夢幻のリミナリティ   作:ねぴ

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B

2010/08/16

22:15

 

 

 新御徒町駅から外に出る。

 

 この時間帯は人もまばらで、そこで待ち合わせしていた人物とはすぐに合流できた。 鈴羽は、俺の後ろで少し隠れるように立っている。

 

「おう、来たな」

「……夜分遅く、すみません」

「こんばんは、店長」

 

 天王寺裕吾。

 道路沿いの鉄柵に腰かけていた彼は、俺たち二人を見ると腰を上げて近くまで歩み寄ってくる。

 

「いいさ、内容も内容だしな……寝てる綯を、長い間一人きりにさせていたくない。さっさと行くぞ」

「はい」

「……バイトからさっき電話が掛かってきた時は何事かと思ったがな」

 

 神妙な顔をして、ミスターブラウンは俺たちの顔を覗きこむ。

 顔色の変化には、気付かれなかったと思う。深夜なのが幸いした。 それと同じく、俺たちもミスターブラウンの顔色を、判別することはできない。

 

 

「……まさか、お前らが鈴さんと知り合いだったとはな」

 

 

 

 

<<夢幻のリミナリティ // Liminality of Life>>

 

  Part B : (DID NOT) VANISH ON AIR.

 

 

 

 

□□□

 

 

2010/08/16

21:20

 

 

「……」

「……そう、怖い顔をするな。俺はお前の敵じゃない」

 

 俺が鈴羽の正体を指摘してから、彼女は俺から距離を取ったまま、動こうとしない。

 とりあえず両手を挙げて、敵意が無いことをアピールしてみる。

 

「まあ、座るのだ、バイト戦士よ。これまでの事を話すと、長くなるのでな」

「……どうして」

「それは、俺がお前の正体を知っていたことに対してだな?」

「……」

 

 鈴羽の警戒は解かれない。あんな世界でレジスタンス活動をしていたのだから、これくらい警戒心があってもおかしくはないのか。

 

「お前が立ちっぱなしでいいなら、そのまま話を続けるぞ」

「……」

「……はあ」

 

 両手を降ろして、鈴羽に向き直る。距離は、2メートルほど。

 

「この世界線で電話レンジがどのような扱いになっているかは知らんが……俺は、それを使って何度もタイムリープをしている。加えて、Dメールを使って何度も世界線を書き変えてきた。俺が世界線を越えても記憶を持ちこせていることは、以前に『ジョン・タイター』へメールを送ったはずだな」

「まさか……タイムマシンはもう完成しているの?」

「その様子では、タイムリープの実験をしていないようだな。まあ、僥倖といったところか」

 

 世界に対する公表も、やろうとしていないのは確実だろう。でなければ、俺たちは今頃獄中だ。

 ドクペに手を伸ばそうとして、止める。どうもそういう雰囲気ではない。主に、鈴羽が。

 

「その内の世界線のひとつで、俺はお前から聞いた」

 

 未来のこと。ディストピア。レジスタンス。タイムマシン。SERN。アトラクタフィールド理論。 あれこれと単語を並べたてる。そして。

 

「そして、お前が2036年からタイムマシンを使って過去へ飛び、IBN5100を入手しようとしていることも」

「……そっか」

「座ると良い。ここからの話は、本当に長いぞ」

 

 鈴羽の警戒が、やや薄れただろうか。苦笑して、体を弛緩させたようだ。

 

「……そうだね。よく考えたら、岡部倫太郎が私をどうこう出来るわけないし」

「酷い言われ様だ」

 

 笑って、俺はベンチをポンと叩いて鈴羽を招く。そのまま素直に、鈴羽は腰を降ろした。

 

「さて、何から話そうか。そうだな……」

 

 

 俺は、全てを話した。

 

 

 紅莉栖がラジ館で刺されたことから始まり、図らずもDメールを送信して世界線を移動したこと。

 萌郁、ルカ子、フェイリス、そして俺がDメールを送信したこと。

 

