艦隊めもりある バトルシップウォー   作:mkやまま

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前回の続きです


(26)シュラハト

 

 

1941年5月27日 北大西洋

 

 

 朝の8時。

 深夜から早朝にかけての嵐は静まり、空には柔らかな光が満ちていたが、相変わらず灰色の厚い雲に覆われており、不安定な大気だった。

 逃げることも出来ずに佇む巨大な戦艦、ビスマルク。

 運命に抗おうとするかのように、彼女は未だその勇壮な威容を誇っていた。

 その北東から現れたのは、イギリス艦隊。

 戦艦キングジョージ五世、戦艦ロドニー。

 そして重巡洋艦ノーフォークとドーセットシャー、さらに何隻かの随伴駆逐艦だった。

 ついに最後の対決が始まろうとしていた。

 

 キングジョージ五世は不思議な気持ちに囚われていた。

 前方に見えるのは自分と同世代の戦艦だ。この戦争の為に、自分同様、国の威信をかけて建造された戦艦だ。

 フッドを沈め、プリンスオブウェールズを叩きのめした憎き敵ではあったし、先ほどまではやつを憎悪していたのだが、いざ目の前にビスマルクを迎えると、何とも言えない気持ちになった。

 傷つき、疲労しながら、なお誇り高く立つその姿に、怒りは静まり、同情のような心さえ芽生える。

 今から殺し合いをする相手には見えなかった。

 敵も自分と同じ艦娘であり、仲間がいて、姉妹がいる。

 キングジョージ五世が妹のプリンスオブウェールズを思うように。彼女もその姉妹艦を思いやるのか。

 このような気持ちは初めてだったが、しかし、やらねばならないのだ。

 感情を殺し、冷酷な兵器に徹しなければいけない。

 

 一方ロドニーにはそのような軟弱な気持ちは微塵もなかった。

 一秒でも早く敵を射程圏内に入れ、一発食らわせ、一刻も早く沈める。

 それしか考えていなかった。

 もはやフッドの敵討ちや、イギリス海軍の誇りなどという思いは頭の中に無かった。

 ただ、戦艦としての本能が、目の前の敵を沈めろと叫んでいた。

 そして、最も高い火力と射程を持つロドニーの41センチ砲が、ドラゴンの吐き出す火炎のように砲炎を放ち、戦闘は始まった。

「うおおおおおおおおおっ!!!」

 雄たけびを発しながらのロドニーの第二射は、早くもビスマルクを夾叉した。

 キングジョージ五世も、レーダー照準による砲撃を開始。

 そして、ビスマルクも当然の如く反撃を開始する。

 手負いとはいえ、敵の砲弾は猛烈であり、なんら弱々しさを感じるところは無い。そしてその砲口はロドニーのほうを狙いに定めていた。

「まず私を狙うか!いいぞ!!来い!!!」

 ロドニーは大いにそれを喜んだ。

 敵味方は互いに1万メートル以上の距離を維持しつつ、同航戦での砲撃の応酬を始める。

 いかにも形式的な戦艦同士の戦闘だった。

 

 最初の直撃を与えたのはキングジョージ五世だった。

 豊かな長いブロンド、その前髪を飾るティアラ型の最新レーダーは、この不安定な天気の中でもビスマルクを捉えていた。

 手に持つのは宝石を散りばめた軍刀。鏡のように磨かれたその刀身を鞘から抜き、頭上まで持ち上げ、一気に振りおろすと。

「ファイアーー!!」

 十門の主砲が轟き、黒い砲弾が衝撃波を放ちながら空気を突き破っていく。

 その一つがビスマルクに直撃し、炸裂し、炎上した。

 敵戦艦は着弾部を手で押えながらも、怯むことなく応戦を続ける。しかも射撃は正確さをなんら失っていない、それだけで相手のタフさが分かった。

 これは、恐ろしい相手だ。

「クソッ!!やつに一発食らわせるのは私の方だっ!!!」

 ロドニーはキングジョージ5世の砲撃を褒め、喜ぶどころか、先を越されたことにむしろ怒り狂っていた。

 もともと負けず嫌いの艦娘ではあったが、特に冷静さを欠いているように見えた。

 彼女は怒気を露わにしながらも、ビスマルクの夾叉を何度も受けている。

 互いに同行しながら、水柱の立つ位置はどちらも正確に相手を捉えていた。

 後は運の世界だった。

 先に運よくクリティカルヒットを叩き込み、相手の戦闘力を奪ったほうが勝ちだ。

 とはいえ、低速でぐるぐる回るしか出来ない、疲労困憊したビスマルクと。気力充実したロドニー、キングジョージ5世、さらにドーセットシャーとノーフォークの艦隊とでは。あまりにも差が開きすぎていた。

