ゲームチェンジャー   作:のなもちとちみ

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第1幕 GAME2 【天使の片想い】
第7話 戦国時代へ


 次々と転送されていく人を見送る。半数以上が転送され人が疎らになった広間では、殆どの人が緊張の面持ちで無言だった。

 

 俺と優理は、転送ゲートを開くポイントから少し離れたベンチに並び、一見仲良く腰かけている感じになっているのだが、もうかなりの時間、何も話していない。

 

 サポートの子達は、自身の班の候補者を転送し終わると、自らも転送されて戦国時代に向っている。現地での最終オペレーションがラストミッションだそうだ。

 

 

 もう、最後になるかもしれないのだ。

 

 

《ィィィィィリリリリリ》

 

 甲高い音と共に、5班の候補者の転送が終わった。約10分後、5班のサポートの子が転送されたら、次は俺たち第6班の転送だ。

 

 色々な思いが込み上げてくるが、転送された現地でも挨拶くらいは出来るだろうし、さっきしっかりとお礼も言えた。

 

 伊藤さんも金田さんも、今はそれぞれ別々の場所でひたすら無言を貫いている。そんな中、5班のサポート係の子が伊藤さんの所へ向かっていく姿が目に入った。

 

 優理もその様子に気付いたようで「あっ」と一瞬、声を漏らし立ち上がる。けれども、何かを考え込むように、そのまま腰を下ろした。

 

 

《ッッツツー ッッツツー》

 

 

 転送装置の起動準備を告げる警報に邪魔されて、伊藤さんとその子がどんな会話をしているのかわからない。

 

 優理は下唇を噛み、下を向いて顔を上げようとしない。両の手は膝の上で硬く握られて、二人の様子を見ないようにしているのがわかる。

 気になって仕方がないのに、どうにかこうにか我慢しているような感じだった。

 

(今から男女の関係に発展するような時間はないけど……)

 

 5班のその子が転送されるまでの数分間、その子がずっと伊藤さんの近くにいたら、優理は数分間、俯いたままの状態を貫くつもりなのだろうか。

 

(最終日だからって黙認しなくてもいいだろ)

 

 恋敵の行動を堂々と邪魔するような豪胆さは、俺は持っていないが、優理なら出来てしまいそうな気もする。

 

(元気良く割り込んで、思う存分ガードしたらいいのに……)

 

 とは言え最終日、最終も最終だ。

 

 それを黙認する優理の優しさというか、遠慮する奥ゆかしさがちょっと意外で、俺の心臓がドキドキした。

 

 転送され、最終オペレーションとやらが終わったら、お別れなのだ。

 

 再会するためには運よく戻ってくるか。

 ゲームチェンジャーになるしかない。

 

【硬く握られた優理の手に、俺の手をそっと添えて握ってあげる】

 

 そんな事が自然に出来るほど、俺は大人の男じゃない。

 

(手を添えて勇気をあげたい)

 

これは一遍の曇りもなく、純粋に思えるが、(手を触るチャンス!)とか、(ここで優しさ見せて大逆転!)とか、邪な感情が捨てきれなかった。それが捨てられないでいると、マイナスイメージに勝てない。

 

(さりげなく手どけられたらどうしよう)

 

 とか。

 

(触るんじゃねーくらい言われたら立ち直れないな)

 

 とか、そんなマイナスイメージが邪魔して何も出来ずに手をモゾモゾさせていた。

 

 意気地の無い俺と、俯いて動かない天使。二人をあざ笑うかのように、5班の子はとても幸せそうに、そして楽しそうに伊藤さんとの会話を弾ませているようだ。

 

 

《ッッツツー ッッツツー》

 

 

 辺りに響く警報が、俺と優理を虚しく包み込んでいた。

 

 

 数分が経過した頃。そろそろ転送が始まるのだろう、5班の子は伊藤さんに手を振る、何故か小走りに俺たちの目の前までやって来た。

 

 

「るいちゃん……」

 

 その存在に気付いた優理は、顔を上げるとその子の名前を呟いた。

 

(やっぱりこの子が、るいちゃんか)

 

 るいちゃんと呼ばれたその子は、優理と比べても遜色のない程に可愛いく、優理よりもやや巨乳だ。

 