 ――まゆりが、死んだこと。

 

 萌郁が、ラウンダーだったこと。

 

 ――橋田至が、鈴羽の父親であること。

 

 タイムマシンの修理が失敗し、過去へ遡った鈴羽は記憶を失い、IBN5100を入手できなかったこと。

 それを回避する、Dメールのこと。

 フェイリスの父親が、彼女の狂言によってIBN5100を売却してしまったこと。

 それを回避する、Dメールのこと。

 ルカ子が女になり、IBN5100を壊してしまったこと。

 それを回避する、Dメールのこと。

 

 ……そして、誰も彼もが敵となった世界線で、一人萌郁だけが味方となり。 けれど俺が、その世界線を否定したこと。

 

 そして。

 

「――死にかけの俺の傍で、萌郁がDメールを送り。そうして辿り着いた世界線が、ここだ」

「……」

 

 俺は人差し指で床を指し示し、鈴羽の反応を待つ。 鈴羽は、難しい顔をして黙りこんでいる。無理もないか。

 ずいぶんと長い間、話し続けていたらしい。喉が渇き、俺はドクペを一気に飲み干した。

 

「この世界線の細かい事象に対する因果関係なぞ、俺は把握しきれてはいないし、する気もない。だが、これまでの経験から、これだけは確信している」

 

 一息ついて、俺は話を続ける。

 

「この世界線での阿万音鈴羽は、修理の完全でないタイムマシンで1975年へ飛ぶことにより記憶を失う。その結果、お前は任務を失敗するのだ」

「……どうして」

「うん? なんだ」

 

 久しぶりに、鈴羽が口を開いた。

 

「どうして、この世界線の私が失敗するなんて、確定したかのように言うのさ」

「……」

 

 縋るような、彼女の問い。動揺しているのか、視線は揺れている。 黙って、俺は続きを促す。

 

「確かにさ、岡部倫太郎の経験した世界線では、私は失敗したんだろうけど。でもさ、それは8月13日って言う『過去』の話でしょ?」

「……それで?」

「だからっ! 『私』はまだタイムトラベルをしていないし、『未来』ではどうなるか、分からないじゃん!」

 

 確かに、そうだ。ここにいる鈴羽は、1975年へのタイムトラベルを、当たり前だがしていない。

 正論のように、思える。しかし俺には、事象の収束を幾度も経験したことで、確信があった。

 

「確かに、未来のことは分からない。俺はこの世界線でまだタイムリープをしていないし、どのタイミングで鈴羽がタイムトラベルするかも、もちろん知らない」

「なら――」

「だが! その『未来』というのは、お前の『主観』での話だ!」

 

 思わず、声を荒げてしまった。咳払いをひとつ、精神を落ち着かせ、俺は鈴羽の問いに答える。

 

「……どういうこと?」

「お前がこれ以降、どのタイミングでタイムトラベルしようが、関係ないのだ。それが明日でも、明後日でも……10年後20年後だとしても、お前が目指しているのは『過去』だ。そして、この世界線で言うなら、過去は確定している。観測できる。違うか?」

「じゃあ、どうやってそれを観測……あ」

「気付いたようだな……そうだ。それを観測できる場所は、確かに存在する」

 

 一息。

 

「ミスターブラウン。天王寺裕吾の……ラウンダー『FB』の、家だ」

 

 

□□□

 

 

2010/08/16

22:21

 

 

 ミスターブラウンの家に着いて、俺たちは居間に通された。

 以前ここを訪れた時と、何も変わっていない。仏壇には、橋田鈴の位牌がある。写真は、無い。

 ちょっと待ってろと、家主は奥へと引っ込んでいった。今、ここには俺と鈴羽しかいない。

 

「あれが、そうなの?」

「そうだ」

 

