人は誰もいない、全てが骸骨となって山を作るある洞窟。
そこの主たる暗灰色の邪悪なる竜は、遂にやってきた騎士の姿を見て、吠え猛る。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」
待ち侘びた、本当に待ち侘び続けた英雄の到来に、邪竜は歓喜の咆哮を上げた。
……………
彼女とその家族は、神によって呪われた。
平和な平成の世から転生したファフニールという娘は、父フレイズマルと弟のオッテルとレギンと共に平和に暮らしていた。
母親こそ早くに亡くしてしまったものの、それでも家族は仲良く平凡に暮らしていた。
強いて言えば、彼ら彼女らが生きる時代は神秘が全盛を振るう神代であり、彼ら彼女らには北欧・ゲルマン神話における重要な役割が課せられている事だった。
一家の平和な暮らしが終わったのは、オッテルが覚えたての魔術でカワウソに変身して川遊びをしていた際、旅行中のロキ・オーディン・ヘーニルによって狩られてしまった時だった。
神々はその事を知らずにフレイズマルにその日の宿を求めた。
その夜、フレイズマルに指示されたファフニールとレギンは殺意を抑えながら神々を捕らえ、今後も暮らしていくためにも賠償金を要求する事にした。
それに対し、ロキはオーディンとヘーニルを人質として残した後にドワーフのアンドヴァリから大量の黄金と黄金を生み出す指輪を奪い、これを賠償に当てた。
その際に、アンドヴァリは指輪の持ち主に永遠の不幸を齎す呪いを込めたのだが……この呪い、ドワーフが防犯装置として設置していたものをロキが更に強化したものであり、持ち主だけでなくその周囲にまで呪いが伝播するようになっていた。
そんな指輪が黄金と共に革に入れられてフレイズマルに渡されたのだが……フレイズマルはこれを家族に分け与える事を拒否し、独占しようとした。
そして黄金に心を乱されたレギンがフレイズマルを殺害してしまう。
ファフニールはこの事態の元凶が黄金の中にある呪いの指輪である事を見抜き、これを己が抱える事でこれ以上弟へと呪いが向かう事を防いだ。
だが、そのせいで集積された呪いにより、ファフニールの肉体は邪竜へと変貌していく。
そして、既に呪いによって精神を汚染されていたレギンは黄金の一部と共に姿を隠し、何時か姉が独占する黄金を自分のものにしようと虎視眈々と機会を伺う日々を送る。
その後、周囲の人間を巻き込まぬ様に、ファフニールは黄金と共にグニタヘイズへと移住し、レギンもそれを追うのだった。
……………
それから、長い月日が経った。
ファフニールという少女は、竜となってから暫くして日々を数える事を止めた。
竜の身ではまともな人間らしい生活など、送れないと分かったからだ。
何も飲まず食わずでも、真性の竜種となった彼女には飢えも渇きもない。
竜の心臓により呼吸のみで生成される膨大な魔力。
それによって賦活された肉体と生命力により、彼女は生半可な傷を負った所で数日もあれば癒えてしまうし、寿命すら克服している。
だが、それは彼女にとって何の慰めにもならない。
暗い洞窟の中で、ただただ無為に時を過ごす。
その最中、徐々に人間性までもが失われていく。
だが、それは寧ろ彼女にとっては救いだった。
黄金の指輪の呪い、そしてレギンに唆され、彼女の封じる黄金を求めて多くの者達がやってきたからだ。
人語も話し辛くなってしまった彼女にとり、そうした者達は呪いを外に広げようとする愚か者達に過ぎない。
故に、彼女はそういった者達を全力で叩き潰し、殺し尽した。
その行いは多分に呪いに影響されたものだったが、呪いを外に出さないという点においては完璧だった。
そんな日々がどれ程続いたか、彼女自身もとっくの昔に忘れ果てた頃。
漸く、待ちわびた者が来た。
灰色長髪に端整な顔立ち、そして碧色の瞳。
何よりも、身の丈に匹敵する程の大剣。
ネーデルランドの遍歴騎士、ジークフリート。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」
こうして、ニーベルングの指輪に語られる英雄譚の山場が始まった。
……………
戦闘が始まり、どれだけの時間が経過したのか、両者にも分からなかった。
ただ。どちらもが既に今すぐに死んでもおかしくない程の重傷を負っていた。
それでもなお、両者は止まる事はない。
ファフニールを動かすのは、竜種としての本能と呪い。
ジークフリートを動かすのは、義務感と不屈の意志力。
それが両者に膝を突かせる事を拒否していた。
「邪悪なる…竜は…ッ…失墜し……!」
そして、ジークフリートはその大剣バルムンクへと魔力を注ぎ、幾度目かの真名開放をせんと力ある言葉を紡ぐ。
「■■■■■■■■……!!」
ファフニールもまた、唸り声と共に竜の心臓から魔力を振り絞り、口部へと集中させる。
竜の吐息。
