水の女神アクアとして転生してから、随分と長い時間が経過したように思う。
元は海の女神から分化した淡水の女神としての器を与えられ、そこに押し込められて、ずっと仕事漬けだった。
私の業務は地上の水を支配し、それを通じて世界の浄化と流転を担うというものだ。
とは言え、片っ端から綺麗にしては原罪を持つあらゆる生命の暮らせない場所となってしまうため、絶対に失敗は許されない。
しかし、神々の住まう神界から人の世界へと干渉するのは骨が折れる上に細かい調整が利かないという問題がある。
そこで私は各地の信者達に神殿を建築させ、それを通して権能を使用する事で細かい調整及び異常の探知精度を向上させた。
神殿と御大層な名前だが、実際は私の前世の日本にある祠や小さな神社が大半で、極一部を除けば慎ましいものでしかない。
私を祀る宗教であるアクシズ教に関しても「困ってる人がいたら自分の困らない範囲で助ける・他宗排除の禁止・仕事も大事だが休みも大事・神の言葉の改変禁止・過剰な無駄遣い厳禁」と慎ましいものでしかない。
大仰な社殿も、教えも必要ない。
日々の糧に感謝し、仕事に打ち込み、適度な休みを満喫する。
そんな極当たり前のことをするだけの教えだ。
他宗排除や改変に無駄遣いの禁止は内部腐敗と宗教による戦争や弾圧の予防のためだが、その気になれば信者の体内の水分を操作して天罰を落とすので予防で十分だ。
さて、ここまでは良い。
私の信者達は真面目に日々を生きてるし、神官達も各地で治水への協力や浄化等で役立っていて、よくやっている。
問題なのは、他の神々や魔の者達の行いだ。
如何に私が浄化や流転を司るとは言え、尻拭いには限度があるのだ。
あいつらが煽ったり原因となった戦争のせいで衛生環境が悪化したり、人心が荒廃したり、土地や水が汚染されたり、アンデットが大量に湧き出したりと、問題がしょっちゅう噴出する。
無論、世界をかき回す事それ自体は停滞と腐敗を防ぐために重要だが、不必要なまでに起こす事等あってはならない。
況してや、それが神々共の失敗によるものなら猶更だ。
特に、私に内密で人と魔の対立構造を確立して適度な混乱を生み出して双方を発展させようという計画を実行して、盛大に失敗しやがった事に関しては絶対に許さん。
挙句、「魔王が予想以上に強くなっちゃったから倒して♡」だと?
死ね(真顔)
更にその対策に今度は適当な魂に特典付けて転生させまくっただと?
ふ ざ け ん な !
お前らが思いつきでやらかす度に尻拭いする身にもなってみろや!
そもそも向こうの冥府や死後の神々の許可は……え、人口増えすぎて仕事終わらなくて困ってる?
ミス頻発してるけどカバーできなくて、こっちの世界で早死にした分だけ生きてもらって補填?
異世界行きにする賠償としての特典?
どこもかしこも何でこう…(顔を手で押さえながら俯く)
しかも転生者の希望に応えるのも私の業務に追加されてるし……
休暇……休暇がほしい……休みたいよぅ……。
……………
転生者への特典付与と送り出しが業務に追加されて暫く。
「あんの大馬鹿共ぉぉぉぉ!!!」
私はまた他の神々に切れていた。
「人格その他に問題ある奴まで転生者に選んだ挙句、何の安全措置もなく特典与えるとか何考えてんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! ああああああああああああああああああああああああああああッ!?!?!」
頭を抱えて叫びを上げる。
どう考えても危険な人間に、どう考えても魔王退治よりも人間相手にこそ悪用できる様な特典を与えるとか何を考えてるんだろうか(白目)。
実際、既に問題を発生させてる奴らがそこそこ存在してるし……どうして後先を考えないのあいつ等?
