ゼロの使い魔で転生記 作:鴉鷺
レイジは秘薬に必要だとされる材料を集め終わり、ヴァリエール邸へと戻っていた。ヴァリエールの屋敷をレイジが離れてから、ひと月と数日という以外に短い期間で材料が揃うと思っていなかった公爵は、目を点にしてレイジを迎えた。
「材料を集め終わったのでこれより秘薬の調合を開始します」
レイジがヴァリエール邸に帰ってきた時刻が昼過ぎということもあり、レイジは公爵に一言言うと、前と同じ部屋にこもってしまった。結局、レイジが再度公爵の前に現れたのは日がもう一度昇る頃だった。
「例のものは用意されていますか?」
レイジは数本の瓶を持って公爵の執務室へと来ていた。
「ああ、一応は数名用意した。バスティーヌと言われる監獄に収容してある。ここから馬で一刻弱程のところだ」
公爵はそう言ってレイジに地図を渡した。そしてさらに続けて
「薬は……できたのか?」
公爵にとって一番気になることなのだ。聞きたい気持ちでいっぱいだったのだろう。
「ええ、一応形として秘薬を古書通りに調合しました。これからバスティーヌで実験をしたいと思います」
レイジは公爵に返答してから、直ぐにバスティーヌへ向かうことを告げた。結局姉妹との再会はまた引き伸ばされることとなった。
レイジは公爵の執務室から出て直ぐ、イリアスに乗りバスティーヌと呼ばれる監獄へと向かった。
バスティーヌは森の奥地に建設された監獄だ。森そのものが監獄という様相を呈しているため脱獄を試みる者は多い。しかし、その森の街道は一本しかない。その街道より外れて森の中に入ったが最後、魔物の巣窟となっている森に飲まれて、平民もメイジも早期に骸を晒すことになる。そもそもメイジは杖を持っていないので平民よりも虚弱かもしれない。
さらに一本しかない街道には数個の検問が設けられており、決して生きての森からの脱獄を許さない。この監獄から出るとき、すなわち死んだときか死ぬことを覚悟した時とまで言われているほどだ。このことよりトリステイン有数の監獄を誇っている。
レイジは自分の知識と照らし合わせて森の街道を進む。なぜ街道に魔物が近づかないのかはただ単に街道が高く、厚い壁に囲われているだけだ。
街道を進むこと数分レイジは数個の検問を公爵の印をみせて通り抜ける。森のほぼ奥地に鋼鉄でできた門扉が突如として現れる。レイジは門番に話をして中へと入れてもらう。
「ようこそ、このようなしみったれた場所へとお越しくださいました」
手でゴマをすった男がレイジの前へと現れる。
「あなたは?」
「ここの監獄長を務めさせていただいております。タントワーヌと申します」
手を揉む男はこの監獄の統括を行っているそうだ。糸目をしている。レイジと身長は変わらないくらいだ。
「なるほど、自分はレイジ・フォン・ザクセスだ。公爵より、内容は聞かされているか?」
「ええ、もちろんですとも。実験……用意させていただいております。はい」
レイジはこの監獄長は自分には合わない人物であると感じた。しかしそのような瑣末なことは気にせずに、レイジは早速秘薬投与実験を開始しした。
五人の被験者の性別はバラバラだが、症状がカトレアと似通っている人物をレイジが選んだ。一人目は中肉中背の平民の男性。彼の症状は突然の胸痛、乾いた咳、呼吸困難が起こるとのことだ。レイジはカトレアの病状の位置的に、同じゆえに彼に秘薬を与えた。彼は秘薬を不審げな表情で飲み干す。
レイジは症状について聞くと、嘘のように体が楽になったと答えた。どうやら薬としての効果はあるようだと理解して、レイジは二人目の投与に取り掛かる。
結果としては、レイジが今回持って来た秘薬は全部で五つであり、五人に秘薬を飲ませると全て体の調子が良くなったとの回答だ。彼らはレイジ自身が治すことが難しいと考えた患者ばかりだ。それぞれその効果が現れるのに時間的違いが見られたが、結果は同じ、体から病魔がいなくなったとの回答だ。外的損傷は治ることはないが、体の内に巣食う病気はどうやら現段階ではなくすことができるとの結論に至った。
レイジは毎日この監獄へと通い続けた。服用後に副作用が突発的に発生しないかの検査を毎日彼ら被験者に質問を交えつつ、魔法で検査する。それを紙にメモしていく。それをくり返し行う。
