貰い受けるという離れ業をやってのけるに至ったのだ。

 

 そして、この場にあるその書状が、ついに実を結んだ証である。書状を見せられた家臣達は、揃って仰天した。まさか、武田信玄が実の娘を寄こすような話になるとは思ってもみなかったのである。

 

 これには、流石の丹羽長秀も驚愕の想いであった。

 

「殿の思慮遠謀には……ただただ頭が下がるばかりで御座います」

 

 

 織田家の領国である尾張と、武田家の領国である甲斐・信濃は国境を接していない。しかし美濃を攻略した事で信濃と国境を接する事になり、信長が長い年月と財力と投じてきた対武田外交が大きな防波堤となって織田を守る事になった。

 

 

「一益、先駆けよ」

 

 

「ハッ!」

 

 

 稲葉山城を落としたばかりだと言うのに、織田軍は北伊勢へ向けての進軍を開始しようとしている。兵が、馬が、将が、慌ただしく動き回る中、信長は丹羽長秀を呼び付けると一通の書状を手渡した。

 

 

 それは先程、武田信玄からの書状と合わせて握られていた、稲葉良通からの書状である。

 

 

 書状には、遠藤胤俊が敗走の上、郡上北西木越城にて切腹した事、稲葉の軍勢が郡上全体を抑える事に成功した事が実にしっかりと要点を纏めて記されている。

 

 更に、信長や丹羽長秀の心中を察してか、大原の事についても記されていた。

 

 

 石島軍は郡上よりの敗走の後、大原に戻って軍を立て直すと、大原に寄せた遠藤軍を打ち破っては、逆に郡上まで再度進軍して来たと記されており。

 

 その見事な采配を振るったのが金田健二郎という名の将であると明記されていた。

 

 

(金田健二郎め、やりおる)

 

 丹羽長秀は、小さくニヤケ顔を浮かべる。

 

 

 更に書状には、数枚に渡って石島軍の詳細が記されていた。

 

 郡上では、敗走中の姉小路軍を纏めて山麓に伏せ、稲葉良通の郡上侵攻軍と歩調を合わせるように動いては、敵方の鷲見弥平治という賊を討ち取った将がいると記されており。

 

 その石島の将を「剛勇並ぶもの無し」と称賛すると共に、名を須藤剛左衛門と記してあった。

 

 

 炎上した郡上八幡城から遠藤慶隆を救いだし、囲む敵中のど真ん中を突破して城を出た石島の将の事も記載されていた。

 

 その将は遠藤慶隆に姉小路軍の護衛を付けると、南下させて郡上を脱出させ、自身は囮となるように僅かな手勢を連れて山間部を通り、途中で何度と無く激戦を繰り広げながらも大原に帰還したと記されており。

 

 その将こそが、此度の石島の全てを差配した人物であり、名を伊藤修一郎と言うが、明日をも知れぬ容態であると記されていた。伊藤修一郎は今後必ず役に立つので、今直ぐにでも名医に見させるべきであり、飛騨のような田舎で死なせるべきではないと、稲葉の個人的意見で書状は締めくくられている。

 

 

(伊藤修一郎か……殿はどうお考えなのか)

 

 その件について丹羽長秀が伺いを立てようとすると、先に信長の方が口を開いた。

 

 

「よい」

 

 それだけを言うと、丹羽長秀の手から奪うように書状を取り上げた。

 

 

「ハッ」

 

(既に手を打たれたのか、いやはや分からぬものよ)

 

 丹羽長秀は、主人の石島に対する思い入れを理解できずにいた。

 

 

 

 

 

■1567年 8月15日夜 飛騨国

   大原村 石島屋敷

 

 

 

「何故ですか! 同行させて下さい!」

 

 優理が涙目になって懇願した。俺達は今、重苦しい雰囲気の中で一つの交渉に挑んでいる。

 

 

「女! 何度無理だと申せば良いのだ! これ以上申すのであれば斬り捨てるぞ!」

 

 こちらがあまりにも食い下がるもので、ついに前田さんがブチ切れた。

 

 

 一同が急に殺気立つ。

 

 この場には、俺と金田さん、そして優理と美紀さんがいる。

 

 交渉相手は織田信長さんの家来で、前田利家さんというお侍さん。いかにも強そうな雰囲気の人だ。

 

 前田さんは当然1人ではなく、そのご家来衆が数名同行している。その前田さんの怒気に晒された優理は、ついに泣き崩れてしまった。

 

 金田さんはずっと目を閉じたままで無言を貫いている。

 

(金田さんも援護してくれればいいのに!)

