艦これファンジンSS 「うちの鎮守府」   作:Tico

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むさむさして書いた。やっぱり反省していない。

というわけで艦これファンジンSS vol.28をお届けします。

タイトルからして武蔵が初登場なのですが、今回にしてようやく、というのは、
うちの鎮守府にいままで武蔵がいなかったからなのですよね。

それが、ポール・アレン氏の武蔵動画を見て、
「どれちょっと大型建造まわしてみるかな」と思ったら、一発で武蔵が出たという……
運営から確率アップのアナウンスが出てましたが、よもや、と喜ぶ前にびっくり。
これは武蔵帰投のエピソードを書くしかあるまいと思って、
前からあたためていた艦娘建造の要素も入れて仕立てた次第です。

なお、建造お助けメンバーですが、実際に武蔵建造の際に第一艦隊にいた面々です。
公式四コマを参考にしてそろえたのですが、ご利益あったのかしら。
あ、武蔵掛け軸と武蔵模型も飾っていましたね。

お約束の文言として、「うちの鎮守府」シリーズは、
単独でお楽しみいただけるように気を使っております。
vol.28ではありますが、このエピソード単体でお楽しみいただけますし、
気に入られたら過去作もご覧頂けると幸いです。

ただ、「うちの鎮守府」シリーズには前々からフィナーレの形は構想していて、
今回、それに向けて、ちょっと色々仕込んでいたりします。
風呂敷はまだ畳むつもりはありませんが、畳む仕込みはしておくっていうことで。

それでは、皆様ご笑覧くださいませ。


vol.28 「武蔵の帰投」

 朝の鎮守府は、活気に満ち溢れている。

 これから外洋へ出るもの、訓練に向かうもの、雑務に追われるもの。

 それぞれに事情は異なるが、ここに住まう皆が一日の始まりにとりかかっている。

 ともすれば笑い声さえこぼれてくるその活気の中、彼女は一人静かに歩いていた。

 悠然とした足取りに、すれちがう者のほとんどが感嘆のため息を漏らす。

 平時であっても、彼女の美貌はそれだけ人目を引くものがあった。

 優美な長身、黒く艶やかに流れる髪、凛とした雰囲気と華を感じさせる面立ち。

 外洋に出れば、その身に巨大な艤装を身にまとい、おもむろに敵を蹂躙する。

 そう、彼女は見た目どおりのただの美少女ではない。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 鎮守府に集う艦娘の中でも、彼女は最強の戦力とみなされていた。

 他を寄せ付けぬ圧倒的な火力。なまなかな攻撃は徹さない強固な装甲。

 艦娘としては幾度となく切り札として用いられ、その都度、期待に応えてきた。

 随一の最強戦力と羨望の眼差しを受けることも、ある程度慣れてはきた。

 それでも――と、彼女は思う。

 ――あの子がいれば、自分の心の持ちようはもう少し違ったのかもしれない。

 そう考える彼女の視線の先に、駆けていく一組の艦娘があった。

 お揃いの制服は姉妹艦の証。さざめき笑いあうその姿を見て。

 彼女はここにはいない自らの半身のことを思うのだった。

 戦艦、「大和(やまと)」。

 それが彼女の艦娘としての名前である。

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 艦娘にとって、姉妹艦とは特別な存在である。寝起きを共にすることも多く、気の置けない間柄であり、その絆は深い。だが、いかに姉妹といえども、会ってすぐにその絆を確認できるほど簡単なものでもないのも事実であった。

 

 その建物は、窓がひとつもない、のっぺりとした白い壁でできている。

 見ているだけで薬品のにおいが漂ってきそうなそこは、病院か研究所を思わせる。

 鎮守府の建物の多くが歴史を感じさせる赤レンガ造りなのに比べて、その一角を占めるここはその外見からして、異質さを感じさせるものだった。

 艦娘の中には、ここをひそかに「豆腐おばけ」と呼んでいる者もいるほどだ。

 あるいは、怪談まじりのエピソードをまじえながら、単に「白い家」とも。

 しかし、そこは艦娘にとっては、縁深い場所でもある。

 工廠。装備の開発や改修を行う施設であり、そして艦娘の生まれる場所でもある。

 艦娘は鎮守府内のほとんどの建物に立ち入ることができるが、ここ工廠だけは厳重に立ち入り許可が制限されている。多くの艦娘にとっては、せいぜいが改装時に通される部屋が「潜れる一番深いところ」である。それとて改装時には麻酔措置がほどこされる為に、実際の改装作業はもっと奥で行われる上に、各自の証言を合わせてみても、普通の艦娘が立ち入れる場所はせいぜいが全体の四分の一。地上施設がそれだけの大きさがあり、さらに地下施設の存在も疑うと工廠の全体像はいかほどになるか。

 扉も真っ白な玄関口の前に立って、大和は思わず深呼吸をした。

 手をかざすと、電子音がして、扉が左右に音もなくスライドした。

 足を踏み入れると、全体的に白く、各所に銀色を配したロビーが視界に入る。

 大和が中に入ると、背後で扉が勝手に閉まった。

「おっ、来た来た。あんたで最後だぜ」

 そう呼ぶ声がして、大和は顔を向けた。

 ロビーの一角、ソファが置かれた場所に、数名の艦娘がいた。

 入ってすぐに気づかなかったのは、彼女たちが白衣に身をくるんでいたからだ。

「ごめんなさい。お待たせしましたか?」

 大和がそう声をかけながら歩み寄ると、その中の一人がかぶりを振ってみせた。

「いや、時間にはまだ余裕がある。問題はない」

 凛とした声に、武人然とした眼差し。白衣に身を包んでいても、誰かすぐに分かる――艦隊総旗艦の長門(ながと)だ。艦娘たちのリーダー役であり、そして、今回、大和をこの場に呼んだ人物でもある。

「はい、大和もこれ着てね。サイズはだいじょうぶかしら」

 そう言いながら白衣を手渡してきたのは、目元に色気を漂わせた艶っぽい顔立ちが印象的な艦娘である。長門の姉妹艦の陸奥(むつ)であった。

「なんでわざわざこんなもの着させるんだ? いつもなら普通に入れるじゃねえか」

 大和に手渡された白衣を胡乱な目で見ながら、不平を述べたのは最初に声をかけてきた艦娘である。健康的な快活さが顔に表れていて、言葉遣いは乱暴ながら不思議と女の子としての魅力は損なわれていない。重巡の摩耶(まや)だ。

「そうじゃのう。我輩が前に来たときは、服装そのままのはずじゃったが……」

 むむむ、と唸りながら、自分の白衣をつまんでみせたのは、髪をツインテールに結わえた艦娘である。しゃべり方とは裏腹に、その髪型と顔立ちはどこか幼さを感じさせる。航巡の利根(とね)である。

