というわけで、艦これファンジンSS vol.36をお届けします。
今回はビスマルク主人公のリランカ島攻略戦です。
裏主人公にしてヒロインはわれらが金剛さんです。「ダイヤモンドは砕けない」的な。
【前回までのあらすじ】
リランカ島占拠を要に欧州までの連絡路をつなげようという一大打通作戦、「第十一号作戦」が発令された。
限定作戦を前に沸き立つ鎮守府の艦娘たちに、ドイツから来たという艦娘も合流する。
先鋒を任せられた矢矧は大和と同じ戦場で戦えないことに不満を抱え、
ドイツ艦娘のビスマルクは人類への不信をあらわにし、艦娘の心を守りたいという提督を冷笑する。
そして武蔵は姉の大和に“艦隊総旗艦”の称号を贈るために長門にある勝負を持ち掛ける。
偵察作戦で無茶な作戦を立てた矢矧は仲間の助けもあって無事に任務を達成し、自分の進むべき道を見出した。
いよいよリランカ島攻略に移る艦隊であったが、ビスマルクの存在が艦娘たちに波乱を投げかけていた――
全五部作で2015年春イベントを舞台にしたお話をお届けしています。
今回のエピソードは三作目に当たります。プロローグでビスマルクが気になった方は、
彼女の過去に何があったのか、そして彼女がどう乗り越えたのか、お楽しみ頂けると幸いです。
なお、五部作は、次のような構成で考えています。
vol.34:プロローグ
vol.35:威力偵察作戦【主人公:矢矧】
vol.36:リランカ島攻略【主人公:ビスマルク】
vol.37:ステビア海攻略【主人公:武蔵】
vol.38:番外編【主人公:まるゆ】
vol.39:エピローグ
本エピソードを読まれてお気に召された方は
続きを楽しみにしてくださると幸いです。
なお、いつものお約束の文言で、「うちの鎮守府」シリーズは、
どのエピソードから読まれても楽しめるように心がけています。
五部作のプロローグとエピローグはちょっと苦しいですが、
それ以外のエピソードはつまみ食いができるように気をつけていきますので、
お気軽にお読みくださいませ。
それでは皆様、ご笑覧ください。
本来は紺碧に輝く海に、濁った青紫の色がまだらになって浮かんでいた。
薄曇りの空には、黒々とした煙が幾筋も立ち上る。
彼方を見上げれば、逃げ出す雲霞の群れが目に入る――敵の艦載機だ。
それはとりもなおさず勝ち戦の証だったが、目を向ける彼女の顔に笑みはない。
冴え冴えとした長い金の髪。氷を思わせる大人びた硬質の美貌。
その身を包むのは黒と灰を基調にした、軍服にも似た質実剛健な衣装だ。
頭には軍帽をかぶり、そこには鉄十字の徽章が鈍い光を放っている。
そして、彼女はさらに鋼の艤装を身にまとっていた。
立ち並ぶ砲はあまりに大きく威圧的で、彼女を捕える檻のようにも見えた。
その姿からして異様だったが、なによりも彼女は海面に立っていた。
見た目どおりのただの女の子ではないことを、その事実は如実に示している。
艦娘。人類の脅威たる深海棲艦に対抗しうる唯一の存在。
深海棲艦の残骸が浮かぶ海原を見渡して、彼女は顔をしかめた。
身にまとう艤装がかすかにきしむ音と、それに伴う痛みで否応なく思い知らされる。
また、沈みそこなってしまった、と。
戦いに誇りをもてなくなってしまったのはいつの頃からか。
自らの守るものを見失ってしまったのはいつの頃からか。
せめて灼熱の戦場で最期を迎えたかったが、この敵もまた期待はずれだった。
失望はしていても、それで敵を軽んじることも侮ることもしたくない。
勝ったとしても敵には敬意を払う。その敵が対話不能な化け物であっても。
それは彼女の矜持であり、そして、かつて教わった軍人としてのありようであった。
戦艦、「ビスマルク」。
それが彼女の艦娘としての名前である。
「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。
それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。
鎮守府に所属する艦娘は、目下、西方海域の大規模な侵攻作戦に取り組んでいた。カレー洋に展開する敵機動部隊を叩き、リランカ島を占拠して策源地とし、さらにその西方のステビア海へ切り込んで、連絡の途絶した欧州とのコンタクトを図る一大打通作戦。
今回の戦いには、ドイツから来たという艦娘が急遽加わっていた。鎮守府という湖に一石を投じる形となったそれは、艦娘たちの間でいくつもの波紋を生んだ。そして、リランカ島攻略という局面になって、その波紋はいつしか大きくなり、無視できぬ波乱となって艦娘たちを悩ませることになっていた。
「――ビスマルクさん!」
おずおずと、だが、はっきりと呼びかけられ、ビスマルクはじろと目を向けた。
視線の先に二人の小柄な艦娘がいる。黒髪の凡庸な顔立ちの少女と、金髪で緋色の目をした少女だ。名前は――何と言ったか。ビスマルクは思い出そうとして、すぐにやめた。顔合わせはしたはずだし、なにより同じ艦隊ではあるが、それだけのことだ。
体格からして駆逐艦であろう彼女たちは、そろって声をあげた。
「お、お話があります!」
「あるっぽい!」
二人とも、我慢ならないという様子で、こちらをにらんでいる。
何の用かと無言でいると、それを了解と取ったのか、二人は口を開いた。
「戦闘でいきなり敵に突っ込むのは控えてください!」
「連携がとれないっぽい!」
「追いついてカバーするの、いつも大変なんですよ」
「一人じゃ危ないっぽい。陣形整えていくのがいいっぽい」
「わたしたちはチームなんですから……」
「ビスマルクさんだけで戦っているんじゃないっぽい」
それを聞いて、ビスマルクの顔つきが少し変わった。
目を細め、口の端をふっと持ち上げる。
振り向かないまま、冷たい眼差しを向けたまま、
「――くだらないわね」
そう、彼女は言い捨てた。
言われた本人たちは目をぱちくりとさせて、次いで、顔を真っ赤にした。
一人は眉をしかめ、もう一人は頬をふくらませている。
「すぐにカバーに回れないあなたたちが未熟なのよ」
ビスマルクがさらにそう言うと、二人ともに目を吊り上げた。
一触即発の緊張感が立ち込め、駆逐艦娘たちがそろって口を開こうとしたとき、
「わーわーわー。二人ともごめんね」
すかさず割って入った者がいる。
