燃える日   作:徳用もやし

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雨宿りの不在Ⅰ

今日は朝こそ晴れていたものの、何時間目からか雨が降り始め、今も小雨が降り続いている。空はどんよりとして、雨粒が生徒昇降口の軒を叩く。いくら今日が金曜で明日が休みでも、これだと帰りが億劫で仕方がなかった。

それでも帰らないといけないから、僕が立ち止まっている間にも、名前や顔を知らない生徒達は傘を差したり駐輪場に走ったりして着々と帰宅に近づいている。それに習って、僕は駐輪場に走ればいいんだけど、どうにも。

雨は嫌いだ。合羽を着るのが面倒だし暑いし不格好だから。女子はそのへん妥協が早いと言うか、物分かりがいいけれど、僕みたいな男子はそうもいかない。多少の雨なら濡れないことより、濡れること以外の快適さを選ぶ。

でも、まあ、梅雨だ。慣れるか濡れるしかない。僕は後者を選んだ。

 

最初こそ気にしなければ風邪をひくこともないだろうし、どうにでもなりそうな雨だったが、校門から出て少し行く頃には雨足が強まってきた。

合羽の呪縛からは逃れられないようだ。あれはどこまででも追ってくる。退き際を見誤らないようにしなければ。

どこか軒下に入って、呪いにこの身を浸そうかと考えていたら、そこに彼女は立っていた。この雨の中、傘も差さずに、だ。

多くの生徒が通学路としている道から逸れたこの脇道の、雨を遮るものの無い道路の脇に。

誰かや何かを待っているんだろうか。でも、それなら軒下ででも雨宿りするだろう。

じゃあ、どうしてあの子は帰る素振りも見せずにあんなところに立ち尽くしてるんだ?

遠目で見ても、僕と同じ学校の女子制服は雨に濡れ、透けて肌に張り付き、灰色のスカートも水を吸って重たそうな色をしている。なのに、彼女はそれに構わず僕のいるほうを––––––僕の来た道のほうを見ていて–––––––目が合った。

この子は普通じゃない。それがずっとそうなのかは分からないけど、今だけは確かに言える。背中に冷気が走った。少し、怖かった。

けれど、僕が自転車を漕いでいる限りその距離は縮まっていく。彼女はその間も僕を見ていた。気のせいではないらしかった。

近づくにつれ、次第に彼女の細部が見えてくる。腰まである黒髪は濡れて額に、頬に見苦しくない程度に張り付き、豊富なまつ毛に縁取られた宝石みたいな目が僕を見ていた。雨で体温が下がって、色白の頬に赤みが差している。小さな口が、何かを言おうとして戦慄く。

僕は魔が差して、見過ごして通り過ぎることを忘れた。どころか、通り過ぎる寸前、自転車を停めさえした。

そして僕は言葉を待つ。

もしこれが大いなる勘違いなら、「これ、使ってください」とか何とか言って合羽を置いて逃げ去るだけだ。その場合、変なやつなのは僕だけど。

彼女の唇の震えは止まる。

「––––––ボクと、一緒に暮らしませんか?」

………………は?

 

どうやら僕は変なやつにならなくていいみたいだ。この子、言動すべてが普通じゃない。

僕が返事に窮している間も雨は降り続けて、彼女も僕も為す術もなく雨に打たれる。沈黙をかき消してくれるのは助かるけれど、雲行きはどんどん怪しくなって、横殴りに僕達を苛む。

