僕の名前は、ニア。本名は別にある。
生まれも育ちも上流階級で、何不自由ない暮らしをしていたのがつい先日まで。
元々、両親は僕に優しかったが、優しかったのは気分が良かった時だけ。結局彼等からすれば、周囲の者は利用するだけ利用して、使い捨てるものだったのだろう。
子供を後継者としてきちんと育てようとか、誰かも愛される素晴らしい人格にしようとか。
愛情をかけて、手塩にかけるということをされた覚えがない。
当たり前のようにされる関係は、親子の義務こそあれど、それ止まり。
元々、恨まれるような商売にも手を出していたこともあって、両親が殺されたと聞いても、まあそんなものかと、そういうくらいにしか感じていなかった。
それが、どうしたことだろう。
運命に出会ったと、僕は雷に打たれた様な衝撃を受けた。
父親の背後に突如、庭師が現れる。最近雇い入れた、年若い、身長の高い男。モンゴロイド系の血が混じった容姿は、しかし最近のグローバル経済では珍しくもない。
だが、そんな彼に背後を取られたというのに――父親は、欠片も気付いてる気配はなかった。
確か、その時僕は学校の宿題をしていたはずだ。窓際から、彼を見下ろしていたことが今でも鮮明に思いだせる。
そして。
現れた彼は、流れるような手際でナイフを回転させ――。
ほんの1秒もかからない間に、僕の父親を絶命させた。
司法解剖の結果を聞くと、ナイフの一撃で動脈と呼吸器とを同時に破壊していたらしい。ご丁寧に返しをつけて、表の革を内側にめり込ませて、機械の管すら通せないようにしている徹底ぶり。
そんな細かい芸当もさることながら、しかし当時の僕にはわかるわけもない。
それはあまりにも鮮やかで。
それはとても、衝撃的な光景だった。
同時にどこか、胸の空く思いがした。父親に対するわだかまりが切っ掛けかは知らないけれど。
そして同時に、ものすごく腑に落ちた。嗚呼、これだと。
嗚呼、何と素晴らしく、美しい技術だろうと。
ベースボールスタジアムに行った友人が、確かこう言っていた。
目の前で見るプロ野球選手の華麗なキャッチは、それを見るだけで自分の人生を変える。
只、その光景を自分で再現したいという、憧れ一つで人生を棒に振るだけの
僕の場合は、彼が正にそれだった。
すなわち――暗殺者としての技術。
目を奪われた。心を奪われた。
あれだ。あれを、自分のものとしたい。
そのためなら、何だって捧げよう。
子供心にそう思い、誓い、僕は彼の弟子となった。
案外とあっさり引き受けてもらった。何度も頼みこむ必要があるか、あるいは彼以外の人を探さないといけないかと思っていたのだけれど、思いの他、拍子抜けするくらい簡単に。
そして場所を変え、ダウンタウンの裏路地。
僕は、彼から名前を貰った。
その名前がどんな意味を持つのかなんて、さっぱり知らないけれど。それでも僕は、彼のそれを大事にしよう。
なにせ、「先生」から初めて貰ったものなのだから。
にこやかに僕の頭を撫ぜる彼を見て、僕は、にやりと不敵に笑い返した。
※
そしてどうしてか、僕等は
「いやぁ、なかなか良い天気ですねぇ。ヌルフフフフフ」
「先生、気色悪いです」
しゅん、となる先生。そんなに変な指摘をしたつもりはないけど、どうしてかこの先生はこの手の一言に弱い。
旅行客らしさを装ったカジュアルな格好をしていても、先生はいつも通りだった。
空港を出た後、バスに揺られて数十分。僕等は今、京都という町に来ていた。道中、完全にこの国の言語を使いこなしていたところを見ると、以前もここで仕事をした経験があるのだろうか。
金色の古いテンプルを前に、不気味な笑い声を上げながら激写する先生。
呆れる僕の方を見て、彼は苦笑いをしてから聞いてきた。
「今更ですけど、変装とかはしないんですか?」
「おおよそ、バレて困る相手は既に『確殺』するかして対応してますからねぇ……。
さて、
「わかりません」
「では、調べましたか? ここの場所、あるいはこの街について。来るまでに、最低でも四日間ほど、ダウンタウンに泊まっていたと思いましたが」
「……ここに来る意味が、いまいち理解できません」
