1944年7月 呉鎮守府
「姉さま!姉さま~~~!!」
呉の湾内にゆっくりと入港してくるひと際艦橋の高い巨大な戦艦。
島影から現れたその扶桑に対して、母港で今か今かと待っていた山城が海上を駆け付ける。
「まあ、山城?」
飛びつかんばかりに抱きついてくる妹を、姉はやさしく受け止めた。
「姉さま~!良くご無事で……」
山城はもうすでに感極まって泣いていた。そんな妹を、扶桑はよしよしと撫でる。
「山城は大丈夫だった?何か困ったことは、なかった?」
「私なんかは大丈夫ですけど!姉さまがずっ~~といなかったのは困りますよ~……心配で心配で……」
「私は大丈夫よ……こうやって無事帰って来たわ」
「……よかったです~うぇ~~~ん!!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにする山城を見て、扶桑は困ったように微笑むしか出来なかった。
ミッドウェーの敗北以降、戦局は悪化を続け。扶桑達戦艦も前線に出なければいけない状況に陥っていた。
1943年の半ばごろから扶桑は南方のトラック泊地へと赴いている。とはいえ積極的に前線に投入されることはなく、あくまでも後方の戦力保持のために控えておくといった存在ではあった。
山城も一時輸送作戦の一環として南方に来ることはあったが、それが終わるとまたすぐに日本に帰らなければいけなかった。そのため、もはや一年近くも扶桑と山城は離れ離れになっていたのである。
ビアク島をめぐって行われた渾作戦に参加はしたが、結局ほとんど何もせずに撤退した後。マリアナ沖海戦においても出撃することは無く、戦況の一層の逼迫の中、扶桑は一度母港に帰ることになったのだ。
山城としてはその間ずっと心配していたわけで、久しぶりに会う姉に対して泣きたくもなるのだった。
「姉さま!久しぶりの日本でのおいしいご飯にします?お風呂にして旅の汗を流します?それとも……」
山城の目はもはや冷静さを失っていた。
「そ、そうねぇ……お風呂にしましょうか」
「はい!喜んで!駆逐艦達に頼んで、もうお風呂は沸かしてありますから」
そんなこんなで、お風呂に入ることになったが、もちろん山城も同伴である。
「はぁ~~~生き返るわ~~~~……久しぶりの母港での入渠ねぇ」
桶ですくったお湯を全身に流し、扶桑は気持ちよさそうにため息をつく。
夏とはいえ、湯気に満たされた温かい風呂はこれまでの疲労を吹き飛ばす。
「姉さま入りますね、お背中お流しします」
濡れた髪の毛をまとめている姉の後ろに、山城が座って洗う準備をする。
と、見せかけて。
「姉さまぁ~~~!!」
その裸の背中に思いっきり抱きついた。
「きゃあ!山城!何してるの?」
肌と肌が触れ合い、扶桑も驚く。
「良いじゃないですか~~久しぶりなんだし……」
そう言いながら、しかし山城は内心で戸惑った。
いつものやわらかい姉さまのお体に触れると期待していたのに、その胴体は適度に引き締まり、数ヶ月前には無かった硬い筋肉を感じる。
肌も、いままでは真っ白で美しい珠の肌だったのに。南国の日差しにやられたのか、ほんのりと日焼けし、多少荒れていた。
姉の身体の変化に、戦場での厳しい日々を感じ。山城は何とも言えない気持ちになる。
おそらく扶桑はトラック島で待機している間にも自身の体を鍛えたのだろう。いつでも戦場に臨めるように。
その強い決意が、姉の背中から強く感じられた。
「どうしたの?山城」
「え?……いえ!なんでもありません……」
そう誤魔化して、山城は姉の背中をごしごしと擦る。
山城自身も内地において、ほとんど練習艦のようではあったが日々厳しい訓練を続けてきたのだった。
しかし、日本の中での訓練と、戦場での日々はそれほどまでに違うものなのだと改めて気づかされる。
そして、あのひたすらに優しい扶桑姉さまがもはやどこかに行ってしまったのではないかという喪失感が、胸を少し苦しめた。
また、離れ離れになってしまうのではないかと、酷く不安だった。
「ちょっと山城、痛いわ、もうちょっとやさしく……」
「あ!ごめんなさい……」
気がつくと、強く擦ってしまっていた。
「あ、いいのよ、ちょっと強いかなって思っただけ……」
