夢幻のリミナリティ   作:ねぴ

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A

2010/08/16

17:40

 

 

「ん……むぅ」

 

 最初に味わったのは、汗の匂いだった。

 

 ……汗臭い。なぜだ。

 

 気分は良くない。それに反して、体に受けた弾丸の痛みは癒されていた。 世界線を、移動したのだろう。いつものことだが、今の状況を掴めない。

 

「オカリン起きたっぽい。いい加減オカリンを背負い続けるのは疲れたお」

「背負う……?」

 

 左手の甲で目尻を軽く擦る。

 かすむ目に映ったのは……夕日だろうか、赤く染まったアスファルトの道路と、長く伸びた人影。

 俺はダルに背負われているらしかった。ダルの、いつもの半袖シャツと帽子が、視界の右半分を占拠している。

 ぼうっとしたまま、そのまま辺りを見回してみたが、場所は特定できない。

 

「あーもう限界。オカリン降ろすおー」

「お、おい」

「あーあーきこえなーい」

 

 急に俺を支えていた力が消えて、地面へと投げだされた。 転びはしなかったが、まだ足元がおぼつかない。

 

「いい年しておんぶされて帰るとか、マッドサイエンティストの名が泣いてるわよ」

「紅莉栖……か。ここはどこだ……?」

「……まだ寝ぼけてるのか、おのれは」

「オカリンは、お寝ぼうさんなのです」

 

 微妙な顔をして俺を見る紅莉栖と、その様子を見て柔らかく笑う、まゆり。

 

 

 まゆりが、生きている。

 

 

「はは、そうかもな……なあ、まゆり。今日は何日だ?」

「えー? えーっとーねー」

「8月16日よ。岡部、海水浴で遊び疲れたのかしらないけど、なに、とうとうボケでも始まった?」

「おまえな……」

 

 突っ込みつつ、ようやく回転を始めた思考回路で現状把握を開始する。

 るか子が女だった時、まゆりが死ぬのは15日。まだ、まゆりが生きているということは、つまり……

 

「なにやってんさ」

「うおっ!?」

 

 この世界線について考えを巡らそうとしたところを、背後から肩を叩かれ中断させられる。

 僅かな苛立ちを感じながら振り向くと。

 

「ほら、早く行くよ。岡部倫太郎」

「なっ……」

「ん?」

 

 

「何故お前がここにいるのだ!? バイト戦士よ!」

「なにそれ喧嘩売ってる?」

 

 

 

 

<<夢幻のリミナリティ // Liminality of Life>>

 

  Part A : ARRIVE ON THE EDGE.

 

 

 

 

□□□

 

 

2010/08/16

19:40

 

 

 電車に揺られながら、ラボメンから総スカンを頂戴した先ほどの失態に思いを馳せた。確かに、アレは無い。

 平謝りした後にようやく許してもらった後、今は俺一人、窓から夜景を眺めている。

 

「あいつら、好き放題やりおってからに……」

 

 ――鈴羽に関節技を貰わなかっただけマシとしよう。

 

 助手のげんこつが痛い。

 

「……さて」

 

 胡乱な目つきで睨まれることが無いよう、細心の注意を払って得た情報をまとめる。

 

 

 ――秋葉原は、元の……という言い方はおかしいかも知れないが……オタクの聖地に戻っている。

 これは、ダルの発言から簡単に推測できた。そもそも、コミマ2日目だというのに、なぜコイツは海に来ているのか。

 だがそんなことは大した問題ではない。問題ない……のか? まあ、いい。

 

 ――ルカ子は、男だ。

 ルカ子がまゆりと話しているところを盗み聞きして、推測した。 まゆりがるか子のことを君付けしていたので、間違いはないだろう。

 実際に聞いたり確かめたりは、もちろんだがしていない。あの時の過ちを繰り返したりするほど、俺は間抜けではないのだ。

ルカ子は泳がずに、というか水着にならずに、浜辺にいたらしい。苦肉の策だな。

 

 

 ここまでは、良い。Dメールによる世界線の歪みは、この2点だけを見れば、修正されている。 それ以上の問題が、ふたつ存在した。

 

 

 ――鈴羽が8/16時点でこの時間に留まっている事実。

 

 ――IBN5100がラボに存在しない。

 

 

「なんなのだ……この世界線は……」

 

 一番初めに修正したはずの事象。鈴羽を引き留めるDメールを取り消す、2通目のDメール。

 

 これが何らかの理由で消滅したのかと思ったものの、そのDメールはメールボックスに残っていた。 この世界線の俺は、何故Dメールを無視したのか。他に、理由があるのか。

 

 そして現在、ラジ館にある(はず)の人工衛星……過去へしか行けないタイムマシンは、雨によって壊れているはず。

 そうであるなら、仮に8/11へ戻って今日までタイムマシンの修理をしたところで……鈴羽の"失敗"は確定するだろう。 そして、IBN5100を得る機会は永遠に失われる。

 

 Dメールを、送らねばならない。だが、どんな内容を?