「おやおや。それではそれでは、私に追いつくなどまだまだ先も先ですねぇ」
くつくつと肩を振るわせる先生。不気味な笑いじゃないだけマシだけど、少しイラっとくる。
「まあ来た理由自体は、半分観光目的ではあるんですけどね。では、まずワンポイントレッスンです」
言われて、僕はメモを構える。
いずれはメモなしで聞いた情報全部を暗記できるようにと言われているので、最初はメモ有りから。
「『情報収集には無駄がない』。特に私の様な、万能型のプロを目指すのなら重要なことです」
「情報収集?」
「例えばさっきも言いましたが、今回は観光目的でこの場所に来ました。
しかし、もし仮に後日、この場所での暗殺依頼が入ったとしたら、どうしますか?」
「どうって……」
「まさか、依頼を受けてから調べるとは言えませんねぇ。暗殺方法次第では、街について何もしらなくても、国について何も知らなくても、どうとでもなるかもしれません。
ですが、宗教問題の根強い場所や、戦争中の地域等において、その手の話は通用しません。最低限持っておく情報というものは何にでもありますし、それが無ければ問答無用で
右のこめかみに指を当てて、バーン、と撃ち抜く仕草。
「己の身を守る為に。そして時に攻める為に、情報は非常に重要です。近代戦争においても、旧時代の戦争においても。個人間のケンカにおいてだって、文字通りその事が言えます。例えば……、少し考えてみましょうか?」
「……先生が、僕の親を殺した時のように」
「それは、どういう点において?」
「えっと……、警備会社も雇っていたのに、セキュリティも万全だったはずなのに、まさかあんな風に簡単に殺されるなんて、想定していなかったから」
「合格点をあげましょう」
ヌルフフフ、と不気味に笑う先生に、例によって例のごとく気色悪いと言う。
落ち込みながらも、先生はその笑みを浮かべるのを止めなかった。
「加えるならば『警備が本当に完璧なのかどうか』。抜け穴がないか慎重に吟味したかどうか。
そして、自分達の雇った庭師が、本当に毎日同じ庭師だったかどうかの確認を怠ったのが、原因でしょうか。まあ家に入る際、多少変装こそしていましたが」
「? あの、ということは本物の庭師は――」
「君が証言しなかった以上は、重要参考人の一人としてしょっ引かれているでしょう」
なるほど、と僕は一定の納得をした。
「情報の大切さは、理解しましたか? それに加えて、何をしても人間のやることなので、収集不足や考え不足による大きなミスが起きることも」
「はい。でも……」
「ヌルフ?」
「その笑い止めてください。……えっと、もう半分とは何でしょうか」
「良い質問ですねぇ。それは――」
先生は携帯端末を取り出すと、画面を操作して僕に向けた。
「――仕事の下準備も兼ねてですね」
そこに書かれていた文面。二週間後、東京の方でクライアントが待ち受けているらしい。
「当日までまずしばらくの間、ニアには日本の生活というものに慣れてもらいましょう。言語まで覚えろというのは酷かも知れませんが、街中において不自然でない行動がとれる程度には、肌で場所を実感なさい」
「はい」
「我々は、日本を観光中の外国人という設定で行きます。アメリカ人で、そうですねぇ……。
年齢的に、親戚のお兄さんが家庭で色々拗らせた甥っ子に、気分転換を勧めるためにやって来た、的な感じでどうでしょう」
「なんでそんな妙に拘った設定を……」
「ざっくりした設定でもディティールを多少凝ると、話の膨らませ方に無理が生じ難かったりします。これもまぁ、ちょっとしたテクニックですかね」
演技する上でもとっつき易いでしょう、と先生は笑う。
確かにその通りなのだけど、なんで僕が「拗らせた」子供なのか。
「自ら進んで殺し屋になりたいと、親の仇に心から言う人間を、拗らせてないとどうして言えましょうか」
「……先生、いつか本気で殺して良いですか?」
「無駄ですねぇ、君が一年成長する頃には、先生もまた一年分成長していますから。
いたちごっことなりますよ? ヌルフフフフフ」
懲りずに例の笑いを繰り返す先生。
英語で会話する僕等に周囲は訝しげな視線を向けるけど、数秒もせず興味を失う。