「仕方ない。後出しだが、問題の発生を確認し次第、他の転生者に追加特典を餌に賞金首として手配しよう。」
とは言え、特殊能力系は本人を始末すれば良いが、逆に特殊なアイテム系は持ち主だけを始末して終わりにならない。
是が非でもアイテムの回収乃至破壊も依頼内容として含むとしよう。
追加の特典も内容は厳選しないといけないが、これは仕方あるまい。
そんな様々な仕事をこなしつつ、私は今日3人目になる転生者と会っていた。
「佐藤和真、お前はトラックから子供を庇って死んだ。しかし、お前が庇わなくても子供も運転手も無事だった。」
「うぇ!?」
その言葉に、和真は目を丸くした。
「本来ならその二人は掠り傷程度で済むだけだった。所がお前の行いによって大きくずれた。」
訥々と語る女神アクアにあんぐりと口を開けたまま話は続く。
「子供は兎も角運転手は業務運転上過失致死に問われ有罪。出所後も犯罪者として後ろ指差される人生を送るだろう。」
アクアが和真の魂を見ると、根は善良だが生来の怠け癖から少々堕落の度合いが激しい。
これは少し「働かねば生きられない」環境に送り込む必要があるな、と今後の予定を考える。
「しかし、お前の行い自体は善意からのもの。罪に問う事はないので安心しろ。」
「ちっとも安心できねーよ!? 罪悪感で辛いわ!!」
その叫びはその善良さ故のものだった。
当然だ、彼が死んだのは子供を助けようとしてのものだからだ。
悪に堕ちた者が利益無しに子供を助ける訳もない。
「こっちから運転手の人に何かしてやれる事は無いのか!?」
「無い。お前は死んだのだ。あの運転手にも、お前の両親にも、お前ができる事はもう何もない。」
それが死ぬという事。
一つっきりのものを無くし、冥府へと旅立つのみ。
しかし、今回は例外だ。
「佐藤和真、お前はまだ決められた寿命を生き切っていない。故に、もう一度だけ選ぶと良い。」
この少年は運の良さか因果か、もう一度だけチャンスを掴んだ。
「故に、お前には二つの選択がある。このまま死後の世界に進むか、異世界に転生するかだ。」
「じゃぁ転生で!」
至極あっさりとした答え。
最近流行らしいが、何処の世界も人手不足なのだろうか?
「良いのか?異世界に行けば、お前は魔王を退治せねばならない。魔王を始めとした人外が存在して人類を脅かし、人類もこちらより発展していない。その分、生きるには大きな努力と協力、機転が必要だ。」
うちの神殿や信徒と会えば、ある程度の住居と職は保障されるだろうが。
「では特典を選べ。問題があれば修正を加える。」
「えっと、何でも良いんですよね?」
「その質問にはNOだ。過剰な力は世界に無用な混乱を齎し、更に持ち主自身を破滅させる故、ある程度調整される。」
「そっすか……じゃぁ運転手さんに何かしてあげてくれませんかね?」
「何?」
驚きの余り、つい聞き返してしまった。
そうか、確かにそれも有りだが……
「良いのか? それを選べば、お前は何の特典も無しに転生する事になるぞ。」
「良いんです。 オレがやっちまった事なんですから、オレが責任取らないと。」
そう言ってニッと笑う少年の笑みには、一切の陰がない。
彼は善良な人間として、大きな決断を下したのだ。
「宜しい。あの運転手の人生には今後、幸福が舞い込む様に手配しよう。」
「ありがとうございます!」
「うむ。」
思わず満足気に頷くアクア。
こういった人間がいるから、彼女は人間を、命を見守る事が止められないのだ。
「さて佐藤和真、これからお前は転生してもらう。だが、その前に一つしておかねばならない事がある。」
「へ?」
「お前の好きなゲームでもあるだろう?初期配布アイテムだ。」
配られるのは1万エリスと向こうの世界の旅人の一般的な衣服一式、そして汎用ナイフが一本だけ。
これさえあれば始まりの街で依頼をこなして装備を整える事も十分可能だ。
「次に、お前のカルマに応じてステータスポイントが割り振られる。これを使って好きに設定せよ。」
カルマとはその者の善悪、そして功績によって決定される。
時折、反英雄の様な「悪行によって結果的に善行を成す」という理由もあるが、現代にそんな人間はほとんどいない。
一般的な人間の生涯のカルマが約100から-100以内となる。
国家の指導者等の場合はもう2桁程差がついたりもする。
そして和真の場合は…