二つのおさげにまとめた蜂蜜色の髪、人懐っこそうな笑みを浮かべた彼女は、ビスマルクによく似た黒と灰の衣装を着ている。腕に鈍く輝く鉄十字の徽章も同じ意匠だ――重巡のプリンツ・オイゲンである。
「ビスマルク姉さま、ちょっと機嫌が悪いみたいなの――ね、そうですよね?」
言葉の後半はビスマルクの方を向いてかけられたものだが、当の本人はそれには答えない。ただ軍帽を目深にかぶり直しただけである。
プリンツ・オイゲンがその笑みを苦笑いに変える。それを見て、駆逐艦娘たちは顔を見合わせると、彼女に近寄ってそっと耳元でささやいた。
「プリンツさんがそう言うなら、まあ、仕方がないですけど」
「あんまりかばうとプリンツさんまで変な目で見られるっぽい」
その言葉にプリンツ・オイゲンは笑みを崩さない。
駆逐艦娘たちはどちらからともなく顔を見合わせる。金髪の子が黒髪の子の背中をたたいて「いこっ」と言い、二人は離れていった――機動部隊付きの駆逐艦ともなれば、戦闘終了後の艦載機回収がむしろ一仕事なのだ。あまり人への文句に割く時間はない。
二人を見送りながら、プリンツ・オイゲンが安堵のため息をつく。
その息遣いを聞いて、ビスマルクが冷たい声で言った。
「余計なことはしないでちょうだい」
ビスマルクの言葉に、プリンツ・オイゲンは少し笑みを引っ込めた。かすかに表情を引き締め、真面目な顔で言ってみせる。
「ビスマルク姉さまのためなら、いくらでも余計なことをしますよ、わたしは」
「そのうちあなたまで嫌われるわよ」
「姉さまと一緒なら本望です」
「……わたしにつきあってこんな異郷まで来なくてよかったのに」
ビスマルクの醒めた声に、かすかに熱がこもる。
それはこの面倒見のいい同僚への気遣いなのか、それとも本気であきれているのか。それは口にした本人にも定かではなかったが、少なくともプリンツ・オイゲンにはその熱は伝わったのだろう――彼女は照れ笑いを浮かべてみせた。
「姉さま一人じゃさみしいです。わたしが付いていてもいいじゃないですか」
その言葉に、ビスマルクは帽子のつばに手をかけた。手にしたそれを少し下げ、目元を隠して彼女は短く言った。
「本当に、あの時から変わらないわね、あなたは」
「ワォ、相変わらずの猪突猛進デスネ」
目の上に手をかざしながら、ビスマルクたちの様子を遠目に見つめている者がいる。
編みこんだ栗色の長い髪、やや青みがかった印象の黒い瞳、その顔立ちは大人びた雰囲気と無邪気な稚気が同居しているように見える。巫女のような衣装を身につけ、その鋼の艤装には巨砲が並ぶ。だが、なによりも特徴的なのはその口調だろう。少し異国なまりのある独特のイントネーションは一度耳にしたら忘れることはないだろう――鎮守府では知らぬ者とてない、高速戦艦姉妹の長女、金剛(こんごう)である。
「高速戦艦のビスマルクが前面に立って突撃、それを重巡のプリンツ・オイゲンが援護――普通、その逆ではないデスカ?」
賞賛と非難がないまぜになった金剛の声。それに応じた者がある。
「ですが、お姉さま。少なくとも戦果は出しています」
肩のところでふっつり切った黒髪、冷静沈着な面持ち、かけている眼鏡が理知的な印象をより強めている。衣装は金剛とお揃いである――妹にあたる霧島(きりしま)だ。
「耐久度に優れたビスマルクが盾代わりになり、射撃能力に優れたプリンツ・オイゲンが敵に打撃を与える。少なくとも、あの二人ではこの連携はうまくいっています」
「……あの二人だけ見れば、デース」
金剛の言葉に、霧島がため息をついた。
「ええ。おっしゃる通りです。結果として、他の艦娘との連携はうまく行ってません。他の巡洋艦や駆逐艦が必死に合わせているのでなんとかなっていますが」
「フムン。ビスマルクはそんなに猛将タイプには見えマセンガ……」
金剛はそう言って、海原にたたずむドイツ艦娘二人を見やった。
このリランカ島攻略艦隊は本作戦の要であり、そのため、二個部隊を編成して作られる連合艦隊での編成になっていた。本隊である機動部隊と、分隊である護衛戦隊からなる連合艦隊は実戦での最大編成であり、合計で十二人の艦娘からなる。
機動部隊を主力とする連合艦隊の場合、先に空母から発艦した艦載機が敵艦隊に大規模な空襲をかけた後に、本隊に先んじて護衛戦隊が突入し敵の数を減らす。その後に機動部隊本隊が、必要なら第二次攻撃を行う。多少変化はあるが、これが戦いの流れだ。
ビスマルクとプリンツ・オイゲンは護衛戦隊の所属。一方、金剛と霧島は機動部隊つきの戦艦だ。虎の子の空母陣を守るために護衛戦隊のビスマルクが敵に突撃するのは間違っていないし、その彼女たちが撃ち漏らした敵が空母に手を出す前に長距離砲撃で仕留めるのは金剛の役目だ。
ただ、陣形全体で見た場合、やや後方に位置しているだけに金剛からは護衛戦隊全体の動きがよく見えた。戦いが始まるや、ビスマルクは決まって敵陣に突っ込んでいくのだ。気心の知れているプリンツ・オイゲンには彼女の動きが察知できるのだろう。すかさずフォローに入る。
問題は他の艦娘だ。毎回、ビスマルクがどこへ突っ込むのかが分からないためにワンテンポ遅れて動くことになり、そのために隊形がいびつな錐行陣のようになってしまう。
本来であれば、戦艦であるビスマルクはその射程を生かして砲撃戦で敵を牽制し、その隙に速度に優れる巡洋艦や駆逐艦が突撃すべきなのだ。それがあべこべになっている。
「でも、結果オーライというわけにはいかないデスネ」
霧島の言うとおり、戦果はあがっている。戦いにセオリーはあるようでないものだからビスマルクのやり方で上手くいくならそれにこしたことはない。
問題は、事前に護衛戦隊の中で合意がとれているかどうか、だ。
ビスマルクとプリンツ・オイゲンは作戦直前になって合流したドイツ艦娘だ。言葉は幸いに支障はないものの、元から鎮守府にいた艦娘との仲はぎくしゃくしていた。壮行会でもひと波乱あったものの、カレー洋に向かう洋上演習ではまず団体行動ができていたように思う。ところが、いざ実戦が始まるとこの有様だ。
「どうしたものデショウカ……」
「考えても仕方がありませんよ、お姉さま」
悩み顔の金剛に、霧島があきらめ気味の声で応えた。
「お姉さまはこの艦隊の旗艦ではないのですから、編成に口出しできませんもの」
「霧島、それは分かっているデース」
「じゃあ、どうしてそこまで気にかけるんですか? 面倒見がいいのはお姉さまの素敵なところだと思いますが、あまり悩むとお肌が荒れますよ」