写真を撮るのに満足したのか、先生はカメラを仕舞う。行きましょうか、と僕の肩を叩くと、ほぼ同時に、先生に声が掛けられた。
「あ、あの、済みません!」
「にゅる?」
水兵とかが来ていそうな制服。紺色の襟とスカートに、赤いスカーフ。慎重は先生の胸より少し下あたりで、僕よりは頭一つか半分くらい上だ。
肩口で揺れるセミロング。慌てたように、彼女は先生に両手を差し出した。
「あ、あの、済みません! よろしければ、あの、私達の写真を撮ってもらえますか?」
驚いた事に、さっきの言葉も、今の言葉も英文だった。若干たどたどしいところはあったけど、発音含めて、一応意味は伝わる。
先生は一度僕の顔を見てから「少し待っていてください」と言った。
ここから先の二人のやりとりは、後で先生からどういった話をしたか聞いた上での予想となる。
「日本語話せますから、どうぞこちらで」
「にゃ! あ、ありがとうございます。……上手ですね、日本語」
「数年間、この国で色々やってましてね。それで、写真とは?」
「あ、あの子たちとです」
彼女が指差す先には、似たような服装をした女の人達が数人。目が笑ってる。何だか先生と、彼女とを見る目が野次馬っぽい感じな気がした。
「なるほど分かりました。金閣寺を背景にですね。しかし、またどうして私に? ……ああ、責めてるわけじゃありません。単に、他にも色々人は居たと思うのですが、わざわざ異国人に声をかけたのが興味があったもので」
「え、えっと……。友達が、貴方の撮影の手つきが素人のそれじゃないと」
「ヌルフフフ。お褒め預かり光栄ですねぇ」
「なんかホント、日本在住歴長そうですね、言い回しとか……。あ、あとその、変な意味じゃないんですけど……」
一拍置いてから、彼女は先生に言った。
「……なんか、安心出来る感じだったので。ウチの死んだお婆ちゃんみたいに」
「そうですか……」
一瞬感傷に浸ったような笑顔を浮かべると、先生は彼女から携帯端末を受け取り、撮影に。
「……独特な待ち受けですねぇ」
画面には、鰹の頭をしたキャラクターが鍋で風呂につかり「
「にゅ?!」
「あはは、この子、みんなからセンス変わってるって言われてるんですよ」
「なのに本人、全然直そうともしないし」
「べ、別に、可愛いじゃんお出汁姐さん!」
「むしろこんな待ち受け、需要があることがびっくりですよ……」
ともかく、ぱしゃりと一枚。
カメラを手渡すと、手と手が触れた瞬間、何故かもじもじとする彼女。
いくら鈍くたって、この反応が何を示しているか、僕でもわかる。
彼女の友達たちなんかは露骨に、彼女に「ほら、もっとグイグイ行ったら?」「持ち帰られちゃう? 持ってかれちゃう?」と煽ったりして、「うなー!」と目を丸く向いて叫ばれたりしていた。
確かに先生は、黙っていれば映画で主演を張っていても、おかしくない容姿をしている。大体二十歳前後(本人弁)と若く、演技力は言わずもがな。こと今日に至るまで過ごしてきた毎日で、その万能っぷりは何度も見せつけられた。
あふれ出るそういった人間的魅力(言動除く)に、つられる女の人も少なくはないだろう。
「ほら、
「!?」
ところが、彼女の友人が言ったその一言で、先生の眉が一瞬ぴくりと動いた。
「(そうか、この頃はまだ女子高生か。しかしこれもこれで、なかなか……。妹とは既に差が……)」
「あの、どうされました?」
突如英文に切り替えてぶつぶつ呟く先生に、写真を頼んだ彼女は頭を傾げる。
先生はにこりと微笑み「それならば」と提案した。
「宜しければ、私のカメラにも写真をとって頂けますか? 甥っ子なんですが、一緒に」
「あ、はい。私なんかでよろしければ」
先生からデジカメの使い方を簡単に教わって、彼女は構える。
僕の肩に手を当てて、先生はにこりと笑いながら言った。
「カメラ目線なら、自由な表情でいいですよ? そっちの方が、逆に怪しまれません」
「……はい」
「じゃあ、はい、チーズッ――」
納められた写真の僕は、笑おうとしている微妙な表情のまま、両目を瞑っていた。