 隣に座っている鈴羽が、小さな声で問いかける。視線の先には、仏壇。 自分の位牌を目の当たりにする、と言うのは、一体どのような気分なのだろう。

 

「……そっか」

 

 答えを受けて、鈴羽はじっと自分の、『未来』の自分の位牌を見つめていた。

 

「……もちろん、『そう』でないなら良いのだ」

「うん、分かってる。これはそのための、確認」

 

 鈴羽に全てを話した後、ミスターブラウン……『FB』天王寺裕吾に連絡を取った。

 連絡先は、鈴羽が知っていた。ブラウン管工房でバイトをしていたのだから、連絡先を交換していて当然だろう。

 駅で待ち合わせすることとなり、俺たちはラボを出た。途中、ラジ館に忍び込んでタイムマシンの状況を確認したが、やはりと言うべきか、タイムマシンは故障していた。

 

「覚悟はいいな?」

「……」

 

 問いに、鈴羽は答えない。

 

 ――天王寺裕吾がFBだと確信したのは、前の世界線でラウンダーから襲撃を受けた時。 ブラボーチームの指揮を執っていた彼は、服装こそ違うものの、間違いなく天王寺裕吾。

 彼がFBだと気付いた時は心底驚いた。だが、その知識を生かす時は来るのだろうか。 少なくとも、今、その答えをミスターブラウンに突き付けたところで、良いことは何もない。

 

「おう、待たせたな」

 

 少しして、ミスターブラウンが居間にやってきた。手には、古びた封筒。

 

「……それが?」

「ああ。本当は、もう少し後で渡すように鈴さんから言われてたんだがな」

 

 構わねえよと、彼は俺に封筒を差し出す。

 電話越しに、その存在はあらかじめ確認してある。それを俺たちが知っていることに、ミスターブラウンは不思議がっていたけれど、そんなことは気にしていられなかった。

 

「では、失礼して」

 

 封筒を受け取り、恐る恐る封を破る。横では、鈴羽が緊張した面持ちで俺を見ていた。

 

「……」

 

 深呼吸。意を決し、手を動かす。中から何枚かの便箋が顔を出して。俺は、それを抜き取る。 折り畳まれた便箋を、開く。鈴羽の息を飲む音が、静かな室内に伝わった。

 

 

『岡部りん太郎さま』

『おひさしぶりです。あまねすずはです。はしだタイターの娘です』

 

 

 読み進めるまでもなく、視界の隅に、あの印象に残る文面が見えた。

 

 

『失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した

失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した

失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した』

 

 

 ――内容は、あの日に見たものとほとんど同じだった。

 

 

「これって……」

 

 俺は、黙って読み進める。

 正直、見るに堪えない、負の感情が籠っている文面だ。一度見たことがあるとは言っても、これは、キツイ。 だがここにいる鈴羽のためにも、続きを見せていかねばならない。

 

「嘘だ、こんな、こんなことって……」

 

 口を押さえて、震える声で、鈴羽は呟く。それを見て、テーブルを挟んだ向かいで、ミスターブラウンが怪訝な顔をしている。

 それに気付く余裕は、鈴羽に無いようだった。

 

 

『あたしは、なんのためにこの歳まで生きてきたんだろう』

 

 

 鈴羽は、もう文面を追っていなかった。目を瞑って、震えている。

 それでも。俺は、この事象を観測し終えるため、最後まで文面を追っていった。

 

 

『こんな人生は、無意味だった――』

 

 

 

 

「……鈴さんとは、古い知り合い、だったか。岡部は」

 

 俺が便箋を畳んでから、ミスターブラウンはゆっくりと口を開いた。

 

「はい」

「で、バイトは、鈴さんと遠い親戚だとか」

「……はい」

「確かに、面影はどことなく似ているな……」

 

 ミスターブラウンは俯いて震えている鈴羽を見つめる。 そこから顔は窺えないだろうが、彼には彼なりに、気付けるものがあったのだろう。

 