「優理先輩、有難うございました!」

 るいちゃんは突然頭を下げて礼を述べた。

 

「ん、いいよ、だってもう、さい……」

 優理は言葉に詰まった。

 

 きっと「もう、最後かも」とか、そんな続きだったのだろう。自分が口にしようとした「最後」という言葉に、自分自身が苦しくなったようだ。

 

 そんな優理に向かって、るいちゃんが突然に抱き着いた。

 

「え? なになに? ど~したのるいちゃん」

 優理は戸惑っていたが、拒否している様子ではない。

 

 

「わたし、優理先輩のコト大好きです!」

 

(うわ、混ざりたい、どっちでもいいから交代してくんないかな)

 

 相変わらずどうしようもない俺の目の前で、るいちゃんはパッっと優理から離れる。

 

「でも!」

 

 ちょっと大きなを出すと、顔と体は優理のほうを向いたままで、右手の人差し指を伊藤さんに向けた。

 

「ぜっんぜん諦めてませんからね♪」

 

 こんな台詞を笑顔で言える純粋さが、るいちゃんの魅力なのだろうと思った。

 

 

 

《ィィィィィィリリリリリー》

 

 るいちゃんが転送され、いよいよ俺たち第6班の順番が回って来た。

 

 

「さぁーってと、いきますか!」

 

 金田さんが気合を入れた。普段のだらしがない表情ではなく、目つきにも表情にも鋭さがあり、2位通過に相応わしいというか、なんだかカッコよく見える。

 

「っと、その前にトイレ! とか、ありかな?」

 

 さっきの気合はどこへやら、突然トイレと言い出す。

 

 そんな金田さんに、優理が不満そうな表情を向けた。

 

「なに言ってるんですか?さっきまであんなに時間あったじゃないですか!」

 

 俺達の転送を準備する優理にも、緊張の色が見て取れる。

 

 

《ッッツツー  ッッツツー》

 

 

「まだ数分あるしトイレくらい大丈夫っしょ!」

 

 そう言うと俺の腕を掴んで強引に引っ張った。

 

「ほら、石島ちゃんトイレいくっす!」

 

 

 俺を引きずって行く金田さんは、右手を優理に向けて親指を上に立てると。

 

「優理ちゃん……グッドラック」

 

 独り言なのだろう。小声すぎて優理には届きそうもなかった。

 

 優理はというと、「ハッ」とした様子で何かに気付き、金田さんに向けて右手を突出し、親指を立てて同じポーズを返していた。

 

 

 天使のスマイルで。

 

 

 

――トイレに到着した俺と金田さんは、いわゆる【連れション】中だ。

 

「いやー、天使のスマイルって感じだったなぁ」

 

(金田さんにも天使に見えるのか……)

 

 二人で横に並び、この時代最後になるかもしれない便器と向き合っている。

 

 

「石島ちゃん、優理ちゃんの年齢知ってたっけ?」

 俺は最後の一滴を出し終えて便器と離れながら聞き返す。

 

「いえ、金田さんは知ってるんですか?」

(そういえば……気にしてなかったな)

 

 

「知ってるよ~? 石島ちゃんと優理ちゃん仲良いから知ってるんだと思ってたさ」

 

 金田さんも用を終わらせ、今度は二人で手洗い場に仲良く横並びになって手を洗う。

 

「17だってさ、見えないっしょ?」

 

 

「は!? ホントですかそれ!?」

 

 正直、冗談だと思ったけど。ニヤニヤしている金田さんが、洗面台の鏡越しに語りかけてくる。

 

「ここが300年後って考えると、本当なのかもって思うんだよね、発育が良いっていうか?」

 

 

(発育……か)

 

 俺の頭の中では、優理と出会った日のあの【谷間】がフラッシュバックしていた。

 

 

「石島ちゃん、いまエロい事考えてたっしょ?」

 ニヤけ顔の金田さんは楽しそうだ。

 

「からかわないでください、さ、いきましょ」

 俺はそんな金田さんを放置して戻ろうとしていた。

 

「ちょーっとたんま、何言ってんのさ」

 俺の腕は、また金田さんに掴まれる。

 

 

「ちょっとくらい時間あげなよ! って話だよ石島ちゃん」

 

(やっぱりそうか)

 

 分かってはいた。金田さんの意図を優理も理解したのだろう、だから親指を立てて返事をしたのだ。

 

(誰のために?)