「これじゃ早く走れなーい」

 そう言って、白衣をひらひらさせて落ちつかない様子なのは、小柄な亜麻色の髪の艦娘である。伝令役としての平時の勤めと、その際の韋駄天ぶりで鎮守府では知らぬものとていない、駆逐艦の島風(しまかぜ)だ。

 大和は白衣に袖を通して、改めて居並ぶ面々を見回した。

 戦艦の長門、陸奥。重巡の摩耶。航巡の利根。駆逐艦の島風。

 ぱっと見た限りでは共通点はないように思える。あえていうなら第一線で戦える練度を持つ艦娘たちだが、それだけにいずれも改修措置は終えているはずだ。艤装はもちろん、その身体もいじる必要はない。

「あれかな? あたしの改装計画があるって提督から聞いてたから、それかな?」

 ふと思いついたように摩耶が言う。その目にはわくわくした期待が隠しきれない。

「それならおぬしだけが呼ばれるはずじゃろう。なぜ我輩まで来ねばならんのじゃ」

「なあんだ、まあ、それもそうだけどさ」

「ひょっとすると、あれかもしれんぞ」

 利根が声をひそめて、摩耶に耳打ちするように言う。

「なにかの事情で我輩たちは“解体”されるのかもしれん」

「ひっ……冗談だろ、おい」

「えーっ、なんでなんで? わたし、なにもしていないよ?」

 摩耶が首をすくめ、聞きつけた島風が疑問の声をあげる。

 解体、というものがどういうものかは艦娘には詳しく知らされていない。わかっていることは、その措置を受けたものはもう艦娘ではいられなくなるということだ。それは撃沈とは異なる意味で、彼女たちにとって、死を連想させる言葉だった。

 思いのほかおびえている摩耶をにやにやしながら見ていた利根であったが、程なく、長門がその頭をぺしんとはたいて、言った。

「ばかなことを言うな。それではこのわたしまで解体ではないか――今日、ここに来てもらったのは、“ム号計画”の手伝いをしてもらうためだ」

「ム号計画?」

 聞きなれない言葉に、利根たち三人がそろって首をかしげる。

 大和自身も聞いたことのない言葉だった。ふと、ちらと見ると、陸奥だけは得心のいった顔をしている――とすると、長門と陸奥は何を行うのか知っているということだ。

 そこへ、ポーンと電子音が響いた。続いて、アナウンスが流れる。

『みなさん、お待たせしました。ム号計画、準備整いました』

『お手数ですが、長門さん、施術室への引率お願いしますね』

 スピーカーから流れる声は、艦娘なら聞き知っている声だった。

 軽巡の夕張(ゆうばり)と、工作艦の明石(あかし)。

(あの二人まで来ているということは――)

 大和は考えをめぐらし、ふと、思い至った。

(――かなり大がかりな措置ということ。まさか、ム号の名前って……)

 はっとして顔をあげた大和は、長門と目があった。その瞬間、長門に心の中を見透かされたような気がして――そして、その長門がわずかにうなずいたように見えて――大和は我知らず動悸が速まるのを感じた。

「ついてこい。こっちだ」

 長門がそう言い、歩き出す。その向かった先は、普段、艦娘が使わない扉だった。

 

「しっかし、ここっていつ来ても変なとこだよなあ」

 長門にしたがって通路を歩きながら、摩耶がそう声をあげる。

「うむ、気のせいか、ぞわぞわするのじゃ。落ち着かんのう」

「通路、ひっろーい」

 利根が応えて、島風が左右にうろうろしながら続く。

「いや、雰囲気もあるけどさ。なんかここだけ、鎮守府のほかの建物よりもハイテクじゃん? さっきのスピーカーだって、鎮守府のはどっか古びた感じの音だけど、工廠のはびっくりするぐらいクリアな音だしさ」

「そういえば自動ドアなのはここぐらいじゃのう」

 利根がうなずきながらそう言う。さっきからいくつもの扉をくぐっているが、そのたびに長門が手をかざすと音もなくスライドして開いている。

 摩耶と利根の会話を聞きながら、大和はふと天井を見上げた。

 随分と歩いたような気がする。

 それこそ、改修措置を受けたときよりも、ずっと深くだ。

 自分たちが踏み入った区域は、はじめて立ち入る場所ではないのか?

 そう考えると、緊張で思わず足がすくみそうになるのを感じた。

 摩耶たちがおしゃべりしてるのも、内心の不安を紛らわそうとしてのことだろう。

 そして、胸の鼓動は高鳴ったままだ。

 もし、自分の考えている通りなら――この先に、“あの子”がいるのだろうか。

「――ここだ」

 長門がそう言い、足を止めた。

 ぱっと見には、ただの壁にしか見えなかったそこは、しかし、長門が手をかざすと、四角く割れ目が入り、扉となってスライドして開いた。躊躇なく長門がそこをくぐり、陸奥がそれに続き、驚いて見ていた大和たちは慌てて後についていった。

 そこは、妙に広い部屋だった。壁も床も天井も白いので、寸法がいまいち掴みづらい。壁際にベッドがみっつ置かれており、サイドテーブルが傍らにある。その上には吸盤のついたケーブルがいくつものたくっている。ケーブルは壁から生えているらしく、付け根のところは電子部品が内臓のように垣間見えていた。

「な、なんじゃ、ここは」

 利根がたじろいでいると、奥の壁に四角の割れ目が出来て、開いた。

「いらっしゃい。そんなに緊張しないでちょうだい」

 白衣をまとってでてきたその人物の顔を見て、摩耶が安堵のため息をつく。

「なんだ、夕張かよ……いったい、何をさせようってんだ?」

「まあまあ、説明はちゃんと長門さんからあるから。さあ、利根さん摩耶さん島風さんはベッドに横たわってちょうだい。呼吸がおちついたら、機器をとりつけていくわね。ちょっとひんやりするけど、まあ、心電図の検査みたいなものだから」

 夕張はそう言うと、利根の顔を――正確には、髪を見て、

「あと、結わえている髪はほどいて、髪飾りもはずしてね。ヘッドギアつけるときのじゃまになるから。おねがいね」

「おい、心電図の検査でそんなもんつけねーだろ」

「だいじょうぶよ。身体的に痛いことはないから、安心して」

「……お前のその言い方、すんげー安心できないんだけど」

 摩耶がぶつくさ言いながらも、ちらと長門の顔を見やる。長門が無言でうなずくと、

「ちぇっ、わかったよ」

 そう言い、摩耶がベッドへ歩み寄る。利根もツインテールをほどきながらベッドへと向かい、島風はスキップ気味の歩調で同じく向かう。

「あの――わたしはどうすれば?」

 大和は三人を見やりながら言った。横たわる摩耶たちに、夕張が手慣れた調子でケーブルを貼り付けていく。それを横目に見ながら、長門が、

「ついてこい。大和には一番重要な役目を担ってもらう――この、奥だ」

 長門が示したのは、夕張が出てきた扉だった。

 