 そして、早くも敵の崩壊は始まる。

「だああああああああああっ!!!」

 気合いの咆哮とともに、発射されたロドニーの砲弾が、上昇しつつもやがて重力に囚われ、風にわずかに流され、敵の速度、角度、波の揺れ、空気抵抗、温度、湿度、気圧、地球の自転に至るまでさまざまな物理法則に影響され。

 しかし、それら全てを統べるのは運命だと言わんばかりに、必然的に弾丸の行方は決定する。

 ビスマルクの一撃が、フッドに致命打を与えたように。

 

「ぐあっ!!!!」

 ビスマルクの前部、一番二番砲塔の間に、16インチ砲弾が直撃し、甲板を引き裂き爆発した。

「ぐっ……まだまだっ!!!これからよっ!!」

 ビスマルクは苦痛に歯を食いしばるが、戦意は未だ横溢にして失うことは無かった。

 まだやれる。

 しかし、デンマーク海峡でドイツ側についていた勝利の女神は、今はもういなかった。

「フォイアーッ!!」

 全門斉射しようとするが、砲弾が飛び出したのは後部三番、四番砲塔だけだ。

 一番二番は沈黙を守っている。

「そんな……馬鹿な……」

 どれだけ指示を出そうが、前部二基の主砲は動かなかった。

 見ると応急修理妖精が懸命に故障を治そうと働いているが、すぐにはどうにかなるようなものではなさそうだ。

「動け……動きなさい!!」

 ここで砲撃能力が半減するのはあまりにも絶望的なことだった。

 しかし、そこにさらに敵の砲撃が飛来し、ビスマルクを水柱が包囲する。

「まだ……まだよっ!!!」

 そして、これでもかと、ロドニーのさらなる一撃が一番砲塔に着弾して爆発。

 炸裂し、衝撃に顔面をしたたか殴りつけられたようになったビスマルクはのけ反り、崩れ落ちそうになりながらもなんとか踏ん張る。

 被っていた帽子が吹き飛ばされ、プラチナブロンドが風に舞った。

「……」

 全身を這う激痛に痺れるが、ビスマルクはそれでも取り乱さなかった。もう一度、静かに前方を見据える。

 斜め後方、射線に出てきていたのはキングジョージ5世だった。やつはこちらの火力の半減を認めたのか、迂闊にも接近してくる。

「甘く見て……舐めてるの?」

 後部砲塔だけで、今度はキングジョージ5世との、クロスカウンターの如き激しい砲撃戦が展開される。

 それでも、やはり有利なのは敵のほうだった。

 キングジョージ5世の直撃弾が、ビスマルクの肩付近で爆発、金属片をまき散らし、その体を傷つけた。

「きゃあっ!!」

 顔面を襲ったそれは、彼女の両目に突き刺さり、そこから光を奪った。

「目がっ!!ああああぁっ!!!」

 血が涙のように頬を伝い、手で目を掻こうとしてその血がさらに飛び散る。

 もう何も見えなかった。

 各砲塔の測距儀から自立射撃は出来るが、統制の利かない砲撃は正確さと威力に欠けるだろう。

 対してイギリス艦隊は未だほとんど無傷。

 この時点でほとんど勝敗は決していた。

 視界ゼロで、もはやまともな反撃も出来なくなったビスマルクは、ロドニーがさらに接近し、魚雷を発射したことも、それが直撃せずに逸れて行ったことも気付かなかった。

「うう……うわああああああああああっ!!!」

 それでもなお、ドイツ戦艦は後部砲塔二基で各個応戦を続けた。

 その反撃を黙らせるようなキングジョージ5世の、剣を振り下ろすような一撃。

 三番砲塔に直撃弾が命中し、沈黙する。

 もうそこから恐るべき砲火は出てこない。ただ、頼りない煙を上げているだけだ。

「くそっ!!があぁっ!!イギリスめぇっ!!!」

 ビスマルクにはもう四番砲塔しか残されていなかった。

 手元に残った最後の剣、しかしまだ諦めの気持ちは微塵も無い。

 まだだ、まだやれる。

 ビスマルクの戦士としての強靭な精神は、このような絶体絶命の窮地でも折れることなく。一瞬の混乱と焦燥は今はなりを潜め、冷静さを取り戻していた。

 目は相変わらず見えないが、それも問題なかった。

 感覚を研ぎ澄まし、レーダー、砲声音、水中音を探知し、周囲の状況を把握、そして四番砲塔に全てを預ける。

 野生動物の勘と、精密機械の正確さで、暗闇の中で針の糸を通すかのように、全神経を集中した。

「当たれっ!!」

 渾身の一撃は、まっすぐにロドニーの元へ飛翔し、ついに牙は敵を捉える。

 

「ぐはぁっ!!!」

 頬に思いっきりカウンターを喰らったようにのけ反るロドニーは、しかし本当にマゾヒストかのようにそれを喜んでいた。

 ビスマルクの脅威の一撃は、ロドニーの艦首付近に直撃し、周囲の艤装、特に魚雷発射管を破壊する。

 魚雷が誘爆していれば数発の魚雷が一斉に甲板で爆発することになり、下手をすればフッドのように一撃轟沈もあり得たのだが。奇しくも先ほど魚雷を発射したばかりで、その発射管には装填されていなかった。