軽口めいた霧島の言葉だったが、金剛の顔はいっかな晴れない。
たしかにそれほど思い悩むことではないのかもしれない。ビスマルクと言葉を交わしたのは壮行会の時のほんのわずかな時間だ。
だが、金剛にとっては、その短時間で彼女に強烈な印象を持つには充分だった。
「――お姉さま、一時撤退みたいですね」
霧島が空を見上げて言った。金剛も目で追うと、赤色の信号弾があがっている。
「このままリランカ島攻略とは行きマセンカ」
「次くらいじゃないですか? いまは敵の防衛陣を削いでいる状況ですし」
その言葉に、金剛はうなずくと、軽く頭を振った。
なぜ自分はここまでビスマルクのことで思い悩むのだろう。
壮行会で自分に向けられた――あの眼差しのせいだろうか。
制海権を確保したカレー洋の半ばまで、攻略本隊は位置を進めている。
艦娘たちを運ぶ特設運搬船、司令官たる提督が乗るヘリ空母。それに護衛艦が二隻。
実戦力を艦娘が担う以上、この本隊は洋上補給基地の意味合いが強い。
一時的に引き上げてきたリランカ島攻略部隊も、特設運搬船に戻って休んでいる。
それはビスマルクも例外ではない。
損傷の修理が終わると、自室としてあてがわれた船室にさっさとこもっていた。
ベッドに横になって、何の面白みもない天井をしばし眺めていた。
相部屋になっているプリンツ・オイゲンはどこかをほっつき歩いているらしい。
元から社交的な性格ではあるが、正式に鎮守府に合流してからは積極的に他の艦娘と言葉を交わしているようだ。それは長い付き合いのビスマルクの目から見ても、がんばりすぎと思えるレベルであって、無理をしていないかが気になった。
「……無理をさせているのはわたしのせいか」
ビスマルクはぼそりとつぶやいた。他と交わろうとせず、他を突き放し、独断専行で事を進める自分に対する風当たりはすこぶる強い。
それはいい。望んでそうしていることだ。いまさら友人など作る気はない。
だが、あのおせっかいは見るに見かねて、甲斐甲斐しく自分を世話するだけに飽き足らず、ビスマルクの冷淡な程度を弁護して回っているようなのだ。
本来なら感謝せねばならないことだろう。
だが、余計なことを、という思いが先に立つ。
プリンツ・オイゲンは彼女自身の幸せを追求すべきなのだ。あの子なら、この異郷でもうまくやっていけるだろう。友人を作り、仲間を作り、第二の人生を歩めばいい。
自分には、もうそんな気力はない。そんな勇気もない。
ただ、実戦部隊に配備されたのを幸いに、灼熱の中で沈むことを望むだけだ。
ビスマルクは手荷物から一枚の写真を取り出した。
彼女とプリンツ・オイゲンと、二人にはさまれて赤子を抱いた女性が写っている。
処分しようと思って、この写真だけは捨て切れなかった。
写真の中のビスマルクの顔を見れば、きっと誰もが驚くだろう。
何も知らなかったあの頃。何も悩まなかったあの頃。
ただ、純粋に人類の藩屏たる誇りを胸に戦っていたあの頃。
その時の笑顔は、もうビスマルクには思い出せないものだ。
ビスマルクは、写真を胸に抱きしめた。
そして、ベッドの上で身体をくの字に曲げ、声にならない嗚咽をかすかに漏らした。
「ビスマルクと話をしてほしい、デスカ?」
甲板でくつろいでいるところへ来た客の唐突なお願いに、金剛は目を丸くしていた。
すでに西の空には日が沈みかかり、あたりは茜色に染まっている。
海は色を濃くして黒々と広がり、不気味な暗さを見せていた。
金剛に向かって手を合わせているのは、大人びた印象の一人の艦娘だ。赤い袴がよく目立つ弓道着に似た衣装、長い黒髪がよく似合う、温和さと快活さを併せ持つ面立ち――いかにも年長のお姉さんといった印象の、赤城(あかぎ)である。
空母陣の元締めであり、なによりもリランカ島攻略部隊の旗艦を務めている。
いまの金剛にとっては、まさに上官に当たる。とはいえ、艦娘どうしではあまり上下関係はとやかく言われない。そちらよりは古参かどうかの方がより重要視される。
その意味では、お互いに遠慮のいらない古株同士ではあった。
「お願いします、金剛さん。あなたが頼みなの」
その赤城に拝まれた上に、こうも言われては話を聞かないわけにもいかない。
「どういうことデスカ?」
「……ビスマルクさんのこと、どう思いますか」
そう訊ねる赤城の顔は、かすかに渋面を浮かべている。
金剛は肩をすくめて答えた。
「練度は大したものデース。あんな無茶な戦い方をして、いままで中破したことさえないですカラ。でも戦うたびに無茶がひどくなっていマス……まるでバーサーカー、狂戦士デス。その末路は早死にすると相場が決まっていマスネ」
口調こそ軽く言ってみせたが、その実、金剛の胸はかすかに痛んだ。
そして、その痛みは、続く赤城の言葉でさらに強められた。
「……死に場所を求めているように見える、と?」
それは金剛がかすかに感じつつも、一方で否定したい予感でもあった。
撃沈したい者などいるはずがない。それは鎮守府の艦娘にとっては常識とさえいっていい。多くの艦娘はかつての戦いで沈んだ軍艦の記憶を持つ。この身になってもう一度それを味わいたいと思わないのが普通だ。
にも関わらず――金剛の目にも、そして赤城の目にも、ビスマルクの行動が単に功績をあげたいがための独断専行ではなく、より深刻なものゆえに見えるのだ。
「ビスマルクを編成からはずしたらどうデスカ?」
金剛の提案に、赤城はかぶりを振ってみせた。
「いいえ、それはできないわ。帰還してすぐに提督から知らされたのだけど――リランカ島の南西、アンズ環礁に敵の秘匿泊地があるかもしれないの。いまは大きな動きはないけど、リランカ攻略に呼応して出てくるかもしれない。予備戦力はそちらに貼り付けになるから、現状の艦娘でどうにかするしかないわ」
「オゥ……そうなるとリランカ島攻略自体、急がないといけませんネ」
「明日の出撃でリランカ島港湾部への攻撃に踏み切ります。そのためにもビスマルクさんのことは解決しておきたいの」
赤城の言葉に、金剛は眉をしかめて、頭をかいた。
「それで? ワタシにどんな話をすればいいというんデスカ?」
「お任せします。ただ、ビスマルクさんの行動が少しでも変われば上々です」
なんとも曖昧な内容に、金剛はじとりとした目で赤城を見つめた。
「丸投げとはちょっと虫が良すぎじゃないデスカ?」
