アベリオン丘陵地下 デミウルゴス牧場にて
「ふむ、やはり経過は順調の様だね。」
飼育されている家畜達の様子を見て、デミウルゴスは満足げに頷いた。
本来なら聖王国両脚羊を飼育し、安定した第一~三位階のスクロールの材料となる羊皮紙(という名の素材化した人皮)の生産を主産業としていたこの牧場だが、この世界では少し違った。
「確かに良さげですね。しかし、材料となる家畜は居なくなっても誰も困らないものを使いましょう。もし露見してもそれなら言い訳が効きますからね。」
「畏まりました。」
「ただし、セバスには見せちゃダメですよ。あの子が苦しむ事になってしまいます。それを守って利益を上げられるのなら、ここは貴方の遊び場にしても良いですから。」
「御方よりの格別なる慈悲。このデミウルゴス、必ずやご期待に添えてみせましょう。」
確かに魔法を使えないシモベ向けの下位のスクロールの量産は急務だ。
実際、だからこそモモンガはデミウルゴスに情報収集と並んで命じたのだから。
とは言え、この牧場が露見すればナザリック外部の敵対勢力からのヘイトが上昇し、大義名分を与えてしまう事となる。
故に、牧場にいるのは犯罪者や悪徳貴族、夜盗等の人間性を無くした畜生共、即ち王国産両脚羊となっている。
この王国産の特殊な羊は聖王国産のそれよりも気性が荒く、飼育には適さないと思われたが、そうした個体の中で年老いて役に立たないとされた個体を彼らの目の前で解体して新鮮な内に従業員の悪魔達のおやつにすると途端に大人しくなるため、現在は当初の予定通り皮の安定生産に成功している。
その他、実益と趣味を両立する形で異種族間での交配実験や繁殖実験も行われており、成果は順調に上がっていた。
無論、その過程に発生する羊達の苦痛と絶望と恐怖といったあらゆる負の感情もまた、従業員である悪魔達を大いに満足させていた。
「ふふ、やはりモモンガ様こそ我らが主。こうまで私にまで配慮してくださるとはね。」
とは言え、モモンガにも言い分はある。
このデミウルゴス、最上位悪魔だけあってその悪意と智謀においてはナザリック内でもTOP3の一角を誇り、情報収集・各種工作等のナザリックの外での活動の最高責任者でもある。
その仕事量に見合った報酬を上げられているかと言うと、ちょっと自信がない。
それに悪魔として、人外としての本能である悪性や暴力性を発散できる場は今後も必要だ。
そのため、この施設には時折休暇となったルプスレギナやエントマ、ソリュシャンに時折だがシャルティアも訪れる。
さて、この牧場だが表層部はこの世界の人類が使用する普通のスクロールの材料たる普通の羊とユグドラシル産の羊系モンスター(装飾)が放牧されており、それに表向きの加工所と事務室、そして従業員の宿舎が存在する。
地下1階には異種交配・繁殖用の研究施設があり、奴隷のエルフや犯罪者の中でもステータスの高かったために繁殖役に選ばれた両脚羊、他異形種や亜人種が収容され、日々研究に協力してくれている。
地下2階には通常の両脚羊が飼育されている。
基本的にその手首と膝を枷で繋がれた彼らだが、寝床は地下にあっても清潔な毛布であり、排泄物は壁際にあるトイレで済ませられるし、空調も効いて臭いもそんなに籠らない。
一日に限られた時間だが運動も出来るし、食事も毎日三食出される。
しかし、食事もトイレも何もかも、全てが全て監視され、自分達が飼育される存在だという事を決して忘れさせない。
天井付近には24時間体制でダークアイと言われる低位の悪魔系モンスターが配備され、巨大な目玉に悪魔の翼と尾を持ったそれらは常に両脚羊達を監視し、諍いや反乱や脱獄の予兆が観測された場合、直ぐに看守の悪魔達がやってきて、そうした個体を間引いたり躾を行うのだ。
地下3階では両脚羊達の皮を剥ぎ取る作業が行われている。
この時、大抵は睡眠や麻痺等でしっかりと麻酔をかけて行われるのだが、地下2階で問題を起こした個体はこうした麻酔処置無しで皮の剥ぎ取りが行われる。