レイジは秘薬の効果は本物であると考えるも、古書の通りに副作用がないとは限らない。と念には念入れて毎日3ヶ月間監獄へと通い続けた。レイジとしても別に前世で薬学部や医学部に通っていたわけではないので、何時頃までこの観察を続けるかという目処も立っていない。しかし秘薬を使って3ヶ月が経った頃にレイジはこの検査に区切りをつけた。
最後のメモは「実験開始より3ヶ月。被験者全てが、魔法による検査で健康状態だと出た。よってこの秘薬は万能薬である。ただし、副作用については以降に発症する可能性は捨てきれない」と締めくくった。レイジは公爵に実験の資料を見せ、どうするかを公爵に託すことを決めた。
そう決意していつものように、日が没しようかという頃、レイジは公爵邸へと帰宅した。
「実験の資料がまとまりました。目を通して見てください」
レイジは夕食を共にしたあとに公爵のもとへと来ていた。その手にはこの3ヶ月のすべてが記録してある本となった資料がある。
「わかった。今夜中に目を通しておく」
レイジは久しぶりに、自室でゆったりとした時間を過ごしていた。この3ヶ月は公爵邸にいながらも、被験者のことばかり考えていて、ろくに寝てもいないような気がした。そしてヴァリエール姉妹ともあまり話をしていない。
明日は久しぶりにルイズたちと話すのもいいな、と考えてレイジは眠りの中に沈んでいった。
が、レイジは夜中に唐突に起こされた。レイジは自室の扉の開く音を感知するやいなや布団から飛び起きて、枕元の短剣に手をかけた。これは既に旅からの癖となってしまっている。
「カトレア……?」
雲のない月が眩しい夜。窓からの月華を受けて、カトレアはレイジの部屋の扉前に立っていた。レイジは侵入者が誰かを把握したと同時に、短剣を枕元に戻した。
「どうしたんだ? こんな夜更けに」
レイジはカトレアのネグリジェ姿を見て、不思議に思い質問をした。カトレアは申し訳ないといった調子で答えた
「……レイジ、あなた私のために危険なことをしていたのよね」
レイジはこんな時間にそこまで切羽詰って話すことなのか、と思ったがしっかりとこたえる。
「……そうだが、急にどうしたんだ」
レイジは全く理解が追いついていない。もともとカトレアの行動は突飛なものが間々あったが今回はそれに輪をかけている、とレイジは感じている。こんな夜更けにレイジの部屋に来るなんてことは過去に一度もなかったのだ。レイジはさらに眉をひそめる。
「どうして、あなたはそこまでしてくれるの?」
レイジはこの言葉を聞いて公爵にいった言葉と同じ言葉を返そうとしたが、カトレアはさらに言葉を重ねた。
「レイジが私を家族と思っていることは知っているわ。だから危険を冒してまで、あの秘薬を作ってくれたのでしょう?」
「ああ、そうだ」
ここに来てレイジはカトレアが不安で胸が張り裂けそうになっていると、その表情から理解した。
「私の病気は本当に治るのかしら、前までとは違う。私には焦がれる人がいるの、本当は秘薬を使ったって治らないかもしれない……」
カトレアはレイジの夕食時の様子から、どうやら秘薬の使用目処がたったと感じたようだ。
そのためこの晩にこうしてレイジの下へ来た。治るという希望と、もしこのまま一生治らないのではないかという狭間で、不安に押し潰されそうなのだ。今までスクエアのメイジが何人もカトレアの診察を行ってきたのだ。それはすべてが失敗に終わった。今現在最後に残された希望は、レイジの調合した秘薬だけだ。これから違った方法が見つかるかもしれない。だが見つからないかもしれない。
「……きっと治るさ。だから心配しなくていい。オレが保証するよ」
レイジは力強く頷いてみせた。そして一年前と変わらない、しかしレイジにとっては、とても弱々しく小さく見えたカトレアを抱きしめた。実際レイジとカトレアの身長の大小は逆転しており、レイジの身長の方が高くなっている。初めてみるカトレアの不安げな表情と、月光が乱反射している彼女の目は、レイジの庇護欲をこれでもか、というくらいに刺激したのだ。
翌朝。レイジは昨夜のことを思い出し、若干赤面をして朝を迎えた。軽いため息を一つ吐き、ベッドから降りるべく手をベッドにおいた瞬間、レイジの顔は赤から青へと豹変した。
