(1)はじめての超弩級巡洋戦艦
1913年横須賀
鎮守府の一室に一人の幼い少女がへたれこんだように座っていた。
「うぇ~~~~ん」
少し茶色味がかった美しい髪を肩まで伸ばし、その黄色いリボンでまとめられた髪が薄水色の可愛らしいワンピースにふわりとかかっている。この当時の日本ではまだ異質な、いわゆる洋風の身なりをしている。
所在無げな少女が嗚咽を漏らすたびにその肩が震えた。
「……どうしましょう」
少女を遠巻きから見つめるのは二人の艦娘、戦艦香取と薩摩だった。こちらはいかにも大正時代らしい女学生風の袴を着ており。さっきから全く言うことを聞かないこの少女の扱いに困り果てていた。
「えぇ~~~~ん……」
ひたすら泣き続ける少女を前に、二人の戦艦はため息をつく。
「だって、この子英語しか喋れないみたいですし……」
そう嘆く薩摩は日本初の国産戦艦であり、彼女は外交などのことも考えて英語も勉強はしているがネイティブには程遠い。
「私の英語でも聞いてくれないわよ~」
薩摩のなんとかしてくれという視線を受けた香取も、そうつぶやく。香取はイギリスのヴィッカース社で生まれ日本海軍に納入された戦艦なので英語も堪能だが、しかしそれでもどうにもならないようだった。
ちなみにこの香取の名前は後に練習巡洋艦香取に引き継がれることになるが、それはまた未来の話である。
実のところ、その泣いている少女もまた英国ヴィッカース社製の最新鋭巡洋戦艦であった。
ヨーロッパの大帝国イギリスから遠路はるばるこの極東の日本までやって来たのだ。
その名前を金剛という。
長旅の疲れやら、ホームシックで泣きたいのは分かるが。泣いてばかりでこちらの言うことを何も聞いてくれないのは困る。
「気持ちは分かるけど……」
かつて同じ境遇だった香取は同情するようにそうつぶやくが。それもむなしい。
「それに……あの子は」
「ええ、超弩級ですしねぇ……」
世界を震撼させたイギリスの戦艦「ドレットノート」は、その画期的な性能からそれまでの戦艦をすべて過去の物にした。おかげで香取も薩摩も、その弩級戦艦に及ばない、いわば時代遅れの戦艦になってしまっていた。
しかもこの少女はその弩級戦艦を越えた、超弩級の巡洋戦艦なのである。
さらにこの当時世界最大最強の戦艦と言われるほどの傑作艦だったのだ。
極東日本の艦娘が、世界最先端のイギリス製艦娘にどうこうしようなんて恐れ多いという気持ちもあったのである。
その気持ちが、少女の世話係を頼まれた二人をさらにしり込みさせた。
しばらく静観するしかないだろうと、二人が決めた時だった。
「タラ~ン!今日も良い天気ネー!みなさんコニチワ~」
香取、薩摩の後ろからもう一人の戦艦がやってくる。巫女装束のような着物を着崩したその艦娘はなにが面白いのか、片言っぽい日本語で満面の笑みを浮かべながらこっちに歩いてきた。
「お、お姉さま!?」
香取がそういうと、そのお姉さまと呼ばれた戦艦がさらに笑顔になる。
「ヘ~イ!カトリ~ヌ&サツマ!なにしてるデス?」
「あ、いえ……その」
「ワオ!あの子がコンゴーデース?ソーキュート!」
彼女は金剛を見つけると目をキラキラとさせた。
「そうなんです……私達お世話係を承ったのですが、あの子泣いてばかりで……日本語もしゃべれないみたいなんです」
薩摩はお手上げだといった感じでお姉さまにそう愚痴る。それを聞いていて香取はなんとなく嫌な予感がした。
お姉さまは何やら一瞬考え込んだ後、閃いたように声をあげる。
「オウ……ならワタシがあのリトルガールをお育てしマース!私の完璧なジャパニーズもティーチングしマース!!」
「え?」
香取と薩摩はその反応に驚いた。そして、それはまずいと思った。
言うまでも無い、この人の日本語は滅茶苦茶だ。こんな人が教えたら金剛がどうなってしまうか……。
かつて「ニッポン語ムズカシーデース!!」と言って勉強を途中で投げ出し、戦場に行ってしまったこの戦艦が、なぜこんなにも自信満々なのかは分からないが。
