艦これファンジンSS 「うちの鎮守府」   作:Tico

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というわけで、艦これファンジンSS vol.30をお届けします。

アニメ艦これは色々と賛否両論でしたが、吹雪・睦月・夕立の仲良し三人組は
なかなか良かったなと個人的には思う次第です。

で、この三人、わけても吹雪を「うちの鎮守府」的に描いたらどうなるかなと
思ったのが、本エピソードを思いついたきっかけです。
ゲーム的には、吹雪Lv71、夕立Lv90、睦月Lv31と随分と差があって、この違いを描ければな、と。

あと今回もお色気シーンに挑戦しています。大丈夫、R-15に収まっているはずです。
まったく、駆逐艦は最高だぜ!(憲兵さんこっちです)

さて、お約束の文言として、「うちの鎮守府」シリーズは
単品でお楽しみいただけるように気を遣ってかいております。
本エピソードからでもちゃんとお読みいただけますし、
気になったら他のエピソードもつまみ食いしていただけると幸いです。

それでは皆様、ご笑覧くださいませ。


vol.30 「わたしにできること」

 平時であれば深い紺碧を誇るその海原は、いま白く泡立っていた。

 次々と爆雷が投下され、それが水中で爆発し、海をかき乱しているのだ。

「右舷方向、雷跡四つ! 回避して!」

 仲間の声に、少女は、はっと顔をあげ、波を蹴った。

 身にまとう鋼の艤装。セーラー服にも似た、黒と白の衣装。

 滑るように海面を駆ける者が、ただの女の子であろうはずがない。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 柔らかな黒髪も、胸元の青いリボンも、波をかぶって濡れそぼっている。

 額に流れるのは汗か海水か――その顔は、緊張感と高揚感が入り混じっていた。

 実戦なら、何度もこなしてきた。

 それでも、限定作戦という大舞台に立つのは、これが初めてなのだ。

 敵機動部隊を邀撃するための前哨戦。潜水艦に封鎖された泊地の解放。

 自分たちの働きが、後に続く艦娘たちの命運を握っているのだ。

「いっくよー! 潜水艦なんかにセンターの座はゆずらないの!」

 旗艦をつとめる艦娘が、ひときわ明るい声で鼓舞する。

 胸が高鳴り、彼女は、大きな声でそれに応えた。

「はい! こんなやつら、やっつけちゃうんだから!」

 威勢の良い言葉は、自分を奮い立たせるため、仲間を勇気づけるため。

 自分の声に、皆が振り返り、微笑みかけるのが誇らしかった。

 駆逐艦、「吹雪(ふぶき)」。

 それが彼女の艦娘としての名前である。

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 艦娘は兵器である。少女の姿と心を持つ兵器である。それゆえに、兵器ならもちえない悩みも葛藤も持ち合わせている。それを弱さのまま抱き続けるか、強さと変えるかは艦娘の意思次第であり、その一点においては、艦娘も人間も変わらない存在であった。

 

 自分の投下した爆雷が大きな水柱があげたところで、吹雪は目を覚ました。

 見上げるのは自室の天井。いつものベッドの上で横たわっている。

 ゆるゆると覚醒しながら、彼女は身体の感覚を取り戻していった。

「……また、あの夢かあ」

 ふうと息をつきながら、吹雪は身体を起こした。

 寝巻きも下着も、じわと湿っているのを感じる。寝汗をかいたのは、春が来てようよう暖かくなってきた気温のせいだけではあるまい。

 先に参加した限定作戦、トラック泊地防衛戦。実に鎮守府の艦娘の半数を動員して行われた大規模作戦。その末席に吹雪もいたのだ。

 重点育成艦娘、通称「特待生」に選ばれ、数々の実地訓練を経て迎えた大一番。

 危険な目にあわなかったわけではない。損傷もうけなかったわけではない。

 それでも、怖かったというよりも、心が躍ったという方が正直だ。

 だから、あの時のことを夢にみても、うなされるということはない。

 にもかかわらず――吹雪は、帰還してしばらくしてから、限定作戦での戦いを夢に見るようになっていた。夢の中でこそ、吹雪は作戦の一翼を担い、仲間と共に海を駆けて敵を討つ艦娘であったが、目を覚ますとそこにいるのは、ようやく使いものになる練度に到達した、一介の艦娘でしかなかった。

 そして、決まって目覚めた後に、あの光景を思い出すのだ。

 泊地から出発する連合艦隊。堂々とした陣形を組んで進む艦娘たち。

 空母、戦艦、軽巡、そして、その中にはエース級の駆逐艦も含まれている。

 白いマフラーと白金の髪をなびかせて、紅い瞳のあの子の眼差しはまっすぐで。

 思い出すだけで、吹雪にはまぶしく、そして、羨望を禁じえないものだった。

 ちく、と胸の痛みを感じて、吹雪はかぶりを振った。

(選ばれなかったのは、わたしに秀でたものがなかったから)

 いつもそう言い聞かせて、自分を納得させる。深く深呼吸して、吹雪は心のもやもやを追い払い、壁にかけられた時計を見た。

 時刻は午前五時を回ったところ。

 総員起こしにはまだ時間があるが、もう一度眠るつもりはない。

 相部屋の深雪(みゆき)を起こさないように、そっとベッドから降り、寝巻きを脱ぐ。下着を取り替えるか迷ったが、すぐに走りこみに行くことを考えると、どうせまたすぐに汗をかくことになると思い、そのまま制服を着込む。

 この時間なら洗面所は誰もいない。顔を洗ったら、いつもの日課だ。

「よし、今日もがんばろう」

 きゅっと握った拳でガッツポーズを作り、吹雪は小さな声で気合を入れた。

 

 鎮守府の敷地を軽く一周走ると、総員起こし前のちょうど良い時間帯になる。

 外の水道で顔と手を丹念に洗い、口をゆすいで、火照った身体を落ち着かせる。

 息を整えてから、決まって吹雪が顔を出す場所があった。

 まだ薄暗い食堂に足を踏み入れると、奥の方から明かりが漏れているのが見える。

 あの子は、今日も一番乗りらしい。いつものように先を越されて、吹雪は、ちょっと悔しいような、それでいて、ほっと安堵するような不思議な気持ちになった。

 食堂の奥は厨房だ。

 ひょいと覗き込むと、大きなずだ袋を両手に抱えた艦娘がよろよろと歩いていた。

 ぐら、とバランスが崩れて、その子が「わわわっ」と声をあげ、袋が落ちそうになる。 吹雪はあわてて駆け寄って、袋を受け止めた。どさっと上半身に重みと、布ごしにごろごろした感触が伝わってくる。