 その後の世界線は、どうなってしまうのか見当もつかない。これ以上の歪みは避けねばならない。

 

 

「……違う。建前だ、それは」

 

 車窓から視線を外して、鈴羽に目を向ける。そこでは、紅莉栖やまゆり……そして、ダルと談笑している彼女の姿が。

 

「うん? どうしたの、岡部倫太郎」

「ああ、いや……なんでもない」

 

 鈴羽は笑顔で。対する俺の顔は、多分、泣きそうな顔をしているのだろう。

 

「オカリンも、黙って景色を眺めてないで会話に加わっちゃえばいいなーと、まゆしぃは思うのです」

「断固阻止するお。悪いなオカリン、ここの席は4人用なのだぜ。あれ、今の僕ハーレムじゃね?」

「HENTAI乙」

「えっ」

「えっ」

「えっ? あっ、いやっ、違うの! これはね……」

 

 俺に、もう一度できるのか? 鈴羽の想いとラボメン達の思い出を踏みにじる選択肢が、選べるのか?

 視線を、再び外の景色へ。背後からは、楽しそうな声が響く。

 

「俺は……」

「岡部、くん」

「っ!」

 

 消え入るような声で、俺の名前を呼ばれる。振り向くと、すぐ横で萌郁が心配そうな顔でこっちを見ていた。

 

「萌郁か。驚かせるんじゃない」

 

 こいつも、今どんな状態なのか良く分からない。ラウンダー、なのか? 敵……なのだろうか?

 

「ごめんなさい……でも、岡部くん、辛そうだったから」

「そんなことはない」

「……本当に?」

「本当だ」

「……」

「ほんとう、だ」

「そう。なら、いいの」

 

 やけに食い下がるな。どうしたんだコイツは。

 

 

『岡部くん……元気で』

 

 

 フラッシュバック。銃撃を受け、薄れる意識の中で聞いた彼女の言葉が、脳裏によみがえる。

 

「元気だよ、俺は」

「え?」

「あー、その、だな」

 

 怪訝な表情を見せる萌郁。そんな顔を見て、俺は「言い訳をしなければ」と頭を回転させようと……

 そうして、愕然とした。 俺は、桐生萌郁を、憎めなくなっている……?

 

「そんな、まさか……」

「……?」

 

 俺が世界そのものを否定しても、それでも俺の傍にいてくれた、あの世界線での『桐生萌郁』。 『彼女』と、今目の前にいる心配そうな顔をした彼女が……別物の人生を送ってきたのだとしても。

 

 彼女が、まゆりを殺すラウンダーのエージェント、M4だとしても。

 単純に、萌郁が敵なのだと、そう認識するには。俺は既に――

 

「ああ……そうだ。指圧師よ。ところでIBN5100探索は順調なのか?」

 

 ――止めよう。

 敵だとか、敵じゃないとか、そういう区分で人を見るのは。少なくとも、今の時間だけは。

 

 萌郁は口を開こうとしたが、ややあって、携帯を取り出した。 間もなく、俺の携帯にメールが届く。

 

 

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 Time : 08/16 19:50

 From : 閃光の指圧師

 Sub :

 

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 IBN5100はまだ見つからないの(´・ω・`)

 ずっと秋葉原を探してるけど、知ってる人自体少ないんだよね……

 柳林神社で空振りしてから、情報は何も入手できてないし

 

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「……うん?」

 

 柳林神社だと?  それを知っているのは、おかしくないだろうか。

 確かに、俺は萌郁に『IBN5100が柳林神社にある』と言ったことがある。しかしそれは、別の世界線での話だ。この世界線で、『俺』はIBN5100を入手していない。ならばこいつは、誰からそれを聞いたのだ。

 

「指圧師。なぜ柳林神社へ行ったのだ? レトロPCがあるような場所とは思えないが……」

 

 萌郁は迷うような素振りをしてから、携帯を操作し始めた。少しして、着信。

 

 

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 Time : 08/16 19:55

 From : 閃光の指圧師

 Sub :

 

 

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 7/31に変なメールが来たの。柳林神社にIBN5100があるから回収しろって。

 で、すぐに神社に行って漆原君に確認してもらったんだけど、無かったの。

 良く分からないけど、いたずらだったのかなあ?(-o-)=3

 

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 これは、まさか……あの時コイツは!