 

 泣き崩れた優理に変わって、俺が前田さんに言葉をかけた。

 

 

「伊藤さんは当家にとって最も大切な重臣です、1人の同行も許されないようでは納得が行きません!」

 

 立場上、俺は石島の当主であるわけなので、前田さんも「斬り捨てる」などとは言えないだろう。

 

 

 前田さんは困り果てた表情で、何やら腹を括った様子だ。

 

「なれば、この前田利家、この場にて腹を切らせて頂くより他にない!」

 

 前田さんのご家来衆がざわつく。

 

 

(困ったなぁ)

 

 

 前田さんは織田信長さんの使者としてこの屋敷を訪れると、同盟国である武田さんの領国にいる名医【永田徳本(ながたとくほん)】さんの所へ伊藤さんを連れて行くと言い出した。

 

 しかも、その旅路に同行は認められず、織田家から世話役を出すので伊藤さんだけを指し出せと言うのだ。

 

 

 優理の肩を抱く美紀さんが、前田さんに言葉をかけた。

 

「前田様、せめて同行できない理由を教えては頂けぬのですか?」

 

 これも、もう何度も聞いている事だが、明確な答えは聞けていない。

 

 

 前田さんは心底嫌そうな顔で答えた。

 

「まっこと頑固よの、俺も命懸けなのだ、わかってくれ」

 

 そう言いながらも、流石に疲れ切った様子で、ついに同行出来ない理由を少し話してくれた。

 

「この俺もよう知らんのだが、どうも殿が武田信玄殿に医師の診察を受けさせたいと頼んだ様なのだ。だがな、武田の領国に入る以上、妙に疑われるような事があってはならん、絶対にならんのだ!」

 

 

 その言葉を聞いた金田さんが、突然床に両手を付くと、前田さんに深々と頭を下げた。

 

「前田様、お時間を取らせて申し訳ありませんでした」

 

 下げた頭を戻し、前田さんをしっかりと見据えて言葉を続ける。

 

 

「伊藤殿の体力も限りがございます故、急がねばならぬのは当方も十分承知しております。上総介様のご厚意、謹んで受け取らせて頂きますので、どうか伊藤殿を宜しくお願い致します」

 

 

「金田さん!? なんで……?」

 

 涙声の優理が問いかけるが、金田さんは見向きもせず、俺に向って【何も言うな】とでも言いたそうな顔で、無言の圧力をかけている。

 

(なんでだよ……同行くらいいいじゃないか)

 

 

「石島殿、宜しいですな、これは織田家当主、織田信長様からの命令なのです」

 

 前田さんは言いながら立ち上がると、ご家来衆に伊藤さんを運び出す様に指示を出し、こちらに向って言葉を続けた。

 

 

「お伺いを立てに来たわけでも、お願いに上がったわけでもない、命令を伝えに来たのだ、勘違いをされては困る」

 

 

 ちょっと冷たい言い方で俺を突き放すと、懐から一枚の紙を取り出した。

 

「織田上総介からの命である、心して聞け!」

 

 紙を両手に持って広げ、そのまま俺達の上座に移動した。

 

 

「ハッ」

 

 金田さんは両手を付いて軽く頭を下げながら、前田さんの言葉を待っている。

 

 当然、俺にもそうしろと目で訴えてきた。

 

 

(納得が行かない事が多すぎる……くそう)

 

 

 とは言え、これ以上文句を言ってもどうしようもなさそうだ。

 

 俺は仕方なく、金田さんと同じ体制で前田さんの言葉を待った。そんな俺達を確認すると、前田さんはその紙に書かれた事を読み上げ始めた。

 

 

「此度の働き、真に見事成、石島洋太郎に郡上八幡城並びに郡上一帯を知行地として与える」

 

「ハッ」

 

 俺は返事をしたものの、悔しさと遣る瀬無さが心を満たしていた。予定通り郡上を貰えるようだが、ここまでに払った犠牲は大きすぎる。

 

 

「金田健二郎召し抱えの義、知行一千貫、即刻出仕致すべし!」

 

「ハッ!」

 

 

(こっちも予定通りか……金田さん、織田信長の家来になっちゃうのかよ)

 

 なんだか見捨てられるような、そんな悲しい気持ちになってきた。

 

 

「尚、須藤剛左衛門は以後、稲葉良道に召し抱えさせる」

 

 

「ちょ!?」

 

 俺はたまらず声を上げてしまった。

 

 

(みんなが……バラバラになっちゃう)

 

 

 不満そうな俺に、前田さんは厳しい表情で釘を刺した。

 