「だいじょうぶ? 睦月(むつき)ちゃん」

 そう声をかけて、ずだ袋の横から覗き込むと、ひょいと人懐っこそうな顔が見えた。

「ありがとう、吹雪ちゃん」

 小鳥がさえずるような愛らしい声である。

「ごめんね、朝ごはんの材料、運ぼうとしてて」

「とりあえず、おろさない? これ」

「ああ、うん、ここでいいの。おろしておろして」

 睦月にうながされ、吹雪はそっとずだ袋を床に置いた。

 袋の中でごろごろとじゃがいもがおしあいへしあいしている。

「ちょうどよかったあ。これから朝ごはんの仕込みしようとしてたの」

 睦月がにこにこしながらそう言う。

「今日も吹雪ちゃんが二番めだね。いつもありがとう」

 素直な表情でお礼を言われると、吹雪も自然と笑みがこぼれた。

「いいんだよ。わたしも“詰め番”ってわけじゃないし」

 吹雪はそう答えた。鎮守府には基本的に艦娘しかいない。雑用をやってくれるお手伝いさんだのがいるわけではないのだ。よって、艦娘みずからが、炊事・洗濯・掃除といったおさんどんをやらざるをえない。新人の艦娘がまず教え込まれるのが、海面を駆ける際のバランス取りと、厨房での皿洗いであるゆえんである。

 それでも、雑用が免除されている艦娘もいる。いつなんどき緊急出撃がかかるか分からない練度が高い艦娘は、連絡がとれる場所で待機を命じられる。

 書類上の正式名称は“即応要員”であるが、艦娘たちは“詰め番”とも呼んでいた。

 吹雪の練度は第一線でもふさわしいレベルであったが、詰め番には選ばれていない。

 よって、雑用もこなさねばならないのだが、気心の知れた睦月につきあって炊事担当に回ることが多かった。

「今日は何を作るつもりだったの?」

「じゃがいもと玉ねぎとベーコンのお味噌汁だよ」

「わあ、具沢山だね」

「おかず、それしかないからね。そうしないと楽しくないにゃし」

 睦月が、きししと歯を見せて笑った。

 鎮守府の朝食はちょっと変わっている。味噌汁とパンなのだ。

 味噌汁はアルミのおわんにたっぷり、パンはどっしり半斤だ。

 この妙な取り合わせに、しばしば、

「お味噌汁なら白いご飯がいい」

「パンにするならスープにしてほしい」

 との声があがるのだが、そのたびに「伝統だから」で片付けられる。朝のあわただしい時間にゆっくり炊飯している時間がないからかもしれないし、また、スープだと必要な栄養がとれないからという配慮があるからかもしれないのだが。

 ともあれ、いきおい、艦娘たちの意識は味噌汁がどんな出来栄えかに向けられる。具は何が入っていたか、だしの取り方はどうだったか、味噌の按配は適切だったか、つきつめると奥の深いもので、朝食の味噌汁の作り方ひとつで、その艦娘の料理の腕が見極められると言われるほどだ。

 睦月が作るそれは、奇をてらわずに具をたっぷり入れ、概ね好評なものであった。

「取りかかるのは他の当番の子が来てからだけど、先にじゃがいも剥いておかないと」

「手伝うよ。ナイフ貸して」

 吹雪の言葉に、睦月がうれしそうにうなずく。

 ずだ袋を横に置いて、スツールに腰かけて、二人して芋の皮を剥き始める。

 厨房の時計がカチコチと針を刻む音を聞きながら、しばし、黙々と剥いていたが、

「また、あの夢、見ちゃった」

 吹雪がぽつっとつぶやいた。

「トラック泊地の作戦のときの?」

「うん」

「最近、多くない? うなされてるの?」

 心配そうに訊ねながら、睦月が剥き終わった芋をバケツへと放り込む。

 ごろん、とアルミと芋がぶつかる音を聞きながら、吹雪は、

「うなされてはいないんだけど……なんだろうなあ」

「また、行きたいんじゃないの? トラック泊地」

 睦月はそう言いながら、次の芋を手に取り、剥き始める。

「そうなのかなあ。観光に行ったわけじゃないんだけど」

 吹雪のナイフが、ちまちまとじゃがいもの皮を剥き進める。

「いいなあ。わたしはオリョール海ぐらいしか行ったことないから」

 手に持ったナイフは芋を剥きながら、睦月は目をきらきらさせて訊ねた。

「トラック諸島の海って、どんな色だった?」

 問われて、吹雪はナイフを止めて、眉をひそめてうなった。

「うーん、静かなときに行ったら綺麗な青色なんだろうけど……私のときは対潜作戦だったから、正直、白く泡立った海しか印象にないんだよね」

 耳をすまして、目をみはって、敵潜水艦の影を追う戦い。

 聴音機や探針儀に反応があったら、即座に爆雷を叩き込むのだ。

 対潜作戦は駆逐艦の十八番であり、もちろん吹雪も活躍したのだ。

「そっかあ。夕立(ゆうだち)ちゃんだったら、もっと違う海を見れているかな」

 睦月の言葉に、吹雪の記憶が呼び起こされる。

 潮風になびく、白いマフラーと白金の長い髪。紅玉のように輝く瞳。

「……そうだね。あの子なら、連合艦隊の一員だったから」

 吹雪はそう答えた。

 駆逐艦の中でも最精鋭である夕立。彼女には、どんな海が目に映っていたのだろう。

「時間があったらお話聞きたいね――あ、吹雪ちゃん、手止まってるよ」

 睦月がやんわりとたしなめる。吹雪は慌てて手元とバケツを見た。

 話しながらも睦月は数個のじゃがいもを剥いている。

「ご、ごめんごめん。話し込んでる場合じゃなかったね」

 そう言って、吹雪は慌ててナイフを動かし始めた。

「慌てないでね。焦って怪我しちゃったら大変だから」

 睦月は苦笑いを浮かべながら、ひょいと次のじゃがいもを手にとった。

 

