艦これファンジンSS 「うちの鎮守府」   作:Tico

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ふぉんふぉんして書いた。やっぱり反省していない。

というわけで、艦これファンジンSS vol.27をお送りします。

朝霜は2015冬イベントで運よくドロップして、その威勢のよさから
ぞっこん惚れこんで育成するのを決めたのと同時に、彼女を主役にしたSSを書こうと決めてました。
そこでふっと思いついたタイトルが今回のエピソードですが、
「はて、なぜ彼女は憂鬱なんだろうな」と思って、色々史実を調べると、まあ濃いこと濃いこと。
どれを取り上げても題材になりそうでしたが、色々考えて、矢矧の絡む「これ」にしました。

ちなみに作中の西方編成の構成は、ゲームをやってる方ならお分かりでしょうが、
リランカ沖での駆逐艦レべリング構成です。矢矧もストーリー上の都合以外に、
実際にレべリングにつきあっている構成だったりします。

なお、エピソードの中でちらと触れている「明石指揮の北方編成」とは、
vol.2「あさってのわたしたち」の話となります。直接はつながっていませんが、
お読み頂けるとより背景がわかって味わい深いかもしれません。

最後に、お約束の文言ですが、「うちの鎮守府」シリーズは、
どのエピソードから読んでもお楽しみいただけるように気を使っております。
本作単品でもお楽しみいただけますし、気になった過去エピソードは
つまみ食いしていただいても大丈夫です。

それでは皆様、ご笑覧くださいませ。


vol.27 「駆逐艦朝霜の憂鬱」

 潮風がそっと吹いて少女の前髪を揺らしていった。

 乱れた髪をかきあげて、彼女はじっと海を眺めていた。

 赤煉瓦の建物の屋上、緑の金属瓦の上に少女は腰かけている。

 右目を覆う長い銀の髪。女学生の制服にも似た衣装。

 色白の顔は凛々しく端整で笑顔が似合いそうだが、いまは神妙な表情をしている。

 そしてその髪は、潮風に灼けていた。

 彼女が特別というわけではない。この鎮守府にいる少女達はほとんどがそうだ。

 陸地にあるのはひとときの休息。

 鋼の艤装を身にまとい、海を駆け、敵と戦うのが彼女達の役目なのだから。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 もちろん、彼女もまた艦娘であった。

 見た目の年の頃は十五、六に見えるが、ただの女の子ではない。

 その心に軍艦の記憶を宿した彼女らの魂は、はたしていかなるものか。

 その答えを求めているのか――彼女は水平線の彼方をじっと眺めていた。

 ともすれば悲痛にも思われる光を宿した、真剣な眼差しで。

 駆逐艦、「朝霜(あさしも)」。

 それが、彼女の艦娘としての名前である。

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 「自分はなぜ生まれてきたのか」は、人間であれば誰しも一度は抱く疑問である。それは艦娘とて例外ではない。だが、彼女たちの多くは戦いの日々の中でいつしかその疑問を心の棚にしまいこむようになる。それは、艦娘たちにとっては、あるいは幸福なことであり、そしてまたあるいは不幸なことであるかもしれなかった。

 

「あ、こんなところにいた~」

 舌足らずな声をかけられて、朝霜は振り向いた。

 んしょ、んしょ、と可愛いらしい気合と共に、まず見えたのは服の袖である。

 それが二つ、屋根のへりにかけられて、それから、

「よいしょっ、と――もう、なんでこんなとこにいるんですか」

 屋根によじ登りながら姿をみせたのは、眼鏡をかけた小柄な艦娘であった。

 服のサイズがまったく合っていないことから、ただでさえ幼い外見が、よりいっそうあどけなく見える。

「なんとかと煙は高いところが好きっていいますよ、朝霜はなんとかなんですかっ」

 どうにかこうにか屋根の上に来た彼女が、胡乱な眼差しでにらみつけてくる。

 朝霜は彼女を見て、じとりとした目を向けながら、

「んだよ、巻雲(まきぐも)。登ってこなくても下から声かけりゃいいじゃん」

 と言った。その言葉に巻雲と呼ばれた艦娘はぷうと頬をふくらませて、

「何度も何度も呼びましたよ。ぜーんぜん気づかない様子だから、わざわざ来たんじゃないですかあ。まったくとんだ運動になってしまいましたよぉ」

 巻雲の不平を聞いて、朝霜はきししと白い歯を見せて苦笑いした。

「あー、わりいわりい。ちょいと考え事していて分かんなかったわ」

「詫びる気持ちが全然感じられないのです。まったくもう」

「んでー、何しに来たの?」

「もう! そろそろ出撃の時間じゃないかって教えに来たんじゃないですか」

「あれ? もうそんな時間?」

 朝霜は懐中時計を取り出した。盤面を確認すると、眉をしかめて、

「おい、まだ時間に余裕あるじゃねえか」

「だめですよう、朝霜は艦隊では一番下っ端になるんだから、先輩方よりも早く集合場所について待っていなきゃ」

「そんなもんかねえ」

 朝霜が立てた片膝にあご肘をついて、ふうと息をつく。

「別に上官だのなんだの、無いと思うんだけど」

「この鎮守府で、古参かそうでないかの順序は結構重いんですよう」

 巻雲がやれやれとあきれ顔で言う。

「朝霜はこないだ着任したばかりのド新人なんですから、ちゃんと古参の先輩がたは敬わないといけないのです」

「はいはい、それでわざわざ呼びに来てくれたってのか――ありがとよ」

「誠意と感謝が感じられないのです」

 また巻雲がぷうと頬をふくらませる。

 その様子を見て、朝霜が愉快そうに笑った。

 巻雲と朝霜は姉妹艦で、巻雲の方が姉に当たるのだが、この威厳のかけらもなく、自分よりも年下に見える彼女がなんともいとおしい。

「しっかし、あたいを探して呼びに来るなんて、暇なの?」

「暇じゃないですよう。巻雲もこれから出るところです。軽巡の先輩の指揮で海上護衛の任務で遠征です。今度こそ忘れ物しないようにしなきゃ、夕雲(ゆうぐも)姉さんに叱られちゃうし、秋雲(あきぐも)にも笑われちゃう」