 

「石島殿、先程も申したがこれは命令である、刃向うは謀反である、そう心得られよ」

 

 

(……くっそ、脅しかよ)

 

 

 前田さんはそのまま紙を折り畳むと、俺に手渡した。

 

 

 それを受け取った俺の手は、緊張か、悔しさか、何故か少しだけ震えていた。そんな俺の事など気に留める風もなく、前田さんは言葉を続ける。

 

 

「郡上八幡へはなるべく早く入られよ、我等は3日後に稲葉山を発つ、金田殿はそれまでに稲葉山へ参られよ」

 

 金田さんが小さく頷いた時、前田さんのご家来衆が担架のような物の上に伊藤さんを乗せて来た。それに気付いた前田さんは、この場を去るべく言葉を締めくくる。

 

 

「郡上の安定は美濃の安定に欠かせぬ、月内には領内を安定させるようにな、さもなければその首が飛ぶやもしれんぞ」

 

 

 言い終わるや否や、俺達の事など見向きもせずに、ご家来衆と共に屋敷を出ていく。

 

 

(伊藤さん……)

 

 

 残ったのは、すすり泣く優理と、それを慰めながらも涙目になっている美紀さん、廊下を走って来て伊藤さんを見送ると、その場でわーわー大泣きしている瑠依ちゃん、それを追ってきた唯ちゃん。

 

 唯ちゃんも、瑠依ちゃんを慰めながら泣いていた。

 

 

 俺は未だに納得が出来ていない。

 

 

「金田さん! 何で急に了承しちゃったんですか!」

 

 

 伊藤さんを連れて行かれただけじゃない、俺は、金田さんとつーくんまで失う事になるのだ。前田さんの言う事を素直に聞いてしまった金田さんが、正直恨めしいとさえ思う。

 

 

 金田さんの傷はだいぶ良くなってきている様子ではあるが、少し辛そうにしながら俺を見据えた。

 

「信長様が武田信玄に頼んでくれてるって話でさ?今の織田家と武田家の関係性を考えれば、頼んでくれてるって事自体がめっちゃめちゃレアなわけよ、超絶スペシャル厚待遇なわけさ」

 

 

 金田さんはそう言って、良くなったばかりの足で立ち上がる。

 

 

「動き出したんだよ、歴史が!」

 

 決意に満ちた瞳で、俺をじっと見据えた。

 

「石島ちゃん、もうヘタレな事言ってらんねーぞ! 郡上の主だからね! 俺も剛左衛門もいない、伊藤先輩もいない!」

 

 

 ゆっくりと俺に近づきながら、言い終わる頃には目の前まで来ていた。そのまま俺の胸倉をしっかりと掴むと、俺をグイっと持ち上げるように引き寄せた。

 

 

「気合入れろ! 泣き言は言うな! 強くなるってのはさ、自分の弱さを認める所から始まるんだぜ!? まだまだ全然だよ石島ちゃん!!!」

 

 丸で喧嘩でもしているかのような声で、怒鳴る様に言われた。

 

 

 その後、金田さんは少しだけ、伊藤さんの事について俺達に言い聞かせるように話してくれた。

 

 

 武田の領国にいる永田徳本さんという名医は、【医聖】と呼ばれる程の本物の名医だそうだ。その永田徳本さんに診察を受けるために、武田家の領内に入る。

 

 武田と織田は一応の同盟関係にあるが、今まではどう考えても織田の方が格下だった。それが今回、稲葉山城を落とした事で武田に追いつこうとしている。追いつく側は達成感に包まれるが、追いつかれる側にしてみれば面白くないはずなのだ。

 

 そんなデリケートな時期に、わざわざ石島家の家来如きの為に、お抱えの名医に診察をお願いして、領内を通りたいと頼んだ事になる。

 

 

「普通ならそんな事絶対にしない!」

 

 そう言い切った金田さんは、これは幸せな事なんだと、女の子達を説き伏せていた。

 

 

 もちろん、そんなデリケートなお相手の領国を通るのに、大人数で行くわけにはいかないだろう。

 

 その上、織田家からしてみれば、俺達は知らない人間という事になる。そんな石島家から同行者を選び、武田の領内で何か粗相でもあろう物なら一大事だ。

 

 

(確かに、同行は無理だっただろうなぁ)

 

 

 金田さんの説明に、俺達は少しずつでも納得していくより他に、心を落ち着かせる術が無かった。

 

 

「殿も急いでご準備をしてください、郡上をしっかり治めないとマヂでヤバイっすよ」

 