その際の苦痛は想像を絶し、そのまま出血系ショックと激痛で死亡する個体も多い。
しかし、そういった個体は復活というデスペナ無しの蘇生魔法で大抵は甦ることとなる。
たとえ拒否しても、強制的に復活させる魔法やアイテムもあるため、抵抗は無意味だ。
が、それらがあっても精神が擦り切れて自発的な活動を止めてしまった個体は地下4階へと運ばれる。
そして、採取した皮は別室の加工所へと運ばれ、羊皮紙の素材へと加工される。
この時、皮を採取した個体は直ぐに治療される事はない。
直ぐに魔法やポーションで治療すると、剥ぎ取った皮が灰となって消えてしまうからだ。
これは蘇生魔法のデスペナによる消滅に近い現象で、解決策は立っていない。
そのため、皮の採取後は暫くそのままで止血だけされ、皮の一次加工が終わる30分近く経って漸く治療され、地下2階へと戻される。
そして地下4階は最終処理場であり、上階で発生したゴミや排泄物、再利用できなくなった両脚羊が廃棄される。
時折、休暇中のシモベ達が訪れてはつまみ食いをしたりと、廃物処理に協力しているが、ここの主役は彼らではない。
ここにはダンジョンワームというダンジョン内に住まうスカベンジャー(ゴミ掃除屋)系のモンスターがおり、これらは大抵のものを食べ、消化し、栄養価の高い糞にしてくれる。
その糞は地上に運ばれ、通常の羊達を飼育するための牧草とカルネ村の畑のための肥料として使用される。
こうした優れた設計・プランはデミウルゴスの知恵と最古図書館に記された多くの書物、そしてモモンガによる「資源循環型拠点」の概念を取り入れて建設された。
将来、ナザリックで安全に引きこもるためにも、資源の循環は必要不可欠だと考えたモモンガは、リアルでのアーコロジーへと目をつけ、こうして試験とノウハウの蓄積も兼ねて牧場を建設させたのだった。
「とは言え、まだまだ羊の数が足りませんし、商会の資金もまだ不足しています。」
デミウルゴスがそう零すが、しかし、それはちょっと誤りだ。
現状のナザリックの維持費は確かに一般的なギルド拠点よりも遥かに多いが、現状の魔法・物理問わないギミックを発動させている現状でも、軽く1000年は維持できるのだ。
それもモモンガのポケットマネーだけで。
他の至高の御方々の金貨も合わせれば、軽く万年は大丈夫だろう事が予想される。
が、リアルでもそれ位の時間があれば人類が近代化を達成して地球を荒廃させる位できてしまうので、そうなる前に色々手綱を握っておきたいというモモンガの思惑もあったからこそ、経済的干渉のための手段を必要としているのだ。
「やはり『ゲヘナ』をする必要がありますか。ま、予定通りと言ってしまえばそれまでですね。」
牧場長用の執務室にて、にやりと嗤うデミウルゴス。
その手には『王国からの大規模な資金収集方法についての企画書』と銘打たれた書類が握られていた。
……………
「ではセバス、どうして私が態々ここに来て貴方に問い質しているかわかりますか?」
セバスは背中に汗を滝の様に流しながら、魔王モードのモモンガから詰問を受けていた。
そして、セバスにはこの事にとても心当たりがあった。
(やはり、先日助けたツアレの件でしょうか。)
先日路地裏で助けたツアレニーニャ。
冒険者となってから懇意にしているチーム「漆黒の剣」に所属する魔法詠唱者の少女の姉であり、数年前に貴族に拉致され、行方知らずになっていた人物だった。
話によれば貴族に拉致されて散々に凌辱された後、王国に長い間根を張る非合法組織である「八本指」へと売り渡され、その後は最底辺の娼婦として奴隷以下の商品として慰め者にされ続けていたのだ。
そして、漆黒の剣が彼女の居場所を漸く調べ上げ、何とか彼女と他数人を助け出したのだが、それが限界だった。
彼らでは八本指の手の届かない場所までは逃げる事が出来ず、しかも彼らのメンツを大いに傷つけ、怒りを買った。
現在王都を出るあらゆるルートには八本指が手を回しており、もし顔を見られでもすればその日の内に六腕がやってきて皆殺しにされるだろう。
