オイフェとて、最初からスカサハと疎遠だった訳ではない。
寧ろ最初の頃、まだ鍛錬が始まる前の幼い頃は極普通にそれなりに仲の良い姉妹だった。
黙々と本を読むオイフェにお転婆なスカサハ。
共にこの時代でも最上位の血統と地位に生まれた二人の幼い頃。
短くとも何の隔意も無かった平和な時代は確かにあったのだ。
拗れ始めたのは、彼女らの他に子供が生まれなかったが故だった。
通常、王位を継承するのは男系の長子であるのが相場なのだが、父王は男子に恵まれる事は無く、後継者がいなかった。
そのため、当時の影の国の王たる父はほぼ互角の才覚を持つ二人を競い合わせる様に仕向け、より王に相応しくなった方を後継者とすべく鍛えた。
これに妹と大手を振って殺し合…もとい鍛錬が出来ると喜んだスカサハは、心底面倒くさそうにする妹を無理矢理鍛錬に参加させ…危うく殺しかけた。
未だ加減を知らず、しかし才能とやる気は人の10倍はあるスカサハに対し、インドアのオイフェではまるで歯が立たなかったのだ。
そもそも、前世で平和な国の最も平和な時代で闘争心とか心の牙とかを折られた社畜な人生を送ってきた中の人からすれば、武術の鍛錬のために実の姉妹で殺し合いとかマジナイワーとしか思えなかったので、モチベーションが底辺だった事もあったが。
それでも一方的に死ぬ一歩手前まで追い込まれたのだから、(ケルトの)一般的な戦士ならば当然の反応である、相手に服従するか報復を誓う=結果的には強くなる事を期待して、父王や師匠らも二人をギリギリまで止める事は無かった。
だが、それはオイフェにとって逆効果だった。
元々身体を動かす事にも、強くなる事にも、権力にも興味のない彼女は、持って生まれた千里眼と前世の記憶から、早々に後継者レースから離脱しようとした。
王の職務なんて面倒でしかなく、また多すぎる富も敵を呼ぶ。
争い事を厭い、静かな暮らしを望む彼女にとって、後継者に指名されるなんて死んでもご免だった。
だからこそ、早々に父にその事を伝え、スカサハとも距離を取り、用の無い時は己の部屋か城の書庫へと籠ろうとしていた。
その矢先にこの出来事である。
やはり蛮族文化(…文化?文化って何だっけ?殺し合いの作法じゃないよね?)には相容れないと悟ったオイフェは、絶対にこの国の連中と縁を切る事を誓い、そのための行動を開始した。
だが、当時の未熟なスカサハにとって、今までずっとべったりで半身とも言える妹と別行動なんて嫌だった。
だから、スカサハは嫌がる妹を無理矢理修行に参加させ、父や師がやる様に一方的に攻撃した。
この時、オイフェの心の内に久々に殺意と言う感情が灯った。
元々要領の良い彼女は直ぐに父と師から武術を学び、未だ未熟なスカサハに直ぐに追いつき、互角の戦いをしてみせた。
とは言え、流石に止めを刺す気は無かったらしく、必ず臓物が飛び散ったり、四肢が切り落とされたりする前に止めたが。
これにスカサハは喜んだ。
やはり自分のやり方は間違っていなかったのだと、彼女はここで間違った方向に判断してしまった。
この時、幼いスカサハは話し合いと言う最善の方法を選ばず、暴力と言う最悪の方法を選んでしまった事を知らなかった。
武で競い、魔術で競い、叡智で競い、戦果で競った。
だが、気付けばオイフェはスカサハの前で鍛錬以外で口を開かず、目も合わせなくなっていた。
これにはスカサハも焦り、何とかその気にさせようと、自分を意識してもらおうと挑発したり、発破をかけてもみた。
「貴様に王位は渡さん!」
「その程度か!それでは殺されてやれんな!」
「いい加減に真面目にやらんか!」
だが、その全てが益々オイフェの憎悪を煽る事にしかならなかった。
どうすれば良いか、スカサハには分からなかった。
次期王位継承者であり、王女でもある彼女の経験と知識に、仲違いした相手との仲直りの方法は無かったからだ。
そうこうする内に、ドンドン溝は広がっていき、遂には鍛錬の時以外は顔を合わせる事も無くなっていった。
これに困ったのが父王だった。
競い合うのは良いが、此処まで完全に仲違いするとは思ってもみなかったのだ。
既にオイフェの目には父も姉も、周囲の誰も彼もが敵としか映っていない。
侍女や庭師等の使用人、国に住まう民ですらそうなのだ。
此処まで来て、神代のケルトと言う環境が次女には水と油レベルで合わないのだと、漸く父は気付いたのだった。
そこで、少しでも歩み寄ろうと思った彼がオイフェに何か欲しいものが無いかと尋ねた時、オイフェが答えたのが「揺蕩う島」だった。
不定形かつ不規則に海上を移動するその島は、常人では決して侵入できない。
だが、誰とも会わずに引き籠るには最適の場所とも言えた。
父はこの願いの裏にある考えも把握した上で了承し、オイフェが揺蕩う島へ引っ越し準備する間、スカサハに王となるための最終試験と称して数々の難題を与え、距離を置かせた。
その隙にオイフェは引っ越しを完了し、スカサハが戻ってきた頃には既にオイフェが島に引き篭もって幾年もの年月が経っていた。
全ての課題を終え、更に成長したスカサハは王位に就くために解決すべく最後の課題として、妹の住む「揺蕩う島」へと向かったのだ。