それでもやはり優しい姉さまに、山城は再び心を締め付けられる。
変わっていないということに、嬉しくもあり、悲しくもあった。
「ごめんなさい……私……」
「どうしたの?」
「……」
黙りこむ山城を、すこし不思議そうに見た後、その気持ちに気付いた扶桑は、それをやさしく包み込む。
「……私こそごめんなさいね、心配ばっかりかけてしまって」
「姉さま……」
この頃、多くの艦娘が沈んで行っていた。すぐ前のマリアナ沖海戦でも、翔鶴や大鳳といった主力空母をはじめとする沢山の艦娘が撃沈されたのだ。
死は、すぐそこに迫っていた。
だからこそ、一時も離れたくないと思ったのだ。
「……大丈夫」
「私、もう姉さまと離れ離れになりたくない。ずっと一緒にいたい……もう一人で待つのは嫌……」
「大丈夫よ……これからはずっと一緒だから、どこにも行かないから」
「本当?」
「ええ……私はずっとあなたのそばにいる」
そう言う扶桑の体から、涙のように、湯のしずくが落ちた。
その約束は、やがて真実となるが。
あまりにも悲劇的な叶い方だった。
1944年10月 リンガ泊地
アメリカの艦隊がフィリピンへと向かっているという緊迫した状況を踏まえて、扶桑達はこのインドネシアのリンガ泊地へとやってきていた。
山城にとっては久しぶりの南方だった。
日本では見られない星座の煌めく、静かな夜。
そのリンガ島の補給基地を兼ねた陸上施設司令部から出てきた扶桑は、そのままいつになく速い足取りですぐそばに広がる砂浜を歩いていた。
その背後から山城が小走りで駆けてくる。
「姉さま……何の話だったんですか?」
扶桑の顔は、いつもの彼女に似合わず暗かった。
「……次の大規模反攻作戦が発動されるわ」
フィリピンに殺到するアメリカ軍に対して大規模な抵抗を行うという話は山城も聞かされていた。
捷一号作戦。後にレイテ沖海戦と称される作戦である。
その作戦には日本に残った全ての戦艦が動員され、扶桑と山城も同じ艦隊で参加することが決まっていたのだ。
「それは、知ってますが」
レイテ湾に遊弋する敵に対して大和武蔵を中心とする主力艦隊と扶桑山城を中心とする艦隊が別方向から進撃し、時間を合わせて挟撃をかける。
さらに瑞鶴達機動部隊が囮となって、敵の機動部隊を引き付けておくことで水上打撃部隊の道を開ける。
それがこの作戦の骨子だった。
「ならあなたも分かるでしょう?この作戦、確かに主力から敵の注意をそらすには効果的な案だわ。……でも、それにこれだけの戦力は要らないはずよ」
扶桑と山城、そして最上と駆逐艦四隻で敵の艦隊に突入し、一隻でも生き残って湾内にいる敵輸送船団を攻撃できればそれでいい。
たとえ全滅したとしても、大和武蔵達主力艦隊から少しでも敵の目をそらし、彼女達を援護することが出来れば、無駄死にではない。
どれだけ犠牲を払おうとも前進し続け、血路を開く。
囮としての死も厭わない。
その作戦に、扶桑は不満があるようだった。
「何を言ってるんですか?姉さま」
「私は、この艦隊から山城の排除を願い入れるよう、司令部の大和さん達に上申したわ」
扶桑の目は、怒っているかのようにしかめられている。
「私の……排除?」
「ええ、この作戦に、戦艦は一隻で十分よ。だからあなたを後方待機させるように言ったの。大規模反攻とはいえ、予備の戦艦すらいなくなるなんてそんなのはあまりにも危険だわ」
山城には姉が何を言っているのか分からなかった。
いつも優しかった姉が、真剣に戦闘のことを思案している。それが恐ろしくもあった。
「日本の守護として、あなたを内地に戻す……勘違いしないで山城、あなたを信頼しているからこそそんなことを意見したのだから」
「ねえ……さま……」
「あなたなら、銃後を任せるにも安心だわ」
そう言う扶桑の顔は、何かに焦っているかのように、その言葉とは裏腹に不安げだった。
「姉さま……これからはずっと一緒だって……」
しかし、山城もかつての約束は忘れていなかった。
「山城、そんなことは言ってられないの、戦争なのよ……我がままを言っちゃだめ」
そうは言うが、我がままを言っているのは扶桑のほうではないのか。
本来の作戦案に反して、妹を守りたいがために我を通そうとしているのが扶桑ではないか。