 運命は、明らかにイギリスの側に傾いている。

「はっはっ!!!これだ!この痛みだ!!もっと!もっと来い」

 一歩間違えれば致命傷を受けかねない、このギリギリの戦闘を、ロドニーは楽しんでいた。

 横を見ると、キングジョージ五世は持病のように、いつもの砲塔の故障に悩まされていた。

 使用不能の砲門が多数あり、それを随時直しながらなんとか砲撃を続けている。

 プリンスオブウェールズでも同様の故障が起きていたように、この姉妹艦特有のポンコツっぷりがまたしても露呈していたのだ。

 まあ、それもむしろ有難い。味方に邪魔されなくて済むというものだ。

 そして、前方を向き直すと、そこにはやはりまだビスマルクが立っている。

 怯える様子も、恐怖に立ちすくむ様子も無い、直撃弾多数を受けて満身創痍になりつつも、まだ堂々とそこに存在していた。

「もっとだ!もっと撃ってこい!!」

 ロドニーは歓喜しながらそう叫んでいたが、同時に恐怖していた。

 これだけの砲撃を受ていたにもかかわらず、敵は沈む気配が全くなかった。

 砲塔などの攻撃力こそ奪い、甲板上の各構造物は破壊しつつあったが、その本体である艦の中枢、機関部などには未だ全くダメージを与えた手応えがない。

 ビスマルクの強固な装甲を貫けるのは、ロドニーの16インチ砲だけだと思われるが、装甲を貫通出来た気配は全くなかった。

 この化け物のように固い戦艦を、自分は本当に沈めることが出来るのか。

 もともと火力も乏しく、故障に悩まされ、あたふたしているているキングジョージ五世では到底無理だ。

 やるなら自分しかない。

「来い!!来いよ、いかれたナチス野郎!!!」

 接近しつつ発したロドニーの挑発が聞こえたのか、ビスマルクの顔がこちらに向く。

 その顔は流れる血で汚れていた、目は見えないようだったが。その閉じた瞳で射抜かれたような殺気を感じる。

 突如、破壊したと思われていた敵の一番砲塔が旋回し、こちらに向くと、強烈な閃光を発し、爆炎と共に砲弾が射出された。

「なにっ!!?」

 視覚で発射を認識したと同時に、ロドニーのすぐ脇を砲弾が突き抜けていく。その衝撃波が不気味に頬に伝わるのが分かった。

 弾着は後方だったが、下手をすれば直撃していたかもしれなかった。

「ロドニー!何をやっておる!近づきすぎだ!!」

「お、おお……」

 後方からキングジョージ五世が不完全な砲撃を放つ、数が少なく寂しい砲弾は、しかし正確さは極めて高く、まさに息を吹き返したばかりの敵一番砲塔に直撃した。

 さらに四番砲塔にも砲弾が直撃し、一門が使用不能。

 ビスマルクに残ったのは四番38センチ連装砲の片方、最後の一門のみとなった。

 これが、最後の最後だった。

「おおおおおおおおおおおおっ!!」

 叫ぶビスマルク。

「だあああああああああああああっ!!!」

 それに答えるロドニー。

 しかし、一門の砲では如何ともしがたく、ロドニーの放った砲弾が、四番砲塔に再び鉄槌を下し。

 そしてついにビスマルクの全主砲が破壊され、沈黙した。