そこには彼女が求めるもの等何も無いとは知らずに。
残っていたのは殺意しか感じられない無数の呪物や罠に魔獣。
事務的な別れの挨拶以外何の言葉も無い、徹底的な拒絶しか、そこにはなかった。
……………
てくてくと、道なき道を歩き続ける。
もう影の国を出てからどれ程の月日が経っただろうか。
今日も今日とてあちこちをほっつき歩いている。
何でもある異空間でのんびりするのも良いのだが、最近はこうして散歩している事が多い。
実年齢を考えると、そろそろ徘徊老人とか言われてもおかしくはないのだが、誰にも迷惑をかけている訳ではないので良いだろう。
「あ、先生!おはようございます!」
「おはよう、フェルグス。今日も鍛錬は欠かしていないようだね。」
「はい!日々是精進です!」
最近の趣味として、あの駄姉と同じ様に人を弟子にしている。
とは言え、教えるのは大抵は教養(法律や道徳、歴史や医術に料理等)で、戦闘には余り寄与しないものだ。
迂闊に武術なんて、それもあの駄姉と同様のものを教えてみろ。
間違いなくケルトの修羅度とそれによる被害が跳ね上がるぞ(元から修羅だとは言ってはいけない)。
なので、行き当たりばったりにその人物に必要そうな知識を押し売りの様に教えている。
ま、単なる暇つぶしのつもりなのでこちらは気楽だが、時折それを気に入ってリピーターが出る事もある。
このフェルグスもそうした者の一人だ。
「やはり善き王となるのなら、日々の鍛錬と勉強は欠かせませんからね。」
「そうだね。君は天才的な名君には成れずとも、努力すれば良い王にはなれるだろう。だからこそ、歴史と法を学ぶべきだ。」
「はい!今日もよろしくお願いします!」
(あ~素直なショタ王子様に癒されるんじゃ~。)
内心でアホな事を考えつつ、オイフェは今日の授業の道具と教材を異空間から取り出して、将来の名君のために機嫌よく授業を始めるのだった。
なお、彼女の期待と善意は将来筋骨隆々の偉丈夫となったフェルグスに思いっきり裏切られる事となる。
……………
オイフェ、というドルイドの女性の名は今やアルスターで知らぬ者はいない程の名教師であり、深い叡智と優れた魔術と武術、何より高潔な精神性で知られていた。
飢えた者がいれば、その者に飢えを満たすためにその者に合った食料を得る方法を。
病人がいれば、その病を治す方法を教え、更に治療する時もあった。
諍う者達がいれば、事情を聞き、双方が納得する方法を。
彼女は争いを嫌い、苦しみを嫌い、不条理を嫌った。
それを無くすために和を尊び、幸福を是とし、道理を守った。
勿論、そんな彼女をケルトらしくないと言う者もいた。
だが、ドルイド(女性はドルイダス)と言う者は元々政治家であり、宰相であり、裁判官であり、司祭でもある。
人とは異なる価値観と権力を持った特権階級である事から、然程重要視される事は無かった。
文句を言う人々以上に、彼女に感謝している者達の方が多かったと言う事もあるが。
また、彼女が注目を集めたのはその美貌もあった。
肩口までの新月の夜の様な黒髪は後頭部で短い馬の尾の様に結ばれていた。
葡萄酒の様な深みのある緋色の瞳は、常に穏やかに周囲を見守る。
女神であっても早々見かけない程の美貌は、相手が罪人や浮浪者であっても常に微笑みを浮かべている。
このケルトには他に類を見ない程に穏やかな精神性と能力、美貌を併せ持つ彼女を心底憎む者はいなかった。
そして、そんな美女となればものにしようと考えるのが世の男の常だ。
が、当然の様にアタックした者達は悉く振られた。
その手の積極性を持つ者達は大抵彼女の厭う争いを好み、不条理を成した事があるからだ。
ではそうでない者はと言うと、誰も思いを告げに行かない。
そうした者達は皆「芽」が無い事がはっきりと理解できるからだ。
何せ相手はドルイドでも特に優れた者の一人。
財産も、名誉も、知恵も、武力すら並大抵の相手では太刀打ちできない程だ。
「自分は~~で、物凄く~~だ」とか、そんな分かり易いケルト的な口説き方ではどうやっても墜ちる相手ではなかった。
そんな彼女だが、決して結婚しないと言う訳ではなかった。
とあるドルイドが彼女に「貴女は結婚するつもりは無いのか?」と問うた時、彼女は苦虫を噛み潰した様な顔で答えた。
「私は以前、千里眼で未来を見た時、『我が子を抱いて微笑む自分自身』を見た事がある」と。
問うたドルイドはどういう事かと驚くと、オイフェは溜息を吐きながら答えた。
「千里眼等で未来を覗いた時、ほぼ必ず『その者の望まない未来』を見て、それを確定してしまう。」と。
彼女の持つ未来を見通すと言う千里眼。
それによって垣間見た他の千里眼保持者達との共通点。
人類史における自身の役割、そして「確定された望まない未来」。
彼女は他に何を見たのか、決して言う事は無かった。
「私は結婚し、子を成すのだろう。私はそれが絶対に嫌だ。」
それきり、彼女はこの話題に触れなかったそうな。
「私が結婚し、子を成す相手。それは『二人の女王を射止めた英雄』だろう。」
オイフェ「男の人格持ってるのに男と結婚とかないわー………ないわー(震え声)」