姉の気持ちは理解できるし有難いものだったが、あくまでも自己満足だ。山城はそんなこと全くもって期待していないし嬉しくも無い。
むしろようやく戦えるということが、やっと戦艦として国の役に立てるということが嬉しくもあった。
「姉さまの馬鹿っ!!何勝手なこと言ってるんですか!」
山城がその怒りを爆発させると、扶桑もまた感情を抑えたまま、抑揚のない声で語りかける。
「あなたは、戦争の怖さを分かってないの。戦艦だから、戦争をしたいって憧れて、勝手に思ってるだけ。本当の戦闘は、そんなものじゃないのよ?分かっている?」
「姉さまだって、まともに戦ったこともないくせに!何偉そうなこと言ってるんですか!!」
その言葉に、扶桑は黙り込んでしまう。そしてそのまま泣き崩れる山城を、しばらく黙って見ているしか出来なかった。
「やま……しろ……!」
「姉さまの嘘つき!!臆病者!!私だって!私だって……ううぅ……」
姉妹にとって、これが初めての言い争いだった。
それほどまでに、二人の仲は良かった。
しかし、長く戦場にいた扶桑と、内地で待機していた山城との感覚はいつのまにかずれてしまっていたのだ。
戦争が二人の価値観を引き裂いたのだった。
だがそれでも、二人は姉妹だった。
扶桑は跪くと、山城をゆっくりと抱いた。その着物の袖が、妹の肩を優しく包み込む。
「ごめんなさい……山城」
「私……やっと姉さまと一緒に戦えると思って」
「……」
そんな妹を、黙って抱き続ける。
涙の嗚咽が、波の音にかき消されていった。
「ぐすっ……」
「そうね……私は臆病者ね……」
「……」
「私の提案は恐らく司令部には受け入れられないわ、今更過ぎるわよね……」
「……」
「私達は一緒の艦隊で出撃することになる」
山城が、逆に姉の体を強く抱きしめる。もう決して離さないように、二度と離れ離れにならないように。
「……」
「でも、あなたが傷つく所を見るなんて私には耐えられなかった……」
「姉さま……」
扶桑も、如何に自分勝手な提案か分かっていたのだ。
でも、何をもってしても、例え山城と離れ離れになっても、彼女だけは生き残らせたいと思ったのだ。
それで山城に嫌われようとも、構わないと思った。
なのに……。
「ごめんなさい……山城……」
戦艦は、戦わなければいけない。
そこから逃げることなど、あってはならない。
扶桑の個人の気持ちでどうなることではなかった。
「姉さま、私のほうこそ……」
それがどれだけ辛いことでも。
「一緒に……行きましょう」
辺りには、綺麗な白い砂浜を洗う波の音だけが繰り返し聞こえるだけだった。
1944年10月22日 ブルネイ泊地
熱帯特有の強烈な太陽が高く昇って、海を照らし出している。
この泊地は、いつものように穏やかだ。
旗艦山城を中心に、扶桑、最上、満潮、朝雲、山雲、時雨が出撃の準備をしているが、彼女達の心情はその天気に反して穏やかではない。
「ふふ~ん、艤装のチェックはしっかりとしないと~、ね~」
「山雲、のんびりしすぎよ、他の駆逐艦はみんな準備できてるわ」
扶桑以上にふんわりとした性格の山雲と、その姉の朝雲がしゃべり合っている。
その横で、さらに姉の満潮が呆れたように二人を見ていた。
「私、なんでこんな部隊に配属されたのかしら……まったく」
この三隻は同じ朝潮型駆逐艦ではあったが、三人共にいくつかの駆逐隊を渡り歩いており、僚艦の喪失という苦渋を何回も味わいながら最終的にこの部隊にめぐりあっていた。
三人の後ろで、なんとなく所在無げに立っているのが時雨だった。
かつて十隻いた白露型駆逐艦は、今では時雨ただ一人となってしまっていた。
「僕は、ここにいて大丈夫なのかな……」
そんな時雨に声をかける艦娘がいる。
「なに、時雨ちゃん、僕もここにいるから一人なのは君だけじゃないよ」
最上だった。彼女もまた姉妹艦とは離れて一人でこの部隊に参加していた。
「最上さん……これからよろしくね」
「こちらこそよろしく」
そしてやがて全員の準備も整ったようだった。
旗艦の山城がゆっくりと全員を見回す。
「みなさん、いいですか?」
それは覚悟を促す問いかけだった。
返事など期待していなかったが、満潮だけがそれに反発するように言葉を返す。