 総員起こしのラッパが鎮守府中に鳴り響く。

 やがて、起きだした艦娘たちがぞろぞろと食堂へやってくる。

 厨房へお盆をたずさえてくる彼女たちに、パンの載った皿と、味噌汁をよそったおわんを差し出すだけの単純作業ではあるが、それでも艦娘の数を考えると結構な仕事である。それだけでなく、こっそり二杯目を頂こうとする不届き者も見張らねばならない。

 なかなかに神経を使う配膳作業が終わり、吹雪たち炊事組がようやく自分たちの朝食にありつけたのは、艦娘の大半が朝食を終えてからのことだった。

 仕事は大変だが、食堂を広々使えるのは、炊事組の特権でもある。

「あそこにすわろっか」

「そうだね、もう窓際でも寒くないし」

 睦月の提案に、吹雪がうなずいてみせたその時。

「わああああああん! 寝坊したっぽいぃぃぃぃ!」

 悲鳴まじりの声と共に、ずだだだだとものすごい足音が食堂に転がり込んできた。

 白いマフラーは首に絡まり、長い白金の髪は乱れ。

 その顔はいまにも泣き出しそうな表情で、彼女――夕立は、吹雪と睦月を見やった。

「ごはん! 朝ごはん、まだあるっぽい? もうないっぽい?」

 必死な声に、吹雪が目を丸くし、睦月がくすりと笑ってみせた。

「だいじょうぶだよ。夕立ちゃん来ないな、と思って、ちゃんととってあるから」

 そう言って、睦月が厨房へ戻り、カウンターにひょいと一人分の朝食が載ったお盆を差し出す。それを見るや、夕立の目がぱっと輝き、

「ぽいぃぃぃぃぃ!」

 おそらくは感動と感謝の表現であろう、謎の声を発しながら、自分の朝食を受け取りに走った。お盆を手にして、夕立はしばし感極まった表情を浮かべていたが、やがてこほんと咳払いして、

「一緒に食べましょ。隣いいかしら?」

 そう訊ねてきた。吹雪としては断る理由がない。

「いいよ、どうぞ」

 そう言って、椅子を引いてあげると、夕立はにっこりと笑みを浮かべてみせた。

 席まで来て、夕立はテーブルにお盆を置き、ささっとマフラーと髪を直してみせる。

 それだけで、慌てふためいた様子がすっかりなくなり、落ち着いた感じになる。

 そんな夕立を見て、吹雪は思った。

(身だしなみの上手さも練度に関係あるのかな)

 ちょっとした手直しで、さっきまでの乱れようが消えうせるのは、なんかずるい。

 知らず知らずじとりとした目をしてしまった吹雪だったが、視線に気づいた夕立が、

「ぽい?」

 特に気にさわった様子もなく、不思議そうに首をかしげてみせたので、吹雪はついと視線をはずした。何をやっているんだろう、自分は。

 睦月と夕立が隣同士、吹雪はその向かいという配置だ。

 吹雪が味噌汁に口をつけると、舌の上にふわっと滋味が広がった。上手にとれた出汁の旨み、味噌の絶妙な辛さ、ベーコンの油の甘さが、口中に広がり、それだけで身体に活力が湧いてくる気がする。

「……美味しい!」

 吹雪がそう声をあげるのと同時に、夕立も、

「うん、とってもあったかい味っぽい!」

 二人がそう言うのに、睦月が得意げな笑みを浮かべて、言った。

「ふっふっふ、もっと褒めるがよいぞ。睦月、褒められて伸びるタイプにゃしい」

「ほんとに睦月ちゃんのお味噌汁は上手だなあ」

「おかわりできるっぽい?」

「だめだよ、ひとり一杯なんだから」

「ちぇーっ、ケチっぽい」

 夕立が口をとがらせながらも、懐からジャムの瓶を取り出してみせた。

「よかったら、二人とも使う? わたしからのお礼よ」

 その言葉に、睦月が目を輝かせた。

「わあ、いいの? ありがとう、夕立ちゃん」

「どういたしまして。吹雪ちゃんもどうぞ」

「ありがとう――へえ、白桃のジャムなんだ」

「甘くて元気が出るよ。間宮(まみや)さんのところで買ったっぽい」

 ぽい、とは言ってるが、こういう食べ物系は甘味処を営む間宮から買い求めるのが一般的だった。艦娘が通常、街中へ出て行くことはなく、鎮守府にいることが多い。出される給料も使い道があまりなく、こうしたちょっとした何かに大枚をはたくのが、艦娘にとってのささやかな贅沢だった。

 駆逐艦のエースとして出撃も多い夕立である。高級品であることは疑いようがない。

 はたして、スプーンでひとさじすくってパンにのせてかじってみると、

「ふわあ……」

 吹雪はたまらず感嘆の声をあげた。桃の優しい甘さが舌を包み込むようである。普段の食べなれたパンが、このジャムひとつでとびきりのごちそうに変わったようだった。

 睦月はというと、目を丸くしながら、ジャムをのせたパンにかじりついている。睦月が手にしたスプーンが何度もジャムの瓶とパンを往復するが、夕立はそんな様子を穏やかに笑みながら見ていた。

「それにしても、寝坊だなんて、夜更かしでもしたの?」

 吹雪がそう訊ねると、夕立は肩をすくめて、

「そろそろ出撃が近いかなあと思ったら、気が昂ぶって寝つけなかったっぽい」

「出撃ってどこに?」

 睦月がパンから口を離して訊ねると、夕立は人差し指をぴんと立てて、

「北方AL海域。いつもあそこの増援部隊を叩きにいってるから」

 その言葉に吹雪と睦月は顔を見合わせて、ああ、とうなずいた。

 深海棲艦はその名が示すとおり水底から湧いてくるように海域に染み出してくる。ひとたび中枢を攻略した海域であっても、どこからともなく増援部隊がやってきて、確保した制海権を奪いにくるのだ。それを防ぐために、定期的に攻略部隊を編成しては、艦娘たちは各海域に出撃している。