 短い通路の先は、行き止まりに見えたが、やはり扉が隠されていた。

 通りぬけるときにちらと見た限り、扉というよりも隔壁と言っていい厚さだった。

 扉をくぐった先は、天井の高い部屋だった。

 やはり、壁も床も天井も白いが、それでも高さを把握できたのは、壁の一面が真っ白ではなかったからだ。そこは、腰の高さにびっしりと制御卓が配置されている。制御卓の中央には、まるでそこの主のように一人の艦娘が座っていた。赤い髪の彼女は鎮守府では有名な顔だ――工作艦の明石である。普段はにこやかな笑みを絶やさない彼女は、しかし、いま真剣そのものの顔だった。正面のモニターに目を向けたまま、自分を取り囲むキーボードを忙しく叩いている。そして、明石が見つめるモニターの向こう、制御卓のすぐ上は一面がガラスの窓になっている。そこからは隣の部屋の様子がうかがえた。

 壁からは無数のケーブルが生えていて、ところせましと置かれた様々な機器を経由して部屋の中央へと集っている。部屋の端に置かれた鋼のかたまりは、まぎれもなく艤装だ。その艤装にもいくつものケーブルが絡みつき、接続されている。そしてそのケーブルの集う先、部屋の中央には手術台のような台座が置かれ――何者かが横たえられていた。

 姿は窺い知ることができない。

 なぜなら、全身に白いシーツをかぶせられていたからだ。

 その光景を見て、大和は、まるで清められた遺体のようだと思った。そう思った瞬間、背筋をぞくっと寒気が走るのを感じた。ここでなにをしようというのか。あれはなんなのか――自分が見てはならないものを見ているのではと感じたその時。

「時間はあまりないが、ざっと目を通しておけ」

 目の前に、長門が書類を突き出してきた。

 大和が慌てて手にとったその書類の表題には、「第二十六次ム号計画」とある。

 おそるおそるめくった最初のページを見て、大和の鼓動が、とくん、と高まった。

『艦娘としての“武蔵”建造』

 続く文章には、次のような言葉が躍っていた。

『固有記憶からの情報サルベージ』

『複数の艦娘による情報密度の強化』

『姉妹艦“大和”を介しての情報定着の確実化』

 大和は、書類から顔をあげた。

 長門がこちらをじっと見つめ、うなずいてみせる。

 陸奥が、大和の手を取り、そっとヘッドギアを握らせて、言った。

「行ってあげて。眠ったままの彼女を起こすには、肉親の呼びかけが一番だから」

 

『長門だ。今回、皆に集まってもらったのは他でもない――ム号計画、すなわち武蔵建造のためである』

 摩耶たちはベッドに横たわりながら、そして大和はヘッドギアを付けながら施術台のある部屋の壁際に立ちながら、そのアナウンスを聞いていた。

『これまで幾度となく武蔵建造は行われてきたが、残念ながらすべて失敗に終わった。そこで今回は武蔵に縁の深い艦娘たちの記憶を助けとすることで、成功の可能性を高める。これは過去の失敗をふまえた上で立案されたものであり、もちろん提督の承認を頂いている。本来であればこのような形で皆の力を借りることはないのだが、特例措置だと考えてもらいたい』

『摩耶さんたち三人は、艦としての記憶の中にある武蔵を思い浮かべてください。イメージをつかめたら、それを離さないようにつかまえて、つよく意識してください。あなたたちの意思はギアを介して眠ったままの武蔵に伝わります。あるいは、辛い記憶を掘り起こすことになるかもしれませんが、そこは、どうかこらえて』

 長門のあとを引き継いで、明石がアナウンスをする。

 その声にいつになく緊張の色が滲んでいる。

『大和さんは武蔵さんをつよく思ってください。摩耶さんたちのイメージがつなぎとめるロープだとすると、それを引き上げる力が大和さんの思いになります。リラックスして、でもけれども、心の奥からつよく念じてください』