その後、刹那のうちにレイジは昨夜のことを反芻した。カトレアを抱きとめたあと、カトレアは安心したのか寝てしまったのだ。レイジは仕方なく彼女を自分のベッドで寝かせ――。
そこまで考えたとき、無慈悲なことに扉を誰かがノックしたのだ。
「レイジくん。ちょっといいかな?」
声の主は公爵であると瞬時に理解したレイジは焦った。
「ちょ、ちょっと少々待ってください」
レイジは慌てすぎて、重複表現をしてしまう程に動揺している。
レイジは考える。
この場合どう取り繕えば、自分の首は繋がり続けることができるのかということを。特に何もしていないとは言え、親の前で娘を部屋に連れ込んだように見えるシュチュエーションは非常にまずい。例え責がレイジになくても、この場合テンパってしまうのは仕方のないことだろう。
「レイジくんもういいかね」
公爵はそう言ってドアを開ける。
結局レイジはカトレアに布団をかぶせるという、至極お粗末な方法しか取れなかった。
「どうしました?」
レイジは表面上平然を装う。内心は吹きすさぶ烈風で大渦巻きが発生した大海原のような荒れ模様だ。レイジの心臓は警鐘の早鐘をやめない。レイジは今生一番緊張しているに違いない。
「昨夜読ませてもらったよ」
「はい。秘薬はどうしましょうか」
「そのことなんだが、カリーヌと話し合って決めたのだが、今日にでもカトレアに与えてやってはくれないか。これまで何人もの優秀なメイジがカトレアを見てきたが、成果は上がらなんだ。これからもそうなる可能性が高い。この秘薬は今のところ副作用は無いようであるしな」
「分かりました。カトレアさんには自分が言っておきます」
「うむ」
ではな。と言い残し公爵はレイジの部屋をあとにした。
レイジは盛大な溜息と共に胸をなで下ろした。直後カトレアから声が漏れ、上体を起こし、辺りをキョロキョロと見渡したあとに、顔をルイズのように真っ赤にした。レイジはその姿を見て、やっぱ姉妹だなぁと脱力しながら思った。
「ああ、そうだ。秘薬の投与は今日の昼にカトレアの部屋で行うことに……する」
公爵はレイジの気の緩む隙を、待っていたのではないか、と思うくらいにタイミングよく、顔だけレイジの部屋を覗き込んできた。
レイジはこれが乾いた笑いか、という感想を初めて自分の笑い声から感じた。
それも一瞬。公爵のモノクルが落下する音だけが部屋に響く。
カトレアは顔だけを布団から出している状態だ。顔は未だに熟れたりんごのように真っ赤だ。
三人は数秒間――レイジにとっては数時間の硬直の後に、公爵はモノクルを拾い上げて静かに扉を閉めた。扉の外では公爵が夫人の名を呼んでいるのがレイジには聞こえた。レイジはもう一度大きなため息を吐いた。
「完全に墓穴を掘ったな。穴があったら隠れてぇ。あ、オレの掘った墓穴に隠れればいいのか。それだと結局墓穴になっちまう」
レイジの心は既に、台風が過ぎ去った後の空のように晴れ晴れとしていて、冷静になっていた。発言は冷静さを微塵も感じさせることはないが。
カトレアは初めて見る、動揺しているレイジの挙動に戸惑っていた。どうしてそこまで慌てているのかがわからなかったのだ。
結局レイジは気まずい雰囲気を自分だけ感じつつも朝食を皆でとる、という命の危機はさったものの、非常に息苦しい拷問状態になっていた。公爵の表情をチラリと伺うと、公爵はいつも通りの表情をしていた。それがレイジには憤然とした表情のように感じた。その後レイジはカトレアの動物たちと戯れて今朝の出来事を一時的になくそうと奮闘した。
その甲斐虚しく、昼にカトレアの部屋にて公爵と公爵夫人とで秘薬の投与をする時間となった。
「え~。これからカトレア嬢にはこの秘薬を飲んでいただきます。よろしいでしょうか」
「……分かりました」
レイジはカトレアの返答を聞くとともに、彼女に再度調合し直した液状の秘薬を渡した。カトレアはその秘薬を一口に口に流し込む。
「効果が現れるのには個人差があるので待ちましょう」
「わかった」
レイジの説明に公爵は頷く。
「なにか体の変化があれば言ってください。こちらも一応は『水』の魔法で見ておきますが、やはり自分の体は自身が一番わかるでしょうから」