 

 俺にとっては、逆に【作ってあげたくない時間】なのだ。俺のそんな気持ちを知ってか知らずか、金田さんは「落ち着けよ」と俺を宥める。

 

 

「勝負するなら今じゃないって、今の石島ちゃんじゃ先輩と勝負しても勝てっこないっ」

 

 そう言い切ってドヤ顔を作ってみせた。

 

 勝てないと言い切られたのは面白くなかったけど。同時に【今じゃない】という言葉に救われた気がする。

 

 俺がゲームチェンジャーとして戻ってくるには、色々な条件が必要だろう、その殆どを今は知る事ができない。でも、一つだけ確かな事がある。

 

 俺自身、もっともっと成長しないとダメだという事。

 

(今よりずっと男前になって、ゲームチェンジャーとして成功して正面から勝負してやろう)

 

 自分自身の成長を、自分自身が望む。

 こんな状況を、俺は人生の中で初めて経験している。

 

「今よりずっと男前になって戻ってきなよ、そんで正面から勝負するなら勝ち目もあるかもな! なんせ石島ちゃんは若いしイケメンだし!」

 

 そう言う金田さんも、きっと同じ事を考えていたのだろう。

 

「金田さんって、たまに俺と考えてる事かぶりますよね」

 

 

「ん?」

 

 

 金田さんは一瞬、何かを考えるよう視線を泳がせると、満面のニヤリ顔を作って言い放った。

 

 

「……『一緒にすんじゃねーよ』か?」

 

 トイレには俺と金田さんの笑い声が響き、そんなトイレから俺達が出た時には転送の時間が迫っていた。

 

 

 広間に戻ると予想外な状況になっていた。伊藤さんと優理が話をしていると思っていたのだが、優理は転送ポイントで突っ立ったままで、伊藤さんは少し離れた場所に腰かけている。

 

 

「あちゃ~、ダメだったのかなこれは」

 

 俺にしか聞こえないように金田さんが呟いた。

 

 トイレから出る直前、金田さんは今の二人の関係を少しバラしてくれた。

 

 優理が好意を寄せている事にある程度気付いている伊藤さんは、かなり露骨に優理を避けるように生活していたらしい。るいちゃんから守るという事を口実に、優理が伊藤さんの部屋を訪れていても、伊藤さんは優理を放置してベッドルームから出なかったそうだ。

 

 それはベッドルームに来いという意思表示なんじゃないのか? って思ったけど、どうやら鍵までかけて閉じこもったらしい。

 

 そんな状況で元気の無い優理を、金田さんが元気づけて色々と応援しているそうだ。

 

 

《ッッツツー ッッツツー》

 

 

 警報の響く中、俺達の戻りに気付いた伊藤さんも転送ポイントへ向かうため立ち上がる。

 

 金田さんは小走りに優理に駆け寄ると、小声で何やら質問した。金田さんの問に、優理は口を開くことはなく、ただゆっくりと首を左右に振るだけだった。

 

 

 伊藤さんも転送ポイントへ到着した。

 

 

『では、第6班、転送を開始してください』

 

 栗原美紀さんの声が響く。

 

 

「じゃ、金田さんから行きますね」

 

 優理は優しく微笑むと金田さんに転送ポイントの中央に立つように促した。

 

 

「おっし! 先輩、石島ちゃん! お先にっす!」

 

《ィィィィィィリリリリリー》

 

 金田さんが渦巻き状の何かに吸い込まれていった。

 

 

(いよいよか)

 

 順番が回ってきた事で、俺にも緊張が走った。

 

《ッッツツー ッッツツー》

 

 

 次の転送準備に入った事を示す警報が鳴り響く。

 

 

 

――しばらく無言だった。

 

 

 数分間、だったはずだ。

 

 

 でも、その数分、俺にはものすごく長い時間に感じた。たぶん優理には、何時間にも感じたに違いない。

 

 

「じゃ、伊藤さん、前にお願いします」

 

 優理は、暗い表情を見せないように必死だ。

 