 そう言われ、大和は戸惑い気味に施術台に横たわるそれを見つめた。

 アナウンスの途切れた施術室は、平板な調子の電子音が満ちているだけだ。

 そのことがかえって沈黙をいや増しているように思える。

 物言わぬ、シーツにくるまれたそれを、妹と思うことは難しい話だった。

 そもそも――大和の記憶にある武蔵は、軍艦としてのそれだ。

 思うべきは、まだ見ぬ艦娘としての武蔵だろうか。

 それとも、記憶の底に沈んでいる軍艦としての武蔵だろうか。

 内心でためらいながらも、大和はしずかに目を閉じて、念じた。

 ともあれ、自分の記憶を掬い上げるしかない。

 大和は、まぶたを閉じた暗闇の中で、威容を誇るシルエットを思い浮かべた。

 大和型二番艦、武蔵。

 自分の姉妹艦。そして連合艦隊で最後に作られた戦艦。

 魔物とも化け物とも呼ばれた、史上最大の軍艦。

 だが、かつての戦いでは存在を秘匿され――人々に知られることはなかった艦。

 ようやく出番の来たレイテ沖で、武蔵は九時間に渡り戦ったのだ。

 念願の戦艦同士の撃ち合いではなく――無数の艦載機に取り囲まれての戦い。

 大和の脳裏に、ふうっと、雲霞の群れに包まれる軍艦の姿が浮かんだ。

 それは、かつての坊の岬沖の自分であり――レイテ沖の武蔵でもあった。

 思いを遂げられなかった艦。

 役割を果たせなかった艦。

 最強を謳われながら、最強たるを示せなかった艦。

 大和の胸に去来したのは、深い悲しみと、そして悔しさだった。

「――武蔵」

 声を絞りだすように、大和は名を呼んだ。

 脳裏で、軍艦のイメージがふっと揺らぎ、人影になるように見えた。

 まだぼんやりとしたそれが消えないように、大和はきりと歯をかみ締めた。

「――目をさまして、武蔵」

 先ほどよりも大きな声で、呼びかける。

 返ってくるのは、沈黙と、電子音のみ。

 心の中の人影がぼやけていくように感じて、たまらず大和は声をあげた。

「起きて、武蔵。目をさまして。もう一度、海へ出ましょう」

 自分の言葉に応えるものは、なにもない。

 武蔵、武蔵、武蔵。

 大和は、何度も呼びかけた。

 だが、返ってきたのは沈黙だった。

 目を閉じたまま、大和は息を切らして、それでも名を呼ぼうとして。

 アナウンスが入る音がして、長門の声が流れた。

『――もういい、大和。そこまで呼んで応えないということは――』

「いいえ!」

 諦めに満ちたその声を聞いた瞬間――

 大和の中で渦巻いていた悲しみと悔しさが一気に点火して燃え上がった。

 わたしがどれだけ待ったことか。

 姉妹艦を見るたびにわたしがどんな思いだったか。

 最強の二文字で呼ばれるたびにどれだけ重荷だったか。

 本来なら肩を貸してくれるはずの半身がいないことがどれだけ辛かったか。

 それは、ある意味で、怒りとも言える感情だった。

「起きなさい、武蔵! いつまで眠っているつもりなの! この――」

 昂ぶるままに、大和はあらん限りの思いを乗せて、叫んだ。

「――ねぼすけ!」

 言い放った言葉に、ガラス窓の向こうで長門たちが絶句してるように思えた。

 そして、束の間の静寂のあと。

 単調だった電子音が、いくつも脈打ち始めるのが聞こえた。

 機器がいくつも光りだし、あるいは明滅し、あるいは画面に波形を刻み始める。

 様々な光に彩られだした部屋に、興奮を隠しきれない明石の声が響いた。

『素体からアルファ波とベータ波を確認。艤装とのリンク進行中――適合率、九十九コンマ八、大和型艤装との連結を確認――記憶情報の艦名照合……』

 明石の声が一段と跳ね上がる。

『艦名確認――武蔵です! 成功! 成功ですよ!』

 その言葉を聞いて、大和は思わずその場に座り込んだ。

 部屋の扉を開けて、陸奥が入ってくる。

 陸奥は大和に微笑みかけると、施術台に歩み寄り、そっとシーツをめくった。

 大和は目を見開いて――“彼女”を見つめた。

 真っ白い長い髪。褐色の肌。

 目を閉じている彼女は、どこか自分に似ているようでもある。

 端整な顔立ちに覚醒を感じさせるものがあるとすれば――ひと筋の涙か。

「泣いて……いる?」

「――目覚める前の艦娘はみんな泣いているのよ」

 陸奥が自分を見つめてくる。そのまなざしは、慈しみに満ちていた。

「なぜかはわからないけど、みんなそう。大和、あなたもそうだったわ」

「ご苦労だった、大和」

 長門が施術室に入ってきて、そっと自分に手を差し出してくる。

 助けを借りて立ち上がった大和の肩に、長門は手を置いて言った。

「あとの調整は、明石たちの仕事だ。部屋で待機しているといい。ほどなく、目覚めた武蔵がお前の元へ行くだろう。姉として、精一杯迎えてやるといい」

 長門の眼差しも、また優しい。かすかに目が潤んでいるようにも見えた。

「よかったな、大和――これでもう一人ではない」

 その言葉をかけられて、ようやく大和は、うなずくことができた。

 

 部屋に戻った大和は、たまらずベッドに倒れこんだ。

 工廠にいたのは、二時間程度だったと思うのだが、もっといたような気がする。

 いざ落ち着く場所に来ると、のしかかってきた疲労は並々ではなかった。

 あの工廠の落ち着かない雰囲気のせいだろうか。

 武蔵を呼び覚ますために記憶を掬い上げ、必死に呼んだためだろうか。

 それとも――あの異様な光景を目にしたことがショックだったのか。

 艦娘がどう建造されるかは、通常の艦娘は知らない。

 大和でさえ、あの工廠でどのようなことが行われているか、知らなかったのだ。

 つい、いましがたまでは。

 まるで魂呼びのようだ――大和はそう感じた。

 去ってしまった死者の復活を願って、その名を呼ばわる行為。

 施術の様子と、目を通した資料の単語が、頭の中をぐるぐると巡る。

 武蔵が戻ってくるという喜びよりも、戸惑いの方が大きい。

 あれは、なんだったのだろう。わたしは、何をしたのだろう。

 そう考えながら、大和は目を閉じた。

 少し、休もう。疲れたままの顔を見せるわけにはいかない。

 そう思い、束の間、まどろみに身をゆだねて。

 落ちている時間は――体感では、ほんのわずかだったが。

「おい、起きろ」

 まるで野獣がうなるかのような声。

「いつまで寝ている、ねぼすけ」

 荒っぽい言葉遣いは、初めて聞くものながら、どこか懐かしくて。

 はっとして、大和は目を開け、飛び起きた。

 ベッドに横たわる自分を、褐色の顔が見下ろしている。

 二つに結わえた髪。銀のフレームの眼鏡。

 めざめたその顔は自分に似ているようでいながら、より勇ましさを感じさせる。

 そしていま、その表情はあきれた色をみせていた。

「どんなふうに出迎えられるかと思っていたが、まさか居眠りしたまま姉に迎えられるとは思わなかったぞ」

 そう言って、彼女はにやりと笑い、手を差し出してきた。

 大和は目をぱちくりさせ、しばし考えて、ようやく意図に気づいた。

 彼女の手をとると、ぐいっと思ったよりも力強く引っ張りあげられた。

 引っ張り起こしても、手は握ったまま、彼女がじっとこちらを見つめてくる。

 まるで獲物の見定めをしているようだ、と大和は感じた。

 ややあって、彼女は、ぼそりと訊ねてきた。

「あなたが、大和でいいんだな?」

「え、ええ、そうよ」

 答えた大和の顔を、いや、全身をまじまじと見つめてから。

 彼女は口元をにやりとつり上げて、言った。

「大和型二番艦、武蔵だ。よろしくな」

「こちらこそ――」

 短い挨拶にどう返したものか、大和がとりあえず返事をすると、武蔵は眉をひそめてぽりぽりと頭をかいたが、部屋を見回して、言った。

「ああ、長門に言われたんだが、とりあえずわたしと大和は相部屋になるらしい。わたしが鎮守府に慣れるまでは、ということで、もし不満があるならその後に部屋を分けても良いといってたな」