「戦艦の人のメンタリティは空母のわたしには分からないから……」
目をそらしてとぼけてみせる赤城を、金剛は逃がすまいとにらみつける。
ややあって、赤城はため息をついて、白状した。
「……実は、ビスマルクさんと話をするのが怖いんです」
そう言って、赤城は自分の腕で自分の身体を軽く抱きすくめた。
「あの冷え切った眼差し。鉄仮面のように動じない顔。そして時々声にこもる昏い響き――何度か言葉は交わしましたが、あれは何か恐ろしいものを見てきた顔です。ビスマルクさんはそれを表に出すまいとしていますが……どうにも嫌な予感しかしなくて」
「――それで、ワタシを矢面に立たせるつもりデスカ?」
「壮行会でのこと、聞きました。艦娘たちがビスマルクさんを遠巻きにしている中、あなただけは意に介さずにあの人に話しかけた、と。その時の勇敢さを買いたいと思います。どうか、引き受けてくれないでしょうか」
深々と頭をさげた赤城に、金剛は言葉もなかった。
確かに、もう一度話してみるべきかもしれない。
あの時のビスマルクの眼差し――怒りでもなく、軽蔑でもなく、ただ自分たちに対する憐れみで満ちていたあの目の答えが得られるというのであれば。
「なるほど、この時間ならサロンルームも人がいないわね」
「でしょう? これなら落ち着けますよね、ビスマルク姉さま」
プリンツ・オイゲンがそう言い、ソファに腰を下ろす。彼女が片手で自分の隣のソファをぽんぽんとたたいてみせると、ビスマルクもそこに座った。
「ふうん。ピアノまであるのね」
ビスマルクがサロンの片隅を見て、言った。
「お弾きになりますか?」
勢い込んで訊ねたプリンツ・オイゲンにビスマルクはそっけなく言った。
「いいえ。昔のことだもの」
「そうですか……そうですよね」
うなずきながら、プリンツ・オイゲンは少し残念そうだった。
二人が来ているのは食堂隣のサロンルーム、時間は消灯まで二十分というところだ。この時間ともなれば、それぞれの艦娘は船室でくつろいでいるか、それとも船室に近い方の別のサロンにたむろっている。
部屋にこもりきりのビスマルクを見かねて、プリンツ・オイゲンが半ば無理やりに連れ出してきたのだ。他の艦娘と顔を合わせたがらないビスマルクではあったが、サロンの静けさぶりは気に入ったのか、ソファに身体を沈めてリラックスした表情で目を閉じた。その静かな面持ちに、プリンツ・オイゲンが安堵の息をついた。
「それにしてもよくこの時間に人がいないってわかったわね」
「ええ、金剛さんに教えてもらって――」
ビスマルクの問いに、プリンツ・オイゲンが答えかけた、その時。
「ようやく来たデスネ、二人とも。待っていたのデース」
金剛の底抜けに明るい声がサロンに響いた。
その声にビスマルクが目を開き、じろりと金剛をにらみつける。金剛はなにやらワゴンを押しながら、こちらへ近寄ってくるところだった。
無言のまま立ち上がろうとするビスマルクに向かって、金剛は、
「お邪魔するつもりはないデース。紅茶をごちそうしたいと思って」
そう答えつつ、金剛はプリンツ・オイゲンの方をちらと見る。その視線に気づいたプリンツ・オイゲンがビスマルクの袖をつかんだ。
袖を引かれたビスマルクは、不承不承といった調子でソファに座りなおした。
それを見て、金剛がにっこりと微笑む。
「少しお待ちクダサイネ」
そう言って、金剛はてきぱきと茶器を取り出し、紅茶の準備を始めた。
ビスマルクとプリンツ・オイゲンの目の前に白磁のティーカップが置かれる。
その向かいにちゃっかり三つ目が置かれるのに、ビスマルクが何か言いたげな目つきをしたが、金剛は意にも介さずにティーポットに茶葉をいれ、お湯を注いだ。
テーブルの中央にポットを置き、その上に布のカバーをかける。
一連の手つきを見て、ビスマルクがぼそりとつぶやいた。
「……手慣れているわね」
「お茶会は金剛姉妹にとって欠かせない日課ネ」
金剛はそう言うと、ビスマルクの向かいのソファに腰を下ろした。
ビスマルクがじろりとねめつける。
「邪魔しないんじゃなかったの?」
「お相伴にあずかるだけデース」
いけしゃあしゃあとさえとれる金剛の口ぶりに、ビスマルクはため息をついた。
ほどなくして、金剛がポットからカバーをはずし、それぞれのカップにお茶を淹れて回った。琥珀色のお茶が白磁のカップに色鮮やかに映え、花を思わせる芳香がビスマルクたちの鼻をくすぐった。
ビスマルクがそっとカップを手に取る。
一口すすってみて、彼女は目を丸くした。
「グート……」
たまらずそう感嘆の声をあげる。次いでお茶を口にしたプリンツ・オイゲンも、
「レッカー!」
そう口にした。二人の顔がそろって紅茶の美味に驚いているのを見て、金剛が満足げにうなずいてみせる。そのまま黙りこくって、ただお茶を楽しんでいるようにみえた。
しばし、沈黙の静寂と紅茶の芳香があたりに漂う。
静かな時間を破ったのは、ビスマルクの一言だった。
「……何か聞きたいことがあって来たんじゃないの?」
鋭い眼差しで彼女は金剛を見つめた。
金剛はというと、いったんティーカップを傾けて表情を隠しつつ、しかしビスマルクの視線にたじろいだ様子もない。ゆっくりとお茶を味わい、ほうと息をついたあとに、カップをソーサーの上に静かに置いた。
白磁どうしがかすかに鳴る音がしてから、金剛は穏やかな口調で言った。
「どうして、自分を大切にしないんデスカ?」
その問いに、ビスマルクは冷たい微笑で応じた。
「兵器が自分の身を惜しんでどうするのよ」
「兵器じゃありマセン。艦娘デス」
「ああ、あなたたちはそう呼んでいるのよね。それで?」
「よしんば兵器だとしても、その命は無駄遣いはするべきではありマセン」
金剛はビスマルクの目をじっと見つめた。
「アナタの行動は、なによりアナタ自身のためにならない。違いマスカ?」
「わたしの命はわたしのもの。他の誰のものでもないわ」
ビスマルクは硬い声で答えた。
「自分の命をどう使おうと、わたしの勝手よ」
「……それは兵器の考えではありマセン。人間と同じ考えデス」
金剛の指摘に、ビスマルクがぐっと声を詰まらせた。
非難するでもない。叱るでもない。ただ金剛は淡々と事実を述べていた。
「それはあなたがなにより艦娘である証デース。ただの兵器ではない、かつての軍艦の記憶と、乙女の心を併せ持つ存在だということデスヨ?」