 北方海域に派遣される水雷戦隊は、鎮守府でも精鋭の駆逐艦が選ばれる。

 その常連になっている夕立は、それだけでエースたることを証明しているといえた。

「だから、吹雪ちゃん」

 急に名前を呼ばれて、吹雪はぴくっと肩を震わせた。

「なあに?」

「午後の訓練、わたしも顔を出すからね」

 その言葉に、吹雪は思わず息を呑んだ。

 “詰め番”の駆逐艦の中でも最も練度の高い夕立は、なかなか普通の訓練には顔を出さない。吹雪が特待生に選ばれたときにはすでに水雷戦隊の切り札として名が知られていた存在だ。その彼女の訓練が間近に見られるという。

 次の瞬間、吹雪は思わず身を乗り出して、言っていた。

「あ、あのっ……夕立ちゃんの訓練、見学させてもらっていいかな」

 吹雪の言葉に、不思議そうな顔をしてみせた夕立であったが、すぐに、

「いいよ――その代わり」

「その代わり?」

「吹雪ちゃんの訓練も、わたしに見せて。駆逐艦どうし、貸し借りはなしっぽい」

 そう提案する夕立のまなざしはとても興味深そうな色をたたえていて。

 睦月が微笑んで見守る前で、吹雪は思わず頭を下げていた。

「よろしく――お願いします!」

 

 鎮守府で最も有名な軽巡といえば、何を差し置いても神通(じんつう)であろう。

 水雷戦隊のボスとして不動の地位を築いている彼女は、いわばこの鎮守府の宿将のようなものであった。戦闘となれば獅子と化して駆逐艦たちを率いて突撃し、必ず戦果をあげて帰ってくる。

 そんな彼女の二つ名は、「鬼の神通」である。

 一見したところでは、彼女から鬼や羅刹といった恐ろしげ印象は受けない。鉢金を模した大きなリボンは可愛らしく、潤ませがちな目元は優しそうである。物腰は穏やかで柔らかく、口を開けば静かな声で、怒鳴るということはまずしない。

 ところが、そんなぱっと見の印象で彼女を舐めてかかった駆逐艦は、出撃に先んじての訓練でもれなく地獄をみることになる。神通の訓練は厳しい。淡々と適切に駆逐艦の癖や欠点を見抜き、そこを指摘しては何度も何度も反復して練習して直させる。駆逐艦の疲労度を見抜く上で神通は常にぎりぎりのところを見計らっていて、そこに到達するまでは決して手を緩めることはない。

 だから、神通のこんな言葉は、彼女の訓練では日常茶飯事のことなのだ。

「吹雪ちゃん、じゃあ、十回目いける?」

 その言葉に、吹雪は間髪いれずに答えた。

「はいっ、だいじょうぶです!」

 波しぶきで服はべったり貼りつき、額からは汗が幾筋も流れている。正直なところ、答えながらも吹雪は「もう限界」と思っていた。疲労で目が霞むし、息もぜえぜえと切らしている。実をいえば陸にあがってへちゃばりたいぐらいだ。

 とはいえ、吹雪は神通の洗礼済みの駆逐艦であった。

 ここで限界ですといえば、陸にあげてもらえるかもしれないが、体力が足りないと判断されて別メニューが課されることは目に見えている。

 吹雪は、もうひとつ退けない理由があった。

 ついさっきふらっと来た白金の髪の艦娘――夕立である。艤装を身につけて、点検をしながら、吹雪の様子を興味深げに見ている。ここで自分がダウンしては、彼女を失望させるだろう。それはなんだか悔しいので、意地でもギブアップなどできない。

 手の甲で額の汗をさっと拭い、吹雪は身構えた。

「――吹雪、行きますっ!」

 そのかけ声と共に、主機を上げて海面を駆け出す。

 いくつも置かれた浮標をジグザグに縫うようにかいくぐり、標的を目指す。

 海上に浮かぶ的がぐんぐん近づいてくる。

 射撃を安定させるために、吹雪は少し速度を下げた。

 手にした砲を構え、放つ。

 初弾は標的の至近に落ちたが――挟叉ではない。

 吹雪は、きっとなって、目を凝らした。

 疲れが出てきたせいか、狙いが甘くなっている。

 速度をもう少し落として、標的をよく狙う。

 はっと息を呑んで放つ第二射。

 今度は標的を挟み込んで水柱が上がった。

 挟叉したのを確認して、砲を微調整し、第三射。

 今度は狙い過たず標的を撃ち砕く。

 ほっとしたのも束の間、撃ち抜いた標的を通りすぎ、次の標的が見えてくる。

 落ちてしまった速度を取り戻すために主機を再び上げる。

 そうして、吹雪は、どうにか残り三つの標的を撃ち抜いた。

 最後の標的に対する魚雷攻撃はかなり狙いが甘かったが、一本当たったので自分としては及第点だろう。

 そう思いながら、神通たちの待つ岸壁へと引き返す。

 水上での戦闘機動は艦娘に随分と負担をかける。

 それは訓練であっても変わることはない。

 吹雪はふらふらとなりそうな身体を叱咤しながら、海面を駆けた。

 岸壁では、神通が憂いを秘めた目で、夕立が面白そうな視線でこちらを見ている。

 これが訓練最後の機動と信じて、吹雪は岸壁にたどりつき――

「――戻りました!」

 最後の力を振り絞って、声を張り上げる。

 神通はこちらをじいっと見ていたが、ややあって、ふっと目元をゆるませ、

「はい、お疲れさまです」

 その言葉を聞いて、それまで張っていた気が緩んで、思わず岸壁に寄りかかりそうになった。咄嗟に手を伸ばして、自分を支える。息をぜえぜえと切らして、頭から吹いた汗が幾筋も顔を伝って海面に落ちる。