「……そう、わかったわ」

「――うん? わたしが相部屋では何か困るか?」

「そうではないけれど……」

 大和は戸惑っていた。艦娘というよりも、鎖につながれていない猛獣を見る気分だ。

 それだけ、武蔵の全身からは、何かの気迫が満ちあふれていた。

 闘志のようであり、殺気のようであり、それは周囲を威圧しながらも、見るものの目を離さずにつなぎとめる、無視できない何かだった。

 大和も似たようなことを言われたことがある――「あなたには華がある」と。

 では、自分にとっての華が、武蔵ではこのような形になって現れるのか。

「しかし、わたしの姉の大和だというから、どんな豪傑かと思っていたが――また随分と大和撫子な顔立ちだな」

 武蔵の言葉には、まるで遠慮というものがなかった。

「もっと勇猛な顔を期待していたが、ふうむ」

 そこまで言われては、さすがに大和も腹が立つ。

「ちょっと、その言い方は何ですか。艦娘は顔で決まるものじゃありませんよ」

「いや、たしかにそうだが。あの長門はなかなか良い面構えだった。どこまで練成を重ねればあんな顔になるか分からんが、あれぐらいの凛とした顔を期待してたんだがな」

「わたしの顔が腑抜けていると言いたいんですか?」

「いや、そうじゃない。おまえの顔はたしかに美人だと思うが、しかしなあ」

 なにやら納得のいかない様子の武蔵を見ていて、大和はだんだん腹が立ってきた。

「この鎮守府では、ビッグスリーと数えられるぐらいの練度があるんですからね! わたしが顔だけ綺麗な艦娘かどうか見せてあげましょうか?」

 挑発気味にいったつもりの言葉に、武蔵のにやにやがさらに強まる。

「おっ、いまちょっと良い顔したな。だけど、まだまだだ。なにより『ビッグスリー』なんて数えられているのが良くない。大和型ともあろうものが、他の追随を許すとはいったいどういう了見なんだ?」

 眉をつりあげてみせる武蔵の言葉に、大和は顔をひきつらせた。

 たしかにこの艦娘は武蔵であり、妹であるかもしれないが、あまりにも目上――この場合は、姉としてか先輩としてかはさておき――に対する尊敬の念に欠けている。

 一度、きつくお灸をすえておかねば、舐められっぱなしになるのでは。

 大和がそう思い、怒鳴りつけようとしたその時。

 部屋の扉をノックする音がするや、応答をまたずに開かれた。

 頭を覗かせたのは、島風である。

「提督が二人を呼んでるんだけど――」

 島風は、武蔵と大和をかわるがわる見ながら、言った。

「――もしかしてさっそく姉妹喧嘩中?」

「そんなことは――」

 大和が言いかけたところへ、武蔵が遠慮なく言葉をかぶせてくる。

「喧嘩などしていないぞ。ちょっと姉妹の絆を確かめ合っていただけだ――ところで、お前は誰なんだ?」

「そっか、はじめましてだね。島風だよ」

 ぺこりと、島風が頭をさげるや、武蔵が獲物に襲い掛かる豹の勢いで駆け寄り、小柄な島風の体を抱きあげながら、声を弾ませて言った。

「そうかあ! おまえが島風か! いやあ、艦娘だとまた可愛らしい姿になったなあ」

「わ、わわ、高い、高い!」

「うん? 高いのは好きか? そーれ、高い高い」

「ちょっと、お、おろして……」

 戸惑い気味の島風に構わず、笑いながらその体を抱き上げる武蔵。

 それを見ながら、大和は思わずげっそりとなっていた。

 

 提督執務室。この鎮守府で最も重要な部屋のひとつである。

 そして、艦娘にとっては、敷居の高い場所でもある。

 その重厚なマホガニーの扉に呼ばれることは、普段は三通りしかない。

 なにかやらかして大目玉を食らうときか。

 目ざましい功績を立てて直々に表彰されるか。

 さもなければ提督自らが説明しなければならない重要な作戦に起用されたか。

 そこにあえて四つ目を加えるとしたら、艦娘が着任した時が挙げられるだろう。

 艦娘の例に漏れず、武蔵も提督に挨拶をせねばならない。

 大和は、武蔵を案内して、執務室の前へと案内した。

 そこまではいい。

 問題はそこからだ。

 大和といえど、ここに入るのは緊張する。

 入る前は数呼吸置いて、気分を落ち着かせてから入るのが常だった。

 ところが、武蔵はこともなげに「ここか」と言うや、造作もない様子で扉をノックし、中から応答があるや、これまた緊張のかけらもない様子で扉を開けたのだ。

(ちょっと、この子ったら――!) 

 武蔵に先を越された形になった大和は、一瞬、目を白黒させたが、すんでのところで踏みとどまり、どうにか武蔵に遅れずに部屋に入った。

 重厚な机の向こう、書類の山脈に埋もれて、提督が座っている。

 白い海軍制服に身を包んだ彼は、壮年のようであり、もっと若くも見え、あるいは、より老成した雰囲気もあわせもっていた。正直、実年齢は不明なのである。

 武蔵と大和は並んで敬礼した。

「大和型二番艦、武蔵。本日付で着任しました」

 その名乗りに、提督が立ち上がって答礼する。

「提督だ。よろしく頼む――なおれ」

 その言葉に、武蔵と大和は敬礼を解いた。

 大和はちらと横目で武蔵を見た。いまのところは、武蔵も真面目な顔をしている。

 提督がゆっくりと歩み寄り、武蔵を見つめて、ふむ、とうなずいた。

「姉妹にしては随分と見た目が違うな。雰囲気はどこか似たものを感じるが」

 その言葉に、武蔵がにやと口の端をつりあげるのを、大和は見逃さなかった。

「なにはともあれ、当分は練成につとめてくれ――よろしくたのんだよ」

 そう言って、提督が武蔵に手を差し出す。

 武蔵は――遠慮なく、その手をむんずと握った。

 のみならず、提督の肩をばんばんと叩いてみせた。

(ちょっと、武蔵、あなた――!)

 大和が内心で悲鳴をあげるのにも構わず、武蔵はにやりと笑いながら言った。

「まかせておけ、随分と待たせたようだが、大和型にふさわしい働き、存分にみせてやるぞ――しかし、なんだな、提督はもう少し体を鍛えたほうがよいのではないか?」

 肩を叩くのに飽き足らず、こともあろうに提督の胸板をつつきだした。

(なにをやってるのよ、武蔵ぃぃぃぃ!)