その言葉に、ビスマルクはテーブルに拳を打ちつけた。
がしゃんと茶器が耳障りな音を立てる。
ビスマルクの顔は、ひきつっていた。
憤懣やるかたない目で金剛をにらみつけるが、金剛は涼しい顔だ。
「――その考えは提督に吹き込まれたのかしら? それともあなた自身がそう考えていることなのかしら?」
嘲りの色を浮かべて、ビスマルクがそう問うのに、金剛は、
「“吹き込まれたこと”でも、“考えた”ことでもありマセン」
そう静かに答え、真っ向からビスマルクの怒りの視線を受け止めた。
「どちらかなら、アナタは満足なのデスカ?」
金剛の言葉に、ビスマルクは帽子を目深にかぶり、無言で立ち上がった。
そのまま一言も言わずに、その場を立ち去っていく。
プリンツ・オイゲンが慌てて後を追おうとするのを、金剛が手をあげて制した。
金剛の眼差しは彼女を見つめて、離そうとしない。
しぶしぶ、プリンツ・オイゲンはソファに座りなおした。
ビスマルクがサロンの扉を閉める音が響いてから、しばし金剛は無言だったが、
「――その人の本性は、怒ったときか笑ったときに出るそうネ」
そう、プリンツ・オイゲンに語りかけた。
プリンツ・オイゲンが目をぱちくりとさせて、訊ね返す。
「ふぇ。もしかして、わざとビスマルク姉さまを怒らせたんですか?」
「そうでもしないとあの鉄仮面は、はずれないでショウカラ――おかわりは?」
金剛がそう言って、ポットをつついてみせる。
「消灯時間、過ぎちゃいますよ」
「その程度のルール破りが許される程度には勝手がきく立場デス」
金剛はそう言ってウィンクしてみせた。
「切れるときにカードは惜しみなく切るのが鉄則デスネ」
「……おかわり、いただきます」
プリンツ・オイゲンの言葉に、金剛はうなずいてみせた。
「紅茶で二煎めは邪道なんですケド」
そう言って、しなやかな手つきでポットにお湯を注ぐ。
そんな金剛の様子を見ながら、プリンツ・オイゲンは訊ねた。
「それで、わたしの方に何のご用なんですか?」
「アナタたちに何があったのか。いいえ、正確には、“アナタたちと人間たちの間に何があったのか”――それを教えてクダサイ」
「……どこまで話せるかわかりませんよ。提督から口止めもされています」
「できる範囲で構いマセン。あなたが良いという範囲で結構デス」
金剛はそう言うと、プリンツ・オイゲンのカップに紅茶を淹れなおした。
ふわと香る湯気ごしに、金剛は真剣な眼差しで見つめていた。
「ただ、ビスマルクがこのままではいけないと思っているのデショウ? その意味で、アナタとワタシの思いは同じはずデース」
金剛の言葉に、プリンツ・オイゲンはうなずき、訥々と話し出した。
ビスマルクお姉さまも昔はあんなふうじゃなかったんです。
わたしたちは人類の守護者だと、繰り返し皆に言って聞かせてました。
プロシアの黄金期を支えた名宰相、その名を冠する軍艦の名を継いだ誇りにあふれて、ビスマルクお姉さまはまぶしいほど輝いていました。
もちろん、無茶な戦いなんてしません。
常にお姉さまは勝つことと生き残ることの両方を考えて、作戦を立てていました。
その頃はわたしたちと市民の間も近くて、休みの日には公園で言葉も交わしたりしたんですよ。ベンチに二人で座って、ビスマルクお姉さまが行きかう人たちを見つめていたのをよく覚えています――たまに向けられる笑顔に、同じく笑顔で返して。そのたびに、わたしたちは守るべきものを実感できていました。
でも、ある事件がきっかけで、わたしたちの由来が新聞に暴露されました。
わたしたちもショックでした。精神に異常を来たした仲間も少なくありません。
でも、それ以上に、人間の市民がパニックになりました。
あんな存在に防衛を任せていいのか。
あんな連中をこんな街に近い基地に置いていていいのか。
わたしたちは事件以降、基地に軟禁状態でしたが、デモ隊があげる声はかすかに聞こえていました――それでも、ビスマルクお姉さまはくじけずに皆に声をかけて回っていました。これまでの自分たちの戦いを思い出せ、現に人類を守ってきたのはわたしたちじゃないか、と。人々も落ち着けばそのことを思いだすはずだと。
でも、欧州政府はわたしたち抜きの防衛を考えるようになりました。
そして、“ツェルベルス計画”が正式に決まりました。
わたしたちに頼らない、まったく別の仕組みの防衛システム。
そこからは露骨な手のひら返しでした。
それまで多少は同情的だった基地の人たちはすべて入れ替えられ、代わりにやってきたのはまるで看守みたいな人たちでした。わたしたちに対するひどい扱いも、一度や二度ではありません。ビスマルクお姉さまは常にわたしたちの待遇改善を求めては上層部にかけあい、そのたびにつっかえされて、見る見るうちに磨り減っていきました。
このままじゃビスマルクお姉さまがもたない――そう思っていたところに降ってわいた極東派遣命令です。わたしは他の仲間と相談して、無理やりにビスマルクお姉さまを連れ出すことにしました。
本当は欧州で戦いたかったですよ? おまけの戦力としてでもいい、人類のために戦いたかったですよ? でも、その人類自身がわたしたちに侮蔑を向け、そればかりか石を投げつけるようになったんです。そんな人たちを守れだなんて言われても、わたしには無理でした。
でもビスマルクお姉さまはまだ諦めていなかったようです。
繰り返し、わたしに「あのパレードの日を覚えているか」と訊ねてきました。
忘れるはずがありません。深海棲艦の攻撃で孤立した港町をわたしたちが救援した時の話です。帰ってから賑やかなパレードが行われて、わたしたちは大々的に英雄として人々の拍手を受けました。
その時、赤ん坊を抱いた一人の母親がお願いしてきたんです。勇敢なわたしたちから、この子供に祝福を与えてくれないか、って。そのときにさわった赤ちゃんの小さな指の感触、いまでも覚えています。そして、ビスマルクお姉さまが優しい声で、「よく覚えておきなさい。この小さな手が、この小さな顔が、わたしたちの守るべき未来なのよ」と。
そのときのことを、何度も何度もわたしに話してきました。
そして、極東派遣組が基地を発つときがきました。
見送りもなしに、こっそりと逃げ出すような出発でした。
そのときです。遠目に、港の岸壁を小さな子供を連れた女性が目に入りました。