 そんな吹雪に、ふわっとやわらかいタオルがかけられた。

 たまらず手にとって、汗を拭い、顔をあげると――夕立がにっこりと笑んでいた。

「すごかったね。全部の標的を命中ってなかなかできることじゃないっぽい」

 そう声をかけられて、吹雪は内心で大きく息をついた。

 なんとか、夕立には恥ずかしくない動きを見せられたようだ。

 思わず照れ笑いを浮かべた吹雪に、柔らかな、だが、毅然とした声がかけられた。

「吹雪ちゃん。自分の欠点、ちゃんと把握できていますか?」

 神通である。こちらをじっと見つめる彼女の眼差しは有無を言わさぬ迫力があった。

 吹雪はたじろぎ、次いで、先ほどの動きを振り返った。

 もし、至らない点があるとしたら、それは――

「えっと、標的を狙うときに船足が落ちがちな点でしょうか……」

 その言葉に、神通がうなずく。

「そのとおりです。駆逐艦の武器はその快速です。戦艦や重巡洋艦は敵の攻撃を受け止める、という戦い方ができますが、駆逐艦が同じことをしてはあっというまに撃沈です」

 神通の目は真剣そのものだった。そのアドバイスは、決して操典に書かれていることをそらんじているのではなくて、実際の戦闘で幾度となく目にした光景に裏打ちされているであろうことを、その声の重みから吹雪は感じとった。

「吹雪ちゃんが標的をしっかり狙おうとする姿勢は良いものです。そこは大事にして、船足を落とさずに狙えるようになるといいですね」

 そう言って、神通はふんわりと笑んだ。

「ちょうどいいです。今からの彼女の動きが参考になるかもしれませんよ」

 神通がついと視線を動かす。

 吹雪がそれを追うと、夕立が桟橋から海面に降り立つところだった。

「夕立ちゃん、わたしから言うことはありません。思うようにやってごらんなさい」

「ぽいー」

 神通の言葉に、なんとも気の抜けた返事をする夕立。

 吹雪は桟橋に上がりながら、彼女をじっと見つめた。

 夕立はどんな動きをするのか。駆逐艦エースの戦い方はどんなものなのか。

 ――束の間、しんとした沈黙がたちこめたかと思うや。

 不意に、夕立の後姿が、ゆらりと陽炎をまとったかのように揺れて見えた。

 夕立がちらと吹雪を振り返る。

 その眼差しに射すくめられて、吹雪はぞくりと背筋が寒くなった。

 紅玉の瞳が、らんらんと輝き、戦意と殺気と歓喜に満ち充ちている。

 吹雪に一瞥をくれるや、はじかれたような勢いで夕立が海面を駆けた。

 海面に浮かぶ浮標を、鋭い動きで次々とクリアしていく。

 放たれた矢の勢いで、夕立は標的に迫っていった。

 撃つか、と吹雪が思ったタイミングで、しかし、夕立は撃たなかった。

 まだ距離を詰める。まさに肉薄だ。

 夕立が砲を構えて、放つ。

 初弾から挟叉し――吹雪なら速度を落とすところを、夕立はそうしなかった。

 標的を囲い込むように弧の字を描きながら、立て続けに砲を放つ。

 第二射が標的に命中し、のみならず、第三射が標的を木っ端微塵にする。

 その様に、夕立が肉食獣の笑みを浮かべるのが見えた。

 続く標的にも、まったく速度を変えることなく、砲を放ち。

 撃ちぬくだけでは飽き足らず、粉々に粉砕し。

 そして、たどりついた最後の標的に、ありったけの砲撃と魚雷をばらまく。

 訓練用の標的がぼこぼこに撃たれ、魚雷を受けて傾ぐ様を見て。

 吹雪はただただ呆気にとられていた。

 夕立の二つ名は――面と向かって言う者はないが――あるいは「悪夢」とも、あるいは「狂犬」とも呼ばれていることを吹雪は知っている。

 その一端を垣間見せたような、そんな戦い方だった。

「相変わらずの積極戦法ですね」

 神通が静かな声で言う。

「吹雪ちゃん。彼女の火力が並の駆逐艦クラスに収まらない理由が分かりますか?」

「えっと――装備はそんなに変わらないですよね……」

「ええ。多少良いものを支給されていますが、口径は同じものです。それでも彼女は巡洋艦に匹敵する攻撃力を発揮できるのです。それがなぜか分かりますか?」

 問われて、吹雪は、夕立の動きを思い返した。違いがあるとすれば、それは――

「攻撃の速さ……でしょうか」

「そうです。単位時間あたりの火力投射量が、あの子はずば抜けているのです。初弾で挟叉できるだけでなく、そこから全力機動しながら砲の弾道計算を素早く行い、敵が態勢を整える前に、第二撃、第三撃を叩き込む――戦いぶりだけ見れば猛然と突撃しているように見えますが、その裏では細かな計算を臨機応変に組み立てているのです」

 そこまで言って、神通は、ふっと口の端を吊り上げて見せた。

「まあ、でもそのあたりを意識してやっているかは、わたしも自信がありませんが」

 神通の視線の先には、戻ってくる夕立の姿がある。吹雪も彼女を見た。

 ふーっふーっと息を熱くしながら、夕立は興奮冷めやらない様子だった。

 戻ってきた彼女は、一言も発さず、再び出撃の姿勢をとった。一瞬だけ、彼女と目があったが――紅い瞳は劫火を宿しているかのような光を放っていた。

「二回目、はじめ」

 神通が短く告げると、夕立は、はーっと深く息をつくや、再び海上を駆け出した。

 さっきよりも船足が速い。そのことに気づいて、吹雪は目を丸くした。

 その後、都合十回の反復訓練を夕立も行ったが、驚くべきことに、彼女は回数を重ねるごとに標的撃破までのタイムを縮めていった。

 吹雪は――格の違いに、ただただ呆気にとられていた。

 訓練を終えた夕立は、全身から熱が立ち上るようで。

 バケツに汲んでおいた水をかぶって、息を荒くする彼女がおっかなくて。

 吹雪はそそくさと神通に頭を下げると、訓練を辞したのであった。

 

 外の水道で、頭に水をかけて、顔を洗い、丹念に手を洗い、口をゆすぎ。

 訓練で昂ぶった神経を落ち着かせて、朝と同じように吹雪は厨房に顔を出した。

 睦月がいくつもキャベツの玉をキッチンの上に転がして、まな板を置き、包丁を手にとって、ようしと腕まくりしている。それを見て、吹雪はなんだかほっとしたような気持ちになった。