彼女はまだ僕を見ている。気のせいと言うには無理がある。立ち止まったなら、ここから無視はできない。責任がある。責任はとらないといけない。

彼女の前髪から滴る雫を見ながら僕は答えを急いだ。なんだかよく分からないが、風邪をひかせないよう努める責任もある気がした。

「どういう冗談か知らないけどさ、付き合うから場所を変えよう。風邪ひくから」

家帰るのも面倒だし。答えとしてはこんなところか。

「じゃあボクの家きて。この近くだから、それでいい?」

「ああ、いいよ」

考える素振りも見せずに彼女が言うので、何も考えずに返事をする。手短にすませられるなら、それでいい。

僕は自転車の前カゴに手を伸ばして積んであった合羽を手に取り、彼女に渡す。「なに?」と訊くので、「着たら?」と言ってみる。

「家近くなんだけど、」って言いながらも一応といった感じで彼女は合羽を着いた。これで風邪のほうの責任は果たした。それで。

「それで、家までどうする。君がこれに乗って、僕が走ろうか?」

「ん? こうする」

言って、自転車の後ろに乗ってくる。二人乗りだ。合羽の両腕が後ろから僕に回される。

「どこを曲がるとかは言うから、心配しないで」

「分かった」

確かに家は近く、何分かかったとかは知らないけど、そのまま真っ直ぐ走って途中右に一度曲がっただけでその道の左手に家はあった。家と言うか、マンションが。

駐輪場に自転車を停めて、マンションのエントランスに急ぐ。彼女が暗証番号を打ち込んで、開いた玄関に踏み込む。二人でエレベーターに乗り込んだら、浮遊感に包まれる。この間会話はない。

5Fのランプが点灯して、扉が開く。降りて行く彼女の後を追う。その後ろ姿を見て、女の子にしては背が高めだななんてどうでもいいことを考える。

503のプレートが付いた黒いドアの前で彼女は止まる。鍵をあけてるから、ここが彼女の家なんだろう。

「お邪魔します」とか言いながら続いて部屋に入る。玄関からすぐにキッチンが見える。右手にバスルームがあって、奥に部屋が見えた。

奥の部屋が彼女の部屋みたいだ。中に入ってきてみると、部屋はここだけだった。

フローリング。ミントグリーンのカーテン、白いラグに背の低い茶色のスクエアテーブルと白いソファ、赤いクッションその他クッション。テレビ。ローズピンクを基調にしたベッド、本棚……都会を珍しがる田舎者かってくらい見過ぎだ。

彼女はそのまま歩いていって、テーブルの窓側のほうに座る。促されて、僕もその対面に座った。

「それでね、話の続き。ボクと一緒に暮らさないかって話なんだけど」

「それもだけど、まず名前を教えてもらわないと色々とやりにくい」

今のままでは不明度が高過ぎる。分かってることなんて、同じ学校に通ってることだけじゃないか。

「ボク? ボクはね、沖野早希だよ。ボクって言うけど、体は女の子だから安心して。後はそう、君と同じ学校の二年生。君は?」

害意は感じない。何か引っかかりを感じる言い回しがあったような気がしないでもないが、今はいい。

「御春奏。僕も二年だから、気は遣わなくて良さそうだな」

自己紹介……素性紹介を交わして、少しは状況が改善した。改善した気にはなれた。

「みはる、そう。どっちも名前みたい。ボクはミハルって呼ぼうかな、名前で呼んでるつもりでね。ああ、ボクのことは好きに呼んでくれていいよ。沖野でも沖野さんでも早希でも。ああやっぱり、沖野と沖野さんはだめ。名前で呼んでね」

楽しそうに、気ままに喋る。沖野の本質はこうなんだろうか。

「早希ちゃんそのままだと風邪ひくから風呂入るとかしたほうが良くない? 雨に濡れても、風呂入って体温めたりはしない人?」

沖野が禁止されたので、せめてもの抵抗でちゃんを付けてみたけど。これはこれでどうなのか。そんな思いを振り切るのと、あと心配からそんなことを訊いた。

「入る人。話が終わってからにしようと思って。話が終わって、ミハルと暮らすのが決まってから悠々とお風呂に入ろうと思って」

「暮らすのは分からないけど、泊まるくらいなら考える。僕は逃げないし、先に入ってきたら?」

目のやり場に困らないこともないし。濡れたら透けるんだよ、そういうのあまり良くない。

「ふぅん。じゃあシャワーにする。そんなに待たせないから逃げないでよね、ミハル?」

「逃げないって」

「そうだ、ミハルも浴びる? シャワー。濡れて風邪ひくのはミハルも同じでしょ」

「僕はいいよ、入らないし浴びない人だから。気にしない」

「そっか。そうなんだ」

沖野は僕に背を向けて、ウォークインクローゼットの中から着替えを取り出している。背を向けてるから分からなくても、何となく目をそらす。

「ちょっと待ってて」

そうして、着替えを抱えた沖野が僕を通り過ぎてバスルームに移った。と思ったら戻ってきた。

「はい、タオル」

「ん、ありがとう」

沖野は今度こそバスルームに行く。その姿を見送って、無意識でタオルのにおいを嗅いでみる。違う家のタオルのにおいがする。ここまで思って、何してんだ自分と思いながら髪を拭き始めた。