ただ無言で待つこと半刻ほど、レイジは一度も後ろを振り向かずに、カトレアに『水』魔法を使っていた。そうするしかレイジとしては、この痛々しい空気を耐えることができなかったのだ。といってもそれを意識しているのはレイジだけなのだが。
「胸の痛みが無くなったわ」
レイジも『水』魔法をカトレアに行使しているときにある違和感が消失したことを感じていた。
「確かに、無くなったと思います」
「なに!? 本当かそれは!!」
公爵はそう言ってレイジに教えてもらった『水』魔法を行使した。公爵の目から涙が流れでて、カトレアを抱きしめる。公爵夫人のカリーヌもその二人に加わり親子で抱きたっていた。レイジはその光景を見て、軽い笑みを浮かべて部屋を出てその扉の横の壁に寄りかかる。
「一段落ってとこか……」
レイジは知らず知らずのうちに言葉をこぼしていた。
「何が一段落なのよ」
そこへ座学の勉強をしているはずのルイズが現れた。レイジはルイズを横目で見て部屋を親指で指した。
「入ればわかる」
ルイズは疑問符を浮かべながらカトレアの部屋へと入っていった。
「ちいねえさまの部屋がどうしたのよ」
ルイズは扉を開け部屋に入ると、両親がカトレアを泣きながら抱き合っているのを見て察し、自身もその輪に加わった。
レイジはとても重要なことをこの時失念していた。
親子の抱擁を部屋の外で待っていたレイジは、公爵に中に入るように呼ばれた。中に入ると泣き疲れたのか、ルイズはカトレアの腕に抱かれて眠っていた。
「娘の病気を治してくれて感謝のしようもない」
公爵はそう言ってレイジに頭を下げる。感謝の形をしっかりと表せるのだからそんじょそこらの似非貴族とはやはり格が違う。
「頭を上げてください公爵。前にも言いましたが、家族を助けるのに理由なんていりません」
レイジは少々恐縮しつつもそう返す。公爵もそれを聞いて頭を上げる。
「ところでレイジくん。今朝の事なんだが」
レイジはその言葉を聞いた瞬間、全身の汗腺から汗が噴出した。
公爵の表情は先とは一変笑いの欠片もない。
レイジは死を覚悟した。今のレイジでは先代の「烈風」には勝てない。つまり逃げることができないのだ。逃げだけに徹するのなら可能性はあるが、余裕を持てるほどでもないこともまた事実。
長い沈黙のあとに公爵はニヤリッとした笑みを浮かべて言い放った。
「レイジくん。よくぞ既成事実を作ったな!! 予定にはまだ早いが婚約指輪をやろう!!」
公爵はそう大きな声でのたまった。レイジの理解が追いつかない。
婚約指輪? なぜ? 婚約ってあれか、結婚を前提にお付き合い的なあれか?
「カリーヌ」
「トリステイン一の造形師に作らせた白金の指輪です」
どうぞ、と理解の追いつかないレイジとカトレアに指輪を渡した。
「ちょっと待ってください。オレはフォン・ザクセスを継ぐ気なのです。いくら公爵の頼みであってもラ・ヴァリエール家は継げません!!」
レイジは一気に物事を理解して声を上げた。婚約の理由はわかる。しかし所々の問題が残っている。
「それは分かっておるよ。別に君に婿に来てもらうのではない。カトレアを嫁にもらってもらうのだよ」
「しかし、父にも相談しなければ――」
レイジの最もな言い分に公爵は最後まで聞かずに答えを返した。
「グスタフ殿とは話は既についておる」
手回しの速さにレイジは驚嘆した。
「ああ、そうなのですか」
「なんだ? カトレアは不満か」
レイジとしては不満などあるはずがない。所々の問題がないのなら、女性としても魅力的であるカトレアとの婚約を、特段断る理由もない。
「いえ、光栄です」
「これからもよろしくおねがいするわね、レイジ」
そう言ってなんの驚きも見せずにカトレアは、レイジの頬にキスをする。カトレアは前々からこのことを聞かされていたのだ。
レイジは秘薬探しの旅を終えたあとに、カトレアが突然に名前呼びにしろ、と言ってきた理由を理解した。
「昨夜はお楽しみだったようじゃから、孫の顔は早く見れそうじゃな」
「あとはエレオノールが早く結婚すればいいのですが……」
公爵は高笑いをし、夫人の方は長女の婚期を心配している。
「一応言っておきますが、昨晩は別にお楽しみなんてしてませんからね」
レイジは今できる最大限の抵抗をした。
この晩は豪勢な夕食になった。その理由を聞いたルイズは、レイジに癇癪を起こしたのだった。
昨夜はお楽しみでしたね(ニッコリ