そんな彼らを、仕事で王都へと来ていたセバスは匿った。
余りにも軽率な行いに、王都に買った商館の警護と維持のためにつめていたソリュシャンとナーベラルも眉を顰めた。
勿論、チームとして行動していたユリとルプスレギナもだ。
そして、何とかできないかと頭を悩ませていたセバスに業を煮やしたのか、ソリュシャンから報告が上がり、遂にアインズが念のためにと他の守護者達を連れ、一切の事前通知なく王都の商館へとやってきてしまった。
「あの漆黒の剣とその身内の女性、そしてたまたま助けた女性三人。それは構いません。たっち・みーさんに定められた通りにせよと命じたのは私だからです。ですがセバス、貴方はただ一つだけ過ちを犯しました。それが何かわかりますか?」
絶望のオーラLv1を発し、声音も表情も普段よりも遥かに鋭く冷たいモモンガはセバスに問いかけた。
「報告を怠ったから、でしょうか?」
「その通りです。」
ツアレ達を匿った事、それ自体は罪ではない。
元々この商館には人間に擬態可能なシモベしか配置しない予定だったし、あるのも精々ナザリック基準でごみ同然のアイテムや装備品類、そして王国交金貨位なもので、見られても不味い資料等はここにはない。
もっと大事な事はそれ以外、セバス自身の行いにしかなかった。
「困っているのなら…いえ、何かあったのならちゃんと報告・連絡・相談しなさい。この程度で貴方の忠義を疑う事も、迷惑だと思うこともありません。」
自分の子供同然に思っている、大事な友人達からの預かり子。
特に大恩人であるたっち・みーの子供であるセバスから相談されなかった事。
それがモモンガが最も悲しんだ事だった。
モモンガは既に絶望のオーラを出していないが、そのモモンガの悲しげな様子にこの場に勢揃いしていた他の守護者達が一様に殺気立った。
「申し訳ございません!!」
その御方のお慈悲を裏切った事を自覚したセバスは、土下座した。
とても綺麗な、惚れ惚れする程の土下座だった。
きっとたっち・みーさんも奥さんを怒らせた時はこうだったんだろな…と思わせる様な理想的な土下座だった。
「今度から些細な事でも必ず報告・連絡・相談を欠かさぬ事。皆も良いですね?」
モモンガの言葉に、各守護者達も是と返す。
「よろしい。ではセバスへの罰は後で伝えます。取り敢えず漆黒の剣と救出した女性達はカルネ村に送りましょう。あそこなら私の目も届きますし、バレアレ一家のポーション研究所もあるので、最低限とは言え防衛設備もありますからね。ユリ、ルプスレギナは彼らに直ぐに支度するように伝えて。それと何を見ても驚かないように厳命する事。シャルティア、貴女の転移門で全員をカルネ村に送り届けなさい。」
てきぱきと指示を下すモモンガの姿に、先程の弱弱しい姿は感じられない。
しかし、先程の出来事を覚えている守護者達には、その姿は虚勢にしか感じられない。
だが、唯一にして至高の御方がそうするのであれば、彼らもまたそれに従うまでの事。
なお、以前の事件だが、クレマンティーヌとカジットはバレアレ一家と漆黒の剣を全滅させる前に、同行していたセバスによって鎮圧されたため無事である。
その後はセバスらの持っていた赤いポーションの存在からあれよあれよと問い詰められ、モモンガの許可の下、カルネ村にてポーション研究所を開設、既に紫のポーション開発に成功し、現在はMP回復ポーションの開発を行っている。
ついでに、森の賢王はセバスに敗れた後、治療されカルネ村防衛のための最大戦力として活躍している。
……………
その日、王国首都において大事件が発生した。
倉庫街で巨大な炎の柱が上がり、そこを中心に多数の下級悪魔が召喚され、王都を襲ったのだ。
だが、その被害は限定的だった。
悪魔達は自分達を攻撃する兵士を除けば、多くの人から恨みを買っている高利貸しの悪徳商人や貴族とその側近らを集中的に狙い、攫っていったのだ。
攫われた場所もその後にどんな目に遭うのか定かではないが、これで大勢の人々は家の中に籠ってやり過ごす事を選択した。