「……一応、補足しておく」

「す……橋田さんの、死因ですか」

 

 彼は、ゆっくりと頷く。

 

「その顔を見れば、おおよその見当はついてるだろう……自殺だった。首を、吊ってな。俺が、最初に発見した」

「……」

「なんで……どうしてっ……」

「そんなことになる1年ぐらい前から、ずいぶん不安定になってな。それまでは、明るくて優しい人だったんだが――」

 

 その後の話は、以前聞いたものと同じ。ただ、手紙を渡すタイミングは違っていた。

 8月27日。

 それは、つまり。その日に鈴羽はタイムトラベルをしたということなのだろう。

 ……そして、失敗した。

 

 ミスターブラウンの話が終わり、俺は頭を下げる。

 

「どうも、ありがとうございました」

「いや……いいさ」

「鈴羽? 大丈夫か」

 

 鈴羽の肩を、なるべく優しくさする。まだ、かすかに震えていた。

 

「……ありがとう、ございます。店長」

「礼はいらねえよ。それよりも、すまなかったな。辛い思いをさせちまったようだが……」

「いえ、ある程度、予想はしていましたから。今日は、これで失礼します」

 

 鈴羽の代わりに、俺が応える。

 欲しい情報は、得た。ここにいる理由は無くなり、俺は鈴羽を支えて立ちあがろうとした。

 

「待て」

「……っ」

 

 唐突に、ミスターブラウンの声が掛かった。びくりとして、反射的に俺は彼の顔を見る。

 だが、しかし。彼は懐疑的な眼差しではなく……寂しそうな、悲しそうな、そんな顔をしていた。

 

「……俺は……お前たちが、鈴さんとどういう関係だったのか、その手紙が何なのか、詳しくは聞かねえ。だがな」

 

 そういって、彼はテーブルに置いてあったメモ帳にペンを走らせる。 30秒ほどだろうか。書き終えたその紙片を、俺に差し出した。

 

「これは?」

「地図だ。そこに、鈴さんの墓がある。『橋田家之墓』ってのが、それだ」

 

 おずおずと、それを受け取る。簡単な地図ではあるが、場所はすぐに理解できた。

 

「知人も少なかったからよ、墓参りに来るやつは俺くらいしかいねえんだ。綯も、もう鈴さんのことを覚えちゃいないだろう。たまに行くたび、その荒れっぷりに心が痛む」

 

 彼は、本当に悲しそうな声で、そう語る。いつもの威圧感のある様子からは、考えられない。

 橋田鈴は……阿万音鈴羽は。天王寺裕吾を、記憶がなかったとはいえ、本当に良くしてくれていたのだろう。

 

 少しだけ、ミスターブラウンの印象が、変わった。

 

「……たまに、でいい。たまにでいいから、鈴さんの墓へ参っちゃあくれねえか。鈴さんも、喜ぶと思う」

「……はい。必ず」

「そうか。感謝するぜ……駅まで送るか?」

「いえ、大丈夫です。本当に、ありがとうございました」

「ああ。また、明日な。鈴さんのことを知っている奴が俺以外にいると分かって、嬉しかった」

「……また、明日」

 

 

 ――多分、その明日はこないだろう。

 

 

 そんなことを考えながら、俺たちはミスターブラウンの家を出る。

 ラボに戻るまで、俺たちは一言も会話を交わさなかった。

 

 

□□□

 

 

2010/08/16

23:35

 

 

「落ち着いたか?」

「うん……ありがとう」

 

 ラボに着いた俺は、屋上に来ていた。

 手には、途中でラボの冷蔵庫から回収してきたドクペが。先に屋上に来ていた鈴羽に一本渡すと、俺は隣に座る。

 白衣の左ポケットに入ったままの古い封筒が、僅かに固い感触を太ももに返してくる。

 

 鈴羽の目は、まだ赤い。

 