 

「岡部君?」

「……あ、おお、そうだな。性質の悪い悪戯だろう。秋葉原のあちこちで聞き込みしてるお前を面白がって、どこかのだれかがメールしたんじゃないのか?」

「ん……そう、かもね」

「凶真ー。もうすぐアキバに着くニャ」

「ん? ああ、そのようだな」

 

 フェイリスの方を振り返って、萌郁を視野から外す。

 萌郁はまだ納得のいっていないような顔をしているが、無視した。

 

「帰ったらみんなで晩御飯を食べに行くって流れになってるんだけど、凶真は流しそうめんで良いかニャ?」

「……流しそうめん? どこでやるのだ、そのような場所などあるのか?」

 

 ラボでやるニャと、フェイリスは何でもない風にあっさりと返してきた。

 ラボでか。なんだ、塩ビ管ででも使ってそうめんを流すと言うのか。風流とは一体。 まあ、ダル辺りはフェイリスがいるだけで幸せと言い切りそうではある。

 

「そうは言うがなフェイリスよ。装置をラボに戻ってから作っては夜が更けてしまうぞ。第一、金が無いのだ、金が」

「にゃー。あ、じゃあ、凶真は何が食べたいニャ?」

「そうだな……まあ、ケバブだろう」

 

 

『終わったら、あのケバブ、もう一度……ふたりで――』

 

 

 ガタンゴトンと電車の揺れる音が聞こえる中、ラボメン達が、ぽかんと口を開いて俺を見た。

な、なんだ、この沈黙と視線は……?

 

「お、お前たち。そこはもっとこう違うリアクションがあるだろう」

「岡部、あんたいつの間に桐生さんと……」

「は?」

「心が通じ合ってるってかー! リア充め! 爆発しろ!」

「おいおいおいちょっと待て。どういうことだ一体」

「海から帰る前にねー。萌郁さんはオカリンが食べたいのはケバブだって、予想していたのです」

「なん……だと……」

 

振り返って、萌郁の顔を窺う。萌郁は、困ったようにうつむいて、上目遣いに俺を見ていた。

 

「なんとなく……そんな気がしたから。本当に当たるとは、思わなかったけど」

「な……」

 

 僅かながらの、記憶の引き継ぎ。偶然か? いや、まさか。だが、だとしたら、萌郁はどこまで覚えているのだ?

 

「萌郁、お前……」

『次は、秋葉原。秋葉原。お出口は――』

「ほら岡部、もうすぐ秋葉原に着くんだから準備しときなさい」

 

 萌郁の表情を観察する。相変わらずの無表情で、なにを考えているかは分からない。

 

「オカリン、行くよー」

「……ああ」

 

 首を振って、まゆりに続く形で電車から降りる。

 駅の構内は、いつもより人が多く騒がしい。コミマの後だから、こんなものだろう。 俺は、人ごみの合間を縫ってすいすいと出口へ向かうまゆりを追い掛けて、横に並んだ。

 

「まゆり」

「なあに? オカリン」

「いや、その……具合、悪くはないか?」

「? 海水浴でちょっと疲れたくらいだけど……それがどうかしたの?」

「……そうか。元気なら、いいんだ」

 

 変なオカリン、まゆりは笑って、先に階段を降りていく。俺はいったん立ち止まり、携帯を取り出した。

 

「……20時」

 

 今日では、ないのか……? それならば、まだ考える時間はある。

 切符を取り出して、改札を抜ける。駅から外へ出て、俺はラボメンに声を掛けた。

 

「みんな、聞いてくれ。今日はケバブを食ったら、解散とする」

「まだケバブを食うとは決まってないお」

「未来ガジェット研究所創設者権限だ! 拒否権はないっ」

「どんな権限よ、それ」

 

 紅莉栖が呆れたように言うが、知ったことではない。この後、俺にはやることがあるのだ。

 

「それに、みんなも海水浴で疲れているだろう。明日は最終日なのだから、早めに休んで英気を養いたいやつもいるだろうからな……なあ助手よ」

「わ、私はコミマになんて行かないわよ!!」

「んー? 俺はコミマと一言も言っていないわけだがー?」

「なっ!」

「と、助手弄りはこれくらいにしてだな。まあ、ダルやまゆり辺りは実際そうなのだろう?」

「もちろんだお。今日はフェイリスたんの水着姿が拝めるから、コミマに行かなかったのだぜ」

「ラボメンが皆あつまれる日は滅多にないからねー」

 