見覚えがあるな、と思ったときには、ビスマルクお姉さまは手を振ってました。
あの、パレードのときの親子です。
しばらくして、母親がこちらに気づきました。そして、手を振るビスマルクお姉さまから隠すように、子供を抱きかかえてこちらに背を向けてしまったんです。
そのときのビスマルクお姉さまの顔を、わたしは絶対に忘れられません。
あの時、お姉さまを支えていた何かが、ぽっきり折れてしまったんです。
それからです。ビスマルクお姉さまから、冷笑以外の笑みが消えてしまったのは。
それからです。ビスマルクお姉さまが、あんな無茶な戦いをするようになったのは。
お姉さまはもう沈んでしまいたいのかもしれません。お酒に酔ったまま死を迎えるように、戦闘の興奮の中で華々しく散りたいのかもしれません。
わたしたちは、“自分たちの由来”を知っています。
だから、“沈むということが別の地獄の始まりにすぎない”ことも知っています。
それでも、ビスマルクお姉さまはそちらを選ぼうとしています。
分かっていても、そのこと自体は、わたしに止めることはできません。
それがビスマルクお姉さまの望みなら、仕方がありません。
紅茶はすっかり冷めていた。
だが、ひとしきり話したプリンツ・オイゲンはかまわずにそれを飲み干した。
「あれ、おかしいな。こんなに話すつもりじゃなかったのに……」
わずかにかすれた声で、プリンツ・オイゲンは言った。
「この紅茶、何か変な薬とか入っていないですか?」
その冗談めかした問いに、金剛はふるふるとかぶりを振ってみせた。そして、手を伸ばしてプリンツ・オイゲンの頬にそっと触れる。
「何も入っていないデース。きっと、プリンツも話したかったのデスネ。誰にも話せずに我慢して、よく頑張ったデスネ――つらかったデショウ?」
金剛の言葉に、プリンツ・オイゲンはうなずきかけ、しかし首を横に振った。
「つらかったですけど、悔しかったですけど、せめてビスマルクお姉さまの前では明るく振舞っていようと決めたんです。わたしが明るくしていると、あの硬い表情がちょっとだけやわらぐ瞬間があって――それを続けていれば、いつかあの時の笑顔を思い出してくれるんじゃないかって、そう思って……そうしているうちに、いつのまにか泣き方を忘れてしまいました」
そう言ってプリンツ・オイゲンは笑ってみせた。
その笑顔を見て、金剛はふうとため息をつき、うつむいた。
彼女の笑顔は、見てるだけで痛々しいものだったから。
再び、視線を戻したとき、金剛の目には強い光が宿っていた。
そうして、言い聞かせるように、ゆっくりとプリンツ・オイゲンに語りかける。
「アナタの話には分からないところがいくつかありマス。でも、それは問題ではありマセン。確かなのはひとつだけ……たぶん、ビスマルクは昔のように笑うことはできマセン。艦娘も人と同じ、過去には戻れないのダカラ」
その言葉にプリンツ・オイゲンが目を大きく見開く。
彼女の目から視線を離さずに、金剛は続けて言った。
「でも、新しく笑うことはできマス。前の笑顔とは違うかもしれないケド、笑顔には違いありマセン。生きている限り、それはきっとかないマス。そして――あなたがまた泣くこともできるデショウ」
金剛の言葉に、プリンツ・オイゲンがおずおずと訊ねる。
「わたしたちは、人間じゃない。兵器なのに……?」
その問いに、金剛はウィンクして自信満々に答えてみせた。
「兵器じゃないデスネ――艦娘デス」
翌朝、作戦会議室は艦娘たちの騒がしい声で満ちていた。
やってきたプリンツ・オイゲンは何事かと思ったが、すぐに黒板に貼られた航空写真に目が留まった――そこに写されたものを見て、思わず息を呑む。
顔を向けてみると、ビスマルクもそれを見ていた。相変わらずの無表情だったが、ほんのかすかに冷たい笑みを浮かべたのは気のせいだったろうか。
艦娘の中には金剛もいる。彼女は腕組みをして、写真をにらみつけていた。
「静粛に! 静粛に! 状況を説明します!」
艦隊旗艦の赤城が歩み出て、声を張り上げる。
それでひとまずはざわめきは収まった。赤城がひとつ咳払いして、言った。
「これは今朝のリランカ島港湾部の様子です。港湾部の入り口付近に見える粒粒のような点、見て分かるとおり、これは機雷です。おそらく敵が敷設したものでしょう」
そう言って、赤城が別の図を貼り出す。機雷の解析図面だ。
「過去に鎮守府近海で使われたものと同じ、接触型の単純なものです。敵の妨害がなければ掃海作業もすぐに済むでしょう――問題は、港湾の奥に、水鬼クラスの敵中枢戦力が控えていることです」
赤城はある写真をまた貼り出した。ぼやけていてはっきりとは見えないが、要塞のような砲台や機械群を背負うように、どこか人型に見える白い影がうずくまっている。
「機動部隊の空襲では地上型の敵中枢には有効打撃は与えられません。かといって、機雷群の外からの砲撃では地形が邪魔になって砲撃では命中率が著しく落ちます」
赤城は写真をはずし、別の図面を取り出した。
そこに描かれた図を見て、艦娘たちがどよめく。
「そこで、提督とも相談の結果、重巡以上の少数の艦娘による港湾部突入を敢行します。事前に機動部隊による空襲は行いますので、港湾部内の敵随伴艦はある程度数を減らせますが、それでも完全とはいきません。事実上、敵地に切り込んでの決死作戦となります。機雷群は昨日までは確認できなかったので、おそらくまだ散布状況に粗があると思われます。二人程度の艦娘なら、迅速に突破できる――はずです」
赤城の説明に、誰かが「無茶だ」と声をあげた。
港湾部に切り込んでの近接射撃。たしかに重巡以上の砲を持つ艦娘なら水鬼クラスでもしとめられるかもしれない。だが、味方の充分な援護のないままに突入することは、まるで特攻作戦だった。首尾よくやりとげても、行きて帰れる保証はない。
ざわめく艦娘たちだったが――すぐに声を潜めた。
作戦会議室の扉が開き、一人の男が入ってくる。
白い海軍制服。年齢のつかめないその風貌。
提督。艦娘たちの司令官だ。
彼女たちの視線を一身に集めながら、彼は赤城の横に立った。
艦娘たちの顔を見て、どこまで説明されたかすぐに察したのだろう。
彼は開口一番、こう言った。
「……無茶な作戦なのは承知している。だが、リランカ島の先のアンズ環礁で敵秘匿泊地が正式に確認された。一刻も早くリランカを確保し、アンズ環礁を攻略せねばその先のステビア海への航路も開けない」