「信じたくはなかったんだけどね……そっか……私は、失敗しちゃうのか」

「鈴羽……」

「分かってる。こんな未来……いや、過去は、変えなくちゃいけない」

 

 ややこしいね、と鈴羽はかすかに笑う。無理をしているのが、明らかだった。

 

「今より未来に生まれて、今より過去で死ぬって、なんだかおかしな話だよね」

「……」

 

 俺が返答に窮しているのを見て、鈴羽は「なんでもない」と、首を横に振る。

 僅かな、沈黙。それを破るため、俺の方から言葉を紡ぐ。

 

「ブラウン管テレビの電源を、点けてきた。いつでも、Dメールは送信できる」

「うん」

「……明日まで待っても、いいのだぞ?」

「それは、だめだよ。今じゃないと、ダメ。そんな気がするの」

「そう、か」

 

 鈴羽は、ドクペの封を開けて一口飲んだ。そして、そのラベルをしげしげと眺めている。 おそらくは、ドクペを飲む最後の機会だから。

 

 それすらも、彼女は覚えていることはできないだろうけど。

 

「考えたんだ。私を、あの日。雨が降り出す前に過去へ跳ばせるにはどうすればいいか」

「思いついたんだな?」

「うん……私が、私へDメールを送る。やっぱり私の不始末は、私が片を付けないとね」

 

 そう言って、鈴羽は手にしていた携帯の画面を俺に見せる。

 真夜中の暗い場所で、携帯の白い画面がまぶしい。その中央に、18文字の言葉が綴られていた。

 

 

『夜十時の豪雨』

『でマシン故障』

『オフ会後跳べ』

 

 

「多分、ううん、絶対、私はこれを見たら過去へ跳ぶ。私だから、分かる」

「最後の、オフ会の後に、というのは?」

「……これは、私のワガママ」

 

 照れるように、笑う。今度の笑みは、無理をしていないようだ。

 

「この2010年の最後に……例え、あの時の『私』が、そうだと分からないのだとしても……言葉を交わすのは、橋田至が、父さんがいいなって……そう思うから」

「そうか……鈴羽がそうしたいのなら、俺は止めないし、止める権利もない。それで、いこう」

「ありがと」

 

 言って、鈴羽は携帯をジャージのポケットに仕舞い込む。

 そうして、深呼吸。彼女は居住まいを正して、俺の方を向いた。

 

「確認、するね」

「ああ」

「Dメールを送れば、今の時間、ここにいる私は消失して、8月9日に過去へ向かったことになる。そしてIBN5100を手に入れた私は、それをフェイリスさんの父親に託して……結果、それは柳林神社に奉納される」

 

 鈴羽が俺の目を見る。黙って頷き、続きを促す。

 

「奉納されたIBN5100は、漆原るかのミスで壊されることは無い。だけど、桐生萌郁によって盗まれる。そうだね?」

「ああ。間違いない」

「……分かってるとは思うけど。忠告しておく」

 

 鈴羽の声のトーンが変わった。

 

「その世界線において、IBN5100はラウンダー……桐生萌郁によって盗まれてしまう。だとすれば、彼女は、岡部倫太郎の明確な敵になる……桐生萌郁は君を、味方とは思わない。その覚悟は、ある?」

「……ああ。今度こそドヴェルグを、演じきってみせるさ」

「どべ……なに?」

「いや、こちらの話だ」」

 

 前の世界線では味方になってくれたとしても、次の世界線では、敵。

 それは、分かっている。嫌と言うほど、前の世界線で体験した。

 

「そう……もうひとつは、椎名まゆりのこと。世界線がどうなるのか分からないけど、『最初』に彼女が死んだ日から、それなりの時間が経ってる。うまく行けば、椎名まゆりは死んでいないかもしれない。今この時みたいにね。でも……」

 

 一呼吸。

 