「ヌルフフフ、まだ拡張機能も大してついていない時期ですからねぇ……。あ、撮り直しは結構ですよ。ねぇ」
「……」
「済みません、無愛想で。まあ、そこまで拘りはないので」
「は、はい。……あの、写真とって頂いてありがとうございましたッ」
「いえいえ、お互い様ですよ。こちらこそ、どうもありがとう」
頭を下げて微笑む先生に、ぽっと頬を染める彼女。こう言うとアレだけど、突然出会った初見の外国人相手に、ここまで簡単に惚れるような動作はどうなんだろうか。
そんなことを考えて居ると、不意に、僕の頭の中に、悪戯心が湧いた。
「ねえ、
「ニュ?」「にゃ?」
どうしてだろう、二人は似たような反応を返してきた。
「いえ、あの、ニア? それを提案する意味がいまいち――」
「いいじゃないですか! あぐり、アンタ撮ってもらいなさい! チャンスよ!」
「にゅあああ! そ、そんなんじゃないからぁッ!」
彼女の友達のうちの一人が英語が出来たらしく、僕と先生との会話に乱入。ぐいぐいと背中を押して、二人は金閣寺を間に挟む立ち位置に。
「うう……、え、英語とか頑張ろうかな……」
両手を合わせてもじもじと、時々ちらちら横を伺う彼女。
片や先生は、困ったように微笑むばかり。
そして、英語が話せたお姉さんと、僕の視線が重なり――同時に、あることを察して頷いた。
「はい、チーズッ」
「「!?」」
三人いたうちの最後の一人がシャッターを切った瞬間、僕とお姉さんとで、先生たちを同時に押した。
僕の押しは、先生を一歩前進させるくらいの威力しかない。
でも同年代同士らしく、お姉さんの手押しは、セミロングの彼女をぐら付かせるくらいには充分で――。
いつものハイスペックさを発揮して、先生は彼女をそっと抱き止め、いや、いっそ抱きしめた。
見下ろし、見上げ、視線が重なる。
停止した二人のそんなタイミングで、その瞬間にシャッターが切られる。
「大丈夫ですか?」
先生は、彼女に対して普通のままだったけど。
「――に、にゃああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!!」
抱きしめられていた彼女は顔を真っ赤にして、人間よりむしろ動物的な絶叫を上げてその場から退散した。
「あー、済みません、なんか……」
「いえいえ。まあ、友達で遊ぶにしても強引な気はしましたが」
英語の出来るお姉さんは先生に頭を下げるけど、先生は逆に注意するような声音で言う。
それに対して、お姉さんはちょっとだけ遠い目をしてから答えた。
「……あんまり話すようなことじゃないんですけど、家庭で色々あったらしくて。せっかくの修学旅行なんですし、気分転換になればと思って」
「そうですか」
「道で気になった人に声かけて、写真とってもらおうと言う話してて」
「ヌルフフ。……そうですねぇ、ではお礼代わりと言う訳じゃありませんが、今の写真を私にもくれますか?」
先生の顔を見て、ぼそりと「脈あり?」とか、僕には言語的に理解できない言葉を呟く。が、先生は無問題で日本語に切り替えて言った。
「単に旅先の思い出というだけですよ。
まあ後そういうのは、後数年経って立派な女性に成長してからですかねぇ。これでも聖職者なので、食指も動きません」
「あ、あはは……。へ? えっと、教会とかそういう?」
「いえいえ、教師です」
ある意味で間違ってはいないけど、微妙に真実を先生は伝えなかった。
これも嘘のテクニック「中途半端に真実を混ぜる」というところだったか。
その後、まあ出るわ出るわ、僕と先生との関係に関する作り話の数々。両親と大喧嘩しただの、家庭教師をしているだの、甥っ子だのはさっき言ったか、引篭もってては気分が滅入るので、ちょっとだけ小旅行中だの何だの。
最後の方でお姉さんから「頑張って!」と応援のメッセージを貰えるくらいに、先生は下先三寸でこの場を切り抜けていた。
彼女達に手を振ってその場を離れてから、先生は一言。
「色々想定外の事態がありましたが、ニア。せっかくですからレッスンです」
少し疲れた様子だったけど、相変わらず普通に授業を開始した。
「洞察力の訓練です。彼女たちを見て、わかったことを四つ以上挙げて下さい」