戦艦というのは海軍の代表的な立場でもあり、観艦式や対外的な交渉の場などなどあらゆる行事において前面に立って挨拶をしなければいけない。それがこんな非常に怪しい日本語を使うなどあってはならないことだった。
ましてや、連合艦隊の旗艦が……。
「ダメデス?」
「だ……駄目だと思います。お世話係の任を受けたのは私達ですし」
軍の重要な行事で、お姉さまの奇妙奇天烈な日本語を聞かなければいけないという恥を、もうこれ以上味わいたくなかった。
金剛はこれから日本を代表する艦娘になっていくのだ。それを変な形に教育されるのだけは阻止しなければいけない。
「そんなのジゴショーダクでなんとかしマース!それに、カトリーヌとサツマはリアリィにお世話出来てないじゃないデースか」
「そ、それは」
「オーライ!私にまかせなサーイ!」
そう言ってお姉さまは、金剛のほうに襲いかからんといった勢いで飛び出していった。
香取と薩摩はその素早い強行突破を止められない。
「待って!……」
まずい、と思いながらも、まあしょうがないかという諦めの気持ちが香取達のそれ以上の制止を、なあなあにする。
お姉さまはその噴飯もののしゃべり方と、天真爛漫な行動以外は非常に良くできた人なのだ。香取も薩摩も尊敬しているし、他の皆の信頼も厚い。
日本海軍連合艦隊旗艦としての資質にたる艦娘だった。それだけの包容力とカリスマ性とオーラをもっているのだ。
香取や薩摩では、しり込みしてしまって、ガチガチの教育しか出来ないだろうが。この人ならもっと伸び伸びと自由に金剛を育ててくれるだろう。器の大きな艦娘になってくれるだろう。
そのほうが金剛のためなのかもしれない。
結果、海軍を代表する艦娘が不思議な日本語をしゃべったとしても、それはそれでしょうがないことだ。
そのほうが世話しなくて楽だし、と薩摩は思い。
まあ、どうせすぐ私も予備艦行きだろうからと香取は考える。
そして、お姉さまは金剛のもとにたどりついた。
「ヘイガール!」
「ふぇ……?」
飛び跳ねるように突如現れたお姉さまを見て、さすがの金剛も泣くのを一旦止める。
「ユーがコンゴーデース?」
金剛は日本語が分からない。しかしこの「コンゴウ」という言葉が自分の名前であるということは知っていた。
金剛、日本の山の名前でダイヤモンドという意味もあるらしいが、なんとも粗野で気に入らない名前だと自分で思っていた。
イギリスの造船所ではもっとみんな美しい英語の名前で、自分もそんなカッコいい名前をつけてもらえると思っていたのに「コンゴウ」などという可愛くない名前になってしまったのだ。
その時点で金剛は日本に対してなんの愛着も持てなかった。
イギリスから喜望峰を回ってこんな辺境の地に来て。正直なところ早くイギリスに帰りたいという思いしかなかった。しかしそれはおそらく叶わない願いだということも分かっているのだ。
だから彼女は泣くしかなかった。
そこに現れたのが、この謎の艦娘である。
「ウップス!失礼……ワタシの紹介がまだでした……私はミカサデース!」
「……?」
小さな金剛は、何を言っているのかわからないという顔をした。
「マイネームイズ、ミカサデース!」
どうやら名前を言っているらしい。
「ミカーサーデース?」
金剛がそう小さく呟くと、ミカサと名乗った艦娘はさも嬉しそうに大きく頷く。
「イエスッ!ミカサデース」
それは歴戦の戦艦三笠と、金剛の初めての出会いだった。金剛がその後しばらく三笠の名前を「ミカサデース」と勘違いしたことは置いておいて……。
「……ヒック」
金剛はまだ嗚咽の発作が治まっていなかった。そんな彼女に三笠はやさしく語りかける。
「私もヴィッカース社で生まれました!あなたのシスターデス」
相変わらず日本語は分からなかったが、ヴィッカースという言葉は聞き取れる。その響きに懐かしさを覚え、故郷を思い出し。金剛はまた泣きだしそうになった。
「う……うぇ」
「ドンクラーイ……泣いちゃだめデース」
「……」
「アナタは戦艦デース、それもベリーストロングなバトルシップデース。あなたが望むかどうかに関わらず、あなたはこのジャパンを背負って立たないといけまセン」