 

雨はやんだようで、代わりにシャワーの音がする。沖野がシャワーを浴びている。

髪を拭き終わったら何もすることはなくて、後はただ沖野の帰りを待つ。帰りはしない。もう雨はやんだけど、そこまで家に帰りたいわけでもなく。

さっきテレビ点けたら良かったかなぁ、とぼーっとしていたらいつの間にか時間は経って、沖野が戻ってきた。

女の子のシャンプーのにおい。雨のときだからかそれを余計に感じる。

沖野は着替えて、白のTシャツと薄青色のデニムで膝上のキュロットになっている。

ほんのり肌が上気していて、ドライヤーでその長い髪を乾かしている。ドライヤーがうるさいので、乾かし終わるまで話の続きはできない。待ち時間はまだ続くということだ。

それでも無音よりは幾分ましなのか、ドライヤーのスイッチが切られたとき僕は案外早かったなと思った。

「タオル」

「はい」

水を吸ったタオルは沖野の手によって洗濯機に持って行かれた。

「泊まるくらいなら考えてくれるんだっけ? 意外とすんなり受け入れたね」

早々に話が再開される。

「え、ほんとに泊まらせるつもりなのか? 暮らすのもだけど、嘘だろ」

どういう意図がある嘘かは全くもって分からないけれど。それに何だ、警戒心がないんだろうか。

「嘘吐かないよ。暮らすって言ったのから泊まるのまで全部本当。ボクは本気だよ。ミハルは本気じゃなかったんだ」

「どうして?」

「……何が?」

「どうして僕と暮らしたいのかってこと。何か理由があるのか?」

「特別なことじゃないよ。通りがかったのがミハルだったってだけ。特別だって言って欲しかった?」

ますます分からなくなる。だけれど、沖野は言葉のとおりに、嘘を吐いてないんだろう。思ったそのままを言う。そんな風に見える。

「だったら、誰かと暮らしたくなった理由は? それならあるんじゃ」

「ないよ。したいって思ったから、したいんだよ。それじゃだめ? そんな理由じゃミハルは泊まれない?」

「そんなことも、ないけどさ」

ないのか。まあ、確かに無いは無い。ここからなら学校も近いし……月曜の話をするのは気が早いけど。

「ならいいじゃん。ミハルはボクの家に泊まるの。これで決まり」

なんだか嬉しそうに沖野は笑っている。僕も笑えばいいのか?

「早希ちゃんは、危ないことしてると思わないの? 僕から見た早希ちゃんもそうだけど、早希ちゃんから見た僕も他人なのに」

「危なくない。ボクそういうの分かるし、勘がね。女の勘が。女の子らしくね」

「……危ないだろ。世の中には何か考えてるやつと、何も考えてないやつしかいないんだからさ」

「でもね、もうボクはミハルが泊まることしか考えられない」

そういう難しいことは考えられない、と強情に念押してくる。そもそも、唐突に「一緒に暮らしませんか?」と言うような人間だ、説得するのは難しいはずだった。

結局、なるようになるしかないのだ。僕に危険があるわけでなし。恐らくは。

「分かったよ、一晩寝る場所が変わるだけだ。そこまで言うなら、泊まってもいい」

「言ったね。約束は守ってよね。信じてるんだから」

流されるままに泊まることが確定して、守るべきものが僕にはできた。話は次々に転がっていく。

「それじゃあ、お泊りが決まったところで次に決めることがあります。それは今日何を食べるか、です」

「何食べたい?」と重ねて訊くからには、僕が食べたいものを作ってくれるんだろう。沖野はじぃ、とこちらをみている。

「そうだな、オムライス」

「よし決まりね。美味しいの作ってあげる。材料買ってこなきゃね」

料理に関する知識の無さを披露したようなものだが、沖野は嫌な顔一つしない。手間のかかるものや外食と言わなかっただけ僕なりの及第点だ。

「僕も行くよ。寝るときの服も買わないと無いしな。荷物持ちもするし」

「うん、一緒に行こう。二人だと、行きと帰りに退屈しないね」

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