(なんでそんなに伊藤さんなんだよ……)

 

 

 転送直前まで、俺は伊藤さんの事をちゃんと見る事が出来なかった。

 

 

《ッッツツー ッッツツー》

 

 この不可思議な電子音も、今ではもう聞きなれた音になってしまった。そんな警報に包まれて、伊藤さんが転送ポイントの中央に立つ。

 

 

「いつでも」

 それだけ言うと、伊藤さんはその場で両目を閉じてしまった。

 

「はい、転送します」

 優理が端末を操作する。

 

 

《ィィィィリリリリリー》

 

 

 伊藤さんも、渦巻き状の何かに吸い込まれていった。

 

 サポートの子も現地へ行くのだから、そこまで感傷的にならなくてもいいような気もする。とはいえ、転送という節目にどうしても感情が昂ぶってしまうのだろうか。転送が終わると、優理はうつむいたまましばらく動かなかった。

 

 

《ッッツツー ッッツツー》

 

 

「……あのさっ」

 

 沈黙に耐え切れなくなった俺は、何を話すか決まらないうちに声をかけてしまった。

 

 

「ん?」

 

 優しくこちらを向いた優理の両目には、今にも零れてしまいそうな涙を浮かべている。かける言葉が見つからなかった。

 

 

「いや……なんでも、ない」

 

 

 優理は少し肩を震わせながら、大きくため息をついた。

 

「あーあ、やんなっちゃう」

 

 わかる気がする。俺も優理の事を考えると、そんな独り言しか出てこない。

 

 

 優理は大きく息を吸い込む。

 

「伊藤さんのバカーーーーーー!!!」

 さっきまで伊藤さんが立っていた場所に向って、思いっきり叫んだ。

 

(うわ、必殺「天使のバカー!」だ、めっちゃ可愛いけど……)

 

 この状況じゃ、無邪気に可愛いなどとは言っていられない。全然応援したくないけど、あの伊藤さんの態度を見るとやるせない気持ちになって、伊藤さんに「もっと優理を見てあげて下さい!」とか言いたい気分になってくる。

 

 

 必殺「天使のバカー!」は、当然ながら俺だけではなく、順番を待っている7班と8班の面々にも聞こえていた。

 

 

『優理! お前それ以上深みにハマるなよ?!』

 

 8班担当の栗原美紀さんが、拡声器モードのまま優理を叱咤した。

 

「そうだそうだー」

 

「ちょっと得票数多かったからって調子に乗ってんじゃねーって言ってやれ!」

 

「あんなスカしたメガネ野郎なんて忘れちゃいな!」

 

 人数の少なくなった広間は、全員が優理の味方だった。

 

 

 そんな声援を受けた優理は、その場でクルッと回って声援のあったほうに向きなおり。

 

「スカしたメガネ野郎って言ったの誰ですか! 怒りますよ!」

 

 伊藤さんを悪く言った声に、子供のように反論する。けっこうムキになって、本気で怒っていた。一瞬の盛り上がりを見せた広間は、警報だけが響く世界に戻ってしまった。

 

 

 

《ッッツツー ッッツツー》

 

 

『優理……』

 

 警報が鳴り響く中、まだ拡声器モードのままの栗原美紀さんが優理の名を呼ぶ。

 

『これ終わったら説教だからな~? 覚えとけよっ!?』

 

 怒ってはいなかった。愛情たっぷり、愛嬌たっぷり、俺より年上の女性とは思えない可愛い口調で、優理を優しく叱っている感じだった。

 

 

「ひえええぇぇ~、それは嫌だぁぁ! お許しを~」

 

 美女と天使のこのやり取りに、広間はまた少し、楽しい空気に戻ったようだった。

 

 

 

 

――そうこうしている間に、転送の準備は整ってしまった。

 

「よし! それじゃ石島さん、いきますね!」

 

 

 優理は端末を片手に俺に合図する。俺はもう、転送ポイントの中央で準備万端だ。

 

 

「おう、行こう! 戦国時代へ!」

 俺はさっきの金田さんのように、右手の親指を立てて見せた。

 

「はいっ♪」

 優理もにっこりほほ笑んで、同じポーズを取ってくれた。

 

(きたー! 「天使のグッドラック♪」!!)

