帰宅して制服の上着をかけ、俺はソファに座った。
今日一日こころを見てきたが、あの様子ならば、少し危ういところもあるがよほどの事がない限りまずばれないだろう。多分ちょっと表情が硬い子くらいで通せる。
「とりあえず着替えないと……あ」
あることが気になってこころに声をかける。
「なあ、そう言えば着替えって持ってきてるのか?」
「はい、制服と部屋着だけは持ってきてます」
それを聞いて安心する。とりあえず着替えに困ることはなさそうだ。
「じゃあ着替えとけよ、制服はそこにかけといて」
「分かりました」
こころは俺の指差したとおりの場所に上着をかけた。
「さて、俺も着替えるか……っておい、何やってるんだよ!?」
俺が一瞬目を離した隙に、こころはシャツのボタンを外して脱ごうとしていた。何を言っているか分からないとでも言うようにこころは首をかしげた。
「何って、着替えですよ。真人が言ったんじゃないですか」
「確かに言ったけども……!」
こうして話している間にもこころは脱いだシャツを投げ捨てスカートに手をかけていた。思わず目を手で覆い隠す。とにかく着替えを中止させなくては。
「ちょっと待て、一旦着替えストップ!」
「はあ」
言うとやっと着替える手を止めた。だが相変わらず半裸の上半身は隠そうともしない。
「あのな、着替えるなら自分の部屋でやれよ」
「どうしてですか?」
「どうしてって……お前に羞恥心ってものは無いのか?」
「しゅうちしん?何ですかそれ?」
聞いたことも無いとでも言うような口調で言った。それで理解した、多分こいつは羞恥心が無いというか、そもそも羞恥心とは何かというのを知らないんだ。こういうところが父さんの言っていた『不完全な部分』なのだろう。なので説明しようと思ったのだが、なかなか言葉にできない。言われてみると、羞恥心とはどういうものかと説明するのは非常に難しい。恥ずかしく感じる気持ちだと言えば普通は伝わるのだろうが、そもそも恥ずかしいという感情を持っていないのだから分からないだろう。
「あのなこころ、普通は異性のいるところでは服を脱がないんだよ」
とにかく、せめて人前で着替えるのはよくないということだけでもどうにか分からせておかないと。毎日こんなことがあってはたまらないし、後々もっとまずいことをやらかすかもしれない。
「どうしてですか?」
恥ずかしいから、というのは通用しない。ならば、周りへの印象という点から攻めてみよう。
「そりゃあ……あれだ、まわりの人が困るからだよ」
「どうしてですか?」
「普通の人は、他人の着替えとか裸なんて見たくないものなんだよ」
「なるほど、そうなんですか……」
そうなのかとうなずくこころ。どうやら俺の説得は効果があったようだ。これでもうこんな事は起こらないはず……
「……じゃあ、どうして真人は私のことをじっと見てるんですか?」
「……え?」
「え、じゃないです。見たくないとか言ってるくせに、指の間から私の身体を凝視してるじゃないですか」
「あー……」
言われて言葉に詰まる。もう少しのところで思わぬ反撃を受けてしまった。
けど仕方ないじゃないか。目の前で、相当な美少女が半裸を晒しているなんてことがあったら。
いけないと分かってても、つい見てしまうのが男ってものじゃないか。
だが、そんな男の性、いま話してもただ話がこじれるだけ、むしろ『喜ぶなら目の前で着替えてもいいじゃないか』みたいに悪化してしまう可能性もあるので言えるわけがないしそもそも説明したくもない。そんな諸事情から黙っていると、先にこころが口を開いた。
「……そういえば、前に何かで見たことがあります」
「何をだ?」
何故かとてつもなく嫌な予感がする。
「世の中の人はだいたい異性の身体に興味を持ってるとか。それで真人みたいに、他人の身体に興味を持ってないふりをしながら実はしっかり見てる人の事を……そうだ、むっつりスケベって言うんですよね?」
「間違ってるよ!」
思わず叫んでしまった。普通に変態と言われるよりも数倍傷つく。
「それで、そういう人は普通の人よりもずっととんでもない事を考えているとか。……そう思うと、真人の視線が急に不快になってきました。……ちょっと、こっち見ないでくださいよこのむっつり」
「理不尽だ!」
向こうが勝手に脱ぎ始めたのに変態扱いされた。そりゃあ、確かに見ていたこっちも悪いが、脱ぎ始めた向こうのほうがもっと悪いと思う。こころは脱ぎ捨てたシャツで上半身を隠しながら自分の部屋に入っていく。
「じゃあ私はここで着替えますので。決して覗かないでくださいね」
「誰が覗くか!」