「もう、戻ってこれないってことで良いのよね?」
その言葉に全員が動揺する。
「この作戦、全員死ぬってことよね?」
山城達、西村艦隊が今から向かうルートは、スリガオ海峡を通ってレイテ湾に向かうという最短のルートだった。
それ故に敵が待ち受けている可能性の一番高いルートとも言える。
大和達、栗田艦隊との挟撃が成功すれば希望はあるが、少しでもタイミングがずれれば全滅は必至だった。
それでも、例え全滅したとしても、そこに囮としての価値があるなら撤退はしない。
死ぬこともまた仕事のうちだということだ。
それは、暗黙の了解だったが。改めて聞かれるとなんと答えようか困る質問だった。
「目標を達成すれば、帰れます」
山城にはそう言うしかなかった。
「本気でアメ公を倒せると思ってるわけ?」
それに対する満潮の言葉は厳しい。
「ちょっと満潮、いいかげんにして」
朝雲が空気を読まない姉をたしなめるように遮る。
「でも~わたしもちょっと気になるかも~」
しかし、山雲はもっと空気を読めなかった。
「君達、気持ちは分かるけど、命令なんだよ?」
困った顔をする時雨の横で、最上が諭すように言う。
「命令なら、いっそ死ねって言われたほうが清々しいわ!」
そして満潮の言葉は相変わらずだ。
出撃前にして、艦隊の士気は良くない方向に行こうとしてしまっていた。
山城はかつて練習艦として鬼のような訓練を強いてきた経験から、生意気な駆逐艦を締めてやろうかとも思ったが、それは扶桑によって押しとどめられる。
扶桑は一歩前に出ると、ゆっくりと口を開いた。
「状況は厳しいわ……それは確かね」
その一言に、艦隊は静まりかえる。
「でも、死にに行く戦いじゃない、それも確かよ」
満潮も黙って扶桑を見つめた。
「目標さえ達成すれば、私達は帰還することが出来る。それに運悪く達成できなくても、それで帰る場所が無くなるわけじゃないわ。作戦がどうなっても、あなたたちが精一杯の出来ることをやったなら、帰る場所はあるわ」
山城すら、そんなことを言う姉を驚きの目で見ていた。
「特攻を命じられた飛行機には行きの燃料しか積まれないけど、私達にはちゃんと帰りの燃料が補給されているはずよ。それでも途中で燃料がなくなれば、他の船に分けてもらえばいい。損傷を受けて動けなくなったら、他の誰かが曳航して支え合って撤退すればいい。私達にはまだ帰ることが許されているの」
扶桑は、それでも語り続ける。
心をこめて。
精一杯作戦を遂行したうえで生環を目指す、それは矛盾したあやふやな言葉だったが、確かに皆の心に届いた。
「だから、最後まで諦めないで、生きて帰ることを信じて、その戦いから逃げないで」
満潮の顔からはもはや反発心は消えていた。他の皆も今は静かに佇んでいる。
扶桑の言葉が気休めだと言うことは分かる。
そして、作戦に反発してもなにもならないということも。
どちらにしても自分達はこの戦いに赴かなければいけない。
でも、最後の希望のあるのと無いのとでは、何かが違う気がした。
生きて帰る。
その可能性が全くないというわけではない。
戦場で勇ましく散ることこそが美徳だと言われても、このわざわざ死に場所を用意してくれたような作戦においても。
今だけは、心の中だけではその希望を信じたかった。
扶桑は山城のほうを見ると、促すように頷いた。
山城も、ゆっくりと頷き返す。
「この作戦は日本海軍史上最大の作戦となる、米国との雌雄を決する誠に重大なる戦である。まさに皇国の興廃はこの一戦にあり!!皆、天佑を信じ、全軍突撃せん!」
山城の声が朗々と泊地に響く。
「全艦抜錨!!出撃する!!」
そして、艦隊はフィリピンのレイテ湾を目指して突き進んで行った。
そこに待つ恐怖を知りながら、それでも希望を信じて。
扶桑は、海上を進みながら、赤道に近い、この抜けるような透明な空を見つめた。
気持ちが良いほどの快晴だった。
「空は……こんなに青いのに……」
その呟きは。前方を行く山城には聞こえなかった。
1944年10月25日 スリガオ海峡
「通信ありません……」
日付が変わってすぐ。空は未だに暗闇に閉ざされている。
あたりは不気味なほどに静まり返っていた。
山城達、西村艦隊はついにスリガオ海峡の入口にたどりついていた。