「……最悪、もう死んでいる世界線へ移動する可能性もある。この覚悟は、ある?」

「それは……」

 

 確かに、あり得そうな話だ。

 

「まあ、こっちの問題は、タイムリープをすれば良いだけの話。でも、その可能性については、頭の中のメモに書き込んでおいて」

「ああ。忘れない……絶対に」

 

 力強く、頷く。しばらく、俺と鈴羽は互いを見つめあう。

 ややあって、鈴羽が先に立ちあがった。鈴羽は、座っている俺の目の前に立ち……まっすぐに、右手を差し出した。

 

「それじゃあ、行こう。ラボへ――世界線を、変えるために」

「ああ」

 

 俺は、鈴羽の手を握り返し、そして、立ちあがる。

 世界線を変えるために。まゆりを救うために。

 

 

 ――阿万音鈴羽を、消すために。

 

 

□□□

 

 

2010/08/16

23:50

 

 

 ラボの中で、キーボードのタイプ音だけが響いては、消えていく。俺も鈴羽も、一言も喋らず、作業を進めている。

 Dメールを送るタイミングは、9日に、鈴羽が参加したオフ会の開始時刻。何度も計算して、その数値を入力した。間違いは、ない。

 

「鈴羽。あとは……」

「うん、分かってる」

 

 鈴羽が、電話レンジ(仮)へ送るメールを作成する。文面はあのままで。

 

「……」

「鈴羽」

「……あはは。手が震えちゃって、うまくいかないや」

「俺が、入力するか?」

 

 泣きそうな顔をしている鈴羽は、しかし、首を横に振った。

 震える両手で、ゆっくりと、懸命に携帯を操作している。

 

「君は、こんな思いを何度も繰り返して……ここまでやってきたんだね。尊敬しちゃうな」

「尊敬か……そんな褒められていることを、しているのだろうか、俺たちは」

 

 鈴羽は携帯を操作しながら、答える。

 

「どうだろうね。過去の改変なんて行為は、独善でしかないよ。誰にも理解されないし、観測もされない。過去を改変したとしても、改変前の人たちには認識できない。私だって『そう』なる。そこだけを見れば、私たちはSERNと何も変わらないかもしれない。都合の良い世界へ作りかえると言う意味ではね」

 

 そうなのかもしれない。目的は違えど、俺は、多くの人たちの想いを犠牲にしてきた。SERNも、そうだろう。 だが、しかし。

 

「それでも、その中で君は記憶を引き継ぎ、いくつもの世界線を渡り歩いてきた。独善だとしても、椎名まゆりを救うって目的を胸に、傷つきながらも、ここに立っている。そんな君を、同じタイムトラベラーとして、私は尊敬するよ」

「……ありがとう。その言葉で、救われた気がする」

「どういたしまして……うん、出来たよ」

「そうか。確認するから、携帯を見せてくれ」

 

 鈴羽から携帯を受け取って、宛先と文面を読む。間違いは、ない。

 頷いて、携帯を鈴羽へ差し出す。その右手を、鈴羽に掴まれた。

 

「鈴羽? ……っと」

 

 そのまま、鈴羽が抱きついてくる。俺の左肩に鈴羽の顔がうずめられて、彼女の匂いが鼻をくすぐった。

 

「ごめん。ほんの少しだけ、このままでいさせて……」

「……ああ」

 

 震える鈴羽の体を、両腕で包み込んだ。泣いているようだったが、敢えて、口には出さない。

 何か呟いているようだったが、俺は、何も聞こえないふりをした。

 

 俺の手に握られている携帯からDメールを送れば、鈴羽は消えて無くなる。俺の主観では、そうなる。鈴羽の主観では、どうなるのだろう。考え始めると深みに嵌ってしまうような、そんな命題。

 

 こいつは、まだ、18なのだ。 それなのに、独りぼっちで此処へ来て、独りぼっちで何処かへと消えていく。 怖くないはずが、無かった。

 