 巻雲が口にしたのは姉妹艦の艦娘たちである。

 先に鎮守府に来た秋雲型の四人は、多くの駆逐艦がそうであるようにひとまとめにして扱われていた。訓練も一緒、遠征も一緒、ついでに言うなら寮の部屋も相部屋である。

「へえ、いいじゃん。人の役に立てる仕事でさ」

 朝霜がそう言うと、巻雲はえへんと胸を張り、

「そうなのです。北へ南へ縦横無尽の活躍です――遠征しか任せてもらえないけど」

 言葉の最後の方が尻すぼみに小さくなる。無役の留守番組よりは、はるかにマシとはいえ、艦隊決戦の花形にまず呼ばれない遠征組は、地道なドサ回りな仕事が多い。それはそれで平時の鎮守府を回すためには重要な役目ではあるのだが――戦略の要を決する戦いに出してほしいという気持ちは、艦娘たる者ならば思うところなのだろう。

「だからですね」

 巻雲がじっと朝霜を見つめながら、言った。

「特待生に選ばれた朝霜は、巻雲たちにとって誇りなのです。特待生になるっていうことは、将来の艦隊決戦を任されるということと同じなんですから。だから、しっかり、先輩について頑張って練度をあげてくださいね」

 その巻雲の言葉と眼差しは、あまりにまっすぐで善意にあふれていて――

 朝霜は、ふい、と視線をそらした。胸がちくちく痛む。

「わーったよ」

 口でそう返事して、朝霜は立ち上がって伸びをした。

「考えてても仕方ねえや。身体動かしゃ、少しは違うかねえ」

 その言葉に、巻雲がきょとんと首をかしげてみる。

「朝霜? なにか悩みでもあるんですか?」

 そう訊ねられて、朝霜は巻雲のあどけない顔を束の間見つめて、

「――いんや、なんでもない。気にしないでくれよ」

 朝霜は歯を見せて、にかっと笑ってみせた。

 不敵な笑みで、心の表情を覆い隠すかのように。

 

 かつての軍艦であれば、出航を決めてから実際に動き出せるまで半日以上はかかったという。だが、さすがに艦娘も同じというわけではない。

 鋼の艤装を身につけて点検するのにどんなにかかっても十分といったところだ。

 だから、朝霜がぎりぎりまでぶらついていても、だいじょうぶと踏んでいたのだが。

 身にまとった艤装を鳴らしながら朝霜が桟橋の方へと走っていくと、海の上にはすでに幾人もの艦娘の姿があった。どうやら先輩たちは本当に先に来ているらしい。

「あ、来た来た。待ってたわよ」

 そのうちの一人が駆けてくる朝霜に気づき、声をあげる。茶色の髪を二つに束ねたのが快活な印象を与える。軽巡洋艦の能代(のしろ)だ。

「わりいっす、遅くなって」

 朝霜が軽い調子で詫びを入れつつ、桟橋へと入っていくと、

「本当に遅いわよ。十五分前行動が原則、忘れてしまったの?」

 きりっとした声が朝霜を叱咤するように響く。

 長い黒髪をポニーテールにまとめ、凛とした顔立ちがどこか刀剣のような雰囲気を感じさせる。軽巡洋艦の矢矧(やはぎ)であった。

「艦隊行動でも遅れたら、置いていくんだから。気をつけなさい」

 矢矧が険のある声でそう言うのに、朝霜は、

「いやー、面目ねえ。気をつけるわ」

 と、目上にあたる軽巡の先輩に実にくだけた返事である。

 それが矢矧の気に障ったのか、彼女がまなじりを吊り上げて、

「ちょっと、なんなの。その口の利き方は。遅れたという自覚が――」

 そう叱りつけようとするのを、ぱっと間に入ってさえぎった者がいる。

「まあまあまあ、矢矧はん。あんまりうるさく言わんとき。うちらよりも遅れてきたのはたしかやけど、集合時間にはまだ間に合うとる。あんまりやかましゅう言うたら、せっかくの美人さんやのに、眉間にしわが寄ってまうで」

 サンバイザーのような帽子。二つに束ねた茶色の髪。矢矧や能代たちよりも小柄ながらにじませる風格は古参の貫禄があった。軽空母の龍驤(りゅうじょう)である。

「朝霜はんも次から気をつけたらええ。別に後輩が先に来とらんといかんって決まりがあるわけやないけど、熱心な後輩に気を悪くする先輩はまあおらんからな。そこはほれ、処世術っちゅーやつや」

 龍驤の言葉はあっけらかんとして、説教めいた響きはない。それでも、彼女のやわらかい口調の裏に有無を言わせぬ何事かを感じ取った朝霜は、首をすくめてみせた。そんな朝霜を見て、龍驤が無言でうなずき、矢矧は変わらず睨みつけ、しばし緊張をはらんだ沈黙が流れたところへ、

「いやー、龍驤のおかげで、わたしは楽だわ」

 お気楽そうな声が、その張り詰めた空気をふっとゆるめた。

 巫女を模したような衣装に、全身を包むような大きな艤装。その巨大な砲から戦艦だとすぐに見てとれる。その顔立ちは酸いも甘いも経験してきた者だけがもちえる、悠然とした表情をしていた。航空戦艦の伊勢(いせ)である。