「睦月ちゃん」

 そっと声をかけると、睦月がこちらを振り返り、にこりと微笑んだ。

「おかえりなさい、吹雪ちゃん。もう訓練終わったの?」

「うん」

 言いながら、厨房へと吹雪は足を踏み入れた。

 そんな自分を見て、睦月がくんくんとにおいをかぐような仕草をしてみせ、

「吹雪ちゃん、だいぶ汗かいたんだね」

 そう言われて、吹雪は頬をかすかに染めた。

「えっ……あ、ごめん、におっちゃうかな」

「ううん。吹雪ちゃんの汗のにおい、わたしは好きだよ」

 睦月の表情も声もあっけらかんとして艶っぽいところは微塵もない。

 にもかかわらず、吹雪は染めた頬をますます赤くして、思わず顔をうつむけた。

「ちょっと……恥ずかしいよ」

「えー? 頑張ってきたんだなあ、っていつも思うんだけど」

「ああ……うん、うん。そう、だね」

「訓練帰りで疲れているのにごめんね。今からキャベツ刻もうと思ってたの。よかったら吹雪ちゃん、手伝ってくれないかなあ」

 睦月のお願いに、吹雪はこくりとうなずいた。元よりそのつもりで顔を出したのだ。

 いつもと同じように、睦月の隣に立つ。

 二人それぞれにキャベツを手に取り、ざくりと包丁で割ってから、刻み始める。

 たんたんたん、とんとんとん、としばしリズミカルな音をさせていたが、

「やっぱり、吹雪ちゃんのにおいがする」

 睦月が鼻をすんすんいわせながら、そうつぶやく。

 吹雪は顔を真っ赤にしながら、口をとがらせた。

「春先じゃまだシャワー使わせてもらえないんだもの」

「訓練、大変そうだね。睦月、いつも感心しちゃうよ」

 キャベツを刻む手は止めないまま、睦月は、ふっと寂しげに言った。

「わたしは雑用でしか役に立てないから、吹雪ちゃんはえらいと思う」

 その言葉を聞いて――吹雪は、恥ずかしくて思わず身を縮こまらせた。

 自分などまだまだだ。夕立のあの訓練振りを見て、つくづくそう思った。

 水雷戦隊の第一線で戦うには、あそこまでの練度がいるのか――

 そう考えると、自分などまだまだ及びもつかない。

 睦月に感心されるほど、大した駆逐艦ではないのだ。

 そう考えて、吹雪は、また自分の手が止まっているのに気づいた。

 ぶんぶんとかぶりを振って、キャベツを刻む。

 ふと、睦月の手元に目をやると、彼女は倍のペースで進めていた。

 それを見て、不意に、吹雪はぽろっとつぶやいていた。

「――わたしの取り柄ってなんだろう」

 その言葉に、睦月が首をかしげてみせる。

 答えを求めてはいなかったが、睦月はうなりながら考え、そして、

「そうだね、一生懸命なところだと思うよ?」

 そう、言ってくれた。

 素直で、優しい言葉。それだけに、それは吹雪にとって痛かった。

 雑用しかできない、と睦月は言った。でも、炊事に関しては、睦月はピカイチの腕を持っているのだ。それは、毎回手伝う吹雪が一番よく知っていて――そして、この分野においては、自分は睦月にはとても及ばないのだ。

「……一生懸命なだけじゃ、誰の役にも立たないよ」

 そう返した自分の声は、思ったよりも沈んでいて。

 こちらを向いた睦月の表情は、心配そうに眉をひそめていた。

「そんなことはないよ。一生懸命、だいじだよ」

 そう言ってくれる睦月の言葉が、吹雪の耳には、虚ろに聞こえていた。

 

 厨房と食堂の片づけを終え、書類整理がまだあるからという睦月を残して、一足先に吹雪は浴場へとやってきていた。本当は睦月を待ちたかったのだが、早く汗を流した方がいいと促されたのだ。

 他の艦娘たちはあらかた入浴を終えた時間帯で、浴場はがらんとしていた。

 そんな中、髪を泡立てたまま、吹雪は鏡に映る自分の顔を見ていた。

 冴えない表情だ――自分でもそう思う。

 頑張って笑顔を作ってみるが、すぐにそれは消えうせてしまう。

 吹雪は髪を洗いながら、悶々と考えていた。

 戦力においては、夕立に遠く及ばず。

 雑用においては、睦月にかなわない。

 分かっていたことだった。前から分かっていたことだったのだ。

 ただ、見て見ぬふりをしていただけだったのだ。

 だが、今日のように思い知らされると、さすがに気分が沈む。

 トラック泊地の戦いを夢にみるのは――自分が輝ける舞台だったからではないか。

 あの時、あの場所においては、吹雪はたしかに誰かの役に立つ存在だったのだ。

 特待生に選ばれて、練度もあがって――それは、芽の出ない艦娘からすると、羨ましがられることには違いない。でも、それがゴールではないのだ。どんなことにも上には上がいて、自分を輝かせようと思ったら、頑張って這い上がらなくてはならない。

 でも、どうすればいい? 自分にとって、得意なことは何だろう?

 訓練も雑用も、両方やっていて、どちらも中途半端な気がする。

 吹雪は、洗面器にお湯を張って、頭からお湯をかぶった。

 泡がちょっと長めの髪をつたって、流れ落ちていく。

 かぶったお湯が思ったよりも重く感じて、不意に泣き出しそうになった、その時。

「お風呂の時間っぽいー!」

「夕立ちゃん、走ったら危ないよ」

 賑やかな声がして、吹雪は、はっと振り向いた。

 一糸まとわぬ姿の夕立が駆け込んできて、その後をタオルを持った睦月が慌てて追いかけてくる――吹雪は、目元を拭うと、精一杯笑って二人を出迎えた。

「一緒に来るなんて思わなかった」

「そこでばったり会ったっぽい」

「夕立ちゃん、夜戦の訓練してたんだって」

 そう言いながら、吹雪をはさむように、夕立が左隣、睦月が右隣に座る。

 この配置は何なの、と問う隙も与えず、二人がそれぞれに洗面器にお湯を張って、身体にかけていく。吹雪は、内心でほぞをかんだ。こんな位置では、ますます二人に変な顔を見せられないではないか。

 横目でちらと睦月をうかがう。声も顔もあどけない睦月は、体つきも幼い感じが抜けない。あまりふくらみのない身体は、しかし、女の子特有の輪郭のやわらかさを持ち、それがまた魅力になっているように思う。