ひと呼吸おいて、提督は続けた。
「敵はこちらの意図を見透かして、今回の行動に出たのだろう。やつらも後がないのだ。だが、俺も無益な犠牲は出したくはない。よって、今回の突入任務は志願制とする。志願者がいない場合は本作戦はすべて中止し、鎮守府へ帰還する。このタイミングを逃すのはとても惜しいが、艦娘の命には代えられない」
そう言って、提督は艦娘たちを見回し、言った。
「志願者は二名までだ。希望する者は手を挙げてほしい」
その言葉に、作戦会議室がしんと静まり返った。
だが、静寂は束の間のことだった。
しゅると手を挙げたものがいる。プリンツ・オイゲンがハッとして振り向くと、ビスマルクが表情を変えないまま、まっすぐに手を挙げていた。
それを見て、プリンツ・オイゲンも手を挙げようとした。
だが、腕を伸ばしかけた瞬間、ひときわ明るい声が会議室に響いた。
「ワタシも行くデース。戦艦が二人なら打撃力は充分ネ」
金剛だった。ぴんと手を挙げて、そのまなざしに迷いはない。
「――では、決まりだな。リランカ島港湾部突入作戦を実施する」
提督がそう宣言する。次の瞬間、作戦会議室は艦娘たちの声であふれた。
ほとんどが金剛を心配するものだ。彼女は他の艦娘に囲まれて言葉をかけられていた。ビスマルクには気の毒そうな視線を送るものの、声をかける者はいない。
金剛はかけられる言葉にいちいち対応していたが、ふと自分を見つめるプリンツ・オイゲンの視線に気づくと、微笑んでウィンクしてみせた。
――だいじょうぶ。まかせてクダサイ。
昨夜までなら、そんな声は聞こえなかっただろう。
しかし、あの会話を経た今なら、金剛の無言のメッセージがプリンツ・オイゲンには伝わった。そして彼女もまた、金剛を見つめてうなずいてみせた。
――ビスマルクお姉さまを、お願いします。
それは、極東に来て初めて、彼女が敬愛する者を他者に託した瞬間だった。
『金剛さん、本当に良いの?』
「心配ないデスネ、赤城。艦娘は度胸と言ったものデース」
『霧島さんが代わると言って聞かないのだけど』
「ノー。霧島は機動部隊についていてもらわないと」
『みんな、無事に戻ることを願ってますよ』
「本当に?」
『本当ですよ』
「じゃあ、無事に帰れたらみんなにお願いしたいことがありマスネ――」
通信でなにやら話し込んでいる金剛を、ビスマルクは胡乱な目で見つめていた。
こいつは何を考えているのやら。
てっきりついてくるのはプリンツ・オイゲンだと思っていた。
あの子なら、こんな決死作戦を共にするのも悪くない。
一方で、ほっとしたのも事実だ。プリンツ・オイゲンは自分がいなくてもきっとうまくやっていける。その意味では彼女が助かることに越したことはない。
こんな自殺前提な作戦、自分だけでも充分なくらいだ。
なんなら弾薬を満載したまま、港湾水鬼に突っ込んでもいい。
それはそれで華々しい最期といえるだろう。
自分の死に方としては本意でもないが、納得はできる。
だが、金剛はついてくると言った。
勝算があるのか? 生き残る自信があるのか? なにか秘策が?
考えてみたが、答えは出ない。
「そろそろ機雷群デスネ!」
いつの間にか通信を終えた金剛が明るい声で言った。
「空襲も始まったようデース」
そう言う金剛とビスマルクの頭上を味方の艦載機群が飛んでいく。
かたや、港湾の奥から雲霞の群れが舞い上がる――敵の艦載機だ。
「フムン、あまり長い時間は稼げそうにないデスネ。急ぎマショウ!」
金剛がそう言うと、主機を上げる。
置いていかれまいとビスマルクも速度をあげた。
機雷群がどんどん近づいてくる。
機雷が不吉な点となって海面に浮かんでいるのが見える。
「――このままの速度で突っ込むというの!?」
ビスマルクが訊ねると、金剛はにやっと笑って言った。
「オフコース! 敵もこの速さで来るとは思ってないデース!」
そのあっけらかんとした言葉に、ビスマルクは思わず吐き捨てた。
「フェアリュクト!」
この金剛という子は頭のネジがはずれているに違いない。
まさに“クレイジー”としか言いようがないではないか。
「どうやって機雷を避けるの!」
「発想の転換デスネ。踏んだらダメなら踏み抜けデース!」
金剛のまさに目前に機雷が迫る。ビスマルクは目を見張った。
だが、金剛は不敵な笑みを浮かべ、主砲を機雷に向けた。
「バーニングラァァブ!」
裂帛の気合と共に主砲が放たれ、機雷を文字通り吹き飛ばした。
一瞬、煙に巻かれたものの、すぐに金剛が姿を現す。
「ぼやぼやしてると置いてくデース!」
挑発しているとしか思えない金剛の言葉に、ビスマルクは顔をこわばらせた。
「上等よ! そっちこそ置いていくわよ!」
そうして、金剛にならって機雷を主砲で吹き飛ばしていく。
「残弾はちゃんと数えるデース! 無駄撃ちはノー!」
「言われなくても分かっているわ!」
「突入成功したら狙うのは港湾水鬼だけネ! オーライ?」
「あなたこそ狙いをはずすんじゃないわよ!」
金剛の能天気な声に負けまいと、ビスマルクも自然と声を張り上げていた。
「……あの二人、何をやってるのかしら」
通信に耳を傾けながら、赤城があきれ声で言った。
待機する艦隊の皆も同じように、なんとも言いがたい顔をしていた。
ただ一人、そうではない顔をしている者がいた。プリンツ・オイゲンだ。
「すごいです……コンゴウは本当にすごいです」
「どうかしたの?」
赤城の問いに、彼女はうなずいて言ってみせた。
「こんなに元気なビスマルク姉さまの声、ひさしぶりです!」
「機雷群突破ネ――おおっと!」
金剛がそう言うや、その至近に大きな水柱があがる。
「港湾水鬼の砲撃ね……最後の関門といったところかしら」
「――良い顔ネ。ビスマルク」
不意にかけられた声に、ビスマルクは眉をひそめた。
「なんですって?」
「死にたいなら自沈すればいいだけデース。戦いの中で沈みたいというのは、アナタにまだ生きる意思が残っている証拠デスネ――自分の存在が無価値でないと証明したい表れデスネ!」
「知ったふうなことを言わないで!」
ビスマルクが金剛から離れようとする。
だが、金剛はぴたりと寄せてきて、なおも言った。
「アナタの苦しみの原因が何なのかは分かりマセン。でもこれだけは分かりマース」
握った拳を顔の前に構えて、金剛は続けた。