「言いたいこと全部言ってくれるんだもの。おかげで暢気に構えているだけでいいわ」

 伊勢の言葉に、龍驤が困ったような苦笑いを浮かべてみせる。そんな伊勢に、

「もう、あなたは編成指揮なんですから、もうちょっとぴしっとしてくださいよ」

 そう声をかけたのは、緑の着物を身にまとい、飛行甲板の艤装を身につけ、弓をたずさえた艦娘だった。龍驤ほどではないが小柄な身体、しかし身にまとう雰囲気は第一線に立つ者ならではの気合に満ちている。航空母艦の蒼龍(そうりゅう)である。

「一番上がそんなんじゃ示しがつかないじゃないですか。ましてや伊勢さんは艦隊最古参の戦艦なんですから」

 蒼龍の言葉に、伊勢が手をひらひらさせながら、

「いやー、矢矧みたいにうるさい先輩や、龍驤みたいに世話好きな先輩がいるとね、編成指揮の最古参としては、むしろ鷹揚に構えた方がいいと思うのよ。一番上まできびきびしてると息が詰まっちゃうでしょ」

「えっ、ちょっ……わたしは当然と思うことを言ったまでで――」

「またまた、そんなこと言うて、面倒なことやりたくないんと違うん?」

 伊勢の言葉に、矢矧が抗議の声をあげ、龍驤がじとりとした目を向ける。

 それで、自分に向けられていた視線がはずれて、朝霜は内心ほっと息をついた。

(やれやれだなあ)

 と思っていると、伊勢がふいっとこちらを見やって、片目を閉じてみせる。

 それで朝霜は、彼女が助け舟を出してくれたのだと気づいた。

(さすがだぜ。伊達に編成指揮をまかせられてねえな)

 そう感嘆しつつ、朝霜は桟橋から海面へ足を踏み出した。

 地面を踏みしめるのとはまた違う、独特の浮遊感が足の裏に伝わる。

 それを感じて、朝霜は我知らず胸が高鳴るのを感じた。

 やはり海に出るのは楽しいのだ。それは艦娘としての本能なのかもしれない。

 海上に踏み出した朝霜を見て、能代が微笑みながら迎え、矢矧が相変わらず厳しい視線で見つめ、龍驤がうなずき、蒼龍がよしと拳を握って気合を入れる。

 そんな一同を伊勢が見渡し、すうと大きく息をすうや、号令した。

「それじゃあ、第一艦隊西方編成、抜錨!」

 

 その男は、窓越しに朝霜たちが出発していくのを見送っていた。

 複縦陣で白い航跡を六筋描くのを見やりながら、小さく「無事でな」と言った。

 詰襟の白い海軍制服。肩に星の階級章。

 彼はもちろん艦娘ではない。鎮守府において、男といえば、まず一人しかいない。

 提督。鎮守府の主にして、艦娘たちの指揮官。

 己自身は深海棲艦と戦うことができない身である彼は、常に送り出す側、見送る側、そして艦娘たちの無事を祈る側であった。

「西方編成の出発ね――そんなに心配?」

 艶やかな声が提督にかけられる。肩のところでふっつりと切り揃えた髪、端整な顔立ちはいざ戦闘となれば気迫に満ちるが、平時のいまはどことなく色香を漂わせていた。もちろん彼女は艦娘である。戦艦の陸奥(むつ)であった。

 陸奥は本日の秘書艦を務めていた。鎮守府では秘書艦は持ち回りで行われていたが、陸奥が担当というのはなかなか珍しい日である。

「――リランカ沖は“平時”の海域の中では一番危険だからな。心配にもなるさ」

 提督は窓に手を当てながら、そう答えた。

 鎮守府は普段からいくつもの艦隊を繰り出している。そのうち、海上護衛や陽動作戦に従事する遠征部隊は、メンバーとなる艦娘が概ね固定されているが、出撃部隊はその時々に応じて入れ替わりがある。そこで、鎮守府では、便宜上、出撃部隊が赴く海域の名称で艦隊を呼び習わしていた。

 鎮守府周辺海域の対潜任務を主とする近海編成。

 南西諸島オリョール海での潜水艦作戦が主となる南西編成。

 北方キス島沖で敵前線の押し戻しを受け持つ北方編成。

 南方サーモン海域で敵主力部隊と交戦する南方編成。

 そして、西方リランカ島沖で敵部隊の漸減を担当する西方編成。

 このうち、南方サーモン海域は相当に危険度が高いため、よほどこちらの戦力が揃っているときでない限り召集されないことから、西方編成がもっとも深く敵海域に切りこんでくる役割だった。

 これが大規模な限定作戦ともなれば、遠征部隊もいったん解体され、鎮守府の指揮能力はすべて限定作戦完遂のために投入され、艦隊もそのように編成されるのだが、普段の深海棲艦との小競り合いであれば、以上がいわゆる“平時”における態勢であった。

「平時、ねえ。深海棲艦との戦闘が絶えない毎日が平時なのかしら」

 陸奥が書類を片付けながら、ふうと息をつくのに、提督は腕組みして答えた。

「日常茶飯事には違いない。慣れというものは怖いものだな。いつ戦いが終わるか分からない状況では、戦時下が平時になってしまうのも、仕方がないことさ」

 提督の言葉に陸奥は何か言いたげではあったが、平時がどうのという議論は避けたいと思ったのか、口に出したのは別の言葉であった。

「ねえ、提督。ひとつ聞いていいかしら。なぜ朝霜を特待生にしたの?」

「そんなに不思議かね」

「戦艦や空母なら分からないでもないけど――駆逐艦でしょう? 着任していきなり重点育成するのはちょっと不思議だわ。何かあの子に光るものでも見つけたの?」

 陸奥の問いに、提督は少しうなってから、

「――朝霜が着任の挨拶に来たときにだな。まあ、随分と威勢の良い子だったんだが、これからよろしく頼むよ、と何気なく肩に手を置いたらだな」

「――手を置いたら、どうしたの?」

「いきなり俺のすねに蹴りを入れてきて、気安くさわんなと怒鳴られてな。いやあ、あれは実に痛かった」

 そう言いながら、提督はどこか愉快そうである。

「提督……」

 陸奥が気の毒そうな目で見ながら、声をひそめる。

「わたしはなるべく提督の期待には応えてあげたいけど、さすがにそういう趣味はちょっと……えっ、まさか艤装をつけたままのわたしに踏んでほしいとか? まあ、どうしてもというならやってあげなくもないけど――でも、長門(ながと)に頼んじゃだめよ? あの子真面目だから、許容できないだろうし、そもそもよく分からないだろうし」