 戦闘能力をほとんど失い、浮かぶ鉄の棺桶となったのである。

 凶悪な主砲を失い、ただ立ちつくすだけとなったビスマルクに、ロドニーは勝機を見て最接近した。

 距離3000メートル。戦艦同士の砲撃戦でのこの距離はあり得ないほどの近さだ。

 そして無防備な敵の懐に入り込み、至近距離から猛ラッシュを浴びせんとする。

「ビスマルクっ!!!」

 そこで初めてロドニーは敵の名を叫ぶ。

「腐れイギリスめぇっ!!!」

 ビスマルクの口からは擦れた声の侮蔑とともに、血が飛び出していた。

「私は、ロドニーだっ!!戦艦ロドニーだぁっ!!!!」

 腹部、水平装甲を突き上げるように、渾身のストレートが決まる。

 さらに体中を全力の弾丸が殴りつけた。

 装甲の裂ける音、砲弾はついにその中枢に届いた、その手応えが確かにロドニーにはあった。

 流石に体を突き飛ばされ、大きくのけ反り、意識朦朧と足もおぼつかない様子のビスマルクだったが。足を滑らせつつ海面に踏ん張ると、再びファイティングポーズをとるかのように、ロドニーに向き合った。

 ロドニーは再び恐怖した。

 自分の全身全霊、渾身の一撃を受けて敵はなお立っている。

 そして、何故かここにきて、さっきまで頭の隅に追いやっていたフッドの記憶が蘇った。

 フッドの面影が、たいして似てもいないビスマルクと重なる。

 意味が分からなかった。

 これは、自分が決して越えられない存在として、フッドとこいつを同一視しているとでもいうのか。

 永遠に届かない、それでも何としてでも越えたい存在、それがあっけなく力を失い、沈んでいく。

 そんな無情を、重ねているのか。

 フッドは、わずか一撃で沈んだのに。敵は、ここまで砲撃を受けながらなお立ち続けている。

 フッドは沈むことによって永遠の高みに登り、もう二度とこの手は届かない。

 そして彼女を沈めたビスマルクは、未だ沈む気配も見せずに立ちはだかっている。

 まるで、本当に不沈艦とでも言うように。

 届かない……。

 自分の無力さにロドニーは泣きそうになった。

 それを誤魔化すように、さらなる猛ラッシュを繰り返す。

 完全無防備な敵戦艦の頭に、顎に、ボディに、なんどもストレートを叩き込む。

 さらにキングジョージ五世や、ドーセットシャー、ノーフォークが囲みながら砲弾を浴びせ続けた。

 機関銃の十字砲火の如く、これでもかとばかりの砲弾をビスマルクはその一身に受ける。

 この飽和するほどの猛攻を凌げる戦艦などいるはずがないと、どのイギリス艦も思った。

 黒煙を吐き、弾薬庫が大爆発を起こし、艦橋や砲塔など様々な構造物が砕け、飛び散り、鉄くずの廃墟となっていく。

 それでもなお、傷は致命傷には至らず、ビスマルクは死ななかった。

 

 猛攻の前に、ビスマルクを立たせていたのは一つの思いだった。

 もう一度、ティルピッツに、プリンツ・オイゲンに会いたい、彼女たちを守れるのは自分だけだ、自分がいなくなれば、彼女達は虐げられる、それだけは避けなければいけない。

 それだけだった。

 