そう言い残してこころは部屋に入っていった。まだ羞恥心とは何かということは完全には分かっていないものの、とりあえず異性の前で服を脱いではいけないということは分かってくれたと思う。その代わり何かを失った気もするが、そこは気にしないでおこう。
……それにしても、本当に普通の人間と見分けがつかなかったな。あの白くて柔らかそうな肌とか……
「……」
「ところで真人」
「なぁッ!?」
いきなりこころがドアを開けて頭だけを覗かせた。
「……今、何を考えていたんですか?」
「いや、別に、何も?」
こころが俺をじっと見つめる。表情はいつもと全く変わっていないが、さすがに今回はその心情が理解できた。あれは確実に疑っている目だ。
「……そうですか。それより、今日の夕飯はハンバーグというものが食べてみたいです」
「そうか」
夕飯のリクエストだけしてまたドアの向こうに消えていった。出てこないことを確認して深くため息を吐いた。非常に疲れた。だがここで休む訳にもいかない、早く着替えて準備をしないと。
素早く制服から部屋着に着替えて台所に立つ。今日の夕飯は今が焼き魚だ。幸い二匹づつで売っているやつを買ったので数は足りている。既に決まっているので残念ながらこころのリクエストには応えられないがそこはまあ仕方ない。
手早く夕食の準備をしていると着替え終わったこころが部屋から出てきた。髪をほどき、淡い桃色のネグリジェに同色の平べったいナイトキャップを被っていた。部屋着というか、完全に寝るための服だった。こころは俺が料理していることに気がつくととことこと近寄ってきて、肩越しに鍋の中を覗き込んだ。
「何を作ってるんですか?」
「味噌汁だ」
「そうですか。それで、ハンバーグはどこですか?」
「無いよ」
「えっ」
残念そうな声を出す。そんな声出されても、無いものは無いのだから仕方がない。
「いきなり言われても作れないぞ、もう夕飯は決まってたし」
「えー……じゃあ、今日の晩ご飯は何ですか?」
「焼き魚と味噌汁とご飯。嫌いだったか?」
「いえ、そもそも食べたことないです」
「じゃあいい機会だ、とりあえず食べてみろ」
「……しょうがないですね。けど、いつかハンバーグ作ってくださいね?」
「ああ、いつかな」
約束するとこころは納得してくれたようで、台所を出てソファに深く座ってテレビを見始めた。それより手伝えとも思ったが、もう手伝ってもらうようなことも無いので放っておいた。
しばらくして食事が完成したので食卓に並べ早速食べ始めることにした。二人で向かい合って手を合わせる。思えば、こうして家で誰かと食事を共にするのは久しぶりだった。
「どうだ、美味いか?」
不慣れな手つきで箸を使って食べるこころを見て聞いてみた。自分としては、結構うまくできたと思っているのだが。
「……そうですね、初めて感じた味ですが、悪くないと思います、美味しいですよ」
「そうか、よかった」
口にあったようで、次々と目の前の料理を平らげていく。やはり自分の料理が美味しいと言われるのは嬉しいものだ。安心して俺も料理を食べ進めて行く。
「……ところで、こころは食べ物の好き嫌いとかあるか?」
この先毎日こうして食事を作るので、好き嫌いは把握しておいた方がいいだろう。そうすれば後から面倒が無い。
「あんまりです。そもそも、ちゃんとした食事というものをあまりしてこなかったので」
「そうか……」
「けど時々研究所の人から色々貰ってました。クッキーとか飴とか。あ、特にチョコレートは美味しかったです」
見事にお菓子ばかりだった。普通の人間なら体調を崩すに違いない。好きな物ばかり食べても大丈夫という点ではこころが羨ましいと思う。
「そうだ、これからは毎日夕飯はチョコレートにしましょう」
「勘弁してくれ……じゃあ、とりあえず作るものは何でもいいってことでいいか?」
「はい、大丈夫です。期待してます」
「おう、任せろ」
誰かが食べてくれるとなればやる気も出てくる。できるだけ美味しい料理を作ろう。
その後も、これまでに食べたお菓子や食べたことのないお菓子など他愛無い話をしながら、久々の誰かとの夕飯を楽しんだ。
夕飯も食べ終わり風呂も済ませ(こころも一応風呂には入るらしい)、俺たちは二人でゆっくりテレビを見ていた。見たい番組が終わって時計を見ると、既に夜の十二時を過ぎていた。
「さて、そろそろ歯磨いて寝るか」
洗面所に行こうとすると、こころも同時に立ちあがった。
「そうですか、それじゃあ私も寝ます」
「……アンドロイドって寝るの?」
「エネルギー消費を減らすためスリープモードになります。それに充電も必要ですし」