「おい、まて、俺にそんな趣味はない。それにフル装備の君に踏まれたら骨折じゃすまんだろうが」

「だって、提督うれしそうなんですもの」

「随分と活きがいいなと思ったんだよ。それに本当に面白かったのは、蹴ってきた後だ。朝霜がある質問をしてきてな――そんなことを聞いてくる艦娘はめったにいないから、驚いたものだ……そうだな、特待生に抜擢したのは、それが理由かな」

「あら、朝霜ったらどんなことを訊いてきたの?」

 陸奥の何気ない問いに、提督は黙り込んだ。

 ややあって口を開いた彼の言葉は、陸奥が内心驚くほど低い声だった。

「なあ、陸奥。君は艦娘になる前の記憶はあるか?」

「それはあるけど――知ってるでしょう? 艦娘は、かつての艦の記憶を受け継いでいることを。艦娘になる前のわたしの記憶は、戦艦陸奥よ。軍艦の記憶がいま人の形をしているわたしに受け継がれているなんて、なんだか不思議な気分だけど」

「不思議に思うだけかい?」

「たまにね。でも深く考えても仕方ないじゃない」

「そうか――いや、それならいいんだ」

 それきり、提督は黙り込んでしまった。

 陸奥は再度、彼に問いかけようとして――やめた。

 窓の外を見つめる彼の横顔が、思いのほか、沈痛な色を帯びていたからである。

 

「いやあ、しかし、矢矧はん能代はんとまたこうして組めるとはなあ!」

 飛行甲板を広げて艦載機を飛ばしながら、龍驤がそう声をあげる。

 西方海域外縁。敵との接触間近と思われることから、伊勢の指示で索敵を展開しているのだ。艦隊は複縦陣のまま、リランカ島沖へと入る航路を進んでいる。

「なんだよ、三人は特別な知り合いなのか?」

 朝霜がそう訊ねると、能代がうなずきながら答える。

「ええ。明石(あかし)さんの指揮で、龍驤さんと一緒にキス島沖で敵の前線を押し返す作戦に参加していたの。あのときは、千歳(ちとせ)さん千代田(ちよだ)さんもいたわね。懐かしいわ」

 能代の言葉に、朝霜はぎょっとした。

「明石さんって工作艦の? あの人、戦えたのか?」

「そんな時期もあったのよ。“あさっての戦力”だなんて言われてね」

 矢矧がそう言った。かつてを思い出すその顔を、かすかにしかめている。

「ははは。“あさっての戦力”ゆうんもなつかしいな。もうそないなことを言う艦娘もいなくなったんと違うか」

 龍驤の言葉に、蒼龍がうなずいてみせる。

「ええ。艦娘全体の練度があがっていますからね。それに、龍驤さんに、千歳さん千代田さんは先のトラック泊地防衛戦で迎撃メンバーに選ばれているじゃないですか。艦隊決戦をまかされる立派な戦力ですよ」

「いやあ、二航戦のあんたにそう言われると、気恥ずかしいなあ」

 そう言いながらも、龍驤はまんざらでもない様子である。

 先頭を行く伊勢が振り返り、声をかけた。

「まあ、そうだね。第一線で戦える艦娘がだいぶ増えてきた。あの提督にしてはそれなりに頑張っているってところじゃないかしら」

「ふふっ、伊勢さんの提督への採点は相変わらず辛いですね」

 能代が微笑んでみせると、伊勢がぽりぽりと頭をかきながら、

「まあ、でもあえて“あさっての戦力”を探すなら、この中じゃ朝霜じゃない? まあ期待の度合いからすると“あしたの戦力”と言った方がぴったりだけどさ」

 伊勢の言葉に、朝霜は目を丸くした。そんな彼女を矢矧がじろりとねめつけて、

「そうね、ずいぶんと提督に期待されてるわね――だからこそ、もっと頑張らなきゃだめよ。あなたの練度をあげることも、この西方編成に選ばれた理由だろうから」

「わーってるよ。けどさ、それならもっと撃ち合いできる装備がよかったぜ」

 朝霜はそう言って、自分の艤装を見回した。十センチ連装高角砲はまあいいとして、あとは水中探針儀に爆雷である。どこからどうみても立派な対潜装備だ。

「リランカ沖は潜水艦が多いから。演習での対潜戦闘の成績はよかったんでしょう? 期待してるわよ」

 能代がそう言うのに、矢矧がふんと息をついて、

「そうよ、ちゃんとあなたの役割を果たしなさい」

 相変わらず矢矧の声からは険が抜けない。朝霜は、

「はいはい。まあ、あたいにまかせておきな」

 と答えながら、矢矧に見えないように舌を出してみせる。

(なんだよ、あたいと矢矧は知らない仲じゃないはずじゃんか)

 朝霜としてはそう思わざるをえないのだ。

 艦娘としては、たしかにあまり接点や交流はないが、受け継いだ記憶からすると、朝霜と矢矧はあの作戦に参加した仲間のはず――なのだ。ただ、矢矧はそんなことをおくびにも出そうとしない。なんだか拒まれている気がして、朝霜はなんだか面白くなかった。