 鈴羽が俺から離れるまでの短い間、俺は彼女のことをずっと考えていた。

 

「……もう、大丈夫。レンジ、起動よろしく」

「ああ」

 

 ……俺はもう、引き留めなかった。

 携帯を鈴羽へ返し、それでも、手は繋いだままで。電話レンジを、起動する。

 放電現象が始まった。

 

「鈴羽!」

 

 鈴羽の顔を見る。鈴羽は頷いて、携帯の送信ボタンに手を掛けた。そして、

 

「岡部倫太郎。ありがとう……さよなら」

 

 メールが、送信される。

 

 最後に、鈴羽は。笑顔だったと、そう、思う。

 

 

2010/08/16

23:59

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

2010/08/17

0:00

 

 

 もう慣れてしまった、世界線移動による不快感。こめかみを押さえて、それに耐える。

そして、気付けば。隣に、鈴羽は居なかった。 ラボを見渡しても、誰もいない。IBN5100も、ない。

 

「成功、したのか……?」

 

 分からない。俺は白衣の右ポケットから携帯を取り出して、メールボックスを開いた。

 

 メールボックスには、紅莉栖からの――

 

「あ……」

 

 ――唇を噛みしめて、携帯を仕舞う。鈴羽にも、忠告されたことだ。

 

 1階のブラウン管テレビを点灯させて、俺は乱暴にヘッドギアを装着した。

 

 

□□□

 

 

2010/08/15

23:02

 

 

 1日だけ、タイムリープ。

 気付けば俺は、X68000の前で携帯を手に立ちつくしていた。

 IBN5100の所在を真っ先に調べたが、やはり、ない。萌郁によって、盗まれているのだろう。

 

 改めて、ラボを見渡す。そこにはひとり、ダルが床に座っている。床にコミマの戦利品を並べて、確認している真っ最中らしい。深呼吸をして、俺はダルに話しかけた。

 

「なあ、ダルよ」

「うん? オカリンどうしたん」

 

 様子を窺う。ダルは特に、かわりない。ダルは微妙な顔をして、作業を止めた。

 

「その……鈴羽は……」

「阿万音氏?」

「鈴羽は、どうしたんだったかな」

「なんでそんなこと聞くん?」

「いいから、答えてくれ」

 

 顎に手を当てて、ダルは天井を見上げる。 この世界線は、『どう』なんだ?

 

「んー……僕がオフ会で阿万音氏と会ったのが、最後だと思われ。それからは、誰も見かけてないんじゃないかと」

「それは、8月9日だな?」

「うん」

 

 Dメールは、無事に仕事をしたらしい。ひとまずは、安心と言ったところか。

 

「その時、鈴羽はどんな顔をしていた?」

「……泣いてたっけ。結局、父親は見つからなかったんだよなあ」

「父親か……ああ、そうだったな」

「いや、でも」

「ん?」

 

「別れる時には、笑ってたお。『ありがと、さよなら』って、言ってた」

 

「……笑っていた? 本当に?」

「そうだお」

「そうか……笑っていたか。あいつは」

 

 良かった。最後に笑って、過去へ跳べたんだな……鈴羽。

 俺は息を吐いて、ソファーに身を預ける。両手足を投げ出して、弛緩させた。

 

「……ん?」

 

 その時、白衣の左ポケットから、固い感触が返ってきた。なんとなく、ポケットの中を漁る。

 そこから出てきたものに、俺は息を飲んだ。

 

「これは……」

 

 

見覚えのある、古びた封筒。

 

 

 宛先は、俺。差出人は、橋田鈴。封は、既に破られている。

 俺は恐る恐る、その中に仕舞われた便箋を取り出し、文面を追った。

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

「ふ……フフフ……フゥーハハハハハハハハハハハ!!」

「うぉ!? な、なんぞ?」

 