多くの竜種が持つ基本的な能力であり必殺技。
数え切れない程多くの人々を焼き、数多の英雄豪傑が手を焼かされた一撃。
「世界は今、落陽に至る!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■ーーッ!!」
「撃ち落とす!『
発動したのは、僅かにファフニールの方が早かった。
熱線の形で発射された一撃を、聖剣からの一撃が迎撃する。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
互いに、魂を振り絞る様に吠える。
「■■■■………ッ!!」
そして、競り勝ちつつあるのはファフニールだった。
当然だろう。
如何にジークフリートが優れた騎士であり、英雄であっても、竜の心臓を持つファフニールを相手に純粋な魔力で打ち勝つ事は出来ない。
そも、怪物相手に知恵や技ではなく力で対抗しようとするのがおかしいのだ。
「ぐ、ぅ……!」
それを誰よりも理解しているのはジークフリート本人だ。
歯を砕く程に食いしばり、鮮血を吐き出しながらも魔力を振り絞り、それでもなお彼の心は折れていなかった。
「ッ…ぅあああああああああああああああああああああああああああッッ!!!」
故にこそ、彼は前に出た。
聖剣を解放したまま、前へ向かって突撃したのだ。
「■■■!?」
驚いたのはファフニールだ。
聖剣の輝きを剣身へと集中させ、ブレスを切り裂きながら特攻してくるジークフリートに心底驚いた。
だが、距離を取れば地力と火力の差で勝てる。
それが分かる故に彼女は咄嗟に後退を選んでしまった。
しかし、ここは今にも崩落しそうだとは言え洞窟であり、ファフニールは巨体を持っている。
結果、ファフニールはその巨体を洞窟の壁へと盛大にその体をぶつけてしまう。
それが決まりとなった。
「あああああああああああああああああああああああああああッ!!」
ブレスの荒波を切り開き、その勢いのままに刺突の形となってファフニールの竜の心臓へと聖剣が突き立った。
強固な鱗も、頑健な骨も、強靭な筋肉をも貫いて、聖剣の刃が遂にファフニールを、その体を構成する呪いを破壊した。
直後、破られた心臓から膨大な魔力を秘めた血液が噴出した。
そして、ジークフリートはそれを真っ向からほぼ全身へと浴びる事となった。
ジークフリートからすれば僅か10秒未満の出来事でも、永遠に感じられる攻防の後、漸くファフニールは轟音と共にその巨体を横たわらせた。
息を荒げ、途轍もない虚脱感に苛まれながら、それでもジークフリートは未だに立っていた。
『騎、士…よ……。』
そんな彼の耳に、何の前触れもなく声が届いた。
周囲を見渡して誰もいない事を確認し、そして目の前に顔を向けた時、彼は声の主を悟った。
『今から言う事を、記憶せよ…。』
つい先ほど、己が倒した邪竜の目に、理性の輝きが宿っていたからだ。
これはジークフリートがファフニールの血液を被った事で得た力の一つ。
即ち、動物言語である。
『この財宝の中に、一つだけ呪われた指輪がある。それは持ち主に破滅を齎し、怪物へと変えてしまう。』
ごふり、とファフニールの口から大量の血が零れる。
力の源である心臓を破壊され、もう長くはない事は分かっていた。
しかし、最後に伝えなければならない。
その一念で以て何とか命を繋ぎ止める。
それは呪いによって破滅し、しかし被害の拡大を防ごうと戦い続けた邪竜の最後の意地だった。
『火山の火口へ指輪を捨てよ。さもなくばお前もまた私と同じようになるだろう…。』
事実、ジークフリートの体はファフニールの呪われた体から出た血を山と浴びて、既に竜が如き硬さを宿し、動物の言語を理解している。
このまま呪いが進行すれば、行き着く先は同じだろう。
『ではな、騎士よ。私を終わらせてくれた事、感謝、すr……』
それきり、邪竜は動かなくなった。
言うべきを伝えた彼女は、漸く終わる事が出来たのだ。
「こちらこそ感謝する、ファフニールよ。警告通り、指輪は捨てるとしよう。」
こうして、ニーベルゲルンの歌に伝えられる邪竜ファフニールの退治は終わりを告げた。
後の事は詳しくは語らない。
ただ、ジークフリートは己の寝込みを襲おうとしたレギンを返り討ちにした後、火を噴く山の頂に上り、指輪を捨てた。
だが、その後も身を顧みない献身を続け、力尽きる様に倒れたという。
その墓前には、彼に救われた大勢の人が集まったとも言われるが、真偽は定かではない。
分かっているのはただ一つ、彼も彼女も、同様に英霊の座へと召し上げられ、その死後も多くの戦いを経るだろうという事だけだった。
「サーヴァント・ライダー、召喚に応じ参上しました。真名をファフニール。殆どバーサーカーな身ですが、上手く使ってくださいね。所で、ジークフリート殿はおられますか?いればお礼を言いたいのですが…。」