「あのさあ、伊勢」

 不意に気になって、朝霜は声をかけた。

「うん? なに?」

 先頭を行く伊勢は前を見たまま、背中で返事してくる。

 朝霜はきゅっと拳を握り締めて、訊ねた。

「伊勢は、“北号作戦”っておぼえているか?」

 その問いに伊勢は首をかしげてみせたが、ややあって、

「ああ、そっちの記憶の話か。ああ、うん、おぼえているよ――そういえば、朝霜も一緒だったっけ。いやあ、結構無茶な話だよね、いま思うと。まあ、いまでも危険海域突破して輸送するときは、たまに似たようなことはするけどね」

 そう言って、伊勢がちらりと振り返り、朝霜をみやった。

「北号作戦が、どうかした?」

「いいや、なんでもねえ。ちょっと聞いただけ」

「そう?」

 伊勢は不思議そうに言ったが、それ以上は問いただしてこない。

(ちゃんと、おぼえているんだな)

 朝霜は、そう思った。それは安堵と同時に、さらなる疑念を呼び起こすものだった。

 伊勢の声に屈託はなかった。かつての記憶を思い出すときの言葉は、なにかきっぱりと割り切っているような、そんな印象を受けた。

 矢矧もそうなのだろうか。他の艦娘もそうなのだろうか。

 考えずにはいられない――あんなことを思ってしまう自分こそ、なにかおかしいのだろうか、と。

 朝霜が表情を消して、顔をうつむけたそのとき。

「敵発見! 二時の方角!」

 龍驤の声が、鋭く響いた。

「敵の構成は?」

 手短に聞く伊勢に、龍驤が真剣な面持ちで答える。

「でかいのがおる、戦艦タ級を含む前衛艦隊!」

 その報告に伊勢が舌打ちする。

「厄介な相手が待ち構えているなあ」

「迂回しますか?」

 そう訊ねる蒼龍に、伊勢がかぶりをふってみせる。

「わたしたちは戦いに来たんだよ。敵にお尻みせてどうすんの」

 その言葉に、能代がうなずいてみせる。

「ええ。わたしたちの実力、みせてあげましょう」

 みるみるうちに艦隊の皆に戦意が満ちていくのを朝霜は感じていた。

 とはいえ――朝霜は自分の手元を見やった。

 自分の手にあるのは非力な高角砲だけだ。せめて、魚雷があれば、と思う。

 魚雷による攻撃なら、駆逐艦でも大物を仕留められることができるのに。

 そんなことを思っていると、矢矧がついと寄せてきて、言った。

「駆逐艦の砲で有効な打撃は望めないわ――巻き込まれないように、牽制して撃つようにしなさい」

「わーったよ」

 朝霜は口をとがらせて言った。つい、返事がなげやりになる。

 矢矧のアドバイスは、親切よりも、嫌味にしか聞こえなかった。

 不機嫌が顔に出ていたのだろう、自分を見た矢矧は何か言いたそうだったが、結局、何も言わないまま、朝霜から離れていった。

(知らない仲じゃねえのに)

 なにかというと、自分に辛口な矢矧が、朝霜には面白くなかった。

 

 戦艦タ級の砲が轟音を上げ、随伴の軽巡や雷巡もそれに続く。

 それに対抗して、否、圧倒しようと、伊勢の砲が立て続けに火を噴いた。

 矢矧と能代が海上を駆け、艤装の15.2センチ連装砲が伊勢に続いて放たれる。

 蒼龍と龍驤の艦載機が、猛禽となって敵艦隊に空襲をしかける。

 そんな熾烈な殴りあいの中、砲弾の雨をかいくぐって、朝霜も攻撃をしかけていた。

 とはいえ、まともに狙われないように、敵との距離を置いてはいる。

 本来なら、矢矧や能代よりももっと前に出て戦うべきなのだ。駆逐艦はその快速を生かして敵の先手を取り、肉薄して攻撃をしかけ、空母や戦艦といったより重要な艦を守るのが役目なのだから。

 しかし、戦闘に先立って伊勢の出した指示は、奇しくも矢矧のアドバイスをなぞるかのようだった。いや、まだ前線にだしてもらえただけ、マシかもしれない。

 たしかに、対潜装備が中心の自分では、対艦戦闘では役に立たないだろう。後に待ち受ける潜水艦部隊を考えれば、朝霜は温存しておきたいだろう。

 それはわかる。だが、矢矧や能代も対潜装備はそれなりに積んできているはずなのだ。軽巡と駆逐では載せられる砲が違うし、戦力も同じではないといえ、こんなふうに“ごまめ扱い”をされたのでは、員数外にされているようだった。

(あたいだって、その気になれば――)

 かつての戦いでは、駆逐艦朝霜は東に西に奮闘したのだ。

 艦娘の自分だって、やってみせる――たとえ、彼らが一緒でなくても。

 そう思ったとき、朝霜の胸がきゅうと痛んだ。

 彼ら。そう、あの人たちは一緒ではないのだ。なのに、自分はいまここにいる。

 嗚呼、と朝霜が思い、ふと、ぼうっとした矢先。

「危ないっ!」

 矢矧の叫ぶ声がして、はっと我に返った瞬間、朝霜のすぐそばで大きな水柱が立った。轟音と大波が襲ってきて、朝霜の体をしたたかに打つ。頭から海水をかぶった朝霜は、すっかり濡れ鼠になってしまった。