「わたしの上官ともあろうもの、もう少し風格を持ってほしいものだ。そう、こう見るだけで安心感を与えてくれるような質量というか、だな」

「いや、書類仕事が多くてな。最近、たしかに体がなまっている」

 提督が、はははと笑って応えてみせるが、その顔はかすかに引きつっている。

 大和は、何も言わなかった。言えるだけの我慢の限界を超えていた。

 だから、武蔵の腕をつかんで、むんずと引っ張った。

「お?」

 武蔵が声をあげる。大和は無言のまま、武蔵をずりずりと引きずった。

「お、おいおい、大和?」

 武蔵の呼びかけに、大和は振りむいて、微笑んでみせた。

 それを見た武蔵が目を丸くし、銀の眼鏡がずりさがる。

 提督でさえ、口をあんぐりと開けて、両頬を押さえてみせた。

(笑顔――提督の前では笑顔よ、大和)

 自分に言い聞かせて、微笑みを張り付かせたまま、大和は武蔵を引きずっていった。

 

「分かったから、もう怒るな、大和。なあ?」

 武蔵が苦笑を浮かべながら言ってくる。

 そのことが、なおのこと大和には腹の立つことだった。

「――いくらなんでもあの態度は提督に無礼よ」

 眉をひそめながら、大和は言った。

 鎮守府内の各所に置かれたベンチ。そのひとつに、二人は腰掛けていた。

 大和が端の方に座り、武蔵が中央という座り方である。

 先に大和が座ったところ、自分にぴったりくっつくように武蔵が座ってきたのだ。咳払いして間を空けると、その空いた隙間を武蔵が詰めて来る。わずかな時間のやりとりだったが、結果、大和が端まで追い詰められたというわけだ。

(なにが分かった、よ。全然わかっていないじゃない、この子)

 武蔵は――あまりにも遠慮しないのだ。

 気さくだと言えなくもない。今も、武蔵を新入りと見てとった艦娘が挨拶をしてくるのにも気軽に答え、駆逐艦の数人がものめずらしそうに自分たちを遠巻きに見てくるのにも気を悪くした様子はない。その意味では、美点ではあった。とはいえ――

「しかしだなあ、大和」

 ――-会ってわずかな時間で、姉さん付けもないままのこの呼び捨ては癪だ。

「上に立つ者にそれなりの威厳を求めるのは当たり前のことだろう。提督しかり、姉しかり、だ――大和はもう少し堂々としてほしいものだ。なにしろこの武蔵の姉だからな」

 その言葉に、大和はひきっと顔をひきつらせた。

「姉と言うのなら、もうちょっと敬意を払った態度を見せてほしいわね」

 棘のある口調でそう言うと、武蔵はこともなげに切って捨てた。

「ああ、大和がそれにふさわしい威厳を身につけたらそうする」

 ではいまは威厳がないということか――そう思うと、ますます癪だ。

「どうもなあ、大和は何かに遠慮しているように見えるぞ。史上最強の戦艦、その名と記憶を継ぐ艦娘だろう? 鎮守府のてっぺんを取りにいくぐらいの気構えでないとだめじゃないか。たしかに長門は強そうだが、あれぐらいどうにかしないと――」

 その言葉に、大和の堪忍袋の緒が切れた。

 立ち上がり、武蔵に人差し指を突きつけて、言う。

「――来たばかりのあなたに何が分かるというのっ!」

 もっと堂々としろ?

 鎮守府の頂点に立て?

 艦隊総旗艦たる長門を倒せ?

 気楽に言ってくれる。

 武蔵に何がわかるというのだ。生まれたばかりの艦娘である武蔵に。

 かつての艦としての名も記憶も、艦娘としての強さに寄与するものではない。

 むしろ、弱さにこそつながりかねないものだ。

 長門が、大和にとって、目標であり、超えるべき壁であり、そうしてずっとかなわない相手なのは――彼女が、スペックでは計れないところにある強さを持っているからだ。

 そして、大和にとって、長門が真に尊敬できるのは、その強さを最初から持ち合わせていたわけではなく――他の艦娘たちから聞く限りでは――自分を鍛え続けた結果、築き上げ、勝ち得たものだからだ。

 その憧れを、「あれぐらい」だなどと呼んでほしくない。

「あなたに、いったい、何が――」

 大和が言い募ろうとして、涙に声が詰まったそのとき。

「――おお、おったおった!」

 快活な声がその場の空気を破った。

 見ると、利根と摩耶が駆けて来るのが見えた。

「おぬしが、武蔵じゃな。いやあ、こうして会えるとはな! 我輩は利根である!」

「ふうん、大和とは随分と雰囲気違うんだな――あたしは摩耶。よろしくなっ」

 二人の乱入で、その場に張り詰めた緊張が緩んだ。武蔵、と聞きつけた駆逐艦たちが、それまで遠巻きに見ていたのがわらわらと集まり始める。

「ああ、よろしくな」

 愛想よく応える武蔵が、またたく間に艦娘たちに取り囲まれる。

 その輪から大和ははじき出され――しばらく武蔵を見つめていたが、

「ふん!」

 そう鼻息をつくと、大和はつかつかとその場を歩み去った。

 ――たった一度も振り返らなかったから、大和は気づくよしもなかったが。

 挨拶に応えながらも、武蔵の目線は去っていく大和にずっと注がれていた。

 

 波が寄せては返し、また寄せてくる。

 青い水面がコンクリートにぶつかるたびに白い波濤に変じる。

 その様を、岸壁に座り込んだ大和はぼうと眺めていた。

 思わず、口からため息が出る。

 あれが武蔵。あれが妹。あれがわたしの半身。

 そう考えると、大和は納得できない何かを感じずにはいられなかった。

 自分の分身を求めていたわけではないが、ああも相容れないと本当に武蔵なのかと疑わざるをえない。

 武蔵のあの性格はどこから来たものか。

 元の艦の記憶が影響しているのか。

 それとも、あの身体がもともと持っていたものか。

 そう思った大和の脳裏に、工廠での光景がよみがえってきた。

 のたうつケーブル。シーツで覆われた身体。脈打つ電子音。そして、ひと筋の涙。

 あれで武蔵が目覚めたというのなら――その前の、あの身体は、何だ?

 そう考えて、大和はぞくりと怖気が走るのを感じた。

 武蔵とは――いや、本来、自分とは、艦娘とは、何なのだ?