 

 金田さんはまるで他人事のように言ってのける。

 

 

「手伝ってくれないんですか?」

 

 いくらなんでも、俺1人で郡上を治めるとか話が意味不明すぎる。

 

 

「んな無茶言うなって、俺だってホントはみ

 

 

 

≪バチッ≫

 

 

 

金 田さんの言葉の途中で、俺の顔面が左方向に派手に吹っ飛んだ。

 

 

「シャキッとしろ!」

 

 美紀さんだった。

 

 

「石島さんがしっかりしてくれないと、私達はどうしたらいいのか分からない! 支えるから……十三くんも十五くんもいる! 一緒に踏ん張ろうよ!!」

 

 

 女神様の両目から次々と零れ落ちる大粒の涙は、ずっと迷いっぱなしだった俺の心に、小さな勇気をくれた。

 

 

「皆様、夕餉の仕度が整いましたよ」

 

 

 静まりかえってしまった俺達の空気を、笑顔の陽が温かくもド派手に切り裂いてゆく。おそらく、俺達のこのやり取りを一部始終見ていたに違いない。

 

 にもかかわらず、その事には一切触れず、ここで空気を換えてしまうべきだと判断したのだろう。美紀さんも金田さんも、その事に気付いたようだった。

 

 

「そいや腹へったな~、奥方様、今宵の夕餉は何ですか!?」

 

 

 金田さんがわざとらしくおどけてみせる。

 

 

「金田さん、伊藤さんがいないからって2人分食べたらダメですよ?」

 

 まだ涙で声が若干震えていたが、美紀さんも涙を拭いながら金田さんに続いた。

 

 

 結局、どうにかこうにか、皆で夕餉を取る事になったのだが、相変わらず空気は重かった。

 

 

 ここ数日、伊藤さんに付きっ切りだった優理はゲッソリとしていて、夕餉に半分も手を付けずに自室に戻ってしまった。優理が自室に戻ったあたりから、今度は瑠依ちゃんがずっと泣いている。ご飯はしっかり口に運んでいるが、ずっと泣きながら食べていた。

 

 

(あと何日こんな状態が続くのかな……)

 

 

 金田さんは、明日の朝には大原を発って稲葉山に向ってしまう。

 

 

(つーくん、一回くらい戻ってきてくれるのかな)

 

 

 それぞれ別の手法で、生きるための経済力を身に着けようって言っていた、最初の話通りになってきた。

 

 

(そう、予定通り、それだけじゃん)

 

 

 伊藤さんは大ピンチだが、後の2人は予定通りなのかもしれない。そう考えたら、特に悲観していても仕方がないと思えてきた。

 

 

「ねぇ」

 

 俺は、誰にでもなく話始めた。

 

「伊藤さんが戻ってきたら『仕事が無い!』って言わせるくらいにしっかり郡上を治めたいと思うんだ」

 

 

 俺の言葉に、金田さんはニヤリと笑った。

 

 美紀さんも満足そうな笑顔で俺を見つめてくれている。

 

 

「よっしゃ! んじゃ殿、今日は徹夜で勉強しますよ! この金田健二郎、時間の許す限りはこの知識を置いて行きますんで!」

 

 

「やった! お願いします!」

 

 

「じゃ、私も付き合おうかな、殿だけに聞かせてたら忘れちゃうかもしれないしね」

 美紀さんはそう言うと、唯ちゃんと目を合わせた。

 

「そう言う話なら私も参加させて下さい♪勉強は得意ですから!」

 唯ちゃんも笑顔でそう言ってくれた。

 

 なんだか少し、気持ちが明るくなってきた。

 

 

「よっしゃ! こうしちゃいらんねーな!」

 

 金田さんは食べ終わった食器をガシャガシャと重ねると、そのまま炊事場の方へ行く。

 

「奥方様! 綱義くん! 綱忠くん! 今夜は寝かしませんぜ!!」

 

 そんな怪しい声をかけると、紙やら筆やら硯やら墨やら、色々と用意するように指示をだしながら、今夜は徹夜で勉強会をやる事を伝えていた。

 

 

「グスン……変態さん! なんで瑠依は呼ばないんですか!」

 

 どうにか泣き止んだ瑠衣ちゃんが金田さんに文句を付けた。

 

 

「え? あ? れ? 瑠依ちゃんも聞く!?……マジ?」

 

 

「ハハハハ♪ 瑠依、お前、金田さんにバカだと思われてるぞ、ハハハハ♪」

 珍しく美紀さんが大笑いしていた。

 

「ふふふっ♪」

 唯ちゃんも笑っている。

 

「んも~! バカじゃないですよ! サポート部はIQテスト150以上じゃないと入れないんですからね!?」

 

俺は少し味噌汁を吹き出しかけた。

 

「ブッ、うお!? それホント!?」

 

当然ながら、金田さんもびっくりしている。

 

「ま、ま、マヂかよ!? 俺より全然賢いじゃねーか!!」

 

 

「嘘で~す! 仕返しです♪」

 

 瑠依ちゃんは小さく舌を出してイタズラな笑みを浮かべた。

 

 

(出た! 久しぶりの天使! 天使の舌ペロ!)