 と、睦月が、まじまじとこちらを見つめていた。

 椅子に腰かける吹雪の、太ももから腰、胸元、首筋と視線が這っていく。

 顔をあげた睦月の目が、自分の目と合った。睦月は感心したように、

「……吹雪ちゃんって、結構着やせするんだね」

 そう言われ、たちまち吹雪は頬を真っ赤にし、慌ててふいと睦月から顔をそむけた。

 すると、反対側の夕立の裸身が目に入る。

 夕立の体つきは、丸みを帯びた線を描きながら、すらりと伸びた印象がある。駆逐艦は睦月のように幼い見た目のものが多いが、夕立はスタイルもよく、どこか大人びた感じがある。こんなところでも差をつけられて、ずるいと吹雪は感じてしまう。

 と、今度は夕立が、吹雪の身体をまじまじと見つめてきた。

 首筋から足の先まで、検分するようにじいっと視線を這わせて、そうしてから再び顔をあげ、吹雪の顔を見つめて、彼女はにっこりと笑んでみせた。

「吹雪ちゃんの肌、とてもきれいね。名前の通り、雪みたい」

 夕立にまでそんなことを言われて、吹雪はますます顔を赤くした。

 なんだ、なんなのだ。二人してまさか変な趣味があるんじゃないだろうか。

 こほん、と咳払いの音が浴場に響く。

 睦月が、吹雪の頭ごしに夕立に言った。

「夕立ちゃん、駆逐艦どうし、もっと裸のつきあいを大事にすべきだと思うの」

 そう切り出されてた夕立が、顔をうつむけた吹雪をちらと見やってから、

「そうね、この三人でお風呂に来るなんてあまりないっぽい」

「だから、睦月はここに、洗いっこすることを提案するのです」

「同感っぽい」

 自分抜きにまとまった話に、吹雪が顔をあげて、左右を見回す。

 夕立が無邪気な笑みを浮かべて、睦月が意味ありげな笑みを浮かべる。

 二人の笑顔にはさまれて戸惑う吹雪を、夕立が背中から羽交い絞めにした。

「えっ、ちょ、ちょっと!?」

 そんなに強く腕を絡ませたわけではないから、振りほどこうと思えば、できなくはない――だが、吹雪は、泡立てたスポンジを手にした睦月が、くくくと笑いながらにじり寄ってくるのを見て、蛇ににらまられた蛙のように固まってしまった。

「おとなしくしてね、吹雪ちゃん。だいじょうぶ、恥ずかしいのは最初だけにゃしい」

「む、睦月ちゃあん!?」

 これは――断じて洗いっこではない。一方的な洗われではないか。

 睦月のスポンジは、優しく、やわらかく――そして繊細に。

 吹雪が一番弱い腰のあたりをタッチした。

「ひゃああああああん!」

 自分で聞くのも恥ずかしい、あられもない嬌声が浴場に響き渡った。

 

「――もう、二人ともひどいよ」

 湯船に沈み込むようにして漬かった吹雪が、睦月と夕立をにらみながら言った。

 顔がすっかり真っ赤なのは、お湯でのぼせたせいではない。

 睦月と夕立はといえば、二人して顔を見合わせて、くすくす笑いながら、

「だって、吹雪ちゃん、無理して笑顔作ろうとしてたでしょ」

「そんなの悲しいから、心から笑ってほしかったぽい」

 二人の答えに、吹雪はじとりとした目つきになる。

 だとしても、あのやり方はどうなのだろうか。

 結局、あれから三人でおのおのスポンジを持っての洗いっこになった。

 しょっぱなに睦月にいいように弱いところを責められた吹雪が仕返しとばかりに洗い返すと、夕立が背筋をつついとなぞってくる。ならばと夕立を洗おうとすると、睦月が抱きついてきて吹雪のおなかをスポンジでくすぐってくる。

 洗いっこといえば洗いっこだが、睦月と夕立がお互いに洗い合う場面があったかあやしい。二人とも積極的に吹雪を洗いに来て、それを吹雪が懸命に応戦していただけのような気もする。

 とはいえ――きゃあきゃあと黄色い声をあげながら、お互いに洗いっこしているうちに吹雪の中で渦巻いていたもやもやが、軽くなったことも確かなのだ。

 やり方はどうあれ、二人とも自分を気遣ってくれたことは事実だ。

「……………ありがとう」

 不承不承ながら感謝の言葉を口にすると、睦月がにぱっと満面の笑みを浮かべた。

 夕立はといえば、吹雪をじっと見つめている。吹雪がきょとんとしていると、

「やっぱり、吹雪ちゃん、肌がきれいね」

 ふたたびの言葉に、吹雪は顔を赤くして――ふと、気づいた。

 白い夕立の肌。お湯であたためられたその肌に、いくつもの赤い線が走っている。

 吹雪の視線に気づいて、夕立が照れくさそうに微笑んだ。

「分かっちゃった? 戦闘でついちゃった傷跡。入渠して怪我は直せても、こういう傷跡をきれいに消すのは難しいんだって――神通さんとか、もっとすごいよ」

「歴戦の証だね……」

 睦月が感嘆したように言うと、夕立はかぶりを振ってみせた。

「ううん。傷跡は無理な戦いをした証拠、誇るものじゃない――って、これは神通さんの受け売りだけど。吹雪ちゃんは見たでしょ? 昼間のわたしの訓練の様子。あんな戦い方しかできないから、いつも生傷が絶えないっぽい」

 そう言って、夕立はそっと手を伸ばし、吹雪の肌を優しく撫でた。

「吹雪ちゃんの肌がきれいだって言ったのは――傷跡が残るような無茶な戦い方をしていない証拠だよ。それは、吹雪ちゃんが胸を張って自慢していいことだと思う」

「そんな……わたしは――それほど、実戦に出たわけじゃないし」

「出撃の多い少ないじゃないの。それは艦娘それぞれの戦い方。だから――」

 夕立の紅い瞳が、しかと吹雪を見据えた。

「――吹雪ちゃんは、吹雪ちゃんに合った戦い方を見つければいいと思う」

 そう言われて、吹雪は顔をうつむけてしまった。

 睦月が吹雪の肩に手を添えて、そっと覗き込んでくる。

「――吹雪ちゃん、悩みがあるなら、話してみよ? 洗いっこした仲でしょ? いまさら何も恥ずかしいことなんてないよ」

 睦月の言葉に、夕立がこくりとうなずく。

 顔をうつむけたまま、吹雪はとつとつと話し出した。

「……特待生に選ばれて、練度もあがって――限定作戦にだって出してもらえた。それだけでも留守番組の子に比べたら、ずいぶんと恵まれているって思う。でも、第一線で戦える艦娘になった、っていう実感がなくて。現に出撃の出番も少ないし――それって、わたしに取り柄がないからじゃないかな、って。これだ、って自分で感じられる何か、光る何かを持っていれば、それで自信が持てるって思うんだけど――」