 なるほど。ダルがコミマに行かなかった理由はそれか。

 ……それはそうと紅莉栖の顔が怖い。俺の意図を悟らせぬように少々ふざけてみたのだが、失敗だったか?  紅莉栖の顔を見ないように努力しながら、俺は再び宣言する。

 

「ふむ。というわけだ。では、ケバブを食いに行くぞ」

「……ああもう、分かったわよ」

「ルカくんルカくん、やっぱり明日さ、一緒にコミマ行こうよー。コスプレ楽しいよー?」

「まゆりちゃん……」

「コスプレかあ。椎名まゆり、コスプレってそんなに楽しいの?」

「もちろんだよー。あのね……」

 

 

□□□

 

 

2010/08/16

20:50

 

 

 解散後、俺はラボに足を運んでいた。

 まゆりは、紅莉栖のホテルに泊まることにしたようだ。

 池袋の家へと送る時間が省けたのは、こう言っては何だが、都合が良い。

 

 ……万が一、まゆりに何かあれば……紅莉栖から連絡が来るだろう。

 

 冷蔵庫からドクペを引っ張り出し、あおる。

 誰もいないラボのソファに体を投げ出し、妙に広く感じる室内を眺めた。

 

「ほんの数時間前には、ここで銃撃戦が繰り広げられていたと言うのに……静かなものだな」

 

 苦笑して、携帯を取り出す。メールを送るため、文面を打ち込んでいく。

 

 

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 To : バイト戦士

 Sub : 緊急

 

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 解散して早々のところすまないが、重要な案件ができた。

 メールで伝えるには不向きな事なので、一人でラボに来て貰えるだろうか。

 

 至急、連絡求む。

 

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 メールを、送信。携帯をポケットにしまいこんで、背伸びをした。

 

「さて……」

 

 頭の後ろで手を組んで、古びた天井を見上げる。

 

 

『7/31に変なメールが来たの。柳林神社にIBN5100があるから回収しろって』

 

 

 証拠はないが、確信できる。あれは、Dメールだ。

 萌郁がDメールで過去の自分へと送った内容は機種変更のコトなどではなく、IBN5100が本命だったのだろう。

 しかし、柳林神社にIBN5100は無かった。何故か。

 

「……タイムマシンで過去へ行った鈴羽が、『失敗』したからだ」

 

 他に、理由は無い。

 るか子は男だからIBN5100に触れる機会は無かったし、ましてや壊す機会もなかった。 フェイリスの父親も死に、IBN5100が売却されていることもないはずである。

 

「鈴羽が『失敗』したから、IBN5100は柳林神社に奉納されず、萌郁が受け取ったDメールは空振りに終わった」

 

 そう。これが、この世界線の因果だろう。

 

 俺があの手紙を読んだ世界線では、タイムマシンの修理が完全でなく、時間跳躍後に記憶を失ってしまったことが原因だった。

 この世界線では、どうなのか。

 

「では、何故この世界線では俺のDメールも空振りになっているのだ? それが無ければ……」

 

 ……いや、その時は、IBN5100はSERNの手に渡っているのだろうな。

 

 あれこれと考えているうちに、鈴羽から返信が来た。

 

 

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 Time : 8/16 21:01

 To : バイト戦士

 Sub : Re:緊急

 

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 よく分からないけど、いいよ。

 10分くらいしたらラボに着くと思う。

 

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「……よし」

 

 了解とメールを返し、またドクペを一口。

 俺はまた、この世界線に関する思考を開始した。

 

 

□□□

 

 

2010/08/16

21:14

 

 

「うぃーっす」

 

 ラボの入口が開かれる音とともに、鈴羽が顔を出した。

 

「着たけどさ、どうしたの? 緊急な要件って」

「……うむ。まあ、座るのだ。ドクペでも飲むか?」

「ああ、うん。じゃあ貰おうかな」

 

 俺は冷蔵庫からドクペをもう一本取り出し、鈴羽に差し出す。

 

「ほら」

「さんきゅ」

 

 鈴羽がドクペに口をつけてから、俺も自分のドクペを飲む。

 どう切り出そうかと、口の中をもごもごさせる。鈴羽は、『はやく用件を言え』とばかりに、俺を見ていた。

 

「いや、ここだと、ちょっと、な。屋上で話す」

「え? まあ、いいけど」

 