 至近弾でよかった。そう思っていると、矢矧が寄せてきて、怒鳴りつけた。

「ぼうっとしていないの! 戦闘中よ!」

 矢矧の声がなければ、至近弾が直撃になっていたかもしれない。

 その事実は、逆に朝霜にとって、腹の立つ事実だった。

「うっせーよ! ちゃんと前見てるよ!」

「前だけじゃなくて周りを見なさいっ!」

 相変わらず矢矧は険しい表情でそう言い残し、戦線に復帰していく。

 朝霜が気を取り直して、砲を構えなおした時。

 伊勢の一斉射撃が戦艦タ級に直撃した。

 轟音と共に爆炎が立ち上る――人型に酷似したタ級は顔を苦悶にゆがめながら回頭し、随伴艦と共にやがてその場から引き上げていった。

 

「みんな、損傷はない?」

「蒼龍、怪我はありません」

「うちも大丈夫や――あー、軽く一発もらたけどな、飛行甲板は無事やで」

「能代、損傷軽微。まだやれます」

「矢矧、無事です。問題なし」

 伊勢の問いかけに、艦隊の皆が次々と答える。伊勢が、朝霜に目を向けた。

「あたいも平気だぜ。あの程度、どうってことないさ」

 そう報告したものの、朝霜は異変を感じていた。

 さっきの至近弾のせいだろうか――主機が思うように上がらない。

 懸命に速度をあげているのだが、皆の機動についていくのが精一杯だ。

 矢矧が、ちらとこちらを見てくる。その視線が朝霜には不快だった。

 出発前に言われたことが頭にちらつく。矢矧の前では、失敗などしたくなかった。

 だが――朝霜の願いもむなしく、主機が「ぷすん」と情けない音を立てると、やがてみるみるうちに、朝霜は艦隊から遅れ始めてしまった。

「艦隊減速!」

 異変に気づいた伊勢が号令をかける。

 遅れる朝霜に皆があわせて速度を落とすのが、朝霜にはなんだか悔しかった。

「どうしたの? 主機の調子がわるいのかしら」

 能代が心配そうな顔で寄せてくる。

「へ、平気さ。ただ、ちょっとだだこねちまったみたいで」

「うーん、どうしようかねえ。敵中で艦隊速度下げるのは避けたいなあ」

 伊勢が思案顔でそう言う。蒼龍がうなずきながら、

「けれど、朝霜さんをこのままにもできないでしょう。索敵機を出して、周辺警戒に当たりますか?」

「いっそ、大事をとって引き上げてもいいと違うか」

 龍驤がそう言うのを聞いて、朝霜は、はっとなって声をあげた。

「だいじょうぶ、ほんとにだいじょうぶ。みんなは先行っててよ。まわしてるうちに主機の機嫌もよくなるかもだし、遅れてでもついていくからさ」

 朝霜の言葉に、皆が顔を見合わせる。

 しばしの沈黙の後、声を発したのは矢矧だった。

「一人のために艦隊すべてを危険にさらすのは避けるべきだわ。朝霜さんがこう言ってるのだし、わたしたちは先行しましょう」

 矢矧の言葉を目を閉じて聞いていた伊勢だったが、ややあって、うなずいた。

「そうだね。見たところ目だった損傷もないし、一時的な不調かな――わかった。わたしたちは先へ進むから、あなたは後からついてきて」

 伊勢の言葉に、朝霜はにかっと笑って応えてみせた。

「それじゃ、全艦隊、主機増速!」

 朝霜以外の艦娘が速度を上げて進んでいく。

 遅れる朝霜は小さくなっていく彼女たちを黙って見送った。

 やがて、水平線の向こうに見えなくなってから、朝霜はぽつりとつぶやいた。

「なんか――あの時と同じだなあ」

 機関に異状をきたして、艦隊から落伍して。

 そして、皆と一緒に戦えないまま、一人で――

 そう思い、朝霜は悪寒に身震いした。

 あの時を繰り返してるわけじゃないのに。

 そう思いつつも、つい空を見上げてしまう。

 あの時は、かつての戦いでは、そう、朝霜は孤立して空襲にさらされ、沈んだのだ。

 また、空から襲われたら――そう思うと、頭上の空に目を凝らさざるをえない。

 空を見上げる朝霜の耳に、波を切る音がかすかに聞こえてきた。

 徐々に大きくなるその音に、朝霜が視線をおろす。

 仲間達が去ったはずの水平線の方から、ひとつの影がぽつんと姿を見せている。

 それはどんどん大きくなり、こちらへ近づいてくる。

 砲を構えて目を凝らし――それが誰なのか気づいて、朝霜は思わず目を丸くした。

 黒髪の長いポニーテールをなびかせたその姿は、矢矧であった。

 

「なんで戻ってきたんだよ」

 寄せてきた矢矧に、朝霜はつい棘のある口調で言った。

 矢矧はというと、気にした様子もなく、朝霜の後ろに回って、背負っている主機を見始めた。

「ちょっと見せてごらんなさい。わたしでどこまで直せるかわからないけど、前に明石さんから教わって、ちょっとは知識があるから」

 そう言って、矢矧が朝霜の主機をいじりはじめる。

 かちゃかちゃという音がなんだか気恥ずかしくて、朝霜はもう一度訊ねた。

「……なんであたいのところに戻ってきたのさ」

 朝霜を置いて進もうといったのは、ほかならぬ矢矧だというのに。

「――このままあなたを置いていったら、かつてと同じだなと思ったのよ」

 矢矧がぼそりと答えた言葉に、朝霜は思わず、はっと息を呑んだ。

「艦隊の皆は危険にさらせない。でも、あなた一人を置いていくのも危険だわ。わたしだけでも戻ってあげよう、って思ったの――あの時と、同じにはしたくないから」

「……あの時のこと、覚えているのかい」

「“天一号作戦”――連合艦隊最後の出撃。忘れるわけないじゃない」

 主機をいじっていた矢矧が顔をあげる。朝霜は振り返り、彼女と目を合わせた。

 矢矧の目は、遠くをみているような、悲しそうな、それでいて懐かしそうであった。

「かつての戦いで、軍艦だったあなたやわたしが沈んだ戦いよ。片時だって、忘れたことはないわ――あの時、艦隊から落伍した朝霜を置いていくことになってしまった。坊の岬沖は辛くて激しい戦いだったかもしれないけど、それでも生き延びた艦はいたわ。朝霜もついてこれれば、あるいは助かったかもしれない」