「カルマ値1万P……これって凄いんですか?」
「無論だ。久々に見たぞ、5桁代は。」
まだ社会に出て小さな悪行を積み重ねる前に死に、その以前も出来るだけ周囲に迷惑をかけないように生活し、最後に命をかけ、来世をかけて善行を重ねたが故にこの数値だ。
まぁ自分の目の前で善行を重ねたから多少のおまけはしているが…(大体1000位)。
尚、マイナスしかない場合は選択したステータスが弱体化する事になる。
なので、私は基本的にカルマが多い、又はそれ程マイナスに傾いていない者を主に転生させている。
「さ、振るがよい。それしか特典が無いのだから慎重にな。」
「あ、質問よいですか?」
そこで唐突に和真が挙手をした。
「宜しい。質問を許す。」
「この1万ポイント、ステータスじゃなくチートの代金にする事は出来ますか?」
「通常なら不許可なのだが……久々の5桁だ、許可する。」
善行の結果が過酷な異世界に何の加護も無しにダーイブ!では女神の沽券に関わる。
これは決して贔屓ではない、とアクアは己に言い聞かせながら、和真に許可を出した。
「じゃぁ女神様! オレは貴方を希望します!」
「何?」
余りの事態に目が丸くなった。
しかし、アクアは直ぐに落ち着いて考え……それが中々美味しい提案である事に気付いた。
(いつも却下される辞表や休暇届に比べれば、ほぼ確実に異世界に休暇にいける上にこの少年の寿命が尽きるまで共にいれば、それはもう素晴らしい休暇になるのではないか?)
幸いと言うべきか、この少年は善良そうだ。
それでいてそこそこの反骨精神もある。
となれば、異世界に共に行っても中々楽しそうだし、自分に理不尽な無茶ぶりする事もないだろう。
加えて言えば、自分の定めた転生者に関するルールにも抵触しない。
「よし、法的な問題も無いな。確認するが、私を連れていく事でお前のカルマによるステータスボーナスは消える。また、私のステータス等は現地の混乱を避けるために10分の1とする。異論はあるか?」
「10分の1……それって向こうで問題ありますか?」
「あくまで一度に出力できる量に制限がかかるだけだ。HPやMPの総量は変化しないため、女神としての力は兎も角アークプリーストとしての技能に問題はない。」
「なら、宜しくお願いします!」
「うむ。では早速転生の儀を始める。」
そして宇宙空間の様なこの暗い空間に、精密かつ巨大な魔法陣が輝きながら出現する。
「では行こう。新しい世界が、お前を待っている。」
「よし、じゃぁ行ってきまーす!」
そして魔法陣からの光が強まっていく。
世界と世界を分かつ壁を越え、少年と女神は未だ神秘満ち溢れる異世界へと旅立った。
「ちょ、アクア様!何ですか今のって………うぇえええええええええええええええええええええっ!?」
後に、女神エリスの絶叫を残しながら。
……………
女神アクア(ガチ)
淡水及び水による浄化と流転を担う女神。属性は秩序中庸。
多くの世界の淡水に関する権能を持ち、地上を浄化して生物が繁栄できる環境を保ち、社会的・概念的澱みが生まれないように流転させる事を生業とする。
そして、文明が過剰に発展して世界が汚染と澱みだらけになった場合、大洪水を起こして全てを浄化=リセットする役割も持つ女神達の中でも特に力のある一柱の一つ。
基本的に真面目かつ温厚で慈悲深く、話せば分かる女神だが、仕事には誇りと拘りを持ち、外道には容赦ない。
だが、その生真面目さが原因で他のテキトー過ぎる仕事をする神々(ギリシャ風味)に対して常にイライラしており、ストレスを溜め込んでいる。
他の神々のやらかしで地上に汚染や澱みが発生するため、その対処に追われ続ける毎日に飽き飽きしている。
正直ガチギレして大洪水起こしても許されるんじゃね?ミスって洪水もありじゃね?と思ってる辺り、かなりギリギリだった。
そこに魔王やら転生者やらの仕事まで押し付けられたので、他の神々が信仰されてる国や地域の淡水の加護を引き上げようとも思ったが、ギリギリで踏み止まる。
その後、和真の存在を利用して異世界へと休暇に行った。
なお、通常業務の殆どは旗下の精霊や妖精、従属神達が行っている。
数少ない重要なお仕事も後輩の女神エリスが胃壁をすり減らし、忍耐を削ぎ落とし、ストレスを不法投棄されながら辛うじて対処している。
く、面白くなりそうな所まで行けなかった