「その苦しみのために、アナタがアナタ自身を否定することは間違っていマス。ワタシたちが艦娘として生きている限り、ワタシたちは自分の存在を肯定していいのデース」
「わたしたちは人類の守護者でしょう!?」
ビスマルクは叫んだ。
「その役割を否定されて何の存在意義があるっていうの!」
「人類とか関係なしに存在意義ならありマース!」
「わたしたちがどこから来たのかあなたは知らないくせに!」
「知らなくてもワタシの答えは揺るがないデース!」
自信満々に言い張る金剛に、ビスマルクはふっと冷たい笑いを浮かべた。
ならば教えてやろう。艦娘が何に由来するのか。実際は何物なのか。
昏いまなざしのまま、ビスマルクは金剛に寄せた。
「わたしたちは、艦娘は、本当は――」
至近で水柱があがる。その音がビスマルクの言葉をかき消した。
通信では聞こえていまい。だが――金剛には伝わっていた。
彼女は大きく目を見開き、信じられないといった表情をしていた。
ビスマルクの心を暗い喜びが満ちていった。
それ見たことか。真実を前に金剛の言うきれいごとなど無意味なのだ。
だが――ビスマルクの勝どきも、ほんの束の間のことだった。
金剛が目を閉じ、すぐにまた目を見開いて、
「それがどうした、デース!」
その衝撃は小さなものではなかったはずなのに。
金剛の自信にあふれた表情が曇ったのは、ほんのわずかなことだった。
「戦って、泣いて、怒って、そして笑っているワタシはたしかにここにいマス! “もともとがなんだったか”なんて、そんなことはどうでもいいことデース!」
金剛の言葉は、その名の通りダイヤモンドのようだった。
まばゆくきらめき、澄んだ光を放ち、確固たる信念としてビスマルクの心を打った。
「人類がワタシたちをどう考えているかなんていうのも些細なことデース! ワタシたちの価値は誰よりもワタシたち自身が知っていることデスネ! ワタシたちが自分たちのことを“艦娘”だと考える限り、それは誰にも否定できないことデース!」
「だとしても!」
ビスマルクは叫んだ。声に涙が混じる。金剛の言葉はそれだけ力強かった。
「そう考えたとしても意味がないじゃない! わたしにはもう帰りを待ってくれている人なんていないのだから!」
「鎮守府のみんながいマスネ!」
金剛のきっぱりとした言葉に、ビスマルクは目を見開いた。
「ワタシたちの帰りを待つのは、まずワタシたち自身デスネ! 仲間のためにワタシは戦う。仲間のためにワタシは帰る。ワタシが戦うのは、まずワタシたち自身のためネ!」
「――ひとつ聞かせて」
ビスマルクは静かな声で訊ねた。
「あなたのその考えは、提督に教えられたもの? 自分で考えたもの?」
「提督はこうとしかおっしゃっていマセン」
金剛は満面の笑みで答えてみせた。
「人間も、艦娘も、生きている意味はその感情にこそあるのだ――それだけデスネ!」
そう答える金剛の頭上が不意に翳る。
笛のような音をさせながら、砲弾が飛来する。
金剛が振り向く間もなく。
ビスマルクの砲が火を噴いて、頭上の脅威を力づくで薙ぎ払った。
「オゥ――サンキュー」
目を白黒させる金剛に、ビスマルクは笑んでみせた。
それは冷笑ではなく、愛すべき戦友を守れた喜びの笑みだった。
「港湾水鬼がそろそろね。準備はいい?」
ビスマルクがそう言うのに、金剛がうなずいてみせる。
「オフコース! 全弾叩き込んで終わりにするネ!」
要塞のような港湾水鬼の姿が見えてくる。
白い人影はうつろな目を向けながら、怨嗟の声をあげた。
――異国ノ地。異国ノ海。
――サミシイナア。サミシイナア。
ビスマルクは奥歯を噛み締めた。この水鬼は過去の自分だ。
愛すべき故郷を追われ、帰るべき場所を見失っていた、自分自身だ。
主砲を向け、狙いを定める。至近で立ち上る水柱があっても、小揺るぎもしない。
「――フォイア!」
ビスマルクは叫んだ。同時に、構えた主砲が一斉に火を噴く。
その砲声は、過去との決別を告げるかのようだった。
「金剛お姉さま! ご無事ですか!」
「ビスマルクお姉さま! お怪我は!」
リランカ島の沖合いで、戻ってくる二人を皆が待ち構えていた。
金剛の元に駆け寄ったのは霧島、ビスマルクにはもちろんプリンツ・オイゲンだ。
「オーゥ……ちょっとヘビーな殴りあいだったデスネ」
「……よく命があったものだわ」
金剛もビスマルクも艤装はあちこちゆがみ、服はそこかしこが破れて煤けていた。
最初の一斉射では港湾水鬼は仕留めきれず、結局、足を止めての撃ち合いとなった。
いまにして思えば、戦艦の二人で突入して正解だったのだ。
重巡程度では、途中でもちこたえられずに沈んでしまっていただろう。
「誰かさんのおかげで沈みそこなったわ――心配かけたわね」
「……だいじょうぶです。みんなと一緒だったから、いつもより楽でした」
そう言って笑顔をみせようとする彼女を、ビスマルクはそっと抱き寄せた。
「ビスマルクお姉さま……?」
「もういいの。もう無理に笑わなくていいの。本当に、心配かけてごめんなさい」
プリンツ・オイゲンがビスマルクの顔を見上げる。
敬愛するその顔に浮かぶのは、見覚えのない――それでもたしかに微笑みだった。
「わた、わたし、本当は、ほんとうは――」
プリンツ・オイゲンがしゃくりあげながらそう言うと、ビスマルクの胸に顔をうずめてわんわんと泣き出した。ビスマルクがその身体をそっと抱きしめる。
顔をあげると、金剛と目があった。
金剛はにんまりと笑って、赤城たちの方を見やった。
ビスマルクが顔を向ける。艦隊の皆が自分を見つめていた。
なにごとか、と思っていると、まず口火を切ったのは赤城だった。
「おかえりなさい、ビスマルクさん」
「――おかえりなさい」
「おかえり!」
「おかえりなさい!」
皆、口々にそう言うのだ。
ビスマルクは目を丸くして、帽子を目深にかぶった。
胸元に抱きしめられたプリンツ・オイゲンには、しかと分かった。
ビスマルクが、頬を朱に染めて照れていることを。
表情を隠しながら、しかし、口の端をかすかに持ち上げて、ビスマルクは言った。
「……イッヒ・ビン・ヴィーダー・ダー」
それを聞いたプリンツ・オイゲンが笑顔を浮かべて、言った。
「ヴィルコメン!」
ドイツ語を知らない艦娘たちが顔を見合わせるのに、赤城がそっと耳打ちする。
それを聞いた彼女たちは、納得した笑みでうなずくのだった。
――ただいま。
――おかえり。
〔続〕