「……だからってさ」

 朝霜は低い声で言った。

「いまここでやり直したからって、かつてのことが変えられるわけないじゃねえか」

「そうね、でも、同じことを繰り返す必要もないわ」

 矢矧の声は、思ったよりも優しくて――それが、朝霜の心に刺さった。

「……元から同じじゃねえんだよ」

 朝霜のその声は、心の底からにじみ出てきた、血のようだった。

 不思議そうに眉をひそめる矢矧に、朝霜は吐き出すように言った。

「あいつらがいねえじゃん。駆逐艦朝霜を動かしていた乗組員がいねえじゃん。あいつらはどこいった? いま何をしている? どうなっている? なんで船だったはずのあたいがこうして女の子の姿をして、いまこうして戦っている?」

 朝霜はぎゅっと拳を握り締めた。力が入りすぎて、拳から血の気が引いていく。

 矢矧はぽんと朝霜の肩に手を置いて、言った。

「わたしたち自身が艦の生まれ変わりみたいなものよ。違う?」

「じゃあ、なんであたいたちだけ生まれ変わっているんだよっ」

 朝霜は怒鳴るように言った。目に、涙がじわじわと滲むのを感じながら。

「あたいに乗っていた人たちは誰も助からなかった! 一人もだ! みんな海の底に消えていっちまった! それなのに、なんであたいだけ“もう一回”をもらって、こうしているんだ? そんなの――そんなの、あいつらに申し訳ないじぇねえか!」

 怒鳴るように、泣きじゃくるように、朝霜は言葉を吐き出した。

 矢矧は、真剣な顔で、それを黙って聞いていた。朝霜が口をつぐみ、洟をすすりながら呼吸を落ち着かせるのをみてとってから、矢矧はようやく言った。

「わたしにも――なぜ、いまここにこうしてあるのか分からない。あの人たちもどこかで違う形で生まれ変わっているのかもしれない。でも、わたしはこう思うことにしている。わたしの魂は、たぶんわたしを支えてくれた人たちの欠片でできているんだ、って」

 矢矧の言葉に、朝霜が大きく目を見開く。

「支えてくれた人たちの欠片……」

「ええ。船だった頃のわたしたちに乗り込んで、動かしてくれた人たち、守ってくれた人たちの思いや願い。そういったものが、降り積もって、折り重なって、わたしたちの魂はできているんじゃないかしら」

 矢矧はそっと目を閉じ、胸に手を当てながら、言う。

「正解は誰にも分からないけど、わたしはそう思うことにしてる。あなたもそう思えるかどうかは分からないけど、艦娘のわたしは、生きて、懸命に戦っている限りは、あの人たちに恥ずかしくないようにしようと、いつも思っているわ」

 矢矧の声は、静かで、それでいて、芯が通っていて、揺るがない何かを感じさせた。

(ああ、そうか)

 思った以上に穏やかな表情の矢矧の顔を見て、朝霜は思った。

(矢矧も、きっと苦しんだんだ。悩んだんだ。そうして――答えを見つけたんだな)

 自分に対してなにかと辛口だったのも、後輩にもしっかりしてほしいとの思いから来たものだったのかもしれない。そう考えると、つっけんどんに応えてしまった自分がいかにも器が小さいように思えて、朝霜はたまらず苦笑いを浮かべた。

「――ありがと、矢矧」

 朝霜は、ぼそっとお礼を言った。大きな声で言うのは気恥ずかしい感じがした。

 それを聞いた矢矧が、ふっと笑みを見せた、その時。

 