 湯船に張られたお湯に、ぼんやりと自分の顔が映る。

 顔だって、それほど美人じゃない。むしろ垢抜けない、平凡な顔だ。

 何をやらせても、誰にも及ばないんじゃないか――そう、思えてならない。

「――こんな悩み、贅沢だよね。変な話して、ごめんね」

「そんなことないよ」

 吹雪の頬に、睦月が、やさしく手を添えた。

 そうして、うつむいていた吹雪の顔を持ち上げ、目と目を合わせて、言った。

「前にも言ったでしょ? なんでも、一生懸命にこなせるのが、吹雪ちゃんの良いところだって。それってすごいことなんだよ? 吹雪ちゃんはそれに気づいてないだけだよ」

「でも――」

 言いかけた吹雪の言葉を、夕立がさえぎった。

「吹雪ちゃん、防空演習の最高得点、いくつ?」

「えっと……八十五、だったかな」

「わたしは五十八なの」

 その言葉に、えっと言いかけた吹雪に、重ねて夕立が問うた。

「じゃあ、対潜演習の最高得点はいくつなの?」

「八十三……」

「わたしは四十九」

 そう言って、夕立は肩をすくめてみせた。

「駆逐艦は体の小さな働き者。だから、敵に突撃することだけが仕事じゃないっぽい。わたしは突っ込んで暴れまくるしかないから、それを磨くしかない。でも、吹雪ちゃんは違うでしょ? 今日の訓練の動き見てて思ったの。ああ、この子は、きっと何だってこなせる駆逐艦なんだな、って」

 夕立の紅い瞳が、優しい色合いを帯びているように、吹雪には思えた。

「神通さんも『参考になるでしょう』とは言ったけど、『見習いましょう』とは言わなかったでしょ? あの人も吹雪ちゃんの何が良いところか、ちゃんと分かってる――明後日の訓練では、軽空母の先輩も来てもらって、空襲に対処しながらの設定になるんだって。そうなると、どっちが強いとか言えなくなるっぽい」

「けれど――防空戦闘だって、対潜任務だって、もっと上手な子はいるし……」

「そうね、二番目をとれるのが精一杯かもしれない」

 そこまで言って、夕立は、ひと呼吸おいてから、続けた。

「でもね――それって、どんな子のカバーにだって入れるってことじゃない」

 夕立のその言葉に、吹雪は思わず、はっと息を呑んだ。

「そうだよ! わたしだって、いつも吹雪ちゃん頼りにしてるんだよ!」

 睦月が、吹雪の手を取り、きゅっと握った。

「わたしは――睦月型はあまりスペックが高くないから、なかなか戦力にならないし、だから雑用はせめて頑張ろうって、思ってるの。でも、吹雪ちゃんは、ちゃんと練度もついた艦娘なのに、進んで雑用を手伝ってくれるでしょ。厨房に入るのはわたしが一番最初でも、決まって吹雪ちゃんが二番目に来てくれるじゃない」

 睦月の言葉に、吹雪の心臓がとくんとなった。

 いつも手伝いながら、睦月には及ばないと思っていた。

 彼女の足をひっぱってるんじゃないかと思っていた。

 でも――睦月にとっては、自分はいつもカバーに入ってくれる子だったのか。

「わたし……ごめん、なんだか、一人で勝手に悩んでた」

 吹雪は、かすれがちの声でそう言った。

 潤みそうになる目を、何度も何度も指先でぬぐう。

 そんな吹雪を、夕立が、ふっと目を細めて優しい眼差しで見ながら言った。

「背中を任せるなら、吹雪ちゃんのような艦娘がわたしはいいっぽい。突っ込んでいく背後をしっかり守って、前だけ見せてくれそう」

 睦月も、人懐っこそうな笑みを見せながら、吹雪に言った。

「わたしも厨房に吹雪ちゃんが入ってきて、吹雪ちゃんのにおいがすると安心するよ」

「もう、なあに、それ」

「朝走ってきて、昼訓練してきて、頑張ってきた汗のにおい。良いにおいだよ。わたしもようし頑張ろうって、いつも感じさせてくれるんだから」

 そう言って、睦月が吹雪の首筋に鼻をあてて、くんくんとかいでみせる。

「ちょ、ちょっと、睦月ちゃん、くすぐったい」

「えっ、どんなの? わたしも興味あるっぽい」

「もう、夕立ちゃんまで、待って、あは、あはははは」

 吹雪の嬌声に、睦月と夕立の笑い声が続き、湯気の立ち込める浴場に満ちていった。

 

 その夜。吹雪は、また夢を見ていた。

 トラック泊地だろうか。連合艦隊が出撃していく。

 敬礼して見送る吹雪に、艦隊からひとつ影が抜け出して、近づいてくる。

 白金の髪に紅い瞳の彼女が、エスコートするようにそっと手を差し出してくる。

 それを握っていいか、一瞬迷って、吹雪が振り返ると。

 そこは鎮守府の桟橋で、人懐っこそうな笑顔の艦娘が手を振っているのだ。

 見送るように。応援するように。

 そして、待っているから、と言ってるようだった。

 吹雪は、差し出された手を取った。

 紅い瞳の彼女が愉快そうな笑みを浮かべて、自分を引っ張る

 素晴らしい快速が、自分と彼女に海を駆けさせ、連合艦隊へと導く。

 そこには、決戦を左右する艦娘たちが待っているのだ。

 ああ、これは夢。

 いつ叶うとも知れない夢。

 それでも、この夢は見続けていこう。

 あきらめない限り、いつか、叶うと信じて。

 

〔了〕

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