 盗聴の可能性が、ある。

 一旦ラボから出て、屋上へ。屋上に照明は無いが、遠くのビル群から延びる光で少しは明るい。 俺がベンチに座ると、鈴羽は俺の隣に。視線を鈴羽へやり、口を開いた。

 

「その、だな。本題の前に、確認したいことがある。非常に重要な、前提条件なのだ」

「うん」

「……お前がオフ会に参加した日の夜。今月の9日だったか」

「え? あー、そうだったかな」

「その夜にだな……秋葉原に、雨は、降ったか?」

 

 鈴羽は、変なものを見るような顔で俺を見た。

 雨さえ降っていなければ、良いのだ。それで、俺が予想できる最悪の結果は回避されるはず。

 

「雨ぇ? なんでそんなこと聞くわけ。今日の岡部倫太郎さ、なんか変だよ」

「頼む。重要なことなんだ」

「……そうだね。降った。結構な大雨だったと思う」

 

 雨が、降った。では、ラジ館のタイムマシンはもう――

 

「そう、か。それと……」

「……なに?」

「その日。お前はオフ会で父親を見つけられなかったら、ここから居なくなるつもりだった。そうだな?」

「それも、大事なこと?」

 

 無言で、頷く。鈴羽は困ったような顔をして、口を開いた。

 

「そうだね。ラボからは離れるつもりだった。その時は、そう思ってたかな」

「だが、お前はここにいる……俺が一番聞きたいことは、ここだ。怒らずに、聞いて欲しい」

 

 言葉を区切って、躊躇しつつも、俺は。

 

「何故、お前はここにいるのだ? 阿万音鈴羽よ」

 

 露骨に、鈴羽が顔をしかめる。しょうがないことだと、思う。怒っても仕方がないと、そう思う。

 

 だが。

 だが、聞かなくてはならない事なのだ。

 

「……」

 

 しばらく無言の時間があって……根負けしたかのように、鈴羽がため息を吐いた。

 

「……橋田至だよ」

「なに?」

「オフ会の話」

 

 鈴羽が、ドクペを一口。

 

「私の父親にはさ、会えなかった。でもさ、その後、落ち込んで帰ろうとしたところを橋田至に見つかっちゃって……」

「見つかって、それで?」

「最初は、私がそこにいたことを驚いてたみたいだったけどさ。私が泣いてるって気付いたら急にアタフタしだしてね」

 

 その情景が目に浮かぶようだ。鈴羽は顔を綻ばせて、その時の記憶を思い出しているらしい。 理由はともあれ、この世界線の橋田至は、俺に捕まることなく、オフ会に参加したのだろう。

 それが、この結果につながっているのか。

 

「で、言動はいつもの橋田至だったんだけどね……」

「……」

「アイツはアイツなりに、ぶきっちょだけど、それでも頑張って、私のこと励ましてくれてるんだなぁって、分かってさ」

「あの、ダルがか……」

 

 ある意味それは、当然の事だったのだろう。今の両者に、それがどういうことだかは、分からないにしても。

 

「『僕たちはラボメンだろじょうこう、悩み事は仲間と一緒に解決していくんだぜ』とか、恥ずかしそうに言ってたかなあ」

「それで、気が変わったのか?」

「……まあね。こんなに自分のことを心配してくれるって、思ってなくてさ。黙ってラボを離れるのは、ちょっと違う気がしたんだ」

 

 あはは、と照れるように笑う。その鈴羽の顔は本当にうれしそうで。

 

 

『――失敗した失敗した失敗した失敗した――』

 

 

 思わず、顔を伏せる。

 

「……っ」

「はい、私の話はおしまい。でさ、なんでこんなことを聞いたわけ?」

「……ああ。そう、だな」

 

 この記憶も、無かったものにしなければならないのか、俺は。

 

「岡部倫太郎?」

「今から俺の言うことは、『今』まで俺が経験してきたことだ。事実だ。それを信じて、聞いて欲しい――」

 

 俺は、ゆっくりと顔を上げた。

 

「阿万音鈴羽……いや、ジョン・タイターよ」

「なっ!?」

 

 鈴羽が驚いて、跳ねるようにして立ち上がる。

 目の前のものが信じられないような目つきで、同時に俺に対する警戒心を丸出しにして、鈴羽は俺から距離を取る。俺は、それに構わず、告げた。

 

 

 

 

「お前の、1975年へのタイムトラベルは。IBN5100を入手するための時間跳躍は。どうあがいても失敗する」

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