 ダルが立ちあがって高笑いしだした俺のことを変な目で見るが、構うものか。そんなことで、俺の笑いは止まらない。

 封筒と便箋をソファーに投げ出し、俺は、ひたすらに笑い続けた。

 

 

 

 

『――岡部倫太郎様』

 

『お久しぶりです、阿万音鈴羽です。急に居なくなって、ごめんなさい。でも今の君なら、その理由を分かって貰えると、そう思って、この手紙を書いています』

 

『けれど、もしかしたら、今の君には、まだ分からないかもしれない。その時は、また後で、この手紙を読んでください。分かる日がきっと来ると、そう信じています』

 

『1975年に着いてから、時間はたくさんありました。だから、あの時に送られたDメールの意味を、ずっと考えていました』

 

『あの時、私が私へと送ったDメールは、世界線を越えて事象を観測してきた君が居たからこそ、届いたのでしょう。それが無ければ、私はそこに留まりつづけて、失敗していたのでしょうね』

 

『IBN5100は、無事、入手することが出来ました』

 

『ありがとう』

 

『IBN5100は、あの場所へ保管されるように指示しました。それがどこなのかは、君が一番知っているはずです』

 

『私は、任務を無事に終えることが出来ました』

 

『本当に、ありがとう』

 

『後は、君が引き継いでください。そして、アトラクタフィールドの壁を越えてください』

 

『今は、2000年の4月11日です。多分、私はもうすぐ死んでしまうでしょう。未来は、確定している。そうなる前に、私は天王寺裕吾へこの手紙を託します』

 

『岡部倫太郎。君は、君のすべきことをやりなさい』

 

『君の口癖だったあの合言葉は、もう殆ど忘れてしまったけれど。それを思い出しながら、私は残りの人生を歩んで行こうと思います』

 

『一歩一歩、踏みしめて。きっと、私の人生は無意味じゃなかったと、そう思いながら』

 

『ありがとう。さようなら』

 

『阿万音鈴羽』

 

 

 

 

『追伸:私の墓参りには、必ず来ること。でないと、化けて出ちゃうから』

 

 

 

 

「ああ、いくらでも行ってやろうではないか! ミスターブラウンがそうしているように! 俺も! なぜならお前は、ラボメンだからな! 寂しがらせはしないぞ! フゥーハハハハハ!!」

「……だめだこいつ、早く何とかしないと」

 

 ……鈴羽は、虚空へと消えてなくなった。

 だが、それでも。消えなかったものは、確かに存在する。

 

 鈴羽の想いは、こうして、過去から現在へと受け継がれているではないか。

 『俺』の中で、『阿万音鈴羽』は生き続ける。忘れさえしなければ、『鈴羽』は消えて無くなったことにはならない。そうだろう?

 

 無意味なんかじゃあ、ないのだ。

 全ての行動に、意味はある。

 

「……そうだろう、鈴羽よ」

 

 俺は俺の任務を、成し遂げて見せるさ。

 

 

 ――エル・プサイ・コングルゥ。

 

 

 俺はその『合言葉』を口の中で転がして、また、笑った。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 高笑いを続ける岡部倫太郎の横で。天上の明りを反射し、鈍く光るものがあった。

 

 ――それは、古びた小さな写真。

 

 古びた封筒の中、便箋のほかに、もうひとつ、仕舞われていたものだ。

 岡部倫太郎がソファーへ封筒を投げ出した時に、それは封筒の中から顔を出していた。

 

 どこかの病室で、4人の男女が写真のフレームに収まっている。

 

 病室のベッドで、体を起こしてカメラへ顔を向けている女性。

 その後ろで、腕を組んでいる大柄な男性。

 隣には、小柄な女性。

 そして、女性の腕の中に、女の子が一人。

 

 

 4人の男女は、皆、笑顔だった。

 

 

 

 

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 夢幻のリミナリティ // Liminality of Life

         END

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