意味不明だったが、それでも三笠の気持ちはなにか伝わったようだった。
「うっ……うう……うぇぇ~」
「泣いちゃだめデス」
三笠はそう言って金剛を抱きしめる。
「うう……うえええええええええん!うぇえええええええええええええ!」
そのきつく抱きしめられた痛さと、温かさと、そしてなんとなく感じた故郷の匂いとで、金剛はやはり涙をこらえきれなくなった。
「……元気な子デース」
先の日露戦争における日本海海戦で、当時最強の艦隊と言われたロシアのバルチック艦隊を、対馬沖で完膚なきまでに破った日本海軍。
その連合艦隊の旗艦を務めたのが、この三笠だった。
極東の小国が列強国のロシアを破ったという世界史的快挙、その最高の栄光を旗艦という立場で受けた三笠。
天真爛漫な彼女ではあったのだが。それでもいろいろと考えることはあったのだ。
世界は未だに平和には遠く、戦果の火種はいつ爆発するとも限らない。そうなった時にこの金剛の力は日本を守るだろう。だからこそこの子には強くあってもらいたいと思った。
もしくは……、その力が逆に日本を破滅へと追いやるかもしれないとも、三笠は恐れていた。
おりしも1913年は第一次世界大戦の前の年であり、世界は暗雲に包まれていた。
日露戦争は結局のところいくつかの局地戦闘だけで終わった、勝利した日本も敗北したロシアも。国民からすれば、まだどこか遠くで行われた戦争であった。
世界大戦における国家総力戦というものの恐ろしさをこの時世界はまだ知らなかったのである。
第一次大戦では日本はそれほど激戦に巻き込まれることもなく、金剛をはじめとする日本海軍艦艇もほとんど戦闘らしい戦闘を経験せずに終戦を戦勝国として迎えた。
しかし、そのさらにのちに起こる第二次世界大戦、太平洋戦争のことを予測できるものはこの時には誰もいなかった。
日露戦争、日本海海戦の勝利という栄光の道をひたすら歩んできた三笠ではあったが。この金剛の時代にも、はたして同じような道を歩き続けられるのか、彼女は不安だった。
もしかしたらこの子は苦難の道を歩まなければいけないのではないか。
その時の三笠には、どうかこの子はその名の通り金剛のように強くあれ、と祈るしか出来なかった。
金剛型四姉妹の残り三隻、比叡・榛名・霧島の国内建造から最新の戦艦の建造技術を学んだ日本は、その後さらなる国産超弩級戦艦の建造に踏み出す。
そして扶桑型、伊勢型、長門型、加賀型、天城型、さらに後には大和型の建造に着手していった。
戦艦は当時技術の粋と財力を結集して作られた最高の兵器であり、国家の威信をかけた戦略兵器であった。戦艦の有無で戦争の勝敗が決まるとまで言われたのだ。
しかしその大艦巨砲主義は、やがて太平洋戦争の始まりとともに幻想となって、あまりにもあっけなく消え去る。
日露戦争の戦訓から、艦隊決戦によって敵を撃滅するという戦略を主軸とした日本海軍は、その艦隊決戦の主力となる戦艦の建造に大いに力を入れていくことになる。
その一つの究極の到達点が世界最大の戦艦、大和ではあるが。その大和の就役の直前に戦艦の時代は名実ともに終わりを告げていたのである。
盛者必衰とは言うが、戦艦はその性能の極致に達した瞬間に没落したのである。そして数年の戦争の間に、多くの戦艦は失意のうちに沈み、生き残ったものももはや無用の長物と化し、廃棄されることとなる。
日本海軍の12隻の超弩級戦艦も、そのほとんどが水底に沈み、もしくは敗戦後解体された。
今現在日本に現存するかつて戦艦と呼ばれた船は、記念艦として残された三笠をおいて他に存在しない。
引退し、港に浮かびながら太平洋戦争の悲劇をただ見守ることしか出来なかった三笠は、はたして何を思ったのか。
戦艦という兵器の愚かな運命を、そして後輩の奮闘を前に何もできない自分を、呪ったのではないか。
「ハーイ!榛名、ミルクを飲むネー」
「あうあう、あうあう」
金剛の腕の中にはまだ赤ん坊の榛名が抱かれてジタバタしていた。