先ほど、その手前において敵の魚雷艇と交戦したが、こちらに被害はほとんどなく切り抜けることが出来ている。
この狭い海峡を抜ければ、目的のレイテ湾に浮かぶ敵の輸送船団と、それを守る艦隊が待ち受けているはずだった。
戦艦複数を含む強力な艦隊がそこにいることを、先ほど最上の出した偵察機が報告してきたところである。
「電波が錯綜しているのかしら……こんな時に」
これまでの進撃の途中に、艦隊は空襲を受け扶桑と山城は少なからぬ損傷を受けていたが。それでも敵航空機の大半はシブヤン海の本隊、栗田艦隊のほうに集中しており、それを考えるとまだましな損害であった。
敵の集中攻撃を受けていたら、扶桑も山城の恐らくここまで来ることも出来ずに沈んでいただろう。
「でも、早く決断しなくては」
山城は先ほどから栗田艦隊への通信を試みていたが、返信は一向に返ってこなかった。
電波が錯綜して繋がらないのか、それ以外の理由があって返信できないのかは分からないが。それは非常に困った事態だった。
タイミングを合わせた挟撃をかけないとこの作戦の意味と効果が半減以下になってしまう。
それに、敵を前にしたこの海域でいつまでも待機しているわけにもいかない。
夜が明ければまた空襲があるかもしれないのだ。
山城は、夜戦を仕掛けるのであれば今しか好機はないと考えていた。
しかし、栗田艦隊が本当にレイテ突入を敢行するのかさえあやふやになってしまっていた。
「山城……」
扶桑はその後を続けようとして、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
当初の計画にあったレイテ湾突入の時刻にはまだ早かった。
無謀な突撃は止め、とりあえず反転して様子を見たほうが良いのではないか。そして状況が好転しないのならそのまま撤退もあり得るのではないか。
後方には那智を旗艦とする志摩艦隊も続いてきているはずだった。とりあえずそれと合流するのも悪い手ではない。
そう助言したかったが、しかしそれは山城も既に分かっていることであろう。
艦隊の旗艦は山城であり、全てを決めるのは彼女なのだ。
それに口出しをして惑わせることが果たして良いことなのか。
かつて渾作戦において、敵の機動部隊発見の誤報を受けて、いち早く撤退を開始した扶桑はその後司令部から酷く叱責されたものだった。
先日の山城を艦隊から抜くことを提案したこともそうだ。
そんな臆病な自分が、臆病な意見を出すべきではない。
「……」
山城は、深く黙考していた。
今まで、ほとんどを内地で過ごしてきた。自分の出番などもう来ないのだと思っていた。駆逐艦などのほうが自分よりよほど有用な戦力だと、その事実に歯噛みした。
鎮守府に、戦場で傷ついた艦娘達が帰ってくるたびに、出撃すらできない自分の不幸を呪った。
そんな自分がようやく活躍できる場所を与えられたのだ。
国のために命を捧げられる、それは素晴らしいことではないか。
ここで突入を一旦諦めて進路を反転すれば、確かに栗田艦隊の情報を得られるかもしれない。志摩艦隊とも合流できるだろう。
しかしそうなればもう二度とここには戻ってこられないのではないかという直感が山城にはあった。
そうなれば、また後方にやられ、そして再び活躍する場も与えられず永遠に邪魔な鉄くずとして港の隅に押しやられるだけだ。
扶桑型戦艦はやはり欠陥だらけの役立たずだと言われ、そのまま終わっていくだけだ。
そんなのはもう嫌だった。
山城は前方の闇夜に黒く浮かび上がる二つの陸地、その間に横たわる海峡を見つめた。
あの先にあるのは、艦隊決戦と言う夢にまで見た栄光だ。
アメリカの艦隊は必ずその先で待っていてくれるであろう。
それに勝っても負けても、あるのは名誉だけだ。扶桑姉妹も、最後だけは勇敢だったなと言われるかどうかは、この瞬間にかかっている。
自ら地獄に突入し、華々しい死を遂げるか。
ここから逃げて、このまま死ぬまで不名誉な余生を送るか。
答えは既に出ていた。
山城は艦隊の全員を見回すと、決断を下す。
「行きましょう、夜戦を仕掛けるには今しかありません」
皆の顔が一瞬凍りつくように固まる。
山城はその間だけ、他の艦娘を巻きこんでしまうことに後悔のような念を感じたが。それでも考えを変えなかった。