 

 幸せな気分に満たされた。

 

 

 

 だが、幸せな気分は長くは続かず。

 

 

《ィィィィィィリリリリリー》

 

 

 直後に最悪な気分に変わった。

 

 

 体がねじれ、裏返り、伸びていく。

 

 

 

(こ、れ、きもちわるっ……)

 

 

 自分が渦巻き状の何かに吸い込まれていく感覚に襲われる。自身に何が起こっているのか分かってさえいれば、そんなに恐怖感は無いだろうと、安心しきっていた俺は、甘かった。

 自分の体が原型を留めない状況になって、真っ暗な世界に吸い込まれていく。これは恐怖以外の感情が沸いて来ないほど恐ろしかった。

 

 

 真っ暗な世界へ飛び込むと、一瞬にして明るい世界に飛び出した。

 

(イテテ……)

 

 

「うぅぅ、最悪だ」

 

「きもちわるっ」

 

 

 男連中の情けない声が耳に入る。

 

 俺は「きもちわるい」と言う声を出す余裕もなく、地面に引っくり返っていた。

 

(なにがトンネルより優しいだよ、違いが全然わからん)

 

 その場所はなだらかな斜面になっている。大きな木は少ないものの、一面に広がる景色は緑一色だった。

 

(どっかの山の中か?)

 

 転送された先が何処なのか、見当も付かないでいた。

 

 

「あらあら……ゲートなのに情けない、半分くらい引っくり返ってるわね」

 

 俺の頭上から、女性の声が降ってきた。地面に仰向けに引っくり返ったまま、声の主を見あげてみる。

 

 

(おおおお、もうちょい)

 

 少し高い位置に立っていたのは栗原美紀さん。もう少しでパンツが見えそうな角度だったから、このまま引っくり返っている事にした。

 

 

「やはり三半規管の訓練も取り入れるべきじゃないでしょうか」

 

 栗原美紀さんの近くに寄ってきた阿武唯が、そんな事を言いながら引っくり返っている連中を見渡している。

 

(ぉ、唯ちゃんのも見えそう! もうちょい右向いて!)

 

 残念ながら、俺の欲望をぶった切るように、栗原美紀さんが怒鳴り始めた。

 

 

「候補者の皆さん! これから最終説明に移ります!」

 

 そこまで言うと、更に大きく息を吸い込んだ。

 

『シャキッとしろぉぉぉ!!』

 

 吸い込んだ勢いのまま、引っくり返り組みに罵声を浴びせた。

 

 

 ピーンと空気が張りつめた。別に怒られるような立場じゃない気がするんだけど、美人上司に怒られたような気分になった。

 

 これでは流石に地面とお友達になっているわけにもいかず、しぶしぶ立ち上がる、俺を含めた引っくり返り組。そんな引っくり返り組が立ち上がり切る前に、以前にも聞いたことがある笑い声が聞こえてきた。

 

 

「ギャハハ♪ おなかいてえぇえぇ、美紀ちゃんコワっ!」

 

 伊藤さんだ。いい大人のくせに、あの時のようにゲラゲラと大笑いしている。

 

 栗原美紀さんは結構怖い。

 メディカルチェックを受けている間も、列がどうとか、順番がどうとか、私語を慎めとか、あれこれ指摘してくるキッチリ派の美女なのだ。そんな栗原美紀さんの怒鳴り声に、爆笑で返事をするとは恐ろしい事をする。

 

「伊藤さんっ! 茶化さないで下さい!」

 

 

 凛としたその姿勢は、笑われたくらいでは勢いを失わない。

 

(やっぱ怖いは栗原さん!)