 

 

「なんだよぉぉぉ、びびったじゃねーか」

 

 金田さんは心底安心したような表情を見せている。

 

 

 そんな金田さんを見て、美紀さんがニヤリと笑った。

 

「でもね、各自に公表されていないだけでIQテストは実際に行われていますから、頭の回転が遅いとサポート部に入れないのは事実ですね」

 

 そう言うと、得意顔になっていた瑠依ちゃんを見て言葉を続ける。

 

「事実、この子は執行部の責任者、平岡執行部長の御嬢さんですから、すごく頭がいい人の娘さんなわけですよ♪」

 

 

「へ? マジ? 君たちホント何者なの!!!」

 

 金田さんはもうその場にへたり込んで驚きを受け入れていた。

 

 

(執行部長の御嬢さんか、美紀さんも唯ちゃんも偉い人の御嬢さんだったような……)

 

 

 それから、なんだか1ヶ月くらい前に戻ったような、他愛もない会話が続いた。すごく安心できる時間が訪れ、それはその後の徹夜の講義までずっと続いてくれた。きっと、美紀さんや金田さんがそんな空気を作り続けてくれたんだろう。

 

 

 1ヶ月前と違う事と言えば。

 

 

 伊藤さんがいない事。

 

 つーくんがいない事。

 

 優理が元気ない事。

 

 あと、陽が隣にいる事。

 

 俺の胸に、郡上の主として精一杯働く覚悟が燃え上がっている事だ。

 

 

 

 

 

 翌日、稲葉山に旅立った金田さんと入れ替わるように、郡上へ行っていた香さんが屋敷に戻ってきた。伊藤さんの一件には心底落胆の様子ではあったが、俺の説明に納得してくれた。

 

 

「郡上をお纏めになるのであれば、わたくしも少しはお力になれましょう」

 

 香さんの笑顔は美しく、それ以上にとても頼もしかった。

 

 

 あまりゆっくりもしていられないので、俺達も郡上八幡に出発する事にした。

 

 

「よし、んじゃ行こうか!」

 

『ハッ!』

 

 俺と陽が並んで歩く前後を、荷物を大量に背負った十三くんと十五くんが歩く。その後ろを、泣き腫らした目のお栄ちゃんが歩く。

 

 さらに後ろに香さんと、そのお供の女性が3名続いた。

 

 

 女の子達とお末ちゃんは、郡上が安定してから呼び寄せる事にしている。

 

 

 遠くなっていく屋敷では、まだ皆が手を振ってくれていた。

 

 

 大原の村を通ると、収穫の準備をしている人達が爽やかに手を振ってくれて、俺は沢山の元気をもらった。

 

 

(つーくんにもそのうち会えるだろうし、今は精一杯頑張ろう!)

 

 

「今、須藤様の事を考えておられましたね?」

 

 陽が楽しそうに俺の顔を覗き込む。

 

(いやぁ、改めてお美しい)

 

「あれ? なんで分かったの!」

 

 

「ふふっ♪ 洋太郎様の事はよく見ておりますので♪」

 

 

 新しい土地で、新しいスタートになる。

 

 不安だらけだが、どうにかしてみせようと思う。まさに、第2幕に突入って感じになってきた。

 

 

(てことは、第1幕はここまでって感じ?)

 

 俺達は、夏の日差しと木々の合間を抜けて行く風に見送られ、ついに大原を発つ。

 

「待ってろよ郡上! 俺がキッチリ治めてやるからなー!!」

 

 空に向かって叫んだら、トンビだか鷹だか分からない大きな鳥が返事をしてくれた。それがとても可笑しくて、俺達は笑いながら郡上への道を楽しんだ。

 

 

 

 

第1幕 大原編  ~完~





ご購読有難うございました!


第2部の公開も予定しております。
評価、批評等、頂ければ幸いです。

それでは、しばしお別れです。

誠に有難う御座いました。

         のなもちとちみ

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