 砲弾が飛来する音に気づいたのは、矢矧が先か、朝霜が先か。

 はっとなった二人が頭上を見上げた次の瞬間。

 二人の近くに大きな水柱があがった。

「敵!?」

 矢矧が緊張の面持ちで身構え、朝霜の肩をぽんとたたく。

 主機をあげて回避機動を始めた矢矧に、朝霜も続く。

 水平線の向こうから、黒々とした影が二つ近づいてくる。

 目を凝らした朝霜は、異形の敵の姿を見つけていた。

「軽巡ホ級と軽巡へ級……!」

 どちらもうっすらと赤い燐光をまとっている。一段格上のElite級だ。

「みんなと一緒なら、あんなやつらなんでもないのに!」

 矢矧がそう言いながら、砲を構える。

「朝霜は援護をお願い! あの二体はわたしがなんとかするわ!」

「なんとかするって、おい!」

 同じ軽巡とはいえ、二対一。状況の不利は目に見えている。

 矢矧は、ふっと笑みを見せながら、言った。

「先行した皆が引き返してくるまでの時間が稼げればいいの! だいじょうぶ、阿賀野型の性能は伊達ではないわ!」

 そう言い置いて、矢矧がめざましい快速で海上を駆けていく。

 慌てて、朝霜が追いかけようとした、まさにその時。

 矢矧が狙い済ましたかのように四本の航跡が蛇の舌のように伸びていくのが見えた。

「右舷魚雷! 矢矧!」

 朝霜は必死に叫んだ。

 すんでのところで気づいた矢矧が回避機動を取り、魚雷をかわしていく。

 だが、彼女が舵を切ったその先で待ち構えるように、水柱がいくつもあがった。

「ちくしょう!」

 朝霜は叫ぶと、魚雷が伸びてきたほうに目を凝らした。

 波間に隠れて、いくつもの黒い影が見え隠れしている――潜水艦だ。

 そうと知った瞬間、朝霜の心に戦意の火がついた。

 それは抱いていた鬱屈を薪にして燃え盛り、朝霜の全身へと広がっていった。

「こっちはあたいにまかせな! 矢矧は軽巡を相手してくれ!」

 そう叫び、ぐずる主機を跳ね上げる勢いで敵潜水艦へと朝霜は肉薄した。

 水中探針儀から音波を発し、隠れ潜む敵をあぶりだす。

 朝霜の快速に、深海棲艦の潜水艦は対応しきれないようだった。

 のろのろと逃げようとする動きが、まるで亀のように遅い。

 その鼻先をかすめて、朝霜は爆雷を次々と投下していった。

 放った爆雷が次々と爆発し、海中を衝撃波でかき乱す。

 朝霜が振り返ると、泡立つ海面に、潜水艦の残骸がひとつ、またひとつと浮かび上がるのが見えた。

「よおしっ!」

 われながら見事な戦果に朝霜が思わず握りこぶしを握り締めた矢先。

 『後ろだ!』

 ――誰かにそう耳元で叫ばれた気がして、朝霜は、はっと振り向いた。

 魚雷の航跡が二つ、朝霜を狙って伸びてくる。

 回避機動をしようとして――だが、今からでは間に合わない。

 真っ白になる頭で、朝霜は懸命に考え――手にした砲を海面に向けて撃った。

 一発、二発、三発。次々と水柱があがり、そして、ひときわ大きい水柱が立ち上る。

 砲弾で撃たれた魚雷が反応して爆発したのだ。

 その水柱のしぶきを浴びながら、朝霜は海面を駆けた。

 だが、爆発で乱された海中を隠れ蓑にして、潜水艦が姿を潜めようとしている。

「逃げんなよ! かかってきやがれ!」

 朝霜がそう吠えたその時。

 艦載機のプロペラ音が聞こえた。

 蒼空から、銀の光点が次々と飛来する。

 その半分は、奮闘する矢矧の下へ、そしてもう半分は朝霜へと向かってくる。

 そして、朝霜のかたわらをすり抜け、波間に潜もうとする潜水艦に爆撃を加えた。

『二人とも無事!?』

 通信に伊勢の声が入ってくるのを聞いて、朝霜は嬉しさで飛び上がりそうになった。

『とりあえず蒼龍と龍驤の艦載機を向かわせたわ。わたしたちが着くまでもう少し。なんとか、持ちこたえて!』

 その声に、朝霜は、歯を見せて笑った。不敵な笑みが満面に広がる。

「ああ、待ってるぜ。けどな、それまでにやっつけちまうかもな!」

(それぐらいやってみせるさ。なんたって、エースなんだからな)

 朝霜はそう思い、握った両のこぶしをかつんと衝き合わせた。

 

 伊勢たちの本隊が着けば、襲ってきた深海棲艦など物の数ではなかった。

 二対一で撃ち合っていた矢矧は煤だらけ、朝霜もかぶった海水と汗でびっしょり濡れていたが、目だった損傷はなかった。

「まあまあ、二人ともよう持ちこたえたなあ」

 龍驤が感心したように言うのに、涼しい顔で応えたのは矢矧である。

「往生際がわるいだけよ。わたしを沈めるならあの十倍はもってきてくれないと」

 その言葉に、朝霜がにっと笑って、応えてみせる。

「そうだよな。かっこわりいところ、見せられねえもんな」

 そう言うと、矢矧がかすかに頬を染め、こほんと咳払いをしてみせた。

 龍驤が目を丸くして、訊ねる。

「なんやなんや。誰に見せられへんのや?」

「なんでもねえよ。こっちの話さ」

 朝霜はそう言い、にかっと笑ってみせた。その顔を、能代がまじまじと見つめる。

「――なにか、あったんですか、朝霜さん?」

「へっ?」

 きょとんとしてみせる朝霜の顔を、今度は蒼龍が見つめてくる。

「あら、ほんと。これはなにかありましたね」

「ちょ、な、なんだよ。人の顔、じろじろ見んなよ」

 皆の視線を集める格好になった朝霜は、耳まで真っ赤にして言った。

 その様子を見て、くすりと笑いながら、伊勢が言う。

「そうだね――なんだか、すっきりした顔になったわね」

 伊勢がそう言い、ちらと矢矧に目をやる。

 矢矧はと言うと、知らぬ風を装ってそっぽを向いている。

「さてと、それじゃ、今回はこれで引き上げようか」

 伊勢のその言葉に龍驤がうなずく。

「せやな。序盤でタ級を撤退に追い込んで、潜水部隊を追い散らしたんや。戦果としては充分やろ。西方編成としての出撃はまだまだある。深追いはせんことや」

「じゃあ、艦隊、鎮守府へ帰投する。複縦陣で北東に進路変更!」

 その号令に、艦隊が整列する。

 最後尾につけた朝霜は振り返りながら、叫んだ。

「忘れんなよ! また来てやっからな!」

 生き生きとした、戦意に満ちた声。それを聞いて、艦隊の皆がくすくすと笑う。

「ほんま、元気のええことや」

 半ばあきれ声で龍驤がそう言うのに、朝霜は、にかっと笑ってみせた。

 あの時、耳に聞こえた声は、幻だったかもしれない。

 それでも、たしかに感じ取れたのだ。彼らが、知らせてくれたのだと。

 自分が思い続ける限り、記憶にとどめ続ける限り、彼らも自分とともにある。

 彼らが自分と共にあるのなら――朝霜は思うのだ――自分が健在である限り、彼らもまた生き続ける。それが艦娘としての自分の生き方かもしれない。

 だから、あたいは彼らのことを思い続けよう。決して、忘れないように。

 

〔了〕

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