 

 俺は正直びびっちゃう方だ。

 

 

「いや、だって、いやいや、ごめんごめん」

 

 そういって一旦笑を収めた伊藤さんだったが。

 

「ぐぷっ!……ご! ごめ、ぐははは、だめだぁ、ギャハッハ」

 

 思い出し笑が堪え切れない様子で吹き出すと、またゲラゲラと笑い始めた。

 

 

(この人、考えてる事も笑いのツボも、全く理解不能だ)

 

 でも一つ分かったのは、この笑で張りつめた空気が緩みつつあった事だ。

 

(あの時もそうだったな……)

 

 ぐしゃぐしゃに泣いていた優理を思い出すと同時に、俺の目線は優理を捉えていた。栗原美紀さんのすぐ横で、るいちゃんと呼ばれていた子と並んでいる。

 

 優理と、るいちゃん、二人の表情は、完全に、必死になって笑を堪えている様子だった。栗原美紀さんも、そんな優理とるいちゃんに気付いた。

 

「優理、瑠依、お前ら後でお説教だからな!」

 

 

 「えー」とか「げぇ~」とか言いながら嫌がる二人。

 

 その様子を見ていた伊藤さんが、もうほとんど笑いながらの状態で二人をかばった。

 

 

「いやいや、美紀ちゃんごめんごめん、俺が悪いから二人は許してやって!」

 

 笑ながら言う台詞でもない気はしたが、別にそんな深刻な話でもないのでお説教もどうかと思う。

 

 そんな事より気になったのは、伊藤さんが栗原美紀さんの事を「美紀ちゃん」なんて親しげに呼んでいる事だ。

 

 

「もう……伊藤さんもいい加減に笑うのやめて下さい! 最終説明が進みません!」

 

 俺を含む候補者は、もうすでに栗原美紀さんの前に集まっている。静かだな~と思って金田さんを見てみたが、青い顔でげっそりしていた。

 

「ごめんなさい! 美紀ちゃんがあんまりにも可愛かったものでさぁ……ぐぎっ、ぐばははは、ダメだ、ちょっとタイム! お腹痛い死ぬ!」

 

 

 何がそんなに可笑しいのか、この「化け物」の笑のツボに完全にハマりこんだらしい。

 

 

「なっ!? か、かわっ*шД☆Ю???」

 

 栗原美紀さんは耳まで真っ赤にして、最後は言葉になっていなかった。

 

 

 そんな栗原美紀さんの様子に真っ先に反応したのは、るいちゃんだった。

 

「だーーーー! だめですよ!? だめだめ! 絶対だめです! ダメです! 本気でダメです!!」

 

 そういって栗原美紀さんと伊藤さんの間に割って入る。

 

「はいはい、伊藤さん早くこっちで並んでお話し聞いてくださいね!」

 そのまま、まだひーひー言いながら呼吸を整えていた伊藤さんの腕を掴み、栗原美紀さんから遠ざけた。そんなるいちゃんと伊藤さんの様子を、優理は唇を尖らせて観察している。

 

(うわ~、出ました必殺「天使の拗ね口」! いいわ~)

 

 

「石島ちゃ~ん」

 

 青い顔の金田さんが幽霊のような声で話しかけてくる。金田さんも優理を見ているようだ。

 

「やっぱ、先輩と勝負するの無理っすかね」

 

(ホントだよ、なんだろうあの人は……)

 

 俺は返事こそしなかったものの、完全に同意してしまっていた。

 

 

「伊藤さーん、うちのサポートまで落とさないでくださいよ」

 第8班の人から伊藤さんをからかう声が上がった。

 

「いやいや、そうじゃなくてさ、ごめんごめん、美紀ちゃんどうぞ! 最終説明とやらを初めてください!」

 

 笑顔でペコペコ謝っている姿は、別に卑屈さもなければ横柄さもない。この人の自然体が織りなす見事なまでの雰囲気は、男から見ても魅力的な部分だ。

 

《ごほんっ》

 

 栗原美紀さんはまだ頬を赤く染めながら、わざとらしく大きな咳払いをする。

 

「そ、それでは始めます、各候補者の皆さんにはこの説明が最後になりますので、しっかりと聞いてください!」

 

 気を取りなおしてそう語りかけると、場の空気が引き締まった。

 

 

 この説明が最後になる。その実感が、いよいよ高まってきた。一人で緊張していた俺は、突然右から肩をガッツリと組まれた。

 

「……!? つーくんか、びっくりした」

 つーくんだった。

 

「最後の説明、一緒に聞こうぜ相棒!」

 俺もつーくんの肩をガッツリと組み返した。

 

「おう、相棒!」

 右手に感じる心強い相棒を実感しながら、俺の視線は優理に釘付けになっていた。

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