そしてやがて、皆もその山城の決断を受け入れたのか、その顔は諦めのような、安堵のような、不思議な形に和らぐ。
「……いいわ」
満潮が最初に声を発する。
「最後まで付き合ってあげる……でも分かってる?この先にあるのは地獄よ」
駆逐艦が生意気なことを言うと思うが。こんな幼い彼女達のほうが山城よりも遥かに多くの修羅場を経験しているのだ。
山城は素直に礼を言いたかった。
「夜戦かぁ……やってやるわ!」
朝雲もそう言ってくれる。
「朝雲姉がやるなら~、私も頑張らないとね~」
「当たり前じゃない、山雲行くわよ」
この姉妹は、こんな緊迫した状況においてもいつもと変わらないように見せかけていた。
内心はそれでも怖いのだろう、というのが伝わってくるのではあったが。
「みんな、威勢がいいのは良いけど。海峡は狭いから、衝突に注意してね」
最上も、そのような感じで駆逐艦達をたしなめている。
「はぁ?一番気をつけないといけないのは図体ばっかりでかい貴方達でしょ?」
満潮は減らず口さえ言っている。
「あ、コラ!そういうこと言うなよぉ!」
「ふんっ」
「……あははっ」
突撃を前にしてこのような冗談を言い合うのは、おそらく彼女達が戦場で学んだ処世術なのだろう。
こんな時でこそ、緊張をほぐして戦闘に備えるほうが良いと、経験で分かっているのだ。
しかし、そんな中でも、時雨だけは緊張に体を強張らせていた。
それに対して、扶桑が労わる様に近づく。
「大丈夫?時雨ちゃん……」
「だ、大丈夫……ぼくもやるよ……でも、な、なんでだろう、震えが止まらないんだ」
この時点で作戦には大きな齟齬が起きている。
栗田艦隊との完全な挟撃が成功していればまだ生き残る可能性はあったが。この突撃で生還する見込みは極めて低い。
出撃前に扶桑の言った最後の希望は、ほとんど消えたに等しかった。
「いいのよ、それでいいの……」
言いながら扶桑は時雨を優しく包み込む。
この母親のような包容力は流石だなと、自分自身何度も世話になっている山城は思った。
「ごめん……ぼく……ごめんなさい」
「いいの、誰だって怖いわ」
「……」
満潮達の少し羨ましそうな視線の中、時雨は扶桑の腕の中にしばらく体を預けると、落ち着いたようだった。
震えは止まっている。
「内緒よ、あなたに、これをあげるわ」
扶桑が他のみんなに見えないように、自分の艤装についていた飾りを時雨の髪にとりつける。
それが山城にだけは見えた。
「ありがとう……」
茫然としたまま感謝の言葉を言いつつ、ようやく解放された時雨に、今度は山城が近づく。
その耳元で小さく呟いた。
「怖い思いをさせてごめんなさい……」
「そんな、僕は……」
「……私も、こんなものしかあげられないけど」
山城は自分の飾りも取り、時雨の髪の、姉の付けた髪飾りの横にくくりつけた。
「……ぼくばっかり、そんな」
「不幸のお守りよ、良いものじゃないんだから、あなたが最後まで持っていなさい」
「え?」
「いつか気に入らない艦娘がいたら、その子にあげなさい、大抵良くないことが起きるから」
「……そんな」
「……嘘に決まってるでしょ?捨てたりなんかしたら駄目よ」
そう言ってほほ笑む。当然冗談だったが、それでも時雨の緊張をとってあげたかった。
「……ありがとう、ぼく大事にするよ」
時雨の頭には、その髪飾りがついている。似合っていて良かったと思う。
その表情も、大分和らいでいた。
「私の方こそありがとう……」
山城は最後にそれだけ言うと、時雨のそばを離れ、再び全員を見回した。
皆、覚悟は出来ている顔だった。
「では、行きましょうか」
黙って頷く艦娘達。
「天佑は我らにあり!これよりレイテ湾に突入し、夜戦において敵艦隊を殲滅せん!!」
「はっ!!」
「恐れるな!全艦突撃っ!!」
まるでそれが避けられない運命であるかのように、艦隊の艦娘達は陣形を組み、海峡へと突入していく。
それぞれの思いを持ちながら、悲壮な進撃を続ける。
その先に待つ敵にもまた、強い思いがあると言うことを、彼女達は知らなかったし、知ろうともしなかった。
ありがとうございます
次回はスリガオ海峡海戦の話、アメリカ艦も何隻か出てきます