「よ、四つ!?」
いきなり結構、無理難題が来た。
にこにことこちらがどう答えるか、楽しみにしていると言わんばかりの先生。
「大切なのはこうして考えて、普段から意識する事です」
そう言う先生はいつも通り楽しそうで、僕としては不満がなくはないけれど。
「……とりあえず、あの女の人は先生のこと、意識しまくりでしたね」
「にゅや!?」
とりあえず、意趣返しみたいなことを一つくらいしたって大丈夫だろうと思った。
※
東京での仕事はおじゃんになった、らしい。
「ではご紹介しましょう。デューク東郷さんです」
「……」
「あの先生、これは一体」
僕等は今、おしゃれなオープンカフェに居た。
そこで何故か、妙に厳つい男のヒトと一緒にお茶してる。
僕はアイスコーヒーにチーズケーキ。
先生はストロベリーパフェ。
デュークというらしい男性はチョコレートパフェ。
お互い「ヌルフフフ」と笑ったり、終始無言ながらもパフェを切り崩すその様は、色々な意味で対象的でシュールだった。
「まあ簡単に言うと、今朝ニアが起きて来る前に少し
「や、やり?」
「その際どうもお互い情報が錯綜していたらしいことを把握したので、関係者に問い合わせた結果です。
いやしかし意外でしたねぇ。そちらから話し合いを提示されるとは思ってませんでした」
「建前と本音は違うものだ。
生憎だが、あの状況でなら俺は断る。後は必要か、不必要かというだけだ」
「とまあ結果的に依頼人側の方に、軽く『牽制』をかけた結果、今回は終了したというお話ですね」
ヌルフフフフと笑うころせんせーと、やっぱり無表情にパフェを切り崩す東郷さん。
「個人的にはなかなか手入れしがいのある眉毛ですが、ヌルフフフ」
「背後に立つな」
「言われずとも。こんな素敵な場所で問題を引き起こすつもりは、毛頭ありませんとも」
こうして比べて見ると、彼の方が先生よりよっぽど殺し屋らしい気がする。あと先生の舌がよく回ることも。
灰皿を手に取り、タバコを吹かせる彼。
「名乗らされたのは久々だった」
「ヌルフフフ。なかなか手強かったですか?」
「色々な意味でな。ある意味、最も手強かった標的かもしれない」
「お、おう……大分手放しに褒めていただいてますねぇ」
珍しく先生が動揺している。
そんな様に驚いて、僕は一言も出せない。
東郷さんは、パフェの解体に再び取り掛かる。
「”運命の疾風”と言ったか。お前は逆に、いつまでそれを続ける」
「ヌルフ?」
「うさぎはいつまで経ってもうさぎだ。なら、お前はどうだ?」
僕は彼の言ってる意味はわからなかったけど、先生は一瞬表情を曇らせた。例の笑いが引っ込む。パフェを持つ手が固まり、そのままスプーンを戻した。
「……別に演技というわけでもありませんよ。これはこれでまた”私”に違いありませんから」
「……」
「な、何ですか?」
東郷さんは僕の方を見る。
鋭すぎる眼光が怖い。
「自分を捨てる事が、必ずしも必須とは限らないぞ」
そして、彼のその一言に、僕の核心部は射抜かれた。
先生の方を見て、東郷さんは一言。
「強すぎることは弱すぎることと同じくらいタチが悪い。時にそれが、自分すら超える事もある」
「……ええ、重々承知しています」
「だからその態度を崩さない、か。……男なんてのは、確かに一度決めたら、やるしかないもんだな」
「信じるしかありませんねぇ。無論悩みながらですが」
にやり、と。
全く意外なことだったけど、東郷さんは先生の言葉を受けて、ニヒルに笑った。
「自分が何者で、何をしたいのか。これさえ忘れなければ、どんな目的だろうと生きていける」
それから先、ほとんど東郷さんは口を開かなかった。
ただ、どうしてか記念に写真を一枚。先生が東郷さんの眉毛を手入れしていると言う、何ともアレな構図に僕が隅っこに入るくらい。
でも、その前後のやりとりだけは、記憶から抜け落ちる事はなかった。
僕が僕でない何かになる、あの時までは。
※ざっくり9年くらい前の話の予定です
今後ちょいちょい0 to 1 の話は増える予定です。
いやしかし、一瞬GEの方に投稿してしまった自分が正直意味わかんなかった;