 19世紀、歴史はあるが、分裂した小国の集まりであったドイツは、その中の一つの国、プロイセンの主相ビスマルクによって統一された。

 それ以降、ヨーロッパの大国として存在感を示し、ビスマルクは卓越した外交手腕により欧州での絶妙な均衡を作り出す。いわゆるビスマルク体制というものだ。

 ドイツ統一以降、ビスマルクのもとで西ヨーロッパにおける大きな戦乱は無かったのだが。それも彼の引退後、若きドイツ帝国のカイザーは好戦的な外交を続け、そしてついに欧州全土はおろか、世界中を巻き込んだ人類史初の世界大戦が勃発する。

 しかし、フランス、イギリス、ロシア、イタリア、アメリカ、日本という大連合の前には、随一の強国となったドイツの、いかなる奮戦も空しかった。

 そして、ドイツは大敗北を喫する。

 皇帝は退位し帝政は失われ、多くの領土、植民地を奪われ、膨大な賠償金を請求された。

 戦争の全責任はドイツに背負わされ、搾取され、踏みにじられた。

 誇り高いドイツ民族は、敗北と降伏により、一気に欧州の底辺へと落とされたのである。

 あまりにも巨額な賠償金の前にドイツ経済は破綻し、苦しい生活を強いられた国民には不安と不満が蔓延した。

 だが、なにより心にわだかまっていたのは、民族の誇りを穢されたことだった。

 その思いを吸うようにナチスは登場し、やがて熱狂と共に支持されるようになった。

 そして、再び世界大戦は起こる。

 このような大規模な戦争はナチス党の総統、ヒトラーですら予想外のことであったが。ある意味必然的なことであったのだ。

 奪われた誇りは、再び戦争で奪い返さなければいけない。

 負ければ、待っているのは苦難と屈辱だけだが、勝てば栄光と褒賞があるのだ。

 ドイツ国民という優秀な民族の誇りを取り戻す戦い。それが噴き出た結果が、戦争となって現出したのだった。

 負ければ奪われるだけだ、大切なものも、何もかも。

 その思いが、戦艦ビスマルクにもあった。

 負ければ妹達は奪われ、凌辱されて殺されるだけだ。

 それだけは避けなければと思い、ビスマルクは立ち続けた。

 戦闘能力を失ったとしても、浮かんでさえいれば、港に帰り、修理してまた出撃できる

 どれだけ絶望的な状況になろうとも、その最後の希望だけを信じて、それが彼女の執念となった。

 もう一度、妹に会いたい。

 最後に残ったのは、その言葉。

 

 しかし、それもここまでだった。

 もはや勝利も、生還も見込めない艦がとるべき道はただ一つ。

 自沈だ。

 最悪の展開は、ビスマルクをイギリスに曳航され、修理されてイギリス戦艦として取り込まれることだ。

 そうでなくとも、その船体を研究され、技術を奪われる可能性もあった。

 それだけは避けなければいけない。

 だが、イギリスはビスマルクを曳航する気など、蚊の脳みそほども無く、微塵も考えていなかった。

 恨みのこもった忌々しい鉄の塊は、海に沈める以外に選択肢は無かった。例え未来の戦力となったとしても、それよりも大事なのはイギリス海軍の誇りだ。

 曳航は、絶対的にあり得ないことだった。

 それでも、ビスマルクの艦内妖精たちによって、爆弾による自沈処置は粛々と進められていた。

 ビスマルク本人は、朦朧とした意識の中で、それを黙って容認していただけだった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 ロドニーは疲れ果て、もはや涙していた。