これに対し、王国は王都にいる冒険者らと首都防衛隊、そして王直属の戦士団を動員し、炎の柱にあるであろう悪魔召喚の原因の調査及び事態の収拾を命じた。
しかし、これに対して貴族派が反対、兵士を自分達のいる王城の防衛、或いは領地への脱出のための護衛にするべきだと主張した。
これに対し、王は「好きにせよ」と言い捨て、戦士団と冒険者らで事に当たった。
この決定にこれ幸いと貴族派の大多数と一部の国王派は王都を離脱したものの、それらは全て悪魔に優先的に集られ、兵士も残らず攫われていった。
王城に残った貴族らはガタガタと情けなく震え、部下達に当たり散らすが、それで王城へと集中する悪魔の攻撃が止む事は無かった。
一方、倉庫街へと向かった戦士団と冒険者らは悪魔の迎撃を受けるも突破、炎の柱の中心部で彼らが見たものは、難度200を超える上位悪魔の姿だった。
その名も奈落の支配者/アビサル・ロードである。
巨躯に蝙蝠を思わせる巨大な翼、どす黒い鱗で身を覆い、揺らめく炎の様な悪のオーラを纏い、鞭の様な長くしなる尻尾が生え、口からは鋭い乱杭歯が、手には見るからに切れ味に長けた爪を生やしている。
頭部には後ろに突き出した長く捻じれた2本の角、背中には同じ様な、しかし短い角が何本も生えている。
総評すれば、爬虫類と人間を強引に組み合わせた様な外見をした怪物だった。
「貴様、何故こんな真似をする!」
「無論、そう望まれたからよ。でなければ我の様なモノが出てくるか。」
戦士長ガゼフの言葉に、悪魔は嗤いながら答えてくれた。
曰く、貴族に捕らえられ、凌辱されて、飽きたから売られ、八本指とやらの下で虐げられ続けていた娘が逃げ出し、倉庫へと逃げ込んだ後、己を呼ぶアイテムを使用したのだ、と。
曰く、しかし契約には対価が必要であり、何も持たぬ娘は己自身を対価として悪魔に「この国を滅ぼしてほしい」と願った。
曰く、現在悪魔は王国を効率良く滅ぼすため、貴族や王族、金持ちを優先的に狙わせ、この国の統治機構そのものを壊滅させようとしているのだ、と。
それらを自信満々に、実に楽し気に語る悪魔に、しかし戦士団と冒険者達の顔はただただ沈痛だった。
要は、糞の中の糞こと貴族のアホ共の尻拭いという事だった。
これにはこの場にいたラキュースら蒼の薔薇も大いに呆れていた。
しかし、依頼は依頼であり、職務は職務である。
やる気の無くなった面々を周囲の下級・中級悪魔への対処に回し、実力的に最も優れているであろう蒼の薔薇と戦士長、そして「漆黒」のセバスが事に当たった。
そして始まった戦闘は苛烈を極めたが、何とか殆ど全員が生き残り、朝頃には上位悪魔は退散する事となった。
だが、王都は既に十分なまで壊滅的な打撃を受けていた。
多くの大商人と貴族が死亡し、王族も第一王子と民衆に慕われている「黄金」のラナー姫が死亡した。
結果、今まで何とかやれていなかった(=浄化作用が働かず機能不全状態)行政が完全に人手不足となってしまった。
これでは税の徴収も碌にできない。
貴族の領地はまだ人手があるが、それを治めるべき貴族がいない。
このままでは秋の帝国への防衛戦すら何もできないまま亡国に至るしかないという状態にまで追い詰められていた。
なお同時刻、亜人もエルフも何でもござれの要塞化著しいカルネ村の近郊に急遽建てられた屋敷にて、とあるお姫様が従者の少年に「わんわんプレイ」を一晩中強要し、朝まで致していた事は本件には何の関係も無いのであしからず。
カルネ村…第二ナザリックのための建築ノウハウの試験用として周囲と魔化した丸太の壁と石壁で囲み、外周に水堀と有刺鉄線が敷かれている。
制作にはマーレのウッドゴーレム及びエントマの呼び出す蟲達が主に労働力となった。
大体シズによる「ナザリックには不適格な設備・トラップ群の試験的運用」と言う名の悪乗りによる結果である。
現在は森に住まう種族らもある出来事から交易のための拠点として利用しており、アーグランド評議国にある田舎街の様な光景となっている。