 その疑念で胸のうちが塗りつぶされそうになった、その時。

 不意に、頬につめたいものが当てられた。

「――ひゃん!」

 大和が首をすくめて振り向くと、陸奥がラムネの瓶を当てていた。

「はい、息抜き、どうぞ」

 陸奥が微笑んでラムネを差し出すのを、大和は受け取った。

「……息抜き、どうも」

「隣、いいかしら?」

 その問いに大和がうなずくと、陸奥が腰かけた。

「だいぶ、戸惑っているみたいね」

「……何のことですか」

「武蔵のことよ」

 陸奥の指摘に、大和は黙り込まざるをえなかった。

「まあ、急に妹だって言われても、なかなか受け入れられないわよね」

 そう言った陸奥の言葉に、大和はふるふるとかぶりを振ってみせた。

「違うんです――あまりにも、自分とは性格が違いすぎていて」

「あら、姉妹艦で性格似てる方が珍しいわよ。わたしと長門を御覧なさいよ。利根や摩耶の姉妹は? 衣装は同じようなのを着込んでいても、中身はまるで違うじゃないの」

「長門さんと陸奥さんは、あまり姉妹という感じがしません」

「そうねえ。そうしようとして、結局、上手くいかなかったのよねえ」

 陸奥の声は、どこか懐かしんでいるかのように聞こえた。

「最初は長門のこと、お姉さんって言おうとしたんだけど、お互いにしっくりこなくて。わたしたちの場合は、長門が後から来た艦娘だったから、余計にややこしかったわ」

 そう言って、陸奥は大和に苦笑いを浮かべて見せた。

「大和はまだマシよ。お姉さんの方が先に来てて、先輩風吹かせられるんだから」

「……武蔵には、姉や先輩を敬おうという気持ちがあるとは思えません」

「甘えているのよ」

 あっさりと、陸奥は言ってのけた。

「しゃちほこばって線を引かれるよりもいいじゃないの。あとは、場数ね」

「場数……ですか」

「そう。最初は合わないかな、と思っても、言葉を交わすうちに分かるものよ」

 陸奥が空を見上げた。その視線の先に思い描く顔は、大和にも想像できる。

「ああ、やっぱり、この子は姉妹なんだって――たとえ、初めて見た姿が、施術台の上に寝かされた、もの言わぬ身体だったとしても、ね」

 その言葉に、大和はびくりと肩を震わせた。

「――大和がわだかまりを感じてるのは、本当は武蔵自身じゃないでしょう?」

 続けた発せられた陸奥の言葉は、見えざる矢となって大和に突き刺さった。

「……艦娘の建造があんなふうになっているなんて知りませんでした」

 大和の声は、かすかに震えていた。陸奥が、そっと大和の肩を抱き寄せる。

「わたしも最初はびっくりしたわ。これが長門です、って言われて――なかなか受け容れられないわよね。あれを見ちゃうと」

「あの身体は……何なのですか。わたしたちが、わたしたち自身だと思っているこの身体は、本当は何なのですか。ム号計画は二十六回目だと言ってました。それじゃあ、それまでの失敗した二十五回はどうしていたんですか」

 二十五回ともあの身体を使っていたのか――

 それとも、まさか、建造ごとに取り替えていたのか。

 取り替えていたのなら、それはどこから来て、どこへ行ったのだ。

 考えるほどに心が寒くなり、凍えそうになるのを――かろうじて陸奥の手のぬくもりがとどめてくれているようだった。

「推測はできるわ。ただ、わたしも知らない。艦娘建造に立ち会ったのはわたしも数回だけ。そのたびに違う子だった――でも、本当は何が行われているか、何人かは知ってるはず。そうでないと鎮守府が回らないもの」

「誰が……知っていると?」

「提督はもちろんよね。後は、長門に……事務方の大淀(おおよど)。工作艦の明石。兵装実験艦の夕張――それから、遠征任務に出ている、叢雲(むらくも)さん」

「叢雲さんって、たしか……」

「ええ、この鎮守府最初の艦娘、“初期艦”よ――実のところ、たぶん全部把握しているのは、提督、長門、叢雲さん。この三人じゃないかしら。長門だって、叢雲さんに教えてもらうまでは何も知らなかったみたいだし」

「叢雲さんが、長門さんに……」

「前にちらとだけ聞いたことがあるわ――もともと、ここには鎮守府なんてなかった。最初にあった建物は、あの工廠だけ。艦娘が着任するようになってから、鎮守府の建物は作られたんだって――そして、叢雲さんは、その頃から……鎮守府が鎮守府と呼ばれる前、実験部隊の頃からいるという話よ」

 そこでいったん言葉を区切り、陸奥は大和の目をじっと覗き込んだ。

「それこそ、わたしたちという存在が、“艦娘”と呼ばれる前から」

「艦娘が、艦娘ではなかった時期がある――と?」

「わたしにわかるのはここまで。もし興味があるなら――いえ、覚悟があるなら、叢雲さんに直接訊ねてごらんなさい」

「陸奥さんは、聞かなかったんですか?」

「聞いてみたわよ。でも教えてくれなかったわ」

 肩をすくめて、陸奥は言った。

「叢雲さんったら、表情を消してこっちの目をじいっと見つめてきてね。その目があまりに怖かったから身震いしたら、ため息つかれて――『だめ。あんたに背負えると思えないから』って。でも、あの目は本当に怖かったのよ。暗闇の中から誰かに見つめられている感覚あるでしょう? あれをそのまま持ってきたような視線だったわ」

 それが本当なら。叢雲からすべて教えられたというあの人は。

「それじゃあ――長門さんには背負えると判断されたんでしょうか」

「だからこそ、あの子が艦隊総旗艦をやってると言えるんだけどね」

「……悔しく、ないんですか? 長門さんに並ぶっていつも言ってるのに」

 大和の問いに、陸奥はすっと目を細めて、答えた。

「叢雲さんの試験はパスできなかったけど、提督がいつか教えてくれるかもしれないから――わたしは、そっちに賭けてるの。あなただって、分からないわよ。長門があれを見せたってことは、少なくともそこまでなら、あなたはだいじょうぶだって判断したから」

 陸奥のその言葉に、大和は少し救われた思いがした。

 長門がそこまで認めてくれたということと。

 そうまでして、長門たちが大和を姉妹と引き合わせたかったのだということに。

「――艦娘って、いったい何なんでしょうか」

 ぼそりとつぶやいた大和の言葉に、陸奥はそっと目を閉じて、言葉を発した。

「“われわれはどこから来たのか。われわれは何者か。われわれはどこへ行くのか”」

 それは、大和も知っている言葉だった。

 絵画のタイトルであり、とある宗教の問いでもある言葉だ。

「人間にとっても、永遠の問いね。叢雲さんは“事実”を知っているかもしれないけれど“真実”ではないわ――それより、あなたは武蔵に言うべきことがあるんじゃない?」

 問われて、大和は首をかしげて見せた。

 あの遠慮のない、ありていに言えば無礼な妹に、何を言うべきだというのか。

 困惑気味の大和の顔を見て、陸奥がふうとため息をついてみせた。

「そんな顔をするってことは、まだ言えてないわけね――ラムネ飲みながら考えてごらんなさい。それが姉としてあなたがすべきことよ。これは、わたしからの出題。叢雲さんに質問する前に、まずこちらをクリアしてごらんなさい」

 そう言うと、陸奥は立ち上がり、ラムネを置いて立ち去って行った。

 