 四隻で囲み、数えきれないほどの砲弾と魚雷を叩き込んだにも関わらず、ビスマルクは未だ健在だった。

 機関はまだ生きており、僅かながらではあったが、進んでいた。

 甲板上のものはどれも粉々に砕け散って見るも無残であった、火災が発生し煙を上げて炎上していたが、それでも彼女はまだ沈むそぶりすら見せなかった。

 体中血にまみれボロボロになり、両腕はもがれ、頭からは血を流していたが、なおドイツの最新鋭戦艦は海に浮かんでいた。

 その姿に、ロドニーはさっきから涙があふれて仕方がなかった。

「はぁ……はぁ……わ、私は……」

 二時間に満たない時間ではあったが、全力の戦闘だったと自負している。手加減は一切なかった。全能力を注ぎ込んだつもりだった。

 なのに敵の撃沈には届かなかった。

 これまでの追撃により燃料も残り少なくなり、砲撃は中止されることになった。

 ロドニーとキングジョージ五世は徐々に敵の元を離れて行く。

 悔しいというより、ただただ悲しかった。

「私は……」

 あの美しく、勇壮で、誇り高い艦影も。今は惨めに崩れ去り、面影は無くただの浮かぶ鉄くずになっている。

 自分がやりたかったことは、本当にこんなことだったのか。

 ロドニーは戦艦としての性を呪わざるを得なかった。

 そして何より、自分の無力さを嘆いた。

 幽鬼のように、茫然と漂うビスマルクを見ながら。その向こうにフッドを見ていた。

 あのライバルの、忌々しいとしか思えなかった笑顔が、無性に懐かしかった。

「ああぁ……ああああああ……ああぁぁぁああぁ……」

 嗚咽するロドニーのそばに、キングジョージ五世は優しく寄り添い、肩に手を置いて慰めた。

 勝利したはずのイギリス艦隊は、歓喜も無く、なぜか意気消沈してた。

 

 唯一魚雷を残していた重巡ドーセットシャーがビスマルクに接近し。最後の魚雷を放とうと構え。

 そして発射した。

 二本の魚雷が敵戦艦に直撃し、巨大な水柱を上げる。

 しかし、その直前にビスマルクの艦内では自沈用の爆弾が爆発し、その船体は内部から破壊されつつあった。

 彼女は静かに沈下していき、横倒しになり、波にたゆたった後、ついに沈没した。

 

 その報は、本国のイギリス海軍を沸き立たせ。対するドイツ海軍は愕然とした。

 ビスマルクと別れ、大西洋に一人通商破壊作戦を実施するはずだったプリンツ・オイゲンは。結局、すぐに機関の不調を起こし、6月1日に姉さまの待っているはずのブレストに帰港し、そこで彼女の死を知った。

 ゴーテンハーフェンで、姉の沈没をの報を受け取ったティルピッツの悲しみは、言うに及ばずである。

 

 イギリス海軍の誇りをかけ、艦隊の出せる全ての戦力を投入して追撃をかけたこのドイツ戦艦は、10時39分にフランス、ブレストの西方の海域にて沈没する。

 作戦を通してのビスマルクの被弾は、あくまでも推定ではあるが、魚雷10本前後、砲弾400~600発であり、これは驚異的な数字であった。

 最後の戦闘において、比較的早くに主砲を潰され戦闘能力を失ったことは、確かに欠点であった。

 本来戦艦は、あくまでも沈む直前まで主砲を撃ち続けなければいけないからだ。

 しかし、もともと戦力の乏しいドイツ海軍、それも通商破壊のために作られたビスマルクは、戦闘能力の維持よりも、生還能力を優先された。

 浮かぶ鉄くずとなっても帰還し、修理してまた出撃することを期待されたのである。

 その設計思想は、この戦闘において恐ろしいまでに発揮された。

 だが、結局彼女が祖国に帰ることは無かったのである。

 

 ビスマルクの沈んだ翌月。

 ドイツは不可侵条約を結んでいたはずのソビエト連邦へと進撃を開始し、首都モスクワへと猛攻を始める。

 貧弱なソビエト軍を次々と蹴散らし、勝利は確実と思われたドイツ軍。

 さらに1941年12月には日本が枢軸国側で参戦し、連合国に激震を走らせた。

 しかし、それがドイツの絶頂期だった。

 ロシアの冬将軍を前に進撃を止められたドイツ軍は、ついにモスクワにはたどり着けなかった。

 その後、ロシアの奥地から無尽蔵に湧いてくるソビエト兵の前に、徐々に押しやられていったのである。

 そして、日本の参戦はむしろマイナスに働いた。

 傍観していたもう一つの大国。アメリカを目覚めさせてしまったのである。

 以降、アメリカの本格的介入によりアフリカ、イタリア、フランス・ノルマンディーと押し返しを始めた西部戦線。

 圧倒的戦力をそろえ始めたソビエト軍の反撃が始まる東部戦線。

 両局面に挟み撃ちにされ、ドイツは敗退への道を歩んでいった。

 

 ドイツ優勢の中で沈んだビスマルク。それに対して残されたティルピッツの運命は、姉が危惧した通りに悲惨なものだった。

 

 

 

 

 




読んでいただきありがとうございます

次回は短めですが、この後のティルピッツの話です
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