「霧島~飲んでください」
「わん……う~」
そしてその隣にいる比叡もまた、赤ん坊の妹、霧島に哺乳瓶をくわえさせようと奮闘していた。
金剛と三笠の出会いからいくつかの月日が過ぎていた。
金剛は今では日本風の装束を着て、どこからどう見ても日本海軍の立派な艦娘に成長していた。その妹の比叡もようやく就役し、姉と一緒に日々訓練を重ねている。
そして時間のある時にはこうやってまだ艤装中の妹の榛名と霧島の面倒を見ることにしていた。
比叡が就役するまでは金剛がその二女の面倒を見ていたのだが。
「ってお姉さま!それミルクじゃなくてミルクティーです!」
二度目の育児とはいえ、長女のやることは怪しいことばかりだった。
「え~だめデ~ス?ベイビーの時の比叡はおいしそうに飲んでたのに~」
「ひえぇ~!私、赤ん坊の時にそんなもの飲んでたんですか!」
比叡もびっくりであった。そんなものを飲まされて良くここまで成長できたなと思う。カフェインとかそういうのは、赤ん坊には良くないと思うのだが……。
「ミルクティーのほうが絶対おいしいデスヨ~」
「駄目です!ちゃんと赤ちゃん用の粉ミルクを作ってください」
「そういう比叡も、霧島さっきから一口も飲んでませんネ~?」
確かに、霧島は不機嫌そうな顔をしたままひたすら比叡の差し出す哺乳瓶を拒否し続けている。
「お、おかしいですね~。私がちゃんと調合したミルクなのに……」
「……それ、霧島の気持ちわかる気がしマス」
「え?何でですか?」
「比叡の淹れたお茶はノーセンキューデース」
「えぇ~!なんですかそれ~!!」
その姉二人の口論に刺激されたのか、榛名と霧島が泣きだした。
「あぁ~~~~ん!!」「うぇ~~~~~ん!!」
こうなるともうミルクどころではなかった。
「オウ……泣いちゃいましたネー、しょうがない子デース」
金剛は榛名を抱きあげ、さらにもう片方の手で霧島も比叡から受け取る。少し重かったが、それでも二人を顔のほうまで持ちあげた。
「榛名~ソーキュートデーーース」
そう言って榛名に頬を寄せ、スリスリする。そして霧島にも。
「霧島もベリベリプリティーデーーース」
金剛のスリスリ攻撃によって二人の赤ん坊はまんざらでもないような顔になった。
「あぁ!お姉さまだけずるい……」
比叡もスリスリしたかったのか、悔しそうだった。
「比叡も甘えんぼさんデース?」
二人を抱えたまま、少しきつそうだったが、そのまま屈み、今度は比叡に寄り添ってそのおでこにキスをした。
期せずして四姉妹が顔を間近に合わせる形になる。
「ね、姉さま……」
顔を赤くする妹を見て、金剛はただただ幸せだと思った。
生まれ故郷を離れ、最初はホームシックに泣いてばかりだったが。マスター三笠に出会い、そして妹の比叡と出会い、榛名霧島もこうやって仲良く……。
この国でこんなに満たされた生活を送れるとは思わなかった。
今では日本の戦艦としての自覚も持ち、この国を守り、戦っていく覚悟も出来ていた。自分は日本帝国海軍の金剛なのだと、誇りを持って言える。
とはいえ、イギリスを忘れたわけではなかったが。
「いつか、みんなと一緒に私の生まれ故郷までクルーズしたいネー」
「お姉さまの故郷……英国ですか?」
「ハイ、みんなに見せてあげたいデース」
「比叡、是非見てみたいです!榛名も霧島も、そう思うはずです」
いつになるかは分からないが、しかしそれも不可能なことではないとその時の金剛は思っていた。
第一次世界大戦においてイギリスは日本に金剛型の欧州への派遣を要請していた。結局その要請は日本側が受け入れずに終わったが、いつまたそういったことがあるか分からないのである。
当時日本はイギリスと日英同盟を組んでおり、その絆は深かったのだから。
「きっとそんな日も来マス!だって日本とイギリスはドーメー国デース」
出来れば平和な目的でイギリスへ行きたいとも思ったが、そういう贅沢は言えない。
その時の金剛には、まさか日英同盟が破棄され、そして日本とイギリスが戦争を始める日が来ようとは夢にも思っていなかったのである。