「失礼するぞ、提督」

「――ノックして即座に扉を開けるとは、本当に失礼だな、武蔵」

「すまん。気が急いていてな」

「大和は一緒ではないのか?」

「それが……はぐれてしまってな。いや、逃げてしまったというべきか」

「艦娘ってのは、悩み事があると海を見に行くものだ。海べりを探せ」

「そうか――なあ、提督」

「なんだ」

「大和はわたしを嫌っているのだろうか」

「とまどっているのは間違いないな。なにせお前は遠慮がなさすぎる」

「そうか? やっぱりそうか……」

「自覚はあるんだな。礼儀は身につけろ。なにより、大切な人を守るためだ」

「――わたしは、姉である大和に、遠慮などしたくはないんだ」

「会ったばかりで大和が姉だと断言できるのかね」

「――水底の暗闇にいたときに聞こえてきた声と、同じだった」

「……ほう」

「悲しくて、泣き出しそうで、わたしと同じつらさを知ってる声だった」

「つらさ、ね」

「いや、あれはわたし以上かもしれない……ここに来たのは他でもない。提督」

「なにかね」

「大和は――戦艦大和は、どんな最期を迎えたのだ?」

 そう問いかける声は、真摯そのもので。

 武蔵の顔を見た提督は、ふうと息をつくと、棚から資料を取り出した。

「いつか聞いてくるとは思っていたが――こうも早いとは思わなかったな」

 沈痛な声で、そう言いながら。

 

 沈もうとする夕日が、中身が入ったままのラムネの瓶を照らしている。

 その橙色の光の中で、大和は寄せては返す波を眺めたまま、考え込んでいた。

 武蔵に何を言うべきなのか――考えてみたが、答えは出ていない。

「ここにいたのか」

 不意に背中から声をかけられ、大和は振り返った。

 武蔵が、立っている。眼鏡に夕日が反射して、その表情はうかがえない。

「ひとつだけ答えてくれ――いまの提督は、どういう方なんだ?」

 その声は、真剣さに満ちていて。

 それだけに、大和も答えるのに、ひと呼吸を必要とした。

「立派な方よ。尊敬できるし、頼りにもしているわ」

 大和の答えに満足していないのか――武蔵は黙りこくっていた。

 もうひと呼吸おいて、大和は言葉を続けた。

「ミスがまったくないわけじゃない。でもその見通しはいつも的を得ているし、あの人の作戦はいつも成功してきた……わたしだって、決戦戦力だからって温存したりはしない。勝負どころでは常に出番をくれる。その時が来たと判断したら、躊躇なく切り札を切れる人よ」

 それは、大和が誇れることだった。

 MI作戦での鎮守府防衛。トラック泊地防衛の中枢戦力。

 常に決戦の場に大和は出動を命じられ――そして、彼の期待に応えてきたのだ。

「そうか……それなら、あのような戦いに大和が使われることはないのだな」

 武蔵が、ぼそっとつぶやくように言う。

 あのような戦い――それが何を指すのか、大和には言われずともわかった。

 武蔵が、空を眺めながら、続けて言った。

「レイテでわたしは沈んだ。戦艦同士の撃ち合いを果たせないまま、無数の艦載機にたかられて、それでも、必死でもがいて、沈んだ――それはいいんだ。わたしが身代わりになることで、他の艦を……大和を救えるのなら、それでもよかった。だが!」

 武蔵が、だん、と足を地面に蹴りつけた。その肩が、わなわなと震えている。

「大和の最期の戦いはあんまりだ! あれでは自決ではないか! そんな、無意味な戦いに大和型を駆り出して――それでは、わたしたちは何のために生まれてきたのだ!」

 怒りに満ちた武蔵の声を聞いて、大和は、不思議と安堵していた。

 武蔵の問いは、大和自身、何度なく自問し、何度となく答えが出ず――

 そして、最近になって、ようやく自分でも整理がついた問いだった。

「――だからこそ、わたしたちは、いまこうして在るのかもしれないわ」

 艦娘が何なのか。大和の中で芽生えた疑念はいっかな消えようとしない。

 ただ、確かなのは――二度目の生を受けた今は、救いがあるということだ。

 かつての悲しみの運命をくつがえし、本来あるべきだった姿を全うできる救いが。

 大和の言葉に、武蔵は肩を震わせるのをやめた。

「……もし、提督が」

 大きくひと呼吸置いて、彼女は言った。

「かつてのようにわれわれを飾っておくような人間であれば、引き返して殴ってやるところだった。そうではないのだな。わたしたちをちゃんと使ってくれるんだな――大和が、何度も実戦に出て、それでも、わたしの目の前にこうしているということは……つまり、そういうことなんだな」

 武蔵の言葉は、嗚咽まじりだった。

 両の眼からぽろぽろと涙を流す彼女を見て、大和はラムネを手に取って立ち上がり。

 そして、彼女に歩み寄り、その眼鏡を取って、彼女の潤んだ目尻をそっとぬぐった。

(嗚呼。やはり、この子はわたしの妹なのだ)

 武蔵の顔を見つめながら、大和は自分でも驚くくらいに穏やかな気持ちだった。

(大和のために、ここまで怒り、ここまで泣いてくれる艦娘が他にいるというの?)

 ふと、大和は、手にしていたラムネを武蔵に差し出した。

 武蔵は無言で受け取ると、すっかりぬるくなってしまったそれを一息で飲み干した。

 顔を戻した武蔵は、すっかり、あの遠慮のない顔つきになっていた。

「……この武蔵が、来たのだ。もう鎮守府最強の二つ名を大和ひとりで背負うことはないぞ。随分待たせてしまったようだが――わたしも、また、ここに在るのだからな」

 気迫に満ちたその声は、しかし――

 ――大和には、小さな子供が背伸びをしているように思えて。

 かけるべき言葉は、そんな彼女を見ていると、するりと胸の中から出てきた。

「おかえりなさい、武蔵」

 大和のその言葉に、武蔵が満面の笑みを浮かべる。

 待ち望んでいたのだろう、その言葉を聞いて、武蔵は言った。

「ああ、ただいまだ」

 

「ところで大和。さっきから気になっていたのだが」

「なにかしら?」

「その左手の薬指にはめた指輪はなんだ? 旦那でもいるのか?」

「こ、これは……提督に認めてもらった証っていうか、その」

「ほほーう。それでは、わたしももらえるように励まねばな」

「だ、だめっ!」

「なぜだめなんだ」

「それは……」

「言えない理由か?」

「うう……」

「本当に奥ゆかしいやつだ、大和は」

 武蔵がそう言って笑ってみせる。

 大和も照れ笑いを浮かべてみせる。

 鎮守府の寮へと肩を並べて歩いていく二人を。

 かすかにまたたく一番星がしずかに見守っていた。

 

〔了〕

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