寝ている間に充電するらしい。やはり食事のエネルギーだけでは足りないようだ。
「なのでもう寝ます。おやすみなさい」
部屋に戻ろうとするこころ。その肩に手をかけて引き止めた。
「ちょっと待て、寝る前にちゃんと歯を磨け」
アンドロイドと言えど、物を食べたら歯を磨くべきだ。虫歯にならなくても食べかすが残っている事もある。そうなると臭くなるかもしれない。
「別にいいじゃないですか、歯磨きしなくても虫歯になんかなりませんよ」
「じゃあ別に風呂に入る必要も無いだろ、汗もかかないんだし」
「お風呂は気持ちいいから入ります、けど歯磨きは気持ちよくないから嫌です」
「お前な……」
そんな事を言って歯磨きから逃れようとする。どうにか説得を試みてもこころは聞く耳を持たない。こうしているとまるで小さい子供を扱っているような気分になってくる。多分このままだとどうやっても歯を磨かないだろうと判断した俺はこころを待たせて別の場所へあるものを取りに行った。そしてそれを後ろ手に隠し再度こころに近づく。
「何ですか?何をしても私は歯を磨きませんからね」
依然として警戒を解かないこころに優しく語りかける。
「……悪いな、やっぱり俺が間違ってた。無理矢理やらせるなんて酷いよな」
謝罪の意を見せると、こころは少し警戒を緩めたようだった。だが、さすがに急すぎると思っているのか完全に警戒を解こうとはしなかった。
「そうですよ、反省してください」
「ああ、深く反省した。……だから、お詫びのしるしとしてチョコレートを持ってきた」
「チョコレート!?」
チョコレートと聞いて途端に目を輝かせる。警戒は完全に吹き飛んだようだ。悲しいくらいに単純なやつである。申し訳なさそうなふりを続けながら話を続ける。
「ああ、そうだ……受け取ってくれるか?」
「ええ、ぜひとも!」
「そうか、じゃあ目をつぶって口を開けてくれ」
「あ~……」
全く警戒しないで大きく口を開けた。騙している人間が言うのもアレだが、もう少し人を疑うことを覚えたほうがいいと思う。こころが急かすように口を開けているので、俺は遠慮なくその口にチョコレート……ではなく歯ブラシを突っ込んだ。
「あ゛ーー!うあ゛ーーあ゛ーーーー!!」
「フハハハハ、かかったなアホが!」
こころが気づいて抵抗するがもう遅い。口を押さえて歯ブラシを動かし強制的に歯磨きを執行する。前歯はもちろん奥歯も、歯の裏側など隅々まで磨いていく。
「あ゛ー!あ゛ー!」
こころもあーあー叫びながら激しく抵抗してくる。片方の手で歯ブラシを持つ手を押さえもう片方の手で顔をぺちぺちと叩いてくる。と言っても、力は普通の女の子と大差ないので、痛いとは思うが引き剥がされはしなかった。ささやかな抵抗に耐えつつ、五分くらい歯ブラシで念入りに磨いた後に解放してやった。結構暴れていたので口のまわりは歯磨き粉が垂れたりして少し汚れてしまっていたが、われながらいい事をしたと思う。
「よし、と。ほら、うがいして口のまわり拭いてこい」
だが、こころは洗面室に行こうとせず俯いていた。何事かと心配していると、ゆっくりとこころが顔を上げた。その表情を見て思わず凍りついた。
こころは無表情だった。それだけなら普通なのだが、明らかに雰囲気が違う。大体の見た目は変わらないのだが、目が据わっている。
「……真人」
「……はい」
さっきまでとは全然違う、怒気をこれでもかと言うほどはらんだ声に圧倒される。怒りの感情はここまで表現できるんだなとか、そんな事を考えている場合ではない。
「私、襲われた時のためにスタンガンを内臓しているんですよ」
「……はい、存じ上げております」
「けど私、実は一回も使ったことないんですよ」
こころが段々近づいてくる。右手の指の間に青い電気みたいなものが見えるし、バチバチと音が聞こえる。怖すぎて声が震えてくる。逃げ出したいが、残念な事に壁を背にしているのでどうしようもない。
「……左様でございますか」
「だから、試しに使ってみようかなって思うんですよ……いいですよね?」
あくまで疑問系で聞く。だが、俺には分かっている。この質問への答えは、はいかイエスかしか存在しないという事を。俺の返答を待たず、首に手が置かれた。
「あ、あの、本当にごめんなさい、もうしません」
無駄と思いつつもとりあえず謝る。こういうのは誠意を見せる事が大事だと聞いた。
「謝らなくていいんですよ……どうせ許さないですから」
「ひッ……!」
「歯を食いしばってください」
「ちょっと待ってごめんなさい許してもうしませ―――ッ!」
首に流れる電流を感じながら、俺は思った。
……やっぱり、人の嫌がる事はしちゃいけないよね。